僕は弾幕ごっこというものをはじめて見た。それはまるで色とりどりの花火が次々と打ち上がっているようで、見ている僕は思わず息を飲むほどだった。
ただし”ごっこ”と言えど、それはこの幻想郷独特の決闘方法であり、飛び交う光の球は当たると無事には済まないのだという。
さっきまで目の前で繰り広げられていた弾幕ごっこ。今はもう静けさに包まれているけれど、でも広い地下室とは言え、範囲の限られた室内で、パチュリーさんとその宿敵は縦横無尽に空中を移動してはスペルカードというものを繰り出していた。
小悪魔先輩が説明してくれたのだが、この弾幕ごっこではスペルカードというものを互いに出し合い、約束事の中で決着をつけるという。スペルカードは各々の得意な魔法であったり技をカードにしたもので、一度発動させればその技なりが飛び出し、効果時間が終わると消えてしまう。その間に相手に当ててしまうか、カードを使い切ってしまうと負けになるという。
ならなぜ、魔法やら技を普通にぶつけ合わないのか? と僕は割りと当然だろう疑問を彼女にぶつけてみた。すると、
「この幻想郷には多くの強者がいるんです。妖怪に限らず、アサヒさんが伝承でしか知らないような鬼や天狗だっているんですよ。そしてその人たちは例外なく強いのです。もしそんな人たちが力ませに暴れたとしたらどうなると思います? きっと一日も保てずにこの世界は壊れてしまいます。それを皆は望んでいないです。でも私に限らず皆さん寿命が長いですから、一日いちにちが退屈なのです。だからこうして、傍目には大変な決闘に見えても、実はこれが娯楽だったりするのですよ」
そういって小悪魔先輩はアハハと笑った。パチュリー様はたまったものじゃ無いでしょうけどねなんて付け加えながら。
なるほど、退屈しのぎなのか。僕はやはりただの人間でしかないから、つい自分の物差しで物事を計ってしまうけれど、彼女たちにそれを当て嵌めてはいけないのだなと改めて感じてしまう。
僕に弾幕ごっこは一生できないだろうけれど。
それよりなぜ僕が今、こんな話をしているのかだけど。
それは――――
「大丈夫ですか、パチュリーさん」
「……はぁ、ゲホッ……」
パチュリーさんの背中を撫でていたりするからだ。
僕がパジャマだと勘違いしていた彼女の衣服は、実は上等なシルク製であり、白を基調とした紫と桃色のナイトドレスのようなものだ。さきほどから一生懸命撫でているが、下着をつけていないだろう彼女の背中はしなやかで柔らかい。ちなみに僕は彼女の背中を無造作に撫でていても、男性的な意味での不埒な感想など持ってはいない。
なぜなら彼女はいま、酷い喘息の発作に襲われているのだ。
パチュリーさんは素人目で見ても強かった。あの箒に跨り、いかにも魔法使いという装いの金髪の子との戦いの最中、常にパチュリーさんは彼女を圧倒していた。色とりどりの光の球とレーザービームのようなものが、常に白黒の彼女を追い込んでいたのだ。
ただ白黒の彼女が突然、高笑いをあげたとたんに凄まじい太さのレーザーを発し、それを慌てて回避したパチュリーさんが、そのまま力なく墜落したのだ。僕と小悪魔先輩は慌てて落下地点だろう場所へ殺到し、慌てて受け止めた。少し腰が痛いかもしれない。
白黒はそれを見て、「今日も戦利品をいただくぜ」と少女らしからぬニヒルな笑みを浮かべると、いくつかの本を抱いて消えていった。僕はそのあまりにも悪びれない窃盗っぷりにある種の感動すら覚えたが、それ以上に呼吸困難なほどに咳き込む雇い主が心配だったのだ。
彼女は慢性的な喘息もちだと言い、僕を呼ぶきっかけもそれが一因であるという。とは言え、僕を狙って呼び出したわけではなく、なんらかの偶然で僕が現れたわけだから、その点は彼女に申し訳なくもあるけれども。
向こうにいたときに僕の知り合い、正確に言えば僕の幼馴染が喘息もちで、遊んでいる最中に発作を起こす事があったから、こういう経験は皆無では無かった。でも幼馴染の子はいつも喘息用の吸入器を持ち歩いていたから、それを吸入するとしばらくはかかるが収まっていた。でもここにはそういったものは無く、小悪魔先輩が暖かい紅茶を用意するくらいしか無いようだった。
床にうずくまり、白い顔を真っ赤にしながら激しく咳き込む彼女を見ていると、どうにもいたたまれない気持ちになってきて、僕はせめて楽になればと背中を撫でているのだ。涙を浮かべて、その美しい顔を歪めて涎すら流している姿はひどく痛々しく、百年生きている魔女だとしてもどうにかしてあげたかったのだ。
「……っハァ……アサヒ……もう、大丈夫だから……」
「ごめんなさい、これくらいしか出来なくて」
「……いいの、ありがとう。ソファまで運んでくれるかしら? 少し眠りたいの」
「はい、パチュリーさん。では持ち上げますよ。むさくるしいでしょうが、少し我慢してくださいね」
「……ん」
汚れてしまった口元を拭いながら、彼女はそうして僕に助けを求めた。
抱き上げた彼女はとても軽く、まるで羽のようだった。まだ激しく上下している胸元は、依然苦しいのだろう証拠であり、それがとても切なかった。
これが娯楽なのだと言われても、どうにも僕には理解できそうに無く、ただあの妙に明るかった白黒の魔法使いを思い浮かべるとどうも胸がチリチリとしてしまう。
さっきは話が途中になったが、どうやら僕の役目は彼女を止めることのようだ。
果たして僕に出来るだろうか? 空を飛ぶことも出来ないただの人間の僕に。
それでも何か出来るならば、どうにかあの魔法使いを止めてみたいと感じている。
その手段が僕には考え付かないけれど。
革張りの大きなソファにパチュリーさんを静かに下ろす。
彼女はふわりとした帽子を深く被ると、僕にもういいわと小さく呟き、そのまま眠った。
金色の三日月を模したブローチがきらりと輝いている。小刻みに震えてもいる。
きっと、とても悔しかったんだろうなと思う。
だからどうにか役に立ちたいと僕は思ったのだ。
★
「小悪魔先輩」
「ふふっ、アサヒさん? もっと先輩って言ってもいいんですよ?」
僕はパチュリーさんを寝かせたあと、なにやら精神的に疲れてしまった。なので小悪魔先輩に淹れてもらった紅茶を飲みつつ、テーブルで休んでいる。レースのカーテンで仕切られた先には、ソファとパチュリーさんのシルエットが映っている。彼女のシルエットは静かに上下していて、なんとか穏やかになったことが分かり少しだけ安心する。
そんな僕の前には小悪魔先輩がなぜかニコニコしながら座っており、そんな彼女に僕は少しだけまとまった考えを聞いてもらおうと話しかけているのだ。だが残念ながらそれは失敗であった。
だって彼女は僕が先輩と呼ぶたびにニマニマとだらしなく笑い、会話が続かないのだから。
もしかしていつもの事だからと彼女は思っているのだろうか?
僕はもう少し真面目に会話をしてみたかったのだが、長きに渡ってパチュリーさんと二人きりだった彼女は、僕と言う新入りが現れたことで先輩風を吹かせたいようだ。
それは悪魔という、伝承では人間の敵であるはずのものであるが、実際こうして目の前にしてみると実はそれほど緊張を強いられるような危険なものでは無かった。いや、きっと彼女だからこそなのかもしれないけれど。
ただそんな彼女が今はどうにも恨めしく、疲れて精神がさらに重たく感じてしまった。
逆の意味でしっかり悪魔じゃないかなんて考えに思い至り、なんだか余計に疲れた。
だから僕は彼女との会話を諦め、少し怖いけれど当主のレミリアさんに相談にいこうと決めたのだ。
「ねえアサヒさん、さんはい!せ・ん・ぱ・い♪」
僕は無言でドアを閉めた。
そうしたところで問題は無いだろう。何やら小悪魔先輩は恍惚と、自分の世界へと旅立ったのだから。
みしりと軋む暗がりの階段を昇り、先ほど往復した廊下へと出る。
またあの見事な庭でも眺めながら歩こうかなんて思っていると、昇った階段の先にこちらを見ている小さな子がいることに気がついた。
見知らぬ僕がいることに不審に思っているのだろうか? よく分からないが、とにかく彼女は一言も発す事も無く僕をじいと見ている。
「あなたはだあれ?」
逆光で表情が見えないが、酷く幼い声でその子は僕にたずねてきた。
「僕はパチュリーさんに雇われた人間のアサヒと言います。君はこの館の人かい?」
「そうだよ。わたしはフランドール。このとなりの地下室に住んでいるんだよ」
「そうなんだ? 僕はさっきここに来たばかりだから、初めましてだね」
「ふふふーはじめまして!」
ひとこと、ふたこと言葉を交わすと、彼女は警戒心が無いのか、小走りに近寄ってきた。
僕も残りの階段を昇りきり、そうして彼女、フランドールの姿を漸くみることが出来た。
彼女は真っ赤なワンピースを見にまとい、やはりくしゅりとした帽子を被っている。
快活そうなはっきりとした目鼻立ちは、やはり美少女のそれであり、この幻想郷に来て出会う女性は、皆が皆美しいのだと呆れてしまった。いや、美しいことは素晴らしい事だけれども。それでもここまで美少女だらけだと、逆に呆れるのも仕様が無いことだと思う。
彼女はやはり、ただの人間ではないのだろうと思う。
だって背中に不思議な羽のようなものがあるのだから。それは小悪魔先輩やレミリアさんのようなまさに悪魔的な造詣ではなく、色とりどりの宝石をぶら下げたようなとても綺麗なものだった。
「あなたは人間なのに、パチュリーの使い魔になったの?」
「そうだね、立場的に僕が彼女の使い魔であるのは正しいのだけれど、でもそれは正確には違うんだよ」
「そうなんだ。フランには難しいな」
「ごめんね、上手く言えなくて。そうだな、僕がここに住まわせてもらう代わりに、パチュリーさんのお仕事を手伝うって約束したってことだよ」
「そうなんだ!」
僕がたどたどしく説明すると、なぜか彼女は目を輝かせて僕にとびついてきた。彼女の容姿に似合わない強烈な力で。思わず倒れそうになるが、なんとか踏みとどまった。
「そういえば、君の目はまるでルビーのように真っ赤だけれど、レミリアさんも真っ赤だったね」
「そんなの当たり前だよ! だってお姉さまだもの。わたしはフランドール・スカーレット、レミリアお姉さまの妹だよ!」
驚いた。顔の造り自体はそれほど似ている気はしないが、なるほど、言われて見れば瞳だけはそっくりだ。色だけじゃなく、その長い睫毛も。
「これは困った。申し訳ありません、フランドールさん。当主の妹さんに気安い言葉で話しかけてしまいました」
「そんな話し方しないで!!」
「いっ、痛っ……」
僕は慌てて言葉を正した。なぜならあんな少女然としたレミリアさんだったが、五百年生きている吸血鬼というのは伊達じゃなかった。少しすごまれただけで失禁しそうな位に怖かったのだから。
そして彼女は名誉を重んずる方であるし、妹さんに粗相をすれば激怒するかもしれない。だから僕は言葉を直したのだ。
だけどそれはフランドールさんの何かに触れてしまったようで、僕の言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳の赤は色味を増し、まるで血のように濃い赤黒へと変化した。
そして僕の両手首を握り締めた。力任せに万力で締め付けたかのように。さすがに吸血鬼の妹ということだろうか。こうして冷静に状況を判断しているのは、気を抜くと意識が飛びそうなほどに痛いから。
「やめて……フランドールさ、ん……」
「じゃさっきみたいに話してッ!」
「わかった、わかったから……やめろ……」
「……うん、痛くしてごめんなさい。でも二度とあんな言葉を使わないで」
「……わかった」
僕を噛み殺さんばかりに開かれた口から飛び出ている長い犬歯。それが今は消えうせ、どこか消沈したように彼女は背中を向けてしまった。いったい何が悪かったのだろうか? 僕にはよく分からない。でもきっと、彼女には許せない何かがあって、僕はそれを踏み越えたのかもしれない。
またも僕の常識では計れない事柄に遭遇し、僕はまたも途方に暮れた。
それでも背中を向けるフランドールさんは、さっきまでの激興が嘘のようになりをひそめている。あまつさえ捨てられた子犬のように震えており、僕にした行為に対して酷い罪悪感を感じているようだ。
わからない。理由がまったく思いつかない。
それでも僕は、何かを取り繕うべきだと感じる。
彼女が一体、何年の生涯を生きているかは知らないが、口調も言動も幼いのだから。
ならば僕がすることは一つだった。
「ごめんねフランドールさん。僕はふつうの人間だから、どうやって人間じゃない人と接していいか分からないんだ。でも、出来れば僕は君と仲直りをしたいと思っているんだ」
「仲直り?」
彼女は少しだけ僕を振り返る。その瞳にはどこか怯えが見える。
「そう、仲直り。だから僕に君とどう接したらいいか教えて欲しいんだ。ダメだろうか?」
「……うん、いいよ。じゃわたしの友達になってくれる?」
「友達、うん、僕はこの幻想郷で友達がいないから、君がなってくれるなら嬉しいと思う」
そういうと彼女はこっちへと振り返り、素晴らしく子供らしい笑顔を見せてくれる。
「じゃ仲直りしよう! でもフランって呼んでくれなきゃ嫌だよ」
「そう呼んで、お姉さんは怒らないだろうか?」
「フランがいいんだからいいの! ダメ?」
「じゃ、フラン。僕はアサヒ。よろしくね」
「うん! アサヒはわたしの友達ね! 一番最初の友達だね!」
こうして僕は幻想郷で初めての友達を手に入れた。彼女は中身は別にして、精神は幼く、見た目相応の少女だけれど。僕は気恥ずかしくもどこかここでしばらく暮らさなければいけない不安さから解放された気分になったのだ。
それからしばらく、僕らは廊下の絨毯にすわりこみいくつかの言葉を交わした。
子犬のようなフラン。突然激興したときは正直に言えば怖かったけれど、今の彼女もきっと素の彼女なのだと思う。彼女は自分の能力を持て余しており、加減がわからずにすぐ何かを壊してしまうと告白した。だから四百九十五年もの間、書庫のある隣の地下室に篭っていたとも。
初めは姉のレミリアさんが閉じ込めたと言うが、別に出られなかった訳でもなくて。ただ何もかもが面倒になって、自らそこにいたらしい。流石に外へ行こうとすると、パチュリーさんが魔法で雨を降らせてしまったらしいけれど。そういうのも含めて面倒だったフランは言った。
それもまた僕には理解の範疇を超えた考えではあるけれど。
それよりも流れる水が吸血鬼の弱点だとは初耳であり、それのほうが驚きだった。
「そういえば魔理沙をやっつけるのがアサヒの仕事なんだっけ?」
彼女の身の上話もひとしきり終わり、西日の差し込むガラスからフランを隠すように二人で黄昏ていたその時、沈黙を嫌ったのかフランは話題を振ってきた。
「魔理沙というのがパチュリーさんを悩ませている白黒の魔法使いのことならそうだね」
「そうなんだ! でも魔理沙は強いんだよ。だってフランも弾幕ごっこで負けちゃったんだから」
「それは強敵だね。でも僕はどうしても彼女をやっつけたいって思うんだ。パチュリーさんが可哀相だからね。でも正直、僕には彼女をどう倒していいかなんて分からないんだ」
フランの無垢な言葉はとても話しやすい。
だから僕は何も考えずに素直な言葉を漏らしてしまう。
実年齢の差はこの際置いといて、それでも幼さの残る彼女に僕は泣き言を漏らした。
「そっか、パチュリーのためなのね。なら友達のフランも手伝うよ! 二人で魔理沙をやっつけたら、きっと楽しいかもしれない!」
「本当? 僕はきっと、すごくフランを頼りにしてしまうけれど、それでもいいのだろうか?」
「ふふふ~だって友達だもん。フランも手伝いたい!」
フランは僕の一丁羅のスーツをつかみ、ぶんぶんと振りながら笑顔でそう言った。
本当に嬉しそうに。僕はきっと彼女の遊び相手に選ばれたのだろうか?
まるで親戚の子のように可愛く思えるけれど、つかまれたスーツは破けそうだった。
それでもまあ、彼女がそれほどに嬉しいのならば、それもまたいいのかもしれないと思った。
こうして僕は魔理沙という宿敵を倒す相棒を手に入れたのだ。
その時はただ、フランが嬉しそうだからそれも良いと受け入れたのだが、まさかそれがあんな大騒動に発展するなんて、今の僕には分からなかった。
ひとしきり話し、いつのまにか僕の肩に寄りかかって眠ってしまったフラン。
あのレミリアさんの妹で、吸血鬼のフラン。
僕がすごした元の世界で培った常識は、この幻想郷ではほとんど当てはまらない。
いまあどけない表情の寝顔を見せる彼女を無条件に受け入れてる僕は、もう既にこっちの常識に馴染んできているのだろうか?
ただ僕はこの小さな友達が出来た事を嬉しく思っていたのだ。
「アサヒ様、妹様をお運びしますのでこちらへお渡し下さい」
沈黙を裂くように、静かに唐突に、僕の目の前にレミリアさんの横にいた使用人の女性が現れた。
思わず心臓をつかまれたように驚いたが、彼女の瞳が赤くないのを見ると何故かほっとした気分になった。彼女が吸血鬼じゃないと思えたからだろうか?
そして彼女は僕を無表情で一瞥すると、静かにフランを抱きあげ、次の瞬間には消えていた。
僕は音の無い廊下にひとり、残された。
僕は彼女にあまり好かれていないらしい。
どうにも遣る瀬無い気分になった僕は、結局そのまま書庫のある地下へと戻るのだった。