七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第八話 その後

黄理の屋敷にぽつんと立てられた離れ。人の寄り付くことの少ない、簡素な離れ。家主に似た温度の無い寂しい離れ。そこに朔は寝かしつけられていた。

 三日前、あの男―梟という混血との衝突後黄理の本気の一撃を受け、急激な脳震盪を起こされたことで現在朔は意識不明となり、この離れにて深い眠りについている。

 その呼吸は死んでいるかのように静かで、耳を澄まさなければ息をしているかどうかすらも判断がつかない。布団の僅かばかりに上下する胸の動きだけが朔が生きている証拠に見える。その眠りにつく表情は微動だにせず、精巧な人形を思わせた。

 それを志貴は見ていた。その表情は不安や恐れ、はたまた彼自身にも判断つかぬ感情が複雑に絡まりあっている。

 

 

 豹変した朔。

 襖を突き抜け、男に襲い掛かる朔。

 朔を止める黄理。

 黄理に攻撃を仕掛ける朔。

 黄理に吹き飛ばされる朔。

 動かなくなる朔。

 笑う男。

 殺そうと動く黄理。

 

 全てを、志貴は見ていた。 

 

 

 朔が意識を失い、既に三日経った。

 隣にいた朔が豹変した時、志貴は声すら上げることもできず、その雰囲気に呑まれた。今まで感じたもとも無いような重圧を感じ、同時にそれは起こった。

 空気が硬くなった。軋むように動かなくなる深海のようなそれは、朔が放つ殺気だった。志貴自身訓練を受けている際、殺気に慣れるよう幾ばくかの殺気を受けた経験がある。だがそれとは比べ物にならない殺気を朔が放った。その時、志貴は自身の死を幻視した。いまだ戦場を知らず、本番(ころしあい)さえ行っていない志貴にとって、朔は真実怖い存在となった。息が出来ない。息をしてしまえば、それが自身の最期だと思うような感覚。

 だが、朔が黄理と不可解な事に対峙し、黄理に吹き飛ばされたとき、朔は死んでしまったのではないかと、恐怖を覚えた。

 志貴と朔の交友は未だ短く、始まったばかりだ。兄と称しているがその距離感は曖昧なままで、志貴が縮めていっても朔は何も反応しない。そればかりか朔からは何もしてこない。志貴としては朔は友達という感覚ではなく、それよりも近い場所にいてほしいと感じている。同じ敷地内に生活しているのもあるだろう、本来の関係が従兄弟ならば朔とはもしかしたら家族になれるのでは、と志貴は思ったのだ。志貴は一人っ子だ。家族といるのは好きだが、兄弟というものに憧れている部分があった。里の七夜たちを見て、自身と同じ年齢の子供に友達とは違う、歳の近い家族がいるということがひどく羨ましかったのだ。だから朔と交友を深めることで、兄弟のような関係になりたいと、子供ながらに思っていたのだが。

 

「兄ちゃん……」

 

 志貴は布団でまだ意識覚めない朔を見る。

 あきらかに他の子供とは違う存在。黄理に似た、自分の従兄弟。

 朔が豹変したあの時、志貴は朔に恐怖を覚えた。尋常ではない殺気。自分とは違う、まるで獣か鬼のような存在に朔は果て、それが怖くて怖くてたまらなかった。一体どうしたのだろうかと、朔に勇気を出して尋ねてみても、また側にいた翁が止めようとしても、朔は無反応でひたすらに前を見て、翁の拘束を振りほどいて飛び出した。

 だが、黄理が朔を気絶させたことで志貴はそれを恥じ、朔が死んでしまったのではないかと恐怖した。どれだけ変わっていようとも朔は朔のはずで、自分が兄と決めた従兄弟なのだ。それを自分が怖がってどうするのかと。

 そう思い、思ったけれども、本能は理解を超える。いまでも、ここにいて怖い。もし目が覚めた時、朔は自分の知っている朔ではないのではないか。いや、むしろあれが朔の本当の姿ではないのか。そして、もし、朔が目覚めたとき、あの殺気が自身に向けられるのではないか。

 志貴の中は感情がごちゃ混ぜになって、自分自身でも持て余している状況だ。だけど、それをどうすればいいのだろう。未だ志貴は幼く、人生の経験などほとんど無い。志貴が七夜であるということもあるだろう。特殊な生活を行っているせいもある。外界から隔絶され、人間としての向上や経験を増やせるには向いていない場所だ。回答を導くには志貴はあまりに七夜として馴染みすぎていた。

 僕は朔を兄と呼んでいいのだろうか。近づいてもいいのだろうか。側にいてもいいのだろうか。そもそも、朔は自分をどう思っているのだろうか。

 恐怖や不安が志貴を襲う。それは朔への気持ちを揺るがせるには十分なものだった。しかし、志貴は朔から離れることも嫌だった。

 恐怖さえも超えて、朔と志貴は家族になりたかった。父や母とは違う自身の居所を見つけた。拠り所を欲した。

 でも、どうすればいいのか分からない。分からない。分からない。だから、志貴はただ黙って朔を見守り続けた。

 震える心を抑え付けながら。

 

□□□

 

 それは、屋敷内部に一瞬の余韻すら響かせること無く、どよめきと怒号によって遮られた。

 

「どういうことですか御館様!」

 

 翁は吼えたて、自身が当主として仰ぐ黄理に向かい噛み付いた。 

 ことは朔と黄理の衝突から三日と経過し、里内部の混乱も抑えられ一族の者が当主の館に召集されたことに始まった。黄理から刀崎との協定を検討しなおすむねが伝えられたまでは良かった。あの日、梟の行動は里に混乱を与え、決して好意的に受け止められるべきものではなかった。そして大人の者は挙って梟の討伐を狙っていた。子は家から出さず、一重には発見されぬ隠密によって確実に梟を仕留める算段を一族はつけていた。結局それは黄理の命によって叶わなかったが、危険分子は排除されるのが世の常だろう。無論それに気付かぬ梟ではないことは知られていたが。

 現在梟に襲い掛かり、黄理と衝突した朔は意識を失っており、昨日から未だ起きてこない。黄理が召喚したヤブ医者の処置により肉体的な損傷はある程度回復していたが未だ目覚めていない。そして今朔は離れにて安置されているが、それは隔離にも近い状況であることは現在この場に召集された者も承知していた。

 朔の豹変。

 それが七夜に動揺をもたらした。

 常軌を逸した殺気。かつて黄理の兄がそれに近しかったが、朔のあれもそれに近いだろう。正気を失った朔は梟に襲い掛かり、あまつさえ当主である黄理にも襲い掛かったのだ。今までの朔を知る黄理や翁にとってもそれは衝撃を与えるには充分なものだった。更に二人はかつて黄理の兄を粛清した身だ。あの殺気を知らぬほうがおかしいだろう。

 ゆえに黄理はある決定を下した。

 

「くどい翁。何と言われようとも決定は変わらん。……皆聞いたな。お前たちには

 

 

 

 

 

 今後七夜朔との接触の一切を禁じる。

 

 

 

 

 以降朔と接触するのは俺を除きその一切を許しはしない。これは提案ではなく最早決まったことだ」

 

 黄理は冷たい表情のままに宣言した。もともと朔と話す人間は極僅か。動揺は広がり、そして反対する物もいた。それが先ほど噛み付いた翁だった。

 

「しかし御館様。朔さまは未だ十にも届かぬ子。人との関わり無くばどのような影響が出るかわかったものではありませぬ。いくら朔さまが御館様の兄の子とはいえそのような……」

 

 

「口を慎め」

 

 

 瞬間。黄理が発する威圧に屋敷内にいる七夜の全てが呑まれた。

 

「――――――――っ」

「翁。朔が兄上の子である事実は変わらぬ。俺がどれほど朔に触れ合おうとも、その事実に変わりは無い。ならば、朔が持っている殺人衝動を抑えるため、あいつには暫く行動を厳守させ、衝動を抑えるための枷を作る」

 

 それは、ついては朔の為にもなるだろう。彼らは未だ覚えている。黄理の兄の圧倒的な姿、その蹂躙、その狂気を。肉片すら残さずに散っていく生者。亡者ですらない死を幾重にも見せ付けた男を。

 だが、だがそれを黄理が言い、認めたことがこの場の空気を変えた。

 黄理は志貴や朔に言いはしないが子煩悩だ。自身の子(と予定の子)のためになりふり構わず行動し、それは七夜の常識と化している。もちろん彼のそんな気持ちは子供には伝わっていないが。

 子煩悩な黄理が朔を縛り付け、枷をつける。

 それがどれだけ朔を苦しめる結果になるか。それは黄理自身もわかっている。わかっているが、それ以外の方法がない。あの悲劇、身内殺しを再び起こさせることなど断じてあってはならない。朔がそれを苦しいと思うような人間ではないことは百も承知だ。なぜなら朔は確実に黄理と同様な存在になろうとしている。ただ殺すだけの殺人鬼に成って果てようとしている。しかも、黄理の殺人機械としての冷たさと、兄の圧倒的な殺人衝動を併せ持っている可能性がある。

 それはいかほどの怪物になるのだろうか。

 黄理は朔に自分のような人間にはなってほしくないと願っている。あのような人外にはなってほしくはない。だが、事実朔はそのような人間になろうとしている。圧倒的な暴力と冷酷な意思を持った鬼になろうとしている。

 今の朔、そして三日前のあれはその片鱗だろう。人間味の薄い人格と、殺気。しかも動きの切れは増して黄理には対処できないほどになろうとしている。

 いや、最早化けているのか。人外の鬼に。

 ゆえに黄理は精神的に束縛することで、強靭な精神力を朔の身につかせようと考えたのだ。これは親心とは違う、当主として、あるいは保護者としての処置だった。

 

 

 

 

 

 

 だが、この時点で、黄理は選択を誤っていた。

 結局のところ、黄理もまた七夜の人間だったのだろう。

 朔は黄理を目指し、なろうとしているのではない。

 それ以外のものが何もなかった。

 それだけしか、見えるものがなかったのだ。

 ゆえに、他人との接触を禁じ、黄理とのみ関わらせても、朔をよりいっそう加速させる結果しか生まなかった。

 だからだろう。

 

 

 

 この選択があのような結末となったのは。

 

□□□

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――。

 

 目が覚める。

 見覚えのある天井が目前に広がった。

 そして手を握っている感覚に気付く。

 視線を辿る。

 そこに志貴がいた。

 志貴は泣きそうな笑みを浮かべ「おはよう」と呟いた。

 それを聞いても何も感じない。何も思わない。

 ただ、

 目の前にいる子供を見て、

 

 殺す、と精神が吼える。

 

 それを朔はよく分からない。ただ、どうすればいいのかわからず、それを無視し、なんとなく志貴の手を握りしめる。

 

 そして、この解体を促す内側を、朔は悪くないと感じた。

 


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