外伝一もそうですが、テーマになってるのは元々魔理沙本編を書く際のアイデアだったりします。結局色々考えた末に魔理沙を倒すという普通の人間の話になりましたが、こんなアイデアもあったのですというオハナシです。
八雲紫の憂鬱
先日の永夜異変以降、めっきり八雲紫はやつれた。
この幻想郷という土地を裏から支えているのが彼女である。決して表には出ない、出る気もない。それが彼女の心情である。そもそもの始まり自体は八雲紫だったかもしれない。けれど彼女の仕事は幻想郷と言うシステムを構築した段階で、その仕事の大部分が終わったのだ。
言うなれば水槽に池の様子を再現する。その中には水底の玉石や藻であったり、流れや遮光を揃えたり。そしてそこにいくつかの生物を解き放つ。あとは生態系が出来上がる様を、水質などを管理して眺めてやるだけである。
そこに手を加えすぎれば、それは不自然なものになってしまうだろう。それを彼女は良しとしない。それでもとある異変では自らが表舞台に出てしまった。しかし彼女が実力のある大妖怪だとて感情があるのだ。とは言え、以後は出来るだけそうしないように気をつけている。
基本的にはよっぽどの事がなければ幻想郷の自浄作用のキーである巫女がどうにかするのである。ならば彼女は尚更、表に出るべきではないと思うのである。
だが最近はどうにも状況がおかしくなっていた。それは度々訪れる”外来人”のせいであった。彼らは普通の人間と違い、どういう訳か八雲紫自身でも難儀する”力”を持っているのだ。理由は分からない。ただ現実としてその存在そのものが異変とも言える人間どもが彼女を悩ませている。
ある者は常識では考えられない身体能力で鬼をも蹂躙し、またある者は何も無いところから無数の剣を作り出しては大暴れする。それ以外にも様々な災厄レベルの人間が幻想郷を脅かしていた。
幻想郷の在り方とは、ある種澱んだ水のようなものが理想である。だれも変化を求めてはいないし、停滞だと言われればなるほどそうなのかもしれない。しかし幻想郷の住人のその多くは人ならざる者である。それらは例外なく長命であり、人のそれとは大きく違った価値観を持っている。
そしてそれらの存在は、人の存在なしには形を保てない歪な存在でもあるのだ。既に外の世界の常識は、幻想に属する者を否定している。そのために外で人ならざる者は居場所が無いのだ。故に幻想郷にいる人間は、古来と変わらずに神や妖怪を信じていなければならない。神は信仰され、妖怪は恐れられる。だからこそ人々の意識は停滞せざるを得ないのだ。
それはあくまでも人ならざる存在側の理屈でしかない。だからこそ八雲紫は全てを受け入れる幻想郷こそ残酷であると表現する。だとてそれを否定するつもりも無いのだけれども。
とにかくその微妙なバランスで成り立っている幻想郷に、それら不自然すぎる存在は混入を止めない。それらの多くは、しつこいくらいに幻想郷の実力者にすりよる。独善的で幼稚な理論を展開し、同情を誘う。そうして幻想郷の理念すら理解することなく、己の求めるままに蹂躙するのだ。
そういった人間に八雲紫は容赦をしない。滅多に食べない人であるが、そういう連中は問答無用で食する。使命感というよりも怨恨に近い感情かもしれない。八雲紫にとって幻想郷とは、お腹を痛めて産んだ子供のようなものだ。それを汚すなど殺しても殺したりない。
彼女の能力は「境界を操る程度の能力」と言う。それはどのようにも解釈できそうな馬鹿げた力である。なぜなら境界の存在しない生物などいないのだから。八雲紫はそういうふざけた連中を発見すると、こちらの存在を知らせる事無く解体する。口を利くのも面倒なくらいに嫌悪感を持っているからだ。
そしてこの前の永夜異変、これはかなり幻想郷にとってデリケートな異変であったが、結果を見ればいくつかの勘違いであったのだけれど。それらが積み重なって大きな異変へと発展した。そこに現れた不自然な力を持つ少年二人。銀色の髪とオッドアイという奇妙な容姿をした二人は、しきりに巫女の邪魔をした。「女の子に危ないマネはさせない」だの「これが……こんな事があっていいなんてお前が思っているなら……そんな幻想ぶち殺す」だの叫んでいた。もっとも、幻想を壊されたら困るのだと八雲紫は苦笑いをしたものだが。
巫女も普通の魔法使いもそれらに辟易して、邪魔だから消えてと叫んだがなにせ聞く耳を持たない。いい加減疲れた八雲紫は無言で自分のスキマに彼らを招待すると、ひどく面倒くさそうに解体した。
八雲紫は憂鬱だ。それも一冬丸ごと眠ってしまいたいほどに。
「紫様、またもや結界を越えた馬鹿がいるようです」
寝巻きに着替えた八雲紫だったが、式である狐の言葉に溜息をついた。
「本当に、ゆっくり寝かせて欲しいものですわ……」
魔理沙一章のクライマックスは2、3日かかりそうです。