─ナザリック地下大墳墓第9階層【ロイヤルスイート】─
「……えっ」
目覚めて、最初に目に飛び込んだのは知らない……どころか見覚えがありすぎた天井だった。幾度も其処で寝転がった。幾度も見上げて手直しした。自分が見間違えるはずがない。
理解が追い付かない。
あの死地や病院の一室、もしくは遺体安置所ならばまだ理解できただろう。
自分は奇跡的に蘇生した、もしくは死んで幽霊になったのだと。
だがこれはどうしたことか。
ここはあのナザリック地下大墳墓の、自ら手掛けた封獣ぬえの私室ではないか。
「えっ、えっ」
同時に自分の身体も、ユグドラシルで作り上げたアバターそのものとなっている事を認識した。10年近くも入り浸り、RPしきっていたのだ。鏡すら見ずに、『封獣ぬえ』になっていると理解した自分を褒め称えたい。ある種現実逃避とも言える自画自賛を行いつつも、どうにか現状理解に努めようと頭を回転させる。
両手を見る。五感が訴えかける認識通り、自分が惜しげもなく課金し作り上げた、封獣ぬえの美しい両手だ。現実の肉体である、あの傷だらけの手ではない。蛇とリストバンドがないのは、引退時にギルドマスター・モモンガに全武装・アイテムを渡したからだろう。その両手で身体をぺたぺたと触る。あの時負った怪我もなく、五体満足の上、呼吸もしている自覚がある。全身の感覚は
動揺と混乱から時折喉から零れる声も、当たり前のように少女のそれ。意識すらしていないのに
(死んだのに? ゲーム? 夢? 違う、現実、なにこれ、なにこれ、なにこれ)
コンソールは、でない。さすがにこれは予想がついた。
混乱から覚める気配はないが全身の感覚から、かつてログインしてた状態とは全く異なる事は認識できた。じゃあこの状況はなんだというと己の知識では皆目見当がつかない。
背中に意識を向ける。スキル発動時以外動かせなかった3対の翼。それが『最初からこうだった』と言わんばかりに自在に動かせる。驚いて意識を向ければ、スキル、魔法、HP、MPがなんとなくわかることに気が付いた。ありえないが、そういうものだと本能が認識を強要する。自分の現状が恐ろしく、スキル発動などを試す勇気はない。
(ゲームのRPなんかじゃない。私がぬえそのものになったとしか)
なるほど、自分はあの死に絶えた男でありながらそうではない。今は封獣ぬえなのだと
必要最低限、そういうことなのだと定義することで混乱は僅かながら収まってきた。完全に落ち着いたわけではないが。
己を『自分の中にある封獣ぬえ』と定義したぬえは、改めて周囲に目を向ける。
最初の認識は間違いなどではなく、自分がデザインした部屋だということを理解できた。
この『封獣ぬえ』は正体不明を売りにしたキャラクターだった。だから部屋は各文明、各文化の家具等を雑多に並べ立てたのだ。最高のスイートルームを魔改造した事に後悔は一切ない。『自分の中にある封獣ぬえ』を再現する為なら、なんでもやったのが当時の自分だ。
床などわざわざ畳に張り替えており、和風か洋風か統一しろと仲間に叱られたなぁと、部屋でも一番特徴的だったちゃぶ台の方に目を向けると。
「…………」
「…………」
死の直前に何度も謝罪した、死の超越者が座って此方をじっと見ていた。時間停止魔法でもかかったかのように、ぬえの時間が凍りつく。
「おはようございますぬえさん、そしてお久しぶりです」
「…………」
朗らかな、そして明らかに喜色満面の雰囲気を見せるギルドマスター。
ぬえは理解した。この為に自分は今此処にいるのだと。神がいるとすればこれが慈悲なのだと。贖罪の為に、この状況があるのだと。
ぬえの目から涙が零れ落ちる。
「……なさい」
「えっ」
幾度も実感していたが、涙を流せる以上、この世界はゲームではない。
動揺した声をあげたモモンガも偽者かもしれない。それでもぬえは
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ベッドの中からなど失礼だ。
飛び降りるというよりは転がり落ちるように畳に降り、土下座する。
「ちょ、ぬえさん!? どうされたのですか!」
「モモンガさん、ごめんなさい。ここから離れてごめんなさい、メール見たのに来れなくてごめんなさい!」
「ちょっと落ち着いて……ああ、ぬえさん精神作用無効持ってないのか。とにかく落ち着いてください!」
ぬえの謝罪土下座をどうにかやめさせるのにアインズが要した時間はおよそ10分であった。
◇
「……以上が、現在のナザリックです」
「……」
「夢でもなければ死後の世界でもありません。異世界転移……ぬえさん的には幻想入り? でしたっけ。そんな具合です」
ようやく話の聞ける状態になったぬえに対し、アインズは現状について説明していた。泣き腫らした目は、未だ潤んでいるが、泣き出す心配はなさそうで一安心している。説明には現状だけでなく、これまでの経緯も必要だったので30分ほど時間が経ってしまったが、ぬえはどうにかこの異常を飲み込んでくれたようだった。寧ろ、理解が早いレベルかもしれない。
RPに徹している時は、るし★ふぁーと一緒に悪ノリすることが多く、幾度も手を焼かされた悪戯好きなのだが、RPが剥げれば丁寧で凝性の強い男性。ついでに豆腐メンタル。
それがアインズ視点のぬえへの印象だった。
男性なのに女性アバターなのも、RP時は、
「野良でネカマってhimeプレイ*1する為さ!」
と返し、ケタケタ笑いながら自称貢物を自慢したりしていたが、
「100年以上前の作品なんですがね、『封獣ぬえ』というキャラクターが大好きでして……。ユグドラシルの圧倒的自由度ならアバター再現できると踏んで始めたんですよ。ほら、著作権50年ほど前に切れましたから、徹底しちゃってもいいかなって……」
通常時はそこから『封獣ぬえ』の魅力を滔々と語りだすほどキャラ愛の深い本音を出していたプレイヤーだった。『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーらしいクセの強い人物だ。
アインズもRP重視のプレイヤーだったので理解はしていたが、出逢った当初は別人過ぎて戸惑ったものである。
ちなみにユグドラシルでは声は基本本人のものが適用されるが、彼はぶくぶく茶釜さん曰く「両声類」だそうで、RP時の女性の声も特にデータ操作しているわけではないと言う。
「ああいうのずるいよね。ショタ声自然に出せるとか」
「姉ちゃんはそのロリ声でエロゲ出演るのマジやめてくんない?」
「黙れ弟」
そんな会話あったなぁと思い返して、ふとアインズは問題点に気が付いた。
(……ナザリックのNPC達ってどっちで認識してるんだ!?)
「やっと、事情が呑み込めた気がしますよ。なら私はナザリックに転生したと言えるかもしれませんね。生きたまま転移したモモンガさんと、死して転移した私では事情が異なる……のでしょうか。自分でも信じられない程、現状と我が身の事がすんなり腰を据えました」
アインズの前では素で話しているぬえがいる。声こそRP時のそれだが、口調は通常時のものだ。こっちだとNPCたちが認識しているなら、彼も多少楽かも知れない。至高の41人としてRPしてもらう事に変わりはないが、いかに素を出せる場が多いかは重要だとアインズは痛感していた。ちなみにぬえの口から「自分は死んだはず」と聞かされた時は精神の抑制が数度発生している。さらっと死んだことを強調してくるが、まだ慣れてないので勘弁してほしいのが本音だ。
(ぬえさんがユグドラシル時代で素だった事は、円卓の場ぐらいだったはずだが……NPC達の前では基本RPしていた、気がする。不味いな)
もし、RP時が素だと思われていたら彼は〈
「モモンガさん、どうされました?」
「あ、いえ……ぬえさん、これからについてですが」
何事も相談は基本である。
社会人経験をフル活用しながら、アインズはぬえに今後の相談をすることになった。
・第九階層『ロイヤルスイート』
防衛ダンジョンとしては異質ながら、ギルドメンバーの私室、客間や応接室、会議室もとい円卓の間と戦闘を想定されていない。つまり第八階層がナザリック地下大墳墓における最終防衛ラインである。
また、この階層にはギルドメンバーの夢と憧れが詰め込まれており、大浴場、美容院、雑貨屋、エステと娯楽の限りが用意されている。スピンオフ4コマ漫画の『不死者のOh!』ではこの設定を存分に活用しており、様々な娯楽施設が登場している。
・ジョブ『大妖怪』、『鵺』
独自設定。多分ユグドラシルにはある。
異形種らしく精神作用無効つけててもいいんですが、ぬえがそんなのつけててもなぁという理屈で種族特性にない扱いに。
・「夢でもなければ死後の世界でもありません」
アインズの主観にすぎない。正直言って、この異世界とユグドラシルの関係性は謎のまま。媒体によってはモモンガの中の人である鈴木悟はサービス終了時にそのまま死亡している節がみられる為、解釈次第な気がする。