朝陽の幻想郷   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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偉そうな人と臆病な人

 

 自分の人生がどうなるかなんてきっと誰も分かりはしない。それが分かるのは神様みたいな存在くらいなんだと思う。それでも人は先の見えない自分の未来が不安だから、せめて少しは良くなるようにと努力をする。それはひどく面倒で、出来れば楽をしたいと考えるのもまた人の本質だったりする。だからあとになって後悔することも多い。

 

 人生をサッカーに例えるなら、どれだけ完璧に守ろうとシュートを打たなければゴールは生まれない。そして一本、また一本と数多く打ってこそ、勝利を手にする確率も上がる。それは時に、反撃を食らうかもしれないというリスクをかけて望む必要もあるのだ。しかしリスクを負う事は負けるかもしれないという恐怖に打ち勝たなければならない。

 

 けれどどれだけ周到にトレーニングを重ね、戦術を叩き込んだとしても、誤審であったり、オウンゴールであったり、自分たちのフォローの及ばない事で負ける事もある。それはまさしく不運であるとしか言い様が無いのだけれど、それもまたゲームなのだ。まさに人の人生もそういうイレギュラーで泣いたり後悔することがある。

 

 僕が今置かれている状況だってある意味その類だ。どこか見知らぬ幻想郷という土地に気がついたら居たわけで、それをどれだけ不条理であると叫んだところで状況は変わらない。けれど一つ言えるのは、意識の持ちよう一つでそれが地獄から天国にだって変わる。それを僕自身がそう感じているし、何より今の生活をそれなりに僕は楽しんでいる。

 

 僕が今、生活の基盤としているのが紅魔館という屋敷だ。そこは当主が吸血鬼であり、妖怪に悪魔や魔法使いだっている。まるでアニメの世界に来たようであるが、その人たちは本来、人とは相容れない存在であるのに、なぜかひどく人間臭かったりする。今の僕にとって彼女たちは愛すべき家族であり、僕がか弱い人間であっても、守りたい人たちなのだ。

 

 ここにきて数ヶ月、僕はすっかりここの人たちが大好きになり、それなりに絆も生まれている。いま僕の横を歩いている美鈴さんもその一人だ。

 

 彼女は紅魔館の門番で僕とパチュリーさんの太極拳の師匠でもある。黙っていると凄みのある美人なのだけど、話をしてみるとこれが随分と印象が変わる。特に笑顔になるとまるで花が咲いたかのように愛嬌のある顔になるのだ。

 

 驚く事に彼女は本職の庭師でも無いのに、この広い紅魔館の庭を手入れしていると言う。元々はそれほど植物には興味が無かったと言うが、門番の仕事をしていて暇になり、戯れに手を出してみると驚くほどに性に合ったらしい。実際花を世話していると心が落ち着き、自身の心の鍛錬にもなると言う実益も兼ねているらしい。

 

 僕は紅魔館の庭が好きなんだと伝えると、それはそれは嬉しそうにはにかんだ。そういう反応は僕の園芸の師匠である風見幽香さんと共通するものがあり、意外と二人は馬が合うのではなんて思った。面識はないそうだから、今度紹介してみようと思う。そういえば幽香師匠とは例の修行以来会っていない。無沙汰も失礼であるし、今度人里で甘味でも買って訪ねてみようかな。

 

 そもそもどうして僕がいま彼女と歩いているかと言えば、彼女の面識のある河童に紹介してもらう為だ。河童は僕が知っている伝承ではとても怖い妖怪であるが、美鈴さん曰く、非常に臆病だけれど人間には友好的なのだという。そして幻想郷の河童は物づくりの技術者としても優秀で、河童たちに出来ない事はないというくらいらしい。

 

 美鈴さんは日々のトレーニングがてら、たまに妖怪の山付近まで走ったりするという。その最中に河童と知り合ったと言う。美鈴さんは妖怪であるけれど、言われなければ人間にしか見えない。さらに性格も温厚でもあるし。そういった部分が臆病な河童を安心させたのだろう。

 

 僕の魔理沙への作戦で、どうしてもあと一つやりたい事があり、それの実現の為にこうして出向くのだ。ちなみに咲夜さんではなく美鈴さんを連れ出したことで門番が居なくなるわけだが、そこは妖精メイドが数人、その代わりをしている。なんだか大騒ぎしながら遊んでいたけれど、どうせ客なんか来ないのだから問題ないだろう。何かあれば大抵咲夜さんがどうにかするだろうし。

 

 そんな訳で僕は美鈴さんを伴い、妖怪の山を目指すのだった。

 

 ★

 

「今日はいいお天気ですね~」

 

 たしかに今日はいい天気だ。日差しが強いので美鈴さんが眩しそうに目を細めている。彼女は本来ならもっと速いだろう歩調を僕にあわせ、のんびり僕の横を歩いている。

 

「そうですね。僕は初めて湖を間近で見ましたけれど、こうして歩いてみると涼しくて悪くないですね」

 

「はい、けど霧さえなければもっといいのでしょうけれど。でもアサヒさん、こうして連れ出してくれてありがとうございます。門番ばかりしてても飽きますから。あはは」

 

 美鈴さんは手を後ろに組みながらくるりと振り返って笑った。

 

「お仕事の邪魔をしてるのではと心苦しく思ってましたから、そう言っていただけると気が楽ですね」

 

 美鈴さんは僕がそう言うとどこか照れくさそう頭を掻いた。たしかに変化の無さ過ぎる仕事も疲れるだろう。湖から吹く涼しい風を受けながら僕らは他愛も無い言葉を繰り返す。僕は横目で彼女を見た。さらりとした美鈴さんの赤毛が揺れる。彼女の話はいつしか仕事の愚痴と、花壇に新しく植えたい花という話題がとめどなく繰り返される。

 

「あっ、なんだか私ばかり話してますね。アサヒさんが話しやすいからいけないんですよ」

 

 とめどなく話す美鈴さんは、急にはっとして僕を見た。

 

「美鈴さんの話を聞いてるのも楽しいですよ」

 

 事実彼女の話は面白かった。きっと彼女は所謂天然と呼ばれる性格なのだろう。本人はいたって真面目なのだが、周りからみるとそれは酷く愛嬌のあるものに見えてしまうのだ。

 

「そうですか~それは良かったです。それでですね、咲夜さんったらせっかく植えた百合の花を臭いなんて言うんですよ――――

 

 まったく緊張感の無い護衛さんだった。しかしさっきから森の木陰からちらちらこっちを見ている子供はなんなのだろうか。青い髪の子に緑色の髪の子が僕らのあとをつけてくるように移動している。美鈴さんも気がついているようだが、特に気にしていないようだ。でもこの辺に子供だけで来るのは危険なのではないだろうか? そんな事がありつつも、景色はやがて山の裾野へとたどりついた僕らである。

 

 妖怪の山はその名前の通り、たくさんの妖怪たちが巣食う領域だ。レミリアさんたちの話からすると、ここは天狗が幅を利かせており、完全なる縦社会を作っていると言う。それは非常に保守的であり排他的なもので、見知らぬ物が山へ侵入すると容赦なく排除されるらしい。

 

 元々は鬼がその頂点に君臨してたと言うが、その鬼たちは人間が嫌になって山から姿を消したと言う。鬼という種族は嘘が嫌いで正直な性質なのだと言うが、それは裏を返すと何事にも正直であるという意味でもある。なにも正々堂々という精神だけじゃなく、あくまでも卑怯な真似をしないという意味で。つまりは欲望にはひどく正直であり、彼ら(彼女ら? この幻想郷だから、きっと女性が多いのだろうと思う)は人を攫うことが大好きなのだ。お前を攫ってやると目の前に現れてどうどうと拉致していく。その後どうなるかなんて言わずもがな。

 

 まあ人間側からみれば鬼なんていう驚くほどに力持ちの存在に、個の力では到底太刀打ちできないだろう。だから人間はその強大な存在に対して徒党を組み武器を持ち、知恵を絞って対抗したのだ。それが鬼からすると卑怯な所業と取ったわけだ。鬼は個の力でしのぎを削る事が正義であり、人は自分たちの命をどんな手段を取ろうと守り切る事が正義なのだろう。つまり両方の正義は決して折り合うことは無く、結果鬼たちは嫌気がさして居なくなったと言うことだ。まあ、それも全てレミリアさんたちの受け売りなのだけど。

 

 僕らは鬼がいなくなり、天狗が幅を利かせているという危険地域に来たのだ。天狗のイメージを僕なりに美鈴さんに話してみた。だって僕には固定概念での天狗しか知らないのだから。その固定概念の中の天狗は、鼻が長くてひどく傲慢な生き物というものだ。”天狗になる”なって言い回しもある事だし。だから天狗とは偉そうで、他者を見下す連中なのだろうと僕は言ったのだ。

 

「あはは、それは多分、ほとんど正解でしょうね~」

 

 僕の考えに美鈴さんは苦笑いで答えた。そしてと彼女は言葉を続け

 

「ただ長い鼻は無く、みなさん綺麗な女性ですけれどね」

 

 またか。結局ここの妖怪さんたちは女性なのか。正直僕の周りも全て綺麗な美人か少女しかおらず、最近はそれに慣れてしまったのか、特に何も感じなくなった。僕の年齢があと十年若ければ、もしかするとここは天国のように感じていたのかもしれないけれど。

 

 しかしこの状況は凄く緊張しながら混浴の露天風呂にはいる様に似ているのかもしれない。異性の裸が側にあるのだから、それは緊張して当然だ。けれどしばらく浸かっていると、所詮、風呂は風呂でしかなく、目の前にたゆたう異性の裸体に何も感じなくなる。いや、そこで欲情しつづけるなら社会的に敬遠されて然るべき部類の性癖を持っているとなるのだろうけれど。

 

 まあ結局、慣れてしまえばそれが普通になり、一々そこに一喜一憂するなど無いって事だ。むしろ問題なのは、それら美しい女性像を持つ彼女たちが内包している力は強大であり、安易な考えで対等になのだと勘違いした途端、大怪我をすると言う事だろう。事実僕は毎日フランに飛び掛られるけれど、抱きとめる瞬間に少し身体を後ろに引いているのだ。それをしないと呼吸困難に陥るか、当たり所が悪ければ肋骨でも骨折するだろう。けれどフランに悪気など無い。ただ人間以外の存在が普通に身体を動かすレベルは、人間にしてみると大事になるというギャップがあるだけなのだ。

 

 僕がこの幻想郷で見につけた最初の常識がこれだったのだ。だからこそ自分が人間であると言う事を忘れてはいけないのだ。それを曖昧にすると大怪我をする。精神的にも肉体的にもだ。いくらレミリアさんたちが僕を家族として愛してくれていても、僕がそのことを忘れてしまうといつか不幸な事になる。

 

 例えばじゃれてたつもりが大怪我に繋がり、結果皆が僕を腫れ物を扱うようになったり。そうなれば屋敷の空気もおかしくなるだろう。フランは別として、他の人は多分、既にそれを考慮してくれている。でも加減を間違うことだって考えられるのだ。だから僕が普段から意識していればいいと思っている。

 

 家族で気を使うなんて家族じゃないなんて考える人もいるだろうけれど、むしろ家族だからこそ他人以上に考慮しなければいけないのではと僕は考えている。親しき仲にも礼儀ありと昔の人は言うけれど、それはけだし至言だろう。近すぎる関係は馴れ合いすぎると手を抜くようになる。「きっとこう考えてくれるはずだ」と受身になり、自分から言葉を発し行動する事を面倒くさがる。その中で生まれてしまった軋轢は、むしろ他人との人間関係よりもタチが悪い修羅場になる。

 

 そういう波風が僕は好きではないし、なら日常の中で少しだけ頭を悩ませる程度でどうにかなるならば僕はそれを選ぶというだけの話だ。

 

 閑話休題

 

 しかし湖を抜け、山の裾野に入ると随分景色も変わった。今は夏であるから山の木々も青々と茂っており、吹き抜ける風は森のいい香りがする。僕らは獣道のような粗末な道を歩いているが、美鈴さんは僕が歩きやすい部分を選んで先導してくれるから、歩いていてもそれほど辛くない。紅魔館から既に四時間ほど歩いているだろう。それでも今の僕には体力的な辛さを感じてはいなかった。

 

「そういえば美鈴さん、いつもどこかへ行く時は咲夜さんには抱えて飛んでもらっていましたけれど、どうして今日は歩きなんですか? とは言え、歩くのはそれほど苦痛ではないし、見たこともない景色を見るのは気持ちいいので特に異存は無いのですが」

 

 そういうと美鈴さんは少し難しい顔をする。そしてしばらく考えたあと、僕を見てこういった。

 

「妖怪の山が保守的な場所だと言いましたが、それは冗談でもなくてですね。非常に極端と言いますか、全く融通が利かないと言いますか。とにかく一切話を聞いてくれないんですよ。だから空を飛ぶとわらわらと堅物の天狗が集まってきて大騒ぎになるんです。だから地上を行くわけです」

 

「なるほど。まあ僕を抱えていたら美鈴さんも咄嗟に動けないだろうしね。分かりました、ありがとうございます」

 

「いえいえ。私も歩くの好きですから」

 

 そういって彼女は笑う。けど、彼女は急に僕を庇うような体勢で太い木の幹に僕を押し付けた。急に何だろう? 僕がそう不審がっていると、彼女は上を睨みつけるように仰ぎ見た。その表情は僕が見たことがないもので、ひそめた形の良い眉が凛々しいけれど、感じる印象はひどく恐ろしいものに見えた。彼女が妖怪なのだと実感できるほどに。

 

「そこの二人、ここは妖怪の山である。貴様らも幻想郷の住人ならば、ここがどういう場所か理解しているだろう。とっとと立ち去れ」

 

 僕も咄嗟に上をみる。そこには山伏のような装いの少女が二人浮いていた。両手にそれぞれ剣と盾を持っており、真っ白な髪の毛の上になにやら犬のような耳がある。残念ながら長い鼻は見当たらない。けれどあれらが天狗なのだろう。

 

 彼女たちは僕らを見下した様な表情で、尊大な調子で退去を命じてきた。けれどそれを聞いた美鈴さんの空気がふっと変わり、彼女はそのまま二、三歩前にでていつもよりも抑えた声のトーンで天狗たちに叫んだ。

 

「申し訳ないですが知り合いに会いに来たので通らせてもらいます。貴方たち天狗には用もありませんし、関る気もありません。なのでどこかに消えるといいですよ? 痛い目にあいたくなければ」

 

「な、なにい!? この無礼な人間どもめ!」

 

 美鈴さんが発したのは、言葉こそ丁寧だけれどその中身は挑発でしかなかった。それを聞いた天狗は案の定、怒り心頭と言う様子だ。

 

「……すいません、アサヒさん。すこし暴れる事になります。でも大丈夫です。アサヒさんのことはちゃんと守りますから。けれど丁度最近は運動不足だったので、私的には渡りに船な状況なのですよ。そもそもあの人たちに話は通じませんから。では合図したら木の陰に隠れてくださいね」

 

 美鈴さんはそう小声で僕に言い、僕は何度も頷く。美鈴さんは余裕の表情であるが僕は怖かったのだ。そして彼女は油断なく天狗たちを見据えたまま、下に転がる石ころを拾った。

 

「いまですっ!!」

 

 彼女の号令と共に僕は急いで木陰へと避難する。樹齢が百年できかないような杉の大木の陰に。美鈴さんは僕が隠れたのを確認すると、ふふっと小さく笑い、そして無造作に石を投げた。天狗に向かって。ひゅるひゅると魂も凍るような風切り音をさせて石がまっすぐ天狗に向かっていく。

 

「~~~っ!? 貴様っっ」

 

 美鈴さんから投げられた石は、もはや銃弾のような勢いでこっちを見下している天狗の剣を跳ね飛ばした。天狗たちの驚愕の表情を尻目に彼女は肩幅に足を開き、少し腰を落とすと両手をゆっくりと上げた。あれは素人である僕にもわかる。戦う為の構えなのだと。スリットから覗く彼女の長い足が強く大地を踏みしめているのが見える。

 

 しかし天狗も負けていなかった。剣を落とした方は凄まじい速さで剣に向かって急降下し、そしてもう一方はその隙をフォローするかのように美鈴さんに向かって一直線に飛んできた。僕の目で追うにはギリギリのスピードだろう。そして剣を中段に構えた状態で突っこむ。所謂突きの構えという状態だろう。弾幕ごっこなどありはしない。一太刀で殺してやると言うつもりなのだろう。そしてその勢いは凄まじく、あっという間に美鈴さんに肉薄する。僕は思わず息を飲んだ。が――――

 

「……馬鹿ですね」

 

 そう嘲るように美鈴さんが呟いた次の瞬間、彼女はしゅっと小さく息を吸い込み、そして身体をまるで弓のように引き絞ると、そのまままっすぐ拳を突き出した。速すぎてよく分からないが、その後の状況で僕はそう判断したのだ。

 

「……グウッ!!」

 

 美鈴さんの姿は空手の正拳突きを放ったと言う格好であり、それを喰らった天狗はくの字になって跳ね飛ばされ、そして立ち木に当たってそのまま意識を失った。驚く事に美鈴さんを襲った天狗の剣の行方は、美鈴さんの肩と首で挟まれるような状態で止まっていた。つまり剣による突きを最小限の動きで見切り、剣を首で挟みとり、そしてカウンターで天狗の腹に拳を突き入れたという事なのだ。

 

 僕は唖然としてそれを見ているだけだった。だってまるでカンフー映画の主人公さながらの早業だったのだから。美鈴さんは依然何も喋らないが、ちらりとこっちに視線を飛ばす。その瞳は「どうですか、アサヒさん」と得意気に言ってるようだった。けれど、

 

「美鈴さん危ないッ!」

 

 剣を拾いにいった天狗が地上を滑るように高速で滑空し、こっちを見ている美鈴さんにせまる。そのスピードは凄まじかった。それを見てつい叫んでしまったが、けれど僕は安心してそれを見まもることにした。だって視線をこっちに向けていた美鈴さんの足が、既に真上に上げられていたのだから。軸足から垂直に上へ伸ばされた姿は美しく、風でなびく長い赤い髪、そんな美鈴さんが僕には止まって見えた。そして天狗が美鈴さんの足を切り裂こうと剣を振る瞬間、天狗は土の中に頭から埋まった。なぜなら美鈴さんの足が容赦なく彼女の後頭部を踏み抜いたのだ。

 

 きっとあれは踵落としとかいう技だろうけれど、そんな大げさな物じゃなかった。ただ無造作に天狗を踏みつけただけなのだ。少し天狗に同情してしまうほどに、彼女の姿は無様なものだった。首まで土の中に突っ込み、まるで土下座をしているように尻を上げている。もしあれが妖怪ではなく人間だったなら、頭は弾け飛んで見るに耐えない状態になっていただろうな。

 

 遭遇してから時間にして数分、あまりに呆気ない勝負だった。それがこの状況だ。美鈴さんはいつも優しそうな笑みを浮かべている穏やかな人柄であるけれど、しかし本質はやはり妖怪なのだと改めて思い知った僕である。まあ内心でひっそりと決して美鈴さんを怒らせないようにしようと心に誓いつつ……。そんな僕の複雑な心情をよそに、彼女は得意気にパンパンと手を払うと、笑顔でこっちへと歩いてきた。

 

「さ、行きましょうアサヒさん。日が暮れてしまいますよ?」

 

 汗一つかいてない美鈴さんに感心していると、頭上からまた別の声が聞こえた。

 

「いやあ、流石は悪魔が住む館の門番さんですね。下っ端とは言え、白狼天狗二人を瞬殺ですか。これは困りましたねえ」

 

 声の主を見上げると、さっきの山伏ルックの天狗ではなく、白いカッターシャツのようなものに黒い短めのフレアスカートの女性が浮いている。ただ黒髪のショートヘアの上にやはり山伏のような兜巾(ときん)があるので、彼女もまた天狗なのだろう。

 

 彼女は人を喰ったような調子で話しているが、何か油断ならない気配を持っている。その証拠にさっきまでニコニコしていた美鈴さんの表情が強張っている。それほどの相手という事だろう。

 

「何が困るものでしょうか。ただ知り合いに会いにいくだけなのに脅されましたからね。しつけのなってない犬には当然の結果でしょう? これは正当防衛という物です」

 

 ふっと身体の力を抜いたまま話す美鈴さん。僕は相変わらず木陰から顔を出しているだけだが、彼女が油断なく不意の攻撃に備えていることが分かる。ふいに天狗さんの顔がこっちを向き、慌てて僕は顔を引っ込めた。

 

「それはそのとおりかもしれませんね。実際、気位ばかりが高い愚か者の集団ですけれど。けれど一応ここは天狗の領域で貴方たちは不法侵入という訳ですよ。つまりそれを放置すると上司が五月蝿いんですよね~美鈴さん?」

 

 天狗はわざとらしく肩を落としている。美鈴さんの名前を呼んだところをみると、面識があるのだろうか? それに対して美鈴さんもわざとらしく溜息をつく。

 

「それはうちも一緒ですよ。少し居眠りしたくらいでナイフが飛んできますから。お互い上司に恵まれてませんね、中間管理職の鴉天狗さん」

 

 うん、咲夜さんにリークすべきだなこれは。

 

「全くです。まあ紅魔館にはいつもお世話になっておりますしね。ネタもそうですし、新聞も定期購読していただいてますから。だから……一枚でどうですか?」

 

 そういって鴉天狗と呼ばれた彼女はにやりと笑った。僕にはあの表情に見覚えがあった。ここらの妖怪たちが弾幕ごっこを誘うときの嬉しそうな顔だ。一枚というのはスペルカードの枚数のことだろう。

 

「嫌ですよ。私が弾幕が苦手なのを知っているくせに。だいたい今日はアサヒさんの護衛で来ているんです。人間であるアサヒさんのね。だから彼の危険を排除するためには私の得意分野でお返しするつもりなのですよ」

 

 そう言って美鈴さんもにやりと笑った。やはり好戦的な笑みで。そして二人はしばらく睨みあっていた。なんだか息がつまりそうだ。

 

「あやややや、どうやら今日の美鈴さんは怖いので止めておきましょう。何やら横の方を取材するほうが楽しそうですしね。ネタが向こうからやってくる。こんな幸せなことはありません」

 

 そういって彼女はどこからかカメラを取り出して僕に向けた。息のつまるような空気だったが、どうにも天狗さんに上手くいなされたと言う格好だ。

 

「いけませんよ許可無く撮るのは。マネージャーの私が許しません。取材なら後日、弊社窓口、十六夜咲夜までアポイントを」

 

 けれどすっと僕の前に美鈴さんが立ちふさがった。きっと天狗さんは凛々しい美鈴女史の立ち姿をフィルムに納めた事だろう。でも彼女より頭ひとつ大きい僕だから、きっと肩口に心霊写真のように僕の顔があるのだろうけれど。

 

「分かりました、では後日! 横の人、覚えておいてくださいね? そういえば美鈴さん、知り合いと言うとにとりですか?」

 

 あっさりと切り替え天狗さんは今日の目的を問うてきた。

 

「そうですよ。このアサヒさんが河童に仕事を依頼したいという要件なんです」

 

「そうですか、なら先に言ってくれれば大事にならなかったのに」

 

「話を聞かないのが天狗ですからね」

 

「まさしく。すっかり忘れてました。どうせ私は鳥頭ですからね」

 

「私の何倍も生きている鳥ならば、少ない脳でも私よりは多いでしょう」

 

 そんな軽口をかわす美鈴さんと天狗さん。彼女の名前が気になったが、僕にはどうも口を挟む余裕は無かった。そして天狗さんは「上司に上手く報告しときます」と告げて閃光のように消えていった。動いたと思ったらもう黒い点になっていたほどに。もっとも去り際に、まるで瞬間移動のように僕の横に現れると、「やはり一枚頂きますね、激写」とカメラを光らせたけれど。

 

 なんだから妙に疲れた僕らだけれど、この場所からそれほど歩く事無く目的地の清流へと着くことが出来たのだった。

 

 ★

 

「さてアサヒさん、目的地にはつきました。それでは少し、課題をだしますね」

 

 僕らがついたのは川のほとりだった。岩肌から生えた松の木が影を落とすというロケーションの、まるで水墨画のような場所だ。少し離れた所に掘っ立て小屋みたいなものは見えるが、ここはただの川岸でしかない。美鈴さんは腰に手を当て、僕に向かって課題をと言う。僕が怪訝そうに彼女を見ると

 

「実はですね、もうすぐ側に河童の河城にとりさんがいらっしゃいます。アサヒさんには見えてないですけどね。なので見つけてください」

 

 そういって美鈴さんはにやりと笑った。悪戯をしかけている子供のように。僕は美鈴さんに頷くと、そのまま彼女の前に立った。僕の視界に写っているのは左側に幅が十メートルほどの川、そして獣道を挟んだ右側には岩肌の露出した壁。川は左に向かって大きく曲がっており、それをぐるりと囲むように獣道と岩肌があるのだ。

 

 昼間であるのに岩肌から伸びる松の木のせいで少し薄暗い。このどこかに河童がいると言うが、河童とはカモフラージュ能力でもあるのだろうか?

 

「……河童さんいますか?」

 

 僕は目を凝らしながらそう叫ぶ。どこかでがさっと音がしたような気がするが、依然何も見えない。僕は一歩、また一歩と進んでは見るが、特に何もみつからない。

 

「………………ん?」

 

 僕はおかしな場所を見つけた。それは岩肌の側にある草むらなのだが、何やらある部分がもやりと歪んで見えるのだ。確かに見た目はそこに何も無いのだが、まるで陽炎のように景色に違和感がある。僕はそれを確かめに近寄ってみた。

 

「……ここに何かあるな」

 

「…………ひゅい!?」

 

「!!」

 

 僕が呟くと小さな悲鳴のような声が聞こえた。やはりここに何かいる。僕は意を決してそれにつかみかかった。むにゅりと柔らかい感触がする。やはり何かいるのだ。そしてぺたぺたと触ってみる。ひんやりとした感触がし、それが人型をしているのが分かった。僕の丁度胸のあたりの大きさだから、それほど大きな物ではない。

 

 僕はぎゅっと握ってみる。するとごわごわとした感触の布のような物が被っている事が分かる。だから僕はそれを勢いよく引っ剥がした。

 

「げげっ! 人間!?」

 

 そこには青い作業服のような物を着た、青い髪に緑色のキャスケットを被った少女がいた。やたら大きいリュックサックを背負っているが、僕をみて驚いたのか、妙なポーズで固まっている。

 

「はい、人間のアサヒと申します。貴方が河童さんですか?」

 

「そ、そうだよ。私は河童の河城にとり。しかし人間、よく私のいる場所が分かったね」

 

 そういって彼女は後ずさりながら言う。引き攣った笑いをしながら。そんなに僕が怖いのだろうか?

 

「ええ、最初は薄暗いので分かりませんでしたが、よく見ると影がありましたからね」

 

「影かあ……それは盲点だった。これはまた改良しなければ……」

 

 にとりさんはしょぼんとしてブツブツと呟き出した。よほど自信があったのだろう。

 

「それよりにとりさんは河童なんですよね?」

 

「そうだよ?」

 

「じゃ頭にお皿は無いのですか? 帽子を被っていますけれど」

 

 そう、河童といえばお皿だろうと思う。けれど彼女は全身青いただの可愛らしい少女にしか見えなかった。僕は不躾ではあるけれど、質問をぶつけてみる事にしたのだ。

 

「まあ、知らない人はそう思うよね。しょうがない、じゃあ少し教えてあげるよ」

 

 そういうと彼女は僕の手をとって自分の頭へと導いた。

 

「ひんやりしている……」

 

「そう、河童は水気を帯びてないとダメなのさ。こんな人間いないだろう?」

 

 彼女の髪はぐしゅりと水気があった。滴ってはいないが、それなりの水分があるのが分かる。なるほど、そう言う事なのか。まあ心のどこかで納得はしきれてないけれど、にとりさんがそういうのならそうなのだろう。結局帽子の中は見せてくれなかったけれど。きっと乙女の秘密と言うやつだろう。

 

「アサヒさん、よく見つけられましたねえ。かなり見つけるのが早くて驚きましたよ。にとりさん、こんにちは。驚かせてすいませんね」

 

 美鈴さんが笑いながらやってきた。

 

「おや、やっぱり吸血の屋敷の門番だったのか。久しぶりだね。だけど紅魔館にこんな人間いたんだね。びっくりしたよ」

 

「ええ、先日からアサヒさんは紅魔館に住んでるんですよ」

 

 二人がにこやかに会話している。その様子を見ていると、随分親しげな感じに見える。

 

「で、アサヒはどんな用事でわざわざこんな物騒なところまで来たんだい?」

 

「ええ、それはですね。河童が素晴らしい技術者であると聞きまして、こんなものを作れないかなと思いまして――――

 

 僕は構想していた道具を彼女に話してみた。にとりさんはやはり技術者と言う様子で、僕の話を聞き漏らさないように真剣に聞いてくれた。夢中になりすぎるのか、ふんふんと頷きながら僕に顔を寄せてくる。ひんやりする。

 

「それは中々難しいね。でも人間は河童の盟友さ。必ず作って見せるよ!」

 

 しばらく難しそうな顔で思案していたにとりさんはやがて笑顔で拳を握ると快く僕の頼みを了承してくれた。これで後方の憂いが無い状態で魔理沙に挑める。僕はほっと胸をなでおろした。

 

「良かったですねアサヒさん。ここまで来た甲斐がありますねえ」

 

「ええ、本当に。美鈴さん、連れてきてくれてありがとうございます」

 

「いえいえ~」

 

 こうして僕は河童のにとりさんと出会えた。今後も長い間パートナーとして関っていくなんてこの時は想像もしていなかったけれど。そして僕らは日が暮れるまでその道具の打ち合わせをしたのだった。しかし難しい話は嫌いなのか、美鈴さんは僕らの話が終わるまで、横でカンフーの型のような物を延々と続けていたのだった。

 

 

 ――――霧雨魔理沙襲来まであと五日

 

 




書いててどんどん麻痺してくる。ちゃんと書けてるでしょうか。少し不安

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