せきにんじゅうだい!   作:かないた

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#18

――A few months ago.

 初夏の朝陽が顔を照らし、慈は目覚まし時計が鳴ったと同時に起きた。目覚めたばかりの気だるい身体を起こして、枕元のけたたましい音を立てる時計を優しくスイッチを押して止める。

 「ん〜……………」

 ぐっと腕を上に向けてベットの上で上半身を伸ばし、それから布団を退けて彼女はベットから降りた。寝起きは弱い。ボーっとした様子でよたよたと洗面所に慈は向かい、顔を洗ったり、髪の毛を最低限整えてから朝食の準備取りかかる。料理する気にもならず、買い置きしていた食パンを開けて、冷蔵庫の中のイチゴジャムを使う事にした。

 慈が住む巡ヶ丘の寮のキッチンは殺風景なもので、唯一その中で異彩を放っているのは友人が以前誕生日プレゼントとして買ってくれたコーヒーメイカーぐらい。既に煎られた豆を購入して、その中にセットしてある。

 実家から持って来ているコーヒーカップをセットしてスイッチを入れ、パンも二切れレンジの中に投入し適当にダイアルを回して焼き時間を決めると、その間に慈は服を着替える。菫色のワンピースの長袖。教師となってから仕事着として着ているそれは母からのプレゼントだった。

 「あとは」

 首から十字架のついたネックレスをさげ、髪はクローゼットの扉裏についた鏡を見ながら肩の位置に白いリボンを結びとりあえずは準備が完了する。化粧は軽くする程度だ。朝からそんな気合いの入ったことをしている時間はない。

 準備をしている間にとっくに淹れ終わり、焼き上がったコーヒーとパンをそれぞれ取り出してテーブルに着いてからテーブル近くのテレビを付けようとしたがコントローラーが見つからず一瞬探すと、この狭いワンルームの中でも見つかりづらいベットの下にあった。昨晩何をしてここに落ちたのかわからないが、見つかったのでよしとしようと慈は心の中で呟いた。

 『――で行われた巡ヶ丘市役所建立記念式典でヤタケ化学の――』

 テレビを付ければいつもと変わらないニュース番組が流れ、淡々と出来事が流されていく。それを流すように見る。何か重大な事故もなく、早めの時間の天気予報では今日は晴れのち曇り。夜は涼しくなるとのことだった。

 もしゃもしゃとパンを食べてコーヒーでそれを流し込むと、慈は食器をすぐに洗って棚に戻した。後からやるのも面倒だ。それから歯を磨いて、僅かなメイクをして家を出る。荷物はあまりない。黒いA4サイズの書類を入れるのに十分な鞄だけが慈の荷物だった。扉に施錠をすれば、周囲の寮に住む社会人や学生が出てくる。軽く挨拶を住ませて、慈は寮の前にある駐車場まで降りた。

 駐車場は六台程度の車が止められており、慈の車はその中でも一際目立つ赤のハッチパック車だった。

 父親から教師になる際にプレゼントされたものだったが欲しい車種ではなかったのだが、今はわりと重宝している。先輩教師と出かける際や呑む時に便利だった。

 通勤のために買ったのにマニュアル車。必要だったので常識以上に車に関する知識は持っているし、マニュアル免許を取らされたので運転出来るのだが慈は正直、オートマチック車で十分だった。あくまで通勤用にと最初は考えていたのだから。

 「(父さんも何が“軽なんか死ぬぞ!”よ。私が欲しいものもあったのに)」

 プレゼントしてもらったのにちょっと我が侭が過ぎる発言な気もするが、まさかボロクソに言われるとは思わず慈は父に理不尽な恨みをぶつける。そんなことを考えながら車に乗り込んで、慈は学校に向けて車を出した。

 寮から学校までの距離はある。安くてキッチントイレバスを確保している場所だったため入ったが、わざわざここに入るよりは近い場所のほうが良かったのかもしれない。寮のある住宅街を抜ければ巡ヶ丘市の北地区である。マイカー通勤が出来なければ電車だが、慈は満員電車が嫌だった。学生の頃に若干トラウマになることがあったからだ。

 少し走ると幹線道路に出て、50km道路になる。車通りもそれなりにあり手慣れた様子で慈はその中に混じる。そのまましばらく道なりに進み、電車の高架下を抜けてすぐの十字路を右に曲がる。

 すると、駅前通りに出るわけだがその日は運悪く道が少しだけ詰まっていた。どうやら大きい観光バスがいるようだ。

 「んー………鞣河小学校………か。社会科見学とか?」

 バスの後部ガラスから見える場所に慈が読み上げた通りの札があり、どうやら小学校がチャーターしたものらしい。

 バスが駅の交差点を曲がり道が空くと、慈は少し速度を上げた。信号が渡ろうとした時に黄色になったからだ。幸いにも渡りきった後に赤へと変わったので違反にはならなかった。

 慈の運転の仕方は同僚のよく付き合いがある教師からは「女性とは思えない」と言われてしまったがどこがそうなのかわからなかった。

 しばらく時間が経過し学校までの道のりが約半分となった頃、カーナビに接続した電話が鳴り、慈は視線を動かさずに左人差し指で液晶画面をタッチした。

 「はい、佐倉です」

 『おはようございます。神山です』

 電話をかけて来たのは先輩女教師、神山だった。

 「あ、おはようございます。神山先生。なにか――『なにか?今日が何の日か忘れているんですか?』え?」

 言葉の途中で神山が明らかに怒気を含んだ様子で割り込み、彼女は続けて言った。

 『今日は早朝職員会議ですよ』

 「………………………あ」

 『あ?そうですか、忘れていましたか。急がなくても結構ですから着いたらすぐに生徒指導室に来なさい。わかりますね?』

 「はい…………………」

 神山は慈のことをよく見てくれる先輩だったが、怒ると本当に怖い事を知っている。だというのに、またやってしまった。しかも今回は会議への遅刻。マズイ。クビになるかもしれない。慈は目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 「はっ!?」

 ガバッと慈は身体を起こした。目に入ったのは見慣れた放送準備室を改造した学園生活部の寝室だった。周囲を見渡せば既に生徒たちの布団は片付けられ、慈は枕元の時計を手に取ってみれば時刻は午前十時。大寝坊だった。

 慌てて着替えようとしたが、布団から出た時点で慈は今日が日曜日だということを思い出した。市役所から帰還してから初めての日曜日である。夕日からの調査報告は「調べきれていない」の一言で終わっていた。

 「………………はぁ」

 思わずため息をついて慈はゆっくりと立ち上がる。今日は休日だ。仕事用のワンピースではなく私服として以前モールで手に入れたチノパンやシャツを取り出してそれを身につける。学校でプライベートな服というのもおかしな感じがするはずだが、もう慣れてしまった。

 十分な休息が取れたからか疲れはない。寝室から慈が廊下に出るとどこかから何かの音が聞こえた。これは、ピアノだろうか?

 先に学園生活部へと顔をだすべきだろうと思い慈は部室へと行き扉を開けたが中はもぬけの空だった。朝ご飯と思しきものがラップをかけられていることから慈が起きるのを待たずして全員どこかにいるようだ。それぞれの役割の場所に今はいるのだろう。

 ただ、ゆきがどこにいるのかだけは気になったので食べる前に探す事にした。

 部室から出てまずはピアノの音が聞こえているすぐ近くの音楽室へと向かう事にした。“あの日”の後に制圧した音楽室で唯一無事だった楽器はグランドピアノだったが、一体誰が弾いているのか。学園生活部の初期メンバーで引けそうな者に心当たりが慈は無い――と思ったが、一人だけあった。

 「(そうだ、由紀ちゃん)」

 ゆきではなく、由紀は弾けるはずだ。彼女は英才教育を受けたせいでピアノをやらされていたと騒動前に告白している。慈は正直に思えば由紀の家庭の事を聞く度に子供が嫌がる教育を強いるのはどうなのだろうかと、教師として何かすべきなのだろうかと悩んでいたがどうにかする前にこの状況になってしまった。各家庭への過干渉は避けるべきだとも思っていたが。

 教師としても未熟。そういったことに悩んで、もしこの騒動が起こらなくとも由紀の身に何かが起きたら慈は彼女を助けられたのだろうか。自らに疑問を持った。

 ――あの子に入れこみすぎる必要はないわ。

 先輩教師である神山から告げられた言葉を慈は思い返す。明らかに由紀の扱いを手に余るものとしていた教師陣の中で唯一他の生徒と同じく平等に接していた神山からその言葉をかけられた慈はその時は思わず二人だけだったことをいい事に反論してしまった。

 ――何故ですか?丈槍さんをそうやって先生が邪険しているから生徒たちも…………。

 ――わかっているの。でも、それでもよ。あの子を普通に扱うだけでいいの。

 頑なに理由は述べず、神山は慈が由紀の面倒を見過ぎていることを咎めていた。彼女はただの生徒だ。たとえ家柄がよかろうが、学校ではあくまで一生徒なのだ。ここではどれだけ立場が悪かろうと先生だけは生徒の味方でいなければならない。

 それを慈は徹底していただけだというのに、何故ダメなのか。未だに慈は理解が出来ていない。教師としての責任とは役目とは何なのか。巡ヶ丘高校に来てから慈はそのことについて深く考えさせられた。

 それに答えをくれる大人はいない。自分がその大人だが、それでも頼れる人が欲しかったのが慈の本心だ。

 音楽室の前に立ち、引き戸を開けると入り口からすぐ見える位置に学園生活部のメンバーが集まっていた。どうやら予想通りの人物がピアノを弾いていたようだが、つたない様子から由紀ではなくゆきが席に着いているようだ。

 他のメンバーはというと、胡桃はギターをいじりそれを圭が眺めており、美紀はゆきの姿を眺めている。悠里だけがその場にいなかった。

 「んお?めぐねぇ、おはよう」

 「えぇ、おはよう」

 慈の入室に気がついたのは胡桃だった。彼女に続き全員が慈に挨拶する。その中でゆきは相変わらず元気のいい挨拶をしていた。

 「めぐねぇおはよう!」

 「おはよう、ゆきさん。皆は何をしてるの?」

 「んっとね、音楽会の準備!」

 音楽会?慈が首を傾げると、ゆきがピアノの椅子から降りて音楽室の黒板の前に立った。楽しそうな表情に慈は微笑みつつ、教室の中央まで移動した。

 教壇に立ち腕を組むゆきはまるで先生になりきっているかのような微笑ましさがあった。

 それにしても音楽会とは。慈は巡ヶ丘高校の年間行事に音楽会が存在していないので、ゆきがどういう経緯で音楽会を思いついたのか気になったがすぐに心当たりが思い浮かんだ。雑多なことに博識な美紀が夕日からの報告を聞くためにセッティングした放送室の通信施設で、実験程度に拾える周波数を探したところある周波数で何故か音楽が流れていたのだ。

 音の質から圭が野外で演奏をしていると言っていたが、その演奏も中断されてしまった。そもそもこの状況で、外で音を出すというのは自殺行為のはずだがそれをやってのけてしまう者たちの存在にゆきを除く学園生活部のメンバーは開いた口が塞がらなかった。

 調査に出ていた三人はこの演奏をしているのが夕日の言う“音楽団”なのではないかと思ったが確かめる術は無い。

 「この前、ラジオで音楽聞いたからわたしたちもやろうって思ったの!」

 予想通りの答えに慈は苦笑する。影響され易い子だ。

 「音楽会かぁ。ゆきさんはどんな音楽会をやりたいの?」

 「わたしがピアノを弾いて、みーくんが指揮者で、けーちゃんが歌をやるの!」

 「なんでわたしとりーさんは除け者なんだよ?」

 「だつてくるみちゃんとりーさんは二人でギターと歌い手のほうがいいかなーって」

 ゆきが言いたいのは恐らくは役割上以前はよく行動を共にしていた悠里と胡桃のペアが合っているために、胡桃がギターを弾いて、悠里が歌うという姿がありありと予想出来たからだろう。

 勝ち気な少女と淑やかな少女。うん。見た目は間違いなく問題ない。

 「そういえば、くるみさんはギターを弾けるの?」

 ふと気になったので慈が胡桃に問うと、胡桃は「さっぱり」と言い切った。つまりこれから練習というわけである。幸いにもギターに関する指南書が汚れずに残っていたようで胡桃はそれを参考にしているようでだった。

 といったところで、自分はどうしたものか。そう思ったところでゆきが言った。

 「めぐねぇ!」

 「めぐねぇ、じゃなくて佐倉先生でしょ?」

 「また随分久しぶりだなソレ」

 胡桃のッコミをゆきがスルーして話を続ける。

 「じゃあ、先生。音楽会やりたいんだけど、いいかなぁ?」

 わざわざ慈に駆け寄って、上目遣いでゆきは言う。この行動になんだか慈は懐かしいものすら感じて思わず頭に手をポンっと載せてしまう。

 「めぐねぇ?」

 「んー。それじゃあ、やってもいいか聞いてみるわね?この場合は、学園生活部がライブをする。ということになるけど」

 「うん!」

 慈の顧問経験はあまりないが、一応は実習で部活の顧問の経験もあり軽音楽部の顧問をしたことがあった。その時にライブをする際の会場確保などは一通りしたことがある。

 もっとも、許可を取る相手などもういないのだが。

 「せんせー。会場ってどうするんですか?」

 気が早いことだが、圭が慈に質問する。どこにするか。それも含めて後で言えばいいだろう。

 「そうね、それは後日ってことでいいかしら?」

 「はーい。あっ、ゆき先輩は美紀と練習するんでしょ?」

 「そうだった。ごめんよ、みーくん」

 「構いませんよ。先生、場所取り、お願いしますね」

 「えぇ」

 こう見ると、だいぶ良好な関係を築けているようだ。美紀と圭も、立派な学園生活部の一員と言えるだろう。一先ず悠里以外のメンバーの居場所もわかったので一度音楽室を出ようと慈は思い、一言「また後で」と告げてから踵を返した。

 「そうだ。めぐねぇ、りーさんはたぶん上で仕事してるからよかったら行ってやって」

 「そうね。そうするわ」

 出て行く直前に胡桃から悠里の居場所を教えられたので、慈は音楽室から出て屋上へ向かう事にした。休日(世紀末故そう言っていいか微妙だが)も怠けずにいる悠里に慈はやはり真面目な子だと思い返しつつ階段を登り、屋上の扉を開けた。

 「ゆうりさん、おはよ――」

 扉を開けた先。いつもなら、柔和な笑みを浮かべて迎えてくれるはずの悠里がいなかった。

 「あれ…………」

 奥の倉庫や太陽光発電の様子を見ているのだろうか。そう思って屋上に足を踏み入れた慈だったが、菜園の周り、その他の場所に悠里の姿は見えない。

 トイレにでも行ったのだろうか。作業の途中で放りだされたスコップとその柄に被さった軍手は間違いなく悠里の使用しているものである。

 すれ違ってしまったのならしょうがないと慈は屋上から降りることにし、悠里が置いてくれた遅めの朝食を食べることにした。ただ時間的にはブランチである。

 でも、多少冷えていても悠里のご飯はおいしい。日頃から家族に料理をしていたのではないかと慈は思っている。

 

 

 

 遅めのブランチを取り、日曜というだけでボーっとしていた慈であったが時計が正午を回ると悠里を除くメンバーが部室に戻って来ていた。

 「ただいまー」

 「おかえりなさい、みんな」

 手荷物もないので次々とそれぞれの席に座る。胡桃は背もたれに身体を預けた。

 「あー、疲れた。なれないことはするんじゃないな」

 「でも先輩、憶えるの早くないですか?」

 「わたしは要領がいいんだ」

 圭と胡桃の会話に慈は頷かざるえない。胡桃の物事の覚えのよさはまさに天性のもので、それが顕著なのが戦闘での技術だろう。もうそれなりの期間になりつつあるが、最初の頃と比べると胡桃の動きはかなり洗練されており、無駄が少ない。無茶出来る限界をわきまえ、自分の出来る事をしっかりと把握している。

 冗談で脳筋などと茶化されてはいたが、意外と読書家であったりと知と力を兼ね備えた強力な戦士だ。

 「くるみちゃんが要領いいってほんとー?」

 「オイオイ、ゆき。わたしはなんでも出来ちゃうんだよ?侮ってもらっちゃ困る」

 「そうですよ、ゆき先輩。くるみ先輩にそんなことを言うのは失礼ですよ」

 「みーくん、裏切ったなー!」

 「う、裏切ってないですって!というか、ポカポカ殴るのやめてください」

 じゃれあう二人を見て、慈と胡桃と圭はホッコリした。この二人のふれあいを見ているとなんとも癒されるのである。

 そろそろお昼時だと思った慈は悠里がまだ戻ってこないことが気になっていた。正午になればかならず悠里はこの部屋にいるのだが、何故か今日に限っては遅いのだ。流石に慈以外、胡桃もそのことに違和感を感じ始めたのか「なぁ」と話を切り出した。

 「りーさん、遅くね?」

 「そうね。さっき行った時は作業を中断してどこかに行ってたから見なかったんだけど…………」

 「屋上にいなかったのか?」

 「えぇ。トイレかと」

 慈の反応に胡桃は少々考えたのち、席から立った。

 「どうしたんですか?先輩」

 「いや、屋上行ってくる。もう昼だろ?圭もちょっとお前、三階のトイレ見てこい」

 「はーい」

 胡桃の中で早くも何かが起き始めた。嫌な予感がする。今までのルーティンと化していた悠里の行動が珍しく崩れた。どこか真面目な彼女に限ってそんなことがあるのだろうか。

 悠里も人間だ。ズレはあるかもしれないが、こんなありえない状況である。ありえない事態も考えてしまう。

 「くるみさん?どうしたの?」

 「りーさんを呼んでくるだけだよ。すぐ戻ってくる」

 「私も行ってきますね」

 「いってらっしゃい、圭」

 二人が部室から出て行くと、ゆきがふと心配そうに言った。

 「りーさん、お腹壊しちゃったのかな」

 「いやいや、そんなことないですよ。トイレだったらちょっと長引いてるだけかもしれないですし」

 ゆきと美紀の会話がなんとも平穏なもので、慈は不安になりかけていた心を平常に戻す。そうだ。きっとただトイレが長引いているだけ。そう思う事にした。

 だが、現実は残酷なものでその考えは即座に破壊された。

 十数分後。胡桃と圭が戻って来た。息を切らせて。

 「はっ………はっ……大変だ」

 「?どしたの、くるみちゃん」

 ゆきの言葉に、胡桃はうつむき気味だった顔を上げる。深刻な表情だった。

 「めぐねぇ、りーさんが消えた」

 「………………………………え?」

 今、彼女はなんと言ったのか。慈は理解したくなかった。

 「屋上にも、三階のトイレにもいないんだ!二階のほうも今、圭に行ってもらってるけど………」

 このことに最初に反応したのは美紀だった。

 「待ってください!悠里先輩が消えたって」

 「言葉通りだよ!りーさんがいないんだ!」

 二度目の言葉で慈はようやく我に返る。悠里が消えた。このさして広くない校舎のどこかへ。

 ようやく認識した慈に追い打ちをかけるように胡桃の後ろから走って来た圭がやってくる。

 「先輩!二階もいません!」

 「なっ…………嘘だろ!?じゃあ、どこにいったんだ!?荷物は――」

 「そう思って、ここに来る前に放送室のロッカーの中を見たら、悠里先輩のバックがなかったんです!」

 「んな馬鹿な!じゃあ、一人でどっかにいったのかよ!?」

 荷物を持って一人で外に出た。そんな最悪の予想が過る。そんな兆候なかったし、そもそも悠里が部員を見捨てるような真似をするのが考えられない。では、どこにいったのか…………。

 「え?え?な、なに、どうしたの?みーくん、どうなってるの?」

 「ゆ、ゆき先輩。ちょっと悠里先輩は遅くなるみたいですよ」

 「え?どうして?」

 「それはわからない――「でもさっきにバックを持って」た、たぶんきっと買い出しにでも行ったんじゃ」

 苦しい美紀の誤摩化しにその場の全員がしまったという顔をした。ゆきがいる前で狼狽し“現実”での会話を前面に押し出してしまっていた。これは、マズイ。慈が慌ててゆきの相手をしようと立ち上がったが、遅かった。

 「え、外に行ったの?なんで?だって行ったら危ない……あれ?危なくない、危ない?でも外には皆がいて?あれ、皆って、なに。みんな?みんな、みんなはアレ?りーさん、そと、え、あ」

 どうみても顔が正気ではない。瞳は揺れて、視線が彷徨う。手が空を彷徨い、ゆきはその場で後ずさる。

 「あ、あああ、い、いや、りーさん、しんじゃ、う、あぁあ」

 「(マズイ!?)」

 ゆきの変調に胡桃が身構える。美紀はゆきの傍で完全に硬直し、圭は状況をいまいち呑み込めずあたふたしている。

 慈は頭の中が真っ白になった。あぁ、また由紀に傷を与えてしまった。

 「りーさん!りーさんどこ!?」

 カッと目を見開いて、ゆきが突然走り出す。入り口の胡桃と圭を弾き飛ばし、部室から飛び出した。

 「きゃあっ」

 「チッ!待て、ゆき!」

 受け身を素早く取って、即座に胡桃はゆきを追い、圭は尻餅をついてしまった。

 ゆきの足は速い。胡桃はそれを改めて認識しつつ、久々にスイッチを入れて廊下を蹴った。人間相手にこうなって、しかも仲間に向けて使う事になるとは胡桃は思わなかった。

 ともかく、限界以上の力を出した胡桃からゆきが逃げられることもなく、階段で降りる前に胡桃はゆきを羽交い締めにして止めた。

 「は、離して!りーさんが、りーさんが!」

 「落ち着け!おまえが一人で突っ走ってもしょうがないだろ!?」

 「やだ!りーさん、しんじゃう!このままじゃしんじゃう!」

 「縁起でもないこと言うんじゃない!だいたい、まだ外にいったわけじゃ…………!」

 暴れるゆきを抑えていると、遠くの突き当たりにある校舎右翼の階段から人影がぬっと出てくる。それを見たゆきと胡桃の動きがピタリと止まる。

 「あら?くるみにゆきちゃん?どうしたの?」

 それはバックを背負った悠里だった。いつもの糸目におっとりした雰囲気の変わらない姿だった。

 「りーさん!!」

 「どわふっ!?」

 力が弱まった一瞬を狙ってゆきが胡桃の拘束から抜け出すと、一目散に悠里へと向かって飛びついた。それを容易く受け止めた悠里は困惑しつつもゆきの頭を撫でた。

 「どうしたの?ゆきちゃん」

 「だ、だってお昼になっても戻ってこないから心配で」

 その言葉に、悠里はわずかに反応するが「ごめんなさい」と謝罪した。酷く疲れた表情で胡桃が悠里に歩み寄った。

 「りーさん、どこ行ってたんだよ」

 「図書館にいたのよ。ほら、ちょっと勉強しようと思って」

 そう言って、悠里は背負っているバックからそのまま本を取り出した。数学の参考書だった。それを見た胡桃が大きくため息をつく。

 「りーさん。屋上で作業するって言ってたよな」

 「そうだけど、休憩がてら本を十冊単位で取りに行こうと思って」

 「あっそう…………はぁ」

 「どうしたの?」

 「急にいなくなるから大変だったよ。おかげでゆきがこの様だ」

 珍しく胡桃が悠里を責めるような視線を送る。

 「ごめんなさい」

 「気をつけてくれよ。マジで」

 何事も無かったことに大いに胡桃が安堵し、ゆきは悠里に引っ付いたまま離れなかった。

 そんな三人の光景を部室の入り口で見ていた慈と圭、美紀も安堵のため息をついた。のだが、圭だけは悠里たちが戻って来た時に“ソレ”を見逃さなかった。

 僅かに脛の部分に残っていた“返り血”を。




<今回の変更点>

「音楽関連」
 音楽祭。巡ヶ丘高校ではありませんでした。

「万能超人くるみ」
 悪魔か正義かと言われたら悪魔。
 物覚えがいいのは必死なせい。

「家庭的なりーさん」
 優しく気だてよく、家事も得意で包容力も物理・精神兼ね備えている。
 が、一歩間違えると…………?

「才女由紀」
 なまじ天才的な素質があった故に“やらされて”いたことが多い。本気を出せば文武両道才色兼備(?)。でも最初から由紀が強い精神力も持っていた場合ドゥエった挙げ句、ゲームクリアになってしまう。
 二週目ロケラン所持バイ◯1とも言う(場所的には2だが)。

「鋭い圭」
 探索関連にステ極振り。ちなみに美紀は優しさに多少振っている。

※たくさんのご観覧、お気に入り。ありがとうございます。

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