朝陽の幻想郷   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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そして時は動き出す 中編

 僕は咲夜さんに人里まで連れてきてもらった。まだ陽が登りきっていない早朝に。それは人目を憚りたいという事情があるからだ。というのも僕が紅魔館から人里までは歩くにはそれなりに距離があり、まして妖精や知能の低い攻撃的な妖怪に遭遇する危険があるからだ。

 

 妖精の見た目はやはり美しい少女の姿をしているようだが、とにかく悪戯好きであり、その悪戯には加減がないという。それを普通の人間がされたなら、下手をすると大怪我してしまうのだ。咲夜さんたちが使う弾幕と呼ばれる光の球は、基本的には怪我はしても死にはしないという力加減で操っているらしい。それは弾幕ごっこのたびに死人が出たら、もはやそれは遊びの域を越えてしまうからだ。

 

 けれど妖精はそんな考慮など一切しない。妖精の力はそれほどじゃないと咲夜さんは言うけれど、それはあくまで人間以外に限られるだろう。それを素直に咲夜さんに言ったら、「あらアサヒは私を人間じゃないというわけ?」と瞳の色を変えながら詰め寄られ、僕は心の中で「瞳の色が変わる時点で十分人間じゃないと思うよ」と考えたが、それを素直に言うほど僕は子供ではないのだ。

 

 妖怪に至っては考慮することもなく、本能のまま人間を襲う。つまり餌を食らうために襲うのだ。人里までの道のりはまったく整備されてはいない。人が紅魔館へ来る用事などそもそも無いからだ。だって猛獣のまえにわざわざ転がり出る肉になるやつはいないのだから。

 

 そんなわけで僕はその危険な道のりを咲夜さんに運んで貰ったのだ。彼女は空を飛ぶことができる。やはり君は人間じゃあ無いのでは? という思いはココロに仕舞い、大の大人が細身の美人メイドに後ろか抱きかかえられ空中を闊歩するという何やら倒錯的な姿で人里付近までやってきたのだ。咲夜さんは人間だとしても、人里の人々からすれば空を飛び吸血鬼に仕える人間など恐怖の対象でしかない。

 

 この幻想郷は人とそれ以外の住み分けがきっちりとしており、暗黙的それぞれの領域を侵さないという不文律がある。ゆえに咲夜さんが空中から人里に入るなど、不法侵入と取られてもおかしくはないし、それを目撃されれば迫害されるのだ。なのでまだ暗いうちに空を飛び、人里近くで地上に降り、徒歩で人里へと入る必要があったのだ。

 

 人里は妖怪の侵入を想定し、四方を壁で囲ってある。そして東西南北に門があるのだ。僕らが西の門に辿りついた時には既に陽が上っており、門の前には門番が立っていた。壮年の男の門番がじろりと僕らを見た。僕の前を歩く咲夜さんがその門番にぺこりと会釈をする。彼は強い視線で咲夜さんを睨むと、しばらく沈黙し、そして門内に向けて顎をしゃくった。彼の瞳はこう言っている。「お前がバケモノの手先だと知っているぞ」と。

 

 僕はなんとなく気持ちが昂ぶっていることに気がつく。そう、これは怒りの感情だ。たしかに紅魔館は吸血鬼の住処だ。人からすればそれは迫害の対象になるのも分かる。けれど僕が知る限り、紅魔館は他の存在とは関らない。言葉を悪く言えば、一家全員が引き篭もりであると言える。せいぜい咲夜さんが必要な物を買いにこうして人里へたまに来るくらいだ。

 

 吸血鬼の食事である血だって、咲夜さんは詳しく教えてはくれないが人里の人間を襲ったりはしないという。ただ”とあるルート”から定期的に入手しており、それは”とある実力者”を通して行なわれているのだというのだ。

 

 その”とある実力者”がどんな存在かは知らない。一度レミリアさんに尋ねては見たが、その存在についてはむやみに口を開いてはいけないと言われた。紅魔館の主という表情で言ったのだから、それはきっと重い存在なのだろうと思う。僕は決して気にならなかった訳ではないが、つまらぬ好奇心がわが身を殺すのも忍びない。そもそも吸血鬼や悪魔が住む家に自分のような人間が普通に馴染んでいる時点でおかしいのだから。

 

 そこで生きていられるのは、あの館の人たちが僕にたまたま興味をもっただけで、レミリアさんやフランが日常の糧としているものは当然僕の同胞になるのだろうし。僕はどこかその手の感覚が麻痺しているというか、パッキングされたチキンを見て美味しそうと思うような無関心さと薄情さのようなものかもしれない。それは無残に屠殺された以前は生きていた鳥だったと言うのに。

 

 多分、レミリアさん達が僕の目の前で誰かを殺し、その血を啜り、肉を喰らっている姿を見たとしたら、きっと今のように彼女達を見られないだろう。まして「アサヒはアサヒだから他とは違うのよ」なんて言われたら、僕はひどい罪悪感で自分を殺すかもしれない。

 

 そう考えると薄ら寒い思いに駆られるが、とは言え既に転がり始めてしまった僕の日常は望んで変えることなど出来るわけも無く。それほどに彼女達が言う”家族”という響きには麻薬的な誘惑があったのだ。そうは言ってもだ、いずれ僕は彼女達の現実をどこかのタイミングで知るだろう。少なくとも彼女達は人間ではないのだから。

 

 人里の門をくぐる。そこには木造の長屋がひしめき合っている。着物姿の人々が生活を営む姿が見え、子供が数人、奇声をあげて楽しそうに走り回っている。彼らは僕が紅魔館に住んでおり、レミリアさん達と絆を作っているのだと知ったら、僕はきっと酷い目にあうのだろうなと思う。僕自身、己の数奇な出来事の結果、成り行きであそこに居て、その結果彼女達と一緒にいることを選んだ。けれどそれは吸血鬼がどうとかと言うよりは、むしろ吸血鬼でありながら人間的なコミュニケーションの結果、僕はあそこに居るのだ。

 

 つまりは吸血鬼と人間という種族のどちらかを選んだという意味では決してないのだ。僕だって眼の前で妖怪に襲われている人間を見かければ助けたいと思うだろうし、結果死んでしまったのなら心を痛めるに決まっている。

 

 けれど人間という生き物はステレオタイプでしか他人を見ない生き物でもあるのだ。つまり僕のステレオタイプは吸血鬼に与する不届きな裏切り者というところか。道行く人を見ながらそんな事を考えている。けれど、こういう視点で考えていること自体、もしかすると僕は紅魔館の人々を優先的に考える思考になっているのだろう。

 

(結局、僕にとって大事なのは情なのかな……)

 

「アサヒ? どうしたの。置いていくわよ?」

 

 気がつくと僕よりも随分先を歩いていた咲夜さんが振り向いている。僕の上の空な様子にどこか心配そうな視線で。

 

 結局僕は難しい事を考えるのをやめた。

 どうせ何かあったとしても、実際はその瞬間にならないと選択肢は選べないのだろうから。どれだけ用意周到に自分の行く末を決めていたとしても、そんなもの自分の心の叫びには勝てやしないんだから。

 

 そして僕は慌てて咲夜さんを追いかけた。

 

 ★

 

「アサヒはどれにする?」

 

 そういって咲夜さんは僕に筆で書かれたメニューを見せる。

 

「んー、梅昆布茶と羊羹を貰いますかね」

 

 僕はそれを見て何にしようと悩んだが、結局文字が達筆すぎて、解読できた二つの名を告げる。

 

「……わりと渋い趣味なのね」

 

 咲夜さんはそう言うと僕に顔を近づけ、どこか胡散臭い目でこっちを見た。

 

「僕の容姿が咲夜さんにどう写ってるかは知らないけれど、僕はとうに甘酸っぱい十代と、大人ぶりたい稚魚たる二十代は終わってるんですよ?」

 

「そうね、その回りくどい言い回しからしてそうかもしれないわね」

 

「理解してもらえて嬉しいです。その回りくどい処くらいしか僕の特徴なんて無いですから」

 

「はいはい、分かったわ。アサヒお爺ちゃん」

 

 呆れた顔で彼女は僕をからかう。

 

「咲夜さんや。朝ごはんはまだかのう?」

 

「それじゃ枯れた六十代だわ?」

 

「あ、そっか」

 

 そうして僕らは少し笑い、そんな僕らを不思議そうな顔で見ている店員の娘がテーブルに品物を置くと、そそくさと居なくなった。ピンストライプのイタリアンスーツに身を包んだ長身の男と、スカートの短い美人のメイド。そして花柄の着物を着た古風な少女という、なんというかカオスな構図。そりゃ娘さんも逃げたくなるだろう。少し彼女に同情をしてみる。

 

 僕らは今、人里にある茶屋にいる。とは言え、遊女を揚げて艶かしい逢引をする方ではなく、文字通りお茶や甘味を楽しむほうだ。店の中にも席はあるが、僕らは外にある緋毛氈(フェルト)のひかれた大振りな席に座っている。和風オープンカフェといったところか。

 

 僕がそもそも人里に来たのには目的がある。それはレミリアさんに教えてもらった植物のプロフェッショナルに教えを請うためだ。そこは太陽の畑と言われ、この人里から南に下った先にある一面向日葵に覆われた場所にその人はいると言う。ただレミリアさん曰く、ひどく気難しい人だから細心の注意を払って接するようにと仰せだ。

 

 きっと頑固親父的な職人肌の人なのだろう。妖怪渦巻くこの幻想郷で、園芸に打ちこむためにわざわざ人里から離れて住んでいると言うのだから。その根性たるやまさに職人と言ったところだろう。そのために咲夜さんにここに連れてきて貰ったというわけだ。ただし咲夜さんには紅魔館の家事を一手に賄っている多忙な人だから、ここから先は自分で行かなければならないのだ。

 

 僕はその太陽の畑での用事を済ませ、陽が落ちる前にここに戻ってくる。そして咲夜さんと落ち合い、また紅魔館まで運んでもらう事になっている。

 

「ねえ、アサヒ」

 

「はい?」

 

「本当に一人で大丈夫? もし怖いのなら、誰か人をつけるように頼むけれど……」

 

 僕が香ばしく酸っぱい梅昆布茶を啜っていると、ふと咲夜さんが心配そうに僕を見た。

 

「大丈夫ですよ。明るいうちに移動しますし、パチュリーさんから頂いたこのカードもありますから。もし何かに襲われたらそれはもう大急ぎで逃げますからね」

 

「そこは戦うと言って欲しかったけれど」

 

「無理です」

 

 僕はそう自信を込めて言い切る。本音はとても怖いけれど、何故かそれを素直に言うのは嫌だったのだ。特殊な力を持っていても咲夜さんは僕と同じ人間だ(少しその枠を超えているけれど)。その親近感からか、どうにも僕は彼女の前ではいい格好をしてみたいようだ。一応僕はこれでも男の子であるし。

 

「そこは自信満々なのね。呆れた。じゃアサヒ、これを持っていきなさい。これ自体に何の力も無いけれど、無いよりはマシだと思うから」

 

 僕の情けない言葉に苦笑いをしながら、咲夜さんはごとりと僕の前に銀色のものを置いた。それは鈍く輝く握りが儀礼用のように美しいナイフだった。咲夜さんが戦闘に使うものだ。それを見ると嫌な記憶がよみがえる。だって僕は紅魔館に来た日に、彼女にこのナイフで酷い目にあったのだから。ちょっとしたPTSDだよまったく……。

 

「ありがと咲夜さん。使いこなせるかは分からないけれど、枝を払うのにはいいかもね」

 

「ちょっと、私のナイフを山狩りに使わないで欲しいわ。でもまぁ、お守りみたいなものだと思いなさい」

 

「ありがとうございますメイド長」

 

「ふふっ馬鹿ね。じゃ私はそろそろ行くわね」

 

「はい。それじゃ後ほど」

 

 そういうと咲夜さんは少し多いだろうお金を残し、そのまま消えた。きっと能力を使ったのだろう。しかし彼女の能力、時間を止めて自分だけ動くと言う反則的な能力だが、止まった時間の中で自分だけが動いているならば、もしかすると彼女は見た目通りの年齢では無いかも知れないな。だって他人よりも多くの時間を動いているのだから。うーん、気がついたら僕よりも年上になっていたりして。

 

 そんなどうでもいい事を考えていたが、僕は慌てて羊羹を頬張ると、少し急いで人里の南門目指して走り出した。途中でお金を払っていない事に気がつき慌てたが、そういえば咲夜さんがお金を置いていった事を思い出して安心する。ありがとう咲夜さん。あなたの卒の無い完璧さに脱帽です。

 

「こんにちは。通ってもいいですか?」

 

 僕は南の門番さんに声をかける。できるだけ大人しく。

 

「む? お前、見かけないやつだな。最近越してきたのか?」

 

 門番は僕を疑わしそうに睨む。

 

「そうですね、ごく最近」

 

「南に何しに行くのだ? 竹林で竹の子でも掘るのか?」

 

「まあ、そんな所です」

 

「最近は博麗の巫女様のおかげで妖怪の被害も減ったが、決して油断するんじゃないぞ」

 

「はい、お気遣いありがとうございます」

 

 何かを問い詰められやしないかと少し緊張したが、とりあえず問題なく通れて安心した。

 僕はそのまま足早に門を通り過ぎ、赤土を踏み固められただけの道を進んでいく。あの門番が言っていた博麗の巫女様――それはレミリアさんを倒したという例の巫女の事だろう。巫女が妖怪を退治するなんて想像も出来ないが。けれどここは幻想郷だ。何があっても不思議なんてないのだろう。

 

(少し急がなければな……)

 

 人里に入った頃よりも随分と高い位置に移動した太陽を見て、僕は少し歩く速度を上げる事にした。

 

「おおーい! 間違っても竹林と反対方向の道へは行くなよー!」

 

 門番さんが何かを叫んでいる。あまり聞き取れないが、面倒な事だと嫌なので、僕は軽く手を振りそのまま進むのだった。

 

 ★

 

 十六夜咲夜は真っ赤な屋敷の前にふわりと降りた。親の様に慕う主人、レミリアの紅魔館だ。

 彼女はこの館に来て(あるいは拾われて)十数年、毎日この館の為に働いてきた。風変わりな主人ではあるが、なにせ衣食住には困らない。両親の顔も覚えておらず、捨て子でしかなかった彼女は、レミリアの気まぐれでここの住人となった。

 

 そんな彼女の生い立ちと共通する京極朝陽という男は、年上ながらどこか危なっかしい性格で、ついつい咲夜は世話を焼きたくなるのだった。レミリアの気まぐれ、おぼつかない来歴、そして吸血鬼の家族とシンパシーを感じるには十分すぎるだろう。

 

「……ふう」

 

 地上に降りた咲夜は、ふと空を見上げると溜息を漏らす。腹が立つくらいに晴天で、条件反射的に洗濯日和だなんて考える自分に呆れたのだ。

 

「咲夜さん、朝から溜息なんて幸せが逃げてしまいますよ」

 

「美鈴。家事に追われる毎日に幸せなど元からあるとでも?」

 

 そんな咲夜に声をかけるものがある。この紅魔館の門番を務める紅美鈴だ。彼女は見た目は普通の人間とそう変わらないが、これでも立派な妖怪である。女性としては高い部類に入る咲夜よりも、頭一つ大きい。真っ赤な髪の毛は腰まで届くほどだ。緑色の帽子に緑色の服。腰までスリットが入っているが、白いふわりとしたズボンを履いている。

 

「私は毎日ここに立っていますが、何の変化もないですよ?」

 

「お互い様ね」

 

「お互い様ですね」

 

「じゃ私は行くわ」

 

「いってらっしゃい」

 

「帰ってきたのだからお帰りなさいでしょう?」

 

 二人は全く意味も無いような言葉を交わし、そして苦笑い。変化の無い生活には飽きも来るのだろう。それでも二人に共通することは「衣食住がしっかりしていることは幸せだ」だった。衣食住で買える忠誠心もどうかと思うが、紅魔館とはそういうところなのだ。

 

 ★

 

「お嬢様、ただいま帰りました」

 

 館に戻った咲夜はまずレミリアの部屋へ向かい、主人に帰りを告げる。レミリアはそろそろ寝ようと考えていたのか、寝巻き姿であった。

 

「お帰り咲夜。アサヒはどうだった?」

 

 眠気眼を擦りながらレミリアは言う。

 

「無事に太陽の畑に向かいました。けれどお嬢様、アサヒは大丈夫でしょうか? あのフラワーマスターがただの人間に友好的に接するとは思えないのですが……」

 

「そりゃそうよ。風見幽香だもの。けれど大丈夫よ咲夜。私が視たのだから。少しばかり酷い目(・・・)には遭うけれど、死にはしないから問題ないわ」

 

 ニヤリとほくそえむレミリアに、咲夜の心はざわつく。

 けれども、レミリアがアサヒを気に入っている事は知っている。だから大丈夫、咲夜はそう自分に言い聞かせて無理やり気持ちを落ち着けた。レミリアには何か深い考えがあるはずだ。そう思う事にしたのだ。それでもいよいよとなれば時間を止めてでも自分が出張ろう――咲夜はそう密かに考えるのだった。

 

「ま、どうせ咲夜の事だから、危なくなったら自分が行こうとか考えてるのでしょう? でもダメよ。アサヒは風見幽香に会う必要があるから行かせたのだから」

 

 そう言いながら意味ありげに咲夜を見る。レミリアの突拍子も無い言葉は今に始まったわけではないのを自覚しているせいか、咲夜はそれ以上話す事も無く静かにおじぎをすると部屋を出て行った。

 

 静かになったレミリアの部屋。彼女は一人笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、アサヒ……マッサージの恨みを思い知るがいいわ。私が痛かった分、お前にも酷い目にあわせてやるんだから!」

 

 咲夜の懸念もよそに、実はそれほど深く考えてはいないレミリアだった。

 

 

 




結局3話になりましたとさ

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