七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第十一話 満ちる

食事を作る。

 

 それだけの作業が楽しくなったのは、いつからだろう。

 

 食事を作りながら相手に満足してもらいたくて、もっと頑張ろうと思った。

 

 今度こそは反応してくれると期待しながら、無表情の少年の姿を想った。

 

 そしていつもどおり何の反応も示さない少年に敗北感を覚え、次こそは、と執念の炎を燃やした。

 

 何よりも、二人で食事を取ったあの瞬間は、何よりも温かく思えた。

 

 何を考えているかわからない少年だったが、私が作った食事は欠かさず食べてくれていた。

 

 それでよかった。

 

 それだけで、私は良かったんだ。

 

 だが、それはもう、訪れない。

 

 □□□

 

 母屋の居間にて一人昼食を取る。今屋敷内部には私以外の人間はいない。たまたまそのような事になっただけであって、私自身この状態を望んでいた訳ではない。稀な事だ。

 

 屋敷の中は本当に静かで、自分が屋敷の中ではなく、暗い宇宙に一人だけでいるような孤独感があった。

 

 たった一人の食事。それだけだと言うのに、なんて味気なく、寂しい気持ちになる。以前ならば美味いと感じていた食事だったが、箸の進みは遅い。

 

 胸の内に寂寞が巣くっている。それはいつの間にか私の中に宿って、そのまま離れてくれない。そしてそれを自覚するたび、私はどうしようもなく叫びたい衝動に駆られる。この状況、理不尽から生まれたこの現状。そして自分。それら全てを纏めた感情の一片までも吐き出して、そのまま洗い流してしまいたくなる。

 

 だが、そんなことをしても意味がないことは百も承知していた。私は子供ではない。子供でいられる時間は、疾うに過ぎている。駄々をこねて泣き叫んでいるだけの子供でいてはならない。子供では、ない。

 

 だけれど、あの子は、朔はどうだっただろう。

 

 朔は今、私と同じように昼食を一人でとっているのだろうか。そも食事をとっているだろうか。

 

 兄様の決定、朔に対する接触禁止令による隔離から幾ばくか経った。時は流れて季節は移ろい、冬の冷たい空気が里を支配している。朝には地面に霜が降り、本格的な冬の訪れはもう僅かだろう。

 

 そしてその冬の中で、朔は生きている。たった一人で。

 

 あの日から直接的な接触を禁じられた私は朔といることが出来ない。一緒に食事を取ることも、何気ない時間を共に過ごすことも叶わない。私に許されていることは、ただ朔の食事を作るだけ。共に食事を取ることは許されていない。食事を作って朔と顔を合わすことも出来ず、縁側に置いておくだけ。

 

 無論、私はこの状況を受け入れられない。当初、隔離の旨を一方的に告げられた後、私は兄様に問いただした。

 

 なぜそのようなことをしたのか。

 

 真実朔の事を考えたつもりなのか。

 

 だが兄様は私に朔の現状を言ったうえで、里の者を守らなければならないと、当主の顔で私に言ったのだ。

 

 兄様はこの七夜の当主。七夜を守り、続けさせていくことが彼の義務。そのためならば、何かを切り捨てていかなければならない。そのためなら、かつて私たちの兄だった人間を、父となったばかりの男すらも排さなければならない。

 

 それはわかる。わかっている。私は当主としての兄様の姿を幾度となく見てきた。それが必要なことなのかもしれないと、暗がりで囁く自分がいることも事実。だが、だが。 

 

 噛み締めた唇から鉄の味が滲む。

 

 気付けば箸が止まっていた。

 

 この身に宿る感情は後悔か、悲嘆か、あるいは罪悪か。

 

 少し前のこと。私は自身の衝動を押さえつけることが出来ず、朔に会った。誰にも知られず、秘密裏に。

 

 懸念もあった。手をつけた形跡の見られない食事や、屋敷に戻る時刻の遅さ。遠目に見ても明らかに休息を取っていない。だから、この目で確かめたかった。だが。

 

 今、ここに告白しよう。私はあの時、安心したいがために朔へ近づいていったのだ。愚かな私は、自身の不安を払いたいがため朔のもとに向かったのだ。朔の事を考えていると自身では思っていながら、それは自身に返る行動でしかなかったのだ。

 

 それがどれほど、愚劣な行いだったかも、考えぬままに。

 

「朔……」

 

 思い浮かべる。夕闇の中、朱にも黒にも溶け込むように佇んでいた朔の姿を。

 

 茫洋な気配、記憶よりも少し高くなった身長、それに対し削げた肉体。引き締められ、以前よりもその身体は子供特有の丸みを消失させていた。

 

 あの時、私には朔の姿が幽鬼に見えた。

 

 そしてあの目。

 

「朔っ……」

 

 無機質な目。何者にも興味を持たず、何者にも関心を持っていないあの目。それが、深くなっていた。鋭い目つきながらもその中身は虚無そのもので、どこか闇色を孕み、それが私を映し出している。

いや、あれは私を見てはいない。朔の視界の中に私がいるだけだ。

 

 兄様の禁止令から幾ばくの時が過ぎた。それは短いと言うにはあまりに長く、長いと言うにはあまりに遅く、致命的だった。朔は、変わってしまっていた。

 

 いや、朔を変えてしまったのは、果たして誰だ。

 

「――――っ」

 

 何もかもが言い訳だ。

 

 何者からも隔絶された子供にどのような影響が及ぶのか想像することもできないと言うのに、安直な決定で私たちは朔の人間らしさを奪ったのだ。

 

 唇を噛み締める。そうしなければ嗚咽が漏れそうだった。

 

 だが、そんなこと私に許されるはずがない。

 

 朔は何も言わなかった。そして泣くこともない。

 

 ならば、私が泣いていいはずがない。

 

 ―――わたしは、さくのそばに、いようと、きめた。 

 

 かつての誓いが、虚しく響いた。

 

 □□□

 

「僕は兄ちゃんと一緒にいたいのに、だけど皆駄目って、行っちゃいけないって言うんだ。……僕は一緒にいたいだけなのに……、ねえお母さん、何で皆は兄ちゃんと一緒にいちゃ駄目だって言うの?」

「……」

「お父さんも答えてくれなくて、翁も何も言ってくれないし」

「……」

「だから僕、お母さんに聞きたいんだ」

「そうですか……」

 

 そう呟いて、布団に潜り込んでいる志貴の額を母は優しく撫でた。

 

「志貴は優しいのですね」

「僕は優しいの?」

「皆怖いのです。何かを失うことが、誰かがいなくなることが。傷つくことが、傷つけることが。だから朔を遠くに置いた」

「どうして?」

「皆そこでどうしてと思わない。いえ、思わないようにしています。それが一番悪くない事だと、自分に言い聞かせているのですよ。だけれど、それが一番皆痛いと皆気付かないふりをしているのです。しかし、志貴。あなたは違った。気付いた。痛みに向き合えた。だから、あなたは優しいの」

 

 志貴にとって母は誰よりも優しい人だった。厳格な父や拠り所の朔、朔の世話をしている叔母や相談役の翁とも違う、柔らかな雰囲気を持った女性。それが志貴の母だった。そして志貴はそんな母から優しいと言われることが、くすっぐったいながらも少しだけ誇らしく思えた。

 

「痛いことは悲しいです。だけど痛くないと思うことが一番悲しい。だからまだ大丈夫だと私は思っています」

「なにが?」

「私たちはまだ踏み出せません。でも、志貴、あなたならもしかしたら……」

「お母さん……」

 

 そして母は少し微笑んだ。

 

「もう夜も遅いです。おやすみなさい、志貴」

「……うん、おやすみなさい、お母さん」

 

 襖を閉じる母に、そっと志貴は呟いた。

 

 夜。敷かれた布団の中、志貴は天井を見つめていた。

 

 僅かばかり開いた障子の隙間から差し込む月光が眩しい。

 

 脳裏には朔の姿があった。

 

 変わっていく朔の姿があった。

 

 それをどうにかしたくて、でもどうすることも出来ない自分はただ傍にいるだけ。それが悲しくて、父と喧嘩して、母に泣きついた。

 

 そして今日もまた、志貴は朔を迎えにいった。

 

 父は朔と会いたくはないのだろうか。その判別はつかない。

 

 ただ、その役割は自分がやりたいと思った。せめて、たった一人でいる朔のその側にはいたかった。

 

 だけど、それ以上に近づくことが出来ない。

 

 朔は見ていない。何も見ていない。誰も見えていない。茫洋な瞳はそこではないどこかを映し出しているように思える。

 

 それが志貴には悲しくて、その度に志貴は朔の袖を掴む。それ以上のことは出来ない。

 

 だけど、ここで立ち止まっては駄目だと気付いている。

 

「僕が、頑張らないと」

 

 周りが変わらない限り、朔は変わり続けてしまう。きっと志貴の手の届かない場所に行ってしまう。

 

 それは、それだけは嫌だ。側にいたい、側にいて欲しい。あの兄と慕う少年のもとにずっといたい。

 

 だから、志貴は決めた。

 

「明日、一緒にご飯食べよう」

 

 もっと近づいて、あの頃の二人に戻ろう。そうすれば、他の人もきっと元通り。父は普段通り気難しい顔で朔の訓練をして、母は微笑んでいて、叔母は冷たいながらも優しくなって、翁は温かくなっている。

 

 だから、僕が頑張る。

 

 そう決めた。

 

 だから、今はお休み。

 

 目蓋を閉じる。

 

 冬の外気に部屋が少し寒い。志貴は布団にもぐりこんだ。

 

 部屋に入り込む月光は閉じた目蓋でも痛いほどに眩しい。

 

 そのまま志貴は眠気に乗っかり眠りについた。

 

 □□□

 

 月が、満ちる。

 

「槙久どの。足並み揃いました。行けます」

 

 夜の帳の紛れ込み、化生は訪れた。

 

「これは、粛清だ」

 

 かつての恐怖を抱き込んで、男は呟いた。

 

「行くぞ」

 

 その懐には鬼。人外の化け物。

 

 殺人鬼を滅するために鬼を引き連れて、男はやってきた。

 

 頭上には満月。忌々しいほどに輝く月明かり。

 

「七夜黄理を殺れ」

 

 逢魔が時。

 


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