「……さて」
夜の街、1人の男が歩いていた。
その男はフードを目深に被り顔を隠していた。周囲に人気は全くないため顔を隠す行為は正直必要ないと思われるが、それを突っ込む者は誰もいない。
「…………このあたりですな」
そう呟くと男は地面に触れた。僅かにその場所が光るとすぐにその光は消えた。そして手元にあった羅針盤のようなものはある一方向を指している。
「……あちらですか」
そう言って男は夜の闇に1人消えて行った。
***
「おーい遊!」
昼休み、遊は出水と共に食事をしていた。聞き慣れた声が聞こえ、遊がその方向を見るとそこにはバスケットボールを持った米屋がいた。
「米屋」
「おっ、弾バカもいるな」
「誰が弾バカだ槍バカ。んで、何の用だ?」
「いやさ、今日昼休み体育館空いてるらしいからよ。バスケしに行こうぜ」
「飯は?」
「もう食った。お前らは?」
「もう終わるとこだ」
「ならさっさと食え。はやくやりに行こうぜ」
「わかった。少し待て」
「遊、俺ら次の授業ちょうど体育館だし着替えて行こうぜ。その方が戻らなくていいだろ」
「そうだったな。じゃあ俺ら着替えてから行くから先に行ってくれ」
「お、そうか。わかった、待ってるぜ」
そう言って米屋は体育館の方へ走って行った。
「全く、あいつは勝手だな」
「そう言うな。ああやって気楽に誘える奴なんてそういない。米屋の良いところだろ」
「お前は大人だけど米屋に甘いなぁったく」
少し苦い顔をしながら出水は残っていたパンを頬張りコーヒー牛乳で流し込んだ。
と、そこで出水の背後に人影が現れる。
「ねぇ、出水くん、遊くん」
その人影は同クラスの女子、熊谷だった。遊が気兼ねなく話せる数少ない女子である。
「お、熊谷」
「おう」
「今の話聞いてたんだけどさ、それ私も混ざっていい?」
「おお、いいじゃん。4人なら2対2できるじゃん。遊もいいか?」
「ああ」
「よっし決まり!」
「ありがと。次体育だから着替えてから行くよね?」
「ああ」
「じゃ、私も着替えてくね」
「おうよ。遊、飯は?」
「もう食い終わる」
「……ねぇ遊くん」
熊谷は遊の食べる弁当にじっと視線を向けながら聞いてくる。
「なんだ?」
「そのお弁当……手作りよね」
「見ての通りだが」
「誰が作ってるの……?」
「俺」
「えっ」
「は?」
あまりにも意外すぎたのか、2人は同時に素っ頓狂な声をあげた。いや、あげてしまったと言うべきだろうか。
「俺が作ってる。晩飯の残り入れたりとかしてるからそんな手間かけてないけどな。弟のも俺が作ってる」
「すっご!遊くん料理できたんだ!」
「まぁ、多少。親いないし」
「なら遊、今度お前の飯喰いにいっていいか?」
「はぁ?」
「ダメか?」
「……いや、まぁいいけど」
「マジ⁈よっし!熊谷も来るよな?」
「もちろん!米屋くんも誘ってあげよ」
「ったりめーよ!いやあ楽しみだな!」
「いやそんな楽しみにすんなよ……そんなご大層なもんは作れねーぞ」
やたら嬉しそうにする2人に対して若干引きながら呆れたような表情をしながら遊はそう言った。遊からすればたかが自分の料理にそこまで嬉しそうにするような理由がわからなかった。
「ダチの飯なんてそう食えるもんじゃねーだろ?楽しくもなってくるぜ!」
「……そういうもんか?」
「そーゆーもんだ!」
満面の笑みでそう言う出水に対して怪訝な表情をする遊。
(……わからないな)
「ほら、米屋待たせてんだ。さっさと食って行こうぜ」
「あ、私先に着替えに行ってるね」
「おう」
笑顔の2人を不思議に思いながら残った弁当をかきこんで水で流し込み、遊も席を立った。
「待たせた。いくか」
「おう」
*
「遊!」
「出水」
「やっべ抜かれた!熊谷!」
「ヘルプ行くわ!」
掛け声とともにボールが行き交う。
現在は体育館のハーフコートを使って遊、出水チームと米屋、熊谷チームで2対2をやっている。スコアは同点で、昼休みの間ずっとやっているが、お互いの実力が拮抗しているためか差は開かない。
普段から休日にバスケットボールをやっている熊谷が技術的には他のメンバーよりも一枚上手だが、米屋、出水はもともと運動神経がいいため遅れを取るようなことはあまりない。そして遊は遊でサイドエフェクトのおかげでバスケ部が練習しているのを見たことがあるためバスケ部並みの動きが完全ではないとはいえできている。そのため両者は拮抗していた。
だがその拮抗は最後の最後で崩れた。
「もらった!」
「甘いわよ!」
出水からのパスで一気にゴールへと遊が切り込みレイアップへと踏み込んだが、それを読んでいた熊谷がブロックに入る。女子だが、高身長の熊谷は比較的高身長の遊のブロックをするのになんの支障もない。
だが
「よっ、と」
そのブロックを華麗に空中でかわし、そのままボールをゴールへ放り込んだ。
「嘘⁈」
「ダブルクラッチ⁈」
(みんな上手いな……サイドエフェクトだけでどこまでやれるか……)
現在、遊は当然のようにバスケットボールをやっているが、今までやったことなど一度もない。なのになぜこれほどまで卓越した動きができるかというと、元々身体能力が高いこともあるが、やはりサイドエフェクトの恩恵が大きかった。あまりに人間離れした動きでない限り一度見ればほぼ完璧に再現することのできるサイドエフェクト『行動模倣』。競技をやる上ではこれほど役に立つサイドエフェクトはそうないだろう。
「かーっ……お前上手いなぁ。前にやったことあんのか?」
「部活とかではねーよ、知っての通りな。この前バスケ部の練習試合やってるの見たから」
「はぁ?そんだけ?かー、なめてんな」
「真似っこだけは昔から得意でな」
下手にサイドエフェクトのことを言う必要もないだろうと判断し、ジャージの袖で額の汗を拭う。
「真似が得意ってレベルじゃねーだろもはや」
「こればかりは才能ってやつかね」
「うーわムカつく!」
「絶対一泡吹かせてやるわ」
「でも本当にすごいわね。部活とかやればいいのに」
「今更入ってなにするんだよ。来年はもう受験だぞ?」
「それもそうね。神谷くんは志望校とかもう決めてるの?」
「まだ。つっても近場の国立がいいから三門国立大学とかになりそうだけどな」
「へー、国立志望なのね」
「マジー?頑張るなお前」
「5教科7科目とかやりたくねー」
「うちはあんま金ないから仕方ないさ」
そう言いながら談笑していると、体育館を使っていた他の組の一人がボールを受け損ねる。
「危ない!」
そのボールは遊の左側から迫ってきていた。
そこまですごい速度でもないためボーダーで戦っている米屋、出水、熊谷なら回避できただろう。本来なら遊も回避なり受け止めるなりできたはずだ。
「ぶっ」
だが遊は回避もキャッチもできなかった。
ボールは遊の顔にあたり、あらぬ方向に飛んでいく。だがそのボールは米屋がうまくとり、遠方にいくのを防いだ。
「遊、大丈夫か」
「ああ、大したことない」
「すいません、大丈夫ですか⁈」
ボールを使っていた生徒が近寄ってくる。
遊はそれに対して大丈夫だと返してなんでもない様を見せる。実際外見はどこもおかしくなっていないため生徒はほっとしたような表情を見せる。
だが米屋は違和感を感じていた。
(……今、角度的に遊の左目の視界には確実に入っていた。あの程度の速度なら、遊ほど動けるやつなら回避なりキャッチなりできただろう。なのに、できなかった。なんだ……まるでボールが来たのが全く
「おい、米屋」
遊の声に米屋は我に帰る。
「えっ、ああ」
「ボール、返してやれ」
「お、おう。悪い」
「……?」
なにか変だと思いつつ遊は首を傾げるが特に突っ込むことはしなかった。
その後、何事もなかったように授業が始まるまでバスケットボールに興じたが、米屋の感じた違和感の正体は掴めなかった。
***
「遊〜」
放課後、荷物を纏めて帰宅しようとすると米屋に声をかけられる。
「どした」
「帰り、どっか寄っていかね?」
「ちょっと待ってな」
普段なら二つ返事で了承するが、今日の遊真の予定を聞いていない。家にすぐに帰ってくるのならば食事の用意が必要だが、最近遊真は玉狛に入り浸りだ。故に玉狛で食事を済ませてくることが多い。
遊真には最近ボーダー支給のスマートフォンを持たせているため学校後の予定は決まり次第すぐに連絡するように伝えている。だからもう連絡もきているだろうと思いながらスマートフォンを見ると案の定遊真から通知が入っていた。
『ユウへ。今日も玉狛に行く。夜は遅くなるから飯はいらない』
「了解っと」
「行けそうか?」
「ああ」
「よっしゃ。んじゃ行こうぜ」
「出水は?」
「あいつは防衛任務。代わりに暇そうな熊谷呼んだ」
「そうか。じゃ、行こうぜ」
「おうよ」
ーーー
「お、二人とも、こっち」
正門前で待っていた熊谷が手を振ってくる。
「わり、待たせた」
「いいよ、大して待ってないし」
「そうか。んで、どこ行くんだ?」
「駅前の方行こうぜ。あっちなら雑談とかもできる場所あるだろ」
「ん、いいよ。熊谷は?」
「私もいいわ。それじゃ早速移動しましょ」
ーーー
「さて」
手ごろなファストフード店に移動し適当に注文を済ませ、会計をして商品を受け取ると先に注文を済ませた二人が席を取ってるはずだと辺りを見回す。
「あれ」
しかし二人は見当たらない。二階は無いためこのフロアにいるのは確かだろうが、どうにも見当たらない。
「どこいった?」
「おい遊!」
不意に左側から声が聞こえ、そちらに顔を向けるとそこには二人がいた。
「わり、気づかんかった」
「おいおい、しっかりしろよ」
「悪かったって」
遊と米屋の会話を聞きながらも熊谷はわずかに違和感を覚える。
遊は普段、敏感過ぎるほど感覚に優れている。なにしろ背後を通っただけで誰が通ったかわかるほどの感覚を持っている。にも関わらずすぐ横にいたはずの自分達に気づかなかった。しかも顔はこちらを一度は向いた。なのに気づかないなんてことあるのだろうか。
「まいいや。さっさと座れ」
「ああ」
「で、遊はこっちでのはじめてのテストはどーだったよ」
「ん?まぁ、まずまずかね。知らんけど」
「かーっ!転校早々からいい点取るのが目に見えるよちくしょう!」
「熊谷はどーだったよ」
「え⁈あ、ああ。私も悪くないんじゃない?多分だけどね」
突如振られた話になんとか同調するも、胸の中から違和感は消えてない。
聞くのも変かと思い熊谷はその違和感を抑えて会話に参加した。
ーーー
「そういえば、神谷くんもうB級に上がったんだったわね」
ポテトを摘みながら熊谷は遊にそう言った。
「ん、まーな」
「早すぎない?まだ神谷くんがこっち来てから一月くらいでしょ?」
「あー、そんなもんか」
「反応薄っ」
遊本人からしたら、散々ネイバーフッドで戦ってきたのだからこれくらいできてないて困ると思っているほどなのだが、そんなことは二人からしたら知る由もない。
米屋は遊がネイバーであることを知っているが、それをわざわざ口外することはない。
「ね、ならこんど私とソロランク戦してよ」
「いいよ」
「即答?一応私もB級なんだけど、舐められてる?」
「まさか」
熊谷が弱くはないことくらい、かつてみた映像で知っている。B級中位を維持するくらいの実力はあるため、断じて弱くない。なによりあの捌きと返しはなかなかの技術だ。一朝一夕では身につかない。
「おいずりーよ。俺ともやれよ」
「わーってるよ。基本ソロだし、いる時は声かけろ。そしたら相手すっから」
「いったな?今度やるぞ!」
「へいへい」
苦笑しながら遊はハンバーガーの包み紙を丸める。
遊本人が感じた『違和感』はとりあえず二人に悟られずに済んだだろうと考え、ジュースで喉を潤す。
「ねぇ、神谷くんはどっかとチームに入らないの?」
『基本ソロ』という言葉に熊谷は素朴な疑問をぶつける。
当然だろう。B級は基本チームを組む。それによってチームランク戦に参加することができるし、チームの部屋ももらえる。上を目指す人間は誰でもチームを組むため、チームを組もうとしない遊は珍しかった。
「んー、いいかな」
「どうして?」
「まず単純にチームメイトを探すのが面倒」
「理由がものぐさすぎるんだけど」
「実際そうなんだから、いいだろ別に」
実際は、本部所属になって黒トリガーもとりあえず向こうに握らせた状態で下手なことしたくないという事情もあるが、そんなことをわざわざ言う必要もない。
「ふーん。まぁ神谷くんの自由だし、そこは私がどうこう言うことじゃないけど」
「そういやあの話本当なんかお前」
「あの話、ってなんだ」
「お前噂になってるぞ。加古さんにスカウトされた新人って」
「え、そうなの?」
加古、という名前を聞いてかつて声をかけてきた長髪の美女を思い出す。そういえばそんなこともあったなと思いつつ、それが噂になっているとは思いもしなかった。
「あー、そういやスカウトされたっけ」
「マジ⁈で、どうしたんだよ」
「断った」
「なんで?加古隊ってA級よ?」
「別にいいかなって。そもそもあのチーム女性しかいないのにそこに男一人ってしんどくね?」
「それは、そうだけど」
実際、あの後何度か本部で声をかけられているが、全て断っている。今は遊としては下手なことせずひっそりとB級でいたい。形見である黒トリガーの検査はそろそろ終了してもいいだろうが、本部から連絡がない以上こちらが下手に動くことは得策とは言えない。少なくとも黒トリガーが返却されるまでは誰ともチームを組もうとは思っていない。
「ま、気が向いたらやるかもな」
「なーんか向上心薄いわね」
「悪かったな」
「おれとしては、ランク戦できりゃなんでもいいや」
「本当にそれしか頭にねーのか」
そんな他愛無い話をしながら、遊は日常を噛み締めていた。
*
その後少し遅くまで二人と雑談し、いい時間を見計らい撤収した。
二人と別れ、帰路に着く頃には辺りは暗くなっていた。
「レプリカ」
そう呟き、コートのポケットからレプリカの子機が現れる。
『…ユウ』
「お前の予想通りだよ」
『左眼、見えているのか?』
「ほとんど見えてない。発作の頻度も少し上がってきてるし、なにより気配感知が鈍くなってきた。トリオン体じゃないと、ロクに動けなくなるのも時間の問題かもしれん」
『先程の様子からすると、味覚障害も出始めているのだろう』
「ああ」
先程のファストフード店で食べたポテトとハンバーガー、この二つを口に入れた時、最初は味がしなかった。食べていくうちにあざはわかってきたが、最初は味がほとんどしなかったため、味覚障害も起こり始めている。
「思ったより、残り時間は少ないのかもな」
『……』
「遊真は?」
『新たな仲間と共に研鑽を積んでいる。楽しそうだ』
「そっか。良かった。これで俺がいついなくなっても、大丈夫そうだな」
レプリカはその言葉に返事をしなかった。
『ユウ自身の幸せは?』
そう言葉が出てきそうだったが、レプリカはそれを口にはしなかった。なぜならしても無意味だからだ。仮に遊本人の幸せがあったとしても、それを実現することは、レプリカにはできない。遊が幸せを欲しても、それを実現してやることができる人間はいないのだから。
『…無理はしないことだ。私としても、ユーマの最も親しい人間が早くいなくなるのは心苦しい』
「そうかい」
そう呟くだけで遊は本当にわかっているのかわからないような表情で空を見上げた。
街頭の光で、星の光はかき消されてしまい空はただ暗闇が広がるだけだった。