一般人は毒を吐く。   作:百日紅 菫

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コイバナは女子の必須科目です。

ティナside

 

臨海学校初日の夜。

なぜか私は、教員用の部屋で正座していた。しかも、自分のクラスの担任でもない織斑先生の部屋で。

隣には私を引っ張ってきた鈴を含めた、一夏のことを好きな四人と、巧ともう付き合ってるんじゃないかってくらい親密なシャルロット。もうこのメンバーだけで何を言われるのか分かってしまう。帰りたい…。

 

「そんなに緊張するな。なにも取って食おうって訳じゃない。…ちょっと待て」

 

そう言って織斑先生は壁を数回叩く。もしかして、部屋にまだ真理が残ってたのかな。気配がまったくなかったし、それに気づける織斑先生もやっぱり格が違うなぁ。…あ、扉が閉まる音。

 

「邪魔者がいなくなったところで。ふむ、飲み物を奢ってやろう。篠ノ之、何がいい?」

「え…!?え、っと…」

「なんだ、すっと言え。ハミルトン、デュノア」

「じゃあコーヒーで」

「僕はオレンジでお願いします」

 

どうやらこの集会の目的をなんとなく察している私とシャルロットならすぐに答えられるだろうと思ったらしく、こちらに振ってきた。本当はいらないし、すぐにでも部屋に戻りたいけど、帰れなさそうだし貰っておくことにしよう。

その後、備え付きの冷蔵庫からぽいぽいと飲み物を投げ渡し、最後にビールを一缶出した織斑先生が、私たちの正面に座る。

プシュッとプルタブを開けた織斑先生は、ごくごくとビールを飲み始める。その姿は、家にいる時のナタル姉と酷似していた。

 

「ふぅ。さて、本題に入るとするか」

「あの、本題って…」

「それより、今飲んでいいんですか?仕事中なんじゃ…?」

「気にするな。それに口止め料はもう払ったぞ」

 

皆があっ、という表情をするが、どうせこの後は寝るだけなんだし、もうプライベートでいいんじゃないかな。大体、この部屋一夏と織斑先生の部屋なんでしょ?もう家じゃん。家族しかいないならもはや家と同じじゃん。

 

「それよりも、だ。お前ら、あいつらのどこがいいんだ?」

 

ド直球!あまりにもストレート過ぎて、ツンデレ三人組が顔を真っ赤にしている。あ、シャルロットも照れてるな。

 

「まずは一夏のほうからだな。どうなんだ、ん?」

 

うわ、酔っ払いおやじみたいな絡み方だなぁ。

織斑先生の問いに、照れ隠ししながら箒から答え始める。

 

「わ、私は別に…以前より剣の腕が落ちているのが腹立たしいだけです」

「あたしは、腐れ縁なだけだし…」

「わたくしはクラス代表として、もっとしっかりして欲しいだけですわっ」

「そうか。では一夏にそのように伝えておこう」

「「「言わなくていいですっ!」」」

 

ちびちびとコーヒーを飲みながら会話の行方を見守る。そういえば、今コーヒー飲んじゃったら寝れないんじゃ…。

私が自分のチョイスを公開しているうちに、会話はどんどん進んでいく。今度の標的はラウラだ。でもま、三人に比べればツンデレの要素は薄いし、答えはシンプルなものだろう。

 

「で、お前はどこが好きなんだ?」

「…つ、強いところでしょうか」

「いや、弱いだろ」

 

ばっさりと切り捨てる。やっぱり自分の弟には厳しいんだなぁ。真理が言ってた通りだ。身内と認めた人には、他より厳しく当たる。それが織斑先生だって。まあ元から厳しいから、身内側からすればもう少し優しくして欲しいだろうけどね。

 

「いえ、強いです。少なくとも、私よりは」

「そうかねぇ。まあ、強い弱いはともかく、役には立つな。料理も家事もできるし、マッサージも上手い。付き合える女は得だな。欲しいか?」

「「「「くれるんですか!?」」」」

「やるかバカめ」

 

くく、と笑いながら、狙いを変える。今度はシャルロットと私だ。そして二本目のビールを開ける。いやいや、さすがに二本目はまずいでしょう、なんて言えるわけもなく。

 

「で、お前らはあいつらのどこがいいんだ?」

 

シャルロットと目を合わせる。

 

「僕は、その、優しいところです。それに、一緒に歩んでいける、って思わせてくれたから、ですかね」

 

シャルロットの言葉を聞いて、なるほどと納得してしまう。

確かに巧は一夏や真理とは全然違うタイプだろう。いや、一夏と真理も正反対くらい違うと思うんだけど。それを言うなら、正反対、じゃなくて、遠い、かな。

巧は、なんていうかこう、地に足がついている気がする。鈍感じゃないみたいだし、いろんな意味で私達と、シャルロットと同じステージに立っていると思う。

 

「ま、確かにな。あいつは一夏のように能天気でもなければ、佐倉のようなタイプでもない。競争相手もいるだろうが、お前を警戒してても出せないみたいだしな。……なんでくっついていないんだ?」

「なっ!?べ、別にいいじゃないですか!まだ、そういう関係じゃないってだけで…」

「ははは、そうだな。だが不純異性交遊はバレないようにしろよ。世界に三人だけの操縦者だ。それがバレたら、私の仕事が増える」

 

もうっ、と憤慨するシャルロットを尻目に、織斑先生と私の目が合う。その眼はさっきまでのふざけた雰囲気じゃなく、少し真面目な視線だった。

 

「そして佐倉のことだが、正直、あいつのことは私にも読み切れん。学園であいつに一番詳しいのはお前と更識だろうな」

「そう、ですね。真理を好きになるなんてまた、随分な茨道を選んだもんですよ」

「だろうな。一夏の話じゃないが、強い弱いで測れば、あいつは確実に『強い』方だ。それも、単純な戦闘力は私を超えるだろうし、精神的な強さも尋常じゃない。あいつのIS適性がC以上ならばモンドグロッソ最年少優勝も夢じゃないくらいな」

 

でしょうね、としか言えなかった。真理は、以前言っていた。

今の自分には、目指すべき夢がない。だから、目指した人を超えるために、今を生きている、って。だから真理は稽古を怠らないし、強くなることに迷いがない。一心不乱に強くなる。

それに加えて、簡単に人を信頼することを良しとしないあの信条。

そもそも真理と仲良くなること自体が難易度A以上のクエストみたいなものだ。そこからさらに恋愛関係に持っていこうなど、もはや不可能としか言いようがない。

 

「実際に戦ったことのある身としても、真理さんの実力は凄まじいと思います。しかし、それは生身の話であって、ISに乗ればまた話は変わってくるのでは?」

 

セシリアが織斑先生に聞く。

確かに、真理の強さは生身でないと発揮できないものではあるが、仮に、その生身での力を十全に使えるISがあれば、それはもう歯止めが利かないほど強くなるのではないだろうか?

そして、真理が獲得したとも言うべき、あの黒いISのようなものは、まさにそれなのでは、という予測が頭の中で行われる。

 

「いや、あいつは必要な強さならば全て手に入れられる器を持っている。佐倉自身はあらゆる才能が無いと思っているようだが、それは違う」

「…真理が天才だとでも言いたいんですか?」

「それは違う。だからそう睨むな」

 

つい睨んでしまっていたようだ。真理の努力を蔑ろにしたように聞こえてしまったからだが、どうやらそれは違うらしい。

 

「あいつは天才ではない。が、自身の努力を受け入れる器に際限がないんだ」

「努力を受け入れる器?」

「そうだ。強くなるための努力、知識を吸収する努力。誰しもがそういった努力をする中で思う不安や心配、悩みを、あいつは全て許容する。努力する過程で捨てるものなど一切ないとでも言うように、な」

「………」

「そして、あいつの過去を鑑みれば、誰かを好きになる、誰かを自分の唯一無二にするといったことは難しいだろう。お前らも、一夏も澵井も含めてだが、家族に問題を抱えている」

 

言われてみればそうだ。普段の行動からは考えられないが、ここにいる全員が、家族に何かしらのコンプレックスを抱いている。

一夏と織斑先生は両親を失っているし、セシリアもそうだと聞いた。鈴の両親は私の親と一緒で離婚したらしいし、シャルロットと巧の親も、少し前まで大変な立場にあったらしい。ラウラに至っては、両親がいない。

真理も、言わずもがなだろう。

しかし、織斑先生が言いたいのは、さらにその先だった。

 

「佐倉が抱えている過去は、見る者によっては大したことがないと言われてしまうかもしれない。私や一夏のように物心ついたころに親がいないというのは、これ以上なく生きづらいものだし、篠ノ之は姉が特異過ぎる故の苦労を負ってきただろう。オルコットや凰、ハミルトンのように親がいなくなる経験もまた耐え難いもので、ラウラのように、そもそも生まれが特殊ならば成長するにつれて疑問が浮かんだり精神的につらい時期が来るだろう」

 

確かに、私も親が離婚したとき、というより、正確には離婚した後だが、後悔したりしてナタル姉やイーリ姉の家に入り浸ったものだが、それでも真理の過去が大したことないなんてことは無い。

 

「だが、あいつが経験してきたものは、私達には理解できないものだ。私達は両親の喪失とそれに付随する悲しみや生きていく上での苦労ならば理解できる。そういう意味ではデュノアと澵井が一番佐倉に一番近いが、それでもあいつの苦しみとはまた別だ」

「………」

 

誰もが、口を閉じて織斑先生のお言葉を聞く。

そもそもこれって恋愛の話じゃなかったっけ、などといえる雰囲気ではなくなっていた。きっと織斑先生は酔うと饒舌になるタイプなのだろう。

 

「あいつは典型的な女尊男卑の被害者だ。血のつながった家族がいながらも、同じ家で暮らしながらも、幼少期から奴隷のように扱われ、果ては物のように売られる。現代の風潮の被害者でありながら、その風潮に逆らう特異性を見出されてしまった。それがどれだけ辛いものなのかは、想像するだけでもゾッとするよ」

 

もし、もしも自分が真理の立場だったら。

そんな地獄ともいえる、いや実際に生き地獄だろう場所で、自分を失うことなく生きていけるだろうか。

 

「佐倉は、誰よりも戦うことに関しての才能を持っている。本人は無自覚だろうが、天才とはまた別の才能を持っているんだ。そして、戦うということは何も誰かとぶつかり合うことだけじゃない。あいつは、自分の運命と戦っている」

「運命?」

「そうだな、人生と言い換えてもいい。要するに、あいつにとって生きることが戦いであり、戦いこそが生きる道なんだ。人と競い合うことでもなく、誰かと争うことでもなく、ただ歩くことすらも、戦いなんだ」

 

織斑先生は、そこでぐい、と缶ビールを傾けた。

そんな織斑先生を見て、疑問が湧く。すなわち、『なぜこんなにも、真理のことを気にするのか』だ。

私が見た限りじゃ、織斑先生と真理の関わりって、あの試合くらいしかない。アリーナを生身でボコボコにしたあの試合。あれ以上の関わりなんて無いように思えるが、なぜこんなにも、あえて言うなら、自分の弟である一夏の話を差し置いてでも真理の話をしているのかが、不思議でしょうがなかった。

 

「まあ、それはお前らも変わらないがな。…さて、そろそろ一夏が戻ってくる。お前らも戻っていいぞ」

 

私たちがここにきてから、というか一夏達を追い出してからもうすぐ一時間だ。いくら風呂好きでもさすがに戻ってくるだろう。

慌てて自室に戻る為に立ち上がる皆を尻目に、私は、ビールを飲む織斑先生を見る。さっきの疑問が頭から離れないから。

皆が慌てて入り口に向かう中、私は聞いた。

 

「織斑先生」

「なんだ」

「なんで、そんなに真理のことを気にしているんですか?」

 

皆が部屋を出て、鈴が私を呼んでいたが、私はこの答えを聞くまでは出れない。出て行ってはいけない気がした。

しかして、織斑先生はこう答えた。

 

 

「……佐倉が被害者なら、私は加害者だからだ。…そら、もう行け」

 

 

追い出されるように部屋を後にする。

織斑先生が加害者?どういうことだろう。

 

「何してたのよ。とりあえず、もう戻るわよ」

「う、うん」

 

鈴に引っ張られて生徒用に割り当てられた部屋に向かって歩き出す。が、すぐに何かにぶつかる。

 

「あいたっ」

 

硬いけど、弾力があるそれの正体を確かめようと、一歩引いてみれば、目の前にいたのは真理だった。その後ろには一夏と巧がいる。この三人が一緒に歩いているのなんて、珍しいを通り越して事件じゃないの?

さっきまでの思考が全部吹き飛ぶくらい、衝撃的な画だった。

 

「何してんの?」

「むしろ真理がどうしたの?」

「こいつ、一人で海にいたんだぜ」

「…………」

 

後ろから真理の肩を掴んで巧が言う。なにそれ、その位置ずるくない?代われ。

そんな煩悩をよそに、真理は鬱陶しそうな顔をしながらも、何故かシャルロットを見てた。なんで?確かにここにいる人はみんな可愛いし、浴衣姿のシャルロットは超可愛いけど。見られてるシャルロットもちょっと困ってるじゃん。ほら、真理、見るなら私にしときなよ。

 

「…俺も風呂入ってくるわ」

「マジか。俺ももう一回行こうかな」

「気持ち悪いから来るな。じゃ、十時までは戻らないから」

 

そう言って真理は来た道を戻っていった。温泉に行くのだろう。

皆が不思議そうな顔をしている中、シャルロットだけが何かひらめいた顔をしていた。なんだ、二人で通じ合ってるんじゃないよ。と思ったが、すぐに真理の考えを理解した。

要するに、巧とシャルロットを二人にしてあげようてことなんだろう。多分、昼に追いかけっこしたときに逃がしてもらう条件か何かで言ったんだろうな。

 

「じゃあ、私たちも早く戻ろうか。一夏も織斑先生が呼んでたから早く戻ったほうがいいよ~。…巧、上手くやりなよ」

 

鈴の肩を押し、箒やセシリア、ラウラも無理くり部屋に連れ戻す。まあ巧狙いの子はここにはシャルロットしかいないから大丈夫だろう。皆(一夏以外)すぐに察したようで、シャルロットに小声で激励してから部屋に戻る。

 

「兄様は優しいな。何故普段から『ああ』しないのだろうか」

 

帰り道、ラウラが呟くように言う。

その問いに答えられるのは、私か更識先輩くらいのものだろう。

 

「真理は信頼こそ簡単にはしないけれど、基本的に人を助けずにはいられないんだよ」

 

本能、というか。

桜新町で育った影響故、というのは私達の知るところではないけれど。

なんだかんだ言いながら、人を助ける。誰かの助っ人になる。

自分のために戦うことが、誰かのためになってしまう。

それが真理で、そうでなければ真理じゃない。

 

「だから私は、真理が好きなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

巧side

 

「えっと、じゃあ、部屋来るか?」

「うん!」

 

廊下に取り残された俺たちは、ひとまず部屋に入ることにした。真理と同室だけれど、あいつが風呂に行ったなら入れても大丈夫ということだろう。つーかなんで唐突に風呂に行ったんだ…?

 

「へぇ~。私たちの部屋とはちょっと違うんだね。それに凄い片付いてる」

「まぁ初日だしな。旅先の旅館であんまり散らかすと片付けも大変になるし、やっぱり人がいると汚くもできないよ」

「男の子でもそういうのはあるんだね」

 

そう言って、窓際というか縁側というか、とにかく襖で仕切られた位置に設けられた椅子に、机を挟んで座る。窓からは海が見え、月が反射して煌めいている。

まあそんなことよりもシャルの浴衣姿に目を奪われているのだが。

 

「あれ、この本なんだ?」

「アーサー王伝説、しかも英語?真理も読書家だねぇ」

「つーか臨海学校に持ってくるなよ…。そういえば、真理に頼まれてた和訳の確認は終わったのか?」

「うん。久しぶりに読んだけど、すっごい面白かったよ!真理の解釈の仕方とかも相まって、前読んだ時より面白かったかも」

「あいつは本当に何でもできるな」

 

いや、そんなこと話してる場合じゃない。

真理が帰ってくるまであと十五分くらい。多分、皆俺たちの関係を進めるために、無駄に気を使ったのだろう。その心遣いは嬉しいが、その積極性を自分たちの恋に使ってくれと思わなくもない。

そんな現実逃避もむなしく、やはり話は恋愛方向へと向かう。

俺だって一夏のように鈍感な訳じゃない。シャルの気持ちには、俺の自惚れじゃなければ気づいてる。そして、俺自身の気持ちも。

 

「巧はさ、どんな女の子が好き…?」

 

顔を赤らめて、俯き加減に聞いてくる。少しはだけた胸元から、陶磁器のような白い肌がのぞいていた。それは反則だろう。

普段三つ編みにしている髪を下ろしていることもあって、いつもは見られない艶やかさが出ていた。正直、今この娘に迫られたら、反射的に襲ってしまうかもしれない。そこまで理性を捨てているつもりはないけれども。

 

「……シャルは、どうなんだ?どんな奴が好きなんだ?」

 

逃げ。

一夏のように鈍感じゃないから、怖い。

思春期なんかとうにやり切ったように思っていたが、どうやらそうでもないらしい。俺は、シャルが俺のことを好きなんだと思っている。でも、それが勘違いだったら。思春期特有の、思い込みだったら。

そして、それ以上に、シャルを助けたのが、俺じゃなかったらという考えが、よぎるから。

あの場で最初にシャルを助けたいと叫んだのは一夏だ。シャルを助けるために最初に動いたのは真理だ。

俺は何もしていない。

あの後、一夏が真理の言葉を無視してシャルを助けるために動いていたら、きっと本当に助けられただろう。

真理が本気で動いていたなら、きっと俺よりも早くシャルを助けていたかもしれない。

あそこにいた三人にシャルを助けられるチャンスがあったし、それはきっと、シャルが好きになっていた可能性も全員にあるということなんだろう。

 

「あ、いや、やっぱいいや!それより…」

 

シャルの話を聞くのが怖くて、無理やり別の話に持っていく。ここで、俺以外の名前が出てくるのがたまらなく怖い。それを聞いてしまったら、今までの関係には戻れない気がして。

でも、シャルはそれを許してくれない。

 

「僕は、巧が好きだよ」

 

唐突だった。

 

「恋愛対象として、ずっと一緒にいたい思う相手として、巧のことが、好き」

 

いや、俺が話を振ったんだ。唐突なんかじゃない。

真剣な表情のシャルに、どう返していいかわからなくて、俯く。いや、ただ嬉しくて、照れてしまって、赤くなってるであろう顔を隠したいだけだ。

しかし、さっきの疑問が再度頭に浮かぶ。

 

「…それは、俺がシャルを助けたからじゃないのか?」

 

「え?」

 

俯いたまま、シャルの顔を見ずに問う。

 

「あの時。シャルを助けたのが一夏や真理だったなら。いや、俺じゃなかったほうが良かったのかもしれない」

「…巧」

「俺がやるより、もっとシャルにとっていい結果になったかもしれない」

「巧」

「シャルが好きになってくれたのは凄い嬉しい。でも、その好意を、素直に受け取っていいのか、わからないんだ」

 

自分でも、バカなことを言っているのはわかっている。人の好意を蔑ろにしていることも。

だけれど、やっぱり不安なんだ。

可能性があっただけに。

 

「巧。顔を上げて?」

「?…っ!?」

 

 

 

キスをされた。

 

 

「ぷはっ……巧。僕は、巧が好き。いろんな可能性があった『かもしれない』。でもそれは、過去の可能性なんだよ。いろんな分岐点があって、いろんな分かれ道があった。その中で、僕は、巧を好きになる道を選んだだけのことなんだよ」

「……」

 

キスをされたことによる衝撃から動けずにいる俺の横に移動してくるシャル。俺はシャルの動きを眼で追うのが精一杯だった。

 

「確かに巧に助けてもらったことが、巧を好きになった理由の一つだと思う。それでも、今まで、まだ短いけど一緒にいたことでもっと巧を好きになった。この気持ちは、今確かにここにあるものなんだよ」

 

隣で俺の手を握ってくる。

ああそうか。簡単なことだったんだ。

俺はバカだ。今、こんなに優しく、可憐で、俺のことを好きだと言ってくれる娘がいるんだ。

過去の可能性なんて、今はどうでもいいじゃないか。人の気持ちにとって一番大事なのは『今』だろう。

 

「巧。僕は、巧のことは好きだよ」

「シャル。俺も、シャルのことが好きだ。俺と付き合ってほしい」

「うんっ!」

 

椅子から立ち上がって、シャルを抱きしめる。

こんなこと、シャルと話す前だったら出来やしなかっただろうな。

 

「…あ」

「ん、どうした?」

 

身長差がある故に、俺の肩からかろうじて目を出しているシャルが、声を上げた。

 

「時間が…」

「あ、そうだったな。そろそろ真理も帰ってくるだろうし、シャルも戻ったほうがいいな。送っていこうか?」

「あはは、さすがに大丈夫だよ。じゃあ、また明日ね?」

「ああ。また明日」

 

せめて入り口まで送っていこうと、一緒に部屋を歩く。

正直、俺はこの時、浮かれていたのかもしれない。よく考えたら、初めての彼女だし、めっちゃ可愛いし、相思相愛だし。

だから、足をすくわれたのかもしれない。いや、正確には、『足を滑らせた』のだけれど。しかも、二人とも。

 

「きゃあっ!?」

「うお、っとぉおう!?」

 

シャルが、俺が寝る予定だった布団で足を滑らせた。俺はというと、シャルが後ろに倒れたから、咄嗟に支えようと手を伸ばし、そのせいで体重移動がうまくできずに右足を畳で滑らせた。

流石にシャルを下敷きにすることだけは避けようと、転んでいる最中にシャルと位置を変えるように回転する。

ギリギリでそれは成功したようで、背中に結構な衝撃がかかる。

 

「いっつぅ…。大丈夫か?」

「う、うん。ごめんね」

「大丈夫ならいいんだよ。ほら、真理が帰ってくる前に行かないと」

 

しかし、噂をすればなんとやら。いや、すでに十時を過ぎていたから、しょうがないと思うが、本当にタイミングが悪かった。珍しいことに。

 

「……」

 

ドアを開けた真理が、こっちを見て立っていた。何というか、ゴミを漁るカラスをみるような目でこっちを見ながら。

 

「あ、いや、違うんだ真理!」

「別に変なことをしてたわけじゃ…!」

 

慌てて弁解する。これが一夏やほかの女子だったら容赦なく、弁解の余地など与えられなかっただろうが、真理ならば…。と淡い期待をかける。

とうの真理はといえば、手に持っていたスマホをパパッといじると、こちらにレンズを向けて、数回、パシャパシャと音を立てた。写メを撮ったのだろう。

いやいや、冷静にそれを見てる場合じゃない。

 

「あ、あの、真理…?」

「お邪魔しました。発情期だったとはつゆ知らず、お前らを二人きりにした俺にも責任はあるからな。せめて、十一時までにはそのマウンティングとその他諸々を終わらせといてくれ。その間に俺は織斑先生に報告したり、ティナに伝えたりしてるから。大丈夫。この写メ見せて嘘偽りなく、しっかり伝えておくから。まあ、そのあと大人になった責務として質問攻めにあうだろうけど。じゃあ」

「ちょっと待ったぁ!」

「やめてぇえ!」

 

こうして、波乱の臨海学校初日は、月が上るとともに幕を下ろしたのだ。

 

 

父さん、母さん。可愛い彼女が出来ました。

 


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