七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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信じる心とは、緩やかな退廃に身を任す麻薬だったのですね。

それでもたゆたうように貴方をお待ちすれば、私は蛹となって、貴方が私の身に触れるその時をお待ちしております。

例えその時に、貴方の事がわからなくなろうとも。



第一話 甘い猛毒

 時南医院の外は昼の気配がいよいよ高まり始めている。それによって暗がりの住人は影や闇へと追いやられており、日の出る時間は生者の時間帯だった。

 

「―――、―」

 

 沈黙に耳が痛くなるほどの静寂の中、七夜朔は壁に寄りかかり、じっと座っていた。

 

 彼以外に誰もいなくなった時南医院の診察室の空気はどこか味気なく、医療に関する場所だという理由だけでは説明できない簡素さが蔓延っている。窓から光が差し込んでいるというのに生気のない室内は、まるで死体安置室のような寒気さえあった。

 

『ひひ、ひ……』

 

 室内に金属が裂かれた様な声音が軋む。先ほどまで使用者のいたベッドの上、そこに放り投げられた形でもって骨喰はあった。

 

『真逆、遠野と七夜が協力するたァな』

 

「―。―――」

 

『アイツがこれを知ったらどオ思うかねェ。……七夜を恨ンだ男が残した末路がこのザマたァ。ひひ、ひ……痛快痛快。世界は愉悦に満ちている。なァ、朔?』

 

 骨喰は問い、七夜朔は応えない。

 

 骨喰の声音に感慨の色はなく、あるのは嘲笑の響きのみだった。だが、骨喰は骨喰であるが故に七夜朔以外の事象を下に見る。自身の〝宿主〟たる朔にとってそれが如何ほどの因縁であろうとも、人外の刀剣である骨喰にとってそれら全ては娯楽に等しく、そしてそれ以上に無意味であった。骨喰が妖かしの剣であるが故に。

 

「――――」

 

 しかし、朔は骨喰の声音に気づかぬようだった。瞳を閉じ、口元を開かぬ姿のままで朔がおぼろげな追想を重ねる。

 

 意識は物音を度外視し、ひたすらに潜行を重ね、そうして呼吸のように精神は伸縮する。

 

 目蓋の裏には、先ほどまでいた遠野志貴の姿があった。

 

 映像の中、志貴は咄嗟に動く。その動きはあまりに稚拙な駆動であった。それでは朔の襲撃を回避できる道理はない、はずだった。

 

 だが、志貴は事実ベッドから転げ落ち、命からがら難を逃れた。不自然な点は何も無い。寝そべり状態からの回避運動は朔の初動の後。筋肉動作、関節駆動から見てもそれは明らかだった。

 

 では、何故あの遠野志貴は朔の一手から逃れられた?

 

 素人ゆえの幸福。それはありえない。朔は暗殺者であり、また真正の殺人鬼である。そのために成り果て、在り果てた磨耗による過去の所業がそれを証明している。例え蟻の一匹であろうとも全力で殺し尽くす所存は最早病的と形容して良い。そのような存在が、動きの温い素人のたかが幸福を殺しきれぬはずが無い。

 

 何故ならあの時、朔は志貴を殺そうとして襲撃をかけたのだ。

 

 それに先日、遠野志貴は死者の襲撃を受け、それを返り討ちにしている。

 

 アンバランスなのだ、遠野志貴は。

 

 化物を殺す技量、そして覚悟を口にしながらそのスタンスは曖昧であり、正体が掴めない。決して素人ではない。骨喰はそう了見している。

 

 理由があるはずだ。

 

 朔と対峙し、生き延びた少年には何かあるはずだ。

 

 それが骨喰の見解だった。

 

「――――骨喰さま」

 

 第三者の声が診療室の中に生み出された。

 

 扉の向こう側から姿を見せた人物は黒頭巾を被り、人物を特定させぬ黒衣装を身に纏った人間だった。総身を黒で染め上げた没個性により、黒頭巾は何者でもない誰かであり、ひとつの記号としての役割を当然の如くにあらわしている。ある意味で自己を封殺した証だった。

 

 しかし、それも当然。朔と骨喰の前に出現した黒頭巾は自らの願いに従事し、そのために自らを殺した存在である。

 

『来たか、刀崎。……報告を寄越セ』

 

「は」

 

 骨喰の命令に黒頭巾はベッドの側へ近づくと恭しく跪き、粛々と頭を垂れた。容易く。

 

 それは、寝台に座す殺人鬼の前に自らの首筋を晒したと同義であった。殺戮と虐殺を重ねる暗殺者に対し、致命的な箇所を何のおくびも無く晒すその精神は如何ほどのものか。事実、朔が動けば黒頭巾の首は実った林檎をもぐように千切られる。

 

 しかし、黒頭巾はそれを知りながらも恭しく跪いていた。

 

 黒頭巾のものにとって、己が生命は〝あろうがなかろうが〟どちらでも構わないのだ。それはこの目前に跪く黒頭巾のみの話ではない。全刀崎に共通する信念である。

 

 だから生命ではなく、刀崎は自らの本能に嬉々として従い骨喰への崇敬を示す。

 

 それは忠誠を、あるいは畏敬の念を体現した狂乱だった。

 

「具申いたします。遠野志貴。現在十七歳。このあたりの高等学校に所属し、付属は2年C組。また学友との関係はつかず離れずといったところ」

 

『ひひ、ひ……それで?』

 

「は。遠野自身は貧血を患っている状態であり、それによって部活動には所属せず、また武門の道には手を出せない様子。貧血は遠野志貴が八年前、交通事故によって重態の身から受けたものと。更にそれが原因で遠野本家から追放、後遠野分家筋にあたる有間に身を寄せる。しかしここ数日の内に遠野当主が入れ替わった事によりそれが排除、以降遠野本家に復縁し遠野邸にて過ごす、と」

 

「―――。―」

 

 ぴくり、と。

 

 朔の閉じられた目蓋が震えた。

 

 しかし、それだけだった。

 

『能力は何か分かったか?』

 

「いえ。しかし彼の者が魔眼殺しを手に入れたのは、少なくとも事故後の事かと」

 

 身動ぎもせず、また淀みなく黒頭巾は調査報告を口にする。だが、そこに感情の色はなく、また抑揚すらない。まるで機械音声のようだった。

 

『しかし、追放ねェ。あの身内莫迦が、まァなンとも……』

 

「どうやら遠野当主には親戚等の圧力があった様子」

 

『ひひ、そういうこったか。……ンで、理由は』

 

「身を患う軟弱者に遠野の人間としての資格なし」

 

 簡潔に黒頭巾は言った。

 

『はっ! そら確かにそン通りだァ』

 

 当時の親戚一同が行った所業は非人道的行為やも知れない。けれど、黒頭巾からすればそこに義憤も、また悲哀も見出せない。そこにそれ以上の価値がないからだ。情報は情報であり、そこに感情は必要とされない。

 

 だが、骨喰からすればそこに嘲笑を見出すには充分すぎるほどであった。

 

『ひひ、ひひひ。遠野に相応しくない〝人間〟だァ? 人間、人間、人間か!! ひひ、ひッ! 確かにその通りだ。ンな腑抜けた野郎共から、ンなこと言われる野郎が遠野にイられるわけがねェ。遠野が人間、人間かアッ!! ひひ、ひ……笑っちまうぜエおイ! 腑抜けから追ィ出された出来損なイか。はっ! 悲劇か喜劇だな、それは。化け物共の巣窟から化物が生まれンとはなァ!』  

 

「おっしゃるとおりでございます」

 

『つまり言うと何かイ? 遠野志貴は手前の中にある物のみで化物を殺し、朔の一手を回避しちまったとォ、手前はそう言いたいノかい? 高々出来損ないが朔から生き延びたと、手前はそう言いたイたいのカぁ?』

 

「恐らくですが」

 

『ひひ、ひ……そいツは傑作だナァ』

 

 背筋を震わせながら、深々と黒頭巾は頭を垂れ、骨喰の軋んだ笑いに聞き入っていた。黒頭巾、刀崎にとって金属の悲鳴にも似た骨喰の声音は天空から降り注ぐ神託と同じ響きを秘めていた。それは黒頭巾以外の殆どの刀崎に共通する概念であり、それを誰も不思議に思わない。

 

 狂っているのだ、皆。

 

 彼らは骨喰の作刀者、今は亡き刀崎梟の魔性に心を囚われ、その身を捧げる事に何の躊躇いも持たない異常者と化していた。元からそうであった者共が、彼らより生まれし異端によって魂を奪われ、梟が死してなお心酔しきっているのである。

 

 あるいは、彼らこそ真正の刀崎と呼ばれるに相応しいだろう。

 

 刀剣に魅せられ、作刀に己が人生を捧げたから刀崎。それから外れるとは自らを廃棄したと呼んでもいい。刀崎たる刀崎である彼らからしてみれば、それは愚でしかない。

 

『ンだが、出来損ない、ねェ? なンか聞いたこトあるが、一体何だったか?』

 

 しかし、情報を聞いて怪しげなものは見えない。寧ろ遠野志貴が己の素養のみで殺しに身を投じているのだと、骨喰は確信する。

 

 そこに技量はない。過去がない。厚みの無い、薄っぺらな背景が見え隠れしている。

 

「私には皆目検討も尽きませぬ。ですが、そのような者であろうとも遠野の長子。何か腹に抱えている事は確かかと。……よろしければ首を取ってまいりますが」

 

 何とはなしに、黒頭巾は言ってのけたが骨喰はそれを否とした。

 

『遠野と戦争かア。ひひ、そいつは面白いな。ああ、全くもって楽しそうじゃねエか。……けど、殺すにはまだ早エ。ひひ、ひ……やるからには朔が縊る。こいつの手で、遠野を滅ぼす。手前じゃネエ、朔がヤル』

 

「は。差し出がましい愚考、お許し下さい」

 

 骨喰の言に黒頭巾はちらりと視線を上げ、朔を見やった。

 

 だが黒頭巾の瞳にはベッドに座る朔の気配が、如何様な事かぶれて把握できない。まるで霧に包まれたように曖昧で、時折意識しなければ目前から消えてしまうかのよう。無論朔は移動せず、そこでただ目蓋を閉じているのみ。藍色の着流しははためかず、長い手足も動く様子はない。

 

 けれど、黒頭巾はそれ以上に、視界の中に写る骨喰を見てしまった。

 

「――――ォォっ!」

 

 思わず漏れた感嘆を慌てて止め、視線を下に降ろす。

 

 しかし、それだけでは刀崎が久しく味わうことの無かった戦慄を消し去る事は出来ず、瞳に焼きついた骨喰の姿が消えることもなかった。

 

 つまり、目前に己がいようがいまいが関係ないのだ。例え、黒頭巾が朔に危害を与えようとしても、その瞬間に黒頭巾の生命は停止する。この殺人鬼の手によって。

 

 そしてそれは黒頭巾にとって、とても甘美な事であった。

 

 黒頭巾は跪きながら、この殺人鬼が揮う骨喰によって殺される刹那を夢想する。どのような手段を揮われるのか、首を断たれるか、心臓を貫かれるか、あるいは五体を寸刻みに潰されるか。どれも魅力的でならない。何故なら黒頭巾が殺されるとは、骨喰の切れ味をその身で知ることに他ならないのだ。

 

 嗚呼、何と言うことだろう! これほど喜ばしい事はあるだろうか、これほどこの世に生誕した感動を受けた日はあっただろうか!

 

 黒頭巾は己が胸の奥に未だ激情が眠っていた事に驚き、そしてそれを感謝した。

 

 ならば刀崎が〝壊滅〟した原因である骨喰に殺され、その刀身に自身の血が塗らされることが、どれほど刀崎である者にとって至福なことか、黒頭巾は本能で熟知していた。今すぐにでも殺されたい、今この時に咽喉を裂かれてしまいたい。大よそ尋常の者では理解できない欲求に身を焦がしながら、黒頭巾はその時を待つ。

 

 無論、そのような事態が今この時に訪れないと分かっていながらも、黒頭巾は骨喰の味を受ける瞬間を希求し続けた。

 

 いずれにしても黒頭巾の命は今も尚殺人鬼、そして刀崎梟が鍛造した骨刀の掌に握られている。ならば黒頭巾に選択は無く、また強要もない。ただ頭を垂れてその首筋に骨喰の一刀が振り下ろされる刹那を待つのみ。それは愛しきものを脳裏に描く、恋煩いにも似た被虐の性質であった。

 

 しかし、黒頭巾の中にある懸念がある事は放っておけるはずがなかった。

 

「骨喰様。畏れながら、言葉を口にする許可を私にお与え下さい」

 

『ンだあ、まだなンかあんのか?』

 

「は。刀崎現棟梁、刀崎白鷺様の事でございます」

 

 そこで黒頭巾は一度声を区切り、今から口にすることが如何な事か噛み締めて言った。

 

「現在刀崎は〝骨喰様の作刀により九割近い刀鍛冶師が身投げ〟し、お家としての力は失墜の中にあります。未だその時に失われた者共の損失は補えず、また今後補強の算段は見立てること叶わず。故に現段階では離脱には至っておりませんが、遠野グループに置いて刀崎の没落は避けがたいものと思われます」

 

 無機質な声音の奥、そこに密やかな熱が灯る。

 

『はっ、それがどうした。俺には関係ねェ』

 

「骨喰様のおっしゃる通りでございます。ですが、斜陽のお家は刀鍛冶としても見過ごせぬ事でございます。資金及び資材が無くては刀もろくに作れず、他家の援助を受ける事も叶いませぬ。刀を打てぬ刀崎など、ありえません」

 

『ひひ、ひ……流石は刀崎。狂いの中にいるくセに、まだ狂いを求めるカ』

 

「は。我ら刀崎故に」

 

 降ろす頭部に宿る瞳は誰にも見られるものではない。それでも黒頭巾の布越しに見える瞳は禍々しい光を確かに映していた。

 

 黒頭巾は刀崎なのだ。それ以外にはなれないし、なる気もない。だから刀崎で在りえない事実など許容できるはずもなかった。狂気でもって狂気に身を委ねる彼らの心理は、到底刀崎足りえぬ行く末を呪い、原因への怨恨を抱いている。

 

『それで、手前らは今ノ棟梁を潰してエわけか』

 

「流石のご慧眼でございます。現棟梁刀崎白鷺様は刀崎としての己を見出さず、放蕩に身を揺らし刀崎の再建を一考としていたしません。いかに骨喰様の命であろうとも、我ら刀崎を衰退に陥る〝無能〟を棟梁に置く理由が見出せません。事実刀崎梟様亡き後、我ら刀崎は現棟梁に価値を見出しておらず」

 

 それは苛烈な意志であった。一族の最高権力者である現棟梁を無能と罵り、そして存在の無用を主張する。それは凄絶と言ってもよい覚悟であった。何故なら彼ら刀崎にとって刀崎梟とは信仰の対象であり、その命令は神託なのだ。それは刀崎梟が骨喰を生み出したと同時に死に絶えても、決して違えることはありえない。

 

 だが、黒頭巾は言う。

 

「一部では刀崎白鷺様の暗殺を企てる者もおります。骨喰様の命ならば止めましょう。しかし、命がお達しになられないのならば止めはいたしません」

 

 つまり、それは骨喰の判断次第で現棟梁の首が挿げ変わるという事だった。

 

 元より崩落の一途を辿る刀崎にとって、刀崎白鷺の無能は目に余るものであった。しかしそれを棟梁へと置いたのは刀崎梟に他ならない。ならばと彼らは自らの信仰に従いそれを受け入れた。それからも分かるとおり、今の刀崎は現棟梁に一銭もの忠誠を注いでいない。理由は言葉ではなく、心情でもって判明している。梟が偉大すぎたのだ。

 

 刀崎梟。刀崎の技術を二代先にまで進歩させた怪物。

 

 そして刀崎白鷺とは、その男が設けた娘の一人であった。しかし彼女には才能がなかった。刀崎として致命的と言っても良い、刀鍛冶の才気が彼女にはごっそりと存在していなかった。それが余計に彼女を追いたて、苦しめていた。

 

 そんな女が如何なる皮肉か、今となっては刀崎の棟梁となっている。

 

 人によっては憐れだと思うだろう。屈辱と思うだろう。これ以上追い立てて一体何の恨みがあるのかと。

 

 けれど、彼女には恨みの視線を見出されるほどの価値さえ刀崎からは見出されていなかったのだ。

 

『やめとけ、やめとけ。そンなもんに構ってンなら手前らで刀崎を続けろ。首は首だ。んなもン、刀崎の腕からすれば一切の意味もねエ。放っておけ。……それによ、いざとなったら遠野から離れちまえば良イ。算段はついてンだろ』

 

「は。退魔と手を結ぶ準備も進んでおります」

 

『ひひ、ひ……ならいいじゃねエか。思うよウに、思うが侭に振舞エ。手前らは刀崎だろ、死狂いを飲み干して刀を打ち込ム真正の莫迦共だ。俺を作る為に〝手前らから望んで溶鉱炉に飛び込んだ〟阿呆共だ。そンな奴らがまともな脳髄もってるとは思えネエ。違えかイ』

 

「……はい」

 

 どこか震えるような声が黒頭巾から聞こえた。

 

 それは、疑いようもなく戦慄の震えに違いなかった。

 

 そして黒頭巾は、何故自分は骨喰に身を捧げなかったのだと、自らを憎んだ。

 

『それになァ、無能だろウが使いようはアる。ひひ……遠野全滅の引鉄とか、な』

 

 □□□

 

 黒頭巾が室内から消え、室内は先ほどと同じような寂寞が訪れた。例え機械人形のように無機質な人間であろうとも、室内には確かに人がいたのだ。それがいなくなれば、確かに人気は消えたと言える。けれどもそれを乱すものは当然いる。

 

『ひひ、……結局目新しい事はねエという事かイ』

 

 軋む声。骨喰は静寂を歪ませるように笑う。

 

『しかし、白鷺ねエ。イたか、そンな奴? なあ、朔』

 

「――。――」

 

 骨喰の問いに朔は無反応であった。そのような名前など聞いたことも無い、とでも言うように。

 

 それよりも朔は重要な事があった。

 

 黒頭巾の調査報告。そこで遠野志貴の名を聞き、朔の閉じられた目蓋の裏に何かが見えた。

 

「―、―――」

 

 一瞬、本当に極僅かな閃光にも似た景色。

 

 ――――朔は朽ち果てる寸前の身ながら、まるで誰かを隠すように前を向いている。

 

 場所はどこだろう。真っ赤な場所だ。血の池のような原っぱに朔はいる。

 

 視界もまた赤い。瞳が血に濡れて、見えるものは朧だった。

 

 空には丸い丸い月。それは蒼く翳りながらも、地上の地獄を映し出し。

 

 そして、朔の前には――――。

 

 刹那の映像。それは花火のようにすぐさま消え去り、雑音と化した。

 

 何故だろう。一瞬、何かが見えた。

 

 あるいは、これこそが朔の記憶の一部だというのだろうか。

 

「―――。―」

 

 まさか、そのようなもの存在しない。

 

 そのような記憶、自らにはないはずなのに。

 

『時間か。そろそろロードだ、朔』

 

 思考を切り裂くようにベッドの側に放り出されていた骨喰は言う。それを朔は掴み、抱え込むように蹲る。それは眠るようにではなく、どこか己を守ろうと身を丸める獣の動作に似ていた。

 

 すると刀を抜いていないのに、鞘から黒い闇が滲み出るように漏れ、朔の身を包んだ。

 

「―。―――っ」

 

 じわじわと闇色の靄が朔に這い寄る。それに合わせ、朔の意識が揺らぐ。己が己で無くなる感覚が思考を這い、混濁を経て精神が薄まっていく。それは常人にとって耐え切れぬ吐き気を催す猛毒であった。外界から内界へと入り込む、異質な意志が意識を塗り替える。

 

 やがて全身が骨喰の闇に覆われた。まるで瘴気のように朔の身を、あるいは精神は蝕まれた。そして朔は意識を失い、消滅するようにまどろんでいく。

 

『そういやあの坊主。死人に会いに行くなんザ、ひひ、ひ……。なかなかどうして、存外にやる。――――――――弓塚さつき、だったかァ』

 

 眠りへと移行する朔を誘うように、骨喰の嘲り声は鬱陶しく喋り続けた。

 


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