――私はやれる。どんなことでも。これ以上、くるみにもめぐねえにも負担はかけたくない。私は学園生活部の部長だ。部長なんだ。どれだけ記憶が霞んでもそれだけはわかる。
妹たちのことを守る。それが姉の役目だ。
ゆうり
左手に持ったモノがズシリとする。若狭 悠里は暗闇の中でゆっくりと歩いていた。歩みを進める度にピチャ、ピチャ、と水たまりを踏む音が響く。右手に持った懐中電灯が足下を照らすが見えるのものは水に濡れた床だけ。屋内のはずだが何故か浸水している。流れがあるのか黴臭くなく、水もあまり濁っていない。
「……………………!」
そんな暗闇の中で悠里は音を聞く。小さいが呻く声。入り口のシャッターは何故か半開きになっていた。施錠を解除するための暗証番号のタッチキーも血に濡れていた。つまりは、そういうことだ。
震えだす膝を必死に押さえ込んで、悠里は足を前へと進める。チャプチャプと音を立てる水音が耳から彼女の身体を震えさせる。
人間以外の肉食動物が見れば、さぞ悠里は豊満で食欲をそそるものに見えるだろう。ほどんどが制服やカーディガンでわからないが悠里の肉付きは同年代でも頭一つ飛び抜けている。もっとも、今は普段着ている制服の上にレインコートを羽織っているため、身体の線は見えていない。
極度の緊張と、厚着のために上がる体温で汗ばむ肌が気持ち悪い。普段は絶対に見せないような顔をしながら悠里は足を進める。
ジャブ、と自分のもの以外の音が聞こえる。
――来た。
悠里はギュッと左手に握るものに力を入れる。やれるはずだ。園芸部では足りない男手の代わりだったのだ。人を一人、殺ってしまうぐらいわけはないはずだ。
ビチャ、ビチャ……………足音が、近くなる。低めの位置で照らした懐中電灯がソイツを捉えた。
「ひっ…………………」
短い悲鳴を上げてしまうが、必死にこらえる。一人になった途端にこれだ。情けない。悠里は自らを叱咤し、ソレを直視する。懐中電灯の照射範囲を上に、そして見る。
血に濡れ、汚れきった白衣に身を包んだ女性だったモノ。声にもならない呻き声を上げ、何も収まっていない目のあったはずの空洞が悠里を捉える。
目がないはずなのに、ゾンビとなったソレがゆっくりと悠里に足を進める。
思わず一歩引くが、悠里はそれ以上引く事ができなかった。
「はぁ………はぁ……わ、私は」
逸らさずに、視線を前へと向ける。
「わ、私は逃げない!」
決して早くはない速さで、悠里は相手へと駆け出す。直前で、急停止しその反動を生かして、左手に持ったモノ――大きな金槌を相手のこめかみに向かって振り抜いて。
「うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」
強い衝撃が手首にかかり、相手が倒れる。そのまま悠里は追撃をかける。
「このっ、このっ、このっ!」
何度も。
何度も悠里は倒れたソレの頭蓋を打ち続ける。もう起き上がれないように、もう歩けないように、もう動けないように。飛び散った肉が、血が、悠里の手を犯し、レインコートに容赦なく赤黒い液体で染上げていく。
相手の身体が機能を停止し痙攣を続けて尚、頭が無くなれば首を背中を、もはや叩いて動いているかどうかも判別出来ないほどに無我夢中で腕を振る。
そうして、幾度かの打撃で金槌の頭が外れてコンクリート製の内壁にぶつかって落ちた。
ベチャ、と柄の先端が当たり、ようやく悠里は攻撃をやめた。
「うっ………………」
途端に目の前の肉塊に吐き気をおぼえ、容赦なく悠里は吐き出す。幸いにも吐瀉物はレインコートを着ているおかげで制服を汚さなかった。
「うっ………はっ………ふぅ」
一先ずおさまり、使い物にならなくなった柄を悠里は放り投げる。やれた。これまでに感じた事の無い疲労感がドッと悠里を襲うが、なんとかやり遂げられたことに満足した。
「あは………あはははっ。やったよ、やれたよ!ゆきちゃん!お姉ちゃん、やれたよ!」
唐突にゆうりは高笑いを始める。まるで狂ったかのような笑い声は地下にだけ響き渡る。その顔はパンデミックが始まって以来初めて見せる心からの笑顔。慈にも、胡桃にも、ゆきにも。ましてや途中入部の二人にすら見せた事が無い少女の笑顔。
「ふふっ!簡単だった、こんなにも簡単だったんだぁ!ヒトってワレモノね!ははははっ!」
そこにいるのは一体誰なのだろうか。それは彼女自身にも、今しがた破壊されたモノにもわからない。ただわかるのは一人の少女がコワレタということだけだった。
「はーっ、あぁ、おかしい。つぎから、ひとりで……うっ………」
ゆうりが、ふらりとよろめく。それと同時に悠里が今、自分が何をしていたのか気がついて、今までにないほどの頭痛が彼女を襲う。
「い、いたっ………痛い!?あ、うぅ……!」
懐中電灯を取り落とし、ある程度マシな右手で額を覆う。霞んでいく記憶が完全にまっさらになりかけていたことに悠里は恐怖した。今、自分は全てを忘れかけていた。ゆきは誰の妹でもない。
若狭 悠里の妹は、いる。いるが、ゆきではない。誰だかは忘れたが。こんな場所に一人で居てはダメだと、悠里は自分に言い聞かせる。運がよかったのだ。一本道だから奇襲されることもなかったのだ。
「戻らないと」
これ以上、ここにいるわけにはいかない。悠里は残骸の片付けすらせずにその場から逃げるように駆けだしていった。
ザーっと雨が降り出していた。
悠里がいなくなったと騒ぎがあった後、彼女が無事でただ図書館にいただけということがわかったその日の夕方。慈は二階の図書室で、何かこの状況を打開出来るものは無いかと探していた。夕日の、市役所の資料が解析されるまで、学校内部だけでやれることなら“巡ヶ丘の古民謡=獣害説”を確認し、そこから今に繋がるまでの経緯を探っていきたいのだ、慈は。
「(この動き方は遠回りかもしれないけど。………この騒動の根は深過ぎるなんてものじゃない)」
このパンデミックは複雑で深い根がはっている。ランダル製薬が黒幕で倒せばハイ終わりとはいかない。あくまで製薬会社で、もしかしたら出先機関の可能性もあるのだ。真の黒幕とも言える存在などの確認をしなければ、逃げても地の果てまで追われるかもしれない。
だから、確実に敵の存在を確認するために古い資料からあぶり出していく。歴史確認から事態の原因・経緯を知るのにはそういった目的も慈にはあった。
とはいったものの、図書館にある巡ヶ丘市の資料はパンフレットレベルのものしか存在せず、一番歴史に詳しく言及しているが巡ヶ丘高校の入学案内という有様である。一筋縄ではいかなそうだった。
手に取っていた本を一度棚に戻してから、慈は近場の窓から外を見る。秋雨だ。穏やかな季節の流れはこの荒廃した世界でも留まる事無く流れていく。雨に打たれる死者たちは出来うる限り雨を凌ごうと屋根のある場所に殺到している。学校の正面玄関にも殺到しているはずだが、モール帰還後に胡桃が工具を用いて一階の階段付近のバリケードは強固なものに変えているため、一階が彼らで溢れても上階には上がって来れない。
この学校が慈たち学園生活部の手中に収まる日は遠くなかった。
が、それを為したところで何も解決にはならない。現に今、目の前で疑問が発生している。それはゾンビたちの行動基準である。水に濡れるのを嫌う。これは光や音の次に大きな反応だった。
最初こそただ生きていた時の名残かと思っていたが、これまで目の当たりにした現実からすればそんな“優しい”解釈は出来そうにも無いと慈は考えている。
例えばそう――
「階段すら上がれない愚鈍なゾンビが、水に浸かったら動けるはずがない。…………なんてね」
誰もいないからこそ見せられる。水を嫌がりノロノロと逃げ惑う“彼ら”を嗤う慈の表情は酷く汚いものだった。善人の皮を被った悪人と言っても差し支えないものである。
人間は誰しもが心に闇を飼っているというが、この生活をし始めてからというもの慈はちょっと黒くなったと自覚している。少なくとも善良な人は他人を“完全な駒”としてみれない。僅かでも命を大切にしようとは思うはずだが、慈は身内以外、学園生活部以外の人間と触れ合って初めてソレが欠落していることに気がついた。
現に、市役所にいた情報屋は生きようが死のうがどうでもいいとすら考えている。むしろ、死んだ場合は危険が迫っていると踏めるし、生きているのなら変わらず利用出来る。自身で思いながら身の毛もよだつような思考だが、慈はそれを肯定する。何かを救うためには代価が必要だ。ましてや、対象は五人分の命である。地球より命は重いと言われるが、命の総数が地球より重いのではなく、個の命が地球より重いと考えた時に等価交換すべきものは何なのか。
それは掛け値無しに命だ。慈の持論からすれば、それがこの世界を生き延びるために至った真理である。胡桃は自身が殺人者だと言ったが、慈もそうだった。“あの日”の“命の選別”で慈もまた頭のてっぺんからつま先まで血に濡れているも同然だ。
だからこそ、負うべき責任がある。そのために調査や真相の追求、事の推測をしなければならない。それがせめてもの供養にならんとして。
窓から慈は離れて、思考を切り替える。センチな思考は時折するが、し続ける事は時間の無駄だ。今はすべきことに頭の動きは割くべきであり、対処すべき事は一つだけではない。
図書室のある区画にやってきた慈は一冊の本を手に取る。それは精神医学に関するものだった。
――悠里先輩には気をつけてください。
鋭い圭が見たという悠里に付いた僅かな返り血。一体どこでついたのか、何をしてついたのか。
念のため睡眠薬を混ぜた紅茶を昼食後に飲ませて、服を脱がした上で噛み傷などがないか確認したが感染した可能性もなく、いたって健康体だった。ただ、僅かに返り血が足のくるぶしについていたため念のため拭き取っておいたが。
ゆきの面倒を見るためにその場から席を外していた美紀を除き、慈、胡桃、圭の三人で推測した限りでは一階に単独で何かをしにいったと考えられたが彼女が行きそうな場所がわからない。単独で行動したとしてもなんでそんなことをしたのか見当もつかない。
突然の悠里の変化に慈は首を傾げるしか無かった。
しかし、あのような行動を取る予兆はあったはずだ。記憶障害や今までは確認されていなかった偏頭痛。圭と美紀の加入による環境の変化や、市街地の状況に加えて蓮田 夕日から告げられた現実。
悠里の心に与えた衝撃がいかほどであったのか。由紀を幻想に追いやったあの“マニュアル”程ではないにしろ、十分すぎるほどの破壊力はあったはずだ。現に、慈も思考を放棄出来ない立場だからこそ立っていられるものの、敵が“生者”であるとわかってから多大な心的ストレスがかかっている。
最後まで有象無象のゾンビが相手なら幾らでも対抗策があるのだが、相手が思考するといのなら話は別だ。それを知ってしまえば学園生活部の中で、圭よりも広くモノを見る悠里が絶望に近い感情を持ってしまうのは十分に考えられる。その結果が単独行動なのか。
幾つか参考になりそうな本を集めて、慈は図書館から出ようと動く。棚の列から抜け出して、貸し出しカウンターまでいけば二階制圧後に清掃されて何事もなかったかのように白い樹脂製の机上に黒い三角形のデジタルカレンダーが置かれている。電池を無駄に出来ないことから動いていないが。
そこから図書館の中を慈は見渡す。比較的“あの日”からあまり変わらない様子に、当時の司書か図書委員の生徒が本を護ろうとしたのか。二階を制圧した後、清掃を行った際に胡桃が血塗れた生徒手帳を発見しており、その時の彼女が生徒手帳の持ち主を悼むような表情だったことから三年生の誰かだったのだろう。
自分たち以外の学校関係者が、一体どのような気持ちで最期を迎えたのか慈は推し量れない。屋上に逃げ込もうとし見捨てた彼らだけはわかるが。
残された蔵書のほとんどが汚れず、内部もほとんど綺麗なまま。もし、胡桃の見つけた手帳の持ち主が図書委員ならきっとその誰かは本が好きで、身を挺してここを護ったのかもしれない。なんともロマンチックな想像だ。慈はそんんことはありえないと思いながら、静かに「借りていきます」と誰もいないはずのカウンターに告げて図書室から出た。
日が暮れかけている廊下は幻想的で、誰もいなくなった世界ではあまりに静かだった。だから、慈はすぐに図書室近くの階段から誰かが降りてくる事に気がついた。
「んお?めぐねえ、なにしてんだ」
降りて来たのは一番長く使用しているスコップを持った胡桃だった。
「ちょっと、ね。ゆうりさんのことについて」
「あぁ。……そこらへんはめぐねえに任せる。カウンセリングとかそういうのはさっぱりだ」
「最善は尽くしてみるけど、どうなるかわからないわ」
「頼むよ。んじゃ、わたしは一階の偵察に行ってくる。そろそろ学校を完全に掌握したいし」
「そうね」
快活な胡桃に慈はつられていつも通りの雰囲気で応える。心技体の全てが揃った彼女はまさにヒーローそのものだ。胡桃が笑って、何もかも(物理的に)吹き飛ばしていく様は慈たちにとって大きな精神安定剤だった。
それじゃあ、と胡桃は階段を降りて消えていく。小さいはずの背中がとても大きく見えたのはきっと気のせいじゃない。慈は小さくとも大きなヒーローに感謝しつつ、階段を登る。そろそろ悠里が夕食の準備をし始める頃だろう。小難しいことは夕食の後でも悪くはないはずだ。
時間は少々巻き戻り、慈が図書室へ行った直後のこと。放送室のラジオ機器の前には美紀と圭が居た。どういうわけか備品として補完されていた、どう見ても軍用のヘッドセットを美紀と圭は身につけて、ラジオの周波数を考え無しに回していた。
「これ、意味有るのかな」
「圭、もしかしたら市役所にいたって人以外にもラジオを流しているかもしれないから」
「うーん。確かにあの蓮田とかいう人から、他にもラジオ放送をしている人がいるって話を聞いたけど……………」
ヘッドセットを首にかけて、圭は放送室の椅子に深く腰掛け背を預ける。彼女からすれば蓮田 夕日はあまりに正体が不明で信用には値しない。ただ、仮に敵だとした場合は偽自衛隊を倒した理由が不可解でありそもそも放送を流す意味もわからない。
この意味のわからなさが逆に、彼女を敵だと判断出来ない要因にしている。
そんな信用に値しない彼女の言葉を頼りにラジオの選局をしている自分たちはどうなんだろうとも圭は思ったが、この状況下でやれることはやれるうちにやるという美紀の意志を尊重しているからこうしていると圭は思う事にした。
見ず知らずの女に言われた事で行動するよりは生き死にをいつでも出来ると覚悟し心を許した美紀の考えで動いていた方がとても精神衛生的にいい。
「それにしても、災害時に使えるラジオ用の設備が隠されてたり、こんな立派なヘッドセットがあったり…………パパたちが払ってた学費はどんだけ無駄に使われてたんだろうね」
「…………わからない。でも、一つだけ言えるのはちょっと高いって母さんは言ってた」
「美紀ママが言ってたなら相当じゃない?」
「ウチはお金持ちじゃないよ、圭。でも、考えられる事はその“ちょっと高い”部分がこういったものに投資されていたんだろうね」
軍用のヘッドセットなどは今の時代、簡単に入手出来る。レプリカなら尚更だが、ちゃんと使用出来る“新品”が“七冠駐屯所払下”と書かれていたのだから美紀は余計にキナ臭いものを感じている。
ヘッドセットからはノイズしか聞こえないため、美紀は少々ウンザリしながらも周波数を探り続ける。既に一時間以上はやっているこの作業だがまだ他の電波を掴めていない。
そもそも、中継地点が壊れていた場合ラジオは使えないはずだが、市役所からの通信は通っていたので生きているのだろう。“あの日”の騒動で破損しないとはどうなっているのか。それとも何者かが“あの日”以降に設置し直したのか。真相は闇の中だ。
「(なんにせよ、私たちが及ばないことばっかりだ)」
知識だけではどうにならない。いくら教養深かろうとこの巡ヶ丘で求められるのは実力だ。だからこそ、嫌だろうとなんだろうと美紀は通信機器の使用・整備を引き受けたのだ。
「はー。なんか音楽流してる局とか引っかかればいいのに」
圭がそんなことを言った。実際に存在しているがそのことに気がつくのはまた後のことだ。
今、彼女たちがこれから聞くモノはもっと悍ましい何かだった。
ガガッ、と今までとは違うノイズが走る。それに伴い、僅かながら声のようなものが美紀には聞こえた。
「……!」
「美紀?」
「静かに!」
音をよく聞くために美紀はそう言うと、周波数を合わせるために集中する。ダイアルを回しながら微調整し音を鮮明なモノへと変えていく。
『―――ますか―――クラ――――』
男性の声のようだ。妙に落ち着いた声音で、心身を安心させるような。
『――そう、クラウドです。彼らは意識を統一した、融合させたモノなのです。恐れることはありません。魂を開放し、薄く、薄く、広げていきましょう。彼らは救いなのです。この世の破滅から我らの魂を――』
美紀は途中で放送を切った。圭も途中から聞いていたようだが顔を青ざめている。
「なに、いまの」
「わからない…………でも、まともじゃない」
得体の知れないものに振るえる圭の肩を美紀は抱きながら、未知への恐怖を追い出して既知とするために思考を巡らせる。今の発言者が何者かはわからないが、彼らというのはゾンビのことだろう。加えて、クラウドというのはネットワーク上にデータを共有保存するものであり、この発言者はゾンビとなることが意志の統一になるとでも言いたいようだ。
狂っている、明らかに。まだ学園生活部の面々の狂気の方が可愛い。
今の放送の内容は纏めておくべきだろう。この状況下でもし本気でそういう考えをしているなら危険だ。あの手のものはありがた迷惑とでも言うべき行動をしかねい、と美紀は考える。
手元に用意しておいたメモ用紙に今しがた聞いた内容を纏めておく。放送の内容を信じた訳ではない。明らかな脅威となりうる者を警戒しておくために。対策は慈と共にすればいい。そして、練る役目を持っているのは美紀のすぐ隣に居る圭のほうだ。
ただ、美紀は話をまとめつつふと思った。結局、巡ヶ丘のゾンビとは何なのか。どういった存在なのか。改めて、そのことを調べてみたくなった。せめて習性ぐらいは。
一度、これも慈にかけあってみるべきかもしれない。仮説を幾らでも立てるのは簡単だが、その次に実証してみせなければ話にならない。
知るべきこと、学ぶべき事、調べるべき事。やることが多過ぎる。まず一つずつ片付けていかなくては。美紀はそう思って、作業を再開した。
一階に降りた胡桃は次々と迷いこんでいたゾンビを倒していく。一連の動きには感情が乗っており、力任せの一撃に人体が容易く破壊されていく。
神速とも言える速度で敵を排除していく胡桃の頭の中は、悠里のことでいっぱいだった。
「(クソッ、クソッ!なんで、どうして、りーさんが一人であいつらと戦ったんだ!)」
悠里がゾンビの介錯をした。これが意味するのは胡桃の戦う理由を揺らがすことだった。彼女にだけは力を振るわせたくなかった。いつものように自分たちの帰るところにいてくれる母のように、朗らかに微笑んでいて欲しかった。
だというのに、それは悠里自身の手で砕かれた。いや、この望みは胡桃の勝手なものだ。彼女自身、そう自覚している。そして、今こうして群がる相手を殺し続けているのは八つ当たりもいいところだ。
戦うのは自分だけでいい、罪を背負うのは自分だけでいい――そう思って戦い続けて来たというのに、全てが台無しになったような気分だ。それほどまでに、悠里の単独行動は胡桃に強い影を落とす。
「もっと、早くっ………!」
彼女の変調に気がついていれば、防げていたのか。
それとも、もっと彼女と深く繋がっていればよかったのか。
何をどうすれば変えられたのか。どこからこうなってしまったのか、わからない。
「(ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうッ!これが、これがあたしの限界なのかよ!)」
どれだけ強くても、どれだけ躊躇いがなくても、どれだけ血を浴びようとも、胡桃は“人”としての自身の限界を悟る。自分自身では人は助けられても救えない。わかっていたのだ。救済することは出来ないと。
でも、悠里は救済されていたはずなのだ。ゆきがいたのだから。助けても救えない心は、ゆきが救い上げてくれたはずだった。なのに――
目の前の一体を上段から振り下ろした一撃で開きにする。全てを無視した全力に、彼らは耐える事など出来ない。人の身でありながら、常から逸脱した力を胡桃は後先考えずにぶつけていた。
「ハァ、ハァ…………」
荒い息をする度に、むせ返るほどの濃密な血の臭いが胡桃をつつく。気がつけば、周囲に動く者は何一つとして残っていなかった。全てが赤黒い中に沈んでいる。
胡桃は近くの壁に寄りかかる。これまで感じた事の無い疲労感が胡桃を襲っていた。全力開放した結果なのか。それとも、邪な気持ちで戦ったせいなのか。いや、戦いとは言えない。これは一方的な虐殺だ。血濡れになった自分が稀代の殺人者のように見えて、胡桃は酷くおかしかった。
脆い。あまりに脆過ぎる。これでは何も他の部員と変わらないではないか。
「あーあ……………どうしよ、これ」
目の前に広がる残骸の山に、胡桃は呆れ返ったように呟く。どちらにせよ、殺してしまった彼らは供養しなくてはならない。それが介錯する上で最低限やらなくてはならない後始末だ。胡桃の放送室のロッカーの中には今まで倒した学校関係者の生徒手帳や免許証などが袋の中に纏められており、いつまでも自分が犠牲にした人を忘れないようにするための彼女なりの覚悟だった。
それほどのものがありながら、八つ当たりでこうまでしてしまった。理性があるだけで自分が彼らと何が違うのか。
なんにせよ、雨で迷い込んだ者は全て始末してしまったので、ある程度の片付けはしておくべきだろう。その気になれば即座に一階の制圧も終わるが、今の精神状況ではやる気が起きなかった。
適材適所というものがあると、胡桃は出来るだけポジティブにいようと気分を切り替えることにした。このまま腐っていては、どうしようもないのだから。
「だからまずは、こいつらの供養からだな」
壁から離れて、胡桃は階段へと向かう。雨が酷いからレインコートを用意したほうがいいだろう。いや、血塗れだから今更濡れたところでどうにもなるまい、と胡桃は考えて戻ることをやめた。
それは正解だったのかもしれない。何せ、共用で使っていたレインコートはとても使えるような状態ではないのだから。
<今回の変更点>
「りーさん」
とうとう介錯どころか単独行動で“地下”に足を踏み入れてしまった。ちなみに、今までの情報から地下があるかもしれないと思い探したら本当にあった。りーさん、意外と行動派である。
「左腕の力」
小柄とはいえ高校生が全体重をのせて引っ張ってもびくともせず、おまけに片腕で引っ張る時点で色々おかしい。
「ゆうり」
一体何者なんだ…………。
「地下に居たモノ」
原作美紀「めぐねえだったからだと思います」
結果:めぐねえじゃなければ誰でも倒せる。
「図書館の状態」
まるで誰かが護っていたかのような綺麗さ。胡桃の拾った手帳の持ち主はきっと本が好きで引っ込み思案だったけど優しい子だったに違いない。
「聞きたいかね?」
胡桃「昨日までの時点で………多すぎてわかんね」
崇高な想いなんてものはないので、胡桃が手帳とかの身分証名書を保管するのは自らの罪から目を背けないため。このことは慈すら知らない。