七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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 眼前に現われ出でた異様なる者の姿を見て、少女は死神がやってきたのだと思った。


 蒼く輝く瞳は切っ先にも似ていて、闇よりも尚禍々しい殺意を渦巻かせる眼は、間違いなく死神の目であった。


 ならば、自分の命もここで終わるのだろう。何せ死の神が到来したのだ。どう足掻いても自分の命運はここで刈り取られる。


 よかった、と思った。


 絶望の中で生き続けた少女は死の夢想で己を慰める事しか出来なかったのだから。


 いやだな、と思った。


 温かな団欒に溶け込む事を許され、それが得がたいものだと知っていたからだ。


 死にたくない、と思った。


 瘴気を放つ鈍色の銀線が振り翳されながら、何故だか、そう思えた。



第六話 人殺の鬼 Ⅱ

 とある場所。とある時間。時は逆行し、とある場面を映し出す。

 

 

 そこは濃厚な御香の匂いが漂う一室の空間だった。芳しい煙は幾筋も立ち上り、陰鬱な雰囲気にある室内を少しだけ和らげている。和室作りの部屋は梁に吊るされた行燈がぼんやりと明かりを照らしているが、薄暗さは遠のくばかりか、寧ろ闇が増しているような気さえ起こさせる場所だった。流れる気配は粛然としており、一粒の言葉が無と化して消えてしまいそうな予感を起こさせる。

 

 

 むべなるかな、ここは世界の裏側、闇を司る者達の総会であった。

 

 

 そう考えれば薄暗闇が宿った室内は、それぞれの顔を秘匿させる役割を示しており、囲いとして吊られた簾が更にそれを増長させていると言えるだろう。

 

 

「して、一連の騒動、どうとらえる」

 

 

 まずは一人、老人の声音から始まった。彼は今回行われている会合の司会、言わば一応体裁どられた退魔組織の長と呼ばれる立場にある。その声音は痩せ衰え、掠れた響きであったが、言葉は重く室内に浸透した。

 

 

「混血殺し。魔術師殺し。そこに繋がりはあるのだろうか」

 

 

「ある。何故なら殺された者共は皆は魔に関わりがあるが故に」

 

 

 魔、という言葉に室内の彼らは鼻白むことなく頷いた。

 

 

 自然界の産物でありながら人の流れから外れた者共を等しく魔と呼ぶ。それは古来より伝承として語り継がれた昔話に登場する妖怪であったり、また鬼であったりと様々な姿形として伝わっているが、それら皆に通じるものは人とは異なる化物と呼称される類の者達である。

 

 

 だからこそ、人は自衛として魔を排斥し、やがて退魔と呼ばれるひとつの役割が生まれた。今宵行われている今回総会も退魔の話し合いである。

 

 

「ならば一体誰が行っている。浅神か、それとも巫淨か」

 

 

「否。それはあるまい。そもここにいる者達に彼らを切り捨てる利が存在しない」

 

 

 退魔と呼ばれる者にも多種多様な者達が存在する。それは一族として血脈を受け継ぐ者達であったり、秘術の行使によって魔を封じるものなのであるが、ただ彼らが魔を退けるためだけに存在するかと言えば、決してそうではない。しかもこの場に居合わせる者達はそれぞれが退魔の長、あるいはそれに順ずる立場ばかりの者であり、決して己が役割のみを履行している訳ではない。更にいえば退魔と討伐対象にある混血は協定が結ばれている。特に混血の代表格である遠野とは強固な協力体制さえも敷かれている。それは、遠野との協定に旨みがあるからである。

 

 

 組織とはただ目的のみのためだけに運用されるものではない。そこに利がなければない。そのメリットデメリットを話し合うのが今日この日であったが、顔を隠しながら話し合う議題は彼らでも無視はできない事柄であった。

 

 

 ここ数年の内に幾人もの混血、あるいは日本に根ざしている魔術師が討伐されているのである。中には一族もろとも皆殺しにされた混血もいる。そしてその虐殺を捜査している最中に新たな虐殺が行われる。ここに至り、流石の退魔もいたちごっこに付き合わされるつもりもなく、性急な解決案をそれぞれに求めていた。何せ正体の見えぬ相手は徒に行われているのではないのかと勘ぐりたくなるような規模と、その行動範囲によって退魔の手から今もなお逃れており、リストアップさえ行われぬ有様なのである。

 

 

 そのため急遽会談が開かれた。秘密裏に行われた今回の会合は誰の耳にも入らぬように、厳重な警備が施されており、それは無論呪的防備も兼ね備えているため、まずもって使い魔でさえ近づく事は出来ぬ簡易的な砦と化していた。

 

 

「然り。我らからすれば薄氷の上を歩くようなもの。正当性もなく動けば遠野も黙ってはおるまい」

 

 

 重苦しく巌のような声音が空間を物理的に押し潰すかのようだった。

 

 

「しかも虐殺は正しく無差別。反転反逆関係なく討たれている」

 

 

「ふむ。そして対象は魔、ばかり」

 

 

 それぞれに発せられる声は掠れたもの、罅割れたものと様々であったが、朗々と響くそれらは確かに上へ立つものの気概があった。ここにいるのは実力もさながらその知略でもって今の地位を確立させたものばかりであり、その姿は見えぬがそれぞれに放つ気配は覇気、あるいは妖気となって匂い立たせていた。

 

 

 しかしながら議題は堂々巡りをくり返す。

 

 

「何者の手筈か」

 

 

「外の者が入り込んだというのは如何か」

 

 

 間髪入れずに滑り込んだ意見を、顔の見えぬ誰かが簾越しに鼻で一蹴した。

 

 

「よそ者が入り込んだとして、この一件にどのような意味がある。快楽的思考かよほどの莫迦ではない限り態々このような騒動を起こす事もあるまい」

 

 

「それに、そのような莫迦であるならば我らがこのようにして一同に会わずとも疾うに教会の狗共が駆逐しているであろう。違うか」

 

 

 否定の言葉は重く、そして息苦しささえあった。

 

 

 極東という小さな島国においては、かつての大戦以前より外来の魔術師乃至教会、あるいは化物が来日を果たしている。文献によれば六百年続くマキリ家もまた日本へやってきた魔術師の一族である。そのように入り込んできた者共と互いに忌み合いながらも協力体制を敷いているのが、現状退魔組織の有様であった。

 

 

 かつての大戦による弊害は、所謂裏の世界に属する退魔も例外ではなかった。波濤のように押し寄せる新たな文化に潜り込んで訪れる外来の者達。また知識。しかも人員的乃至組織的な問題として運営を行えるのが精一杯だった退魔組織は、強気の姿勢に出れることも出来ず薄氷の協定を結ぶ事によってその体裁を保っていた。

 

 

 それでも、日本の退魔組織が今日まで他の者から一目置かれているのはその凝固さにある。日本がまだ鎖国を行っていた頃、他国との交流を殆ど断った状況で退魔は大陸とは異なる道を歩み始め、遂には独自の術理を得るに至った。その道筋、その地脈の揺ぎ無さは妄執とさえ言える執念でもって推し進められ、結果今日の退魔組織が成立していると言っても過言ではない。

 

 

 しかし、組織と銘は打てどもその有様は『名ばかり』と揶揄されても否めないのもまた現状であった。

 

 

「では、やはり内部のものか」

 

 

「で、あろうな。聞くところによれば、殺された混血達や魔術師たちに因縁はなく、因果もまた繋がってはおらん。全て悪魔の所業であるかのように出鱈目だ」

 

 

 悪い冗談を言うように、誰かが鼻で笑う。この簾や暗闇の帳が意味するところはこの場がただ情報交換のみを目的として使用されているからであり、そこから発生するであろう害を少なくさせるためのものだった。だからこそ幾ら揶揄や罵言が飛び交おうとも、そこから先の争いには発展しない事が最大限の目的であった。

 

 

「……本当に悪魔の仕業であったならばどれ程幸いであったことか」

 

 

「然り。あれらは全て人の手によるもの」

 

 

「しかも相当の手練によるものだ。でなければ、あそこまで無残な事にはならんよ」

 

 

 ここにいる全員はすでに現場の情報を会得しており、現場写真にも目を通している。そうして彼らが目にしたものは、まるで物の怪の蹂躙にでもあったかのような死体の有様であった。惨殺された混血は数知れず、今もなお増加の一途を辿っている状況を鑑みれば、退魔組織であろうとも到底無碍に出来るものではない。

 

 

「酔狂か」

 

 

「あるいは恣意的なものか」

 

 

「志向的なものは見えぬが」

 

 

 誰かがひきつった笑い声を上げた。

 

 

「どちらにせよ、はた迷惑にかわりはない」

 

 

「故に誰何の程を知らなければならない」

 

 

 そして、一様に皆沈黙した。

 

 

 黙考し、事件の犯人を推察するが思い当たるものはいない。近年このような騒動を巻き起こすような輩は自滅の道を歩み、やがて討伐されるのが当然の結末であったが、その姿、あるいは形跡さえ見せぬ虐殺者の行方に思い当たるものはここにいない。それも致し方なし、現場に残されているのは無残な姿と化した死体のみであって、手筈人の手がかりになるようなものは何一つとして発見されていないのだから。

 

 

 ただ一度だけ、その名を口ずさんだもの以外は。

 

 

「……七夜」

 

 

 室内に亀裂が走りそうな緊張が走った。

 

 

 それは戦慄と表していいものだったかもしれない。それぞれに地位を収めた彼らは一筋縄では行かぬ相手であり、驚嘆とは無縁に近い立場にいるからこそ、ただ一言呟かれたワードはさざめきのように広がっていった。

 

 

「……何を莫迦な。彼らは滅んだ。遠野によって」

 

 

「しかし、あの手並み、あの容赦の無さは七夜の者しか思い当たらぬ」

 

 

「では死人が動き回っているとでも?」

 

 

 七夜とは退魔においてはすでに過去の亡霊だった。

 

 

 混血の宗主によって滅ぼされた一族の危機を聞き及んで黙殺したのは彼らである。だからこそ、その結末が如何な者であったかは聞き及んでいるし、また知識として識っている。七夜は遠野に破れ、滅ぼされたのだと。

 

 

「何せ紅赤朱を登用してまで動いたと聞く。七夜が生き残っているなどありえはせん」

 

 

「是」

 

 

 肯定の声音は寧ろ希望を賭して搾り出されたものだった。

 

 

「だが、もし生き残りがいたとしたら」

 

 

「……」

 

 

 再び、沈黙が舞い降りた。それは先ほど降り注いだ静けさよりも重々しく、また殺伐としたものであった。それほどまでに事は重大なものだった。退魔一族七夜。人間としての限界を極め、ただ超能力のみを行使するだけで任務を達成する恐るべき集団。確かに滅んだという報告が持ち上がっているが、そこに生き残りがいたならば?

 

 

 可能性を用いだせば切りがないのは事実であるが、机上の空論とは異なり、そこには希望がない。――――と、皆尋常ではない予感に戦慄した。静謐と化した室内の床、その中央に虚ろを突破して轟音が着弾した。

 

 

 気配もなく射出されたそれは木目に深く突き刺さり、帳越しに口を閉ざしていた者達は突然の変化に瞠目する。

 

 

 皆が注視する先に突き刺さっていたのは、おどろおどろしい瘴気を放出し、闇色の腐臭さえ放つ日本刀のような何かであった。否、事実黒々とした闇が呪いのように滲み出ている。それは空気を汚し、御香の臭いを凌駕する死の香りを撒き散らす。

 

 

 柄に巻かれた数珠、その刃は朽ち果て、今にも自壊してしまいそうな有様ながら、異形としか言いようのない刀であった。

 

 

「――――何者か」

 

 

 それでも誰一人動じる事無く、侵入者へと対応できたのは流石と言うべきであったか。この場の仕切り役でもあるしわがれた声が徐に口を開いた。しかし、口を開いたのは姿を見せぬ侵入者ではなかった。

 

 

『ひひ、ひ……。何者カ? 何者かァだと?』

 

 

 錆びた金属を擦り合わせたような軋み音が室内を満たした。まるで空間に歪な亀裂を走らせるような声音は、闇色の瘴気の中、突き立つ刀から伝わり、ある者の畏れにも似た呟きを溢させた。

 

 

「……その声。真逆、刀崎梟か」

 

 

「否。あやつはすでに討伐されておる」

 

 

 金属音のような声音の持ち主は退魔でもまた名の知れた存在のものであった。刀崎梟。作刀の一族を狂乱の内に没落させた狂気の男。刀剣に魂まで奪われた老人の者に相違ない。

 

 

 だが、梟は混血の宿命として反転し、討伐されたはずであった。

 

 

 しかしながら、刀が口ずさむ雑音は一度耳にしてしまえば忘却する事も出来ぬ彼の刀崎梟のものに他ならない。

 

 

『応よ。その通りダ。刀崎梟はおっちンでる』

 

 

 ぎゃぎゃぎゃ、と耳障りな嘲笑を放ちながら妖刀は言う。

 

 

『そしテ、ここニは俺がいる。そして、もう一人ガな』

 

 

 その言葉に何事かと皆首を傾げ、思い当たった瞬間には頭上へと視線を投げかけた。

 

 

 するとそこには天井の梁にさかしまな姿でぶら下がる何者かがいた。

 

 

 薄暗闇に全容ははっきりとしないが、行灯がぼんやりと映し出す光よりも遥かに炯炯と輝く蒼い瞳は、獣性そのもののようであった。恐らく、彼こそがこの妖刀を抜き放ち、投擲した張本人であり、また幾重もの警備や呪的防備を掻い潜りこんできた侵入者でまず間違いはないだろう。

 

 

 だが、それ以上に皆その瞳の輝き、否、眼差しそのものに心奪われ、竦みあがった。

 

 

 虚ろでどこを見つめているかも判別できぬ眼。ただ鋭い切っ先にも似た眼差しの奥底、蒼穹の輝ける青を模した瞳は濃縮し、凝縮された殺意が不気味な塊と化して渦を巻いていた。その有様にある者は呻き声を上げ、ある者は悲鳴を堪えた。何故なら、彼らはそのような瞳に心当たりがあって当然の者達なのだ。

 

 

「七夜……」

 

 

『ひひ!そうさナ。ここにいルのは七夜朔。ソれ以外の何者でハなく、そレ以外の何者にもなレぬ純粋の殺人鬼よ』

 

 

 朗々と紡がれる骨喰の声は聴衆に成り下がった者達に怯えをもたらせるには充分であった。

 

 

 今しがた誰かが空言のように呟いた机上の空論が、現実となって現われたのである。それだけならばまだ驚嘆さえ寄越さなかっただろう。だが、もし彼らが知っている七夜という存在が彼らの知っている通りであったならば。

 

 

「―――――。―」

 

 

 暗闇の中、その偉容を見せなかった蒼き瞳が瞬き後、掻き消えた。――――瞬間、ごとりという重く硬い音が室内に木霊した。そして、簾に鮮烈な赤色が飛び散り、それは勢いを留めず中央に突き刺さっている骨喰の刀身を濡らした。

 

 

 帳越しに起こされた惨殺を見て、幾人の者達は心胆を震わせた。七夜の者は魔に過剰反応を示す退魔衝動に特化した一族。そして、捲くし立てるように行われた所業に怯えさえ脳裏に過ぎらせた。

間違いない。こやつは七夜。それ以外にありえない。

 

 

 そうでなければ、このような前置きのない殺人は行えない。

 

 

『そうよナぁ、朔。こコには幾人も臭ェ奴らがいルなあ。退魔の癖に魔を宿しタ阿呆どもがな。次ハ誰だァ? 誰を狙うンだあ』

 

 

 骨喰の殺害宣言に戦慄したのは血に魔を宿す者達だった。此度の会合で命を脅かされるなど、終ぞ思いもしなかった者ばかりである。しかし、惨殺は現実として巻き起こった。そして遂には声を荒げる者まで現われた。

 

 

「貴様が七夜だというのならば、これが意味する事を解して行っているのであろうな!」

 

 

「然り!我ら退魔に魔手を揮うとは一体如何なる事か」

 

 

「貴様も早く止めよ!衛兵はどこにありや!」

 

 

 だが、彼らの叫び声は次の瞬間には悲鳴へと変貌して部屋に反響した。再び、三度と血飛沫が舞い上がり、生者の絶叫が死者の絶望となって変異していく。

 

 

『無駄ヨ。何者も朔ノ邪魔は出来ねエ。何者であろウとも朔の邪魔はさせネえ。何せ俺ハ首輪でなけリゃ鎖でもネエ。タだのオンボロ刀よ』

 

 

「つまり、守衛の者共は全滅か」

 

 

 ただ一人、この場を総括していた者だけが、狂騒とは無縁な声音を発した。

 

 

 驚くべきはその胆力であろうか。すぐ隣にいた者が帳越しに殺されてもなお平静を保つその様は、退魔組織を束ねる者として許されただけのことはある。だからこそ七夜朔本人には交渉の余地はないと早々に意識を変え、室内の中央に突き刺さったままの妖刀に問いかけたのだった。

 

 

『ひひ、ひ……。まあ、そうよナ』

 

 

「ならば致し方なし。……で、何が目的だ」

 

 

 仮にも退魔を率いる立場にいる者を幾人も惨殺しているのである。目的がなければ、それこそ七夜とは悪魔に違いなかった。

 

 

『まア待て。慌てテも損するばカりだ。朔が全滅させルまで、アと少しだからよウ』

 

 

「それこそ待ってもらおうか。態々七夜が手を下すのを待つ必要を感じぬ」

 

 

『あ? しかたネえだろう? 何せ朔は七夜で、そこラにいるのは魔なんだかラよ』

 

 

「……」

 

 

 血臭が漂い始めた。

 

 

 決して狭くはない部屋ではあったが、つまりそれほどまでの血が流れたという事である。現に帳の隙間から滲み出る流血がひとつの血溜まりと化して、頭上から見ればその惨事は目を逸らしたくなるような有様になりつつある。首を失い、倒れ伏した体が崩れ落ちる音が、ひとつ、ふたつとした。

 

 

 その音を聞き、簾越しに仕切り役の老人は死体処理を手配しなければと、冷酷に思考し、改めて骨喰に問い詰める。

 

 

「ではお主らはわしを殺さぬと」

 

 

『当然だろゥが。なンたって用事は手前にこそあんダからよォ』

 

 

「わしに、か?」

 

 

 意外な用件に老人は暫し口を閉ざして、ようやく収まりのついた悲鳴の声音が屠殺の終了である事を知った。死者の数は三人、あるいは四人だろうか。それぞれの簾から流れ出る鮮血はやがて臭い立つ血の香りと化しており、正確な総数までは判断できなかった。

 

 

 だが、今のところ死体の数はどうでも良く、侵入者の目的こそ知るべきだった。そして思いつくものはひとつだけだった。

 

 

「つまり七夜を切り捨てた復讐か?」

 

 

 かつて、遠野が七夜を探っていると知り、両者がどういう結末を辿ろうとも構わぬとして静観を行った退魔組織に対し、復讐の刃を向けるのは道理とも思えたが、すぐさま思考は否と唱えた。

 

 

 すでにあの時には七夜と組織は盟約を破棄していたが、それを勘違いして八つ当たりにも似た行動を起こすとは思えない。そして復讐の牙を向けるならば、まずは直接的な原因である遠野にこそ歯牙が向けられる方が道理である。もし、それが分からぬほどの道化であるならば話は別であるが。だからこそ、老人は挑発混じりに問いかけたのであったが、返礼は骨喰の歪な嘲笑であった。

 

 

『ひひひひひひひ! そいつア面白エ! 確かにそれモそれでアりだろうよ。んが、今回はちょイとばかし違ェ』

 

 

「では、なんだ」

 

 

 気付けば言葉を発しているのは両者のみとなっていた。七夜の標的にならず、命を散らせずに済んだ者達は静観をしているつもりか、口を噤んで老人と妖刀の会話を注視している。それを内心老人は情けない、と見下し、七夜の目的を知るため言葉を紡ぐ。

 

 

「例えお主達に何か他の目的があろうとも、ここまでの事を仕出かしておいてそれを果たす保障はどこにある。これでは恫喝と代わりはない」

 

 

『ひひ、ひ……恫喝と来タか。これごトきで、これぐラいの有様で恫喝なンぞ聞いて呆れるなァ。こレでも朔は自制していルかもしれねえんだぜェ?』

 

 

「なるほど。お主では七夜を止められぬ、という事か」

 

 

『ちイとばかし手順ってェもんガ必要でね。だからよゥ、今の状態じゃ無理だわナ』

 

 

 嘲うかのように骨喰は笑う。その実、嘲っているのだろう。それが何に対してかは、この場にいる者では理解できぬ事ではあったが。恐らく、知るのは骨喰のみであろう。

 

 

「して、お主らの目的を聞いてわしらに一体どのような利がある?」

 

 

『七夜朔とイう暴力装置』

 

 

「……つまり、七夜を退魔組織に再び復権させるという事か?」

 

 

 自ら退いた身である七夜が再び退魔組織に復権する。それが意味するところは大きい。

 

 

『おっと、勘違イはいけねえなァ。七夜はスでに滅びて朔一人。退魔に組みするのは朔だけだァ』

 

 

「一人だけ、だと? それこそ土台叶えられるはずもない。個人で出来る事など程度が知れる」

 

 

 老人の言葉を骨喰は邪笑で迎え入れた。その笑いに空間が軋み、硬質化する。まるで悪意そのものであるかのような笑い声であった。

 

 

『七夜黄理ヲ知り、軋間紅摩を知っテる奴が言う台詞とは思えねエなあ、ええオい?』

 

 

「……して、七夜朔とやら両名に並ぶほどとでも嘯くか」

 

 

 両者の名を出されれば流石の老人も口ごもらずを得なかった。暗殺者としての術利を極め、人としての臨界を極めたと評された鬼神七夜黄理。そして存在そのものが秘匿されるべき鬼の末路、軋間紅摩。共に鬼と唄われた両者の名を骨喰は豪語する。個人のみで大破壊を行える人物が他にも外界には存在している事を老人は知っている。だからこそ、先ほどの言葉は苦し紛れの苦悶に過ぎなかった。

 

 

『さアて、どうだカな。そいツあ手前の目で確カめろ。目の前ノ事も含メて、なァ』

 

 

 最早呻き声さえ聞こえぬ空間で、とりあえず七夜朔の殺害は終わったらしいと視線を動かしながら周囲を見定めた老人は、七夜朔を取り込んだ場合の利害を考慮する。確かに直接的手段として暗殺を行使する七夜は、退魔組織として欲しい人材ではある。

 

 

 だが、それは必要不可欠な存在である、というわけではない。あくまで必要条件を満たしているだけであり、しかもその手腕は未知数。どれ程の使い手かは先ほどまで行われていた惨事で理解できるが、その上限が果たしてどこまであるのかが分からぬ相手を取り入れるには、あまりに今ここで失われた損失と、今まで奪われた流血が多い。しかしながら、それを為してもなお復権を唱えると言うのであるならば、それだけの何かがある事には間違いない。

 

 

 では、その何かとは一体なんだ?

 

 

 よほどの利益をもたらさぬ限りは七夜の復権など望むべくもない事等分かっているだろう。ならば、一連の惨殺事件と今ここで行われた殺しの手筈を鑑みれば、七夜朔が手を下した事に相違はないと断定できる。そこで失われた利益と合わせても、七夜が退魔に再び戻れる事なぞ容易ではないのは明らかだ。

 

 

 なのに、なのにである。

 

 

 骨喰は未だおぞましい笑い声を上げているのであった。

 

 

『まア、ここで手土産のヒとつでもくレてやらァ。なあ、朔ヨ』

 

 

 嘯く声音が神経に障る騒音にしか聞こえぬ骨喰の言葉がひとつの契機だったのだろう。簾越しに座っていた老人の頭上から、ぼとりと重たい何かが落とされ、自然と老人はそれを手に取る形となり、目を剥き、総身に震えを走らせた。

 

 

 ――――そこにあるのは首だった。

 

 

 しかし、ここにいる者たちの首ではない。恐らくどこからか運び込まれたもの違いないが、ただ老人は落下してきた首の面容に驚嘆を覚えたのであった。

 

 

 ひどくしわがれ、落ち窪んだ両目に生気はなく、また毛髪もない。髑髏の表面に萎びた皮膚が張り付いているような顔である。声さえ発すれば好々爺のような印象を受けるやも知れぬが、この首の持ち主がそのような人畜無害とは無縁な存在である事を老人は深く理解していた。

 

 

『蟲の翁。間桐臓硯の首だァ。ひひ、ひ……手前らモ困ってたんダろう? こいつに』

 

 

 誰も言葉を発することが出来なかった。無言は時として絶対なる肯定となる。

 

 

 蟲の翁とは間桐臓硯の通称である。

 

 遥か昔、彼は外来した魔術師一族の当主であり、名をマキリ・ゾォルケンから改めた者だった。臓硯は言葉通り、肉体を無数の蟲で構成した魔術師であり、退魔としても幾度となく討伐の手を伸ばしていた相手だった。それは臓硯が己を構成するための糧として人肉を必要とし、つまり人を襲う化物だったからである。故に退魔組織は間桐臓硯が己の領地から離れ、行脚を始めた際には討伐せしめんと討伐隊を派遣したのであったが、その悉くが全滅という屈辱を味わっている。裏を返せば、それほどまでに強力な魔であり、また厄介極まりない怪人であるのだが、その首が今老人の手に収まっている。

 

 

 これが偽者だという可能性は直に触れている本人がありえぬと断じた。何故なら、臓硯は蟲で肉体を構成しているが故に本来人が持つ人体を失っている。肉を失い、その代用として本体を蟲に変貌させた魔術師の肉体が蟲であるという手触りを、老人は確かに感じていた。しかし、だからこそこのようにあっけなく討伐できる相手ではない事を老人は知っている。幾ら肉体を潰せども無数の蟲によって再構成を果たす彼の魔術師は、到底人の手には負えぬ怪物として退魔でも手出しが出来ぬ対象だった。

 

 

「この首が間桐臓硯を構成していた蟲の残骸である可能性もある」

 

 

 搾り出された反論は呻き声を伴っていた。

 

 

『ひひ、疑り深イねェ。確かにそレは蟲の翁の残骸ヨ。最早潰えた蟲の命ノ亡骸に他ならネエ。保存すルほウが面倒だッたってもンよ』

 

 

「……」

 

 

『けどヨ、あッけないもんダったぜェ? アの蟲野朗、簡単に滅んでヤがる』

 

 

「―――――!」

 

 

 今度こそ老人は絶句した。交渉のイニシアチブをとられても過言ではない。それほどまでに間桐臓硯を滅ぼしたという言は老人に衝撃をもたらした。あの不死と称され、魔術の末にたどり着くとされる妄執に取り付かれた化物があっけなく討伐されたという事実がもし本当ならば、七夜朔の腕は予想を遥かに超えている。いや、最早朔は七夜という一族の範疇に収まらないだろう。

 

 

 七夜は混血殺しを主に生業する一族であり、だからこそ外部からの血を要れず、近親相姦のみでその血脈を受け継ぎ、秘奥を継げてきたが、それはあくまで殺しの手筈のみのはずだった。

 

 

 だが、今回七夜朔が討伐したと報ずる相手は退魔の如何なる手錬でも一蹴にされてきた正真の怪異である。それを討ち滅ぼしたというのであるならば、只者ではない。老人は急いで外部へと連絡し、間桐臓硯の死が事実であるかどうかを退魔及び周囲の教会関係者に問い合わせた。

 

 

 もし返答の程が真実であるならば、七夜朔は一個の暗殺者では収まり切れない真実の殺人鬼なのだから。

 

 

『六百年がどウとか、聖杯ガどうとカ末期に言ってたが、大しタこたアねえ。化物が殺されるのは全クもって道理だァ。それが鬼の手並ミによるもんだっタら、尚更そうダと思わねエか?』

 

 

「……して、主らは何を望むか」

 

 

 当然の疑問として、老人は手に収まっていた首を横に置きながら聞いた。間桐臓硯を討伐できる手腕、そしてその功績は確かにこの場の惨殺を帳消しにしても良い程のものである。それほどまでに長い間退魔組織は蟲の翁が及ぼす害に手を拱いていた。しかし、それほどの腕を持ちながら一組織に所属しようという魂胆が解せない。七夜朔の手腕を持ってすればフリーランスの暗殺者として暗躍すれば引く手数多であろう。

 

 

 魔術師を例に挙げれば魔術師殺しとして暗殺を行うものが存在するのである。目的を最優先と取るならば、余計なしがらみさえ発生する組織は煩わしさとなるだろう。ならば、七夜朔もまた自由の身として組織に組みする必要もないと、老人には思われた。寧ろ、彼らにメリットがあるようには考えられない。――――と、僅かな数瞬思考に潜り込んでいた間隙を、何者かの気配が埋め尽くした。

 

 

「―――――。―」

 

 

 簾越し、ぼんやりと灯された明かりの中で佇む男は、床に突き刺さったままの状態である骨喰の側に屹立していた。

 

 

 見上げるほどの長身痩躯。ワイヤーで引き締められたような肉体の表面には幾つもの切創、あるいは判別できぬ傷跡が這っている。その装束は藍色の着流しに、血には染まらぬ白の七分丈を履いている。損失しているのか左腕はない。そして炯炯と空を思わせる蒼色の瞳。その中身に殺意が渦を巻いているのが距離を隔てていても察することが出来た。

 

 

 ――――鬼。あるいは亡霊か。

 

 

 漠然とではなく、はっきりとした感慨でもって老人は姿を現した朔をそう思った。鬼気迫る圧力のようなものは無いが、注視しようと視線を集中させようとすると一重にも二重にもぶれて見えるその有様は尋常の類ではなく、化生の部類に属しかけている者だと断じれた。

 

 

 そして、対面して老人は正しく了見した。

 

 

 まず間違いなく、これは七夜の生き残りだと。

 

 

『ひひ、ひ……トり合えず七夜朔を退魔に復権さセろ。たダし、表沙汰にゃスんな』

 

 

「公表はしないという事か。しかし、何故だ? 七夜の名は魔への抑止にも繋がるだろう」

 

 

『阿呆が。そのほウが動きやすイからに決まってるだろゥ?』

 

 

「……なるほど。では、お主らを知る者はここにいる者たちという事だけと言うのか」

 

 

 老人の発言に死を免れた者達は一様に頷いた。あのような暴虐極まりない存在が自分たちに向けられるなど溜まったものではないと考えたのであろう。ひた隠しされてはいたが、彼らには拭いようもない必死さがあった。凡そ恐れとは無縁な者達ばかりだった事が仇となったのだろう。情けない、と老人は再び内心溜め息を吐いた。

 

 

「して、それでお主達は何を得る。更なる虐殺か、それとも安寧か」

 

 

『んなもン、端から決まってる』

 

 

 そして、骨喰は朔に引き抜かれながら、再び歪な笑い声を発した。

 

 

「遠野への復讐か」

 

 

『それコそ疾うに決まってやガる。……いや、そレこそ道中の過程ニすぎネエ』

 

 

 否定をせず、鞘に収められながら骨喰は嘯く。するとあれほど振り撒いていた黒々とした瘴気は消えうせ、残るのは腐臭の残り香と、耳障りな嗄れ声。

 

 

『七夜朔をもっト高みに立タせる。俺の望ミはただそれだケよ』

 

 

「……高み?」

 

 

 老人が疑問を口ずさむ前に、いつの間にか七夜朔は消えていた。

 

 

 物音ひとつ無く、まるで始めからそこに誰かがいなかったかのように形跡は残されていない。あるのは滲み溜まっていく流血と、傍らに置かれた怪人の頭部のみ。彼がそこにいたと言う事実はそれのみ。

 

 

「……あるいは、七夜黄理を超越するか」

 

 

 誰も知らず、老人は感慨深く一人呟いた。

 

 

 そして、間桐臓硯が間違いなく討伐されており、一族諸共皆殺しにされていたという旨を、臓硯が根城としていた冬木市にある教会の神父から報告を老人が受けたのは、それから少し経った後の事であった。

 


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