「じゃあアサヒ、行くよ~!」
フランがぴょんぴょんと跳ねながら嬉しそうに叫んでいる。
「よーし、お手柔らかに頼むぞ~!」
僕は少し引き攣った顔で、フランに合図する。
彼女と僕の距離はだいたい二十メートルというところか。場所は書庫の中。今や僕のホームグラウンドと言えるこの場所で、フランと対峙している。少し離れた長机にはパチュリーさんと小悪魔先輩がこっちを眺めている。
僕はパチュリーさんの朝食(ほうれん草多め)の後で、それほど遠くない日にやってくる霧雨魔理沙を退治するための作戦会議をした。とは言えメンバーはパチュリーさんと僕と小悪魔先輩の三人というこじんまりとしたものではあるが。
その中で僕は、彼女たちの中の常識の最低ラインにあまりにもギャップがある事に気がついた。そもそも幻想郷の中で人間のコロニー以外では、面倒な言葉を用いた会話をするくらいならば、弾幕で白黒つけましょうという風潮がある。
それはつまり、現代の日本では当たり前の「ならジャンケンで決着をつけよう」と言う感覚と似ているのだろうともう。手段に違いがあるだけで、結局はじゃんけんで負けたのだから仕方が無いという、どこか無条件に受け入れてしまう様な説得力がここの弾幕ごっこにはあるのだと思う。
それはつまり、僕が知恵を捻って搦め手に出たとしても、相手である霧雨魔理沙が「そんなものは面倒くさい」となった瞬間に成立しなくなってしまう恐れがある。いや、むしろそうなって然るべきなのだ。
僕はパチュリーさんたちとの話し合いで、それをまざまざと思い知らされたのだ。なぜなら彼女たちは、話の冒頭で僕に白いカードを数枚渡してきた。それが例のスペルカードの素のような白紙のカードであり、彼女たちはまず僕に自分のスペルカードを作れと迫ったのだ。
その時の彼女たちの表情とは、既に僕が人間であることを失念している様であった。だから僕は言ったのだ「僕に弾幕などできませんよ」と。それはそうだろう。産まれてこのかた平均的な人生しか送っていない僕なのだ。そりゃ小さい時にはスプーンが念力で曲がると本気で思っていたときもあるけれど。しかしそれはサンタクロースを信じていた子供が、やがてその正体は親なのだと気がつくようなものだ。やがてそんな熱も冷めてしまえば、オカルトなど創作話でしかないと言うつまらない人間に戻っていた。
そんな僕の反応に彼女たちは「あの白黒だって人間だし、ハクレイノミコだって人間じゃない。あなただってできるわよ」そうパチュリーさんは真顔で言ってきた。皆が出来るから僕も出来る。なるほど理屈だ。けれどもそれはあくまで幻想郷の中で産まれた人間に限るだろうさ。
そんな訳で僕はごねにごねたのだ。結果、なら実際に弾幕を体験してみればいいじゃないかという結論に至ったのだ。たしかに知らない状態で否定しても説得力にかけるとは思う。やったけどダメでしたというならば、彼女たちも諦めがつくだろう。それよりもだ、実際の弾幕がなんたるかを知っておけば、もっと対霧雨魔理沙の作戦のディティールが増すのでは? という僕の打算もあったのだ。
そんな時に、ぱたりと書庫のドアが開いた。そこから入ってきたのは芳しき紅茶を運んできた咲夜さんではなく、今起きたのと寝惚け眼を擦りながらやってきたフランの姿だった。当然彼女は僕が弾幕に挑戦してみるという事柄に凄まじいほどの興味を持った。さすがにパチュリーさんたちも大慌てでフランを止めようとしてくれたのだが、
「私がアサヒに教えるんだもん!」
たったその一言で終わりだった。意固地になったフランを止められる存在はこの屋敷には存在しないし、涙目で主張するフランを見た僕にはどこか「まあ、仕方ないか……」という諦めの境地にあっさりと意識が向いていたのだ。そして実際にフランと対峙して立つ僕であったが、
「じゃ、行くよ~。ちゃんとよけてね!」
素晴らしくゴキゲンなフランが懐から数枚のカードを取り出した瞬間、僕はなんとなくであるが「あ、僕終わったかもしれない」なんて思った。だってフランの目はいつもの綺麗なルビー色ではなくて、若干ドス黒くなっていたのだから。あの目は興奮しているときの目だ。つまり手加減はされないのではないか? と薄々感じているというわけ。
「ふ、フラン! 僕は初心者なんだからな!」
「おっけー!」
激しく不安である……
★
ニヤリと笑い僕を見るフラン。彼女が取り出したのは一枚のスペルカード。あれを宣言することで発生した弾幕が僕に襲い掛かるのだろう。しかし何も知らずに咲夜さんに撃たれた時と状況は違うのだ。来ると分かっているのだから、心の準備もできるというものだ。
――――QED「495年の波紋」――――
フランは静かにそう唱えた。
「……え?」
「あ、あれは……」
ちょっと外野のお二方、非常に不安になる発言はお止めいただきたい。
フランの宣言と同時に、彼女の身体が光った。というより光の粒子がどこからかフランの身体に纏わりつき、そして弾けたというのが正しいだろう。フランの放つ空気が変わり、彼女は僕を見つめたままニヤリと笑う。
「いっくよ~!」
彼女の言葉と同時に、波紋が弾けた。
弾幕とは本来、兵器などで弾丸をまるでカーテンのようにばら撒き、正確に狙撃することよりも、敵の接近を防いだり、敵を確率論的に殲滅することを目的としたものだ。大量の弾薬を一斉に消費し、そこに正確さはいらない。けれどこの幻想郷の弾幕とは、いかに美しく難解であるか? という部分に重きをおいている。
そこにある種の娯楽である”ごっこ”という主張がなされているのだろう。それでも勝負であるのだから、計算された難解さも併せ持つ。たしかにパチュリーさんの魔法を根拠とした弾幕は美しかった。受ける側にとってはその美しくも難解な弾幕を、まるでパズルを解くかのようにかわしていくのだ。弾幕は身体を掠る程度では被弾しない。だからギリギリの所でかわすことで、押し寄せる波のような弾幕から身を守るのだ。
例えば新たな力を持ち出し相殺させ続けるなんて発想は、この弾幕ごっこでは愚の骨頂なのだ。放つほうはいかに美しく相手を追い詰めるか。受ける側はそれをいかに華麗にかわし続けるか。それがスペルカードをブレイクした状態と呼び、相手を凌駕した証拠になるのである。
僕は思う。なるほど遊びであると。けれどその遊びという印象は、優れたアスリートが高いレベルで「試合を楽しみます」と言っているのと一緒なのだと感じる。一般人が遊びながら何かの試合をこなしたとしたら、それは本当の意味での遊びになってしまい、観戦しているものに感動を与えたりはしないだろう。
では今の僕の状況とはどういうことなのか。それはメジャーリーグの試合にいきなり立たされ、前年度のサイヤング賞を取ったエースからヒットを打とうとしているようなものだ。と言うことは、だ。これはもしかしなくとも甚だ無謀な挑戦をしているのでは無いだろうか。
フランを包んだ光が弾幕と言う名前とは裏腹に、随分と優しげな音を伴いはじけた。それは彼女を中心に円を描くように外側に向かって進んだ。そのスピードは僕の目から見ても緩やかである。
「お、これならよけれそうだな」
僕は思わずそう呟いた。が、それは間違いであった。たしかに等間隔に配置された円を描く弾幕がそのまま外に進むなら、それは僕が距離を遠くとれば弾幕間の距離も広がりよけるのは容易だ。それは視認してみると実際そうなっていた。だから僕は軽くバックステップしてすんなりとよけた。
その時フランが哂った。笑ったではなく哂った。そう、弾幕をかわした僕の動きをみて、「あ~やっちゃった」という嘲りを見せたのだ。そんなフランを僕は怪訝そうに見たのだが、次の瞬間その笑みの意味を思い知った。
彼女は言ったはずだ。波紋と。波紋とはなんだ。次々と干渉を繰り返し起こる波の連鎖だ。つまりフランが放った最初の弾幕は、いわば池に落とした最初の小石でしか無かったのだ。落とされた小石は水面に波紋をつくり、それが別の波に当たるとまた新しい波紋を産み出す。産まれた波紋がまた別の波紋と干渉し、さらに新たな波紋を作る。それを延々と繰り返した結果、それがどうなるのか。それは僕に向かって全方向から押し寄せる凶悪な弾幕の群れと変化するのだ。
「うわっ……いてっ……」
真横から来た波をなんとかかわす。
「ほ~らアサヒ、またくるよ!」
「お、おいっ……」
フランは馬鹿にしたように僕に警告し、慌てて左から来た波を転がってかわす。髪がチリチリと焦げた匂いがし、背中が薄ら寒くなる。
転がって仰向けになった僕の視界に映ったのは、三方向から折り重なって僕に忍び寄る波の姿だった。
「どっかーん!」
ひどく幼稚で、それでいて勝ち誇ったフランの声が聞こえた。
そして僕の視界は真っ白となり、そのまま僕は意識を失った。
★
「あー……あれ? 死んでないぞ……?」
そう僕は死んでいなかった。どうやら僕はあの後そのまま仰向けで気絶したようで、書庫の真っ暗な天井が見える。明かりがそもそも無いのだから見えるわけではないのだけれど、きっとそこに天井があるという意味で。ここは不思議空間なのだからそう納得している。何やら咲夜さんが能力を使って見た目以上に広くしているらしいが。
「アサヒ、起きたのね」
気がつくと横にパチュリーさんが床に横座りして本を読んでいた。
「あれ、パチュリーさん。フランはどうしました?」
「ん、妹様なら貴方が中々起きないからレミィのところに行くと言ってたわ。それよりも身体は大丈夫? 一応回復の魔法はかけておいたけれど」
「ええ、あんな目に遭ったけれど、どこか清清しい気分ですね。まったく不思議なのですが。けれどもそれはパチュリーさんの魔法のおかげなのでしょう。ありがとうございます」
僕は気だるさを感じてはいたが、実際に弾幕ごっこをしたという部分では爽快感を感じていた。あの弾幕をよける時の心臓が掴まれたような緊張感は、終わってみると楽しかったという印象へと変わっていたのだ。多分それは、不自然に振り回されるジェットコースターを乗ったときの感覚に似ているのかもしれない。
横で静かに本を読んでいるパチュリーさん。今はフランだけではなく、小悪魔先輩もいない。僕が口を開かなければこの場所はとても静かだ。
「そういえば、どうしてパチュリーさんはここに?」
そうだ。なぜ彼女はここにいるのだろう。心配してくれたのだろうか?
「……別に。回復魔法をかけたせいで疲れたのよ。だからここで休んでいただけ」
相変わらずの抑揚の少ない調子で彼女は言う。その表情は本で隠れており見えない。
「そう、ですか。でもご心配かけたようで申し訳ありません」
「さっきの……妹様のスペルカードは、本来初心者である貴方に向けられるべきものじゃないのよ。そうね、ある意味彼女のとっておきのようなね。だからその、なんというか……これでも一応貴方には期待しているのだから、怪我でもされたら困るのよ。ただそれだけよ……」
珍しく長文で話すなぁなんて僕は考えつつ天井を眺めていたが、どうやら彼女は人間である僕を心配してくれていたようだ。決して分かり易い言葉では無いのだけれど。少なくとも僕はそう受け取ったのだ。僕は身体を起こして自分を見る。幽香師匠に貰ったチェックの服が、あちこち破けている。後で咲夜さんに裁縫箱を借りなきゃな。そう考えていたら、いつのまにかパチュリーさんが本を読む体勢のまま浮かんでいた。動いてはいないけれど。
「アサヒ」
「はい」
「もう大丈夫なら、いつもの頼むわ」
ちらりと僕を見た彼女の目は真剣だった。
「……え?」
「魔力を使いすぎて疲れたのよ……」
ああ、そうか。なるほど。彼女が僕を心配して横にいたのでは無く、僕につかった回復魔法で動けなくなっていただけなのか。僕はそのお茶目な雇い主を眺め、少し溜息をつく。それでもきっと照れ隠しなのかもしれない。だって彼女の呼吸は乱れていないし、どこか気まずそうに僕をちらちらと見ているのだから。
そんな可愛らしい雇い主の裾を持ち、僕はいつもの長机に向かって歩くのだった。
★
「実際に弾幕を受けてみてどうだった?」
あの後いつもの場所に戻り紅茶を飲みながら談笑していた僕とパチュリーさんだったが、向かいに座る彼女がそう聞いてきた。
「やはり僕には向いていないということがはっきりと分かりましたね。それと共に、おぼろげですが対策染みた考えが浮かんではきましたけれど」
「……そう。で、その対策というのはどんなものかしら?」
「その前にお聞きしたいのですけれど、霧雨魔理沙はいつもあの採光窓からやってくるのですよね?」
「そうね、彼女にとっての美学のようなものなのでしょうけれど、決まってあの子はあそこから来るわね。ガラスを掃除するこっちの身にもなって欲しいのだけれど。そもそも入り口から入れはしないでしょうけどね、美鈴がいるのだから」
そう、彼女がやってくるたびに咲夜さんと小悪魔さんで掃除をしているのだ。それはそうだ。飛び散ったガラスを放置しておけば危ないし、何より寒さに弱いパチュリーさんが困るのだ。
「なら僕が考えている事を実行できれば霧雨魔理沙を封じることは出来ると思います。それには少し用意しなければいけない物があるのですが、パチュリーさん、こんな物は手に入るでしょうか?」
僕が考えた作戦はひどく単純なものだった。とは言え、国営放送の深夜番組で眺めた程度の知識を流用したものでしか無いのだけれど。
僕が弾幕ごっこを見て思ったことは、スペルカードの内容は別として、基本的には空中でなされると言う事だ。僕はそもそも飛べないし、だからこそ空中という相手の土俵で勝負することを考える自体、ムダであると言わざるを得ない。
ならばどうするかだが。考えるべきことはいかに霧雨魔理沙を地上に誘い込むか? という事なのだ。そこで彼女の侵入ルートが常に一緒であるということを確認したのだ。僕が考えることは単純な罠のようなものである。それでも単純であることが効果的であるのだこの場合。
僕は今まで霧雨魔理沙と接触してこなかった。ここに住むようになって二ヶ月と少し経つが、その間に何度かこの紅魔館で宴会というものをやった。宴会はこの幻想郷で弾幕ごっこに並ぶ娯楽なのだと言う。当主のレミリアさんは個人的に仲の良いハクレイノミコを呼ぶために、定期的にこの宴会を開く。そしてそのハクレイノミコとセットになって霧雨魔理沙もここへ来ているのだ。
普段の確執はあっても、それを後には引かないのも幻想郷の住人だ。霧雨魔理沙は普通にここで飲み食いし、そしてかえって行く。そこに僕は遇えて参加してこなかったのだ。レミリアさんからはアサヒをみんなに紹介したいのにと言われたが、それで霧雨魔理沙と知り合ってしまったら本末転倒なのだ。そんなわけで幻想郷の主要な人たちに僕の存在は知られていない。咲夜さんの宴会料理にありつけないのは非常に残念だったけれど。
そしてその下準備が今回の作戦の成功率をあげるのだ。僕と言うパーソナルを知られていないこそ使える、一回だけの罠。それはきっと成功するだろう。それに使う道具さえ手に入ればだけれども。
「ならアサヒ、明日咲夜と一緒に香霖堂という道具屋に行きなさい。咲夜には話しておくから。あそこは私から見ればガラクタの山でしかないけれど、外の世界から入ってきた物が沢山あるわ。逆に言えば、そこで見つからなければどこに行っても無いとも言える。ついでに貴方の日用品も一緒に探してみるといいわ」
「なるほど、それは興味深いですね。では明日行ってみますね」
香霖堂とは人里の外れ、魔法の森の入り口あたりにある道具屋だという。そこの店主は変わり者で、突き抜けたレベルでの蒐集癖があるという。パチュリーさんはガラクタと言うが、外の世界の物に触れられると言う事は少し楽しみだった。
そういえば幻想郷に来てから僕が行ったところとは、この紅魔館を除けば太陽の畑と人里くらいしか無いのだ。それは異世界に来たというのにどこか勿体無いという気分になる。僕が当分ここに住むのだと決意したのだから、観光気分と言うのは御幣があるにしても、それでも色々な場所を見て歩くというのは魅力的だと思う。
しかし人里以外を一人で歩くのは危険な事であるから中々それも出来ない。そう言った意味では行き先が増える事は単純に喜びだった。
何より、女性しか周りにいないという不自然な状態に僕は少し疲れてもいたから、その香霖堂の主人は男性と聞き、ぜひ親交を深めたいと感じるのだ。相手がたとえ人間では無いにしても、やはり女性は女性なのだ。向こうの意識は置いといて、僕の意識としては無意識に気を使ってしまうのだから。
そういう意味で僕は明日を楽しみにしている。
さて、香霖堂の主人とはどんな人なのだろう。
そしてこの出会いが、僕の今後にとある変化をもたらすことを僕は知らなかった。
――――霧雨魔理沙襲来まであと十日
少し話が動く気配だけ見せました
弾幕を文章にするのが酷く難しいですね
修正
明日咲夜に香霖堂という道具屋に行きなさい
↓
明日咲夜と一緒に香霖堂という道具屋に行きなさい