七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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 幼い頃――――
 ――――魔法使いに逢った事がある。



真月譚月姫編
プロローグ 月


 目が覚めた僕が始めに見たのは、落書きだらけの天井だった。

 

 それは天井のあちらこちらに走っていて、黒い線は亀裂のように伸びていた。

 

 僕は白いベッドにいつの間にか眠っていた。起き上がって辺りを見回す。落書きは天井だけではなく、壁や人にも見える。点滴装置があってその時に僕は自分が病院にいるのだと気付いた。

 

 誰かの温もりが、腕の中にあった。温かい訳ではないけれど、腕の中や身体にあった。そこがぽっかりと空いていて、だけどその隙間に誰がいたのか思い出せない。でもその熱を失いたくなくて、僕は自分の身体を抱きしめた。

 

「始めまして、遠野志貴君。回復おめでとう。私の言っていることが分かるかな?」

 

 気付けば僕がいるベッドの横に、白衣を着た男の人と女の人がいた。お医者さんだった。

 

「まあ、無理もないか」

 

 何を答えていいのか分からず、黙って見ているだけの僕にその人は一人で納得をしていた。

 

 そしてその人は、僕に起こった事を落ち着いて説明してくれた。

 

 道を歩いている時、自動車の交通事故に巻き込まれたこと。

 

 その時、胸に硝子の破片が突き刺さったこと。

 

 それが、とても助かるような傷ではなかったこと。

 

 僕が助かったのは、奇跡に近いと言っていた。

 

 僕は、自分が知らぬ間に死にかけていた。でも僕にはその実感がなくて、辺りを何とはなしに見回す。落書きが消えない。

 

 でも、それ以上に、僕には気になっていることがあった。

 

「あの、聞いてもいいですか?」

 

「何だね?志貴君」

 

「僕の側に、誰かいませんでした?」

 

「……ふむ、そのような事は聞いていないな。君は知っているか?」

 

「いえ、遠野さんに見舞いはまだ来ていません」

 

 僕の質問に、お医者さんとナースさんは首を横に振った。本当に知らないらしい。

 僕自身、其処に誰かいたか、分からない。

 でも、誰かが遠くへ行ってしまったような喪失感を、僕は持て余していた。

 

「もう、質問はないかね?」

 

「あ、もうひとつだけ」

 

 どうしてみんな落書きだらけなんですか?

 

 

 

 僕の話しを、誰も信じてはくれなかった。

 

 ベッドも、壁も、床も、誰かの悪戯みたいに黒い線をした落書きが走っている。それを見ていると気分が悪くなって、誰もいないとき、ふと触れてみると指が沈んだ。其れが気になって、たまたま置かれていた果物ナイフで線をなぞってみると、その部分から綺麗に切れた。そのまま僕はベッドをバラバラにする。熱で溶けた発泡スチロールのように綺麗な断面。

 

 その綺麗さが、不気味だった。

 

「先生もう一度聞くけど、どうやってそのテーブルを壊したのかね?」

 

 お医者さんは僕がどうやってモノを壊したのか問いかけてきた。だけど、僕が正直に落書きをなぞった事を答えても信じてくれない。それ以前にお医者さんには落書きが見えなかった。お医者さんだけではない。皆には、病院中にある落書きが見えていなかった。

 

 ベッド、イス、机、床、壁。落書きをナイフで切ると何でも切れた。力なんていらなかった。試したことはないけれど、きっと人間も線を切ればバラバラに出来るのだろうか。

 

 なのに。誰も、信じてくれなかった。僕を、遠くからみるだけ。

 

 そして、何となく分かったのだ。

 

 黒い線は継ぎ接ぎで、世界は脆いという事を。

 

 それが怖くて夢にも見た。

 

 世界が継ぎ接ぎで壊れていく、崩れていく夢を。

 

 そしてそれが夢だと気付いて、僕は無性に誰かも分からぬ誰かを求めた。温かい誰かを。でも、それが誰なのか、僕は分からなかった。胸の奥に、空洞があった。

 

 継ぎ接ぎだらけの病院はたまらなく嫌だった。だから、黒い線の見えない場所に行きたくて、病院から抜けた。

 

 走って。走って。

 

 あてもなく走る。この空洞を埋めてくれる誰かが欲しくて。

 

 でも黒い線はなくならなかった。そして、僕の求めている人は見つからなくて。

 

 何処まで走ったのだろう。

 

 胸が痛くなって、そこが草原であると倒れてから気付いた。

 

 背中にむず痒いような草の感触があったけれど、僕はそれが気持ちいいとは思えなかった。

 

 空を見上げる。手を翳してみると、手には線が見えた。

 

 だけど、空にだけは、線がなかった。

 

「君、そんな所に寝転がってると危ないわよ」

 

 ふいに、声が聞こえた。

 

 誰もいない場所だったはずなのに、声が。

 

 声の聞こえた場所を見た。

 

 其処には赤い髪の女の人がいた。

 

「誰……?」

 

 その不思議な雰囲気の人に、僕は不思議と吸い込まれていく。

 

 赤く長い髪が、風にそよいだ。

 

「私?私はね―――――――」

 

 それが僕と魔法使い、先生との始めての出会いだった。

 


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