朝陽の幻想郷   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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壊れ物注意

「小悪魔先輩、これはどちらに?」

 

 僕が抱えているいくつかの本をかざす。ここらの本はひとつひとつが非常に重たい。

 

「えーっと、どうしましょう。ちなみにそれは……ヘブライ語ですか。うーん……」

 

「ねーアサヒ、適当に端っこから入れていけばいいんじゃないの?」

 

 僕らがいる本棚の裏からフランが現れて、本をフリスビーのように投げ入れた。

 

「きゃー! 妹様ぁ、それはやめて下さいませぇ」

 

 真っ青になった小悪魔先輩が慌てて落下する本にダイブした。フランがそれを見て大笑いしている。さすがは吸血鬼ってところだろうか? 無邪気であどけない表情で鬼畜の所業、さすがフランであると言わざるを得ない。

 

「にひひ、小悪魔おもしろーい!」

 

「フラン、仕事を増やさないでくれ」

 

「……はーい」

 

 このままではらちが明かない。僕はふわふわ浮きながら本を投げようとしているフランを抱きとめ、側にある椅子へと座らせた。不満そうな言葉の割りに、どことなく嬉しそうに椅子に座ったまま足をプラプラと動かしている。

 

 先ほど書庫に戻った僕はパチュリーさんの様子を窺った。彼女の呼吸は既に安定しており、ソファの上で静かに寝息を立てていた。そんな彼女の姿に安心し、ソファの横にある四つの猫足が特徴的なライティングデスクの椅子にブランケットがあったので、それを彼女にかけるとその場を後にした。

 

 薬などが無いのならば、とりあえずは眠ることが一番の薬だろうし、僕みたいなむさ苦しい男が側にいれば彼女の気も休まらないだろう。

 

 こちらに来てからなんとなく僕の定位置になってしまった大きな長机。この広い書庫の丁度真ん中にあり、長方形の長い辺にあたるところには五人ずつくらい座れるようになっている。上座と下座を入れれば十二人が座れるだろう。そこにたどりつくと、僕はばたりと突っ伏した。

 

 書庫の奥にある、奥行きのあるスペース――つまり今パチュリーさんが寝ているところは彼女のプライベートスペースのようになっている。小悪魔先輩の話では、魔法使いである彼女に食事も睡眠も特に必要としていないのだと言う。魔法に身を捧げたことで、そういうものはいらないからという理由で。

 

 それでも魂というか精神は生きているわけであるから、ストレスがかさめば当然疲れを感じるのだ。例えは悪いが、何かの理由で義足になってしまった人が、既に足が無いのにも関らずなぜか痛みを感じるような現象に似ているのかもしれない。

 

 僕がいた日本でも人体のメカニズムは未だ、完全に解明されているわけではない。特に遺伝子や脳という細部に至っては、未だ謎な部分が多かったはずだ。なら人のような容姿をしていても中身は人ではない彼女が疲れると言うならば、きっと理由は謎であっても本当に疲れているのだろうと思う。

 

 少なくとも僕はそう解釈し、出来るだけ自分の知識の及ぶ範囲でパチュリーさんの役に立ちたいと考えていた。だって彼女に与えられた使命――霧雨魔理沙という魔法使いを撃退するという事柄で、僕が本当に役に立てるかは疑問であるから。吸血鬼であるフランという援軍を手にしても、彼女だって魔理沙にやられたと言っていたのだから

、なんのとりえもない僕には出来る事など限られているのだから。

 

 それでも僕は諦めはしないけれど。だってこんな体験なんか普通に生きていれば出来ないだろうし、何よりいつかアルカナに戻ったときに、マダムに「ほんと朝陽クンってヘタレよねぇ……」なんて言われたくないもの。彼女は必ず、僕が無事に戻った事よりも、消えた先で何をしていたかの方にしか興味を持たないのだから。それは十年に渡る付き合いから身に染みて分かっていることだ。だったら僕は、ある種の使命感を持ってこの仕事に取り組むしかないのだろうと思う。

 

 テーブルに突っ伏す僕は、結構長い時間、同じ体勢でいることに気がついた。その割りにあまり疲れていないことを疑問に思った。僕は昔からうつ伏せという体勢は好きじゃない。なんとなく息が苦しく感じるからだ。首もどことなく疲れるし。

 

 椅子に座りテーブルに突っ伏す体勢は、まさに僕が苦手な格好をすることになる。なのに疲れていない。そこで自分の体勢を見直してみるとその理由に気がついた。例の革表紙の黒い本がこのテーブルの上に山になっている。そして僕の目の前にあった本を無意識に枕にしていたのだ。三冊ほど重ねているそれは、非常にいい感じの枕となっていたのだ。

 

 涎が垂れてないかしら? と一瞬どきりとしたが、それは杞憂だったので安心した。だがこの大きく長い机を見渡すと、改めて酷い状態であると気がついたのだ。

 

 首を伸ばして辺りを見渡す。木目の美しい天板の上には無造作に重ねられた本、本、本。

 これはきっと本の虫であるパチュリーさんが乱読した結果なのだろう。そして随分前に読まれただろう物には埃が堆積(たいせき)している。そこで僕はある考えに思い至る。

 

 ――――喘息に埃は良くない。

 

 幼馴染はたしかそう言っていた。彼女はアトピーを患っていたから、アレルギー反応による喘息だったはずだ。埃やハウスダスト、花粉など、何かしらにアレルギーがあって起きているのだ。それに、たしかストレスもいけないと聞いた記憶がある。

 

 ならこの書庫を清潔にすることで、少しはパチュリーさんの発作も減るかもしれない。ストレスに関しては――今後の僕の働きによるものだから自信はあまり無いのだけれど……。

 

 ただ僕ができる仕事として、明確な目的のある仕事なのは嬉しかった。

 そう思うと僕はいても立ってもいられなくなり、小悪魔先輩を焚きつけて掃除を始めるのだった。なぜなら僕は少しでもパチュリーさんの行動範囲の埃を減らそうと思ったのだ。根本的な解決ではないにしても、少しは楽になるだろうと思うから。

 

 そしてそこに使用人さんに連れていかれたはずのフランが乱入し、冒頭のように大騒ぎになってしまったというわけだったりする。ああ、まったく前途多難である。

 

 ★

 

 フランはこれまで延々と地下室に篭っていたと言う。その大きな理由は小悪魔先輩が言うには、フランの気が触れているからだとも聞いた。僕に詳しい事情は分からないし、今日この館にやってきたばかりの僕が触れていい事柄ではないだろう。

 

 それでも四百九十五年もの間、同じ場所に閉じこもっていたら、例えそれが人ではない存在だとしてもおかしくなって当然だろうと思う。フランは僕が接した限り(それが短い時間だとしても)、彼女の精神は幼い。たぶん、閉じこもった当時はもっと幼かったはずだ。だから彼女はこころを閉ざしたままいるのだろうし、吸血鬼にとってはただの食料でしかない人間である僕と友達になろうと思えたのだと思う。

 

 それはフランとの邂逅の後、小悪魔先輩が驚愕の表情で「よく壊されませんでしたね!?」というセリフに集約されると感じる。力加減が分からずになんでも壊してしまう。それがたとえ生き物でも大切なものであっても。それがフランという少女なのだ。

 

 けれどもさっき、彼女が激興して僕を壊さんばかりに掴んだのち、彼女は確かに自分の行為を悔いていた。これも小悪魔先輩の情報であるが、結構まえにレミリアさんが騒動をおこしたことがあると言う。その時は幻想郷中を赤い霧で被ってしまうというものだったらしいが、その騒動をハクレイノミコという実力者が鎮圧した。つまりはレミリアさんが酷い目にあったわけだが。その騒動のあとに地下に閉じこもってたフランとパチュリーさんの敵である霧雨魔理沙が接触し、それ以降、フランは地下室の外に興味を持つようになったのだと言うのだ。

 

 いずれは僕も対峙しなければいけない霧雨魔理沙であるが、彼女がフランに与えた影響は大きかったようだ。あのいっそ清清しい開き直りにも見える窃盗姿、それは敵ながら天晴れと僕も思えた。実際彼女は悪い事をしているという意識はないようであるし。書庫に突入してきた時のあの輝くような笑顔には、罪悪感の欠片もない。それは自分の行動に負い目がないという自負なのだろう。

 

 そんな真っ直ぐな彼女がフランの何かを氷解させたのかもしれない。

 僕は思う。ひょんな事から触れ合ったフランという吸血鬼の少女。壊れた心に戸惑う幼子。そんな側面を見てしまった僕に、無関心な大人を装うことはもう、無理だった。

 

 きっとそう思うことは危険な事なのかもしれない。普通は踏み潰した靴の裏側で四肢がばらばらになったアリに罪悪感など抱かない。そのアリが僕になったりするかもしれない。そして僕を踏み潰したフランは、少しだけ悲しんだあとに、そのまま興味を無くすかもしれない。

 

 でも僕はどこか大丈夫だと考えていた。だってこんなにも不可思議な体験を次々と重ねているのに僕は無事なのだから。考えてみると青くなってしまうが、僕が召喚されたとき、パチュリーさんが自分を役立たずだと断じたら、僕は死んでいたかもしれない。レミリアさんとの会談で、機嫌を損ねていたらやはり死んでいたかもしれない。それでも僕はいま、生きている。楽観的かもしれないが、とにかく僕は生きている。

 

 それは僕の持つ悪運が強いだけか、はたまた誰かの作為的なものかは分からないけれど。でも僕はそれらを通り過ぎ、今までの常識が通じない、本来ならば非常識であるはずの考えが普通であると感じてしまっている。ただの逃避かもしれないし、あまりの衝撃に毒されて麻痺しているだけかもしれない。

 

 だけど僕はこの短い時間で学習したのだ。慣れなければ生きてはいけないのだと。それは良く考えれば、だ。常識人を気取っていた大学生活から一転、就職に失敗した出来損ないの僕が、マダムと知り合ってからは普通の社会人には経験できないような緩い生活を送ってきたのだ。あの浮世離れしすぎたメリィさんとの毎日を。

 

 日がなお茶をすすり、突拍子もない世間話をして、忘れた頃にアクセサリーを配達する。それで十年金を貰い続けたのは、普通じゃありえないはずだ。そもそもマダムは言っていた。朝陽クンだからこの店に辿りつけたのよ、と。あのどこか含みのある微笑みで。

 

 彼女がそう言うたびに、僕は「はいはい、その通りです」なんて茶化していた。正直本気にしていなかった。でも今はそうなのかもしれないと思っている。ああ、そうか。僕は幻想郷に来る前から、とうに常識など狂っていたのかもしれないな。

 

 だったら壊れた心をいつ暴れさせるか分からないフランと、人間的接触を繰り返して本当の友人になれないだろうか? と人間の分を超えているだろう考えを実行したっていいじゃないか。

 

「フラン、君は僕を壊したりしないよね?」

 

 フランは相変わらず足をぷらぷらとさせて、必死で本を集める小悪魔先輩をにこにこ見ている。

 僕の突然の会話に、少し首をかしげて見上げている。真っ赤な瞳は真上を指し、そしてくるりと僕を見る。

 

「……んー、アサヒが壊れたらヤだな」

 

「ありがと、フラン。君は偉いね」

 

「えへへ、褒められた! でも急になあに?」

 

「フランと友達になって良かったなって思っただけさ」

 

「フランも!」

 

 今のところ、僕の考えは間違っていないようだ。

 

「妹様とアサヒさんが仲良しですね……なんかズルイです。私はアサヒさんの先輩なんですよ! もっと敬うべきです!」

 

「はいはい、小悪魔先輩、まだそこに本が落ちてますよ?」

 

「こあくまー働け~!」

 

「……なんか納得がいかないです」

 

 そういこともありますよ、小悪魔先輩。部下の怠慢を庇うのも上司の仕事ですから。

 そんな緩い時間はあっという間に過ぎていく。書庫の埃もそれと一緒に減っていくのだった。

 

 ★

 

 あのあと数時間の間、僕らは本の整理に熱中した。僕はフランを「現場監督」に任命し、僕と小悪魔先輩にあれこれと命令する仕事を与えると、途端に散漫だった彼女は生き生きと動き出し、仕事は随分とはかどった。もっともそれはあの長机に山積みになっている本を本棚に向かって指差し、「アサヒいけー! 小悪魔いけー!」と叫ぶだけのものであるが、フランが邪魔せずに作業ができるのだから僥倖なのだ。それで彼女もご機嫌なのだから問題ないだろう。

 

 本から埃を落として本棚に納める。ただそれだけの単純作業であるが、それでも終わってみれば随分と見違えた。僕はすっきりとした長机を眺め、それを少しだけ誇らしく思った。

 

 僕らは小悪魔先輩の淹れた紅茶で一服し、彼女はそのまま禁書とよばれる危険な本を整理すると奥へと消えた。フランは流石に疲れたのか、カップを持ったまま舟を漕いでいる。僕はフランを抱き上げ、パチュリーさんの寝ている側にあるカウチに彼女を寝かせた。

 

 彼女の宝石のようにみえた羽は、じつは芯の部分は質感があり、キラキラと光る部分は質量のない光だと知る事ができた。どうでもいいことかも知れないが、また一つフランのことを知りえたとうれしく感じる。随分と僕は単純だなと呆れるが、今は一つでも多くフランを知りたかった。

 

 僕はそれほどに彼女を知らないのだから。

 この穏やかな時間がずっと続けばいいのにと思いながら、フランの目にかかりそうな前髪を指で静かに掻きあげる。彼女は少しだけ身じろぎしたが、相当疲れたのか目は覚まさずにそのまま深い眠りに入ったようだ。身体にかけるようなものは見あたらないから、僕のスーツのジャケットをかける。彼女の小さな身体には丁度いいようだ。

 

「おやすみ、フラン」

 

 彼女のあどけない寝顔にそう呟くと、僕はまた踵を返して低位置に戻ろうと歩き出す。

 そこに彼女はいた。あの使用人の娘だ。

 彼女の着ている服はいわゆるメイドの着ているそれだろう。

 群青色の生地に白いエプロン。少しスカートは短いが清楚な印象を与えている。

 

 彼女は光沢のある白色の髪のえりあしを三つ網にし、鼻筋の通った美人だ。

 けれどそれはどことなく冷たい印象を与えるもので、彼女の藍色の瞳は僕をまっすぐに射抜いていた。

 細身の身体をすっと伸ばすような体勢で、じっと僕を睨んでいる。美人に見られるのはやぶさかでは無いけれど、彼女の視線に篭っているのは明確な敵意だった。

 

 何度か彼女を見かけたけれど、一度も僕は会話をしていない。

 だのになぜ、僕はこれほどまでに憎まれているのだろうか?それが解せなかった。

 

「なにか僕にようでも~~~っ!?」

 

 僕が沈黙に耐えれずに言葉を発しようとした途端、彼女の右手が一閃し、僕の頬を何かが掠めた。

 思わず頬に手をやると、何か鋭利なもので切られたように裂けている。

 

「貴方は……なんなのですか?」

 

「……質問の意味が分からない」

 

「貴方は……貴方は貴方はっっ」

 

 僕は何か女性をいらだたせるオーラでも発しているのだろうか? 僕の言葉を遮り続ける彼女は、一歩、また一歩と僕に踏み出すたびに何かを投擲している。そのたびに僕の身体は裂かれていく。ストライプのラインの入った僕のシャツに血が滲む。

 

 怖い、何をされているか理解できないのはひどく怖い。

 

「貴方はッッッ」

 

「やめろって……」

 

 この細い体のどこにこんな力があるのだろう? 僕の身体は彼女の細い手だけで地上から浮いている。そして僕は気がつく。自分は彼女に首を絞められているのだと。

 

 彼女の声はこの書庫に響き渡るほどだというのに、パチュリーさんもフランも微動だにしていない。

 

 やがて彼女は僕の顔すぐそばに自らの顔を寄せ、無表情のまま呟いた。

 

「ふふふ、貴方は部外者じゃない。どうして我が物顔で妹様と接しているの? おかしいじゃない、今日現れたばかりの貴方が、どうしてこんなに馴染んでいるのかしら? それに掃除は私の仕事。ねえ、貴方、どういうつもりで私の仕事を奪うの? ねえ、ねえ、ねえ。答えなさいよ」

 

「……息が……出来ない、から……」

 

「あらあら、息が出来なきゃ死んでしまうわ。それは大変、お嬢様に叱られてしまう。お嬢様は言っていたわ? 貴方は大切な客人だと。丁重にもてなしなさいと。そんなの嫌よ。でもま、今は殺さないであげましょう。うふふ、叱られるのは嫌だもの」

 

「ゲホッ、ゴホッ…………」

 

 彼女から解放さらた僕は激しく咳き込む。こんなに空気がおいしいと感じたことは今まで無かった。

 そうか、僕に居場所を奪われると彼女は感じているのか。だとしても、これは異常だと感じる。

 出来る事ならこの場から逃げ出したかった。

 でも彼女の目は未だ僕を射抜いており、その視線から目を離せばロクな事にならないと僕の感は言っているのだ。それでも僕は逃げようと思った。でも出来なかった。なぜならば――――

 

「ねえ、咲夜ぁ。そこで何をしているの? ソレはフランのトモダチだよう?」

 

 赤黒い瞳のフランがこっちを見ていたからだ。




一向に話が進んでませんね。
とりあえずこんなペースで進む小説だと思っていただければいいかと。

修正
僕はフランに「現場監督」に任命し→僕はフランを「現場監督」に任命し

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