トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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精霊をランプに閉じ込めることはできても、時間をびん詰めにすることはできない。
                               ――デーヴァ・ソペル


05 僕がそうするべきと思ったから / 王女様、玄界の土を踏む

 ――もしかしたら、僕は今初めて、少しだけ次の試合にわくわくしているかもしれない……!

 二日前、三雲修は期待を抱いていた。

 後輩に頭を下げ、その(すえ)に教わった武器に可能性を見つけたのだ。

 新しいトリガーを握る手はぶるぶると震えている。

 武者震いだった。

 

 そして時が移り、ランク戦を20分後に控えた現在。期待は確信に変わっていた。

 この二日間、予想される仮想戦場のありとらゆる場所に、修はスパイダーのアンカを打ち続けてきた。空閑にとって有利な舞台を築くべく、ワイヤーのアンカを打ち込む。時の経過を忘れ、時間の許す限り仮想空間で生活した。トリオンが減らないというのは真に便利だった。

 特訓の最初は狙った場所に打ち込むのにも苦労させられたが、今なら目をつぶっていても練習どおりにワイヤを張れる。FPS症候群のように、街中のビルにさえアンカを打ちたくなるほど、スパイダーは魅力的な()()だった。

 修の自信を裏付けるものはスパイダーの技量だけではない。

 風間から喝をもらい、チームで戦うことの意味を再確認したのだ。

 ――一人一人の力ではB級上位に劣るけど、チーム戦となれば話は別だ。そうやって僕たちは今まで勝ってきたし、これからも僕たちが勝ちあがるにはこれしかない。合流までの手順を見直し、連携のバリエーションを増やして、1+1+1を5にも10にもしなくては。

 アイディアはメモ帳を覆いつくした。

 第四戦の頃の修とは、こと玉狛第二の隊員として別人といってよい。というよりも、より彼らしくなったと評する方が適切である。

 空閑をレプリカに合わせるためには、もう一戦たりとも落とせない。そうと決めた修は目的のために行動を怠らなかった。

 断固とした意志が彼の何よりの長所であった。

 もう一度相手の部隊――香取隊、柿崎隊――の急所や注意点を確認しようと修はファイルに目を落とした。前々期、前期、今期のランク戦から作成したデータファイルである。ランク戦はボーダーのポータルサイトからB級以上が持つIDとパスコードを入力することで閲覧が可能となっていた。修は寝る間を惜しんでディスプレイに噛りつき、ノートを真っ黒にした。

 目元に生じたクマの代価――数字が整列したデータファイルに目を落とし、修は椅子に座る。

 座りなれた少し硬めの椅子。三雲隊の作戦室をおおよそ見渡せる位置にそれはある。隣では、千佳が自分トリガーチップの配置を確認していた。彼女の整った眉は心なしか上がり気味に見える。いつもより興奮しているらしい。訊いてみれば、友人から教わった新兵器を試したくてわくわくしているそうだ。自分と同じだと、修はクスッと笑った。

 もちろんその新兵器も織り込んで、三雲隊の隊長は作戦を練ってある。彼女のためのスパイダーの要塞だ。

 頬を上気させる千佳とは対照的に空閑はのびのびとリラックスしていた。腕を交差して軽く柔軟。ブルーを基調にした隊服がぐいっと伸びる。隊服はトリオン製の繊維でできており、靭性と柔軟性はともに申し分ない。空閑が腕を後ろに()らせば、ふわふわでくるくるの白髪が心地よさそうに揺れる。石鹸の香りがかすかに漂う。次は腕を逆に交差。最後に背伸びをして、うーんと息をはきながら一つ大きな伸び。それから言った。

「ほらオサム、肩がはってるぞ」空閑はぱんぱんと修の背中を叩いた。「オサムはもう少しリラックスした方がいい」

「ああ、でも負けらないからな。1点でも多く追いつかないと」

「硬いぞ、オサム。ほら、伸びをしてみろ、ぐぐっと」

 じゃあと返事をして修はファイルから顔を上げた。ソファから立ち上がり、言われた通り伸びをする。まずは背中。続いて首。すると、こんがらがったイヤホンがほどけるように心地がよかった。目に飛び込んでくる光が多くなった、ような気がする。

 頸椎(けいつい)には自律神経、その中でもとりわけ視神経が多く集まっているのだ。猫背になって書類を読みすぎると、毛様体の調子が悪くなり、目のピントを合わせる能力が低下してしまう。空閑に人体工学的な知識はないのだろうが、経験から得た知恵は豊富なのだろう。

 もちろんまだ中学生の修にもその手の知識はなかったが、空閑を見直さずにはいられない。

 やっぱり頼りになる相棒だ。

 一刻も早くレプリカと再会させてやりたい。時間がどのくらい残されているか分からないのだから……!

 再三再四の決意を固め、最終確認のブリーフィングをするべく、修はオペレータデスクに視線をやった。方形のデスクの上にキーボードと三つのマルチスクリーン。機械的情報処理能力に優れた宇佐美特別仕様。3台のスクリーンを見るだけで、眼鏡の周りに星を飛ばす彼女がうっすらと見えるほど、修にとって宇佐美の定位置はそこであった。

 が、現在、定位置に彼女の姿はない。いつも通りなら宇佐美と修を中心に、対戦前の最終確認を行う手筈になっている。だが生憎今回に限って、宇佐美は10分前に来る予定になっていた。時間の許す限り、≪ガロプラ=ロドクルーン≫合同強襲に対しての防衛に尽力するらしい。

 宇佐美さんには頭が上がらない、と修は思った。自分の都合に集中することに多少の申し訳なささえ覚える。今まで戦ってきた諏訪さんだって、那須さんだって必死に戦っているのに。いいのだろうか?

 だが、修の迷いは一瞬だった。 

 後ろ向きの気持ちをとっぱらうように頭を振る。指揮を執るべくホワイトボード用のマッキィを握った。

 空閑には時間がない。リミットは、一週間後とも、明日とも知れない。

 進むしかない。

 負い目とも責任とも誓いとも判別のつかない感情だった。

 (はや)る気持ちが彼の注意力を鈍らせたのだろうか。

 千佳の髪の毛が逆立ち始めていることに、気づいていなかった。

「よし、じゃあ、確認を始め――――」

 ばん!

 と音が耳を叩いた。

 首は反射で音源へ。

 扉が開き。

 ヒンジが外れ。

 回転し、

 こちらへ飛来する扉。

 耳横をかすめ。

 真横で盛大な破砕音。

 液晶が崩れる細かい音。

 再び反射する首。

 目の中央に、ぺしゃんこになったオペレータデスク。

 汗がどっとふきだした。

 ――誰だ!? 侵入者か!? 何が起こっている!? ――そうか。今は≪ガロプラ≫と≪ロドクルーン≫が侵攻をかけている真っ最中なんだ。それらが≪アフトクラトル≫の属国だとエネドラは言っていた。――クソッ! 千佳のことが向こうに知られていないわけがないじゃないか。それなら向こうの狙いは決まってる! もっと早く思い至るべきだった。

 じとつく嫌な汗が頬をつたった。

「千佳ちゃんと言いましたね! そのお命頂戴しますッ!!」

 聞き慣れない声が響く。

 予想通りの台詞だ。

 こいつらやっぱり千佳を狙って……!

 じろっと奴らを睨む。

 声の主は、ゆっくりと、まるで神に祈るように両の()を合わせた。

 すぐに掌は反発し、左右に離れ、右手には白光を放つ直剣。

 有名なアニメの必殺技にそっくりなポーズ。

 剣尖(きっさき)は自分から少し外れ、(かたわ)らの千佳へ一直線に向けられた。

 直剣を持つ人物は黄色のドレス。白のロングスカートは単一パタンの迷彩柄。白いマスクと黒のサングラスで面相は判別できない。だが、声のトーンから判断して女性だ。髪は栗色で豊かに長い。彼女の後ろに、黒いコートを羽織(はお)った少年が4人。皆、短機関銃や大剣等の武器を光らせている。

 そいつらの声も姿も、修は見たことがなかった。唯々(ただただ)、ただ事でないとだけ分かる。

「千佳、下がってろ」反射的に言った。トリガー起動(オン)。「空閑、やるぞ」レイガストを右手に起動(ブート)

 逆の手にシールドの起動準備。

「オサムも下がった方がいい」躰を半身に逸らした空閑が言う。黒い拳を前にかざし、臨戦態勢。「こいつらかなりできるぞ」

「げっ……、間に合わなかった」

「兄さんがもたもたしていたせいですよ」

 今度は聞き覚えのある声だった。

 後ろからだ。

 思わず振り返った修は目を丸くする。

 足元まで伸びる白衣が2つ。もともと対戦する予定だった八宮隊だ。

 だがそんなことは、今の修にとって些細なこと。

 この場の全てが分からないことだらけだった。

 知らないことを知らない、ナイトの不確実性。

「八宮さん。間に合わなかったてどういうことですか」

「千佳ちゃんが狙われてるってこと」岬が静かに答えた。「加勢に来た」

 修は空閑に視線をくれる。空閑はチラッと岬を見る。すぐに、目の前の敵へ向き直った。

 空閑が何も言ってこないということは、八宮の言葉は嘘ではないということだ。と修は結論した。同時に、疑問がいくつか生まれる。

 ――では何故、八宮さんは千佳が狙われているということを知っているのだろうか。それに、どうやってここへ現れたのだろう。おそらくテレポートだ。でも、この密室は目視の条件を満たさない……。そもそも、八宮さん達は今までどこに行っていたのだろうか。旅行とは聞いていたいけど疑わしい。その行き先と今回の強襲に関係はあるのか?

 脳内で警鐘が鳴る。

 が、それは後回しにされた。

 今は目の前の脅威を取り除くことが先だ。少なくとも八宮兄妹が敵であるとは考えられない。≪アフトクラトル≫侵攻の際、八宮さんは身を(てい)して千佳を救ったのだ。今回もきっとそうなのだろう、と自分に言い聞かせる。

 ふいに、

「……密入国者の2人も出てきた」

 侵入者の少年が呟やいた。黒いコートの下端は(くるぶし)よりも低く、今にも床につきそうだ。背はそれほど高くない。奴は狙撃銃の銃口をこちらに向けた。「……丁度いい、まとめて始末」

 音と光の炸裂だった。 

 鼓膜に穴が空き、目は()ける。そんな錯覚すら覚える空気の振動と可視光の嵐。

 戦場によーいドンの合図は存在しなかった。

 

 修が耳と目を傷めている間、ありとあらゆることが起こっていた。

 気づけば白い世界にいる。

 空閑ならともかく、実力に乏しい修には何が何やらよく分からなかった。少なくとも、黒いコートを羽織った金髪が球状の物体を投げた。辛うじてこれだけは理解できた。

 その途端に、視界がホアイトアウトしたらしい。

 両目は役に立たないことを分からされた。

 感覚は冷たさを覚え、それが雪と気づくのに1秒弱。

 頼りになるのは聴覚しかない。

 それさえも、吹き付ける雪が邪魔をして十分ではなかった。

 聞いたのは銃声で、次は電子音。

 後頭部への痛みを知覚したのはもっと遅い。

 一転して、視界は黒に染まった。銃弾が目まで貫いたらしい。

『トリオン体活動限界』

 耳元のマイクロフォンから聞いた。

 緊急脱出装置が起動する寸前、

「兄さん、待って、行かないで、やめて、兄さん!!」

「凪ッ!!」

 叫びが聞こえる。

 やにわに脱出装置が起動すると、低い放物線を描き、躰が飛ばされた。

 届け先が作戦室の奥に並ぶベッドになっている(ゆえ)の軌道だ。

 ベッドの黒いシーツに叩きつけられ、背中に衝撃。

 躰は、つま先から頭まで冷たい。視界は白い。

 震える指で眼鏡のレンズを払う。付着した雪を落とす。幾分ましになったが、あきれるほど白い。

 メインスペースとは仕切られているこの部屋まで、真っ白の粒子が吹雪いていた。

 一体どうなっているんだ!? 千佳は!?

「――ヒィファッ!? ――ッ!? ――ゲホッゲェホッ!?」

 彼女の名前を叫ぼうとしたが、声は言葉にならない。

 雪が口の中に殺到していた。

 鼻にまで入り込み、むせかえる。ツーンと突き抜ける痛み。

 空気は冷たく、呼吸すら痛い。

 反対に、肺は焼けるように熱かった。

 酸素を求め無意識に口が開き、今度は喉まで凍える。

 腹から声を出そうするが、口を開ければ雪が雪崩れ込む。

 再びむせかえる。

 声なんて出せるはずもない。

 かわりに心で叫んだ。

 ――千佳は無事なのか!? 空閑は!? 2人とも無事でいてくれ。何がどうなっているんだ!?

 混乱状態と言ってよかった。

 雪に感覚を奪われ、右も左も分からない。

 だが生憎、無我夢中と呼ばれる危険な心理状態では混乱していることすら自覚できなかった。

 生身で駆けつけてどうなる? とは考えたが、そんな躊躇で足は止まらない。向こうのトリガーに安全装置(セーフティ)はないかもしれないという懸念は毛頭浮かばなかった。

 頭に浮かんだとしても、迷いなく、突っ込んだだろう。そうするべきなのであり、そうするべきだと思った。使命は、性分は、曲げられない。

 自分が守らなくちゃいけないんだ、千佳を。何としてでも。

 足首にまで(から)まる雪を蹴散らし、走った。

 距離のわりに長い道のり。

 冷たいとも感じなかった。

 感覚が麻痺してる。

 必死でそれさえ気づかない。

 息は荒い。

 凍えた足で雪を捕まえ、大きく跳躍。

 仕切りから横っ跳びで顔を出すと、吹雪は強風くらいに落ち着いていた。

 次第に雪が床に積もり、空間の密度が薄まる。

 段々視界が晴れてゆく。

 安堵の息を、修はついた。

 五体満足の千佳と空閑が目に映ったのだ。

 2人は武器を構え、入り口に並ぶ敵へと向けている。空閑が千佳をかばう恰好だった。

 向かい合わせの鏡のように、黒づくめの奴らも武器をこちらに向けていた。雪上に点々と転がる薬莢が、白いシーツにこびりついたシミを思わせる。少しでも不用意に動けば自分も異物とみなされ、銃弾がこちらに飛んできそうだ。

 部屋を覆う緊迫感はぴんと張られたピアノ線のようで触れるだけで切れてしまいそう。

 黒いコートの少年が狙撃銃の銃床を雪面につけた。雪がふわりと舞う。それから、奴は腕時計を確認するみたいに右腕を盗み見る。修の目に腕時計は映らなかったが、視覚支援の(たぐい)なのだろう。コートの(えり)が高いのと、(すだれ)のような前髪で、少年の表情は読めなかった。

「……残念、もう時間。……まあいい、最低限、密入国者は処分した。……雛鳥はまた次の機会」

 それだけを残して、ドレス姿の女性と黒いコートの少年たちは消えた。薄く光る円陣が後を追うように霧散する。

 積雪だけが(だけがというにはあまりにも厄介な) 彼らの痕跡だった。

 雪害にどう対処しようか迷い果てていると、修ははたと気づいた。千佳と空閑が無傷なままに終わり、心のテンションが小さくなっていたのかもしれない。

 ――密入国者は処分!? それって……!

 ぶんぶんと首を振り、辺りを見回した。だが、八宮兄妹の姿はない。千佳に訊いてもトリオン反応はないと言う。

 白衣が雪で見えづらくなっているのかもしれない。そう思い、目を皿のようにして確認した。が、やはり2人の姿はなかった。

 千佳と空閑が顔を伏せているのに気付いたのは、それからしばらくしてだった。

 

 騒ぎから2分と経たず、時枝と出水が駆けつけてきた。彼らは作戦室の惨状を見るなり喉の奥が見えるほど口を大きく開けた。部屋を指す指がわなわなと震えている。目に映る白い世界が信じられないに違いない。彼らは一度深呼吸。息を落ち着け、何があったのかと訊いてきた。

 修は途切れ途切れに説明を始めた。

 話している本人さえも、それは一瞬の出来事のように思え、記憶は精細を欠く。何しろ30センチ先も見えず、視界の9割が白だったのだ。

 それでも説明責任を果たすべく、彼らの台詞だけは正確に伝える。足りない部分は千佳が補ってくれた。

 説明を続けながら、千佳の穏やかな声が自分を安心させてくれることに修は気づいた。傍にいて当たり前の存在がいざいなくなると思うと寒気がする。

 無事でよかったと心の底から思った。

 敵が残した最後の言葉で修は説明を締めくくる。

「『……残念、もう時間だ。……まあいい、最低限、密入国者は処分した。雛鳥はまた次の機会』と言ってどこかへ消えました。密入国者というのはたぶん八宮さんたちのことで、雛鳥というのは千佳のことだと思います」

 修が千佳を見ると、彼女はコクリと頷いた。「八宮さんには≪アフトクラトル≫の時も助けて貰って……。今回もきっと、それで私をかばって」

 空閑は目を伏せていた。

 自分が助かったことに、あるいは彼らを助けられなかったことに罪悪感があるのかもしれない。それとも、敵の急な撤退を(いぶか)しんでいるのかも、あるいはその両方だろうか。少なくない付き合いから、修は相棒の心境を予想していた。

 時枝と出水は顔を見合わせ、難しい表情をしている。何やら悩んでいるようだ。

「救出にはいけないんですか?」修が訊く。

「それは本部でこれから検討すると思うよ」時枝が答えた。「三雲くんは自分の心配をしたほうがいいかな。平常通りランク戦はやるみたいだから」

「なっ!? 問題がないってどいうことですか。八宮さん達が連れ去られたんですよ」

「それについて、今、上が話し合っているところだぜ、オサム。八宮さんのことはあまり重大に取り扱われていないっぽいな」出水が言う。どうやら、修の話は上層部に筒抜けらしかった。修の意外そうな表情を見て、「悪い、断っておくべきだったな」と出水は手の側面を顔の前に出した。その手で頭をかきながら、上の見解を伝えてくる。

「元々いなかった人がいないままってわけだ。幸い市民に死傷者はないし、奇跡的に遠征艇の傷は見た目ほど大したことないらしい。基地内部のトリオン兵の反応と、近界民の反応も――おっと、これは八宮さんのおかげらしいぞ――消えてるしな。ランク戦は10分遅れで始まるぞ。宇佐美もすぐに来る。おまえにはやることがあるんだろ。新しい武器を楽しみにしているからな」

「はい……」

 どこか釈然としなかったが、修は頷いた。八宮兄妹に対する扱いがおかしくないだろうか? 隊員に被害が出たんだぞ……。もしかしたら上層部はこれを世間に伝えたくないのだろうか。そして、ボーダー隊員にも。いない人がいないままってのはそういうことだ。そう言えば以前鬼怒田さんは、「市民には『平和』でいてもらわなきゃならん」と言っていた。だが、このままにしていいはずがない。

 それでも今は……。

 空閑のため、レプリカのため、やることは一つ。

「ランク戦に尽力します! 見ててください。――行くぞ、空閑、千佳」

 

 

  □ ■ □ ■ □

 

 

 5人の白いトレーには、はみ出さんばかりの料理が盛られていた。盛られているというよりも、少し品のない言い方になってしまうのだが、ひしめいていると形容するべきだろう。エビフライにハンバーグ、天ぷらにスシ、餃子に焼き肉、グリーサラダにいくつかのフルーツ、ゴマ団子にショートケーキ。和洋中そろったラインナップがてんこ盛りだった。

 バイキングである。

 玄界にたどり着いた岬たちはまず服を見繕い、その足で腹ごしらえに来ていた。時間は早めのお昼ご飯といた具合。平日のお昼前ということもあり、席は空いていた。4人がけのテーブルを2つくっつけ、八宮一行はフォークやら箸やらを握っている。

 スノリアのみんなは我先にとガツガツ食べていた。凪がなくなりませんからと声をかけても、無作法に突き刺さるフォークは止まることをしない。エルフェールでさえ、あーんに再挑戦しようなんて考えていなかった。彼女は、果敢にも初めての箸にチャレンジしている。

 つかみかけていたウィンナーがぽろっとこぼれた。

「むむむ、これはなかなか難しいですね」お皿の上でウィンナーがころころと転がる。エルフェールは口をへの字に結んだ。「むう、玄界に来ると知っていたら練習したのですが」

「まあ、慣れだって」と岬。箸の先端をカチカチと合わせた。「始めはしょうがないよ」

「見せつけてきますね、ミサキー。流石本場は上手です。こんな感じでしょうか」

「それは少しだけ持ち方が違うかも、ちょっと待って」岬は立ち上がり、エルフェールの座る椅子の後ろへ回った。凪から粘着質な視線が送られていることも気にせず、箸を握るエルフェールの指へと手を伸ばす。「ほら、人差し指が上で、中指で箸を挟むの」

 指が触れ合い、エルフェールの顔が一瞬で上気した。

 ――こっ、これは、玄海でよく行われているある意味伝説的なシチュエーションではありませんか!

「ミッ、ミサキ! これはいわゆる二人羽織じゃないですか。ということはですよ。あーんの発展というわけで、つまり、今私たちは恋人から次のステップへと踏み出している真っ最中というわけですね!!」

「二人羽織じゃないし、第一そういった性質のものでもないって」

「いいえ、二人羽織には阿吽の呼吸が必要だと聞いています。そして、阿吽の呼吸は夫婦のみに許された特権! Q.E.D 私たち二人の関係はこれにて証明完了です!」

「なにその三段論法。そもそも二人羽織りというのは――」

「いえいえ、Q.E.Dですよミサキ! かく示された、です。私は細かいことを気にしません。このままそのウィンナーをあーんとやってくださ――」

 ボキリ、

 と棒状の物が折れる音がした。

「エルフェールさん。食事中は静かにしてくださいね」4本に増えた箸を両手に持って、凪はニコリと笑う。「郷に入っては郷に従えと言いますよね。礼儀ですから」

「ミサキ! やっぱり野蛮ですよ、あなたの妹は。かよわい私じゃ箸を折ることなんてできません。お婿に行くなら、やっぱりお淑やかな女性がいいですよね、ミサキ!」

「いえいえ、兄さんが好きなのはマナーや道義をわきまえた方ですよ」

「フッ、笑わせますねえ、お店の備品をへし折っておいて、何がマナーですか」

「なっ、言わせておけば……」ぴきりと凪の手元で音がした。理性が残っているのだろう、微かな音だった。気を落ち着けるように深く息を吸う。「兄さんも兄さんですよ。食事中に、みだりに席を立つなんてマナー違反です。さあ、早く私の隣に戻ってください」

 席へもどろうと岬が動くと、ぐいと手を引かれた。エルフェールは箸ではなく、こちらの手をひしと握っている。ついでに岬の解釈によれば、いかないでください、とエルフェールの視線は語っていた。律儀にも食事中は静かに、という道徳を守っているのかもしれない。

 岬は逡巡するも短いプログラムのコンパイルのように、結論はすぐにでた。

 倍になった箸に続いて、皿を2枚にするわけにいかない。

 多少強引な手段で岬は席へ戻った。エルフェールの耳元で、そっと妹に聞こえないように、「また後でね」と囁くように言ったのだ。自らの首を絞める魔法の呪文かもしれない。

 

 3人の口論にも一切動じずに、自警団の面々はフォークを振るっている。というのも、彼らはこの程度の痴話げんかにはすっかり慣れ切っていた。だが何より、サエグサ達の目には料理しか映っていなかった。

 彼らはサラダバーとテーブルとドレッシングコーナーの三点を回る貿易船団だった。ペースは乱れないどころか、加速してさえいる。

 ≪キオン≫国民の主食がジャガイモであるため、――こちらの世界の一国を思い浮かべ類推するに――向こうの栄養事情はいささかよろしくなかった。そのせいか、スノリアの自警団の身長は日本男子の平均よりも一回りほど小さい。一番低いサエグサが160弱。4人の中で最も高いクラウダでさえ170もない。

 とかく略奪経済を旨とするキオンでは生の野菜が貴重らしく、彼らはモシャモシャとサラダ類を口へ運び続けている。

 ウサギみたいに幸せそうに、あるいはじゃがりこのようにリズムよく、サシャはスティックサラダを食べていた。ぴたり、と彼の手が止まり、視線は向かい側に固定された。

「あのさ、クラウダ?」目の端を僅かにつり上げて言う。「それはさ、いささか下品じゃない。何というか、もっと素材の味を……」

 クラウダは調味料――それも一瞬にして料理をジャンクフードにしてしまう濃厚かつ安直なソース類を気に入っていた。グリーサラダは赤と白に染まり切っている。

「こいつはいい。これさえあれば、こっちの泥みたいな芋もご馳走に変身するに違いない」

「何にでもかけられそうだな」サエグサも口をそろえた。

「確かに、まあそうかもね」サシャも頷く。長細いニンジンでマヨネーズをすくった。「特にこの白いのは何にでも合いそう」

 彼らが一番初めに受け入れた玄界の文明はこれだった。

 

 賑やかな食卓もいいじゃないか。

 普段意識しない心のどこかが満たされていると岬は感じた。

 ボーダーの多くは近界民を目の敵にしているけれど、話してみれば面白いし、一緒にご飯を食べればより美味しいと感じられる。友人や家族と言っても差支えがないのかもしれない。和やかに食卓を囲めるとはそういうことだ。

 気分が良かった。

 ただ、気持が一層晴れやかな理由は、やはり料理の美味しさにあるのだろう。

 岬も凪も、料理が盛られた皿を前にして目を輝かせている。

「に、兄さんこれ、10日ぶりのまともなご飯ですよ」

「香料と化学調味料の香りが懐かしいね」

「再就職するとしても、グルメレポーターはダメですね、兄さん」

「グルタミン酸ナトリウムとイノシン酸ナトリウムの味が宝石箱のようです。……どう? 売れそうかな。ケミカルレポーターとか流行らない? せっかく白衣だしさ」

「ないです。とってつけたように味の宝石箱とか言わないほうがいいですよ」

 妹はキッパリと返答した。気を取り直すように、真新しい割り箸で餃子をつまむ。

 岬の箸は凪のそれに倣った。一個ほおばると、口の中で海老がプツリと弾けた。ほのかな塩味が具ととけあって、口いっぱいにひろがる。

 岬と凪は思わず顔を向き合わせた。

「美味しい! これ美味しいですよ」

「帰ってきたって感じがするね」

「ああ、私の中で何かが満たされていきます」

 久しぶりの玄界の味は思わず涙ぐむほどだった。

 これから先、自分たちのしでかすことを考えると気が重くなるのだが、デザートを食べる頃には忘れていた。

 ケーキが不味くなったらもったいない。




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。個人的には戦闘描写は短文連発が好きなんですよね。どうしようもなく、スカイ・クロラとヴォイド・シャイパが影響しています。

批判と感想お待ちしております。私はポパーの徒ですので、最大の協力者は批判者だと思っています。

※以下はチラシの裏レベルの考察です。

「兄さん、誘導弾の探知誘導って地味にやばいですよね」

「あれはやばいよ。誘導弾自体にトリオン反応を識別する機構が組み込まれてるんだからね。誘導対象の位置座標が変わったら、推進剤の噴射方向を変えて速度ベクトルを制御してるんだし、そりゃ通常弾よりも威力が落ちるって」

「誘導弾自体に組み込まれてるんですか?」

「たぶんそうだと思うよ。
 本人のレーダで誘導対象の位置座標を送信して、それを誘導弾が受信して、それに応じて推進剤の噴射方向を調節するって考え方もできるけど、それじゃあ視線誘導とほとんど変わらないでしょ。
 何より、バグワームつけてる奴にも探知誘導できるしね、だから、誘導弾自体に何らかの識別機構がついてると思う」

「なるほど、誘導弾自体が推進剤を噴出しながら飛んでるってことですね。それって勿体なくないですか? 」

「クッソ勿体ないと思う。勿体ないついでに言えば、変化弾は誘導弾の比じゃないけど、これはまた今度」

「ですよね、勿体ないですよね。本当に推進剤を出しながら飛んでるんですか? 」

「じゃあ、質問に質問で返すけどさ、どうやって方向転換するのよ? これは変化弾にも言えるね」

「空力制御? 」

「自分で言ってて疑問形になってるし。弾丸に羽でも生えてるって分け? 空力制御でUターン軌道できるわけないよね」

「じゃあ、ベクトル転換でしょうか」

「宇宙の法則を乱さないように」

「理屈っぽいと嫌われますよ、兄さん? 」

「でもさ、凪は怖くないの? こんな原理もよく分からない武器を使ってて」

「まあ、いずれ分かればいいんじゃないんですか? 今度は誘導弾の四要素ですね。次々回は衛星軌道ですかね。
 あ、あとですね、兄さん。最近は追尾弾と書いて、ハウンドと読むのがトレンドですよ」

「でも、性質的には追尾よりも誘導だって。原理的に追尾っていうよりも、誘導って言った方が性質にあってる気がするし」

「それもまた今度ですね」


こんなこと書いてないで、早くBBF買えばいいと思います。BBFよりもハヤカワ文庫を優先するクソ雑魚ナメクジです。受験生です。キャラクタプロフィールやりたいです。

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