七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第一章最終話 そして彼は闇に堕ちる

 弓塚さつきが、吸血鬼事件の犠牲者となった。

 

 三咲町を騒がしている吸血鬼事件に生徒が巻き込まれた事に対し、学校側は即時休校を決定した。これが唐突な事故であるならば休校という手段はとらなかっただろう。朝礼に全校集会を開き、生徒が事故にあってしまったと報告をし、取り合えず学校は一時騒然と化すが、それでも休校にはならなかったはずだった。

 

 しかし、今この町を襲う連続殺人事件にとうとう生徒の一人が巻き込まれたということで、学校側はその活動を取りやめた。事態の終息が見えるまで生徒は自宅待機であり、それまでは学校にも立ち寄り禁止である。校舎へ赴く事が危険なのではなく、外出を控えるための促しとしての知らせだった。

 

 そして生徒達は自分たちの学校の生徒が事件に巻き込まれたことを知り、各々に動揺を示した。

 

 ある生徒は恐怖に慄き。

 

 ある生徒は理不尽に怒りを抱き。

 

 ある生徒は不安に震え。

 

 そしてある生徒はその悲報に涙を禁じえなかった。

 

 人は事件に対し鈍感である。事件で巻き起こった概要、流れ、犠牲者、加害者、その終息は情報媒体を通し獲得は出来るが、実感を得る事は出来ない。何故ならそれは彼岸の火事で、どうしようもなく他人事だからである。

 

 自己と他人の関係を哲学する事が何故これまでに議題として絶えず上がり続けているのは、自己に対し他人とはあくまで事象を展開する情報に過ぎないからである。そしてそれは直接的に意識するまで、ただの情報以上の価値は与えられないのだ。

 

 間接的に起こった事柄は情報、他人事である。他人事は自分に関係しない。ならば、それに対し実感が沸かないのは同然の事である。それが同じ町で起こったことだったとしても、そこに例外はない。

 

 自分が住んでいる町で何人も犠牲となっている事件が起こった。それに危機意識は持ちよう。暗い道を避ける事も、何となく心がけるだろう。友人と遅くまで外にいることはしないだろう。しかし、それはあくまで自らが犠牲者となり得ないという妙な錯覚が行動に移させている事に過ぎないのである。

 

 人は気をつける、という思考に対し意識を働かせるが、本当に自分が犠牲となるとは思わない。何故なら今度は自分ではないか、と思おうとしてもそこに実感が沸かないのである。今回の事件もそれに当てはまるだろう。未だ憶測として飛び交う犯人像や、たびたび起こる殺人事件に対し、直接的な関係を思い描かなかった故に、そのような事が許された。

 

 しかし、此度は違った。

 

 弓塚さつきは学校でもそれなりに名の知れた人物だった。部活に所属しているわけでも委員会に属しているわけでもない彼女が何故そこまで学校で名が知られているかと言えば、偏に彼女の人望にあった。

 

 彼女は誰にでも好印象をもたれていた。学校という集団に所属しているならば、良い印象を持たれることもあれば悪い印象を持たれることもある。しかし、さつきに悪印象を持つ生徒は誰一人としていなかった。

 

 クラスでも人気だった彼女は教師にも面倒を良く見られており、それゆえ何かと話題に上がる人物の一人だった。そんな彼女が犠牲となった事で、生徒は衝撃を受けたのである。

 

 なぜならば、学校と言う身近な集団に属している生徒からすれば、同じく生徒の弓塚さつきとはある意味同属である。そして彼女は人気も高かった。

 

 それ故、生徒は今改めてこの町で猟奇事件が起こっているのだと思い知った。

 

 一人としての例外は無く、この事件へ危機意識を持ち、己がいつ死ぬかもしれないという恐怖を抱くようになったのである。人はこの件に対し多種多様の意識を持ち、感情を抱いた。

 

 そして、それは遠野志貴も同じだった。

 

 □□□

 

『それで、お前はどうしたい?』

 

 まるで金属が叫ぶ悲鳴のように、その音はギシギシと軋んでいた。咽喉が枯渇しても出ないであろうその嗄れ声は、人間が共通して使用する言語だと気付くのに暫しの時間を労した。それは全ての嘲りと侮蔑を綯い交ぜにしたような音で、この世の全てを見下し愉悦の対象としか捉えていない悪魔の声だった。

 

 興味本意だという事は、探らなくても明確であった。邪険とそれを上回った関心が金属の問いへと変貌したに過ぎない。何を言ってもこの声音の持ち主を愉しませる結果にしかならないのは真に腹立たしい事であるが、それを飲み込んで彼は言葉を紡がなくてはならなかった。

 

「俺を手伝って欲しい」

 

 そう言った瞬間、数珠と札に巻かれた鞘に収められた刀剣は歪んだ嘲笑をあげた。

 

『ひひ――――っ!餓鬼、それが一体どんな意味を持ってるのか、手前はわかって言ってんのかい? 狂言は御魂を啄ばむ羽虫だと、わかって言ってんのかい?』

 

「ああ、覚悟はもう出来ている。――――もう逃げない」

 

 思えば、あの時立ち向かっていれば、逃避を選択しなければ今この時は訪れなかったのかもしれない。宵闇の会合は開かれること無く、彼もまたこのような場所に足を運ばずとも良かったのかもしれない。しかし、全ては過ぎた事。過去は変わらない。後悔に、意味は無い。

 

 踏み外した夢を見るなんて、許されるはずもなかった。

 

 深遠を覗き込んだ者が、化け物にならぬ道理はない。

 

『っは!覚悟なんぞ風の前の塵に過ぎねェ。言葉なんぞ余計にそうだ、見掛けを繕うのは女共だけで充分よ。しかし真逆、手前があの尼とつながり、そしてあの尼がここを知らせたとは思わなかったが……、其れだけでは在るまい』

 

 言葉を切り捨てて、壁に立てかけられた骨喰は愉快に言う。鞘から漏れる邪悪は吹き零れんほどで、この室内を暗黒で満たそうとしていた。

 

『ならば、手前が示すのはなんだ?己が怪物と化す道筋か、畜生となる手段か、魔物と化ける末路か。それとも、修羅と成り果てる意志か。聞かせろ――――手前の答えを』

 

「――――俺は」

 

 暗黒を振り払い、己が拳を握りしめ、その瞳は那由多の限りを貫く鋭利さを秘めた。

 

「仇のためならば、何にでもなってやる」

 

 その視線の先に、一人の男がいた。

 

 男は亡霊のような男だった。ベッドに腰掛けながらもその気配はあやふやで、目前にいるはずなのに何故だかその姿が掠れ、あるいはぶれる。

 

 その左腕は失われたのか根元から無い様で、藍色の着流しは左側が垂れ下がっている。しかし、それが不自然ではなく違和感は抱かない。それが当然のように、彼は人とは違って腕が一本のみ生える生物と思ったほうがしっくり来る。

 

 そして、ざんばらに伸ばされた黒髪の隙間から覗く、蒼い蒼い虚空を思わす蒼の瞳。目尻は鋭いが、その瞳に感情の色は見えない。以前西洋人形のようだと思ったが、三度対面してその印象は払拭された。西洋人形ではない。西洋人形のほうがまだ人間味があるだろう。その様は亡霊。この浮世に漂う不気味な存在である。

 

「――――、――」

 

 目の前の男、朔は言葉を聞いてもまるで動かない。その視界の中に自身は収まっているはずなのに、まるで硝子に映る人影のように注目されていないのではないかと思わざるを得ないその瞳。

 

 ただそこにいるだけなのに、身動ぎひとつしていないのに、その瞳に視線が捕捉される。蒼の瞳は万象を遍く飲み込む。蜘蛛が垂らす糸の網の如くに絡め取られた蟲は、果たしてどうなるのか。そう思うと、体が強ばった。

 

 しかし、もう立ち止まれない。

 

「だから朔、協力してくれ。――――断る事は、許さない」

 

 そのためにここまでやってきた。シエルの制止に聞く耳持たず、確固たる意思を持って、朔と対面するためにやってきた。あれほど危惧していた存在に自ら会いに行くなど、気が狂っている。愚考と断言されも止むを得ない。

 

 しかし自分ひとりで仇が取れるとは、復讐が果たせるとは、報復が可能だとは思っていない。ならば、その先駆者の手を借りたほうがより効率的に立ち向かえるとシエルに説得された。己で果たさなければならないと、言って聞かない子供の我儘を窘められ、脅されても尚止まらなかった。

 

 何故なら、あの時さつきは――――。

 

 思考が暗鬱と化した。氾濫する激情に仄暗い気持ちが脳髄を侵す。

 

 弓塚さつき。

 

 その名を思えば、彼は己が腸に獄の蟲を飼っていると自覚する。

 

『わたしは遠野くんが好きです』

 

 シエルから受け取ったさつきの手紙を、志貴は何度も読み返した。

 

 たった一文で、とても短い内容だった。しかも何度も書き直したのか、手紙は少々草臥れて消された文字の跡もそれとなく伺えた。しかし可愛らしい筆記で書かれたその文字を志貴は懇切丁寧に読んだ。何度も、何度も、何度も。

 好きだと、真正面にさつきは教えてくれた。

 

 そして悲しいほどに、その想いは彼の中に巣くう虚ろを揺さぶって仕方が無かった。

 

 手紙は端に血が付着していた。既に乾いた血は少量であり、文字を読み取りは阻害しないが、その赤茶色に志貴は唇を噛み締めた。

 

 この血は志貴の罪だった。

 

 あの瞬間に何も出来なかった志貴の愚かさだった。

 

 何故あの時、自分は何も出来なかった。動かなかった、と志貴は自身を罵った。

 

 そして、それ以上に自分の中に巣くうドロドロとした感情を肯定した。

 

 ――――ただそこにいるだけで、襲われた弓塚さつき。

 

 彼女を思えば思うほどに己は大火と化し、一木一草に到るまで焦がし尽くす紅蓮の輩と成り果てようとする。胸の内の虚ろは痛いほどに震えてたまらず、体を突き動かそうと苦しめた。

 

 しかし志貴は炎ではない。腹立たしい事ではあるが無様に喚き散らすほど、彼は現状に対し不理解ではなかった。故に、彼は動く。

 

 シエルが動けない今、動けるのは己と、あと一人しかいない。

 

「――――、―」

 

 そして、夜の最中に時はどれほど経っただろう。

 

 真っ直ぐに見つめて視線は逸らさず、藍色の化身と妖刀の姿を視界に収め続けた。

 

 それは彼の意志であり、また意地であった。

 

 必ず。必ずや、この怒りを突き立ててやろうと、彼はその心に誓ったのだ。その刃でもってその咽喉元を噛み千切ってやろうと、さつきの変わり果てた姿に決めたのである。

 

 故に、こんな所では立ち止まれない。朔と骨喰に飲み込まれはしない。

 

 朔という化け物と対峙しても怯まないその姿に、亀裂が走るような引き攣った笑いを堪えながら、骨喰は叫んだ。

 

『ようこそ、修羅の巷(ちまた)へ。――――歓迎しよう、遠野志貴!!』

 

 喝采を挙げんばかりに邪悪な哄笑が室内に響いた。

 

 しかし朔と志貴はそれを耳しながらも、その声音を遠く感じた。

 今この時、その意識の全ては目前に佇む男に向けられていたのである。

 

 歪な月に照らし出された屠殺場で、闇と対峙した少年はこの瞬間、闇に立ち向かった。

 

 ――――行くは地獄か、闇の底。

 

 行く道来た道戻れぬ道――――。

 

 ――――戻れぬと、わかって尚も少年は。

 

 その身を鬼に、修羅を進む――――。

 




 退魔ルート、またの名を七夜ルートに突入しました。原作との差異を感じていただければ幸です。あ、六でございます。

 これにて第一章が終わりました。
 実は三部構成という事をここで暴露いたします。

 第一章はこれだけ長いのに序章に過ぎなかったという事実と無秩序にばら撒いた伏線のため矢鱈と長くなりました。

 ……ごめんなさい嘘です、伏線だけではなく私の描写のねちっこさが主です。場合によっては今後も長くなるかも知れませんね。

 しかし、最近は一話一万字越え所か二万時が見えてまいりましたが、これはやべえ。話を進めようと必死になったらトンでもない事に。

 構成、知識が不十分な故に文章表現で誤魔化しておりますが、しかし二次創作とは言え、原型を留めないとは之如何に。これ本当に月姫か?

 第一章のコンセプトは『ハロー、暗闇』です。日常から非日常へのシフトを狙った章であり、これから先は混沌とした闇に自ら進んでいく、といった具合。

 それを書くために年を跨いで来んなに時間が掛かるとは……、技術と執筆体力が足りません。精進精進。

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