「ここは…?」
見渡す限りの暗闇。以前にも来たことがあるような気がするが、いつだっただろうか。
既視感を覚え、とりあえず歩いてみる。一寸先も見えないが、自身の体だけは見える。以前は自分の体すら見えなかった気がするが。
「真理」
不意に名前を呼ばれ、振り返る。
「ことはさん?」
聞き覚えのある声に名前を呼んでみるが、そこには何もない。ただ暗闇が広がっているだけだ。
「真理ちゃん」
「アオさん?」
またも名前を呼ばれ振り返るが、やはりそこには暗闇が広がっているだけだった。
「真理」
「……真理」
「秋名さん?ヒメさん?」
誰もいない暗闇の中、名前を呼ばれては振り返るが、暗闇が広がっているだけ。
そこで俺は思い出した。
そうだ。ここは、四音の中だ。初めて入った時は自分の体すら見えなかったが、何故か今回は自分の体だけが見えている。それに、以前は泥の中のような、水の中のような浮遊感があったが、今は地面があって広い空間があるように感じる。
しかし、いくら空間が広がっていようと、見えなければどうしようもない。
人は視界を遮られるとまっすぐには進めない。だから俺も、自分が今どこを歩いているのか全く分からない。慎重に歩いているからか、もともと無いのか、障害物らしきものには掠りもしないが、少しだけ不安になってくる。
そんな俺の心のうちを見透かすように、今俺の近くにいる信頼している人間の声が聞こえる。
「真理!」
「真理君!」
声の方に顔を向けると、光がさしていた。
「ティナ、楯無先輩」
自然と足は加速していた。
光に向かって駆けていくが、その距離が縮まることはない。
走りながら目を凝らすと光の下に、六つの影が落ちていることがわかる。
「ティナ!楯無先輩!」
俺は、水の中にいた。
「……り…」
誰かに呼ばれてる。
「……まり……」
でも、どうしてだろう。さっきまでの声と違って、鬱陶しさしか湧いてこない。
「真理!」
「…だれ?」
「巧だよ」
「…………誰?」
「うぉい!」
隣で騒ぐ澵井を無視して窓の外を見る。
夏特有の入道雲と、その下でキラキラと輝く海。その先に見える水平線には船らしき小さな影がある。
俺たちIS学園の一年生は現在臨海学校に来ていた。
「おい聞いてんのか真理!」
「ああ。あれだろ、隣がデュノアじゃなくて残念なんだろ。悪いな。俺もお前じゃなくてティナのが良かった」
「ちっげぇよ!」
うるさいな。こちとら昨日の夜に楯無先輩が騒いで寝れなかったんだ。
「巧、僕の隣が嫌だったから真理の隣にしたの?」
「え、いや、違うぞ!ほら、お前のせいで変な誤解が生まれたぞ!」
知るか。
俺たちがバスで向かっているのは『花月荘』という旅館だ。さすが各国合同の学校だけあって、臨海学校という名の遠足ですら掛ける金額が違う。
「そろそろ目的地に着く。全員席に座れ」
織斑先生がバスの助手席から振り向いて言う。決して大きくない声なのに何故かバスの中に響いて、騒いでい た女子達が静かになる。統率がとれ過ぎてて気持ち悪い。何?軍隊なの?
落ち着いた様子の澵井が座席に座り直し、小声で「後で覚えてろよ」と言ってくるが無視する。どうせ何もしてこない。
そして、十分後。バスが止まり、全員が降りた目の前には、かなり立派な旅館が建っていた。
どうやら旅館からそのまま海に出れるようになっているらしく、浜辺と隣接する小屋が、本館の渡り廊下で繋がっている。
「ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の仕事を増やさないように注意しろ」
「「よろしくお願いします!」」
生徒が皆揃って頭を下げる先、出入り口の前には着物姿の女将さんが立っている。が、何やら見覚えがあるような、無いような…・。
「今年の一年生は元気があってよろしいですね。あら、こちらが噂の?」
女将さんが列の端っこに並んでいる俺を含めた男子に目を向ける。…やっぱり見覚えがあるな。しかも、俺の記憶にあるということは桜新町関係だろう。んん?
「ええ、まあ。今年は男子がいるせいで浴場分けが難しくなってすみません」
「織斑一夏です」
「澵井巧です。よろしくお願いします」
「清州景子です。ふふ、皆いい男の子じゃないですか。しっかりしてそうな感じがしますし、それに…」
「それに?」
織斑先生が女将さんの言葉を繰り返す。
「久しぶりね、真理君」
女将さんが俺に話しかけてくる。そこで俺は彼女が誰なのかを思い出した。
「あ、景子さん…!?」
「覚えててくれたんだぁ。おっきくなったねぇ」
彼女の名前は清州景子さん。昔、桜新町に稽古に行っているときに知り合った、雄飛さんや八重さん達と同じ、神様だ。確か神無月に出雲に行く際に寄ったところに鉢合わせたのが出会いだった気がする。いかんせん、幼い頃に二、三度会っただけなので忘れていた。しかも一年おきだったからな。
手を握ってくる景子さんと「お久しぶりです」なんて言い合っていたら、隣の澵井や織斑が驚いた表情で大声を出す。
「お前、知り合いなのか!?」
「千冬姉は知ってたのか!?」
「うるせぇよ。昔ちょっとな」
「そうだったのか。申し訳ありませんが、そろそろ…」
「ああ、すみません。真理君もあとでね」
「ええ」
そう言って女子生徒たちの案内を始める景子さん。移動する女子の列から抜け出した布仏が近くに寄ってくる。
「ね~、三人の部屋ってどこ~?しおりに書いてなかった~。遊びに行くから教えて~」
その言葉に動いていた女子の列が止まる。だが残念なことに俺たちも自分の部屋を知らないのだ。多分原因は澵井と織斑だけどな。
「それが俺たちも知らないんだよ」
「廊下で寝たりしてな」
「うわ、嫌だなそれ」
俺景子さんのとこ行こ。
「男子ども。お前らの部屋はこっちだ、ついてこい」
布仏含め、立ち止まった女子達をスルーして俺たちは織斑先生についていく。
生徒用に割り当てられた部屋とは真逆の、教員用の部屋の方向へと向かう。ああ、そういう感じか。
「お前らの部屋はここだ」
「え?でもここって」
扉にがっつり教員室と書かれた扉の前に案内される。ああ、やっぱり教員用の部屋を使わされるのか。
「最初の予定ではお前らを三人部屋にする予定だったのだが、そうすると就寝時間を無視した女子達が押し寄せることが安易に予想できたからな。ただ二人部屋が二つになってしまったから誰か一人は私と同じ部屋になる」
俺と澵井は目を合わせる。考えることは一緒のようだ。
「あざっしたぁ」
「失礼します」
教員室の隣の部屋に揃って入る。目の前に実の姉弟がいるのならばその二人を同じ部屋に入れるのは道理だろう。あーあーやだやだ。ブラコン教師は職権乱用するし、シスコン野郎は同じ部屋で姉と寝れるし、あの二人にとっては良いことづくめだ。夜中に隣の部屋から変な音とか声とか聞こえたらどうしよ。
「なぁ、今日は早く寝ないか?」
「ん、ああ。そうだな」
部屋の奥に荷物を置き、一息つく。
予定では今日一日は自由時間だ。恐らくほぼ全ての生徒が海へ繰り出すだろう。ようするに浜辺が人でごった返すのだ。そんなところ行きたくない。
というわけで、とりあえず景子さんのところへ行くことにした。
「真理は海行かないのか?」
「ああ、後でな」
部屋を出て従業員を探す。女将をやってるくらいだし、聞けばすぐにわかるだろう。
廊下の先にいた従業員を捕まえて聞いたところ、今は使っていない客間の清掃をしているそうだ。場所も聞き、お礼を言ってからその部屋に向かうと、座布団に座ってお茶を啜っている景子さんがそこにいた。
「…仕事しなくていいんですか?」
「ふふ、それを言うなら真理君も海に行かなくていいの?」
「俺は自由時間ですけど、景子さんは仕事でしょう」
「あはは、そりゃそうだ。大丈夫。うちの授業員は優秀だし、ちゃんと予測できてるからね」
どうやら一日分くらいの未来予測をしているようだ。それが今日だからなのかはわからないが、割と頻繁に使用しているらしい。俺が知っている神は未来予測をつかってもそんなにオープンにしていないから、正直異色な神である気がする。
「ところで、そのマフラー。ヒメちゃんのと似てるけど、どうしたの?」
「免許皆伝祝いに貰ったんです」
何故か部屋に入った直後からおいてあるお茶を飲みながら答える。どうやら俺がここに来ることも予測していたらしく、いまだに湯気が立っている。
「へー!そりゃよかった。八重ちゃんは元気にしてるかい?」
「ええ、そりゃもう」
「ふーん」
お茶を啜りながら、景子さんの目がスッと細くなる。睨んでいるわけではない。何かを見通すような、そんな目だ。あの目はそう、予測した未来の断片を伝える雄飛さんや八重さんの目に似ている。
「雄飛くんは、何か言ってた?」
何か、とは俺の未来のことだろう。
雄飛さんが言っていた、世界を賭ける戦いと、八重さんが言っていた俺の選択。
正直、今もなお実感は湧かないが、神が予測した未来ならいずれ必ず来るのだろう。
俺は雄飛さんたちが言っていたことをそのまま景子さんに伝える。それを聞いた景子さんは「そっか」とだけ呟いて、湯飲みを傾けた。
「…じゃあ、そろそろ仕事に戻らなきゃ。真理君も遊びに行っておいで」
「はぁ、もういいんですか?」
空になった湯飲みと俺の湯飲みを持って立つ景子さんに問いかける。
景子さんが聞きたかったのは桜新町の近況報告なのか。多分、そうじゃないと、俺は思う。ただの勘でしかないが、なんとなく、そう思うのだ。
「……じゃあ、最後に一つだけいいかな?」
「ええ、別にいいですけど」
こちらに背を向けたままの景子さんは、こう言った。
「真理君は、水の中にいる夢を最近見た?」
水の中にいる夢。
「ええ、今日ここに来る途中でそんな夢を見たような気もします」
「そう…ありがとう。じゃあ、真理君も楽しんできてね」
今度こそ部屋を出る景子さん。
壁に遮られているからか、俺がすでに海に行くかどうか悩んでいたからか、景子さんの呟きは聞こえなかった。まあ、聞こえるはずはないのだけれど。
「もう、明日なのね。雄飛くん、八重ちゃん」
さて、これからどうしようか。
海に行くのもいいが、今から着替えるのも面倒だなぁ。ティナたちと水着を買った手前、着ないわけにはいかないんだが、どうしても面倒臭さが勝ってしまう。
仕方ない。部屋で本でも読んでいよう。
「あ、いた!」
「え?」
部屋に戻ろうと廊下を逆戻りしていくと、目の前に、おそらく水着の上に上着を着たティナ、凰、織斑、澵井、デュノア、ボーデヴィッヒにオルコット。え、なんで?怖い怖い。
そして彼らは全力でこちらへ向かってきた。
「え、何々?怖っ」
人間というのは不思議なもので、大質量の物体が向かってくると逃げ出したくなるようだ。
「逃げた!」
「待てぇぇええ!」
怖ぇえ。なんで?なんでこんなに追ってくるの?俺何もしてないじゃん。
「一夏とセシリアは入り口に!巧とシャルロットとラウラは部屋で!行くよ鈴!」
「「了解!」」
「あれー?ティナってそんな統率とれる奴だったっけ?」
「アンタのことを一番理解してるのがティナだからよ!さっさと捕まりなさい!」
「まず捕まえようとする理由を教えろ。さすれば止まってやらんこともない」
「なんで上から目線なのよ!」
ギリギリ捕まらない距離を保ちながらバック走しつつ話を聞く。そもそもお前らがそんなに鬼気迫る表情で迫ってこなければ逃げることもないんだけどな。
「いつまで待っても来ないから探しに来たのに、部屋に帰ろうとしてるから!」
「ああ、そういうこと。…………疲れたから帰っていい?」
「ダメよ!アンタを浜辺まで連行できたら千冬さんがお願い叶えてくれるんだから!」
うわ、あの教師生徒を生徒に売りやがった。
「その代わり、真理が一人で水着になって織斑先生のところまで行けたらなんでも一つ買ってくれるって!」
「よっしゃ乗った」
「早っ!?」
なんでもってことは、高くて手が出なかったあの本とか、あの本とか、あの本とかを買ってくれるんだろ?テンション上がってきた。
バック走を辞め全力で走る。数秒でティナと凰を振り切り、自室にたどり着く。しかしこの部屋の中にはすでに澵井とデュノア、ボーデヴィッヒがいるのだろう。どうやって入るか。
「……正面から行くか」
幸い水着を含めた、海に行く準備はしてきた。纏めておいてあるから回収自体は簡単だ。
部屋に入り、速攻で荷物を取って部屋を出る。恐らく荷物を取っている間にドアと窓は固められるだろう。しかし、固める人員によっては簡単に突破できる。
ドアを開けて荷物まで一直線に走る。驚いた様子の三人も、さすがに落ち着いた三人なだけあってすぐに出入り口を封じる。
だが、これなら突破可能だ。
「残念だったな真理。この狭い部屋で逃げ切るのは無理だろ?」
「…ああ、そうだなっ」
じりじりと迫ってくる澵井をフェイントで躱し、ドアの前に立ちふさがるデュノアの肩を掴んで耳打ちする。
「通してくれたら、今夜この部屋で澵井と二人きりにしてやる」
「!…行って」
デュノアは簡単に見逃してくれた。
「うぉーい!シャルぅ!?」
「シャルロット何をしているのだ!」
「ごめん…あの誘惑には耐えられなかった…!」
「おのれ真理ぃ!」
「流石兄様、簡単にシャルロットを篭絡していくとは…!」
後ろから追いかけてくる音が聞こえるが、こっちにはまだ着替えと織斑ハーレムが残っているのだ。一気に突き放す。正直こいつ等相手に走力で負ける気はしない。相手が織斑先生や楯無先輩なら捕まっていた可能性もあるが、唯一可能性のあったティナも置いてけぼりだ。普通に鬼ごっこ形式で誰かに捕まることはそうそうないだろう。
とりあえず、男子用の更衣室までは来ることができた。ここの入り口を封鎖されてたらさすがにまずかった。
「さて、あとは織斑先生がどこにいるかだな」
着ていた服とマフラーをロッカーにしまい、真新しい水着とジャージの上着を着て浜辺につながるドアを開ける。
そこには…。
「…多すぎだろ」
織斑たちを筆頭に、浜辺では一二組の連中がこちらを見ていた。
欲望に負けて俺を捕まえようとしているのだろう。普段俺のことを毛嫌いしている奴すら参加させるとは、恐るべきブリュンヒルデだ。
しかし、俺にだって欲はある。
ブリュンヒルデともなれば、そのポケットマネーも一般人の俺とは比べ物にならないだろう。
ならば、原作の千夜一夜物語の全巻セットを買うくらい余裕だろう。今ではアラビアンナイトと称され、数多のファンタジー小説の原典とも呼べるものだ。概要くらいは知っているが、やはり独自でも原作を和訳しながら読んでみたいと思うのは、ことはさん譲りのビブリオマニアの宿命なのかもしれない。
「ふふ。いくら真理でもこの人数を相手に千冬姉のとこまで辿り着くのは不可能だろ!」
一同を代表して織斑が高らかに宣言する。両サイドからは追いついてきたティナ、鈴組と澵井、デュノア、ボーデヴィッヒが来ている。
確かにこの人数相手に遠くに見える、黒いビキニを着た織斑先生のとこまで辿り着くのは困難だろう。つーかあの人笑ってね?腹立つわぁ。
だが、俺だって辿り着かなくてはならないのだ。欲望のために。
「プロボクサーのモハメド・アリの言葉を知ってるか?」
「?なんだよ」
「不可能なんて、ありえない」
助走をつけて織斑たちを跳び超え、人口密度の薄い場所を縫うように駆けていく。砂に足を取られるとすぐに体力がなくなるので、基本的に足を止めてはならない。ひたすら足を動かし、人を躱し、時に襲ってくる代表候補性どもを撃退しつつ織斑先生のもとへ向かう。
すると、突然バレーボールが飛んできた。
「うおっ…なるほど。それで、勝敗の条件は?」
「私にそのボールを当てられたら、お前になんでも奢ってやろう」
最後に立ちふさがったのは、ゴールである筈の織斑先生だった。
恐らくこの前の試合の決着を、ここでつけようということなのだろう。しかし、今回は負けるわけにはいかない。ここまで来て負けたら、本気で泣く。帰って部屋にこもる。
それに、俺はヒメさんと違って球技は得意なのだ。
じりじりと円を描くように間合いを計り、時は来た。
「っふん!」
「甘い」
軽くジャンプして空中で体を捻りながらボールを投げる。
それをひらりと躱す織斑先生。
だが残念だったな。狙いは織斑先生本人じゃない。
「あいたっ!」
「なにっ?…っく」
後ろにいた澵井にボールがぶつかり、跳ね返ったボールが織斑先生の脇腹に当たる。
はっはっは、これで千夜一夜物語は俺のものだ!ふはは、数万円の本がタダで手に入る。これほどの喜びはそうそう無いぞ。
「先生、奢り、楽しみにしています」
「いや、お前それはずるくないか?」
「そんなことは無い。跳ね返ったボールで当ててはいけないなんてルールは聞いてない」
「……しょうがない。あとで何が欲しいか聞かせろ」
「了解っす」
午後六時半。大広間にて、一年生全員が夕食を摂っていた。
織斑先生主催の一対数十人の鬼ごっこの後、ティナとともにバレーを見たり、参加したり、織斑先生VS俺の第二次ボール合戦が始まったりと、久々に体を動かして遊んだ気がする。
その後、夕飯の為に一年生全員が集まったが、どうやらクラスもバラバラになっているようで、一番端に座っている俺の隣にはティナがいる。
そして、何よりも不思議なのが、俺を睨んでいたであろう視線の数が減っていることだ。
元々俺にどう接すればいいか分からなかったらしい連中が、浜辺での一件で接し方を決めたらしく、時々話しかけられたりもした。
「美味しいねぇ、このマグロ」
「ああ。お前、ワサビ食えるんだな」
「んー、まあね。知り合いが日本食大好きでさ、よくお寿司とか行ったりしてたからね」
「ふーん。俺の中の外人のイメージはあれだったけど」
持っていた茶碗を膳に置き、左手で織斑とその両脇にいるデュノアとオルコットを指さす。
デュノアはワサビの山を丸ごと口に放り込み、オルコットは正座で苦しんでいる。日本語は達者なのにそういう知識は無かったんだな。
「あはは、私も最初はあんな感じだったよ。それより、真理の部屋って織斑先生の部屋の隣なんだよね?」
「ああ。来るなら鬼に気を付けろよ」
騒ぎ過ぎた織斑たちを叱りに来た先生を見ながら言う。あ、姉弟間の怪しい密事が起こるかもしれないから早めに風呂入んなきゃ。
しかも澵井の横で寝なきゃいけないのか。気持ち悪ぃな。
「……ティナと同じ部屋がよかったなぁ…」
そっちのが安心して寝れるし、むさくるしくないし。
「えっ!?」
「え?何?」
「今、わたし と同じ部屋がよかったって…」
どうやら声に出てたようだ。だが別に聞かれて困るもんじゃないし、そこまで焦る必要はない。なのに、なんでティナは顔を赤くしてるのか。やっぱり男子と女子じゃ恥ずかしがるポイントが違うからかな。
「ああ、いつも一緒にいる人と同じ部屋の方が落ち着くだろ?」
「あ、ああ、そうだねっ!うん、そうだよね…」
そんなやりとりがあったが、無事夕飯も終わり、今は男三人が風呂に入っている。俺たちに割り当てられた時間は一時間。やはり女子の比率が高いからか、女子と比べれば三分の一程の時間しかない。それでも俺としては十分だ。それに風呂に入りたくなったら、ヒメさんちの風呂に入れるし。あそこの風呂、ヒノキ風呂なんだよ?凄く
ない?
大した会話もなく、風呂から上がり、澵井と一緒に部屋に戻った。
のだが。
「んっ…おい、少しは加減を、あぁあっ…!」
隣の部屋から謎のあ…声が聞こえるのだ。多分マッサージかそこらだろうが、澵井は勘違いして顔を赤くしてるし、廊下の方から音が聞こえるから織斑ハーレムとかも勘違いしながら聞いているのだろう。うわ、とっばちりがきそうな予感しかしない。つーかこいつ初心なんかい。
「な、なぁ、真理?」
「俺ちょっとお茶買ってくるわ」
「はぁ!?お茶なら備え付きの冷蔵庫に入ってんじゃねぇか!逃げるなら俺も連れてけ!」
「じゃあ上せたから涼んでくる。あと、お前が思ってるようなことは起こってないぞ」
「どう見ても上せてないだろ!ていうか、ほら」
俺と澵井が黙ると。隣の部屋から、織斑先生の嬌声(笑)が聞こえる。が、すぐにその声は途絶え、代わりに入り口の方からドタバタと何かが倒れる音が聞こえる。見つかったか。
すると今度はこっち側に向かってくる足音。
「おーい、巧、真理。もう一回風呂行かないか?」
「俺たちの入浴時間はもう終わってるだろ?」
「いや、みんな上がったらしくてさ、十時までは使っていいんだってさ」
「へぇ~。んじゃ俺は行こうかな。真理はどうする?」
「俺はいいや」
「そっか。じゃあ行ってくるな!」
二人を見送り、鞄から本を取り出そうとする。こういう時のために一冊持ってきているのだよ。アーサー王伝説の続巻だ。湖の騎士ランスロットが、アーサーの王妃であるグィネヴィアとの不義を描いた部分だ。
さて、と。敷いてある布団の上に寝転がり、表紙を開くと、隣部屋からドンドンという音が聞こえる。隣の部屋から、ではなく、がっつり壁を叩いているようだ。出てけ、ということだろうか。
「はぁ。外行くか」
勝負の結果とはいえ、奢ってもらうのだ。多少の命令くらいは聞いておこう。本を閉じ、浴衣のまま外へと出る。
外に出れば、少しだけ欠けた月が穏やかな海に反射して、二つの月が出来ていた。
明日は、満月のようだ。