七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第七話 骨師

それは、おそらく運命と呼ばれるものだったのだろう。

 

 男はそのような曖昧なものを信じるほど夢を見るたちではなく、非常に現実主義な男だったはずだ。一族を束ねる棟梁としてそういう生き方を選び、行動してきた。時には身内を切り捨てて一族を永らえさせたこともある。そのようなモノとなるよう自身を戒め、そのように自身も、自覚していた。

 だが、この肉体を燃え焦がす激情を抑える術を、男は知らなかった。

 ともすれば身体が内側から破裂してしまいそうな感覚。血が煮えたぎり、骨が熱せられ、肉が震える。それは歓喜の感情。思考はそれに塗りつぶされ、精神はそれに押しつぶされている。このような感覚は知らない。今までに無い、経験もしたことも無い感覚。それが肉体を駆け巡り、そして、それに陶酔しきっている自分がいた。

 

 

 

 だからこれは運命なのだろう。

 

 

 

 その時、男は一人の少年と出会う。

 少年の名は七夜朔。

 男が自身の全てを捧げる子供である。

 

 

 

 その日、七夜黄理は当主として自身の屋敷の客間に座していた。

 太陽は天に差し掛かり、少しばかり冷たくなった空気を温めようとしている。季節はそろそろ秋になるのだろうか。一族が住む森も鮮やかな彩りを見せ始め、生き物はそろそろ冬支度を始めようとしている。

 最近では二足歩行のキノコが増え、報告によれば多数の群れが確認されている。秋だからだろうか。どうやら繁殖しているらしい。それが群れを成して回転をしながら浮遊していたということらしいが、生憎と黄理は今だ目撃していないので何ともいえない。被害があるわけでもなく、ただ浮遊しているだけなので今のところは放置している状況である。ただきのこは緑の傘には白い斑点、そして目のあたりがやたらと輝いているらしく、それが群れを成して浮遊している様はオカルトでありながら少々コミカルだ。結界強化をしまくった影響から生まれた突然変異種の中では特に進化した植物(?)として恐れられているとか。

 現在、黄理は客間にてしばらく目を瞑っていた。この時間帯、いつもならば朔の訓練時間である。早朝から始まり昼となって天上に太陽が昇るまで行われる訓練は、訓練と言う大義名分を使った朔とのふれあいタイムである。その時間だけは黄理が朔の面倒の一切を見ており、他のことは後回しにすることが一族の暗黙の了解だったりする。

 しかし今日はそれを行なっていない。と言うのも黄理に客が来るからである。

 七夜は退魔組織を抜け出してからは人里離れ閉鎖された空間で生きているが、それでも外部との繋がりはある程度存在している。それは情報の交換であったり資源の回収であったりと、いくら一族が励んでも足りないものは多い。ゆえに外部との繋がりは切っても切れないのだった。

 そして今回訪れるものは七夜に於いても重要な存在で、蔑ろにすることの出来ない相手である。七夜とのつながりも長く、黄理の先代から交流が行われているため黄理が相手をしなければならない。ゆえに黄理は今日ばかりは朔の相手が出来ず、泣く泣く訓練の中止を申し立てたのだが。

 

「翁め……」

 

 その一言にありったけの罵詈雑言怨念憎悪を込めて呟くが、果たしてそれは届くはずも無い言葉であった。

 訓練を中止したは言いものの、それでは朔はどうするのかというちょっとした問題が起こったのだが、それを解決したのが七夜のご意見番にして黄理の相談役でもある翁である。

黄理が朔の相手を出来ないと決まると、朔の座学教授として名乗りを上げたのだ。

 朔には座学をあまり行わせていない。黄理としてはそういうものは実戦で学ぶことで必要なものは自然と身につく。興味を覚えれば自分で調べ研究するだろうと考えていた黄理は朔に対し座学をやってこなかった。

 それに待ったをかけたのが翁である。

 確かに実戦から覚えることもあるだろうが知識は必要である。知識を学んで備えを知れば選択の範囲も広がり、敵の対応にも役に立つ。それを蔑ろにしてはならない。

 大体その考え方は黄理を対象に前提とさせた話である。人体をどれだけ巧く停止させるかを探求していた黄理は興味の幅は狭いが、それなりの武術などには興味を覚えていた。しかしそのように活発的な七夜は稀であり、黄理にのみ限定したことであった。だから前提からしていかがなものか、とそう言い争って長いが、今回黄理が相手を出来ないということで翁が名乗りを上げたのである。

 朔はほとんどを黄理との組み手で費やし座学をほとんど行っていない。それに対して危惧を抱いた翁は朔の世話を行う女性と共謀することで今回の運びとなったのである。

 事実今日黄理は朔と会っていない。訓練は無いが顔を合わすぐらいは構わないだろうと来客が来る時間前に思った黄理は朔がいるはずの離れにむかったのだが、

 

「おや。御館様」

 

 なぜか翁がいた。

 翁は畳に座り茶を啜っていた。正座で湯飲みを傾けるその姿はいっそ優雅と言える。だが離れにはなぜか朔の姿が見えない。それに疑問を抱いた黄理は朔の居場所を聞いてみたのだが、

 

「さあ? 私も存じませぬなあ。ご自分でお探しになったらいかがですか?」

 

 なにやら好々爺の顔に人を食ったような色を混じらせてのたまったのである。

 それを聞いて黄理確信。

 

 こいつ会わす気ねえ。

 

 だいたいこの時間帯に翁がここにいるのがおかしい。翁は当主の補佐を任された人材で、今の時間は来客を出迎えているはずである。里は結界を張らせていて普通に危ない。なので来客には案内役が必要である。ただでさえ広く雄大な森で、突然変異種やら植物に襲われたら堪ったものではない。そしてその案内役には翁を指名していたのだが、

 

「おやこんな時間でしたなあ。私もついうっかり和んでしまいました」

 

 なんか翁は目の前にいる。

 案内役は今森のルートにいるはずである。しかし翁が離れにいるということは、おそらく案内は他のものに任せたのだろう。でなければこんな落ち着いて茶を飲んではいない。しかしそれはなぜだ。なぜそのようなことを、と考えた結果、翁が何かしら謀をしていると導き出したのである。

 では朔はどこだ、と考えた黄理は翁なんかにわき目も振らず朔がいそうな所に手当たりしだい出向いたのだが。

 

「おや。御館様」

「これまた奇遇ですな御館様」

「そろそろお時間ではないですか?御館様」

 

 そのことごとくに翁がいた。

 離れ、母屋、鍛錬場、はたまた確立は少ないが広場。片っ端に探してみたものの翁としか会わない。朔には会わないし志貴もなぜかいない。

 そういえば近頃になって志貴が朔となぜかしらいる。それはいままでにはなかったことで、朔が拒絶もしていないことから、それまで顔馴染み以下の関係でしかなかった志貴がどうやって朔に近づいたのかと思いはしたが、結果としては良いことである。

 未だ成功もしていない『朔の黄理父さんは発言イベント計画』には大きな足がかりであると言えるだろう。志貴の父としては嬉しいことである。ただその自分に朔がそのような感情を抱いてないと感じている黄理としては残念である。実際自分よりも先に朔と心理的距離を縮めた志貴に少しばかりの嫉妬心を抱いたとか抱かなかったとか。兎に角今後も朔との仲をよくするのは黄理的最重要事項である。

 その朔になぜだか会わせないように動いている翁は黄理からすれば大変うざい。

 先代から七夜のために尽力する翁の存在は一族にとっても黄理個人にとっても欠かすことの出来ない存在である。その知識、経験、修羅場を幾度と無く超え、死線を幾つも潜り抜けた胆力。得がたい人材だと黄理は思っている。

 が、こればっかりはさすがにない。

 彼が貴重な存在だとか欠かすことのできない人材だとか、そんなこと一切関係なく黄理は思わず本気の殺気を翁に叩き込んだ。退魔から退いたとはいえ、鬼神として今もなお恐れられている男が放つ殺気は、胆無き者が触れればあっけなく気がやられ、動物は本能のままに逃げ出す。それを翁に叩き込んだのである。黄理実に大人気ない。

 しかし翁もさる者。そんなの全く関係ないと涼しい表情で受け流した。しかも若干鼻で笑った。

 なんだこいつはと思った黄理は臨戦態勢に突入しようとしたが、来客の時間になってしまい、有耶無耶になってしまったのである。

 ゆえに現在黄理は少しばかり朔成分が足りていない状況である。朔成分ってなんだ。

 客間で見かけ泰然としているものの、少しばかり落ち着きが無い。果たしてどうしたものか、むしろ翁どうしてくれようかと考えを巡らせていると、襖の向こうから人の気配が近づいてきた。

 

「御館様。刀崎様です」

 

 襖の向こうには翁がいた。あいつめぇ、と内心思ったりしたがさすがに客が来ているのに怒気は発しない。

 そうして襖の向こうから男が現われた。

 

 男は、妖怪のような老人だった。

 

 座布団に座る黄理からすればそびえるような高さの身長。2メートルを優に越える身長で、着ているのは擦り切れた着物でよくよく見れば、筋骨隆々な肉体をしていたが、着物から覗く手足が不自然なほどに長く不気味な印象を与える。

 更に特筆すべきはその顔だろうか。深い皺に豊かに蓄えられた白髪と白髭。それだけ見ればただの老人に見えなくも無いだろう。だが、そのギョロリと大きすぎる眼が無ければの話だが。その風貌から黄理には伝承に残る妖怪爺に見えて仕方ない。

 

「邪魔するぞい、糞餓鬼」

 

 妖怪は合わさりあった金属のような声を軋ませ、不遜に備え付けられた座布団によっこらせ、と声を上げ座した。

 

「お前と会うのはいつ振りだ糞餓鬼」

「さてな。もう覚えていない」

「全く。お前らが退魔業から離れたと聞いたときは驚いたもんだ。混血からは鬼神と呼ばれた男の突然の引退。冗談にしては呆れたもんだ。ったく、お前は何様だ」

「それこそ分からん。それより梟。来訪とはどうした。早々に用件を話せ」

「うるせえこの糞餓鬼が。久しぶり交流を楽しむことも知らんのか」

 

 そういて妖怪、刀崎梟は快活に笑った。

 刀崎。

 混血の宗主遠野の分家のひとつ。

 そして刀崎梟は刀崎の棟梁である。

 混血と混血の暗殺を担う退魔の一族だった七夜が交友を結んでいるのは少しばかりわけがある。

 混血は人と魔が交じり合った者のことで、それは超越者であったり幻想種であったりと種は多々いるが、日本において混血とは鬼種と交じり合ったものを指す。そしてその混血を纏め率いる立場にいるのが遠野と呼ばれる混血の宗主たる家である。

 その宗主である遠野の当主はある特別な務めが存在する。それは反転した者の処刑または処罰である。そのため混血は退魔とは時には協力関係を結び、時には天敵となる存在なのである。

 その一例が今黄理の目の前にいる老人、梟である。

 刀崎と七夜は協定が結ばれており、黄理の先代から交流が行われている。それは七夜という武装集団と刀崎の相性が悪くなかったからだ。

 刀崎は骨師と呼ばれる鍛冶師の一族である。武装を造り、刀を鍛える刀崎と暗殺に武器を用いる七夜は売り手と買い手という関係が昔に生まれ、そのおかげで協定が結ばれた。

 

「お前、変わったなあ。機械だった糞餓鬼はどこに消えた」

「……消えたわけではない。ただ、他の行き方を見つけただけだ」

「はっ。今のお前は詰まらんな」

 

 人を馬鹿にするような笑みを浮かべながら、いつの間にか入れられた茶を啜る梟は一拍おいて、

 

「どうも遠野に動きがある」

 

 と言った。

 

 

□□□

 

 

「対象が自分よりも強い存在ならばどうしますか?では志貴様?」

「ん~っと。一度退いてから倒せる準備をする?」

「それもひとつの手で御座います。しかしそれは七夜としては正しくありません」

「そうなの?」

「そうで御座います。では朔様?朔様はどうしますか?」

「殺す」

 

 朔は臆面無く、瞬時にそう答えた。

 そこは里にあるこじんまりとした平屋である。当主の屋敷からは少し離れた場所にあるそこでは現在、朔そして朔についてきた志貴への座学教授が行われていた。

 先生役は翁。長机に並んで座る朔と志貴を相手に和やかな雰囲気で座学を進ませている。生徒役の一人である志貴はなんだか楽しそうにそわそわとしながらこの時間を楽しんでいるようだ。

 それに対し朔であるが、こちらは微動だに動かず、楽しいのかつまらないのかも分からない無表情。その茫洋な瞳は果たして翁を見ているのだろうか検討もつかない。

 今日は朔の訓練が行われなかったため、翁が訓練の時間を使って座学を教え込んでいた。そのために朔の世話を行う方と相談し、来客のある今日に計画を決行。そして黄理の行動を先回りすることで今回の実現と相成ったのである。

 朔は才のある子供で、子供の中では里一番の成長を見せており、その成長速度は黄理が瞠目するほどのもの。だがいかんせん戦闘訓練ばかりである。これはいかんだろうと前々から翁は危惧していた。何者にも座学は必要だ。ついては思考力を備え、戦闘での思考停止を減少させ、生きる確立をあげる七夜にとっても欠かすことの出来ないものである。だが黄理が如何せん戦闘訓練を重視するばかり朔には座学が全く行われていなかった。確かに実戦でのみ得られることもあるという黄理の言も分かる。知っている事と分かっている事の差だ。事前に知識として得たものが実戦に於いて通用しないことなどごまんとある。実戦でしか得られないことがあることもまた事実。だが、それでも知識は身を救う。それが長年七夜として生きた男の言である。

 そういう訳で黄理から朔を一時的に切り離すことで座学を行い始めたのだが。

 

「朔様……。確かに結果的にはそうではありますが……」

「やることは変わらない。殺す。相手が強くても殺すことに変わりない」

 

 いかんせんこの様である。

 黄理の訓練の賜物かはたまた影響か、朔は非常に極端な思考を持っていた。戦闘での問題では七夜として相応しい答えを持っているが、それもまた非常に極端的である。

 曰く、殺す。それだけ。

 それが戦闘における座学で朔が持ちえるたった一つの答えだった。それにいよいよ焦りを感じ始めた翁は志貴にも問題を振るい、選択の幅を広めようとするのだがどうにも功をそうしていない。志貴の答えを全く聞いていないとは思えないが、歯牙にかけていない様子。志貴は志貴で朔にかっこよさを見出しているらしく、朔が答えるたび瞳をきらきらと輝かせて尊敬の眼差しを向けている。どうしようもない。

 だからと言ってここで諦めるのは翁に在らず。これぐらいの困難幾度となく超えてきた。

 

「まあ、実戦はこれぐらいにしておいて、次いでは七夜が持つ魔眼についてお教えしましょう」

 

 とりあえず切り口を変え、攻めを変化させてみた。

 七夜の一族は超能力を保持している。七夜は本来一代限りの超能力を近親相姦によって色濃く継承し、退魔としての活動を可能とさせた一族であり、一族の人間は無制限で超能力を保持している可能性が高い。

 そして、七夜が保持し、望まれ、多くいるのが淨眼と呼ばれる魔眼の一種である。

 それは魔術師などが行使する一工程の魔術行使ではなく、本来から備わっている能力である。目としての機能と認識能力の向上によって備わった視界は通常では視えないものが見えるもので、七夜の淨眼は本来見えないものを視るという能力を期待されたものだ。しかし、もちろんそれが継承されないものもいる。

 

「七夜の魔眼は見えないものを視る能力です。しかしながら一族の人間全てが同じものを見るというわけではありません。私のように継承していない者もいれば、御館様のように人間の思念を視れる方もおられます」

 

 翁は魔眼を保持していなかった。それに気付いたのは早く志貴と同じ頃のことだった。そんなの関係ねえ、と叫んで敵陣に突っ込んだ記憶が懐かしい。

 

「思念って何なの?」

 

 志貴が不思議そうに首を傾けた。

 

「思念とは思っていることで御座います。人間が内で考えていること、それが思念です。普通それは視えないものですが御館様は視えます。この能力は淨眼と呼ぶには余りに弱いもので御座いますが、御館様はこれを用いることで多くの暗殺を完遂しておられます」

「どうしてなの?」

「志貴様は気配の消し方を習いましたか?人は気配を隠せても、思念は隠せないものなのです。ゆえにそれを辿ることで隠れたものさえも見つけ出し暗殺されたのです」

「へえぇ、お父さんすごーい!」

 

 志貴が父である黄理の株を上げているが、これを知った黄理がほくそ笑む姿が思い浮かぶ。しかしながら朔は反応もしていない。こうやって他人から黄理の評価を聞くことで朔の反応も変わるのではと少し考えてのことであったが、それは失敗したらしい。少し無念。だがここで終わってはならないだろうと話を振る。

 

「しかし、朔様は御館様に聞くところ魔眼は未だ発現されていないとか」

「はい」

 こうやって素直に肯定する様は同年代の子供たちと変わらないのだが、無表情で頷くのは少しばかり怖い。

「ふむ……。私は魔眼を持っていないので何とも言えませんが、どうですか?普段不可思議なものが視えるということはありませんか?」

「ない」

「ふうむ……。こればっかりはその人のものですからなあ。外部からの影響から発現することもあると聞きますし、これから焦らずに待つのがよろしいかと思われますよ」

 

 ただそれがいつになるかは誰にも、その人にも分からないが。教授を進めようとすると、一族の者が休憩用に茶と菓子を少々持ってきた。時間的にもちょうどいいのでそのまま休むことになった。

 

 

□□□

 

 

「遠野がどうした」

 

 眼前で茶を啜る梟を睨みつけ、黄理は言った。

 

「さあてな。詳しくは俺も知らんぞ。ただ遠野が何かしらの動きを見せた。ただそれだけのことだ」

 

 梟は黄理の視線を気にするわけでもなく不適な態度を見せるのみ。しかしその内容が、それだけ、という話ではない。

 混血の宗主遠野。古来に鬼種と混じった最も尊き混血。表向き財閥として活動しているが、その影響力は計り知れず。分家も多く刀崎もその一員だが、おそらく組織としては日本一の規模を誇っている。

 その遠野が動く。しかも刀崎の報告から秘密裏のことである。何やらきな臭い、不穏な空気を感じる。七夜は退魔組織を抜けたが裏の人間であることは変わりない。前線から退いたとはいえ、黄理はそのようなことに鼻が利く。

 遠野の動き、狙いを考えるが何もわからない。これは長く生業から離れたこともあるのだろうか。勘が鈍っている可能性がある。

 だが、それでも黄理は七夜の当主。一族最強の男である。

 いざというときには……

 

 

 すると、その時、拉げた笑い声が聞こえた。

 

 

「ひひひひひひひひひゃひゃひゃひゃひゃ」

 

 それは目の前にいる梟の笑い声で、何とも耳障りな笑い声だった。金属が擦れ合わさる悲鳴のような音が客間に響いた。その様は真実妖怪のよう。

 

「なんだ、梟」

 

 内心苛立ちまぎれに声を突き刺す。しかしそれを受けても梟の笑い声は止まらなかった。

 

「ひひひ……。ああ、ああ!笑った。笑ったぞ黄理。久しぶりに面白かったぞ」

「……」

「糞餓鬼。さっき変わったっつったが、あれ訂正するぞ」

 

 

「糞餓鬼、お前全く変わってないな」

 

 

「なに……」

 

 ぴしり、と黄理は固まった。

 

「機械じゃないなんていって悪かったなあ。お前は変わらん。変わるはずがない。人間がそんな簡単に変わるはずがねえんだよ。俺らの原始は動かない。変わるはずがねえのさよお」

 

 そういって、梟は未だ愉快そうにくつくつと笑う。

 しかし黄理にはそれが受け入れられない。朔を預かり、志貴を授かってから黄理は変わった。憑き物が落ちた黄理は自他共に認めるような変化があった。それはただ人を殺めるだけの機械が始めて温度を得たのである。

 それを変わっていないと、変わるはずがと、目の前の妖怪は言う。

 そして、今の黄理にその言葉は許せるものではなかった。

 

「訂正しろ梟」

 

 若干の殺気を込め梟に言う。それはいつでもお前を殺せるという黄理の自信だった。そして黄理は事実目の前の妖怪を殺そうと思えばいつでも殺せる。梟自身は戦闘は可能としているが刀崎の生業が戦闘向きではないのであまり戦闘を行わない。ゆえに殺し合いの場では不利。

だと言うのに、妖怪は、刀崎は、梟は、侵しそうに笑う。

 

「何だ。気付いてないのかお前」

 

 それさえも可笑しそうに、

 

 

 

 

「だってお前、殺人機械の顔になってるぜ」

 

 

 

 

 そう言った。

 それは、黄理に衝撃を与えるには充分なものだった。

 殺人機械?殺人機械?

 誰が?俺が?

 そうして黄理は自らの顔に触れた。

 

 硬く、機械のように冷たい無表情がそこにはあった。

 

「ひひひ……。全く、わからねえ野郎だ。詰まらんヤツだと思えば、いつの間にかいつものお前だ。俺が知っている糞餓鬼だ」

 

 そうして笑い疲れたのか、茶を飲んで梟は笑いを収めた。

 しかし、その言葉が黄理にどれだけ突き刺さったのか、梟は理解して言っているのだから質が悪いと言える。

 昔から梟はこのような男だった。変わらないと言えばこの男も変わらない。

 先代当主に付き従い、始めて出会ったときもこの男は黄理を糞餓鬼とのたまい蔑ろにしていたが、それは今でも変わらない。そう言えばその頃から梟は刀崎の棟梁だったはず。一体年齢はどれほどなのだろう。不老と聞いても案外納得しそうな自分がいることに黄理は気付き、少しばかり口元に笑みが浮かんだ。いつの間にか動揺は消えている。消えていくだろう。

 

「へ、また詰まんねえ奴に戻りやがって。詰まんねえ糞餓鬼は嫌いだ。俺は帰るぞ、こんなわけの分からんとこさっさと退散するに限る。おい糞餓鬼、俺はここにたどり着くまで空を飛ぶキノコを見てるんだぞ。なんだあいつ幻想種か?いつのまにここはテーマパークになってんだこら」

 

 キノコの存在を訴える梟の姿がなんだか無性に面白い。それを見て驚愕する梟の姿を想像すると余計におかしい。シュールにも程がある絵だ。

 しかし、次の梟の言葉は聞き捨てならなかった。

 

 

「そういや、糞餓鬼。お前子供いたな。おい、いつ二人目生んだ?糞餓鬼の子が二人いるとは聞いてなかったぞ。会わせろ」

 

 

□□□

 

 

 最近、志貴が身近にいることが多い。それが良いことなのか悪いことなのか朔には判断しかねるが、おそらくあの日、志貴が朔の離れに訪れたときからだろうか、次の日から志貴が離れに訪れることが多くなった。朔が住む場所は当主の屋敷の敷地内であり、朔が住んでいるのはそこの離れに当たる。志貴はその屋敷の母屋に住んでいるので、当然顔を見ることもあった。だがそこに会話もなく、離れに訪れるような関係でもなかったはずだ。しかし、どうだろう。事実志貴は朔の側にいて、共に時間を過ごすことが多くなった。

 それは離れにいる時だったり、朔が母屋にいる時だったり、はたまた里の内部のどこかだったり、更には訓練の時であったりと多岐にわたる。さすがに朔の訓練に参加することは今の志貴には出来ないが、志貴の言によれば最近頑張っているとのこと。自主訓練も行い始め、今では朔以外の子供のなかで一番強くなったとのこと。何が面白いのか楽しそうに報告する志貴を無感動に見ながら、朔は志貴の話を聞いていた。

 そしてそれに伴い朔と志貴にある変化が現われ始めた。それと言うのも、

 

「兄ちゃん、饅頭おいしいね」

「ああ」

「兄ちゃん饅頭もっと食べる?まだあるよ?」

「いい。いらない」

「そうなの?んじゃ僕が食べていい?」

「ああ」

 

 こういうことである。なぜだか志貴は朔を兄と呼び始めた。そして敬語の禁止を命じられた。敬語はいいだろう。もとからあまり固執していたわけでもなく、本人からの許可をもらってからあっさりといつも通りの口調に戻した。そもそも曖昧だった口調であったため、あまり意識もしていなかった。

 だが兄とはどういうことだろう。自分と志貴に直接的な血の繋がりはない。本来は従兄弟と言う関係だ。それがたまたま当主に預かられた朔を、志貴が兄と呼ぶのである。肉体的には近い存在なのだろうが、果たして事はそんなに単純なことだろうか、と考えたが、

 

「なんで兄ちゃん?」

「ええっとねえ。……なんとなく?」

「そう」

「そうだよ」

 

 と言うことらしい。ならば別に何か問題が起こるわけでもないしと朔は放置していた。事実志貴が朔を連れ回すことはあるがそれも多くはない。訓練の邪魔をするわけでもない志貴の存在はそれだけの存在である。あるのだが。

 

「? 何、兄ちゃん?」

 

 首を傾げるようにこちらを見る志貴。

 その姿は里の子供と同じように幼い。だが自分はどうだろう。朔は考える。自分は他の事はまるで違う。それは見かけとかではなく、存在が別の生物だ。いや、自分は本当に人間か? 確認する術はなく、認識する事も出来ない。だが、志貴の存在を見て、自分との違いを発見することは可能だろうと考えた朔は志貴から離れることもしないし、思わないようになった。それは他人を見ることで自身の異常性を再確認する作業と同等の行為であったが、朔にはこれ以外の方法も対応も思いつかなかった。

 

「なにもない」

「そうなの?変な兄ちゃん」

 

 おかしそうに笑う志貴。変なのか自分は。変なのだろう自分は。きっとそうなのだろう。そして志貴はなぜ笑うのかも理解できず、朔は静かに湯飲みを口元に運んだ。

 現在朔と志貴は里の平屋にて菓子を食していた。本来ならば朔は黄理相手に訓練を行う時間だったのだが、今日は黄理に来客があるらしく訓練は行われないことになった。ならば今日は、ということで名乗りを上げた翁の教授により訓練の代わりに座学を行うことになった。朔のみの話だったのだが朔と共にいた志貴が興味を覚え、急遽志貴も参加という訳で今回の運びとなったのだったが、今は休憩時間とのこと。教授役の翁、生徒役の朔、そして志貴は使用人が運んできた茶と茶の子を楽しんでいた。と言っても朔は茶の子にほとんど手を伸ばさず茶を飲むばかりだったが。

 

「しかし朔様、よろしいので?」

 

 一通り落ち着いたのか、茶を啜りながら翁が口を開いた。

 

「なにが?」

「いえ。座学と今日は言いましたが、朔様は一切何も言わなかったのですから少しばかり心配を」

 

 今日の訓練の中止は昨日に言われたことである。そしてその場で、座学を行うと言われたのだ。翁の言葉で。それに朔はあっさりと従ったのみで、文句も驚きも言わなかった。だが、朔からすればそのようなことはどうでもいいことなのであった。

言われた。それだけで充分だった。それで朔は動く。それしかない。

 

「別に、問題ないから」

「そうで御座いますか……」

 

 朔の言葉を聞く翁の顔の色は一体何なのだろうか。痛ましいような、悔しがるような。それは朔に向けた色なのだろうか。それとも自分に向けた色なのだろうか。

 わからない。わからないから考える。

 考えてみたが、朔には分からないことだった。

 

「さてと、そろそろ休憩は終わりにしましょうか」

 

 いつの間にか茶菓子が無くなっていた。そして志貴を見ると頬いっぱいに茶菓子を含めていて、二人同時に見られたのが恥ずかしかったのかアワアワと慌てていた。それに翁は微笑み、朔は何で慌てているのだろうと思った。

 

「それでは座学の続き参りましょうか」

 

 しかし、もう口の中の茶菓子を飲み込んだのか、志貴が文句を言う。

 

「ええー。まだ座学やるのお?もう飽きたよ翁ぁ」

「ふうむ。それは困りましたなあ、座学が終わりましたら御館様に志貴様のことを報告せねばなりませんのに」

 

 そう言ってニヤニヤ笑う翁にふてくされながらも、結局座学を受けることにする志貴なのだった。やはり父は怖いらしい。

 

「では、今からは人体の構造を――――――――っ!」

 

 突然のことだった。

 強烈な存在感が里を覆っていた。それはまるで殺気を出す黄理のような恐ろしい存在で、ぬかるんだ汚泥のような感触が空気を淀ませる。

 それがこの平屋に近づいてくる。

 肌が粟立つ。筋肉が収縮し、意識が次第に鮮明になる感覚を朔は覚える。

 隣にいるはずの志貴を見る。この存在感に呑まれたのか、震える手は朔の袖を握りしめている。翁を見た。先ほどの好々爺の男は消え去り、その目はひたすらに鋭く近づく存在感を睨みつける。方角は玄関。平屋作りのこの場所からして、それはすぐそこ、左の方向。

 だが、朔は身を襲う不可思議な衝動に身体を固まらせる。

 なんだこの衝動は。これは知らない。これは知らない。

 身体が何かを訴え熱を持つ。精神が何かを叫んでいる。だがこの感情は何だ。

 なぜこんなに突き動かされる衝動が湧き上がる。

――――――――、―――――――――。

 最早内側は雑音が混じり始めている。視界が定まっていない。だが、その存在感だけはやけに知覚できる。

 揺れる、淀む、濁る。

 鮮明。鮮麗。鮮烈。

―――――――――、―――――――――。

 だけど、意識が何かに呑まれていく。それは存在感にではない外部からではない内部から。

 それを抑える術を自分は知らない分からない学んでいない習っていない倣っていない。

―――――――――――、――――――――――。

 音が消えた。

 だが心臓の鼓動がはっきりと脈打っている。

 それは激しい激情を訴えていた。

 だがそれが何なのか朔は分からない。

「           っ」

 誰の声だろう。いや、この声はなんだろう。誰を呼んでいるのだろう。

 身体が震えた。だが何に。精神が咆哮した。だが何に。

 意識が消える。

 もう限界だった。意識が消えることを抑えるのに?

 いや、身体を抑えるのに。

 それはなぜ?なぜ身体を抑える?

 それは、それは、それは、それは、それは、それは……

 それは?

 

 

 

 

 

 

「                 」

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――。

 

暗転。

 

□□□

「子供に会いたい?それはなぜだ梟」

「なに、ほんの興味だ。糞餓鬼の子供っつうんだから期待も出来るってもんだ」

「興味、だと?」

 

 目前の妖怪の言い分を信じれるほど、黄理は間抜けでも警戒心が強い訳ではなかった。

 確かに嘘は言っていない。だが、真実を口にしているわけではない。目的を本意に隠している気配がある。それが自分の子供の命を狙っているのならば話は早かった。懐に忍ばせてある黄理の武器を使用し、首を断てばいい。その後面倒なことになりそうだが、子供の命に代えられるものではない。黄理はあの二人のことは大切に思っているし、未だ関係は微妙な朔もいるが自身の子供として守っていきたいと思う。

 そのためには容赦なく躊躇いなく感慨なく感情なく殺す。殺してその後の面倒も排して殺す。

 まるで殺人機械だと、黄理は思った。そして、それが以前の自分なのだと、認めた。だが、今の自分が機械であるとは、受け入れられない。自分には守る者が、守りたい者がいるから。

 しかし、梟を注視する。そのような気配無く、空気も無い。目的は不明だが殺害が目的ではないことは分かる。衣服を見ても武装を隠し持っているようには見えない。いや、この男も混血。人外のものであることは確か。ならば子を殺すのに武装など不要か。

 ではどうするか。梟を会わすことでメリットはあるだろうか。七夜との協定上は問題ないだろうが、だからと言って会わす必要性はないだろう。

 

 まて、メリット……?

 

「梟、まさか。お前は未だに諦めていないのか?」

 

 脳裏に過ぎった僅かな可能性が黄理の口を開かせた。

 そして梟は質問に答えることも無く、意地の悪い笑みを浮かべるだけだった。

 

 刀崎。混血の一族、遠野の分家。だがそれ以上に彼らは職人なのだ。

鍛冶師として自身の腕で武具を生み出すことを誇りにした者達。そして、それは目の前の男も変わらない。

 刀崎梟は鍛冶師として数々の名刀を生み出した男として遠野でも重宝されてきた男だ。だが、それほどの腕を持っていながら梟の望みはシンプルに至上の武具の作成である。そしてそれは彼が刀工職人であることから生み出されるのは刀に限定されている。

 至上の刀。極上の真剣。それだけを求め続けた。

 この世界には概念武装と呼ばれる反則級の礼装が存在しているが、刀崎梟が求めているのはそれに近い。刀崎には、自身の腕を差し上げる者を見つけた時、その腕の骨を材料に作刀する事を可能とする秘術がある。

 そうして生み出された大陸の山絶の剣に似て非なる性質を持っていると聞く。そして梟は自身が生み出す最高の刀をそれとしている。

 だが、梟は未だにそれを作れていない。その証拠に、梟は五体満足。肉体に欠損は無い。

 理由は単純に梟の目に適う使い手がいなかったのだ。梟は刀崎の棟梁として長く刀を鍛え続けた職人気質な男だった。その梟の目にはどれほどの使い手も、稀代の達人と呼ばれる人間すらも価値の無い人間にしかならなかった。

 黄理が梟の望みを知っているのは、黄理もかつて彼の篩いにかけられた人間だったからであった。

 殺し屋として活躍し始めた頃の話だ。突然現われた梟は黄理を見て、お前じゃない、と言われたのだ。

 そして、お前が最後だったんだがなあ、と小さく呟いたのを、黄理は覚えている。

 それから幾年経った。最近ではめっきり梟は作刀していないと聞く。

 

 だが、もしまだ梟が自身の望みを諦めていなかったら。

 もし、その候補に志貴か朔を見に来たのなら。

 そして、そのために七夜の里にやって来たのなら。

 

「会う必要性は?」

「糞餓鬼の子供と会うのに理由があんのか?」

 

 言葉面だけで考えればその通りのようにも聞こえる。だが、

 

「俺はここの当主だ。俺の子もある程度の立場がある。そして価値もある。ゆえに子を使えば七夜の危険ということにも繋がりかねない」

「はっ、それこそまさかだろ。そんなことやって俺に何がある」

 

 恐らく見当違いな話を振ってみても、梟の表情は変わらない。意地の悪い笑みが梟の本心を曖昧にさせる。だが、黄理は梟の執念を知っていた。

 疑念は疑念を呼び、想定はさらなる想定を生む。そうした結果、黄理が導いた結論は。

 

「お前と会わせても意味が無いだろう。諦めろ梟。お前には会わせない」

 

 僅かにでも疑いがあればそれを排除する。臆病者の発想だ。だが、一族を率いる立場、子を守る立場を考えた結果、会わせないという選択に到った。

 梟は面白くなさそうに、んだあとぉ、と息巻いた反応を見せたが、それもあっという間に消えうせた。

 

「はいはいそうかよ。まったく詰まんねえ奴だ」

 

 ぶちぶちと文句を言いながら、結局そのままその場はお開きとなった。

 

 だが、黄理は知らなかったのだ。

 刀崎梟という男の執念深さを。

 最早、それが梟の生の全てであることを。

 そして疑念を抱くべきだった。

 そんな男が黄理の言葉などに止まることがないことを。

 

 

 

 

 それはだから、それだけの話。

 

 

□□□

 

 

 刀崎梟は混血の一族として生を受けた男だった。それに関して思うことはない。ただそうなのだろうと受け入れた。刀崎は混血として骨師と呼ばれる鍛冶師の一族だった。梟もその一族に習い鍛冶師としての道を歩み始めていった。刀崎の鍛冶とは刀工を指す。長い年月をかけて刀を作ることで、自ら刀崎と名乗ったと梟は幼少の頃に聞いた。そして刀崎の鍛冶は全工程を全て一人が請け負う。砂鉄を集め火にて溶かし、鋼を鍛えて形を造り、刃を研いで鋭さを増し、柄に銘を刻んで名を宿し、刀に合わせて鞘を生む。その全ての工程を誰の手も借りずに行い、そうして完成した刀は一切の歪みなく、ただただ武具として美しい。それは作刀者自身を映す心鏡。刀崎が刀崎たる由縁は、詰まるところ彼らが生み出したものが彼らの象徴たる刀だったのだ。

 そして彼もまた刀崎が生み出す武具に心奪われた一人だった。幼い頃から刀崎が生み出すものを見てきた。ゆえに彼が一族としての義務ではなく、自らの信念を持って鍛冶師となるのは当然の事だったと言える。

 

 砂鉄を見極め、玉鋼を生み出すのは心が弾んだ。

 熱気滾る鋼を鍛え、刀としての原型を作り出すのは歓喜の瞬間だった。

 鍛えた刀を水で冷やし、冷たい輝きを放つそれを見るのは心が安らいだ。

 刀を研磨し、ひたすらに鋭さと美しさを求める時間は至福の時だった。

 柄を生み出し刀と合わせ、その刀の名を刻むのは涙が出るものだった。

 そして刀に見合った鞘を作成し、出来た鞘に刀を納めた瞬間は背筋が震えた。

 

 最初の作品など疾うに忘れたが、それでもそこから梟が始まったと考えれば、それは彼の原始であった。

 刀鍛冶こそ自身の全てであり、それ以外には何もいらないと生き方を定めてからは早かった。梟は多くの失敗と試行錯誤を重ね、駄作を生んでは血涙を流し、完成間際に己が力量不足を感じた時など、身体が分解せんばかりの絶叫を上げた。そうして幾重の刀を生み出し、時間が流れた時、梟はいつの間にか刀崎随一の鍛冶師として堂々と棟梁の座についた。それが大よそ梟、が三十を過ぎたばかりの頃だろうか。

 棟梁として刀崎を導きながらも鍛冶師として多くの武具を生み出し、時は直ぐに過ぎていった。梟が生み出した武具は宝剣として買われることもあれば、その価値に目をつけられ難癖によって奪われることもあった。

 だが、梟は自身が生み出した刀には興味を持てなかった。他の鍛冶師が到底登れない頂にいながらも、常に最高傑作を目指し続け、そして年を取った。年を取ってもなお梟の生み出す刀剣に届く刀崎はおらず、彼は未だに健在であるが、しかし彼は未だ諦めきれていなかった。

 至高の刀を。最上の刀を。人がまだ見ぬ、自分の最高傑作を。

 それをただ目指し続けた。それだけをただ追ってきた。だというのにそれは未だ叶わず、時間ばかりが過ぎて梟の時間はどんどん短くなってきた。年を取りすぎたのだろう。鍛冶師として刀を生み出すことが減ってきた。それだけのことであったが梟にそれは致命的だった。このままでは望み叶わぬまま死んで行く。それは嫌だった。死ぬことはどうでも良かったが最高傑作を作り出せぬまま死ぬことだけは許せない。決して許されざることだ。

 ゆえに梟はある賭けをしていた。

 それは誰にでもない、自身による賭けだ。

 

 刀崎は鍛冶師である。そして刀崎は骨師と呼ばれる一族だった。

 

 骨師。

 

 混血の種族たる刀崎は、人間には不可能な領域に到達できる可能性が秘められている。

 刀崎の者は生涯において、これは、という使い手に出会う時、自身の腕を差し出し、その骨でもって刀を生み出す。

 そして生み出された刀は鍛冶師として最後にして最高の逸品。大陸に伝わる山絶の剣と似て非なる性質を持つとされる。

 梟の狙いはそれだ。

 自身の身を捧げることによって生み出される究極の形。最高の武具。刀崎の最終到達点。例えそれが鍛冶師としての人生の終わりであり、再び刀を生み出すことが出来なくなろうとも、それが自信の全てだと信じ、そして終わりが近い梟にはそれだけが縋れる最後の術だった。事実、梟は自身の腕を差し出して刀を鍛える刀崎を幾人も見てきた。そして出来上がった刀は確かにその刀崎の最高傑作と言える輝きを持っていた。だからだろう。梟には確信があった。自分が生み出すものは、刀崎が未だ到達しなかったものであると。

 だが、同時に問題があった。

 肝心なのは自身の腕を差し上げる者の存在。使い手によって武具は更なる輝きを放つ。ゆえに自身の望むべくもない使い手に差し上げることなど言語道断。

 そうして見極め続けた結果、梟の目に適う存在がいなかったのだ。

 しかし、それでも彼は諦めきれなかった。例え命が尽きようともそれだけは認められない。認めるわけにはいかない。それは自身の否定に他ならない。今までの行き方、自身の理想、信念。全てを裏切ることに他ならない。

 それは妄執、あるいは執念と呼ばれる感情だった。

 ゆえに、賭けた。

 

 七夜黄理。

 

 殺人機械として混血に恐れられ、混血の天敵として恐れられる殺人鬼。鬼神の名を欲しいままにした男ならあるいは、ただ殺人術を磨き続けた男ならばあるいは、と思ったのはいつの頃だろう。

噂はあった。強い男がいると。それはかつてあった男だった。

 出会いはあった。縁もあった。だから見極めにいった。

 その結果。

 

 梟は賭けに負けた。

 

 確かに黄理は素晴らしい男だった。ひたすらに鍛錬し続ける男。己を昇華させ続け、殺し屋としての格は高く、凄まじい。鬼神と呼ばれるだけのことはあった。

 だが、黄理は梟が惹かれる使い手ではなかった。

 殺人機械。

 黄理は殺すことに感慨も感情も持たない人間だった。それはいいだろう。それもひとつの果てだ。だが、黄理の殺意には魅力がなかった。冷たく、無機質な殺意。絶対的な死のイメージを叩きつける殺意。

 梟は古い人間で職人気質な男だった。何かが違う。何かが違うと彼の本能が訴えていた。こんなものではない。自身が捧げるのはこれではない。自身が求めているのはこんな人間ではないと、梟は感じた。

 

 だから、梟は負けたのだ。

 賭けに。人生に。信念に。理想に。

 

 その賭けから幾年経っただろうか。

 梟は刀を鍛えるのを止めた。諦めたのだ。もうじき寿命も終わる。だからそれでもいいだろうと、自分を納得させ、理解させた。これでいい。これでいいはずだと、自身に言い聞かせながら。

 若い者を育成させ、棟梁としての最期を選んだのだ。

 その証拠に、梟の身体は五体満足。欠けることのない身体。

 そうして梟はそのまま終わり、朽ち果てる。

 

 はずだった。

 

 妙な噂を聞いた。

 七夜が退魔組織を抜けてから子供を育てている。殺人機械だったあの男が子をもうけていることも意外だったが、黄理に子供が二人いるという。

 それはおかしいと思った。なぜもう一人いるのだと。

 黄理に子供が生まれたから七夜は退魔から身を引いたなどと聞いた時は冗談にしか聞こえなかったが、しかし、その計算だと子供が生まれたのは五年前。

 七夜と刀崎が協定を結んで長いが、刀崎でもある程度の情報はある。それによれば黄理が子供を育て始めたのは七年前だという。この違い。この差。この二年という年数は一体どういうことなのかと。考えることで梟は憶測した。黄理には子供が二人いる。

 憶測の域を出ない稚拙な考えだと思いもしたが、考えてみると妙に気になりもする。何分昔見極めようとし、違和感に見切りをつけた男のことだ。違和感がなくなっているのではと、消し炭の理想が少し揺れはしたが、梟は見極めには自信があった。だから、それだけはあり得ないと。

 だから、この確認はただの暇つぶしにすぎない。それだけのことでしかないと鼻で笑い、刀崎の棟梁として得た情報、遠野に何かしらの動きが見える、という情報を手土産に、梟は懐かしい七夜の里に向かったのだ。

 そして梟は再び黄理と出会った。随分と顔を合わすのは久しかった。だが、梟は黄理にあった違和感が増したと見えた。それは黄理の変わりようもあるだろう。だがそれ以上に梟の目がフィルターをかけていたのかも知れない。こいつでは、自分の望みは叶わない。

 子供の話を振ってみると。すぐさま反応した。噂と自らの憶測の正しさが真実めいてきたが、黄理は梟に疑念を抱いていた。それの正しさを認めながら、梟は強引な方法を取ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀崎梟は、畏れに身を震わせた。

 空気を壊死させる、殺意。

 質量を持った殺意が生命の動きを許さない。

 身体は軋み、肉体が悲鳴を挙げた。

 視界はノイズ交じりの砂嵐。

 だというのに。その姿だけははっきりと見える。

 小さい身体。鋭い目つきに無機質な瞳。身につけるは藍の着流し。

 

 

 少年。

 少年だ。

 

 

 今しがた平屋の内部から飛び出してきた子供が、姿勢を殊更に低くし、梟を見ている。無機質なその瞳が梟を捉えている。

 七夜の子供。七夜の人間は近親相姦を繰り返すことによって人の退魔衝動を特出していると聞いた。 ならば混血たる梟に反応するのは当然のことだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、震えが止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この少年が放つ殺意。

 膨大な殺意が周囲に放たれている。

 凍るような殺意ではない。冷たく無機質な殺意ではない。

 圧倒的な殺意が梟を、いやそれだけではない里中を飲み込んでいる。

 それは、ただ七夜の人間だからという理由では説明のつかない殺害意思。

 ともすれば、あの鬼神七夜黄理をはるかに凌ぐ圧倒的な殺人衝動。

 眼前に獅子がいる小鹿のような心地が梟にあった。

 こんな子供が持てるようなものではない。

 まるで超越種のような次元の違う存在のように思えて仕方がない。

 それはまさしく恐れだ。自分よりも上位に対する畏れ。

 

 だが、それ以上に。

 刀崎梟の、鍛冶師の、骨師の肉体と魂と精神が子供から目を離させない。

 溢れる殺意に誤魔化しきれない才気。

 そしてそれを揺ぎ無く昇華させる執念。

 それは、機械には無い、もののけの気配。

 まるで黄理のような才を感じさせ、梟に訴えかける。

 そして、梟もまた自身に訴えかける。

 

 これだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだこれだ――――――――――っっっっっっっ!!!!!!

 

 梟の意識が爆発する。眩い光が輝きを放ち、今目の前に現れた子供を目に焼き付ける。魂が歓喜の咆哮をあげた。それは絶叫にも似た、まさしく梟の叫び声。それが刀崎梟の身体を震わせ体中を駆け巡る。誰にも見えなかった、見出せなかった。自分の上位者。自分の腕を差し上げる者、自分の全てを捧げる者――――!

 

 そうして梟は、遂に見つけ、出会ったのだ。

 

「お前……。名は?」

 

 震える身体を抑えることも忘れ、梟はそう問わずにはいられなかった。

 

「■■■■■■!!!」

 

 最早人の言葉ですらない咆哮。発音器官を解していないような大絶叫が梟を突き抜けた。

 

□□□

 

 

 爆発。

 それを表現するにはそのような安易な言葉の他になかった。

 平屋の襖が内側から爆ぜた。事象を短い言葉にすれば、それだけのことだった。

 襖は粉微塵に炸裂し、散弾の如くに平屋の前にいた男、梟に襲い掛かった。それを梟は避けることなく、ただ襖を突き抜け眼前に現われた朔を注視した。

 

 

 その様は虫。

 地面に舐めるようにひたすら低い体勢は狡猾に獲物を絡めとり、肉を貪りつくす蜘蛛の名を借りた蹂躙者に似ていた。

 それが、襖を突き破り、地に四足を這わせながら梟の目の前に出でた。四足に収束された力が解放を訴え、ぎちぎちと筋肉の引き絞られる音が、不気味に静まる里に沈む。

 そう。里は余りに静かだった。ともすれば沈黙のような静寂が里に訪れている。人が生活するうえで音が無いことはありえない。本当の無音とは無のなかにのみ存在している。だが、この沈黙が朔には相応しい。

 

 朔には何もない。自身のものなど何一つ与えられず、手に入れてこなかった。人間の殺め方などは幾つも学んだが、それは自身に帰る望みから来るものではない。それだけが彼にはあったのだ。だが、殺人術すらも自身が望んで手に入れたものでもない。それ以上に、朔には望むなんて大層なものは入っていなかった。中身のない空。空の殻。

 だからだろう。この沈黙こそ朔の居場所に思える。

 その茫洋だった瞳は最早何も写してはいない。光すら届かぬ無機質な瞳は、今この時その無機質すらも無くした暗闇が覗く。だというのに、その目は梟を視ている。

 朔には何もない。それは人格を形成され始める時期に人間との接触がほとんど無かったことに他ならない。離れに放り込まれ、ほっとかれた。周りには使用人しかおらず、それ以外には誰もいない。ただ、遠くに黄理の姿があっただけ。

 今でこそ訓練のために里内に姿を現せてはいるが、それ以前、朔が訓練を始める以前、朔は屋敷から足を踏み出したことが無かった。外を知らず、他人を知らず、人を知らずに育った。

 

 だからだろう。朔には人が育まれるはずの感情がごっそり欠けている。感情は他人から与えられ、そして覚えていくもの。しかし、朔にはそれがなかった。ゆえに今となってはそれが理解できずにいる。

 欠陥の子。持っていない朔はそう呼んでも良い。

 

 だが、だが。

 今この時、この瞬間の刹那に於いて。

 朔の虚無な内側に朔の知らない衝動が宿った。

 いや、宿ったというのは正しくない。それは朔が生まれた時には既に存在していた。無から何も生まれない。ならばそれは最初からあった。

 ただそれに誰も気付いていなかった。志貴も、翁も、黄理も、そして朔自身も。

 

 考え直して欲しい。

 

 

 七夜朔。

 

 

 七夜の鬼才。鬼神の子。

 里の中で朔はそう呼ばれている。七夜当主黄理の手解きを受け、それをこなしあまつさえ黄理を喰らおうとする七歳の子。その才は折り紙つき。里の子では群を抜いて成長し、今となっては大人の者ですら抑えきれない。

 以前、朔の組み手の相手を黄理以外の里のものが受け持ったことがある。たまには違う相手と行うことも大事だという翁の説得から行われたそれだったが。

 結果から言おう。朔の相手をしたものは完膚なきまでに敗北した。現役として活躍していた七夜が、当時まだ七歳ですらも無かった朔に反応も出来ず、喉を潰され四肢を折られた。

 それを知って里の者は言った。

 

 さすが鬼神の子、と。

 さすがは黄理の息子だと。

 

 だが、だ。

 七夜朔は一体誰の子供だったか。

 里の者は故意にか、はたまた自然に忘れていた。

 生まれたのは七年前。黄理に育てられ、いささか噛み合っていないが一緒に生活していると言えるかもしれない。その様は子供にどうやって接すればいいのか分からず距離感に戸惑っている親とそれに無関心な子のように見える。

 

 しかし、朔は黄理の実子ではない。

 

 朔は甥なのだ。二人には直接的な血の繋がりはない。

 

 

 では、朔の父親は一体誰なのか。

 

 

 かつて、七夜に一人の男がいた。男はその類稀な膂力から爆撃機のような蹂躙を得意とし、好みとしていた。殺めることに愉悦を見出し、そして最期には狂気に呑まれた男。

 

 黄理の兄。

 

 それが朔の本当の父親だった。朔が生まれた直後に妻を殺め、黄理自身の手によって討たれた男だった。

 黄理の兄が狂った原因。七夜は近親相姦を重ねることで超能力を保持させたが、それは七夜の者に人が持つ退魔意思を特出させる結果を生んだ。退魔意思とは自身とは存在そのものが違う魔に対して遠ざけたい、排したい、殺したいという人間が隠し持つ意思である。そして黄理の兄はこの特質を色濃く継承し、その結果殺人の快楽であり、狂気に呑まれた。

 はたして、それに気付いていた者はどれだけいたのだろう。

 黄理の兄の子として生まれた朔に才があったのならば、その男の特質を引き継いでいるなどと。

 

 それは梟の混血に反応したものだった。

 初めてだった。突き立ちは始めてこの時魔的存在と対面したのだ。だからだろう。だれも気付かなかった。

 

 

 

 朔はこの時、始めて感情を宿した。

 

 

 

 殺める意思。殺める意識。殺す気配。殺す正気。

 それらが朔のなかに蠢き、解き放たれる。殺気が鳴動し里の空気を軋ませ、生者の正気を奪う。

 感情と呼ぶには余りに禍々しく、荒々しく。

 だが、それは自身から生まれ出でた純なるモノ。

 その存在は濁りなく混ざりの無い朔の感情だった。

 

 

 

「お前……。名は?」

 

「■■■■■■!!!!」

 

 

 

 瞬間、朔の姿が掻き消えた。

 影すら残さぬ瞬間の移動。七夜の体術。それを梟は目前で見ていたのに視認することが出来なかった。霧散するかのように朔が消えた瞬間、梟の老いた身体に警戒音が木霊す。それは長年棟梁として一族を率いてきた混血としての五感の鋭さにあった。

 骨が軋むほどの殺気。

 肌が粟立つ。

 それを梟が回避出来たのはほとんど偶然だった。

 ただ、回避できぬと判断した梟は前方へ無様に転がった。朔の位置も分からぬ故の判断だった。

 梟が飛び込んだ瞬間、梟がいた空間を何者かが通過した。いや、通過とは言い難い。梟には視認不可能な朔がいづれかの方向からか襲撃をかけたのだ。ただ、それが一体どこから来たのかすら梟には分からない。まさしく瞬間の英断。

 だが、一度回避したからといってどうなる。梟には対応できない。梟は混血であるが戦闘を行わないため、そのような手段など取れるはずも無い。しかし、その瞬間にもアレは来ようとする。

 

 再び、気配が近づく。

 風を切り裂きながら、空気を突き抜けながら。

 

 依然梟は転がったままの不恰好な状態。動くには体勢が不十分。回避不可能、回避不可能。梟の生存本能が悲鳴をあげる。死が近づく。

 

 だと言うのに、梟は笑んでいる。楽しくて仕方ないと、肉体が、精神が、魂が興奮し歓喜の声を上げている。事実、朔が強大であればあるほどに梟は子供のように笑うのだ。

 

「ひひひひ―――っ!いいなあ、お前はいいなあ!」

 

 回避不可能な不可視の朔の攻撃を身を捻ることで何とかやり過ごす。しかし身につける着物の裾が引き裂かれた。その瞬間に感じた力強さに心が躍る。肉を引き千切られたような感触が梟を襲った。

 

「何なんだろうなお前、お前って奴は一体何なんだい!こんな奴いなかったぞ、今まで出会わなかったぞ!だと言うのにお前は、お前は――――!」

 

 興奮で何を言いたいのかすらも定まっていない。だが、梟はこの出会いの素晴らしさを教えたくてたまらなくなる。一世紀近く生きてきた。出会うために、巡り合うためだけに。この瞬間をどれだけ待ち望んでいたか、憧れていたか、焦がれていたか。伝えたい、教えたい。この身が張裂けそうな衝動と歓喜の正体を。

 襲い掛かる不可視の攻撃。それを何とかしてやり過ごしていく。だが回避するたびに、梟の身体はかすり傷を受ける。少しばかり掠った指先。紙一重に横切った拳。知覚できぬままにそれらは梟に教える。僅かに触れた攻撃の感触は人間を一撃で絶命させるものだ。

 

「ひひひ―――はははははははははっ――――!!」

 

 朔が、眼前に現われた。

高速で移動し、真正面から梟に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる。それは、ほんとうに偶々だった。流星の如くに梟へ襲い掛かる。その時は刹那。朔を視認してから梟に接触するまでの時間は瞬きほどの時間も与えられず―――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様……!…………どういうつもりだっ!!!!!」

「そのままお前に返そう。お前は一体何をしたっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梟の眼前に、背中が現われた。人外の膂力を秘めた背なの筋肉が盛り上がりを見せる。

 男は、黄理は、梟を守るようにして現われたのだ。

 その手に握られているは撥のような鉄棍二振り。それは黄理の本来の武器。訓練では使用されない、殴打のために使用されるそれを斬殺に用いる、黄理の正真正銘人間を解体する愛器だった。

 それを交差させ、目前にいる朔の腕を抑えている。ギリギリと力がぶつかり合い、朔を抑える腕が小刻みに震えていた。

 梟は激昂した。それは自分の楽しみを台無しにされた子供の癇癪のような、けたたましい激怒だった。だが、黄理はそれに冷酷に返し、朔を見た。

 

「朔!おい朔!どうしたっ!!」

 

 あきらかに正気ではない。黄理の言葉に反応を示さず、その空洞の瞳は何も見ていない。黄理の姿だけが瞳の空洞に映っていた。

 何よりこの尋常ではない殺気。梟が何やら気配を大きくし始めた時点で動いていた黄理だったからこそ、この瞬間にここに来れた。そして、超絶な殺気を感じたのだ。七夜の者でもここまで錬りきることの出来ない、超越種が発するような暴力めいた殺気。嫌な予感に駆られた黄理が見たのは、梟に襲い掛かる朔の姿だった。

 無表情ながら、ひたすらに力を篭めた朔の力みが突如として消えた。

 その瞬間だった。

 

「――――――っ!!」

 

 黄理に真横からの衝撃が襲った。

 

「っく!」

 

 場所は腋の真下。肋骨に重く衝撃が響いた。

 朔が移動していたのは気付いた。瞬間移動めいた動きによって移動した朔に完全に対応していたはず。だと言うのに、黄理は朔の攻撃を防ぎきれなかった。

 朔は現在武器を持っていない。身につけている藍色の着流しにも、武器になるような細工は施していない。先ほどの一撃は防御した黄理の腕を掻い潜って放たれた拳の殴打。幸い骨に異常はない。ただ衝撃が重く残る。

 問題なのは、それを防ぐことが出来なかったという事実だった。

 

「どういうことだ……?」

 

 疑念が黄理の思考を埋め尽くす。

 朔は黄理には届いていない。黄理の実力に届いていない。それは毎日行われている組み手でも明らかだ。朔は確かに強い。だが、黄理に一撃を入れるまでには及んでいない。

 しかし。

 

「っ――!」

 

 またもや、一撃を喰らった。空気の弾けるような音。しかも今度は防御体勢に移ることもできずに。

 真正面に、朔はいた。その爪先が、黄理の腹に突き刺さっていた。固めた筋肉を突き破らんばかりの威力がその爪先にはあった。内臓に少しばかりの痛みが走った。それを無視する形で、再び内臓を狙う追撃の膝を打ち下ろす形にて握られた撥で迎撃する。

 しかし、その疾さのなんたること。目の前で展開される刹那の攻防が梟には見えない。残像すらも残さず、一瞬の過程が省略でもされているかのように疾い。気付けば接触している。

 

 こんな化け物に自分は襲われていたのかと、梟はにたついた猛禽の笑みを漏らした。

 

 黄理の握る撥と膝が打ち合った。

 打ち合った瞬間に鈍い音がした。短い撥がしなり、襲い掛かる膝を打った。折れていてもおかしくないそれを、朔の骨は耐え切ったのだ。

 そして、その時点でようやくその正体に気付いた。

 

「まさか、朔――――っ」

 

 今度は側頭。雷光のように放たれた右蹴りを寸でのとこで防ぐ。地面に四肢でもって着地した朔の目は空洞。それが何かを視ている。梟か、それとも―――。

 明らかに、朔は疾くなっている。それも、黄理がやっと追いつくほどの速度。七夜最強の男が対応できないほどの早さに朔はなろうとしている。

 だが、昨日はここまでではなかった。強くなってきてはいたが、ここまで異常ではなかった。ここまで異様ではなかったはず。だが、現実はどうだろうか。追随なんてものではない。これではまるで―――――。

 

 

 

 

 

 

 黄理の脳裏に、自身が殺めた兄の、狂い姿が一瞬過ぎった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――っ!!!!!!!」

 

 その音は、自動車が追突事故を起こしたようなけたたましさだった。

 肉体を地面に這わすことで蓄えられた方向性の無い力。四肢は地面と縫いあわせるように、身体は低く、顔は上げられて。その力が解放される寸前のことだった。

 黄理の踵が唸りをあげ、朔の顎を捉えた。

 本気の一撃。

常人であれば頭部ごと弾け飛ぶそれを黄理は放った。

そしてそれを喰らってなお、朔は生きている。

 叩き飛ばされた朔は意識をその時には失っていたのだろう、受け身を取ることもできず地面に叩きつけられ勢いのまま転がり、やがて止まった。

 あの重圧のような殺気は今では消え去っている。七夜の里に生気が戻った。だが、朔を打ったままの姿で、黄理はしばし苦悶の表情を作り上げた。

 

 余韻が沈黙の里に染みる。

 それは、何かの始まりを終えた瞬間でもあった。

 

 だが、その静けさすらも里には許されなかった。

 

「黄理」

 

 金属の合わさりあった音が、不愉快な感覚を里に滲ませる。

 

「お前、あれがお前の子供だな……?」

 黄理の背中に問いかける梟。それは質問ではない。最早梟には確信があった。間違いない、あれは確かに黄理の息子だと。あれ以上に黄理の子供と呼べる存在はいないだろうと。

 

「なぜ、教えなかった、なんて言わねえぜ。そんなもんどうだっていい、どうだってよくなった。なぜなら俺は見たのだからなあ」

 

 その表情のなんたる禍々しい。邪悪にさえ見える笑顔を嫌らしくにたつかせ、梟は言う。

 

「だからよう、俺は――――――――――」

「五月蝿い」

 

 冷たい殺気が、梟を殺す。殺してなどいない。だが温度の無い殺気が梟の息を止めんばかりに襲い掛かる。

 梟の喉元には鉄の撥。それが突きつけられていた。

 お前を殺す。完全な意思表示。

 事実黄理は梟をこの場で殺す。何かしらの原因で交戦状態に入ったかは知らないが、十中八九梟に原因があるだろう。その証拠は先ほど感じた梟に肥大した気配。あれは恐らく焙り出し。そうやって七夜を刺激させ、目的の、黄理の息子に出会うつもりだったのだろう。

 それを見抜けなかった、考えなかった自身を黄理は恥じる。自分の考えが足りないばかりに、このような状況になった。判断が甘かったと痛感する。

 梟は最早殺す。その原因となったこいつを許しはしない。黄理の視線が真っ直ぐに梟を射抜く。返答次第殺す。返答しなくても殺す。嘘も、真さえも許さない、機械の目。

 

「なんだ?気に喰わないってか?」

 

しかし、梟は笑みを深めるばかり。殺気など風の如く、より深く、より深く邪は色を増す。

 

「……」

「だんまりってか。はっ、そんなもん、どうだっていい。ああ、糞餓鬼、お前のことなんてもうどうでもいい」

「どうでもいい、だと?」

 

 黄理の殺気が増す。この状況で、この現状においてなお、梟は不遜。

 そして梟は笑うのだ。声を上げて、歓喜の声を上げて、黄理など知らぬとばかりに。その姿のなんて邪悪。梟は緩慢な動作で立ち上がり、ギョロリとした眼の狂気にも似た瞳は朔を見ていた。

 

「俺は見つけたぞ、黄理」

 

 そして梟は言った。

 

「俺は止まらん。もう止まらない、止まるわけがない。なにせ一世紀だ、それだけ待っていたんだよ糞餓鬼お前にはわからんだろうこの気分がこの幸せがどれほど焦がれていたかお前如きにはわかるはずがねえだろうだがだがだが俺は俺は俺は俺は遂に見つけんたんだよ糞餓鬼ぃハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 猛る気持ちが梟を包み込む。諦観と絶望を吹き飛ばして。

 黄理は静かだった。不気味なほどに静か、梟が声を上げれば上げるほどに黄理は静まっていく。梟の望みは知っていた。だが、それは黄理には関係ない。知ってはいるがその価値を理解はしていないのだ。だから、梟の歓喜が耳障りだった。

 最早。殺す。

 そうして黄理は自身の撥を振るう。それはあっけなく梟の首を飛ばし―――――――。

 

「いいのかい、黄理。子供が見てるぜ」

 

 撥が首に食い込む寸前。梟の言葉に黄理の腕が止まり、黄理は反射的に朔を見た。だが離れた場所にいる朔は未だ気絶したまま動いていない。つまりは……。

 

「おとお、さん……」

 

 その声は小さかった。囁きよりも小さな呟きだった。だが、その声を黄理が聞こえないはずがない。

黄理は振り向いた。襖の無い平屋。そこに志貴が怖がるように立ち竦んでいる。その姿、その弱い姿を見て、黄理の殺気は消えてしまった。

 殺人機械。黄理は殺人機械だ。血も涙も無く感慨なく殺す、血濡れの機械だ。だが、それでも、黄理に温度はある。

自分は父親だ。自分は父親なのだ、と噛み締めたのはいつだったのだろう。おそらくそう思った時、黄理は父親になったのだ。

だから、子供が不安になっている時、側にいなくてはならない。

 鎮まる殺気を前に、梟は歩み始めた。黄理に背を向け、里の外へと。黄理は自分を殺さないという確信が梟にはあった。

 

 黄理は詰まらない。理由はたったそれだけだった。

 

 そして黄理も歩み始めた。志貴が不安がっている、少しでも早く側に行ってならなくてはならない。

 

「梟」

 

 遠ざかる、梟に向かって、黄理は背中を向けながら言った。それは事実黄理の敗北宣言に近かった。黄理は梟という男に、梟が持つ執念に結局勝てなかったのだ。

 

「お前には里の出入り禁止を宣告する」

 

 里に金属の合わさりあう、邪悪な哄笑が響いた。


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