七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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 嘆きの川を泳いで渡り、向かうは果ての無明荒野。
 一瞬の灯火は複(かさ)ねの讐(かたき)髑髏(しゃれこうべ)が道を成す。
 光りの明日はもう来ない。暗いまどろみへと迷い惑う。



プロローグ 闇

 獣の臭気がこびり付き、死臭と化した澱みが充満している。

 

 冷たい暗闇である。肌に触れてしまえば切れてしまいそうな沈黙と寂寞が重い鉄製の扉の中に漂い、呼吸さえ難しい。

 

 そしてそれは、暗い暗い地下の闇の底にいた。

 

 子供だった。壁から伸びる鎖によって手足を縛られ、更に口元には拘束具が装着されている子供である。全身を取り巻く金属によって関節の殆どを封殺されたその身は、壁と同じような固いコンクリートの地面に横たえられており、左腕を失っている事から異様に細く見える。その様は春を待つ蛇のようであった。

 

 そしてよく見れば、襤褸切れを纏う体中のいたるところで傷が目立ち、出血も多々としている。しかし、その身を拘束された少年にそれを拭う事も痛みに手をあてがう事も出来なかった。

 

 すると闇を切り裂くように、重々しい鉄製の扉が軋む音を上げながらゆっくり開かれた。

 

 そこに現われたのは着物を羽織る女だった。艶やかな立ち姿と病的なほどに白い肌、そして口元を彩る血のような紅が相まって、浮世絵から飛び出たような女である。

 

 このような場所に女の姿は限りなく浮ついているように見えたが、そのあり様は何よりもこの場所に相応しく思える。退廃的なまでに、女はどこか現実離れをした瞳のなかに拘束された子供の姿を捉え、引き攣るような笑みを溢した。

 

「あら。お目覚めかしら、七夜朔」

 

 嘯きながら女は子供、七夜朔に近づいていく。

 

 切れ長の瞳が妖しげな色を湛え、嗜虐的な虹彩を放った。

 

「何か言って御覧なさいよ、この化物め!!」

 

 そして力なく呼吸している七夜朔の体を思い切り蹴り上げた。

 

 女の力とは言え、成人した大人による蹴りは子供の身を容易く打ち砕く。

 

「――――」

 

 しかし、肉を打つ愚鈍な音に七夜朔は無反応であった。

 

 まるで女の暴力、いや女そのものが存在していないように意に介していない。事実人体を蹴る事に慣れていない女の動きによって行われた打撃である。半端に込められた力が痛みを生み出さず、ただ肉を打ったのみ。

 

 それが女を苛立たせ、更に女の暴力は苛烈化する。

 

「ほおら、何もいう事はないのかしら!惨めな屑め、私なんかに甚振られてるお馬鹿さん。あはは! あははは! あははははははははは!」

 

 嗜虐が愉悦を誘い、七夜朔の無様に侮蔑が躍る。

 

 振り上げられた脚が七夜朔の小さな体を何度も殴打する。

 

 腹を背を、腕を足を、頭部や顔を硬い踵で幾度と無く。幾ら単純な蹴りとは言え、打たれるその度に朔の体には新たな傷跡が生まれ、塞ぎかかっていた瘡蓋が破裂し血が滲んだ。

 

 だが、七夜朔はそれでも無反応だった。

 

 女のことなどまるで興味の彼方から失せている。その伏せた眼が女を捉えることもない。まるで女になんの価値も見出していないかのようだった。それが溜まらず女の腸に宿る憤怒が煮える。

 

「っく、この人形が!!」

 

 更に力を込められた蹴りが朔の顔面を捉える。

 

 鼻腔から血が垂れた。どこかを切ったらしい。それでも鼻が折れないのは僅かな身じろぎだけで打点を焦らし、被害を最小限に抑えているからに他ならない。それが腹立たしく、女は口腔から唾を吐き散らす。

 

 憤怒に囚われた女の顔は美しさとは程遠い狂乱を湛えており、ともすれば怨念のような表情である。この世の全てを憎み、恨んで死に絶えた霊魂はきっとこのような顔をするのだろう。

 

 それは、ただただ醜悪であった。

 

「なんでお前が、なんでお前なんかにあの方がご執心なのよ!お前なんか、お前なんかに!」

 

 堪えられず着物の懐から銀のきらめきが漏れる。女の掌ほどの大きさを持つ短刀が右手に納められ、何も反さぬ七夜朔へと振り落とされる。

 

 空を裂く刃、あまりに無作法な手並みから女が如何ほどの修練を積んでいないことは明らか。それでも無慈悲に輝く刃の鋭利は、蹲る子供の肉を裂くには充分程で、それは技量さえ必要とされない。

 

 しかし、それでも。

 

「軋間紅摩さまのお心を奪って――――!!?」

 

 その言葉に、その名前に。

 

 ただ痛めつけられるだけだった朔の顔が、起き上がる。

 

「――――っひ!?」

 

 女の振り下ろした刃先が空で停止する。いや、止めざるを得なかった。

 

 何故なら今、女は自身が死んだ瞬間を幻視したのである。

 咽喉を食い破り、心臓を抉り出し、脳漿を粉微塵に磨り潰され、肉体という肉体が生命を保てずに絶命する。

  

 ――――炯炯と色濃く輝く蒼の瞳。 

 

 あまりに人から離れた輝きが眼球の中で放たれる。

 

 暗闇の中にあってもそれは爛々と煌きながら、殺意を混ぜる。

 

「ぎ、あ――――」

 

 突如として呼吸が出来ない。

 

 室内を満たした七夜朔の殺意が、女を包み込みその生命を捉えた。その瞬間に女の体は頑なに怯え、肺は活動を止めた。

 

 このままでは死ぬ。ただ一人の少年に女は恐怖し、殺意に死に絶えようとしている。

 

 力が入らず女の脚が崩れる。だけど女は呼吸をすることが出来ない。部屋の闇が一気に増し、酸素を奪っていく。床に伏し、咽喉元を押さえても肺が機能を果たさない。女の肺が酸素を求めて暴れ、心臓が恐怖に破裂しそうになる。口元から涎さえ垂らし、女は空気を求めて口をぱくぱくとさせた。

 

 修羅場を越えた人間ならば、あるいは鉄火場を歩いた人外ならば、かのように筋肉が収縮を止めることはなかった。

 

 しかし女はそのようなモノを知らずにいた箱入り。殺し合いを知らず、理解もせず、経験もしないただの女が殺意にあてられ、無事にいられる道理はない。

 

 頭が働かない。

 

 意識が絵の具をぶちまけたように朦朧とする。

 

 視界は仄かに色を失い始め、舌が別の生き物のように蠢いて――――。

 

「ひひ、ひ……何してやがる」

 

 突如として、闇の中に異物が紛れ込んだ。

 

 女の背後、扉の前。いつの間にかそこに妖怪がいた。

 

 二メートルを越す長身痩躯に、猛禽類の眼球を持つ老人である。血走った眼球、瞳は濁り、まるで飢えに獲物を舌なめずりする獣のよう。その身は擦れた襤褸を纏いながらも筋肉質な肉体は否応の不自然さを見せ、気味の悪さを際立たせる。

 

 まるで怪物のような出で立ちで、刀崎梟はそこにいた。

 

「っかは!かひゅ――、かひゅ―――」

 

 しかし、そのようなものであろうとも、室内の空気が幾分かに和らぐ。霧散はしないが殺意が妖怪の気配に紛れる。無酸素状態に陥り、後わずかばかりで死に絶えようとしていた女は入り込んだ妖怪によって死を逃れた。

 

「嗚呼、相変わらず良い殺気だ。血が滾るなァ、ひひ」

 

 金属が裂かれた様な軋み音。女が瀕死の状態にまで追い込まれた殺意の中に佇みながらも、人が聞けば溜まらず耳を塞ぎたくなるような声音が妖怪の口元から溢れる。心地よさげに顔を歪ませるその口元から零れたのが、この世を全て嘲るような人外の声だった。

 

「そろそろ時だ。今日は人間と獣も混じっているぜ。精々気張れ」

 

 自身を見つめる七夜朔の瞳を柳の如しに流しながら、妖怪は朔の体に巻き付く鎖を更に頑丈に締め上げ、壁に張り付く金属を外す。

 最早雁字搦めと化した朔は関節ひとつ動かせず、妖怪の意のままだった。力点を完全に押さえられた朔は蓑虫のような姿と化しながら、妖怪の腕の中に収まる。それでも暴れようと全身を力ませて暴れる朔を妖怪は「ひひ、元気元気」と自身を滅ぼさんとする朔へと寧ろ嬉しそう笑った。

 

 その様を女はただ呆然と見つめていた。未だ荒い呼吸を繰り返しながらも、肌の白さを幾分も回復させず、噛みあわぬ歯をがちがちと振るわせた。

 

 妖怪は一族の棟梁だった。この化石のような老人は、長の時を生きる人外共を力と技術によって纏める傑物である。そして七夜朔は妖怪が最近まで遠野に預けていたお気に入りだった。女は実情を知らぬ身であるが、遠野家の現当主が何者かによって意識不明の重体へと追い込まれた際のごたごたに乗じて妖怪が招き入れたのである。

 

 それに手を出せば、女の命など枯葉の一枚に過ぎなかった。

 

「と、棟梁様っ、ももも申し訳ありません!!」

 

 思考するまでもなく、女は土下座をした。口元の涎を拭う事もなく、自身の着物を汚す埃を払う事さえない。そのような事、気にする事さえ今は出来なかった。

 

 あまりの恐怖と緊張に頭部が爆発してしまいそうだった。何故なら相手は一族の棟梁。その一声で、彼女は消されてしまうのだ。だから今彼女は思わず命を乞うた。ただ一身に頭を垂れ、許しを請うその姿は哀れみさえ誘う。

 

 しかし、妖怪は朔の身を抱え女の横を素通りする。大柄な体格にこの牢獄は狭いと身を縮ませながら。

 

「あの、棟梁様……っ」

 

「――――ああ、手前」

 

 そして、扉に差し掛かり、妖怪刀崎梟は後ろ土下座姿の女へと振り返る。

 

「いたのか」

 

 思わず、女は頭を上げる。

 

 猛禽類のように巨大な眼球が、路傍の石を眺めるように女を眺めている。

 風景の一場面と遭遇したような瞳が、まるで女を見ていない。

 

「――――あ」

 そして、女は気づく。

 

 梟にとって、女のことなどまるでどうでもいい存在でしかないのだと。

 

 今現在、刀崎梟は肩に担ぐ七夜朔にしか興味を覚えるものはないのだと。

 

「さあ、行くとしようか。手前との約束さ。ひひ、ひ……、殺し合いの始まりだ」

 

 鼻を鳴らしながら、梟は遠ざかる。重々しい扉が鈍い音を経てて閉まっていった。

 

 そして暗闇の中に残されたのは、女ただひとり。

 

「う、う、うううう……っ」

 

 呻き声にも似た嗚咽が漏れ、狭い牢獄の闇を濡らした。扉の向こうに消えた梟の背に、彼女の涙は届かない。

 

 悔しくてたまらなかった。

 

 叱咤されるならまだしも、まるでいないかのように父から扱われる。

 

 元から気にかけられる事などありはしなかった。

 女は刀工としての才能がこっそり欠けていた。

 刀崎に生まれながら才気のない娘。

 そのようなモノに、価値などありはしない。

 

 それでも出会った想い人がいた。

 

 その人の雄々しい姿に心奪われた。今まで刀崎としての価値を見出されず、軋間の血を絶やさないための苗床としての役割であったが、それでも構わないほどに心を奪われ、恋い慕った。

 

「……――――や」

 

 けれど、彼女の望みは決して叶わない。

 

 ――――軋間紅摩は彼女なぞに目もくれず、ひたすらに七夜朔を心に占めていた。

 

 全ては彼女が想う前に、果たされていたのだ。

 

「――――ななやっ!!!!」

 

 ぎしり、と歯軋りの音がして、思わず噛み締められた唇の端から血が垂れた。それは口紅と相まっていよいよ毒々しく女の白い肌を彩る。

 

 誰も自分を認めてくれない。

 

 誰も私を欲してくれない。

 

 想い人の心さえ手に入れられない。

 

 ――――惨めだった。

 

「う、う、う、うううううう……」

 

 女、刀崎白鷺は怨嗟に声を押し殺して泣いた。

 

 □□□

 

 血飛沫が舞う。

 

 首から鮮血を撒き散らす牛の巨体が崩れる。肉を抉り、骨をも掴む所業に猛る牛はたまらず野太い悲鳴をあげた。その首元、分厚い筋肉と脂肪がつまった皮膚の中に右腕を潜り込ませていた七夜朔が腕を引き抜く。

 その指先を濡らす紅色のねばっこい血が糸を引き、地に垂れた。

 

 それを見越したように、巨体を揺すりながら猛追する男が巨大な棍棒を振り上げ、骨格もろとも朔を圧死せんと叩き伏せた。子供の朔の体ほどある棍棒である。その破壊力は朔の頭蓋をひき潰し、新鮮なトマトスープと化すほどのものはある。

 

「あああああああああああああっ!!」

 

 棍棒が打ち下ろされ、声にもならぬ衝動が男の咽喉から劈いた。

 

 よく見ればその瞳に生気はなく、また理性の色は見えない。丸太のように筋張った首筋を蹂躙するように青い血管が走り、それに相応しい肉体が異様な程に膨れ上がっている。荒れ狂うような動きでもって、操られているように男は全力の一撃を七夜朔に揮った。

 

 しかし鉄製の塊が七夜朔を押し潰そうと加速した瞬間、男の腹に異様な異物感が生まれた。思考の間隙に、呻き声が零れれば思わず男の視線が腹部を見やった。

 

 それは皮膚を突き破り、腹筋の隙間へと捻りこむ七夜朔の右腕だった。

 

 のた打ち回るような痛みが男の脳を焼き尽くす。

 

 例え薬と催眠によって二度とはまともな機能を果たす事のない脳だとして、脳は脳としての役目を果たし、肉体への危険信号を激烈な痛みとして掻き鳴らす。

 

 だが、それは虚しく終わる。

 

「――――」

 

 僅かに力んだ朔の右手が瞬きの内に閃く。

 

 鮮血が吹き零れる。傷口から勢いのまま、内臓が引き釣り出された。

 

 人体の内臓、消化器官は食道から繋がる一本の縄であり、大よそ繋がっている。そしてその長さは成人男性にして全長は約九メートル。

 

 それが、一気に引き釣り出された。

 

「アアアアアアアアアアァアアァアア!!??」

 

 血を吐き出しながら男は絶叫した。悪鬼さえ震え上がるような悲鳴だった。

 

 始めに見えたのは固い大腸であった。それにつられる様に細く弾力のある小腸が紐解きながら引き釣り出され、大腸の端から大きな胃が赤々と血管を輝かせながら姿を見せた。

 

 連続するそれにより、腹からは異様な音が聞こえ、最後には食道が引き千切られ男の大絶叫は止まった。

 

 その様は奇怪のように見えた。棍棒を振り上げる男の腹から艶やかな色を放つぶよぶよとした内臓が、産まれた芋虫のように生命を宿したままに軒並み引っ張り出されていく。男からはどう見えたのだろう。自身の腹部に詰まっていた内臓を生きたままに目視した男には。

 

 ただ、死に逝く男の思考を知る術はない。元より意思を奪われた人形である。前のめりに倒れ伏し、自身の内臓に埋もれる男の考えなど誰も興味を覚えないだろう。

 

 返り血を浴びながら内臓をその手に握り潰す朔はそれに目をかける事無く、次の標的に向かう。

 

 ――――踏み込もうとした膝に、激烈な痛みが穿った。

 

 灼熱のような痛み。筋肉を千切るように、朔の左膝、そこに弾丸が撃たれていた。

 

「――――」

 

 血肉が爛れる。脳を焼き尽くさんばかりの痛み。思わず力が篭らず立ち止まる。朔の背後に硝煙を昇る銃口を抱える兵士がいた。

 

 だけど、子供の目は決して痛みに恐怖を抱いていなかった。増して痛みさえ感じているようには見えなかった。まるで自分の体と精神が分離してしまったかのように、子供は自らの傷や痛みに無関心であった。

 

 ――――そして、朔の眼が変質する。

 

 黒から蒼へと。空虚から、清澄へと。

 

 朔の肉体が翻った。足元に赤い血痕を残して消える。

 

 瞬間、朔がいた地面に砂塵が昇る。乾いた破裂音が幾度も響いた。銃弾が朔を射殺せんと打ち込められる。

 

 ――――その兵士の足元に、いつの間にか朔の姿が出現した。

 

 まるでそこは悪夢のようだった。ただ一人の少年を殺害しようと様々な生命が息巻いて走り、それら全てが少年によって丹念に殺されていく。

 

 土壁によって囲われた広い広い空間であった。周囲を木格子によって補強し、天井は完全にふさがれているため、空さえ見えない。元はコンクリートによって作られた居住マンションであったが、幾度とない破壊と損傷に補強が重ねられ、今となっては異様な異空間を生み出していた。

 

 建築物は人里から遠く離れ、逃亡する手段はない。人工的に作り上げられた孤島。

 

 その正体はマンション一棟を使用した屠殺場であった。

 

「ひひ、ひ……。まるで、地獄の羅刹のようじゃねえか」

 

 その様を硝子越しに見る男がいた。

 

 刀崎梟は厭らしく口元を歪めながら、壁の向こうで巻き起こる殺戮を眺めていた。

 

 年若い子供によって有象無象の命が散らされる。見ようによっては腹を抱えて笑える光景であった。だが屠殺は現実として起こっている。

 

 そして今刀崎梟が見つめる前で、武装化した兵士が首を錐揉みさせながら斬り飛ばされた。

 

「やっぱ、朔はいいなあ。こんなにも地獄が相応しい奴、今まで見た事がねえ」

 

 瞬き一つさえ惜しいと言わんばかりに眼球を見開きながら、梟は笑う。嘲う。

 

 何より梟が気に入っているのは、七夜朔が生身の肉体のみで殺害を果たしているという事に他ならない。

 

 今しがた牛の分厚い筋肉へと潜り込んだのも、男の内臓を引き釣り出したのも、あるいは首をもがれた兵士が、刹那の前に伝達された意思に従い体のみとなっても襲ってくる際にその半身をぶちめけたのも、全ては武装によるものではなく、朔の手足によるものであった。

 

 武人は鍛錬によって自らの五体を鈍器へと変え、やがては切れ味さえ帯びる。

 

 しかし七夜朔はどうだろう。

 

 彼は暗殺者の一族に生まれ、彼らが戦線を離れた後も暗殺者として鍛えられ続けた鬼子。七夜黄理の秘蔵っ子である。それが普通な訳ではない。

 

 そして七夜朔は未だ子供の身。成長段階の途中にある。

 

 魔眼は未だ安定をしていないが、それも時間の問題。

 

「こいつあ、ひひ……。鍛えれば七夜黄理なんて目じゃねえなぁ――――っ!?」

 

 どくん、と梟の胸が高鳴る。

 

 それは熱を放ち、血を滾らせて梟の脳髄を侵し、痛みさえ伴うほどの衝動を体に宿す。思わず屈めた身から熱波が生まれ、蒸気のように梟の身を囲うとする。荒ぶる呼吸と、見開かれた瞳がちかちかと色を豹変させようとさえした。

 

 だが、それを梟はふざけた事に気合でもって押さえ込んだ。苦痛に呻き声を溢しながらも、彼の咽喉から迸ったのは金属の悲鳴にも似た嘲笑だった。

 

「ひ、ひひ。……俺にも時間が迫ってんな。はっ、はは。これはいよいよ作刀を開始しなきゃなんねえなア。ひひ、ひひひひひひひ!」

 発作のように筋肉を痙攣させながら、梟は笑った。

 

 瞳の血走りは更に亀裂を深め、毛細血管の何処かが切れたのか、次第に白目が赤色に塗りたくられる。歯肉を剥きだし哄笑を張り上げながら、体を震わせるその様はまるで魔物のようであった。

 

 思い描く刀はすでに決まっている。

 

 朔と出会った瞬間から、経典のようにその姿は梟の脳裏に浮かんでいる。己の業と、朔の業。それらが合わさり、一つの形を生み出す。ならば、己はそれに向かって自らを捧げるのみ。

 

 刀崎の秘奥。刀崎一族は自らの腕を代償に捧げ、最後の刀を生み出す骨師。それによって生み出された骨刀は生涯最後の一品にして、生涯最高の一刀となる。

 

 しかし刀崎梟が、刀崎一族の棟梁たる妖怪が通常のもので満足できるはずがない。何故なら彼は刀崎でなお異端とされた刀崎。

 

 そのような存在が生み出す刀が、まともなはずがない。

 

 そうして、ひとしきり笑った後。

 

 刀崎梟は何とはなしに言葉を紡ぎ、背後へと振り返る。

 

 歯軋りのように奥歯を噛み締めながら。

 

「よう、手前はどう思う。ひひ、感想が聞きてえもんだなあ、――――――――荒耶宗蓮」

 

 ――――刀崎梟の背後。

 

 滑るような狂気、悪鬼の屠殺が広がる最中。

 

 地獄のような男が、そこにいた――――。

 


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