少女は龍と舞う   作:ぽぽぽ

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第3話

 

 

 次の日の朝、葵はいつもより早く家を出た。天気が良く雲のない青空は、太陽の存在を主張している。

 朝露に揺れる草木の上に、 龍は昨日と全く同じ体勢で目を閉じていた。

 葵は様々な食べ物を乗った皿を両手で持ちながら龍へと近付く。後ろにはメイド服を着た吉川がついていて、彼女もまた食べ物の乗った皿を持たされていた。

 

「龍太郎。起きて」

 

 葵が呼び掛けると、龍はゆっくりと瞳を開けた。まだ眠いのだろうか、瞼は完全には開ききっていない。

 お嬢様よりはしっかりと起きれる子ですね、と吉川が呟いたので、葵はむっとした表情をしながら、今日はちゃんと起きたでしょ、と反論した。

 

「ご飯。持ってきたんだけど……」

 

 そう言って、二人は持っていた皿を地面に置いた。皿には、牛、豚、鳥の肉から、魚、果物、それとおにぎりが置かれている。

 龍の食べるもの、と考えても、当然二人に分かる筈がなかった。無駄だと思いながらもインターネットで検索をしてみたが、やはり無駄であった。よって、色々と想像しながら多くのものを用意するしかなかったのだ。

 ワニに似てるから、という理由でとりあえず肉を用意し、後は家にある不必要に大きな冷蔵庫から適当に引っ張り出した。

 蛇だとしたらネズミとかを食べるんじゃない? 、と葵が言えば、吉川は用意できませんと首を振り、トカゲだとしたら昆虫とか食べるのかも、と言えば、吉川は勘弁して下さい、と激しく首を振った。

 おにぎりがあるのは、葵が何か自分で作りたいと思ったからである。お米を食べる動物など吉川は聞いたことがなかったので止めようとしたが、本人がそれで満足するなら構わないか、と好きにさせてあげた。

 

「龍太郎、どれか食べれるものある? 」

 

 葵が尋ねると、龍は皿の上へと目線を動かした。それぞれをじっくりと見ているようである。

 

「名前、龍太郎にされたのですか? 」

「そう。格好いいでしょ? 」

 

 ひとつひとつを選別するように、龍が食べ物に鼻を近付けている。

 

「……格好いい、ですかね。そもそも雌の可能性もあるのに」

「龍と言ったら雄でしょ? 」

「何ですかその偏見」

 

 龍は、様々な肉から完全に目を背けた。どうやらそれらは口にするつもりがないらしい。次は魚を目にしている。

 

「じゃあ吉川さんだったらなんて名前にするの」

「私ですか? そうですね……。ドラゴンザレスとかいかがでしょうか?」

「ひえぇ……」

「何がひえぇですか」

 

 龍は魚からはあっという間に関心を無くしていた。どうやら匂いなどが気に入らなかったらしい。視線は次の皿へと映っている。

 

「あの、お嬢様」

「なに? ネーミングセンスのない吉川さん」

「何てこと言うのですか。……あのですね、これらを食べなかったら、次はどうするつもりですか? 」

「とりあえず爬虫類ショップで冷凍マウスを買って、後はその辺でコオロギでも捕まえてみる」

「ドラゴンザレス、どうかお願いします。何か食べて下さい」

「龍太郎だってば」

 

 龍は、ついに果物にも興味を示さなかった。吉川は絶望しかけた。これからは、冷凍庫にマウスを入れなければならないのか、と。そして最悪なことに、コオロギすら集めなければならない可能性がある。

 吉川は虫が苦手であった。あのチクチクした足や、配線が絡んだようなお腹が、グロテスクに思えて仕方ないのである。昔から生き物が好きだった葵は良く昆虫を捕まえて来たのだが、吉川はそれを逃がすように指示するのに必死だった。

 もし、コオロギを食べるとして、この巨体のために何匹のコオロギが必要なのか。葵が集めてくるにしても、屋敷内に入ってこないという保証はない。

 

 吉川が冷や汗を背中に掻き始めたその時だった。

 

「あ、食べた」

 

 龍は、一瞬だけ首を伸ばし顔を皿に近付け、葵の作ったおにぎりだけを器用にかぶりついた。皿にあったおにぎり10個が一瞬で消えた。

 それで満足したのだろうか、龍は半開きだった瞼を静かに落としていって、再び目を閉じた。

 

「……ねぇ、おにぎり食べたよ」

「……食べましたね」

「私の作ったおにぎり」

「はい、そうですね」

 

 葵は、わなわなと震えてから、ゆっくりと頬を上げていった。目尻を下げ、信じられないという驚きと、食べてくれたという嬉しさがごっちゃになった顔を、吉川に向けていた。

 

「……やっったぁ!! 龍太郎偉い!! 本当に賢い!! 」

 

 葵は飛び上がって喜んだ。龍の頭に体を引っ付けて、偉い偉いとひたすら撫でた。

 自分が作ったものを食べてくれた、ということが、単純に嬉しかったのだ。葵に気を使ったのか、それとも本当に米しか食べないのかは分からなかったが、葵は急に龍との距離が近付いたように思った。

 龍は、頭部を撫でられることを拒否しなかったが、それにわざわざ反応することもなかった。

 

「……葵お嬢様、そろそろ学校の時間ですよ」

「そうだった! それじゃあ、行ってくるよ。吉川さん、お昼も龍太郎にはおにぎりをあげてね。もしかしたら、私が握ったものしか食べないかもしれないけど。それと、さっきの訳わかんない名前で呼んじゃ駄目だからね」

「分かりましたから、早く行って下さい。それと、高嶺君に話を聞くのを忘れずに」

「龍太郎、行ってくるよ」

 

 葵は最後に自分の額を龍の額にコン、とくっ付けた。またね、と呟いた所で、龍はまた瞳を開いてから、すぐにそっと閉じた。

 

 吉川は、嬉しそうに学校へと向かっていく葵を見届けた。

 あんなに楽しそうにした葵を見たのは、久しぶりであった。最近の葵は、両親のいないことにストレスを溜めていたのか、常に機嫌が悪そうだったのである。

 

 ……あなたのお陰ですね、ドラゴンザレス。

 

 吉川は、葵を喜ばしてくれたことと、おにぎりを食べてネズミやコオロギを準備させなかったことに対するお礼を心の中で龍へと述べた。

 

 

 

 ○

 

 

 葵が自分のクラスに到着すると、朝からおしゃべりに夢中になっていた女生徒が此方に気付いて、挨拶をしてくれた。葵も手を挙げて、おはよう、と返す。

 自分の席に着くより先に、清麿の姿を探した。いつもなら、葵よりずっと早い時間に来ている筈なのだが、今日は姿が見えない。仕方なく、葵はひとまず自分の席に座った。

 

 先日、吉川に言われた言葉を思い返す。

 吉川が例の博士に聞いた通りならば、清麿はあの龍の側に落ちていた本について知っているらしい。

 何故その博士が葵の学校やクラスメイトを把握しているのだ、と多少恐ろしくなりながら吉川に尋ねたが、彼は変ですから、と言うどうにもなってない一言で片付けられてしまった。

 清麿が、何をどのくらい知っているかは分からない。しかし、龍に対する情報がない以上、葵は清麿に頼るしかなかった。

 葵はもう、龍のことが気になって仕方ないのだ。

 

 

 しばらく、教室に入ってくる人を一々観察しながら清麿を待っていたが、彼は中々やってこなかった。もしかすると、今日も休みなのかもしれない。

 清麿は、よく学校を休んでいる。昔は学校に来づらかったからであろうが、最近の皆と仲良くなってからも、姿を見せないことが頻繁にあった。

 サボりではないことは、皆知っていた。休み明けはいつも体の何処かを怪我しているからだ。清麿と仲が良いとは言えない葵はその怪我の理由を知らなかったが、実はクラスメイトで原因を知っているものはいなかった。本人が元気そうなので、家庭での虐待受けているなどの心配はないと思うが。

 

 始業のベルの鳴る五分前となっても清麿の姿が見えないため、葵は今日彼に本のことを聞くのを諦めようとした。

 しかし、クラスメイトがほとんど座って1限目の準備をしている中、彼はくたびれた顔で教室に現れた。

 

「おーい不良少年、今日は随分遅いじゃねーか。またイギリスにでも行っちまったのかと思ったぜ」

「不良はよくねぇーなぁ。ちゃんと学校に来いよ」

 

 野球好きで彼とも仲の良い山中が椅子を後ろへ傾けながら彼に声を掛け、金山が茶化すように自前の低い声でそれに続いた。

 

「今日もガッシュが連れてけ連れてけうるさかったんだよ! 金山ぁ! お前には不良とか言われたくねぇ! 」

 

 金山にびしっと指差しながら、清麿は自分の席へ移動して座る。

 水野を見れば、清麿が来て明らかに嬉しそうな顔をした後、入口のドアの方をみて首を傾げた。

 

「あれ? 高嶺君、カバンひとつ忘れてるよ? 」

「ああ、おはよう水野。いや、今日はこれ以上荷物は持っていない筈だが……」

「でも……」

 

 ほら、あのボストンバッグ、と続けて、水野が入口に置いてある緑色の大きなバッグを指差した。

 その発言のすぐ後に、ビクゥ、とバッグは跳ねるように動き、まるでそれをなかったことにしようと、しん、と動きを止める。

 清麿がそのバッグを見て、ふるふると震えだした。

 

「ガァーーーッシュ!!!! 」

 

 恐るべき顔をしながら、恐るべき跳躍力を見せて、清麿はそのバッグの側へと着地した。バッとすばやくそのカバンを開けると、そこには綺麗な金髪が生えた小さな頭が見えた。

 

「ウ、ウヌゥ! もう見つかってしまったのだ! スズメ! どうしてばらしてしまったのだ! 」

「え! 私のせい!? ガッシュ君ごめんなさい! 」

「水野! 謝らなくていい! ガッシュ! お前今日は家で大人しくしていろと言っただろうが! 」

「ウ、ウヌゥ……し、しかし……! 」

 

 ガッシュはボストンバッグの中から立ち上がり、清麿に怯えながらも、堂々と清麿の目を見返した。いや、堂々とはしていないのかもしれない。葵には、ガッシュの目に涙が溜まっているのが見えていた。それほど、清麿の今の顔は怖いらしい。

 確かに、葵も叫んだ時の清麿は少し恐ろしく感じていた。

 それでも、ガッシュは心折れることなく清麿を見ている。

 

「今日は母上が外出していないのだぞ! 家で1人だなんて寂しすぎるではないか! 」

「お袋が、荷物来るから代わりに家で受け取ってって頼んだ時、お前胸張って任せろ! って言ったじゃねーか! 」

「その時は大丈夫だと思ったのだ! まさか1人でいるのがあんな心細いだなんて思わなかったのだ! 」

 

 

「うわぁ。ガッシュ君ちょっと可哀想」

「確かになー。まだ子供なんだし、1人でいるのは辛いよなぁ。高嶺君はその辺分かってあげれないかぁ」

「アイスハートね。胸毛も生えてないんじゃない」

 

「っぐぅ……! 」

 

 いつの間にかクラス皆が二人の言い合いを見ながら、好き勝手に意見を言っていた。これだけ大声で話し合っているため、気にしないでいる方が不可能なのだ。

 クラスメイトから避難を浴びた清麿は、若干の劣勢を感じていたが。

 

「て、てめぇ! 男なら一度言ったことは守りやがれ! それに家にはウマゴンがいるじゃねぇーか! 」

 

 

「そーだよ。高嶺家にはウマゴンがいるじゃん」

「確かに、あいつなら安心だよ」

「そーいえば、今日はあのお馬さん来てないのね」

 

 いつもなら、ガッシュは子馬のウマゴンと学校に来ることが多い。しかし、今日はどうやら1人でここまで来たらしい。

 

「う、ウマゴンは……。昨日の夜ポテチを食べ過ぎたらしくて調子が悪いのだ……」

 

 

「……まぁ馬だしね」

「……うん。仕方ないね」

 

 

 馬がポテチ食べてる時点で可笑しくないのか、と葵は何故か納得しているクラスメイトに心の中で突っ込みを入れるが、そういえば家にはおにぎりを食べる龍がいるんだった、と自分も人のことを言えないと気付いた。

 それから、今日の朝のことを思い出した。自分が握ったおにぎりを、龍太郎は食べてくれたのだ。そう思うと、葵はニヤケてしまうので、俯くようにしてその顔を隠した。

 

 葵が下を向きながらニヤケている間も、二人の言い争いは続いていた。

 

 ならなおさらガッシュは家にいてやれよ!

 しかし、もし家に怪人が襲ってきたら私はどうしたら……!

 テレビ見すぎだ! それにお前なら怪人くらい倒せるだろうが!

 無理なのだ! あいつらはカマキリジョーでないと……!

 知るかぁ!

 

 

 そうこうとしている内に、当然始業の時間となり、先生が教壇に立っていた。先生も彼らの争いはもう見慣れたものだったが、このまま授業を進めぬ訳には行かぬので、珍しく清麿側に立ってガッシュを諭す。

 

 結局、配達される荷物が到着する時間を遅らすように清麿が電話し、ガッシュは公園でも植物園でも行ってろ、という形で今回の勝負は決着がついた。

 

 葵は当然ながら、朝の時間に清麿に本の話をすることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 放課後の帰り道、葵は溜め息を吐きながら帰宅していた。その理由は、結局清麿に本の話を全く聞けなかったからだ。 何故か分からないが、妙にたくさん邪魔をされて、そんな暇がなかった。

 

 授業合間には、山中達が近くにいるせいで葵は何となく近より難く、その輪に入って清麿に話しかけるなど葵には出来なかった。

 実は、葵はクラスでは大人しい部類の人間である。大豪邸にすむ令嬢、という情報も既に行き渡っているため、何となくそのレッテルに従ってしまうように上品に過ごしていた。所謂、お嬢様キャラという奴である。だからと言ってその自分のキャラが嫌いな訳でもないので、特に息苦しい想いはしていなかったし、水野などの親しいものにはいつも通りに接していた。

 とりあえず、男子の中を突っ込んで言って誰かに話し掛けるなど、葵には出来なかった。

 

 そして、昼休みに彼に近付こうとすると、今度は水野に激しく妨害された。どうやら水野は、葵が水野の想いを清麿へと告げようとしていると勘違いしたらしい。何度もそうではないと説明するが、思い込みの激しい彼女は中々納得してくれなく、誤解が解けた頃には昼休みの時間は終わっていた。

 

 そして帰りは、あっという間に彼が帰宅してしまったせいで話す暇さえなかった。

 

 まだ昼の明るさが残るような空の下、葵は小石を軽く蹴って進む。

 あの龍のことが何か一つでも分かるかも、と期待していた葵は大きく落胆していた。

 突如空からやってきた龍。未だに動きは殆どなく、特に何かする訳でもない。そして、その近くに何故か落ちていた本。それがどんな関係であって何を意味するのかもまだ分かっていない。

 

 はぁ、ともう一度溜め息をついた所で、帰宅路の途中にある公園が目に入った。昔は、たまに遊びに来ていた家の近くの公園だ。

 何となく懐かしい思いをしながら覗いてみれば、そこには、今日の朝見た金髪の少年がいた。お菓子の箱に割り箸を差し込んだ何かを側に置きながら、彼は砂場で遊んでいた。

 葵は1人でいる彼に同情を感じてしまいそうになったが、箱に向かって元気に話し掛けている所を見ると、本人は楽しんでいるようだ。

 

 ……そうだ、彼に聞けば何か分かるかも。

 

 ガッシュは清麿と一緒に住んでいることを、葵は知っていた。いや、殆ど皆が知っている話だ。とすれば、彼ならば、この本のことを清麿から何か知っているかもしれない。

 

 葵は、鞄の中に持っていた本があることを確認してからそれを取り出してガッシュにそっと近付き、その小さな肩を叩く。

 

 そして、ウヌ? と可愛く振り返った彼に、尋ねた。

 

 

「……ねぇ、ガッシュ君。ちょっと聞きたいことがあるのだけど、この本のこと知ってる? 」

 

 


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