朝陽の幻想郷   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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前3話の補足的なオハナシです。増長な内容ですが、書きたいことを書きました。


動き出した時の中でぼくは

 社会人として自立した生活を送るようになり、覚束ないながらも日々仕事をに勤しみ、年度末には確定申告をしたり。そういう風に年を重ねていくうちに、どうにか僕も大人になったのかななんて思ったりした。その実感はあまり躊躇をせずに物を買えるようになった経済力だったり、クローゼットにならぶスーツであったり。

 

 けれど実際は、社会に出た時の無条件に沸いてくる情熱のような物はいつの間にか消え去っていた。年齢に反比例するように新しい事柄への求心力は無くなり、ただ惰性に日々を送るようになったのだ。それをどこかで良くないことであると内心では戒めるのだが、実際の行動には結びつかない。

 

 それは僕に家族がいないこともそれを手伝ったのだろう。元々僕自身が社交的ではなかったこともあり、気がつくと職場と自宅の往復のみしかしていない事に気がつく。メリィさんなんかはいつも疲れた顔をしてるなんてからかわれたけれど、変化の無いということは存外疲れるものなのだ。

 

 ひょんなことから幻想郷という土地に住むようになって間もないが、今の僕はとても新鮮な気持ちでいる。とは言え下手をすると死ぬかもしれないという危険と背中合わせではあるけれど。それでもメリィさんが言うようにこの現状が正しく”旅行”となるのか、はたまたここが僕の終の棲家になるのか今は知らないが、少なくともこの現状にわくわくする自分が居る。

 

 それに誰かから今僕が充実しているか? と聞かれるならば、僕はノータイムでそうだと答えるだろう。そもそもなぜこんな独白をしているのか。それは今までの怠惰と倦怠感をすっ飛ばすほどに過激な”仕事”をしたからだ。紅魔館の仕事ではないし、レミリアさんやパチュリーさんの言いつけでもない。

 

 太陽の畑と呼ばれる場所で、僕の肉体の筋肉という筋肉が悲鳴をあげ、毎日これでもかというくらいに筋繊維をぶった切り、日々超回復の微熱に包まれると言う、三十代の僕には拷問とも呼べる重労働だ。それもフラワーマスターと言う鬼教官の熱血指導という高待遇で。これは元々僕が望んだ物の結果ではあるのだけれど、その目的に至るまでのプロセスとしては僕が望んだものとはかけ離れた物へと変化してしまったのだ。

 

 それに僕は学んだ。幻想郷では美しい薔薇のトゲは見も心も文字通りつらぬきえぐると。パチュリーさんや咲夜さん然り、レミリアさんやフランも然り。そして――風見さん。思わず幽香さまと呼びたくなる衝動に駆られるほどの存在感だ。

 

 けれどもそれを好意的に受け入れてる僕は、もしかすると極度のマゾヒストなのかもしれない。決してそれを前向きに受け入れるつもりはないけれど。

 

 石川啄木ではないが、土汚れ、豆だらけの手をじっと見てみる。

 一体僕は何をしにここへ来たのだろう……

 人生とは本当にままならないものだ。そうして僕は、また鍬を振り上げるのだった。

 

 ★

 

「ほら、もっと腰を入れなさい! 根をしっかり刈り取るように鍬をえぐりこむように打つべし」

 

 風見さんの叱咤が飛ぶ。

 

「……ふぁい」

 

 僕は必死に鍬を振る。こみ上げる吐き気を無理やり押し込めながら。

 

 風見さんが最初僕に言ったのは、まず畑に行こうだったはずだ。あの後彼女はおもむろに家の横にある物置小屋から鍬を取り出した。無骨な木の柄にくすんだ色の先。それでもしっかり手入れされているそれは、握りの部分に黒ずんだ手の痕が残っている。

 

 そして幽香さんはそれを僕に向かって放る。反射的に僕はそれを握ったのだが、彼女はそのまま僕の襟首を掴むと空中に引っ張り上げたのだ。そして身じろぎして暴れる僕を無視し、向日葵が咲き乱れる遥か先にある草原に飛行したというわけ。

 

 想像して欲しい。スーツの襟首を掴まれた状態で浮くと言うことを。絞まる、絞まるのだ首が。僕はくぐもった悲鳴をあげても彼女はむしろ嬉々としていた。「やはり人間は軟弱ねぇ先が思いやられるわ」彼女は涼しげにそう言った。けれどもいくら妖怪でも首を絞められれば苦しくなるのでは無いだろうか。当然それを言える訳も無いのだけれど。そして酸欠の僕が数分後に放りだされたのは、畑と言う名の何も無い草原だった。

 

 風見さんは呆然とする僕に笑顔でこう言い放った。「畑? 違うわ。これは畑予定地よ。耕すのはアサヒ、貴方よ。分かったら耕しなさい。日が暮れる前にある程度出来なければ私にも考えがあるわ? ほら、ボヤボヤしてる時間など無いの。始めなさい」

 

 そして今に至るというわけだ。彼女は僕が虫の息になりつつも、震える腕で鍬を振る姿を笑顔で観察なさっておられる。サボろうものならば、微笑みのままブンブンと日傘を振り回して威嚇してくると言うサービスすらあるのだ。僕がひたすら根深く生えた雑草を、息も絶え絶えに掘り返すのをただ眺めているのだ。何が楽しいのだろうか? なんて疑問に思うが、事実彼女は僕を楽しそうに見ているのだから仕方が無い。そもそも僕に拒否権など最初から無かったのだし。

 

 夕暮れの幻想郷の空は茜色で、噴出す汗でぐっしょりと濡れて身体に張り付いたワイシャツを涼しい風が冷やしてくれる。なんて気持ちのいいことだろう。僕はここに来るに当たって一張羅のスーツのままだった。靴だってブーツのままであるし。まさかこうして野良仕事をするなんて思ってみなかった。けどこうして今、僕は土に塗れて鍬を振っているのだ。さすがにジャケットは脱ぎ捨てたが、女所帯の風見さんの家に男物の作業服など無いのだから贅沢は言えない。

 

 結果僕は夕方のニュースでよく見かける、視察に来た官僚がカメラに向かってサービスショットをしているような構図で作業を強いられているのだ。ああ、咲夜さんが心配しているだろうな。今日は、いやしばらく帰れないなんて伝えて無いもんな。そんな事を思いつつ、僕は鍬に寄りかかって空を仰ぎ見た。

 

「さぼってる暇なんてあるのかしら?」

 

 訂正、必死に鍬をふるのみであった。

 

 ★

 

 遥か彼方に見えていた茜色の空が、今は乳白色と来い藍色のグラデーションに変わっている。素晴らしく神秘的な景色だと思う。つまりもう直ぐ夜が来ると言う事だ。僕はこの昼と夜の境目の時間が好きだ。同様に夜と朝の境目も。

 

 盛り場で歩けなくなるほどに酒を飲み、タクシーで帰るのも煩わしいと人の居ないアスファルトを歩いて帰る事があった。それは社会人になって酒を覚えた頃の事だ。僕はメリィさんと旦那さん(本当にしつこいようであるが、旦那様は女性だ)に連れられて、彼女達の馴染みのバーへと通った時期がある。彼女たちは所謂ザルと呼ばれる人種で、いくら飲もうと気分が華やぐ程度で――僕に絡むけれど――決して酒に飲まれるなんて事は無かった。

 

 でも僕はアルコールに強いタチではなく、いつも帰る頃には千鳥がさらにへべれけになった状態に酩酊していた。初めはタクシーで家へと帰っていたが、そのうち不自然に暖まった体の熱が疎ましくなり、夜風に冷やされつつ歩いて家に帰るようになったのだ。

 

 深夜というよりもう、朝方に近い時間は、昼間あれだけ溢れていた自動車や人の流れは消えてしまっている。静寂に包まれた街は、怖いくらいに無機質だ。僕はふらふらと車道の真ん中を、上手くは無い鼻歌まじりに歩いていく。ビルの壁に反射して帰ってくる僕の声にうすら笑いを浮かべながら。

 

 酔いのせいで疲れを感じないままに、決して近くは無い自宅を目指して歩いていくのだが、ふと夜空を見上げたときに僕は見つけたのだ。地平線に近くなるたびに明るくなる空を。真上に近いところはまだ真っ暗なのだが、そこから地平線に向かうにつれ、それは淡い紫色へと変わっていく。一番底辺のあたりは淡い乳白色。

 

 こんな景色、今まで見たこと無かった。いや、あったのかもしれないけれど意識した事は無かったのだ。歩みを止めた僕は急に気だるさを感じ、空を仰いだまま僕はアスファルトに仰向けになる。僕の視界に写るのはただ綺麗なグラデーションのなんとも言えない紫色。それは都会の中でどこか別の世界に移動したかのような錯覚を起こす。

 

 それからと言うもの、僕は夕暮れと朝方の空にすっかり取り憑かれ、父の遺品の中にあった使い方もおぼつかない一眼レフカメラを取り出しては空の写真を撮った。けれども肉眼で見たあの素晴らしさを、現像した写真の中に見つけることは出来なかったのだ。

 

 その空よりも鮮明で透明なグラデーションがこの幻想郷で見れたのだ。しばらくの間僕は、圧倒されたように動く事は出来ずに立ち尽くした。そうさせる何かがここの空にはあるのだ。

 

 この幻想郷はいくつかの結界に囲まれた閉じた世界だと聞いた。つまりは箱庭のようなもので、それはまっすぐ進み続ければ必ず終わりがあると言う意味になる。けれども見上げる空はどこまでも高く、見渡す先は地平線がじわりと丸く見えており、終わりがあるようには思えない。

 

 なんとなくだが、僕はここが好きになっているのだろう。

 理屈は僕に分からないけれど、ここにいたいと思う自分の意思ははっきりと感じているのだ。

 

「アサヒ、一休みしましょう。いくら私でもそこまで鬼じゃ無いのだから」

 

 逆光の中こちらを振り返る風見さん。その穏やかな表情は、本当に彼女が人にとって恐ろしい妖怪なのだろうかと思ってしまうほどだった。だいたい男って生き物は、何故か美人には甘いものなのだ。それが男の性なんだろうさと言い訳しつつ、僕は服についた泥を払うと、重く感じる体を鼓舞して彼女追いかけたのだった。

 

 その日はそれで作業は終了。口で言うほどに彼女は鬼畜ではなく、素敵なポプリの香る彼女の家で、僕はおいしい食事をご馳走になり、そしてソファを寝床として与えられた。

 

 そして今は風見さんの眠るベッドがすぐ横にあり、「文句を言ったら殺すわよ」とぶっきらぼうに言いながらも甲斐甲斐しく世話をしてくれた彼女が寝息を立てていた。

 

 食事は彼女がつくってくれたスクランブルエッグとベーコンを炒めたもの。それにキャベツの酢漬け。紅茶と硬い黒パン。典型的な朝食みたいなメニューであるが、なれない労働で身体を苛めた後である僕には最高に美味かった。

 

 ただ料理を一口食べるたびに、向かい側に座る彼女が「どう、おいしい?」と瞳で聞いてくるのだ。言葉には出さないけれど、一々身を乗り出してくるのだから困る。だから僕はおいしいですと言うと、やっと彼女は自分も食べる作業に移ってくれる。きっとキャベツの酢漬けなんかは彼女が保存食として漬けた物なのだろうし、スクランブルエッグやベーコンなどは出来具合を気にしているのだ。

 

 僕にとってはどれも上等な物であったが、じっと見つめられながら食べるのは息苦しい。けれども彼女自身、あまり他人に料理を振舞った事が無いようで、それが心配の種だったらしい。僕がこんなに美味いものは食べた事がないですと言えば、「お世辞はいらないわ」と冷たく言い放ち、顔をぷいとそっぽを向いてしまう。じゃあなんて言えば正解だったのだろうと僕は考えたが、女性心理は苦手分野であるので食べる事に専念したのだった。

 

 食事が終わると風見さんは、ピンク色の寝巻きにとんがったナイトキャップという少女趣味まっしぐらな装いに着替え、そのままベッドに腰掛けると今日一日の作業についての反省と総括をしようと僕を促した。けれども彼女は見ているこっちが気になるほどに眠そうだった。彼女のくっきりと大きなアイラインの目は、まるで(おもり)でもぶら下げたかのように下がっていき、こっくりこっくりと船を漕ぐ。僕が「風見さん?」と呼びかけると彼女はぴくりとして目を覚まし、全然寝てませんからという風にこっちを強く睨む。結局は「それは明日にして、もう眠ってはいかがですか?」と促したのだ。すると彼女はこくりと頷き、そのままベッドに潜ると眠ってしまった。

 

 聞かれたら殴られそうだけれど、なんとも可愛らしい人だなというのが僕の印象だ。

 

 どうやら彼女はこのログハウスのような平屋に一人で住んでいるようだ。木目のフローリングに木製の家具。全てハンドメイドされたように見えるが、それらは一々丁寧に作られている。まるでカナダの田舎の家のように暖かな印象だ。

 

 台所に置かれた茶器は、素人の僕が見ても立派なもので、彼女の紅茶に対する造詣の深さが窺える。この幻想郷の住人は皆、紅茶が好きなんだなと思う。そもそもこっちに来て紅茶以外の飲み物を飲んではいないのだけれど。たまには緑茶やコーヒーを飲んでみたいと思うことは贅沢だろうか?

 

 とにかくこうして波乱の一日は終わり、それでもどこか得した気分になった僕は、星が見える天窓を見上げるようにしてソファに寝転んだのだ。

 

 ぐったりするほどに疲れたはずなのに、何故か目が冴えて眠れない。けれど僕は明日が楽しみに思っていた。ふと風見さんのベッドを見る。布団がゆっくり上下しており、彼女は既に夢の中なのがわかる。天窓から月と星の明かりに照らされた彼女の寝顔はとても綺麗で、彼女が強い妖怪だとは思えなかった。でも彼女は実際に妖怪であり、僕が不埒なマネができるような存在では無いのだ。

 

 それでもこうして人間である僕が、穏やかな彼女の寝顔を拝見できること自体、この凄まじい労働の一番の報酬かもしれないな。こんな役得を貰えたのだから、明日はもっと頑張ろう。そう決意をして僕は眠りにつくことにしたのだった。

 

  ★

 

 あれから三日、僕は一心不乱に鍬を振り続けた。鍬を振るという動きは、実際にしてみると非常に重労働なのだ。風見さんに渡されたのは二種類で、それぞれ一メートルほどの柄の先に、三叉に分かれた物と平べったいものがある。それで土を掘り返して行くわけだが、根の多いところとそうじゃない所で使い分けながら作業していく。

 

 鍬を振るにはどうしても前かがみの体勢にならざるを得ず、長身の部類に属する僕にはいささか辛いのだ。なら柄を長くすればいいという単純な話ではなく、力いっぱい振るには結局その体勢になるしかないので我慢するしかないのだ。

 

 けれど作業も二日を過ぎた辺りから、少しずつではあるがコツを覚えて楽になった。僕は最初、振り上げるときですら力いっぱいやっていたのだがそれは正解ではなく、実際は先についている刃の重さを利用して振るのが正解であると作業を進めるうちに理解したのだ。そうすることで効率よく作業する事ができ、体力の消耗も随分と抑えられるようになった。

 

 風見さんは僕に一切何も言わない。僕に植物を育てることの何たるかを教えるとは言ったが、実際はただ僕を眺めているだけだったのだ。それに少しだけ不満を持つ僕だった。だって終了の条件を知らないままの作業は目標を設定できないから苦痛になるのだ。

 

 しかし鍬を振るコツを掴んだ途端、彼女は満足そうに頷くと、少し散歩に行くわと僕に伝えてその場から消えた。どうやら合格点をもらえたみたいだ。今までは張り付くようにしていた彼女だったが、こうして今、僕は一人で作業している。ふわりと空に消えた風見さんの後姿を少し眺め、僕は少しだけ誇らしい気持ちになれた。

 

 そして三日目、三十坪ほどの真四角の耕された土地が完成したのだった。それなりに充実し、それなりに疲れ切った僕の前に、握り飯と風呂敷に包まれた物を手に風見さんがやってきた。

 

「とりあえず最低限のことは出来たわね。まあ、これくらい当然だけれども。それよりアサヒ、汚い格好じゃない? 汗臭いし。どうにかならないのかしら?」

 

 僕の前に立った彼女は汚い物を見るような目でそう言い放つ。そんな彼女の物言いに、少し僕は腹がたった。

 

「仕方ないじゃないですか! なれない野良作業をしてるのですから。だいたい風見さ――――

 

「黙りなさい」

 

 彼女は僕の言葉を遮り、片手に持っていた風呂敷包みを僕の顔にぶつけた。

 

「……っぷ!? 何するんですかいきなり」

 

「いいから開けて見なさい」

 

 そうぶっきらぼうに彼女は言うと、何故かそのまま後ろを向いてしまった。僕は怒りの矛先のやりばにもやもやとしたが、それでも言われるままに風呂敷を開けてみた。

 

 そこにあったのは今彼女が身につけている服と同じ生地で出来た僕の服だった。彼女と違うのはスカートの部分が少し太い所謂モンペのような形状になっており、太くなっている裾には(くるぶし)で縛ることが出来る様になっている。上は彼女と一緒でベストになっており、それが全て二組もある。

 

「……こ、これは?」

 

「……暇だから作ってみただけよ。あ、あまりに汚らしい格好でいられても、この風見幽香の格が疑われるじゃない! いいからさっさと着替えてその汚い服は捨ててしまいなさい。あとはさっさと弁当を食べて作業に戻るといいわ。掘り返したところから石とか根を全部取るのよ。いいわね?」

 

 彼女はどこか罰が悪そうにそういいきると、そのまま凄い勢いで居なくなってしまった。

 

 やはり彼女は奥ゆかしくも可愛らしい人だなあと思う。きっと風見さんは僕が自分の愛する花や植物の事を学ぶという事が嬉しくてたまらないのだ。それを決して言葉にはしないけれど。だが彼女は妖怪であり、人里の人間とは馴れ合えない。そのほかの妖怪だって、花を愛でる趣味のある者もそうはいない。だから彼女は孤独にならざるを得ないのだ。

 

 そもそも人間の常識と一緒にしてはいけないとは思うが、それでも自分の好きな物、あるいは情熱を込めて作った物を他人にも理解されたいと考える事は当然だと思う。花は言葉を話さないにしても、それでもちゃんと生きている。それを丹精込めて育てるという行為は、まるで子育てをするのと一緒だろう。そしてそれが立派に育ったのなら、それを誰かに褒めてもらいたいと思わないだろうか? それほどに彼女の向日葵たちは素晴らしかった。

 

 そしてそこに彼女のジレンマがあるように感じるのだ。ひょんなことから僕が彼女に師事することになり、それは彼女にとって喜ばしい事なのだと思うのは僕のうぬぼれなのだろうか。

 

 僕は彼女の手作りだと思われる赤いチェックの服を身にまとい、ここでしっかり彼女の教えを物にしようと作業に戻ったのだった。そうすることが彼女への一番の恩返しになるだろうから。

 

 しかし……伊勢丹の紙袋みたいな色合いだな。正直にそれを言ったら、怒った彼女にあの太いビームを撃たれそうだな。

 

 ★

 

「とまあ、これが僕の居なかった二週間の間に起きた出来事の全てです。どうせレミリアさんは最初からわかってたのでしょうけどね……」

 

 僕は幽香師匠(最終日に名前で呼ぶことを許された)との修行の全工程が終わり、そして彼女の小脇に抱えられ、紅魔館の門前に空中からぽいっと捨てられた後、気絶した僕を大慌てで門番の紅美鈴さんに屋敷の中へと運ばれた。それがここへ帰ってきた時の顛末だ。そして目を覚ました僕の前にはレミリアさんを筆頭に全員がそこにいて、一体いままで何をしてたのかを聞いてきたのだ。

 

 けれどもそれは残念ながら、急に帰ってこなくなった住人を心配するという様子ではなかった。一同は僕が風見幽香という妖怪にどんな仕打ちを受けたのかを知りたがっていたのだ。主に彼女たちの娯楽的な意味において。

 

 咲夜さんに戻れなくてすまないと言ったのだが、元々戻ってこないと知っていたから迎えに行っていないわと笑顔で言われ、もう誰も信用できないなと心で泣いた。無条件に僕の帰還を喜んでくれたフランの弾丸のような抱擁には嬉しくも呼吸困難となったが。

 

「しかしアサヒには正直驚いたわ。まさかこれほどまであの気難しい風見幽香を懐柔して帰るとは思わなかったもの」

 

 手荒い歓迎が終わり、皆で紅茶を飲んでいるとレミリアさんが唐突に僕に言う。

 

「懐柔といいますか、むしろ同好の士が増えて嬉しかったんじゃないでしょうか。僕には特に危険な人とは思えなかったですし」

 

「それが貴方の才能なのかもしれないわね。確かめる手段はないのだけれど。とにかくアサヒ、風見幽香はこの幻想郷でも重要な一角なのだから、せいぜい見限られ無い様に気をつけることね。それはこの紅魔館にとっても財産なのだから」

 

 レミリアさんが真剣な顔で言う。こういう表情を見ると、やはり彼女は冗談のように僕を弄びつつも、深いところではちゃんと考えてるんだなと感じる。それを見て僕は、一応彼女を満足させることが出来たのだと密かに悦に入るのだった。

 

「ああ、そうだパチュリーさん」

 

「……なによ」

 

「これで貴方の食事については完璧です。健康にいい食事を心がけて、一緒に霧雨魔理沙をやっつけましょうね!」

 

 僕がそう言った瞬間の彼女は見物だった。その場でふわりと浮き上がると、そのまま逃走を図ったのだ。そんなに野菜が嫌いだとは思ってもみなかったが、ニヤリと笑った小悪魔さんとフランにあっさりと捕まっていた。と言うか随分と二人は仲良くなったものだ。

 

「パチュリーさん、既に言質はとってあるのですからね。等価交換は魔法使いのルール……ですよね?」

 

 僕はすっかり感化された悪どい笑顔でパチュリーさんにつめよる。

 

「なんだかアサヒが随分生意気になったわ……。これじゃ眷属失格よ」

 

 彼女はバツが悪そうに本で顔を隠した。

 

「何か言いましたか?」

 

「…………ふんっ」

 

 そして辺りが笑いに包まれた。こうして久しぶりに戻った紅魔館は相変わらず暖かくて、僕は笑いに包まれているこの空間がひどく心地よかった。それでも、今度はこのお茶会に、幽香師匠を呼べたらなと思ったりもする。きっと誘ってもすんなり来てくれたりはしないんだろうけれど。

 

 それでも僕は必ず彼女を誘おうと思う。なぜなら彼女と接したこの二週間で分かったことは、実は彼女はひどくシャイな人であると言う事だ。そして僕の自惚れじゃないのなら、それなりに彼女との信頼関係が出来たと実感している。

 

 僕は笑顔で談笑する屋敷の人たち(かぞく)の中で、こっそりとそう考えていた。

 彼女が作ってくれた、僕には派手すぎるチェックの服を指で弄びながら。

 

 ★

 

「…………ふう」

 

 僕は久しぶりに戻った自室で煙草をふかす。健康的すぎる生活を師匠のところで続けた僕には少々むせてしまったけれど。それでも長年愛煙家を気取ってきたから、またすぐに馴染んでしまったけれど。

 

 ソフトケースに入っている残りはあと十二本。果たして幻想郷で煙草は売っているのだろうか? 無くなったらやめようかな。そうは言っても禁煙できる自信も無いのだが。決意だけは立派なのが喫煙者ってものなのだろう。

 

「あらあら、相変わらず不良ね? アサヒは」

 

 突然の声に思わず振り返る。このシチュエーションにデジャブを感じつつ、声の主を見る。予想通り相手は咲夜さんで、前と一緒で彼女は扉に持たれかかる体勢で僕を見ていた。その姿が彼女の飄々としたイメージにぴったりだなと感じる。

 

「貴方は僕を驚かすことが娯楽になってませんか?」

 

「ふふっ、やっと出来た私のちゃんとした同僚なのだから、そのくらいはさせなさいな」

 

 そういって彼女は愉快だという表情をする。まったく腹立たしい。

 

「で、用事はなんでしょうか? まさか僕に添い寝でもしてくれると?」

 

「それも悪くはないけれど、残念ながら私はまだ仕事中よ。それに、妹様に怒られちゃうしね」

 

 そういって咲夜さんは声をだして笑う。この広い紅魔館の家事を一手に担う彼女だ、愚痴も言いたいだろう。それでも完璧な従者を気取る彼女だ、他人に弱音を吐くことはしないだろう。だからこうして僕をからかって生き抜きをしてるのだろう。ま、下っ端の宿命ではあるし、どうせ僕はどこにいてもこうなる運命なのだ。その辺はとっくに諦めていたりする。

 

「それは冗談だけれど、パチュリー様からの伝言よ。近いうちに魔理沙が来ると言うわ。だから明日の昼間、少し作戦を練りましょうと言っておられたわ。さて貴方がどう働くかせいぜい楽しませてもらうわね?」

 

「ははっ、なんとも悪趣味な。でもま、少し考えていることはあるんです。せいぜい僕があがく様を見ててくださいね。あ、そうだ。上手くいったなら、またお茶にでも誘ってくださいね?」

 

 そういって僕は片目をつぶって見せた。へたくそなウインク。少しばかりの心の余裕。

 

「そうね。じゃ上手いことやってのけたなら、アサヒ坊やとデートしてあげるわ?」

 

 彼女はそういって、僕の数倍魅力的なウインクを返し、例の如く音も無いままに消えた。

 

(霧雨魔理沙か……)

 

 僕は静かになった部屋で窓にもたれたまま内心でそう呟く。

 

 窓から見える幻想郷の空は、僕の好きなグラーデションの夕暮れだった。




今週最後の投稿です。次回は週明けにも。
そろそろ物語を動かせたらなぁと考えています(出来るかどうかは別として)

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