――予想はしていたけど、時にはそれを越える事態が起こるのはよくあること。そして、それに直面した時に私は思う。なんて無力なんだろうと。
佐倉 慈
慈たちが市役所から学校に戻ったのは出発してから二日後のことだった。帰りの車内で巡ヶ丘(旧男土)市の風土病について三人で議論を交わしたが、慈たちも飛躍した推論しか出ない。ありえない状況に身を置いているので、多少はありえない推測をしても的外れではないないのかもしれないが、実際は現実逃避も含まれていた。
見つかった資料に記された二つの病気“毒心”と蛇に含まれる“致死性のある病原体”。これが男土の夜に繋がるとすれば、何らかの経緯で人へ簡単に感染するようになり多数の死者が出たと考えられる。
その何らかの経緯が自然ならばいいが、男土の夜を今回の“前例”とした場合は話が違ってくる。慈は予め巡ヶ丘の歴史の流れを調べておいたが、ランダル製薬は男土の夜が起きた数年後に『男土市』が『巡ヶ丘市』となった際にあった都市開発計画のスポンサーとして大地主になっている。
あのマニュアルをランダルが作ったものとすれば仮説の一つとして『風土病が兵器として転用可能と踏んだため』というものや『元から男土の夜は最初の大掛かりな実験』といったものが、ランダルがこの土地へ介入した理由だと慈と圭は考えた。
となると、前回と今回の騒動の原因となったもののベースはこの二つでは?と思われるのだ。
一方で、マニュアルの存在を知らない胡桃は深く推測することも出来ず、今回が人為的に起こった騒動なのかどうか、逆にわからなくなっていた。これはひとえに“ランダル製薬”という黒幕らしきモノのピースが一つ抜けているせいである。
少ないながらに情報を手に入れた三人が学校に帰還したのは出発から実に三日半だった。
「ただいま」
「あっ!めぐねぇ、おかえりー!」
学園生活部の扉を開けた慈に飛びかかったのはゆきだった。扉が開いた瞬間に席から立っての行動である。慈は一瞬ビックリしてしまったが、抱きつくゆきの頭を撫でた。
「ふぅ、ただいまー」
「あー、疲れた〜」
慈に続き、胡桃と圭も部室に入り、背負っていたバックを床に降ろした。そのバックはパンパンに膨れており、中身は帰りに手に入れた洗剤などの消耗品だった。
「りーさん。これ、洗剤とか持って来た」
「あら、ありがとう。胡桃。でもどこで?」
「帰りにスーパーに寄った」
悠里と美紀も帰って来た三人に歩み寄り、悠里はバックを手に取って中身を確認する。明らかに大容量の洗剤などが入っているが軽々とそれを持ち上げる悠里の腕力の高さはなかなかのものだった。
「圭、おかえり」
「ただいま、美紀」
手を互いに取り合う美紀と圭の姿に慈は微笑ましいと思いつつ、ゆきに一度離れるように促して荷物を持ったまま約三日ぶりに自分の席に着いた。
それに合わせて全員が席に着く。ただし胡桃はくたくたのようで眠そうだ。
「とりあえず、長い事空けてごめんなさいね」
「めぐねぇ!社会科見学は!?」
いてもたってもいられないのか、労う間もなくゆきがテーブルに手をついて言う。まるで買いたい物をおあずけにされていたかのような姿である。ゆき以外の全員がその姿に同じような感想を持った。
慈はそんな彼女が本当に「娘」のような愛らしい感覚が一瞬してしまい、わずかにショックを受けた。佐倉 慈、未だに恋愛経験0である。婚期に焦るほどではないがこの職場では出会いも少ない。子供は嫌いではないがすぐに欲しいとは思っていない。
「まぁ待って、ゆきさん。あのね、市役所の人とお話したら今は忙しい時期だから次の機会にって言われたの」
「えー!?」
「ゆき先輩。そんなに驚かなくても………」
「だってみーくん、滅多にいけないんだよ!」
「滅多にいけないから断られたのでは?」
区役所に滅多にいけないという感覚がいまいちわからないが、とにかくゆきは残念そうにしている。慈はそれに苦笑しつつ、話を続ける。
「だから、また今度行けたら全員で行きましょう?」
「ぶー」
口を尖らせるゆきに悠里が「まぁまぁ、ゆきちゃん」と優しく諭すように声をかける。更にわざわざ席から立ち上がって彼女の後頭部を胸に預けさせるほどだ。この行動に胡桃の顔が引き攣ったものになる。
だが、悠里はその顔を見てしまった。
「どうしたの?胡桃?」
「え…………あ、いや!ちょっと疲れてて」
「なら、休んでいても平気よ?ねぇ、ゆきちゃん」
更に内心、衝撃を受けた。行く前より悪くなってんじゃねーか!そんな視線を美紀に飛ばしたが美紀は両手を控えめに出して、どうしようもないといったポーズだ。
だが、ゆきと話している時以外は何の問題も無くいつも通りの悠里であり、完全に記憶に異常をきたしているわけではないようだ。
「というわけで、社会科見学は延期ね。ごめんね、ゆきさん」
「ぶー」
「ゆきちゃん、そんな顔しちゃダメよ?」
完全に妹の扱いだが、今はとりあえず置いておくしか無い。美紀はこの三日間で何も出来ずに病状が進行している悠里に何も出来なかった。風土史以外にも心理的な面、記憶に関することに多角的な視点から読み取ろうとしたら高校の図書館では情報不足だった。せめて大学の図書館か市営図書館にいければと思っていた。
幾ら知識が高校生にしてはあるとはいえ、所詮は素人。どうすることも出来なかった。
この状況に対して、慈は思うところが多々あったが今のところ最優先で行わないといけないのは情報の共有である。現状、ゆきがいるため迂闊にそれを話せない。由紀には後で話すしかない。全員の前では一応、ゆきは現状をほぼ把握していないことになっているのだから。
それを察してか、美紀が口を開いた。
「あの、ゆき先輩。そろそろ補習の時間じゃないですか?」
「あっ!そうだった!りーさん、わたし行くね」
「うん。わかったわ。気をつけてね」
「はーい!」
パタパタと駆け出してゆきが部室から出て行く。美紀は三年生の年間の授業スケジュールを慈たちがいない間に完全に暗記していた。このことを美紀が後で圭に話すと「やはり天才か………」となんともいえない顔で言われた。
「ふぅ。んで、だ。情報の共有と行こうじゃないか」
胡桃のその一言を合図に、互いにこの三日間で得た情報を話す事となった。
まずは調査組。市役所のある巡ヶ丘市街の中心部は“あの日”に自衛隊を騙る謎の兵士たちにより民間人とゾンビのある程度の掃討が行われていたという衝撃の事実を伝えた。
それを聞いた悠里の顔が酷いものになった。目が見開かれ、明らかに動揺している。
「う、嘘ですよね?なんで、人同士で………なんで?」
これほどまでの反応を悠里以外の四人、特に慈と胡桃は見た事がなかった。簡潔に言えば絶望に染まった顔と表現できる。悠里への精神的負荷を抑えるべきだったと慈は後悔したが既に遅い。話すならば全て話す敷かない。
「恐らくは口封じのためにそんなことが起きたんだと思う。で、その根拠がその兵隊を倒した市役所の生き残りの人なの」
「生き残りがいたんですか!」
これに反応したのは美紀である。美紀からすれば“あの日”以降、生きている人型の生物を見たのは学園生活部が最初で最後だ。まさか自分たち以外にいたなど想像もつかなかった。
「そうよ、圭さん。それで、彼女が言うには私たち以外にも生き残りがいるらしいの」
続けて、慈は生き残りのことを話す。女DJと小学生の女の子と保険教諭、聖イシドロス大学の学生に、音楽団なる者たち。夕日から聞いた三組だった。
それを聞いた悠里と美紀は開いた口が塞がらない。
「あと、市役所に立て篭ってる蓮田 夕日さんによればその人たちのように市役所を訪れた人たちには巡ヶ丘市役所の定点カメラから得られる情報をラジオで流しているそうなの。周波数も教えてもらったから後でそれを伝えるわ」
「ラジオ…………そうよ、その手もあったのね。それを使って助けを呼ぶ事だって」
悠里が顔をうつむけてそう言ったが、胡桃がそれを聞いて「いや」と首を振る。
「りーさん。あいつらの背後に人間がいるならラジオでそんなもん流してみろ。傍受されてこっちの居場所を教えちまう。そうなれば消される」
「け、消されるって!?でも、もしかしたら自衛隊だって…………!」
「気持ちはわかるよ。でもさ、あんな偽物が来るぐらいだ。本物の自衛隊も無事かどうか…………」
その言葉はなんとも悲痛な響きを持っていた。本当にその通りだ、と圭は今まで黙っていたが内心、思う。こんな状況なら即座に自衛隊や在日米軍などの軍隊がすぐに行動を起こしそうなものである。だが現実としてそれは叶わずに現れたのは偽物の人殺し集団。
本物がどうなったか、推して図るべきだ。
「そんな…………」
「でもね、いい情報もあるの。それがワクチンの存在」
慈はワクチンの存在も明かす事にした。ついでに学園の地下を仄めかす。
「ワクチン、ですか?」
「空気感染を防ぐためのものと、噛まれた際にすぐ投与すれば治せる2タイプがあるそうなの。これも市役所情報。あそこと他の避難民の話を聞く限り、避難施設のような場所には地下にそういった物資があるかもしれないの」
「地下施設ですか。まるで映画ですね」
「美紀はそういう映画見るの?」
「うん。よく見てたよ、圭。それに私が読んでる小説は」
「あぁ………そういえばおっかないのばっかりだったね」
地下施設の存在を聞いた美紀の発言に圭はげんなりとした。ひとまずワクチンの存在を聞いて躁鬱が激しく上下する悠里が美紀に問う。
「おっかないって、どんな本を読んでたの?」
「え?………おっかないかどうかはともかく、そうですね。例えば“Steppen King”の“Standard”とか」
「ステ………なんだそれ」
胡桃が美紀の日本語に挟まれるネイティヴな発音に首を傾げたが、次に美紀がなんて事は無いように言った本の内容で凍り付いた。
「細菌兵器の流失で人類が全滅する話です」
「「「「…………………………」」」」
「あ、あれ?私、何かまずいことでも」
悪気がまったくない美紀に胡桃が眉間を揉んだ。
「美紀、この状況でよくそんなもん読めんな」
「いや、これってゾンビ出てきませんし」
と美紀が言うがマニュアルの内容を知る慈と圭からすれば細菌兵器の内、β型は致死型の細菌兵器である。もし不慮の事故で流失したとなればまさに“事実は小説よりも奇なりかな”となってしまう。
なんとも言えない空気になったことに美紀は申し訳ない気持ちになったのか「すいません」と謝罪した。
「いや、謝られてもなんと言えんが………まぁ、いいや。わたしも後でセブンスマンヒル見せるつもりだったしな」
「なんですか?それ?」
「見りゃわかるさ」
ニヤリとした胡桃に何か不穏なものを感じたが、美紀は何も言わなかった。
「話を戻すけれど、そのワクチンの存在が余計にこの状況が人為的に作り出されたものだと思うの。だからもし、巡ヶ丘脱出するにしても何らかの障害があるかもしれないわ」
「あぁ、ありますよね。小説とかだと感染区域を封鎖してたりしますし」
「美紀さん言う通りよ。だから今後も情報を集めて、力を付ける必要があるわ。私たちはみんな女だから、力でどうこうしようにも足りないわ」
慈の言葉に胡桃が「私は出来るけどな」と冗談めかしく言うが圭が「銃は無理ですよね」と突っ込めば「うっ」と黙った。
「コホン。とにかく、まずその第一段階として市役所の生存者の人に短時間では調べきれない巡ヶ丘の風土病や歴史に関することを一定期間で調査して、定期的に流してもらうようにしたの。一応、私たちも少ないけど情報は持って来れたわ」
そう言ってバックから慈が取り出したのはあの男土市の風土病に関する資料である。悠里と美紀にそのことが載ったファイルのページを開いてみせれば、みるみるうちに顔色がかわった。
特に驚いたのが美紀だ。
「毒心……………?それって、古民謡にも載ってた」
「古民謡?美紀、どういうこと?」
「圭たちがいない間に何か私も調べられるものがないかなと思ってたんだけど、なかなか資料がなくて古民謡ばっかり出て来たんだ。その中であったのが“男土之大蛇”っていう九つの首を持つ大蛇討伐の伝説なんだ。で、その大蛇は人を毒で操る力を持っててその名前が」
――毒心。美紀が本で読んだ名前の通り“毒”に侵された“心”。偶然には少々、過ぎるものがないだろうか。
「…………オイオイ。なんだ?医科学的なアレじゃなくて、今度はファンタジーか?」
「そんな九つの蛇なんて、特撮じゃないんだから」
胡桃と悠里の言葉は信じられないといったニュアンスが大きいが、慈は違った。彼女は自身が持つニワカ歴史知識を総動員して“現実的”にそれを思考する。歴史、とは尾ひれを付けて誇大解釈されることもザラにある。現状は大きな怪物がいたとかそういう話は完全に裏付ける証拠も無い。あぁ、巨人はあり得るらしいが。
そうして考えていけば慈はこの“伝説”があることに当てはまる。
「獣害事件……………」
その呟きにいち早く反応したのは美紀だった。
「先生、まさか古民謡が実際は獣害だと?」
「えぇ。現実的に考えれば被害はともかく、そういった大捕り物があったんじゃないかしら」
慈と美紀。学園生活部きっての知識豊富な二人による推論である。他の三人は理解が遅れた。
「先生、獣害ってなんですか?」
圭が問う。一番この中で教養が足りないと圭自身が思っているからこその質問の早さだった。授業でもこうなのだろうか。慈はそんな無関係なことを思った。
「獣害っていうのはそうね、野生動物による人間への被害が出た事件のことよ。農作物が荒らされたり人が食べられたり」
「人が食べっ!?」
「あぁ、そういや大昔に北の方だと、とんでもない獣害もあったよな」
胡桃の言った事件に心当たりがあったのか美紀は頷く。胡桃が知っていたのは戦史に合わせて多少、開拓史などを嗜んでいたからだった。
圭はそんな事件が起きていたとは知らず、仰天してしまった。悠里は園芸部だったため獣害自体の知識はあった。
「それで、めぐねぇ…………その大蛇も大規模な獣害が誇大解釈されたものってこと?」
動揺からか珍しく悠里が慈を直接「めぐねぇ」と呼んだが、慈は流石にここで注意する気も起きなかった。
「十分にあり得ると思う。歴史ってね、あんまり先生がこう言うのもちょっといけないかもしれないけど、教科書通りじゃないの。あまりに悲惨なものを隠したり、都合の悪い事を誤摩化したり。この古民謡の場合は誇大解釈して討伐した人たちを褒め称えるためのものだと思う。案外、獣害の方向から見れば事実があるかもしれないわ」
多角的な方向からの検証。歴史を調べるなら必要な基本である。人が伝え続けているものである以上はかならずどこかで齟齬がある。それを見極め、取捨選択し、一番現実的で筋が通っているものをつなげる。これが大切だ。
そのことをついでに付け加えて慈が言えば、生徒たちは口を揃えて「国語教師ですよね?」と言った。
「ま、めぐねぇが歴女なのは置いておこう。美紀、わたしは悪いがそういうの苦手だからさ、どう思うよ?」
「なんとも言えないですが十分にあり得るのではないかと。佐倉先生、ありがとうございます。私はその考えが失念してました」
「ううん、いいのよ。私も美紀さんが“毒心”の話をしてくれなければ気がつかなかったから」
圭にも立ち入れぬ意外な慈と美紀の共通点である。これが出来る女か。染み染みと圭は思った。
「となると、その“毒心”が獣害の観点からどういう被害をもたらしたのか。それが問題ね、みきちゃん」
「はい、悠里先輩。古民謡では“その毒、心身狂わせ蛇の僕となる”という文もありました」
僕の状態がいまいちファンタジックなので実際の症状が不明なためこれからの解明が待たれる。美紀はとりあえず、まずは学校の資料を全て漁ってみるべきだと考えた。
「先生。なら、私は早速図書館でその方向性で調べてみます」
「お願い出来る?」
「任せてください」
美紀が胸を張る。自分の武器はこの蓄えた武器。彼女は今の役目を自覚し、しっかりと実行出来る子だった。
「なら、とりあえず共有会はこれで終わりということで……圭さん、くるみさん。お風呂、いきましょう」
「ん。そうだな。身体拭いてたけど臭いし」
「先輩〜、気にしないようにしてたんですけどー」
「事実だろ」
情報の共有会議は胡桃のなんともいえない慎みが消えた一言で幕を閉じたのだった。
シャワールームは元々運動部用に作られたもので、浴槽などの類いはないが私立高校なだけあり十分に清潔感のある明るいタイル調で作られている。が、ここに事件時は汚れてしまい水場だったおかげで掃除も容易かった場所である。
今は事件前となんら変わりない状態だ。
「ふぅー!生き返る!」
そんなシャワールームで慈たちは身体の汚れを取っていた。長期間の校外活動はどうしても身体の清潔を軽視しがちになる。石けんをしみ込ませたタオルなどで身体を拭いて、更に水をしみ込ませたタオルを使って石けんを落とすなどのことはするが、流石にそれを数日続ければどうしても身体は汚れていく。
衛生状態は人の心理に強く作用する。その点では学園生活部はお湯のシャワーが使えるのでかなり良質であった。
「髪が長いとやっぱりこういう時が大変ね」
「そうだよなぁ」
慈と胡桃の二人は髪が長い。悠里もそうだが、慈は特に長い。そのため数日間まともに洗えないのは実は死活問題だ。いっそのことバッサリ切ろうかと思ったが踏み切れていない。
「圭は元々、私らほど長くないよな」
「あんまり長いと維持大変じゃないですか?」
「そうか?」
「私は面倒くさくてあんまり伸ばすのやめてるんですよ。美紀はそれ以上ですけど」
「案外、あいつはものぐさな理由で短くしてそうだよな」
胡桃の推測はあながち間違っていないが圭はノーコメントを貫いた。
ふと、圭は髪のことで気になったので胡桃に聞いてみた。
「そういえば、先輩はあんなに動き回って髪は邪魔じゃないんですか?」
「邪魔だよ」
「え、あ、そうなんですか」
あまりにあっさりとそう言いきった胡桃に圭は言葉が詰まる。
「でも、切る訳にはいかんのよ。これが」
間仕切りの向こうにいる胡桃の声が静かにシャワーの音に紛れて響く。即座に圭はこれは触れてはいけない話題だと声音から判断する。忘れてはいけない。胡桃の地雷は特大クラスだ。
「めぐねぇのほうがその長さで危ない事とかないのか?」
「あんまり感じたことはないけど……………」
「その長さが邪魔になったときは間違いなく危ない時だから、いいってことか。司令官は後ろで考えるのが仕事だからな」
それが正しい姿だ、と胡桃は持論を述べる。どこぞの創作に出てくる指揮官にも“首から上だけ”は死ぬほど役に立つ指揮官もいたのだ。慈もそうであって欲しいと胡桃は思う。
いまいち、徹しきれていない部分もあるがそれを指摘するのは酷だろう。
「そうね…………私は胡桃さんのように戦えるわけでもないから」
「はーい!先輩、私も頭だけで仕事したいです!」
「お前は動けんだろ?支援ぐらいしてくれよ」
圭と胡桃が冗談を言い合う。慈はそれを聞いてフフッと微笑む。未熟だが、彼女たちの生と死を左右する一端に慈の判断が存在しているのだ。本物の軍の指揮官なら何十という命を背負うだろうに。慈は僅か数人の命だ。これで潰れてしまうわけにはいかない。
グッと慈は拳を握る。目の前の鏡を見れば、長い髪を濡らした女の子が頼り無さげに拳を握っている。鏡を見る度に慈はがっかりとした。悲しいかな、現実として慈の容姿は幼いのである。威厳もへったくれもない。
これでは冷徹な指揮官を演じるのは外見上不可能である。
が、図書館に今いるであろう美紀は例のゆきに関する糾弾の際に慈が見せたゾッとする姿に戦慄していた。そのことに慈が気がつく事は無かったが。
その日の晩、由紀と慈は毎度のごとく密会を行い情報の共有を行った。由紀は避けられない人間の敵の存在に大いに落胆し、状況はやはり最悪だと考えた。
「人の敵は怖いね。考えてるから」
「えぇ。何をしてくるか。正直に言うとラジオ放送も危険ね。どこで誰が聞いてるか」
敵はどこからか監視していてもおかしくはない、故にラジオ放送はかなりリスキーだったが、それでも情報は欲しい。現状、そう何度も外の調査を行うのは危険だからこそラジオは魅力的に映ったのだ。
「それに生存者ねー。嬉しいけど、空気感染だっけ?するなら私たちどうして平気なんだろ」
昼間は流されてしまったが、由紀は慈の情報からそこが気になった。わざわざ空気感染を防ぐワクチンがあるのにそれを使わず、それどころか返り血を浴びてる胡桃を含む、ゾンビが大量に倒された空間に相当な時間いる学園生活部の全員が何故感染しないのか疑問だった。
まさかとは思うが、ここの六人には何か抗体でもあるのか。
そのことを慈に伝えると、彼女は難しい顔をした。
「それは私も考えたのだけれど、流石にこれは医者じゃないかとわからないかな……………」
「だよね」
都合良く本職の医者はいない。夕日は保険医がいると言っていたが保険医は小学校の教諭らしい。つまり、正確には養護教諭。医者ではない。知識は豊富そうなので接触出来れば有益な情報が手に入りそうであるが。
ちなみに、慈は学生の頃に一時養護教諭になろうかと考えていたが大変なのでやめた。学ぶ事が多すぎるのは教師として変わらないが、当時は多忙になるのを年相応に嫌がっていたいたからだ。
「ともかく、そろそろ一階の制圧に取りかかろうと思うの」
「ってことは」
「話すわ。終わり次第」
職員室の机の上に置かれたマニュアル。それを、慈は手に取り言う。告白の時間は刻一刻と迫っている。これを胡桃たちに明かした時にどんな反応が返ってくるのか。それが慈は怖い。
それを察してか、由紀が座っている慈の頭を抱く。
「大丈夫だよ、めぐねぇ。私がいるから」
まるでそれは母の包容力のような優しい声音。
「うん……………」
大人としては情けないが、それでもいい。無理をして、一人で抱え込んでしまうのはいけないのだ。
だからこそ、それを知っているからこそ悠里のことをどうにかしてあげたかった。いやまだ、どうにかなるかもしれない。諦めるな。そう、慈は自身に言い聞かせる。
調査を終え一先ずの平穏へと帰還した慈が久々に迎えた静かな夜は由紀の優しい抱擁の中で過ぎていった。
<今回の変更点>
「歴女めぐねぇ」
ここの彼女は以前にも話の中で上げましたが日本史、社会科の教師も考えていました(せきにんじゅうだい#11参照)。
「“Steppen King”の“Standard”」
アニメ版で美紀が読んでいた本。元ネタは細菌兵器のせいで人類が全滅するという内容の小説。美紀の神経が案外図太いなぁと個人的には思った。そう考えるとモールでの最後の生活も耐えられてしまうと納得できる。
「古民謡を獣害扱い」
火の無いところに煙は立たない。この手の思考は慈が他の追随を許さない。
「シャワーシーン」
ふぅ…………。
描写はしませんでしたが、
慈「ん……肩が……………」
胡桃「ぐぬぬ」
圭「まぁまぁ、先輩(美紀も以外と大きいんだよねぇ。あぁ、考えれば考えるほどエロスの塊だ)」
脱衣所でこんなこともあった。でも胡桃の胸も意外と大(ry
「めぐねぇの髪」
実は切っていない。つまりここのめぐねぇの容姿は“妄想めぐねぇ”と同一のまま。彼女が髪を切るということは誰かが欠ける事を意味する。兵のいない指揮官、ということだ。