七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第十四話 鼓動

 世界が、死を望んだ。

 

 この時、七夜の森にいる生命は自身の死を見た。無残に殺されていく死を幻視した。それは人間、混血も例外ではなかった。原型を留めぬほど殺されつくした自身の造形を見たのである。

 

 森にいるあらゆる生命は自らの死を望み、自ら息絶えていった。虫は共食いを始め、鳥は飛ぶことも出来ずに堕ち、動物は壮絶に死に絶えていく。この世界そのものから逃げていくように。

 

 動物は本能で生きているが故に賢しい。自らの死に敏感であり、読み取る力に優れている。老いた狼などには死期を悟り、群れを離れる習性がある事がそれを証明している。故に、今この時、七夜の森を飲み込んだ殺気。それに中てられ、生命は自らの死を選択した。今この時こそ自身の死期であると悟ったのである。

 

 森の中、対峙するは人間と人外。

 

 片や混血。人外の力を揮い圧倒的な力で命を押しつぶす絶滅種。

 片や人間。長の時間を混血殺しとして歩んできた暗殺者。

 

 遠野分家最後の当主、鬼種の末裔軋間紅摩。

 退魔一族七夜現当主、鬼神七夜黄理。

 

 七夜と遠野が殺し合いを今正に行っている。銃声は絶え間なく降り注ぎ、悲鳴は天にも届かんばかりに響いていく。しかし今、両者に於いては喧騒は遠く、互いの存在しかいないよう。

 

 今この時。かつて出会った二人は、今この時遂に会い見えた。

 

「……」

 

 気がつけば黄理の後方、その側に翁がいた。

 

「朔……」

 

 黄理は腕に抱かれた朔を見た。腕のない、今にも逝き絶えてしまいそうな朔の姿。着流しは血に染まり、身体は赤に塗れ、ボロボロの姿で、動かない朔は黄理の腕の中にいた。

 

 久しぶりに朔の姿を真正面から捉えた。思えば、朔を抱いたのは、生まれたばかりの朔を運んだあの時のみだった。それ以来黄理が肉体的な接触を行なったことはない。だからだろう、朔は黄理が思っていた以上に軽かった。

 

 丸みなく、削げた肉体。子供には似合わない、引き締まった身体。朔よりも未熟な志貴と同等かそれ以下の重さ。それだけしかないのに、朔は黄理の訓練についていき、化け物紅摩との戦闘を行った。

 

 そんなことも黄理は今まで知らなかった。知らず、朔に押し付けていたのである。厳酷な訓練、里の者からの隔離。声をかけることも無く、自分は一体朔の何を見てきたのか。

 

 腕の中、朔は動かない。輝きのない蒼の瞳。浅い呼吸。表情は虚ろ。血の気の無い顔。

 

 死んでいるかのようだった。死にいくようだった。

 

 だが、未だ朔は生きている。死んでいない。

 

「朔」

 

 朔がいないと知り、黄理は前線で敵を殺しながら全力で朔の姿を探した。人数は多く中てられない。現状、七夜は押されようとしている。人外に対し、前線を保っているが、それはいつまで持つか。

 

 魔眼を使えども、朔の思念が見えなかった。黄理の魔眼は人の思念を視る。人は気配は隠せども、思念を隠すことなど出来はしない。この魔眼により、黄理は今まで暗殺を達成してきたのだ。だが、朔の思念が視えない。多くの思念に呑まれたのか、あるいは、朔は既に倒れたのか。

 

 そんな時である。

 

 森が悲鳴をあげた。

 

 身も凍るような殺気が七夜の森を震わせたのである。それと同時であった。紅い思念を捉えたのである。

 

 黄理を動かしたのは予感であった。頼りなることも、頼ることも無い予感であった。ナニカ化け物がいて、そこに朔はいると。

 

 そして黄理はたどり着いたのである。一瞬たりとも遅ければ、黄理の腕の中に朔はいなかった。紅摩と子供の死体のみがいたはず。

 

 声をかけたかった。だが、自分は一体何を言えばいいのか。何を言うべきなのか。分からない。今までの影がちらついてくる。当主として朔に接してきた。酷な事をしてきた。

 

 だが。それでも黄理は―――。

 

「よく、やった」

 

 朔の父になりたかった。

 

 意識もあるか分からぬ朔に、微かに笑む。

 

 不器用な笑みだった。

 

 それは奇しくもあの時。

 

 生まれたばかりの子供に名を与えた朝焼けに似ていた。

 

「翁。朔を連れて退き、治療を行え」

「はっ」

 

 恭しく翁は朔を黄理の腕から引き取った。

 

 翁は何も言わず、朔の着流しを肌蹴、一部分を裂いてその布切れを使い止血を始めた。腋の下にある動脈を圧迫させることで応急的な止血を瞬時に行ったのである。しかし、これは応急処置。大小多くの傷が見える。だが、何よりも左肩。赤く赤い傷口が曝け出されている。引き千切られた筋肉繊維、赤い色に塗れた白の骨止血すれども血は勢いを殺したのみ。早急な治療が必要である。

 

「御館様。朔様を運びます。……御武運を」

 

 翁は消えていく。その腕に朔を抱きしめて。

 

 そして残されたのは黄理と紅摩。互いに無言。ただ殺しあうためだけにめぐり合ったのだ。言葉は不要。交わすような言葉などありはしない。

 

 ここに来て、黄理の内側に激情は無かった。我が子である朔が死にかけた根源が目前にいるのにである。それなのに心は落ち着き払い、ひたすらに表情は冷たい。

 

 心は何も無い。殺人機械。

 

 ――――目前に、金属が迫った。

 

 猛り、紅摩が襲い掛かる。

 

 瞬時に黄理の姿が消える。

 

 瞬きも追いつかぬ疾さ。影すら置いていき、風すら起こさずに。

 

 黄理は、紅摩の首を凪いだ。

 

 交差が始まる。殺し合いが、始まる。

 

 そしてこれが。

 

 

 

 朔と黄理の、最後の会合だった。

 

 □□□

 

 七夜の森を全力で進みながら、翁は現在の戦況を鑑みる。

 

 状況は不利。人外どもの戦術に七夜は押されている。七夜最強戦力である黄理は前線ではなく、一人の混血の相手をしている。遊撃の攻勢が減少したのは紛れもない事実。今こうしている合間に、七夜は死んでいく。死に向かって歩んでいく。これからどれほど耐えられるかが鍵だ。

 

 しかし、問題はあの混血だ。

 

 あれは危険すぎる。些か、黄理にさえ手に余りそうな存在。真正の化生の気配だ。あれがどうなるかで、おそらく勝敗は分かれる。七夜が滅ぶか。混血が死に絶えるか。

 

「ふむ、早く戻るのが得策ですかな」

 

 指揮を行えぬはまずい。だが、それを抑えてなおも、あれは止まるかどうか。

 

「朔様。もう少しの辛抱ですぞ。今しばらくその命、彼岸に持っていかれまするな」

 

 腕の中にいる朔はもう戦えない。目に見えるほどの重態である。肩は捥げ、失血が激しく、意識が無い。チアノーゼが出始めているのが確認できる。今も尚、僅かに開かれている蒼の瞳に生気はない。死に逝く者の目である。翁としてもこれ以上朔が戦うことは許容できなかった。

 

 朔は子供にしては異常な子供だった。高すぎる戦闘能力、早過ぎる成長速度。虚無に支配されたかのような様相。七夜の鬼才。鬼神の子。黄理の実子、志貴よりも次期当主として将来を囁かれ期待された子供である。

 

 だが、それは翁にとってあまり関係のない話である。短くない時間を七夜として生きた。この里に生きる七夜は翁にとって、朔がどうだろうがあまり意味など無い。可愛い里の子供である。

 

 翁としても朔を救いたい。志貴と共にいた朔の姿を覚えている。虚ろにも似た朔のそれまでとはどこか雰囲気に生じた差異そしてそれを翁は子供らしさと感じた。

 

 死なせない。死なせるにはまだ幼すぎる。朔には生きてもらわなければならないのだ。

 

 胸の中、朔の鼓動は弱いながらも伝わってくる。

 

 その鼓動だけを頼りに、翁は森を走った。

 

 その道を、止まることのない朔の血が点々と続いていった。

 

□□□

 

 遠くから悲鳴が聞こえる。

 

 七夜かあるいは混血か。判断はつかない。ただ状況からして悲鳴は近い。悲鳴がどちらのものであれ、前線は下がりつつある。

 

 それを知りながら、私は何も出来ない事に唇を噛んだ。

 

 万が一のため屋敷は出払っている。最も前線に近い平屋の中で、私は震えている。本当なら屋敷の中にいるべきなのかも知れない。だが、それでも私はここにいたかった。

 

 私たち七夜が暮らすこの森に、人外共がいると言う事実。七夜の領域に今唾棄すべき存在がいると言うだけで身体が憎悪に震える。しかし、混血が近くにいると言う現状に、身体が、精神が怯えを示す。空気から伝わる歪の存在。人間以外の気配が森に充満している。それが堪らなく怖い。

 

 だがそれ以上に、朔が何処にもいないことが怖かった。

 

 朔が何処にもいない。この夜に、朔の姿が見えない。混血の襲来を知り、慌てて朔が寝ているはずの離れに向かった。だが、中には誰もおらず、温もりの無い布団だけが敷かれていた。血の気が引くとはあのことだろうか。それから私は狂乱しようとする精神を堪え、兄様に報告しに行った。

 

 朔がいない。それだけで、私は足元が竦んだ。

 

 禁止令から幾程後悔を重ねただろう。悲嘆に明け暮れただろうか。側にいることも出来ぬ自らを罵倒する日々を重ねても、時間は過ぎていった。しかし、私が朔を想わぬ瞬間などなかった。

 

「大丈夫です」

 

 気付けばそこに、義姉様の姿があった。

 

「義姉様っ?なぜここに?志貴はどうしたのです」

 

 義姉様は現在屋敷の中にいるはず。だが今目の前に義姉様がいた。

 

「心配だったので、こっそりと。志貴なら今は眠っています。あの子寝付きがいいから、直ぐには起きませんよ」

 

 そう言って義姉様は少し微笑まれた。

 

「ですが……」

 

 それが納得いかなくて私は反射的に口を開こうとする。

 

 だが義姉様は、そんな私を見て相変わらず微笑まれていた。

 

「納得出来る出来ないは問題ではありません。……私も、あの人を待っていたいから」

 

 義姉様は言う。貴方と同じように、私も心配なのですよ、と。

 

 義姉様は兄様と結ばれてからそれなりの歳月を過ごされてきた。前線に出ることも少なかった義姉様は、兄様が暗殺に向かう背中をこうやって待っていたのだろうか。

 

 白く細い腕が私の拳に添えられた。いつの間にか、力強く握りしめられた私の拳から血が滲んでいる。気付かなかった。それを柔らかな手つきで解しながら。

 

「待ちましょう。あの人を、朔を。大丈夫です。二人は強い。だから――」

 

 

 

「朔様を見つけました――!!」

 

 

 

 翁の声が聞こえた。突然聞こえたその声に一瞬理解が遅れた。だが、朔という言葉に身体が反応した。急ぎ外に駆ける。平屋を抜けた私が嗅いだのは血の匂いだった。夜に血が染みこんでいる。

 

 翁は直ぐに見つかった。平屋から出てきた私に翁は真剣な鋭い眼差しを向ける。

 

 

 そして、それを視た。

 

 

「え……」

 

 

 イラつくほどに眩しい月光に照らされ、朔の姿が視えた。

 

 

「さ、く―――?」

 

 

 七夜の森を駆けてきた翁の腕の中、そこに朔はいた。

 力の抜けた身体。傷だらけの姿。

 なぜだろう、朔のうでがいっぽんない。

 ひだりのかたから、先がない。

 そこから血、血が血がながれて。

 からだじゅうが血で塗れて。

 朔の着た着流し。きれいだったあいいろは黒ずんで。

 朔は、さくは、さくは。

 おきなのなかで、うごいていない。

 すこしだけひらかれた、めが生きていなくて。

 それは、まるで、さくが死―――――。

 

「―――――――」

 

 乾いた音。

 目前が暗闇に閉ざされようとする私の頬に衝撃があった。

 

 見れば、義姉様が私の頬を張ったと気付いた。

 

「何をしているのですか?」

 

 そして先ほどとは打って変わって厳しい表情の義姉様。

 

「あなたは何をしているのです?」

「……わ、わたしは」

 

 だって、だって朔が―――。

 

「動きなさい。失神するのは構いませんが、それではあなたは何故待ち続けたのです」

 

 それに見なさい。朔はまだ生きています。

 

 義姉様の言葉が耳に、届いた。

 

 朔を見る。すると僅かながらに、本当に見逃しそうなほど少し、胸が上下していた。

 

「あ……」

 

 朔はまだ、生きている。

 

 それが分かり、身体に力が入る。

 

 そうだ。私は、何をしている。まだ決まったわけではないと言うのに。

 

「翁っ!!朔はどうなった!!」

「混血との戦闘により負傷。その際に多量の出血が確認され―――」

「生きているんだな!!」

「はっ。命まだ繋がっておりますが、しかし失血が夥しく危険な状態で御座います。至急治療を行わなければ時期に」

「ならば良い。誰か、ありったけのお湯を沸かせっ。それと増血剤を持ってこい。至急治療に当たるっ」

 

 翁から朔を受け取る。軽い。どれだけ強くなろうとも、朔は子供だった。

 

「それでは、朔様をお頼みします」

 

 頭を下げた後、翁は消えていった。おそらく、兄様の側に行ったのか。

 

 私が朔を育ててきたのだ。私だけが、朔の側にあったのだ。そして幼い朔を守りきれなかったのも、私だ。

 

 ならば、私が朔を救わなければならない。

 

 これは贖罪であり、そして私だけの責務。

 

 腕の中。朔は動かない。その僅かに開いた蒼の瞳。おそらく魔眼を発現させたのか。高みを更に登っているのか。

 

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 

 僅かに伝わる命の声音。微弱ながらも、未だ朔が死んでいない何よりの証拠であった。それだけを頼りに、私は動く。それだけで私は動ける。それだけで、充分だ。

 

 □□□

 

 死んでいく。

 

 先ほどまで生きていたはずの命が、死に絶えていく。死んで、殺され、共倒れていく。七夜の森の中、鬱蒼と茂る夜の森に、死が蔓延していく。

 

 人間と混血。七夜と遠野。冷たい冬の満月がぶら下がる中始まった混血による七夜襲撃。戦闘開始当時、前線は互いに譲らなかった。だが、それでも勝敗の天秤は傾きつつある。

 

 数。

 

 単純ながらに何とも分かりやすい暴力。数によって礫殺する。明快かつ分かりやすい力の象徴である。遠野が引き連れた私兵と七夜の対比は明らかに前者に分があった。

 

 更に戦闘。

 

 七夜は戦闘によって生き続けた一族ではない。長い間練り上げてきた暗殺術。それだけで退魔として混血を殺めてきた一族である。戦闘を前提とした術ではない。どれほど巧く命を解体しえるか。それを念頭に置いた一族。

 

 状況は七夜の不利だった。

 

 戦場に於いては七夜が有利だ。森全体に展開する結界、襲い掛かる植物たち、敷き詰められた罠の数。七夜には慣れ親しんだ森であり、この森での戦闘は七夜有利に傾くはず。

 

 だが、それらを掻い潜り、混血たちはやって来ている。それが意味するところは、どういうわけか混血たちはそれらに対応する術を持っていたということ。幸運が幾たびも重なり、偶然に掻い潜ったなどは在り得ない。偶然に偶然が重なった結果は必然以外の何物でもない。

 

 つまり、内通者の可能性。七夜の情報を持つものが、あちらにいて情報をリークさせている可能性がある。

 

それが起因し、七夜は今、滅ぼうとしている。

 

 鳴り止まない銃声に肉体が舞いながら死んでいく。原型を留めぬままに死んでいく。仲間の死体に重なるかのように死んでいく。

 

 止まない銃声。止まない悲鳴。止まない死。

 

 それでも戦うことを止めない。殺すことを止めはしない。確実に滅びようとしているのに、七夜の者が退く事は無かった。皆死んでいく。殺しながら、死んでいく。

 

 混血たちは進む。七夜が死んでいく様を、せせら笑うかのように。

 

 鼓動を奏で、終わりが近く。

 




以下今回のおさらい。
七夜朔は台詞がなかった。軽く死んでた。
七夜黄理は朔をちゃっかり自分の子供扱いした。
妹様は黄理の嫁に気合を打たれた。

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