朝陽の幻想郷   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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ほんとに山も落ちも意味もないようなオハナシですが、ほのぼのという感じです。


空を飛ぶ程度の爽快感・後編

 アリスは混乱をきたしていた。それは目の前の男のせいだ。この男の言葉でアリスの頭はショートした。アサヒと名乗ったこの男、はじめは人形を褒め、そしてビスケットを褒めた。自分の自信のあるものを無条件に褒めた男の言葉をアリスは嬉しく思った。ところが、だ。その後に彼が言った言葉でアリスの思考は停止してしまったのだ。

 

「感謝の抱擁をその人に贈りたいッ!!」

 

 満面の笑みで、内面の嬉しさを隠しもしない男。そのビスケットを作ったのは私だ。なら貴方は私を抱擁すると言うのか。アリスは理解した。この男はなんて暑苦しいのかしらと。

 

(ほ、抱擁って抱擁かしら? ……ハグってこと? そ、それは難易度高いわ。私はそんなに軽い女じゃないもの。で、でも今朝はちゃんと沐浴もしたし匂いは大丈……って何を言ってるのかしら……)

 

 アリスは目の前の男をじっくりと見る。服装は個性的であるが、彼には似合っているように見える。顔は整っているだろう。少し目つきが悪いけれど。何より笑顔が印象的だ。薄い唇が笑うと妙に口角が上がり、それなりに大人に見える彼がその瞬間だけは幼く見える。そんな彼が私を抱擁!? そんな事を考えていたアリスの頭から煙が出た。

 

「お、おい、アリスさん大丈夫か?」

 

 "きゅう"と言う不思議な声と共にアリスは倒れ、慌ててアサヒが抱きとめる。丁度ハグをしているような格好だ。急に魔力の供給を失った人形たちがぽてりと地面に落ちた。アサヒはそれも念力の魔法で浮かび上がらせた。

 

「…………困ったな」

 

 そう言いつつもバスケットに残っていたビスケット二枚をポケットに入れたのは流石である。甘味への飽くなき探究心。それの成せる業であろう。

 

 アリスがこうなったのには理由がある。人恋しくも素直ではないアリスだ。受身な心はときに押しに弱い。そもそもこの状況は完全なる勘違いなのであるが、アリスにはアサヒから一方的な好意を寄せられたと思ったのだ。しかしその分野においてアリスはまったくの免疫が無かった。結果、脳の処理がオーバロードし、フリーズしたというわけだ。

 

 人の居ない路地。気絶した年若い少女を抱きしめる燕尾服の怪しい男。あまつさえ人形を肩に乗せている。見る人が見れば少女趣味の変態が裏路地で女の子をさらっている、そう見えるだろう。そしてタイミングの悪い事にさっきまで彼女の人形劇を見ていた子供が、もう一度アリスにお礼を言おうと戻ってきた。子供にはまさに今のアサヒをそう勘違いしても不思議は無かったのだ。

 

「あ、アリスおねーちゃんをはなせー!!」

 

 黒ずくめの男に一瞬怯んだが、それでもその男の子は結城を振り絞って叫んだ。周囲の大人たちに聞こえろとばかりに。

 

「いや、待て少年。ぼくは彼女を助けただけで、不埒なマネをしようとなんて思ってないんだ。ふふふ、つまりは誤解ってやつさ。なあ、ほら、このビスケットをあげよう。な?」

 

 引き攣った笑顔でいるがなんとか状況を立て直そうとするアサヒ。にやりと笑ってさきほどくすねたビスケットを取り出して少年へと近づいた。しかしそれは悪手であった。今の彼はどうみても不審人物だ。やること全てが裏目に出てしまうようだ。

 

「ひ、ひぃ……近寄るな変態!」

 

 じりじりと忍び寄るアサヒが近づいたと同じだけ後ずさる涙目の少年。知らない者が見れば、少女では飽き足らず、年若い少年にも食指を伸ばす変態の姿と映るだろう。

 

「ちがっ、ぼくは君と友好的にだな、その、あれだ……ふふふ」

 

 何故か薄ら笑いを浮かべるアサヒ。混乱でおかしくなっているようだ。思わぬ子供の反応に狼狽を重ねるアサヒ。まさに泥沼。そんな彼に手を差し伸べる者はたれもいない。

 

「ち、ちくしょう。誤解だって言ってるじゃないか~!」

 

 あまりの状況に混乱の極みへと達したアサヒは、アリスを肩に担ぐと一目散に走り出した。どうみても拉致である。しかしこうなったらどうしようもない。とりあえず慧音先生を頼ろう。とにかくアサヒはそう思ったのだった。

 

 その後の人里では、アサヒの二つ名が「魔法オジサン」から「変態紳士・魔法オジサン」に変更になったとかならかったとか。それはまた別のお話である。

 

 ★

 

「で、慌てて逃げてきた訳か。まったく呆れたものだな……」

 

 既にその日の授業は終わり、人気の無くなった寺子屋では、アサヒが正座をさせられ、その前には仁王立ちの慧音がいる。彼はかれこれ四半刻(役三十分)はこの状態で説教をされていた。そしてその横で眠ったままのアリスが横たわっているという、非常にシュールな光景である。

 

「違うんですよ慧音先生。ぼくに悪気は無かったんです。ただ少し、なんといいましょうか、夢中になってしまいましてね?」

 

 まるで浮気のばれた男が必死に女房へと言い訳をするような無様さで、しどろもどろになっているアサヒ。それを見下ろし慧音は深いため息をついた。

 

「だまらっしゃい。お前の事情は分かったが、いきなり初対面で誤解を招くような言動をしたお前がそもそも悪いのだ」

「本当にすいません。できればあの少年の誤解を解いていただければと思います」

「当たり前だ馬鹿者。じゃなければその少年はお前を見るたびに怯えてしまうだろうが。はぁ……また私の心労が増えるな……」

「心中お察ししますよ。もう立ってもいいですかね? 足、痛いんですけれど」

「やかましい。お前のせいだろうが。あと半刻はそうしてろ」

 

 へこへこと頭をさげつつも薄ら笑いを浮かべるという軽薄さにイラっとする慧音。アサヒとしてはさっさとこの口やかましい慧音から逃れたい、その一心のみだ。それでも慧音は長年の教師生活での経験か、アサヒが全く反省してないと見抜いている。そんな時だ。

 

「んっ、んん……あら、ここはどこかしら」

 

 眠っていたアリスが目を覚ました。馴染みの無い天井に驚いたようだ。上半身を起こしてきょろきょろと辺りを見回している。そして彼と目が合った。

 

「これはこれはアリスさん、先ほどはどうも。ぐっすりと眠られたようで良かった良かった。ふふふ……」

 

 土下座の体勢で顔だけをアリスに向けるとアサヒはそう言った。

 

「さ、さっきの破廉恥な人!?」

 

 びくんと肩を震わせるアリス。

 

「いきなり脅かすな馬鹿者ッ!」

 

 そしてアサヒに慧音の教育的指導と言う名の頭突きが落ちた。そしてアリスに代わって今度はアサヒの意識が暗転したのだった。

 

 ★

 

 青い空、白い雲。幻想郷は今日も晴れだ。毎日飛ぶ練習をしているけれど、上手くなっているかの実感はあまりない。継続して飛んでいられるだけでもあり難いが、まだ満足に弾幕ごっこをできるレベルでは無いと感じる。

 

 ぼくは週に一度くらいのペースで太陽の畑へと通い、幽香師匠に弾幕ごっこの手ほどきを受けている。彼女は割りと力押しな部分があり、それはどこか魔理沙と共通する部分でもある。だからこそ仮想魔理沙としてはうってつけなのだ。

 

 例の太いビームは、幽香師匠ならば自在に太さを変えられる。そういえば私はマスタースパークなんて下品な名前は嫌だわなんて言っていたな。彼女のほうがオリジナルなのだから、質が違うのだろう。

 

 もちろん彼女の元へ向かう際には、必ずお菓子を持っていくのを忘れない。幽香師匠は礼儀にうるさい人であり、普段の物腰も上品なのだ。ぼくがみやげを渡すと、本当に嬉しそうに笑い、おいしい紅茶を入れてくれる。修行はなんとも二の次と言うか、ある種茶飲み友達のような関係に近いだろう。

 

 まあ実際に修行となればぼくは毎回ぼろぼろになってしまう。けれど訓練だからと言って緊張感がなければ意味などは無いのだというのが彼女の思想だ。たしかにそう思う。紅魔館に住んでいると他人の弾幕ごっこをみる機会も多い。

 

 例えば美鈴さんとフランや、レミィさんとフランなど。ほぼ毎日どちらかの対戦を見ることが出来る。ぼくはそれを綺麗だななんて眺めているが、実際にフランの弾幕なんか受けてみればあれはとんでもなく難易度が高いのだ。

 

 あの日、ぼくが魔理沙に負けた日。彼女は真剣にぼくを倒しに来た。ぼくが挑み、それを彼女が受けて立つという構図だったのだが、もちろんそこに明確なルールなど無かった。そこにごっこというエクスキューズは無く、互いに自分のプライドを賭けて戦ったように思う。今考えるとぞっとするが、もしかしたらどっちかが死なないまでも大怪我していたかもしれない。

 

 その緊張感といえば、いま思い出しても身震いするほどだ。それを期に、ぼくの弾幕を避ける技術はひどく向上したように思う。それは真剣勝負だったからこそなんだと思う。あの弾幕を被弾したときの焼け付くような痛み。そういう生々しい実感は、もう二度と酷い目に遭いたくないという恐怖を生み、その恐怖を退けたいぼくの心が冷静さを生むのだと思う。

 

 だからこそ幽香師匠の訓練は非常に勉強になる。彼女の数々の弾幕をかわし、時折ぼくもパチェさん直伝の弾幕を放つ。そして最後は例の太いレーザーで止めを刺されて終わる。今は回復魔法も少し扱えるからこそ出来る無茶であるが、この実戦感というものはぼくにとって非常に貴重なのだ。

 

 そんな事を考えていると目的地が見えてきた。行き先はアリスの家だ。先日ひょんなことから彼女と知り合ったのだが、()()()()()での思いの行き違いにより、お互いに切ない出会いとなってしまった。しかしその後彼女は理解してくれた。ぼくの甘味に対する大いなる情熱の事を。ついでに人形も褒めたのは言うまでも無い。

 

 そして今日、彼女はぼくのためにあのビスケットを焼いてくれているのだ。その代わりにぼくは彼女にパチェさんと幽香師匠を紹介する。どうやらアリスは友達がほしいみたいだ。魔法使いの基本は等価交換だもの。ぼくに異存は無かった。

 

 あの日、慧音先生の家で彼女が目覚めた後、代わりにぼくが意識を失うという不幸な出来事があった。どうにもあの人は沸点が低くて困る。まあそれは良いとして、しばらくしてぼくは目を覚まし、アリスと色々話してみたのだ。

 

 なにせ彼女のビスケットは素晴らしかったからね。僕がどれだけ甘味に飢えているか、そしてあんな素晴らしいお菓子を自作できるアリスをどれだけ尊敬するか。それを数時間に渡って話してあげたんだ。途中で人形がどうしたとか言ってたがそれはまあいいとして。それでぼくらは言わば莫逆の友となったのだ。素晴らしい出会いに乾杯。

 

 彼女に知り合いを紹介する件に関しては、ぼくから言い出した。なぜならアリスがお菓子作りが上手くなったのは、魔法の森の彼女の家に引き篭もり、ひたすら人形とお菓子を作ってたからだと言うじゃないか。それはいけないとぼくは思った。

 

 アリスは魔法使いの先輩であるし、もしこのまま彼女がこもり続けたとしたらどうなるかなんて簡単に想像できる。……かつてのパチェさんだ。ああなってはおしまいだ。だからこそぼくは生まれ変わったパチェさんと、ぼくの教官でもある幽香師匠に顔を繋ぐべき、そう考えたのだ。せっかく親友になったのだから大事にしなければいけない。まあ詳しくは伝えてないが、そのうち紹介することになるだろう。

 

 ぼくはいつものように"おっかなびっくり"着地して、アリスの家の玄関へと降りる。紅魔館もそうだけど、人里だけを見れば古風なのに、こうして洋館があるってのも不思議な感じがするな。ぼくは蝙蝠傘をたたむと扉をノックした。

 

「こんこん、アリスさんはご在宅でしょうか?」

 

 畳んだ蝙蝠傘の柄で何度かノックを続ける。するとしばらくの沈黙の後、扉は静かに開いた。その瞬間、室内からは焼きたてのビスケットの香ばしい匂いが流れてきて思わずにやけてしまう。

 

「いらっしゃい。本当に来たのね。一応ビスケットは焼いておいたけれど、とりあえず中に入るといいわ」

 

 ドアの前で僕を睨むように見上げるアリス。なんだか思わず涙を流しそうになる。そんな疑心暗鬼になるほどにコミュニケーションが苦手なのだろうか。ならばぼくが彼女の心を溶かしてやろう。そう決意したぼくは、後日にしようかというとある計画を、今日実行することを密かに決めたのだった。

 

 ★

 

 どうして私はここにいるのだろう? アリスはふわふわと飛行しながら自分の横で和菓子と洋菓子との差を比較しつつ、それらを折衷させた菓子はできないものかと自分なりの考察を夢中で語るアサヒを見ながら考えていた。

 

 先日彼女は人里で知り合った新米魔法使いのアサヒに半ば無理やりにお菓子を作ってくれと依頼され、それでもどこかずけずけと自分の領域に踏み込んでくるこの男の態度を心地よく感じながら、どうせ来やしないだろうと思いつつもビスケットを焼いた。

 

 アリスは今までの経験で学習していた。それはひどくネガティブな意味ではあるが、誰かに期待しすぎると、それを裏切られたときのダメージは大きい。だから最初から期待しなければいいのだと。

 

 人と人との距離感とは、個人個人で感じ方が違う。それは求めている物がそれぞれ違うからだ。ある者は適度な距離感で軽い付き合いを望み、ある者は肌が触れ合う距離感を望む。能動的な付き合いが常識である者もいれば、受身になってしまう者もいる。それらは絶対に折り合う訳はないのだから。

 

 コミュニケーションの基本は妥協である。それを面倒と断じる者には人付き合いは出来ない。けれど誰しも心の底に持つとある考えは共通している。それは人に心の内を晒す事は怖いという想いだ。肉体と精神に守られた心は、基本的に他人からは見えない。だからこそ実際の表情とは裏腹に、人は様々な思いを胸に抱く。

 

 けれど人と触れ合いたいと願うならば、それを小出しにしていかねばならない。それがたとえ痛みや恐怖を伴うとしても。それは自分の普段のスタイルを多少曲げるという妥協をする必要が生まれる。だからこそ人付き合いは酷く疲れるものであるし、面倒でもあるのだ。

 

 アリスは魔法使いという習性もあってか、自分の素を出すのは苦手であるし、また能動的に動くことを恐れている。心では誰かと触れ合いたいと願っているのに。巫女に貴方誰と言われた衝撃は大きかった。ならば友達などいらない。そう考えるほどにアリスは臆病になっていた。

 

 けれど、と彼女は考える。この無遠慮な男はなんだろうと。気安く人の家に上がりこみ、まるで古くからの友人のように暢気に寛ぐ。そのふてぶてしさに思わず嫉妬してしまった。彼の十分の一ほどの図太さが自分にあったらなと。

 

 そして今日、彼に言われるままにアリスは外にいた。行き先や目的を一切しらされず、ただ行こうと彼女の手を引いて空を飛んでいる。

 

 そしてさらに彼女は思う。この状況は一体なんだと。あれからしばらく飛んでやってきたのは、幻想郷の中で一番危険とも言われている太陽の畑だった。そしてアサヒがにこやかにとある家をノックすると、出てきたのはそう、フラワーマスター風見幽香である。彼はにこにことここへ来た趣旨を告げていく。

 

 アリスが驚いたのは、最近まで人間だった彼を、風見幽香もまたにこやかに受け入れていることだ。風見幽香は好戦的であることで有名だ。それはこの幻想郷について詳しく書かれた書物「幻想郷縁起」にも書かれているほどの常識である。

 

 特に愛する花を害する存在に対しては、容赦なく襲い掛かり殺すとまで言われている。そんな彼女がアリスの目の前でにこやかに笑い、アサヒの来訪を歓迎している。これには彼女は内心驚かざるを得なかった。

 

「アリス、アリス。幽香師匠で例のやつを渡したまえ。ふふふ……」

 

 そしてアサヒはアリスを振り返り、ちょいちょいと手招きした。

 

(ちょ、私を巻き込まないで~! って何笑ってるのよおバカ。……嫌だ、凄い見られてる……)

 

 突如話を振られたアリスは狼狽する。思わず自分が持っているバスケットをちらりと見て、そしてじっとこっちを見ている風見幽香を見た。

 

「あ、アリス・マーガトロイドよ。よ、よろしくね……」

 

 笑顔のアサヒ。真顔の風見幽香。なんとも不思議ないたたまれない空気の中、耐え切れなくなったアリスは意を決してそういうと、引き攣った笑顔で手を差し出してみた。

 

「風見幽香よ。よろしくアリス。どうやらうちのバカ弟子が世話になったようね」

 

 ぎゅう……

 

 なんとも微笑ましい美女同士の握手。アサヒは思うところがあるのだろう、何やらうむうむとしきりに頷いている。しかし

 

(痛い痛い痛い痛い! 手が折れるわっ!)

 

 満面の笑みのまま風見幽香はアリスの手を握りつぶさんばかりに握っていた。涙目のアリス。どうしてこうなったのだろうかと、どこか虚ろに現実逃避を開始する。しかしそれは数瞬のことで、やがてすっと力が抜けた。

 

「いやあ、これでアリスも幽香師匠と友達だね。良かった良かった。幽香師匠も友達いなさそうだから心配していたんです。アリスもまた然り。これで一件落着ですな。ふふふ……」

 

 何やら感慨深げに腕組みしているアサヒ。その時ピキリと何かが切れたような音が聞こえた。具体的にはアサヒの両脇で一箇所ずつ。

 

「…………アサヒ、貴方が私をどう思っているかよ~~く分かったわ。悪かったわね? 花いじりしか興味の無い引き篭もり妖怪で……」

 

 凄みのある笑顔を浮かべ、ゆっくりと日傘を構える風見幽香。

 

「……最初から失礼な男とは思っていたけれど、まさかこれほどとはね。誰が引き篭もりの人形遣いよ。私は好きで一人でいるのよっ!」

 

 アリスの背後から槍を構えた人形が無数に浮かぶ。そしてアサヒは星になった。カッという爆発にも似た発光と共に、全身を槍でさされ、止めに何本ものビームを喰らったアサヒはキラリと空へと消えたのだ。

 

「ふう、すっきりしたわ。貴方とは仲良くやれそうね。改めてよろしくね、アリス」

 

「ええ、こちらこそよろしくね幽香。ほんとスッキリしたわ。そういう意味では役に立つ男ね」

 

 奇しくも共通の敵を前にした二人は、アサヒの目論見通りに親交を深める事に成功したようだ。

 そんな二人はアサヒのことはすっかり忘れ、アリスの焼いたビスケットをお茶請けに優雅なお茶会を楽しむのだった。仲良きことは美しき哉。

 

 ★

 

 何やら色々と疲れた顔のアリスを連れて、アサヒは紅魔館へと帰ってきた。色々とあったが、あの後全くの無傷で現れたアサヒを香ばしい目で見ながらも、二人だったお茶会は3人のお茶会へとなり、それなりにそれぞれ穏やかな時間を過ごした。

 

 しかしアリスの受難は終わらない。散々と気疲れしたアリスを抱えるように空へと舞い上がったアサヒは、そのまま紅魔館へとエスコートしたのだ。連れ去る際、彼には「もう家に帰りたい」というアリスの発した悲痛な叫びは聞こえなかったようだ。

 

 とにかくそうして、二人は紅魔館へとやってきたのだ。

 

「おや、アサヒさん。お帰りですか」

「はい。今日は友達を連れてきたんですよ。パチェさんは地下に?」

「ええ、さっきまで日課の太極拳をなさっておいででしたが、今は地下にいると思いますよ」

「そうですか、それは丁度良かった。ああ、美鈴さん。こちらは魔法使いのアリスさんです。また来るかと思いますので覚えていてくれたら幸いです。ふふふ……」

 

 にこやかに会話をかわすアサヒと美鈴。そんな姿をぐったりとした様子で眺めていたアリスだったが、突然紹介されて戸惑った。

 

「あ、あはは……。アサヒのと、友達のアリス・マーガトロイドよ。よろしくね」

 

 それでも長年染み付いた外面の良さを辛うじて崩さないアリス。唇の片方だけを上げるという器用な笑顔で美鈴に手を差し出した。

 

「これはこれはご丁寧に。門番をやっている紅美鈴と申します。アサヒさんの友達ならば歓迎しますよ」

 

 人好きする笑顔で手を握り返す美鈴。対照的なコントラストであるが、概ね微笑ましい姿と言えよう。そしてアサヒは爆弾を落とす。もちろんそれはアリスにとってだ。

 

「ああ、美鈴さん。彼女もそのうち太極拳を習うと思うのでその時はよろしくおねがいします」

「おお! それは嬉しいですね。やはり身体は資本です。魔法使いと言えど、体力が無ければいけませんからね。ええ、おまかせ下さいアリスさん。この紅美鈴、貴方を立派な功夫使いにしてみせますよ!」

 

 そう言ってうれしそうにアリスの手をぶんぶんと振る美鈴。

 

「えっ、功夫……? ちょ、貴方、何を言って……もういいわよ。やればいいんでしょやれば」

 

 アリスは色々諦めた。この男のペースに嵌ってからはどうにもいけない。そしてどう抗おうと自分にはどうしようもない。色々悟ったアリスは荒ぶる激流に身を任せ、被害を最小限にすることを選択した。それもまた彼女の処世術なのかもしれない。

 

 ★

 

 居候だったのが今やぼくは住人の一人と数えられ、すっかり馴染んだ紅魔館地下の書庫。ここへ来た当初の定位置だった長いテーブルは今は綺麗にかたされ、お茶を飲むだけの場所になっている。パチェさんの私室のよこにはぼくの私室が設けられ、ぼく個人の魔法の研究はそこでしている。

 

 そして今、ぼくの目の前では美人の魔法使い二人がなんとも楽しそうに語り合っている。一人は我が主、パチュリー・ノーレッジ。そしてもう一人は今日ぼくがパチェさんに紹介したアリス・マーガトロイド。小悪魔先輩が淹れたばかりの暖かい紅茶を飲み、アリスが焼いたビスケットを摘んでいる。

 

 なんて絵になる風景だろう。誰もが疑問を挟むことが出来ないほどに美しい二人。

 

「ほんっとうちのアサヒはダメね。女心というものを分かってはいないわ。貴方もどうやら苦労したようね……」

 

 そんな美少女二人が互いを見つめあいながら歓談している。これを眺められるぼくはなんて幸せなのだろうか?

 

「そうなのよね。こっちの都合はお構いなし。付き合わされるこっちの事も考えてほしいわ。まあ退屈はしないけれど」

 

 たしかに紅魔館は綺麗な女性だらけだ。スカーレット姉妹を筆頭に、パチェさん咲夜さんに美鈴さん。小悪魔先輩だってそうだし妖精メイドたちも美しい。なるほどぼくは素晴らしい環境にいるのだと、再確認した。男冥利に尽きるとはこの事だろう。

 

「なんというのかしら、アサヒは魔法使いになる前はただ一生懸命で健気な人間だったのよね。けれど魔法使いになったら豹変したのよ。理屈っぽさが増長され、知的好奇心の強さは他人を省みない。妹様とセットになったらもう災害よ災害」

 

 けれどどうしてだろう。先ほどから涙か止まらない。……それは多分ぼくが今、何故か正座をさせられ、あまつさえ目の前に置かれた皿には山盛りのビスケットがあるのにオアズケを食らっているからだろうと思う。

 

「すいません、これ、食べてもいいですかねぇ?」

「「もう少し反省してなさい!」」

「はい……」

 

 もうバッサリである。いったぼくが何をしたというのか。ぼくはただアリスに良かれと思って色々頑張ったのだ。なのにここへ帰ってきてアリスをパチェさんに紹介した後に状況は一変したのだ。

 

 目指す方向性は違えど同じ魔法使い。そのシンパシーは互いを刺激しあったのか、二人はぼくをそっちのけで小難しい話で盛り上がっている。それは魔法使いの先輩たちの高度な議論であったから、ぼくも刺激になるなあと耳をそばだてていた。

 

 しかしパチェさんがぼくへの愚痴を語り始める。無理やり運動させられ、舌が痺れるようなマズイ草を食べさせられると。まだほうれん草の悪口を言うかとぼくは憤慨したものだ。それを聞いていたアリスは、いきなり風見幽香の前に放り出されて死ぬかと思った。人形の話よりもビスケットを優先させるロクデナシだとさらにぼくを貶めた。

 

 結果がこれさ。理不尽なまでのその所業。まさに鬼畜の如し、である。せっかくアリスが焼いてくれたビスケット。と言う事は所有権は既にぼくに移っているのではないだろうか? そんなビスケットを人質に取られ、悪い魔女二人は悶えるぼくを見てほくそえんでいる。許すまじ、許すまじ魔法使い……。

 

「アサヒ、あんまりアリスを無理を言ってはダメよ? 反省した?」

「はい」

「アサヒ、迷惑ではなかったけれど、できれば先に目的を言ってほしかったわ?」

「はい」

「ビスケット、欲しいかしら?」

「hai」

「ほうれん草は食べなくてもいい?」

「それはダメです」

「……そう。もう少し反省してなさい」

 

 これが魔女裁判……或いは踏み絵。悪魔のような二人の拷問からぼくが逃れられたのは二時間ほど経って体。そして

 

「…………ビスケットがありません」

「当たり前じゃない。全部食べたもの」

 

 神は死んだ。この時ぼくは憤怒に唇をかみ締めながら、密かに下克上を決意した。この紫色の魔法使いをこれ以上野放しには出来ない。主にぼくの甘味的な意味で。

 

 空になった皿を眺め、ぼくはこの世の不条理について考えていた。人間から魔法使いになろうと、世間は世知辛いのだということだ。

 

「さて、そろそろ帰るわ。ここの主には次来た時にでも挨拶するわね。じゃパチュリー、今日はとても楽しかったわ。人形の研究もこれで前進しそうだし。では御機嫌よう」

「ええ、こちらも刺激になったわ。貴方ならここの本を閲覧する資格があるわ。見たくなったらまた来なさい。さよなら」

 

 どうやらアリスが帰る様だ。恨めしそうに睨んでやろう。食い物の恨みは恐ろしいのだ。

 

「アサヒ、ちょっと来て」

 

 そういうとアリスはドアのところでぼくを手招きする。

 

「……なんだ、ビスケットの敵め」

「そんな顔しないの。少し意地悪しただけじゃない。だからホラ」

「シャンハーイ」

 

 アリスが合図をすると上海人形が小さなバスケットを手に僕の肩に乗った。ぼくはそれを手に取る。こ、この香りは……

 

「ビスケット?」

「そうよ? 貴方が焼いてと言ったんじゃない。人形と、お菓子を褒めてくれたお礼よ。あと……連れまわしてくれてありがとう。正直疲れたのは事実だけど、こんなに知り合いが増えたのは……その、嬉しいから。…………もちろん貴方もね」

 

 そういうとアリスはそそくさと小走りに登って消えた。……トイレでも我慢してたのかな。まあいい、ぼくの手にはビスケット。こんなに嬉しいことは無い。

 

 とにかくまあ、こんな感じでぼくはアリスと親友となった。この後はパチェさんとアリスが文通している手紙を運ぶメッセンジャーの役割として彼女の家に度々訪問している。彼女のお菓子は最高だ。故にぼくになんの異存もなかった。どうせなら毎日通いたいぐらいだ。

 

 魔理沙には弾幕ごっこで負け越しているけれど、友達の数では勝ってるはずだ。こんどアリスのビスケットを持ってヤツの家へと行ってやろう。そして自慢するのだ。悔しがるヤツの顔が目に浮かぶようだ。

 

 なんだか奇妙なぼくの人生。気がつけば人間すら止めているぼく。それでもこの幻想郷の生活はぼくの性に合っているようだ。ぼくの人生は充実している。素敵な仲間に囲まれて。

 

 幻想郷の空を駆け抜ける程度には、ぼくの人生は爽快なのだ。




アリスを出したかっただけでしょと突っこまれそうなので、先に言っておきます。
「その通りです」

この話で一区切りというか、「俺たちの冒険はこれからだ!」的なニュアンスで終了です。やはり魔理沙との決着を持って書き切った感が否めないといいますか。長いから良いって訳でもないだろうし。

どうにも作者としては続きが思いつかなかったんです。
ああ、メリーさんの伏線がぁ……と思いますが。

まあ書けないものは仕方がないと割り切ります。

一応これはここで完結とさせていただきます。

※2014・11・24追記

思う所があり、第二部を始めようと思います。
このままこれを更新せず、別タイトルで新規連載という流れでやります。

スタイルとしては、今までの様に一話一万前後という縛りを設けず、一章を書き終えたら予約投稿で毎日あげると言う感じで考えており、一話は3~5千字程度で、一話ごとに話が進む流れでやってみようと思います。
描写がくどいのは私のクセなのだそこはどうしようもありませんが、気が付いた人はまた呼んでくれたなら幸いです。

12月を目途に投稿開始予定。現在は仕事の合間に書き溜めている状態です。

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