七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

52 / 62
 死。人が死ぬというのは、一体どういう事だろう。


 生きとし生ける者は、やがて死ななければならない。それは世界が定めた理であり、また神が授けて下さった慈悲なのかもしれない。


 人は全くの孤独の中、ただ一人で生きる事は出来ない。あまりの孤独に人は耐えられるように、出来ていない。だからこそ死別は悲しく、絶望をもたらせる。


 ならば、死ぬこと事が出来ない怪物は一体なんなのか。


 この世の断りから外れ、死を渇望しながらも死ぬことの許されない存在とは。


 もしかしたら、そういう者こそ化物と呼ばれる存在なのかもしれない。


 嗚呼、化物とは、この世で最も疎まれ、嫌われ、恨まれ、憎まれながらも。


 その孤独を思えば、この世で最も淋しく、哀れで、愚かな、わらべなのかも知れない。



第二話 甘い猛毒

『あなたのやろうとしている事は、完全に無意味です。はっきり言えば、あなたには無理です』

 

 

『……』

 

 

『厳しい事を言いますが、まるで無駄です。力のない者が力ある者に立ち向かう事を勇猛と言いますが、しかしながらあなたのやろうとしている事は見込みのない蛮行。それ以外の何ものでもない』

 

 

『……』

 

 

『何故なら、あれはもう人の手に負えるものではないのです。人の手では抑えきれないものに挑もうと、人は古来より知恵を凝らし、叡智を集めて挑んできました。しかしそれだけでは勝てるはずがありません。……幾つもの命が散った果てに打ち滅ぼしてきたのです。それまでに何人もの生命が果て、何代もの人命が途絶えていきました。……あれはそういうものです。そうやって滅ぼさなければならない相手です』

 

 

『……』

 

 

『なのに、あなたはそんな相手に挑もうとしている。救えない、とは言いません。……ですが、あまりに馬鹿らしい事だと思います』

 

 

『……』

 

 

『だから遠野くん、諦めて下さい。私にはあなたを止める事も、またあなたをここで殺す事だって出来るのです。そんな私さえ止める事も出来ないあなたが復讐なんて出来るはずがありません』

 

 

『……』

 

 

『全て忘れてしまえばいいんです。そうしている間に全てが終わり、何もかもが元通りです。少しだけの間でいいんです。それだけで彼女は目覚めますし、あれも滅ぶでしょう。私が言う事ではありませんが、今この町には私と真祖の処刑人。……そして殺人鬼、七夜朔さえいるのです。正直な話、あれはすでに殲滅が確定されていると言ってもいいでしょう』

 

 

『……』

 

 

『だから遠野くん、後は全部私たちに任せてください。あなたは眼を背けて、光の中に向かって下さい。こういうのは私たちの仕事なんですから』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『……先輩、俺は』

 

 

『遠野くん、その選択は賢くありません。自ら殺されに行こうだなんて、化物のすることです』

 

 

『わかってます。先輩。……だけど』

 

 

『……』

 

 

『だけど……あいつが弓塚さんを殺したのも、俺があの時何も出来なかったのも、絶対に消えてなくならないんだよ』

 

 

 □□□

 

 

 少しばかり古いアパートである。

 

 

 人の気配はするが華やかな彩は無い。風化して罅の入ったコンクリートの壁、少しばかり色落ちした階段。ある意味では極一般的な小さなアパートだ。一人暮らしで利用するならばたいしたことはなさそうだが、家族暮らしとなれば手狭は否めない。そんな外観のアパートである。

 

 

「……ほんとうにここにいるのかな」

 

 

 そんなアパートを眺めながら、陽だまりのなか志貴は途方に暮れていた。気まずげ、と言っても良い。というのも本来ならば、志貴はもっと早くこの場所に訪れていたはずだったからである。

 

 

 昨夜七夜朔への協力要請を終えた後、志貴はシエルの元を訪ねる約束を交わしていたのだが、朔の襲撃により志貴は昏倒して一夜を過ごしてしまったのだった。後の祭り、と言えばいいのだろうか。無理を承知で諦めるようにとシエルの説得を押し通り、迷惑を被らせると分かっていても、志貴は殺人鬼の居所を聞きだしたのだ。だから志貴は疾うに到着していたのに、どうにもシエルの家を訪ねる事が未だ出来ずにいた。

 

 

 あれほど心配をされ、あまつさえ脅しを受けてもなお止まる事ができなかった志貴のことを考慮してくれたというのに、志貴はそれを蔑ろにしたも同然だった。

 

 

 懐にしまわれた紙切れをもう一度手に取り地図の確認をする。紙面には近辺を簡易的に現した線と、目的地を現すマークが書かれている。ただその目印がカレーらしきものなのは何でだろう。触れてはいけないような気がする。

 

 

「仕方ない。……行くか」

 

 

 鉄製の階段を昇り、佇むのとある扉の前。そこで深呼吸をひとつし、ノックする。

 

 

「……入って下さい」

 

 

 沈黙のうちに、扉の奥から声が届く。志貴は一瞬躊躇を覚えたが、ドアノブを握った。

 

 

 部屋は暗かった。遮光カーテンにより日の光は届かず、また電灯も点いていない。僅かに入り込む明かりだけがぼんやりとした光を生み出し、部屋の中を映し出していた。

 

 

 狭い空間の中央。そこに、彼女はいた。

 

 

「――――」

 

 

 志貴は黙して彼女の側に坐った。

 

 

 布団の中で寝かされた彼女は目蓋を閉じ、決して覚めることのない永遠の眠りの中にいるようであった。肩口から除く肌は白く、生気のない表情は苦悶に彩られる事も、また安寧の色を映し出す事はなく、あくまで彼女、弓塚さつきは停止された時の中にいた。

 

 

「本来ならば、外道の法理です」

 

 

 壁際から声が発せられた。志貴が振り返ると、そこには制服姿で佇むシエルの姿があった。

 

 

「吸血鬼化される事なく、心臓を破られただけなので状態としては上々でした。死にいこうとする肉体を仮死保存状態にし、現在は失った心臓を復元するため生命力に魔力を注いで経過を見ています」

 

 

 シエルは冷徹とも取れる声音で話した。志貴はそれを黙って聞いている。

 

 

「全ての条件が揃っていたとしても復活する事は難しいですが……彼女、驚異的なポテンシャルです。魔力が異常なまでに馴染んでいます。もし、彼女が吸血鬼化でもしていたら、それこそ将来的に二十七祖入りしていてもおかしくなかったでしょう」

 

 

 事実、シエルの驚嘆は無視できない事であった。様々な条件が重なって弓塚さつきは生き延びた。しかし、それはただの奇跡では済まされない出来事である。

 

 

 魔道の中では死者の蘇生は珍しくはない。外道の者共が綿々とひた隠してきた歴史においても、死者蘇生は最もポピュラーなジャンルとして周知されている。しかし、おおよそにして彼らが蘇生と銘打つ技術は死者を対象にした肉体の操作に他ならず、その結果に誕生するのはグール、あるいは死者と呼ばれる人の成れの果てである。だからこそ死からの復活は神のみに許された御業の奇跡といわれているのだ。

 

 

 今回、シエルが行った治療はそれにそぐう形で成された。彼女が本来敵対している魔術教会に於いては王冠クラスの腕前を誇る彼女の技量を持っていたからこそ、かつてはその魔術の腕ゆえ、ネクロマンサーの技法すら会得したシエルだからこそ、死ぬ一歩手前に佇む人体の治療、肉体復元、延命を可能としていたのである。

 

 

「その、先輩。弓塚さんは……」

 

 

「今の段階ではなんとも言えません。こちらで出来る事は全て行いますが、あとは彼女次第という所です」

 

 

 それを聞いて、志貴は嗚呼、と一人ごちた。弓塚さつきという少女が今も尚その命をつないで入れるのは、彼女がいたからに他ならない。

 

 

「先輩、ありがとう、ございます……っ」

 

 

 万感の思いに志貴はシエルへと頭を下げた。ともすれば目頭の奥が熱くなり、志貴は声を引き攣らせてシエルに礼を述べた。

 

 

「礼を言われる事ではありません。私はただ自分が行うべき事をしただけの事。それに、もし彼女が吸血鬼と化していたら、私は彼女を殲滅しなければならなかったのです」

 

 

「そんな事、関係ありません。……あの時先輩がいなかったら、弓塚さんは死んでいたかもしれない」

 

 

 ――――焼きついて離れない映像。

 

 

 腕の中で冷たくなる彼女。

 

 

 夕陽に照らされた鮮血色を纏い、美しく微笑む弓塚さつき。

 

 

「だから、ありがとうございます」

 

 

 ともすればシエルは面食らった。それは彼女が今の今まで自責の念に囚われていたからに他ならない。全ては自分に責任がある。強い自意識の元行動する彼女には未然に防ぐことが出来なかったという事だけで罪である。それが目の前で行われた惨劇であれば、その想いは一入であった。だからこそ、彼女は罵倒や、あるいは冷淡な言葉を覚悟していたのだった。

 

 

 しかし、志貴はそんなシエルを許すように礼を述べるのである。

 

 

 なんだか気恥ずかしくなって、シエルはそっぽを向いた。

 

 

「遠野くん、頑固って言われませんでしたか?」

 

 

「はい、弓塚さんにも言われました」

 

 

 どこか誇らしげに、志貴は笑った。

 

 

 □□□

 

 

 対化物殲滅専門集団、埋葬機関。

 

 

 神の御使いが残した預言の守護者でありながら、その道徳に背理する化け者共の掃滅を果たす皆殺しの輩。

 

 

 赦しではなく、罪を武装に悪魔を滅ぼす狂信者。

 

 

 それが自分の正体だと、シエルは語った。

 

 

 場所はメシアン。シエル御用達と紹介されたカレー専門店である。そこのテーブル席にて志貴とシエルは向かい合うように座っていた。先日から何も食していなかった両者はシエルの提案により、この場へと脚を運んだのである。最初志貴は弓塚さつきから離れるのを渋ったが、「お腹が減っていては出来ることも出来なくなりますよ」というシエルの言に従ったのだった。食事はすでに終えている。満面の笑みで楽しそうにカレーを食べるシエルを見て、志貴はこの人本当にカレーが好きなんだな、と思った。

 

 

 一息ついて、言葉を発したのがシエルだったのである。

 

 

「どうです、驚きました?」

 

 

「まあ、それなりには……」

 

 

 とは言え、志貴としてはあまり驚くほどの事ではなかった。何せ、すでに彼はシエルの技量を見た人物であり、またあの吸血鬼と遭遇した男である。これでシエルが一般人であるというほうが疑念を深めるだろう。

 

 

「もう少し驚いても良かったんですよ?」

 

 

「はあ、そうですか……。確かに先輩がとんでもない人だというのは理解していましたけれど。あんまり、実感みたいなものがないです。……ゴーストバスターズみたいな感じですか?」

 

 

「……今のところはそれぐらいの理解でかまいませんよ。けど、……それは」

 

 

 どこか不満げなシエルである。確かに自分達の使命が某映画に登場する白色のずんぐりむっくりなマシュマロマンを退治する科学者と同列で扱われるのは、些か抵抗があったのであろう。

 

 

「ん、んっ。では、自己紹介も終えたところで今後の話でもしましょうか」

 

 

 微妙な空気を振り払うような咳払いの後、シエルはにこやかな笑みを消し去り志貴を見た。

 

 

 弓塚さつきの側から離れ、カレーを食べにきたのはシエルの要望であるが、それだけが用件ではない。寧ろ今後の建設的は話をするために外出をしたのである。無論、腹ごなしも含めた意味合いでもって。

 

 

「まずは確認です。本当に遠野くんは引く気はないのですね」

 

 

「はい」

 

 

 志貴の頷きにシエルは顔を歪めた。

 

 

「……本来ならそれは私が果たすべき事です。ですが私は弓塚さんの治癒経過のため、しばらくの間彼女の側から離れる事が出来ません。それはつまりあなたを助けてくれる人がどこにもいないという事です。十中八九、あなたは死にます。それでも、行くのですか?」

 

 

 問いへの裏切りを望むような声音でシエルは聞いた。その表情には志貴を心配するものと、納得のいっていないそれが含蓄されていた。しかし、志貴の気持ちは最早変わらない。

 

 

「先輩、俺の気持ちは変わりません」

 

 

「そう、ですか」

 

 

 一度目を伏せて、シエルはおもむろに口を開いた。

 

 

「相手は吸血鬼です。莫迦らしいほど超越した身体能力、また眷属を増やし操作する統率力、更に超越種としての再生力、また五感や瞬間的能力は正に人類以上のものを誇ります。正攻法ではまず勝てません。瞬く間にこちらが死体と化すでしょう。ですが、そのような相手を我々埋葬機関のメンバー、あるいは聖堂教会の代行者達は討ち滅ぼしてきました。何故だかわかりますか?」

 

 

「純粋に先輩達が強い、とか?」

 

 

「……あながち間違ってはいません。私たちの中には人類種を超越した能力を秘めたものたちがいるのも事実です。ですが、それは吸血鬼も同じ事。吸血鬼達を統べる吸血鬼として死徒二十七祖と呼ばれる化物たちが存在します」

 

 

 死徒二十七祖。その名を志貴は先ほどシエル自身の口から耳にしていた。

 

 

「彼らは生命という範疇さえ超えた現象として存在する者もいるのです。……ここ数日の内に討伐されたネロ・カオスは二十七祖で言えば十位につく真性の怪物でしたが、彼は自分の中にひとつの世界を内包して活動する起源の混沌であり、彼からすれば人間は捕食対象でした。まず勝ち目などありません。そのような相手に敗北するとわかっていながらも立ち向かうなんて、まともな人がすることじゃありません。……では、どうするか」

 

 

 古今より、異形の者と覇を競うように人間は戦ってきた。あるいは闘争の歴史こそが人類安寧の証左であると表現しても過言ではない。しかし、彼我の差は歴然である。それをどう埋めるか。ここに人類は叡智を注いできた。だからこそ、異形との戦法は古来からオーソドックスなものがある。

 

 

「答えは簡単です。彼らの土俵に付き合わなければいいのです」

 

 

 純粋な力と力のぶつかり合いならば、より強いほうが生き残るのは同然である。しかし、まともに戦いを望む者は稀であり、人類は知略でもって戦い続けてきた。

 

 

 伝承によれば、この地に古くいたとされるヤマタノオロチを討伐せんとしたスサノオノミコトは酒を飲ませ、酩酊のうちにその首八つを叩き落した。化物を殺すにはそれなりの対処が必要なのである。

 

 

「遠野くんは持っているのですか? そんな莫迦らしいほど隔絶した存在を相手に、殺せるものが」

 

 

「……」

 

 

 そう言われると、まともに頷く事が出来ない。志貴は如何せん安楽の中を生きる高校生である。闘争の中に身を投じようなどと、今まで考えようともしなかった普通の少年だった。無論、そんな己が吸血鬼を相手に太刀打ちできるとは、思えない。

 

 

 ただ、それを素直に受け取る事が出来ないのもまた、この志貴という少年だった。

 

 

 果たしてまともに通用するとは考えもしないが、それでも現実を鑑みれば如何に自らが愚かな事をしようとしているのかがよくわかっている。何かないか、何かないだろうか、と志貴は己を胸の内に問いかけても、あるのは虚しい穴ばかり。

 

 

 そんな志貴をこれ見よがしにシエルは嘆息し、端から期待していなかったと告げる。

 

 

「あるはずがない。それが普通です。寧ろ、あったほうがおかしいです。だから遠野くん、あなたは何もしなくていいんです」

 

 

「先輩、だから俺は……っ」 

 

 

 頭の固いシエルに対し、声を荒げようとした志貴を慰めるように穏やかな声で、シエルは提案する。

 

 

「違いますよ、遠野くん。確かに、あなたは普通の人です。ですが、それがいいと私は思います。何も持ちえないあなただからこそ、あなたは何もせず、七夜朔に任せればいいのです。彼ならば、あれぐらいの化物はあっけなく殺す事ができるでしょう」

 

 

 七夜朔。先ほどまで、同じ空間の中にいた一個の殺人鬼。殺害を呼吸のようにくり返す、人でありながら人でない者。

 

 

「希望的考察になりますが、彼は己の仕事自体はきっちり行う方だと思います。腕の方も問題なく、また契約の不履行も行わないでしょう。なので、あなたは彼が行う処理を見届ければいいんです」

 

 

 つまり、それは。

 

 

「……見てるだけでいい。という事ですか」

 

 

「はい。……本当は、目に入れる事さえして欲しくはないんです。ですが、感情の発散は誰にでも許される唯一の救いです。仇を七夜朔に討ってもらう。それが最善です」

 

 

「……」

 

 

 確かに、シエルの言うとおり現実を見るならばそれが最善。どう足掻いても届かぬ相手を他の者に任し、仇をとってもらうのは言葉だけ聞けば実に合理的であり、また魅力である。

 

 

 だが、それにはどうしても志貴の感情が納得できない。まるで癇癪を起こした子どものように志貴は意固地となっている。それほどまでに志貴の中であの時の出来事は、ひとつの呪詛として黴のようにこびりついていた。

 

 

 そして、そこまで話を聞いて志貴は違和感を覚えた。

 

 

「なあ、先輩。あんたはどうしてそんなにあいつを信用してるんですか」

 

 

「――――」

 

 

「考えてみれば、何だか前々から七夜朔を知ってるみたいじゃないか」

 

 

 志貴の疑問に対し、シエルは一度水を口に含み、どこか己の中でも消化不良のように眉を顰めた。

 

 

「信用、という言葉は違います。ですが、遠野くんの質問に答えるなら、私は確かに七夜朔を知っていると言えるでしょうね。そうでなければ、あなたに彼を紹介する事なんて出来ないじゃないですか」

 

 

「……確かに」

 

 

 説明を噛み砕き理解しながら、志貴は低く頷く。一度に聞いた事が多すぎて、すでに志貴の脳は計算処理が追いついていない状態にあるのである。しかし、志貴は聞かなければならないのだ。

 

 

「じゃあ、あいつについて何を知っているんですか?」

 

 

「……そうですね。あまり私自身多くのことを知っている訳ではありません。ただ、彼とは一度共闘しただけの関係です」

 

 

「共闘?」

 

 

 思わぬ言葉に、志貴は首をかしげた。

 

 

「はい。……先ほど言ったネロ・カオス。彼を倒すために。遭遇戦のような形で、更にお互い素性も知らない相手でしたから、あれを共闘と呼んでいいのかはわかりませんが」

 

 

 苦笑してシエルは己の発言が間違っていないと確信を持って言う。

 

 

 シエルの脳裏にはあの日の戦闘が今も尚焼きついている。抉れた舗装道路とへしゃげて根元から吹き飛ばされた木々。次から次ぎへと襲い掛かる漆黒の使い魔。彼らが放つ濃厚な獣臭と血の香り。夜の最中で巻き起こった三者の殺し合いは、戦争もかくやという状況に陥り、決定打の見えない応酬が詰みあがっていった。

 

 

 それに対峙する己と、あと一人。

 

 

「彼はまともな人ではありません。死ぬことがわかっていても突き進む事をやめない動き、そして襲撃。その軌道。幾度も七夜朔は彼に届きました。刃で、手足で、体ごとで。甚振られ、体がぼろぼろになって前に進む事さえ出来なくなりながらも、彼はあの怪物に挑んでいったのです。……正直、代行者を凌ぐ執念を感じました。人間のままで、あれほどまで昇華出来るのは並大抵の苦行を行ったとしても作れるものではありません。結局、彼を倒したのは私たちではなく白い姫君だったのですけどね」

 

 

 茶目っ気を隠しもせず、彼女は苦笑した。あの瞬間の戦歴を思い返してみれば、それは致し方のないものであった。

 

 

 突撃をくり返す七夜朔の無謀にも似た攻勢に巻き込まれる形で戦闘を繰り広げた自分と、それを戯れの如くに打ち払う混沌の吸血鬼。最終的にネロ・カオスは七夜朔の練り上げられた自我と肉体に関心を示し、七夜朔を取り込もうとまでしたのである。

 

 

 互いに歴戦を重ねた存在でありながら、間違いなくあの瞬間は七夜朔が戦闘の動静を握っていた。

 

 

「だから、彼の腕については保証します。彼ならばあの吸血鬼を打破する事が出来るでしょう。……しかし、だからと言って信用しすぎるのはダメですよ。なんて言ったって彼は殺人鬼です。警戒はしすぎるのに越した事ありません」

 

 

「……なるほど。わかったよ、先輩」

 

 

「本当ですか? なんだか遠野くんは簡単に彼に近づきそうな気がするんですど」

 

 

 胡乱な目つきであるシエルを志貴は説得できるはずもなく、志貴は甘んじて受け止めた。

 

 

 それからしばらく、二人は歓談をした。学校では何が流行っているか、食堂のお勧めは何か、普段何をしているのか、有彦が行ってきた数々の所業。途中、シエルが弓塚さつきのどこがいいのか聞くと、急に志貴が顔を赤らめるなどもあり、実に和やかな食事だったと言えるだろう。

 

 

 そして、いざ店を出ようとしたとき志貴は真剣な表情をするシエルに呼び止められた。

 

 

「遠野くん。骨喰には気をつけてください」

 

 

「骨喰って、あの五月蝿い日本刀?」

 

 

「はい。彼は悪意で構成された呪詛そのもの、あらゆる負の感情を押し込んだ妖刀です。討伐を実行するのは確かに七夜朔ですが、あの刀に一番注意を払ってください」

 

 

「どうして?」

 

 

 店先に出て、シエルは振り返り志貴を見つめた。

 

 

 その瞳には冷淡の影に、どこか嫌なものでも思い出したかのような苦い感情があった。

 

 

「恐らくですけど」

 

 

 そこで、ひとつ言葉を区切り。

 

 

「七夜朔は骨喰の支配下で操られています」

 

 

 と言った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。