せきにんじゅうだい!   作:かないた

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#16

――生存者がいると思われる証拠は幾つもある。時折流れる無線による演奏会やラジオ放送。また、最期のあがきとして声をあげる放送。カメラに映る姿。全てがここで確認できる。

 それを見て、私は何もすることが出来ない。唯一、彼ら彼女らに出来る事は生きていた事を記憶する事。

 

巡ヶ丘駅地下牛丼店アルバイト 蓮田 夕日

 

 

 

 巡ヶ丘の面積は広く、周囲を山が囲み、海にも面している首都などと比べると幾らかは見劣りするが十分に都会であり港湾部では貿易が盛んで、道路も整備されており交通の便もいい。

 また、一部学園都市としての側面も持ち、巡ヶ丘内部だけで小学校から大学院まで学ぶ事が可能で学生も多く見受けられる。それに比例して家族も数が多く、多数の集合住宅や賃貸マンションも昨今の不動産の買い手市場からは考えられないような入居率の良さだ。隣接する都市との交通手段が多いのも起因している。

 そのため、一言で活発な地域と言える。福祉や公共設備も設備が整い、人員も地主であるランダル製薬から提供があるため医療関係は特に優れていた。

 そんな巡ヶ丘を国から任され、統括していたのが巡ヶ丘市の市役所である。地下二階・地上七階の全九階の市庁舎で、広い巡ヶ丘の管理・運営をするに十分な広さと人員を持っている。

 「……まるで、古いゲームに出てきそうな感じだ」

 辿り着いた市役所を前にして、胡桃がそう言った。胡桃が見上げる市役所は周囲の荒廃した駅などと相まって、ホラーゲームや世紀末的な雰囲気をどこか見せるビルだった。

 入り口のガラスの自動ドアは割れてなくなっており、市庁舎前の駐車場には死体が幾つもある。全て銃殺されたものだ。

 「っ……………」

 あまりの光景に圭はすくみあがった。もしかしたら、父も巻き込まれたのか、この殺戮に。そう思うと怖くなり、思わず圭は慈の背中に隠れてしまう。

 慈はそんな圭の手を握ってあげると小声で「大丈夫」と告げて、周囲を確認する。遠目だが、全ての死体は状態が劣悪で野ざらしにされたせいか既に白骨化し初め、干涸びている。死体はガスが溜まり酷い状態に途中でなるのだが、まだか、もう破裂したのか。いずれにせよ生前を想像できるほどの外見は残っていない。

 「くるみさん。中に入りましょう。ここに敵がいるにせよ、ね」

 「わかってる。やるしかない。…………めぐねぇ、圭。止めるなよ。やらなきゃやられちまうからな」

 「えぇ、くるみさん。こんなことを言う資格はないのだけれど、まだ三人とも死ぬ訳にはいかないから」

 ここで倒れる事は許されない。誰か一人でも欠ければその時は学園生活部の終焉を意味する。悠里は記憶を完全に狂わせ、美紀は発狂し、由紀は永遠に失われる。

 何が出て来ても迷わずにこの手で倒す。胡桃がそんな覚悟を決めていた時である。慈の後ろに隠れてから駐車場を隅々までみていた圭があるものを発見した。

 「緑の服?くるみ先輩!」

 「あ?どうした」

 「あれって」

 「何かあったのか?」

 圭に呼ばれて胡桃が二人に近づくと、圭の指差す方を胡桃と慈は見た。そこには緑の服に身を包んだ兵士と思しき死体が五つ無造作に捨てられている。

 「あ、あいつら、まさかさっきの!?」

 「う、嘘。兵隊、よね?」

 慌てて三人がその五体に駆け寄ると、どれも自衛隊の戦闘服を模して制作されたものだと胡桃は気がつく。だが、その死体の傍らに転がる自動小銃を見て、胡桃は手に取って確かめる。

 「マジかよ。89式じゃないか」

 「わかるんですか?先輩」

 「あぁ。自衛隊で使われてる自動小銃だよ。でも、どうみたってこいつら偽物だし、どうやって銃を………」

 胡桃が銃の検分をし始めると、慈が一番状態の良さそうな死体を探し、見つけると両手に新たなゴム手袋とマスクを顔につけると仰向けにして死因を確かめる。

 体格からして女性。顔は見る影もないため省略。傷は喉元に深い刺し傷。死因はこれか。慈はそう確認すると、他の持ち物も探す。通信機は電池が切れているため使用不能。他に武装の類いはない。

 強いて言えば自動小銃のマガジンがあったぐらいだろうか。

 「この人たちが、町で殺戮を……………」

 「自衛隊を騙ってる時点で間違いなく黒幕の手飼いだろ。こうやって無造作に捨てられてるとなると既に誰かに殺されたみたいだけど」

 「なら、誰が。それが問題ね」

 ゴム手袋を外して捨てると、慈はそう言う。少なくとも、彼らを殺した人間は間違いなくいるのだろう。わざわざ殺したものをここに運んでくるぐらいだ。わりと近くにいるかもしれない。

 「めぐねぇ、こいつらどうやって死んでんだ?」

 「一人見ただけだからなんとも言えないけど、ナイフで喉元を刺されてる」

 「はぁ?どういう曲芸だよ。そんなんで銃を持ってる兵士を倒せるなら是非ご教授願いたいね」

 「なんにしても人間業じゃないですよ先輩」

 そう言って胡桃も人からちょっと逸脱している側なのでなんとも言えない微妙な感じが圭にはする。慈はこの兵士たちを殺したのがどこの誰なのかはわからないが、有り難かった。銃を持っている相手と戦うなどご免である。

 ガチャガチャと胡桃が銃をいじっていたが、ある程度やると静かに地面に置いた。

 「くるみさん、どうして銃を」

 「ダメだな。野ざらしになってたせいで使い物にならなそうだ。ま、使えてもわたしたちじゃこんなもんは持て余しちゃうし、いらないよ」

 胡桃はやれやれといった様子で言うと、市役所を振り向く。これでまず最大の懸念であった銃を持った敵との交戦は確率が低下した。ここにある五人分の銃がないのでもしかしたら何者かに回収されている可能性もあるが。

 「さてさて、鬼が出るやら蛇がでるやら。エンカウント率が低けりゃいいが」

 ゲームに例えて市役所のことを言う胡桃に慈は苦笑しつつ「油断してはダメよ」と注意すると、胡桃は「へいへい」と生返事するだけだった。圭はその会話で少しだけ心が安らいだ。

 

 

 

 三人は胡桃を先頭に、ついに市役所へと足を踏み入れる。一階の入り口を抜けると受付のあるエントランスホール。左右に広く、売店なども見受けられる。“彼ら”の姿は僅かで、死体も何故かない。

 「…………“掃除”されてる」

 静かな声で胡桃が言う。

 「どういうこと?先輩」

 「ヤツらの数が少ない上に、そこら中血の跡が飛び散ってんのに死体がない。…………床に外へ引きずった後があるから全部外に運んで処理したんだよ。ここにいるヤツが」

 「………………誰かいるんですか………!?」

 「あぁ……まぁいい。何か見取り図は」

 胡桃が周囲を見渡すが、その前に慈が入ってから探していたので胡桃に先んじて受付近くにあるエレベーターホールで各階の施設を確認する。

 「一階は売店・窓口フロアのようね」

 「手早いな、めぐねぇ」

 「というか移動したの気がつきませんでした、先生」

 「私、影薄いのかしら」

 「そりゃ、わたしや他の面子に比べりゃな」

 それは喜んでいいのか悪いのか。ともかく、他のフロアを見取り図で確認するが慈の気になったのは五階の“災害対応フロア”と最上階である七階の“資料庫”だった。

 「災害対応フロアと資料庫。災害対応フロアは何か設備があるかもしれないし、資料庫には男土の夜に関する資料があるかもしれないわ」

 「確かに。災害対応ってぐらいだから、案外そこに避難民がいるかもしれない。最上階だし」

 ゾンビは階段を登るのが苦手。生き残っているなら“彼ら”の弱点の中で一番看過しやすいこれはわかっているだろうと胡桃は踏んでいた。しかし、彼女ら全員は気がついていないが普通はそう幾つも弱点を見つけられない。

 モールでの一次避難の際に美紀が上階に逃げたのは単に偶然。彼らが怖いからだった。

 「そうね。なら、まず五階に登りましょう。どこかに階段があるはずよ」

 「はい。私、探してみますね」

 「待て。わたしも行く。めぐねぇもだ」

 単独で階段を探しそうになった圭を胡桃が止める。いくら“彼ら”の数が少ないとはいえ迂闊な行動は死を招く。特に圭と慈は基本的に非戦闘員だ。圭は逃げる事が出来そうだが、慈は逃げる事も出来なさそうだと胡桃は思っている。

 人員の分散は悪手だと胡桃は知っていた。この状況では。

 階段を探すかたわらで確認した一階の売店の売り物はところどころなくなっており、その上、妙に整理整頓がされていた。ここに潜んでいる人物の人格が妙に読み取れそうだった。

 それに、慈たちがよく見れば庁舎の職員たちや外来者も使えそうなレストランも綺麗に清掃されており、血痕や弾痕がなければ何事もなかったかのようにメニューや取り皿などの食器が準備されている。

 人だけがいない。そんな風に慈は思えた。

 「まるでマリー・セレスト号ね」

 「なんですか?先生、それ」

 「大昔にあった客船事故?かしら。暖かい食事がそのまま残され、船内の様子は何もおかしくないのに、乗客・乗組員だけが海上で失踪した事件よ。事件の真偽には諸説あるけど、そんな奇妙な事件もこの世にはあるの」

 「確かに、この状況なら言えなくもないな。どこのどいつか知らんが、随分と几帳面なヤツだ。にしちゃ、あの仏の始末がなっちゃいないが」

 アレでは伝染病の一つや二つが出てもおかしくない。胡桃は自身の知識から学園生活部の活動初期に慈たちに推奨した仕留めたゾンビや回収した遺体の火葬を思い出し、市役所に潜む何者かの処理の緩さにガッカリとする。

 それに、そうでなくともあんな死体がごろごろと転がる場所にはいたくないものだが。

 と、胡桃が考えているところで慈は別の視線でこの市役所にいるかもしれない者のことを考えていた。仕留めた敵の処理があのように杜撰で、市役所内の遺体を引きずったような跡はどうみても非力な者の行動ではないかと。

 もしくは人数がいれば遺体を持ち上げるし、少なくとも墓穴は掘るはずである。それをしないのは何故か?

 「(人が少なく、尚且つ非力な者。あの兵士の死因からして後者は無さそうだけど、前者は間違いない)」

 仮に人が少なくとも、武装した兵士を倒せるほどの技量・力の持ち主。生半可な人間ではないはずだが、市役所内を掃除しようとする程度の潔癖さは待ち合わせている。少々掴み辛いが敵を倒すのに使ったナイフでの一撃、市役所内を掃除するという繊細さを持ち合わせながらも墓穴を掘らずに退かすだけの処理。

 今しがた読み取れた相反する行動に、慈は相手を読み取ることができなかった。既に誰も使わない売店などを整理する時点で異常だ。人の事は言えないと考えてしまうが、慈はそう思った。

 「あった。階段だ」

 「じゃ、上がりましょ」

 「そうね」

 市役所の最左翼で階段が見つかり、胡桃を先頭に慈たちは階段を登る。階段には何の戦闘の痕跡はなく、電気が落ちていること以外の異常はなかった。

 「暗いな」

 胡桃がそう言って懐中電灯を左手に持ち足下を照らす。目的の五階までは特に障害もなく、学校のようなバリケードは途中に存在しなかった。同時に呻き声も聞こえない。本当に静かな、無人の市役所でしかない。

 このことに慈は一瞬、もしかしたら人が多くいるのかと思うがすぐにそれを改める。あの兵士たちが既に処理したのかもしれない。その証拠に、二階の階段踊り場から見た廊下に幾つかの弾痕があった。

 果たして、ゾンビ化した後にそうなって処理されたのか。それとも、口封じのために消されたのか。

 五階に到着すると、胡桃は懐中電灯の電源を落とし、圭に手渡すとスコップを構えて五階の廊下へと飛び出す。しかし、“彼ら”の姿は無く拍子抜けした。

 「おいおい。ホントにいないのかよ」

 「先輩、ここ、もしかして制圧が完了してるんじゃ」

 「わかんね。でも、声は聞こえんかった。あー、こういう時にゆきがいれば」

 「ゆき先輩、ですか?」

 「アイツ、耳がおかしいぐらいイイんだよ。地獄耳ってレベルじゃない」

 胡桃の言葉に圭は驚く。それを言えば、モールで圭と美紀の声に気がついた慈も同じだが、慈は由紀の耳の良さが常人を逸しているのを知っている。

 彼女曰く、絶対音感。無理矢理幼少期からやらされた音楽のレッスンの末に身に付いてしまったという。だからか、彼女は自身への陰口を全て聞いていた。それは教室の窓際から扉で隔離されて壁越しの廊下のヒソヒソ声まで聞き取る。それがゆきとなっても作用しているのか、ゾンビと真正面から向き合わないためのソナーになっている。

 「だからさ、ゆきが入れば小さな音でも見逃さずに動けるんだが。あいにく、わたしは耳が良くなくてな」

 「じゃあ、どうするんですか。ここで敵がいたら」

 「さぁな?臭いでもかいどけ」

 「そんな無茶苦茶な」

 実際に臭いをかいでも空気は微妙に淀んでおり深く吸い込みたいとは思えないのだが。

 「で、ここが災害対応フロア。一本廊下に部屋が幾つか」

 「あ。室札もありますね。階段近くが第一会議室。そこから……」

 圭が指先で数えると、会議室と札が扉についているものは四つほどあった。東西南北で対応をするためだとでも言うのか。その更に奥に通信室と市内監視室という部屋の扉もある。

 市内監視室。もしかしたら、市内のカメラが置かれている場所なのだろうか。慈は僅かな可能性に賭けて、二人に監視室の探索を伝えて部屋の前へと進んだ。

 「どうする?ノックするか?」

 「そうね……………どうするべきだと思う?圭さん」

 「えっ、私に振られても」

 「まどろっこしいな」

 「「あ」」

 ガチャ!と勢い良く胡桃が扉を開けた。鉄製でゆっくりと開くようにされているはずの扉がまるでプラスチック板のように素早く開けられる。胡桃はスイッチを入れていた。

 室内が露になり、三人は一瞬固まる。暗い室内を幾つもの壁に埋め込まれた画面が照らし、不気味な様相を立てている。その幾つもの画面は変わり果てた巡ヶ丘を映すものと既にカメラが壊れたのかノイズしか出ていないものもある。

 そんな白い光を浴びている影が多数の画面を前に椅子にかけている。それは死体でもなければゾンビでもない。くるりと椅子を回転させて、慈たちと向き合った。

 「…………待っていた」

 黒髪をバッサリと肩で切ったような短髪、薄汚れたシャツを上に、黒ずんだジーンズを身につけた少女。整い凛とした紅顔は表情の変化にとぼしく、体つきは華奢。身長は胡桃と同程度だろうか。

 無機質なまでに冷たい顔に比べて燦々と蒼い瞳が三人に向かい合っていた。

 「…………………あなたは、誰?」

 ゆっくり前へ出て、慈が問う。少女は応えた。

 「蓮田 夕日(はすだ ゆうひ)。巡ヶ丘駅の地下にある店のアルバイト。引っ越して来て、その手続き中に巻き込まれた」

 それが本当なのか。変化が乏しい彼女から圭は真偽を読み取れない。慈はちらりと圭を見たが、そんな彼女を察した。

 黙っていると、蓮田 夕日を名乗る少女が慈たちに問いかける。

 「ここには何の目的で?そもそも貴方は何者?」

 「私は私立巡ヶ丘学院高校の教師、佐倉 慈。ここにはこの状況を知るための、打開するために使えそうな資料を探しに来ました」

 「……………資料?どこにある?」

 こてん、と夕日が首を傾げる。光を影に、表情の変化が乏しい彼女はまるで人形のようだった。忘れ去られ、廃墟に放置された人形――そんなイメージが圭には過る。

 「わかりません。ですが、ここに来る途中で上階に資料庫があると知りました。何か、知っている事は?」

 「…………………そのような考えに至る事がなかったから不明。可能性はありそう」

 「なら、調べていきます」

 「そう」

 あっさりと、夕日はそう言ってしまった。まさか生存者がこのような人物とは思っていなかったため、慈は最悪の場合衝突も考えて警戒していたが、相手は何もしてこない。それに、会話がし辛いように思える。

 やり辛い。慈はそう思った。

 一方、胡桃は今の話の中では足りないのか夕日に言葉をかける。

 「なぁ。外に偽自衛隊の死体があったがアレはお前が?」

 「………私が仕留めた。それが何か」

 あっさりと、これも彼女は答える。こんな少女がナイフだけで軍人を仕留めたのか。マトモじゃないと胡桃は思った。

 「どうやったんだ?あんな綺麗に首だけとか無理だろ」

 「元々サーカス団でバイトをしていた。ナイフ投げは人一倍得意だった」

 「どうなんだ、それ。あと、あいつらが何者かは?」

 「知らない」

 「お、おう」

 キッパリと告げる彼女に胡桃は二の句をつげない。代わりに今度は圭が口を開く。

 「ねぇ、どうしてそんなに反応薄いの?生存者だよ?」

 「私はここで何十人もの生存者を確認している。アナタたちも昨日市内のカメラで確認していた」

 衝撃的な内容だった。生存者を何十人も確認している?今まで自分たち以外にその存在を確認していなかった慈と胡桃、それに圭は完全に硬直した。

 「それに、ここに来たのはあなたたちが初めてではない。今までに、生存者にラジオで呼びかける女DJと女子小学生に保険医。後はイシドロスとかいう大学の連中。その他には音楽団……………この町の生存者は少なくない」

 「う、嘘…………そんなにいたなんて」

 軒並みな言葉しか慈には出なかった。学校の屋上からでは見えない場所にいた他の生存者。懸命に生きていたのは、慈たちだけではなかったのだ。

 「そして、私は彼女たちが訪ねて来たら何を教えるか。物資、対価と共に今の巡ヶ丘の現状を伝える。…………ようこそ、巡ヶ丘情報局へ。あなたたちを歓迎する」

 表情は固定されているが、夕日は足を組んだ。

 「物資を求めて立ち寄ったものがほとんどだったが、最初から情報を求めたのはアナタたちが初めて。だから対価は結構。資料を探すというのなら手伝う。私も、現状以外は何も知らないのだから」

 唐突につげられた言葉の数々に慈たちはフリーズしかけていた。そのことにまたも夕日が首を傾げる。何か問題があったのかと。慈はどうにか頭を再起動させた。

 「情報局、って言ってたけど具体的には何を?」

 「巡ヶ丘の現状。つまりは生存者の状況やゾンビの分布、各地の状況。一度ここに来てくれれば、こちらから指定する周波数でラジオを流し定期的に伝えている。私はここ唯一の生存者にして、殺人者。この役目にはうってつけ」

 まるで自身のことを罪人と言うかのような彼女の言葉に慈は納得しかねたが、今は流す。整理すれば、彼女はここに一人で留まり情報を流しているようだ。

 情を無くして冷静に考えれば確かにリスクも少ない。口ぶりからして一方的に特定の周波数で流しているということは知らない人間に拾われる可能性は多少下がる。それに知られた場合も失われる人命は一つだけ。

 これは人間の敵がいると仮定しての場合だが、十分に使えるだろう。恐らくは緊急事態が起きればそれを流してくれるかもしれないのだから。

 敵かもしれないと思って踏み込めばいたのは有用な情報屋である。コイツは使える。怜悧に慈はそう考えた。

 「………わかりました。圭さん、彼女から周波数を聞いておいてもらえるかな?」

 「あ、はい」

 「胡桃さんは、圭さんと一緒にここに居て。私は資料庫に行ってみる」

 「一人でか?」

 「えぇ。蓮田さん、だったかしら?上にゾンビとかは?」

 「いない。私が殺した兵士がここにいた人間とゾンビを始末している」

 やはり、そうだったのかと慈は歯噛みする。あの兵士は口封じのため。そう考えて間違いなさそうだ。当時の状況を詳しく夕日から聞きたいが、出会って間もない。簡単に聞く事は不可能だと慈は判断する。

 ならば、単独でもいけるだろう。この部屋の様子からして電気も生きている。

 「行ってくるわね」

 「おう。気をつけてな」 

 慈は初めて、学外で単独行動をとることになった。

 

 

 

 ――男土の夜。1968年に男土市で発生した大規模な伝染病によるパンデミック。現巡ヶ丘市の人口の三分の一、当時の半数以上の市民が犠牲となった。原因となったウィルスや菌は当時の資料の紛失からわからず、事態が落ち着いてからも市民の不安は続いている。

 美紀は見回りも兼ねて図書室へと足を運び、巡ヶ丘に関する資料を漁っていた。しかし、出てくるのは古民謡ばかりでオカルトが多分に含まれている。

 特に、『男土之大蛇』という九つの頭部を持ち、人を毒で操るという大蛇が出てくるものはどこの神話だと言いたくなるような内容だった。七人の男たちがこの巡ヶ丘で退治し、土の下に封印したということまで語られていたが、これではただの男土市の名前の由来がわかっただけで現状、なんの役にも立たない。

 「そんな中で、男土の夜について書かれてたのがこれだけなんて…………」

 美紀が今しがた見つけて、僅かながらに目的の情報が載っていた本に目を落とす。題名は“世界で起きた大規模パンデミック2010”という伝染病に関する百科事典のようなものだった。わりと多くの事件が細かく記載されていたが、何故か男土の夜の項だけ情報が少ない。資料紛失のためだというが、一体何がどうなって半数も市民が亡くなったのか。

 モールの避難民で唯一、当時の事を知っていた老婆も圭には詳しい状況を話さなかったという。

 大規模なパンデミックが起きたとなれば空気感染が一番ありうるが、仮に今回を再来だとすると同じ経路なのか。だとしたら美紀も圭も、ここにいる学園生活部も生きてはいないはずだ。

 明らかにこのパンデミックを引き起こした原因物質の情報が足りない。飛沫・液体感染か、それとも空気感染か。感染していない人々は、この事態を引き起こした何かに耐性でもあるのか。

 「(飛躍し過ぎかな。はぁ。結局、圭たちの帰り待ちか)」

 学校の中だけでは取れる手段が少ない。この図書館にあるのはあくまで高校生向けの蔵書だ。そして、この学校は私立だがそこまでの進学校というわけではない。

 なんでもあるわけではないのだ。

 本を手に持ち、歴史関連の棚から美紀は離れた。廊下に出れば昼間の明るい日差しが廊下に差し込んでいる。気温も一時期よりは大分落ち着き、そろそろ夏服もお役御免だろう。もっとも、肝心の冬服がないのだが。

 部室に戻ろうと美紀が図書室の扉を閉めると、近くの階段の踊り場から悠里が現れる。美紀の姿を認めた悠里が「あら」といった顔をして歩んで来た。

 「りーさん?どうしたんですか?」

 「いえね、私も少し調べものをと。美紀さんも?」

 「えぇ。ちょっと風土史について」

 「あぁ、この前に言ってた……」

 「結果は芳しくなかったですけど、ゆき先輩には昔の民謡とか読み聞かせ出来そうなのがありましたから」

 「そうなの?なら、相手をしてあげて。多分上でお昼寝してるけどそろそろ起きるから」

 「はい」

 ゆきの面倒を美紀に任せ。悠里は図書室へと入ろうと引き戸に手をかける。

 「あの、りーさん」

 「なに?」

 「何を調べるんですか?」

 「……………ちょっと、人の心についてね」

 「ゆき先輩のことですか」

 「……………そうね。その通りよ。じゃあ、ゆきちゃんのこと、頼んだわ」

 引き戸がゆっくりと開けられて閉められた。思わず美紀は振り返ってしまうが、そこには寂れた図書室の扉しか無い。ガラスの向こうに、既に悠里の影は無い。

 ゆきを救おうというのか。ならば、それはそれで尊重してあげるべきかもしれない。美紀はそう思った。

 

 

 

 資料庫がある七階に上がった慈だったが階段を上がってすぐにある資料庫の扉が電子ロックで閉まっていることに気がついた。が、その電子ロックの暗証番号を打ち込むボタンの幾つかに血がついた跡がある。

 番号は1、6、8、9の四つ。どうやら、これを押せばそのうち開きそうだ。

 慈は数度、順番を変えてこの四つの数字を打ち込み、最終的に『8691』と打ち込むとガチャリと扉の鍵が開いた。電気が生きている事に慈はここもやはり高校と同じで、避難用の何かがあるのでは?と思い始めていた。

 扉は廊下側に開くもので少し重たい。慈は両手で扉を引っぱり、開けた。

 その直後だった。嗅ぎ慣れた腐臭に近い臭いをかいだ。誰かがこの中で死んだのか。あの暗証番号についた血痕から予想出来たが本当にいたのか。

 慈は周囲を警戒しつつ、中へと入る。幸いにも扉を開けた裏側にストッパーがあったので、開いたまま床と扉をゴム製のストッパーで噛ませて退路を確保する。何かをする前にまずは退路。これが生き延びるのに一番大切なことだ。

 入り口近くの電気をつけようとスイッチを入れるが点かない。まだ時間が時間なので窓から明かりがカーテン越しに入っており薄暗いだけで済んでいる。電気が通ったのに点かないのは蛍光灯が切れているのか。最近はLEDへの交換も行われていたはずだが、市役所はどうやら違ったようだ。

 尚、巡ヶ丘学院高校の照明は一部、LEDに交換されており電気代が減ったと教頭が喜んでいたのを思い出した。

 何に喜んでいたのか。慈はようやく合点がいった気がした。

 「(…………そういえば、男土の夜っていつの出来事だったのかしら)」

 慈は資料庫に入ってから肝心な部分を美紀に聞き忘れていたことに気がついた。確認不足。神山先生から散々注意されていたことだった。

 資料庫は主に市の統計情報や物流、歴史等あらゆる分野に渡っているがどれも年代ごとで分類されてスチール棚に収まっている。ファイリングされているため観覧は楽そうだが。

 「(でも、このフロア一つから全部探すなんて…………)」

 問題は、この七階全てが一つの資料庫になっており、あまりに量が多い事。通常は多少の電子化がされてもう少しコンパクトになっているはずだが、何故こんなにも物理データが残されているのか。

 足音を立てないようにゆっくりと歩いて棚の列の横を進むと、幾つか通り過ぎたところで倒れている人影を見つける。どうやら、ここを開けた者の成れの果てのようだ。倒れ伏して動いていないということは間違いなく死んでいる。

 かける言葉も無く、慈は倒れている者に近づくとスーツ姿に、右肩の服が千切れているのを見る。恐らくは噛まれて感染したのか。それが怖くて、そうなる前に何らかの手段で自殺したのだろうか。床の黒いシミは凄まじい。

 一度拝んでから、近くの棚に目を向けると丁度気になるものを見つけた。

 「これは…………男土市の風土病?」

 赤いファイルに入れられたそれを棚から抜き取り、慈は手に取る。ファイルの中の紙は黄ばんでおり、相当古い資料であるとわかる。

 内容は巡ヶ丘市の前進である男土市の当時の保健所が市役所に提出した風土病の実態調査で、年月は1954年。戦後から然程経っていない。この年には自衛隊が発足した他、少なくない出来事があった。

 「1954年八月の報告書…………男土市の地方病は以下の二つ」

 箇条書きで示されたのは二つの風土病だった。

 

 ・“毒心”と古来から住民に呼ばれる狂犬病に近いもの。感染経路不明。

 

 ・名称不明の野生の蛇が保つ病原体。致死性がある。

 

 慈は巡ヶ丘の生まれだがこんなものを聞いた事がなかった。蛇に関してはそもそもこの巡ヶ丘で見た事が無い。報告書には続きがあり、蛇に関しては捕獲の末焼却処分を予定しており、感染経路不明の病気に関しては今後も調査を進めるとのことだった。

 次の月の報告書は既に別のものに変わっており、これ以上の情報無さそうだった。

 この二つ。妙にひっかかる。前者に関してはもしかしたらゾンビ化のベースになったものがあるかもしれない。この病原体とやらをランダルが見つけて利用したのか。後者に関しては男土の夜にも関係があるかもしれない。

 「(でも、蛇に噛まれるだけで半分も人口が減るものかしら)」

 その“蛇”が凄まじい数でいたというのなら別だろうが。

 なんであれ、この二つが何らかの関連を現状と保っていそうだと慈は考える。本命である男土の夜について調べるには時間が足りなそうだ。

 

 

 

 七階から一度降りた慈は再び監視室へと入ると、胡桃と圭が備え付けられているパイプ椅子に座って待っていた。ご丁寧にも紙コップでお茶を夕日は出していた。

 「めぐねぇ、どうだった?」

 部屋に入るとまず胡桃が慈に成果を問う。残念ながらあの膨大な資料の中から探すのは時間がかかることを胡桃に伝えればそれはしょうがないと言う。

 「そういう資料の整理はりーさんに任せたほうが早いかもな」

 「それなら美紀も得意ですよ!」

 あいにく、ここにいる学園生活部のメンバーはそういったことが好きではない。圭も悠里の手伝いで家計簿をつけているが悠里のようにはまだいかない。

 「でも、もしかしたら関係のある資料を見つけたの」

 慈はそう言って資料庫から持ち出した男土市の地方病に関するファイルを見せつける。夕日も首だけ振り向けてそれを見た。

 「地方病………風土病ってことですか?」

 「えぇ。1954年八月の資料に二つ載っていたの。これがもしかしたらって思って」

 「自衛隊発足の年だな」

 「なんで知ってるの………」

 「いいか、圭。わたしがスコップ及びシャベルを使う理由はなぁ――」

 胡桃が唐突にシャベルとスコップの軍事有用性を語りだしたので慈は苦笑するしか無く、圭は突然の説明に戸惑っている。そんな二人の様子を見かねてか、それとも慈の持つ資料が気になったのか夕日が席を立ち上がって歩いてくる。

 「蓮田さん?どうしたんですか?」

 「上の資料庫は広いと言った」

 「えぇ。ちょっと調べるには時間がかかりそうね。でも、私たちはそう長くここにいれなくて」

 「…………なら、私が探しておく」

 「え?でも――」

 「やることがなかったから丁度良い。そうと決まればあなたたちに専用の回線を渡しておく。そちらにラジオを聞けるものは?」

 「それは、後で教えてくれるということ?」

 「こちらからの一方的な通信になるが構わない?」

 「い、いえ、助かります」

 「そう。で?聞けるのか、聞けないのか」

 「放送室にラジオ機器があったから使えれば」

 「ならば三日後にまず一回目の調査報告を行う。周波数は……」

 それからトントン拍子に決まっていくラジオの時間や周波数。アルバイトをしながら一人暮らしをしていたようだが、一体この少女は何者なのか。慈には謎が深まるばかりだ。

 「――以上。質問は」

 「特には………………」

 「なら、後は好きにすると良い」

 必要なことを告げてそれで終わりなのか、夕日は慈に周波数の載った紙を渡してカメラの画面の前に再び座った。日がな毎日、あぁしているのか。

 調査を代わりにやってもらえるなら助かると慈は思い、胡桃と圭に帰ろうと促した。

 「二人とも。学校に戻りましょう?」

 「おう。でも、いいのかアイツ。放っておいて」

 胡桃の言う事はわからなくもない。一人とはいえ、果たして物資は保つのか。

 「そのことなら心配はない。この市役所の地下には物資が多数格納されている。その中には試薬だがワクチンも存在する」

 今、何か衝撃的な言葉がでなかっただろうか。

 「…………あの〜、ワクチンってなんの?」

 「ゾンビ化の原因と思われる何かに空気感染しないようにするものと、ゾンビに噛まれて感染した場合に打つ薬の二つ」

 何でも無いようなことのように語る夕日に慈たちは固まる。そんな薬が何故あったのか、何故知っているのか。胡桃が無意識のうちにスコップを構えた。

 「オイ。いいか?どこでそれを?初めてきいたぞ」

 「教えてくれたのは以前訪れた保険医。鞣河小学校の。彼女らが潜伏する場所も避難用の物資があり、実際に使用し効果があったと聞いている」

 「なんだと!?」

 「保険医は言っていた。この騒動はウィルスによるパンデミックで、発症した人は空気感染した抗体を持たないものと、噛まれて感染しない限り死んだり、ゾンビになったりしない抗体を持つものがいると」

 抗体。それを持つものは空気感染しない。ということは自分たちは抗体を持っているのか?慈はそう思った。それよりも、地下にあるという物資。まさか、夕日もあのマニュアルと同じものを持っているのか。

 「何者なんだよ、その保険医は」

 「ただの学校の保険の先生。状況とワクチンなどの説明書からそう推測したと聞いた。それ以上は知らない。私も念のためワクチンを打っている。あなたたちも打つ?」

 用意されていた物資、薬品。その他にも断片的だが、幾つかの情報があった。慈は結論づける。もう否定しようがない。この町は…………巡ヶ丘は………間違いなく、BC兵器の実験場だったのだと。

 「………そうね。でも、もしかしたら学校にもあるかもしれない」

 「なっ…………!?どういうことだよ、めぐねぇ」

 「くるみさん。学校も妙に設備が整ってたから。地下、ありそうじゃない?」

 「そりゃ、そうだよなぁ…………出来過ぎだもんな。あの環境」

 マニュアルの存在を知らないとはいえ胡桃とて薄々気がついていた。学校の設備の用意周到さに。誰が浄水施設を学校に設けるのだろうか。あれではまるで簡易的な軍事基地だ。

 放送室にラジオ施設の機能があったり、自給自足可能な設備や学校一個で生きていける機能がある時点でもう既におかしい。

 圭は思わず自身の手を見る。空気感染の可能性がある。そのことを知らずに今日の今日まで無事な事が不思議だった。

 「蓮田さん。ワクチンはとりあえず結構です。それじゃあ、私たちはこれで」

 「わかった。時間通りにラジオは流す」

 「はい」

 慈は踵を返して監視室の出口へと向かう。胡桃は最後まで夕日を警戒し、圭は慈に慌ててついていく。最後に、胡桃がサッと扉が閉まる前に部屋を飛び出し、監視室の扉は閉まった。

 残された夕日は呟く。

 「新たな生存者、巡ヶ丘学院高校の三名。巡ヶ丘高校方面のカメラは無し。周辺地域の詳細不明。…………私を含め生存者は二桁に達している」

 カメラの画面の幾つかには慈たち以外の生存者が映っている。今日を懸命に生きる者たち。それを夕日は羨ましそうに見ていた。

 『こんにちは!午後五時になりました!巡ヶ丘わんわん放送局!始まるよー!今日のパーソナリティは私、DJ赤島とアシスタントのるーちゃん――』

 手元に置いていたラジオから放送が始まる。夕日にとってそれは定時連絡のようなものだった。

 

 




<今回の変更点>

「蓮田 夕日」
 オリキャラ。彼女はいわゆる『情報屋』の立ち回り。生存者と生存者を繋ぐための橋渡し役。一話前の最後にナイフ投げを行った者と同一人物だが、長い髪が邪魔で切っている。
 巡ヶ丘に引っ越して来たばっかりだったが不幸にも事件に巻き込まれた。年齢は不明。

「市役所の構造」
地下二階:市長室・関係者用シェルター・物資倉庫
地下一階:駐車場
一階:売店・窓口フロア(市民課・保険年金課)
二階:窓口フロア(税務課・福祉関連)
三階:施設管理フロア(土木整備課・市立施設管理課・公共事業課)
四階:教育関連フロア(教育委員会・保険相談課・児童相談課)
五階:災害対応フロア(各種会議室・通信室)
六階:電算フロア(電算室)
七階:資料庫
屋上:太陽発電施設・ヘリポート
 ※専用のカードキーが無い場合、地下二階には階段から侵入できず、緊急時には電算室からエレベーターを直接制御して動かすしかない。
 慈たちが確認した案内表には地下一階までしか書かれていない。

「巡ヶ丘の風土病」
 このような病気は一切存在しません。フィクションです。

「九つの首を持つ大蛇」
 私立巡ヶ丘学院高校、校歌参照。

「その他の生存者」
 わりといるがそう多くもない。るーちゃん………一体何妹なんだ。

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