トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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物理学者にとって、真空にはあらゆる粒子と力が潜在している。真空は哲学者の無よりもはるかに豊かな実体なのだ。
          ――――マーティン・リース


04 味方の味方の味方

 諏訪は目を疑った。

 ――どうして門から、いや、今までの門とはちょっと違う。一つの円に複数の幾何学図を混ぜ込んだ、そんな青白い円陣だった。違う、違う、今はそんなことどうだっていいんだ。いったい何故、八宮兄妹がここにいるんだ!?

 半開きになった口はふさがらない。

 そんな諏訪を差し置いて、2つの白衣は即座に動き出した。

 淡く光る白い粒子が彼らの腕に収斂し、次第にはっきりと形を成していく。

 突撃銃の起動(ブート)だ。

 同期しているかの如きタイミングで、2人の腕に銃身がすっぽり収まった。よほど起動させる位置が正確だったのだろう、銃身の上部に接続(コネクト)された長距離照準器(リヤサイト)は既に目の前であり、指はトリガにある。

 長い長い銃身はボーダー規格のものとわずかに異なっていたが、動転のあまり諏訪は言葉が出ない。

「凪、あのでかいの2つお願い」照準の先、拡大された世界を睨みながら、兄が呟いた。

「どうして妹が2機で兄が1機なんですか、おかしくないですか? まあ、いいですけど」

 八宮兄妹の銃口が『イルガー』へと一直線に向けられる。

 セクタレバーで安全装置(セイフティ)解除。

 そっと人差し指に力を。

 ――おいおいそんな豆鉄砲じゃ、馬鹿でかいあいつを落とせないんじゃねえのか、と諏訪は思ったが、杞憂だったとすぐに分かった。

 2機の『イルガー』がたちまち爆散したのだ。

 よくよく見れば、八宮妹の突撃銃(おそらく2丁めだろう、リロードをする時間を惜しんでの再起動(リ・ブート)に違いない) の先端には対戦車砲のような弾頭が接続されていた。

 続けざまに八宮妹が第2射を放つ。反動でのけ反る上半身。噴射剤の勢いで、流しっぱなしの髪が後方に流れた。

 弾頭は中空を滑るように『イルガー』の横っ腹へ。

 煙の尾を引いていく。

 遠ざかり、

 小さくなる弾頭。

 弾着を知らせる金属音。

 ()ッとオレンジの閃光が瞬き、着弾点から爆散。

 もうもうと立ち込める粉塵が消えた頃、まるで巨人に千切られたかのようにイルガーは無残だった。旅客機ほどもあった機体が、今では僅かな尾頭(おかしら)しか残っていない。

 残った頭部と尾部はチリチリと火を上げながら急速に落下し、諏訪の30m手前の路上に大穴を空けた。アスファルトが少し揺れ、諏訪は躰に震えを覚える。

 命拾いをした、と思った。

 あと数秒でも八宮兄妹の射撃が遅かったらどうなっただろうか。『イルガー』は自分達に突っ込んでいたに違いない。それでもおさまらず、今頃ボーダー基地一階は狂気に突っ込まれたペンタゴンのようになっていただろう。光景がありありと目に浮かぶ。

 これはお礼を言う必要がありそうだ。

 姿勢を正し、諏訪は八宮兄妹へ向き直る。

 が、目の前には、八宮妹しかいない。

 はて、と思いはしたが言葉は口から出た。

「助かったぜ、ええと、八宮妹、感謝する。それで、八宮さんはどこに行ったんだ」

「いえいえ、ちょっと遅くなってしまってすみません。これも全て兄のせいなんです」八宮妹はぺこりと頭を下げた。もともと140cmもない背丈がさらに小さく見える。その小さな頭とつむじを見ていると、すくりと顔が上がった。目が一瞬合う。何でもないふうに、妹は人型トリオン兵の群れへ人差し指を向けた。「兄はあっちです」

 弧月の一振りが白い残影を刻んだ。

 諏訪は顎がはずれそうになった。

 八宮兄が女子高生(JK)2人とOLを一刀両断していたのだ。

 スプラッタな光景が目の前に広がる――! 諏訪は血を見ることを恐れ、顔の前に両手をかざした。……おいおい何やっているんだ、八宮さん。旅行先で洗脳でもされたのか!? 人間は敵だって具合によ。はたまたお気に入りのAIに、ニンゲンチキュウヨゴス、ワルイヤツって吹き込まれたのかもしれねえ。一体どうしちまったんだ!?

 まとまらない思考のまま、視界を閉ざすこと数秒。

 怖いもの見たさと、見なければどうしようもないという思いから、諏訪は恐る恐る指の間をひらいた。目に映ったのは赤に染まった白衣――なんてことはなかった。

 かわりに飛び散っていたのは、シリコンや人工筋肉、フレームやボルト、液体金属。骨とか臓器とか赤血球とか、人体の構成物はない。

 諏訪の目は一瞬だけ点となったが、すぐに合点した。――そうか、どうやら人型トリオン兵は変装機能もとい、造形変換機能があるらしい。迅が民間人に被害はないと言ったのはこのことか。では、八宮さんは迅の予知を既に知っていたから奴らを叩き切ったっていうのか? いや、それはない。そんな思い切りのよいことはそうそうできるはずがない。第一、八宮さんが現れたのは今さっきなんだ。迅の予知を知りようがない。だったら余計に、何故こんなことができたのか?

 推理小説を好むだけはあり、灰色の脳細胞はリトマス試験紙のように謎に対して敏感だった。疑惑の眼差しを、人型トリオン兵の群れの中にいる八宮兄に向ける。やにわにその姿が消えた。

 一瞬にして目の前。微小な白い欠片が収斂し、八宮兄が忽然と現れる。

 テレポータと知ってはいたが、諏訪はちょっぴり後退(あとじさ)った。危うく、煙草を落とすところだった。くわえ直すと、煙のほろ苦さが脳を覚ましてくれる。

「八宮さん、どうしてあれが変装だって分かったんすか?」

「熱観測だよ。周りのトリオン兵と変わらなかったからし、何より、温度分布が人間のそれとまったく違ってたから」

「なるほど。ああ、そうだ! それより、今まで何してたんすか。というよりどこに行ってたんすか」

「今までは、――かわいい妹と駆け落ちしてただけ、水入らずで。楽しかったよ、色々あったけど」

「にっ、兄さん。わざわざ公言しなくてもいいのに。でも、はっきり言ってもらえると、やっぱり嬉しいですね」

 顔を綻ばせた妹が兄の白衣に寄り添っていた。兄も妹の肩に手を置いて、優しく撫でている。

 彼らの後ろにソファーでもあるのかと疑いたくなるほど自然な動きだった。常習的なスキンシップなのかもしれない。

 諏訪は頬を軽くひくつかせた。

 ――おいおい、10日前より、この兄妹いちゃいちゃしてんじゃねえか。一体、駆け落ち先で何があったんだ。そうじゃねえ、今重要なのは八宮さんが何故このタイミングで現れたかだ。それに結局どこへ行ったか聞けてねえ。

「八宮さん――」

「諏訪さん! もう、時間がない。僕はそのパンツァーファウストって言うのかな? つまり、対戦車砲みたいなトリガーの量産に成功したんだ。それを基地にいる予備役に届けなくちゃいけない。まだ、あのでっかい奴が――――ああ、間に合わなかったか」

 岬の視線の先――西の空の溶けるような夕焼けの中に、10を超える黒球が現れていた。膨張を終えた黒球が収束すると、旅客機ほどもあろうかという白い塊が風を切って飛んでいく。向かう先には人々の生活の光があった。(かげり)に包まれた計画区域内とは全くの逆の明るさに人々の息づかいを感じる。だがこのままでは、遠からぬ内にそこも火の海に包まれるかもしれない。

 八宮兄妹は目を伏せており、諏訪はあんぐりと口を空けていた。

「でも八宮さん。迅の野郎が市民に被害はないって」

「そうか……」兄は口元に手をあてながら頷いた。「でも予知が、僕の行動を織り込んでのものかもしれない。最善を尽くさないと。向こうには僕の母校もあるし、これから凪が通う大学もある。時間がないから、もう消えるね。ここはお願いします、諏訪さん。――凪、跳ぶよ」

「行きましょう、兄さん。――諏訪さん、今度面子にいれてくださいね」

 八宮妹がニコリと微笑む、次の瞬間、諏訪の眼前から2つの白衣が消えた。

 諏訪はしばし呆然としていたが、

「諏訪さん、一転攻勢にうつりますよ」

 堤の声が自分の成すべき仕事を思いださせてくれた。

「ああ、その通りだ。人質はいねえし、上空の脅威も去った。憂いは何一つねえ。あの人型モドキに風穴を空けんぞ!」

「了解っ!」

 素晴らしい勢いで4つの散弾銃が火を噴いた。

 

  ◇ ◇ ◇

 

 以前の≪アフトクラトル≫大規模侵攻よりも忙しいじゃない。近界民はいつから電子戦をやるようになったのよ!

 危うくぼやきそうになった口をつぐみ、沢村響子はコンソールを叩いた。大忙しだった。

 2機の『イルガー』が市街地上空で、まるでこいつらの命を握っているんだぞと言っているみたいに旋回飛行を行い、人型トリオン兵は人質を使い出し、基地の内部に4人の人型近界民と複数のトリオン兵の侵入を許してしまい、おまけに隊員との通信状況は最悪ときている。事態は悪い方向に錯綜していた。

 かのマーフィーが言ったように、厄介なことは決まってまとめて降りかかるからこそ厄介なのだ。

 作戦室本部は怒声と指令と諸々を伝える電子が飛び交っている。てんてこ舞いだった。

 せめて作戦室本部としての役目をはたすべく、通信の回復だけでも行わなければならない。沢村は決意し、電波帯を変更してみたのだが、敵は用意周到だった。携帯や無線でよく用いられる超短波、短波、中波の帯域は全て満員だった。おそらく高高度の『イルガー』が電子戦機の役割を果たしているのだろう。対空砲で撃ち落とせと命じてみたが、砲手は「射角が80度より上がらない」と答えた。このポンコツ! と沢村はデスクを叩く。振動で緊急時災害対策用ラジオが床に落ち、彼女はピンと閃いた。

 ――こうなったら奥の手だわ。アマチュア無線やひと昔前のラジオによく用いられていた長波を試してみましょう。幸い本部の発信機はフレキシブルで強力だ。いけるかもしれない。

 が、これもダメ。分厚い仕様書を目の前にして沢村は前のめりにうなだれる。長波を送信できても、隊員が持つ受信機の規格は対応外だったのだ。

 八方ふさがりだと観念し、思わず天井を仰ぎ見る。

 疲れた目に、真新しい修理の痕が映った。

 惨劇からまだ一月しか経ってない。

 忘れられるはずがなかった。一生の心の傷かもしれない。

 胸の奥から熱いものが沸き上がってくる。

 ――くそっ……。諦めるな、私。前回エンジニアの方々を死なせたのは誰だ! 本部がもっとしっかりしていれば防ぐことができたのに、絶対に防がなくちゃいけなかったのに。決して忘れるな。機材を守るため、必死に立ち向かった男の背中を。彼の家族の涙を。

 熱くなった目頭を拭い、沢村響子は立ち上がる。

「これからHQ(前線基地) を立ち上げます。電波妨害帯域を抜け出して、そこから各隊員の支援を行う。生駒隊と戦闘経験のあるオペレータを連れていきます」

「いかん」鬼怒田がぴしゃりと言った。「本部はどうなる。中では通信が繋がるんじゃろ」

「ですがこのままじゃイルガーが市街地に――」

「何のために市街地防衛に迅や太刀川を出したと思っとる。迅も市民に死傷者はないと言うとる」

「でも」食い下がるように沢村は言う。「三叉路の防衛が劣勢で」

「ならなおのこと内部に力を入れねばならん」

 沢村を切り札を切った。「今、指揮権は私にあるんです!」

 威勢のよい沢村とは対照的に鬼怒田は声のトーンを一段下げる。

「忍田ならどうするかよく考えてみろ」

 その言葉が沢村をはっとさせた。一度深呼吸。口元に手を当て思案する。

 ――忍田さんならどうする? 私ならこの分からず屋のじじいを叩いてからHQを立ち上げる。でも、忍田さんなら……。予備役を伝令に出すだろうか。でもそれで間に合うだろうか。本部の守りが手薄になってしまうけど大丈夫だろうか。それとも、市街地に散った部隊が西の『イルガー』11機を倒してくれることを期待するべきだろうか。もしくは、私自身がはせ参じたらどうだろう。ところで遠征艇は無事なのだろうか。ああ、一体どう()()をすればいいのだろう、教えてください忍田さん。助けてください忍田さん。

 そう――彼女は今、()()を執る立場にあった。本部長補佐が一時的に繰り上がり、時限的な範囲において、彼女に指揮権がある。

 慣れていないため、考えがまとまるはずもない。では何故、彼女に大役が任せられているのだろうか。

 それというのも、原因は本部に襲来した5機の『イルガー』にあった。『イルガー』の入射角が巧妙で基地の対空砲は推進剤を積んだ筒以上のものではなかった。誤射をすると隊員に当たりかねず、ましてや等速直線運動に近い軌道を描くトリオン製の弾丸では、市街地に直撃する恐れすらあった。もとよりこの距離では、全門斉射しても一機落とすのがやっとだろう。

『沢村君、一時的に指揮権を渡す。私が出てくる』

 基地を守るため、忍田本部長自ら打って出ることは無理からぬ話であった。

 レーダを見る限り、本部長が2機落としたことは間違いない。以前太刀川は空中で『イルガー』を一機落としたが、その師匠は一振りで二倍を真っ二つにしたのだ。

 ――では、あとの3機は? レーダにイルガーの反応はない。いくら本部長でも5機同時は難しいだろう。でも、忍田さんならやってくれそうな気もする。

 不慣れな指揮と、忍田本部長への憧れが、沢村の判断を20秒弱遅れさせていた。

 モニタを注視すれば、見覚えのある識別信号がある。それも2つ。

 クリック。

 データベースと照合。

 該当一件――――八宮隊。

 突然現れた2人と、爆散した3機の『イルガー』。2つの符号が意味するところは……。

 これは嬉しい増援だわ、と沢村が前向きに理解したころ、作戦室総本部の扉が勢いよく開いた。

 噂をすれば影が差す。八宮兄妹が自分めがけて走って来た。

 鬼怒田、根付、冬島の視線が一点に集まる中、八宮兄が口を開く。最初は言葉にならなかった。彼は肩で息をついている。ここまで走ってきてくれたらしい。

「こ、これ使ってください」八宮兄の手のひらには1平方センチほどのチップがあった。「対大型トリオン兵の弾頭です。威力はさっき見せた通りです。トリガーチップが10枚あります。これを予備役に配って、いや、集めた方が早いかもしれません。街を守ってください、お願いします。あっちには僕たちの家があるから」

「随分長い休暇だったみたいね、八宮君。今日は打刻(タイムカード)をしなくて大丈夫よ。詳しいことは後で訊くとして、とにかく、『イルガー』を倒したのは八宮君達なのね」

 沢村は一番に訊きたいことを最後に訊いた。兄妹2人が頷くのを見て、岬の手からチップを受け取る。

「ありがとう。これで何とかなりそう。今すぐ生駒隊以下、3部隊を招集するわ」

 そうと決まれば沢村の行動は迅速かつ的確だった。

 ヘッドセットのスイッチをパチリと基地内回線に切り替える。

 事情を予備役に伝え、確認のため復唱、最後に

「一分以内に来てちょうだい!」

 と沢村が叫んだのほとんどの同時だった。

「何だって、特赦(とくしゃ)だと!?」

 鬼怒田が声を上げた。彼は目を怒らせて続ける。「お前、自分の立場がわかってものを言ってるのか!?」

 予備役との通信に集中していた沢村は何が起こっているのか分からなかった。何故、鬼怒田室長は眉を吊り上げて怒鳴っているのだろう。

「分かっています」八宮兄が静かに頷いた。「有給届が間に合わなかったせいで無断欠勤が1日、それと7日分の有給休暇の使用です。電子的に提出してありますよね。これ総務課の了書です」

 岬は鬼怒田に個人端末を向けた。沢村の角度からは見えないが、おそらくそこに有給届があるのだろう。彼だって勤続6か月以上だ。バイトでも有給がとれるこのご時世。24時間働く八宮君には、十分それを受け取る資格があるように思える。何故鬼怒田が岬を厳しく問い詰めるのか、見当がつかない。

 理由を訊こうと思ったが、代わりに岬が自分の思うところを代弁してくれた。

「これって何か問題がありますか? 鬼怒田さん」

「そういう問題じゃないわい。トリガー技術を持って逃亡したのがいけないんじゃわい」

「逃亡じゃないです。旅行です。有給です。兄妹水入らずです。ほら、凪がせっかく高校を卒業するんだから、旅行の一つくらい行きたいじゃないですか。――それで、どうして僕達2人が旅行しようという時に追いかけられたんでしたっけ? 精鋭を3部隊もけしかけてですよ、鬼怒田さん? 捕まれば記憶凍結でした」

 ――八宮君がボーダーの精鋭に追われていただって!? そんなこと初耳だわ。記憶凍結だなんて穏やかじゃないわね。一体どうして。そもそも彼は今までどこに?

 沢村は議論している岬と鬼怒田に視線を向けた。横に座っている冬島も、ギョッと驚きをたたえた表情でそちらを見ている。 

 言いづらそうに鬼怒田が言った。「向こう側に行こうとしたからだろう」

「そうです。で、それのどこに不都合があるっていうんですか? 沖縄やスペインに行くのとそう変わらないじゃないですか」

「防衛上の問題があるわい」

「いつから一企業が個人の休日に干渉できるようになったんですか?」岬はわざとらしく肩をすくめた。「それも逆らえば記憶凍結で脅すって、戦時中じゃあるまいし」

「現にこうなっとるわい。見てわからんのか」

「僕と凪が旅行に行ったのと今回の侵攻に因果関係があるんですか? 星の廻りあわせの問題でしょう。ずっと前から、それこそ地球ができたころから今日の境界接触は決まっていたはず――」

「そういう問題じゃないわい。先の大規模侵攻の際、C級に緊急脱出装置がないと知られていたことが、どれほど多くの被害をもたらしたか忘れたとは言わせんぞ」

「僕がボーダーの機密情報を漏らすってわけですか。やってないことの証明はすべからく難しいのですが、それは信じてもらうしかありません」

 勝ち誇ったように、鬼怒田はフンと鼻を鳴らした。「ほれ見ろ。信用に値せん」

「そう判断されるのなら仕方がありません。ですが、さっき僕がやったことを思い出してください」八宮は言葉を区切り、辺りを見回し、沢村の手元で視線を止めた。「沢村さんが持ってるものは何? ……どうですか、僕はあなた達が心配していたことと全く反対の成果をもたらします。――沢村さん、お願いできますか? サブスクリーンに基地へ侵入した近界民を映してください」

(……これは、八宮君の方に理があるんじゃないの? 逆の成果ってことは、こちらが向こう側の情報を得ることができるってことよね。イルガーだって倒してくれたし、トリガーチップももらっちゃたし。少なくとも、現時点においては開発室室長よりも、岬くんの方がよっぽど役に立つ気がする)

 そう思い始めた沢村は、注文通りにキーをタッチした。

 数秒も経たず、サブスクリーンにハンガーの様子が映る。

 激戦の痕が刻まれていた。

 壁のいたる所に銃痕があり、キャットウォークは切断しつくされ、ばらばらに千切れている。鬼怒田が壁面装甲を強化したと言っていたが、ボーダーと侵入者双方の火力が想定よりも幾分高いらしい。

 はたして戦況はどうなのだろう。沢村見極(みきわ)めにかかった。

 おそらく、ボーダーは劣勢だった。

 最優先防衛対象である遠征艇を守る隔壁はすっかり瓦礫と化しており、今は防御能力に優れる片桐隊が守っているのだがそれも時間の問題に思えてしまう。遠征艇はデリケートな機械の集合だ。流れ弾一発でどうなるか分からない。エンジン等の複雑な部品が壊れてしまったら、修理や取り換えに1年近く必要となるだろう。ボーダーの遠征艇は一点ものであり、部品の予備はあったりなかったりだ。もし予備がなければ、ラインを再稼働する羽目になり、部品の部品から作り直さねばならない。

 システム工学(機能が異なる複数の要素が密接に関係しあうことで、全体として機能を発揮する集合体) の難解さを知っている鬼怒田は気が気でない様子だった。もちろん、そこまで機械に詳しくない沢村もハラハラせずにはいられない。跳弾があわやぶつかりそうになり、キャッと悲鳴を漏らした。

 その悲鳴をいくつも上げねばならないほど、ハンガーは混戦の様相を呈している。

 第一に、ハンガーは狭かった。

 ハンドボールのコートを正方形に整形し直したくらいの空間。その中に4人もの近界民――それと多数の四脚トリオン兵――が獲物を振るっている。彼らの武器は見たこともない形状だった。玄界とは異なった歴史を歩み、異なった戦争を経験をしてきた近界である。武器の発展体系が異なることは容易に想像つく。ボーダー創設時からのメンバである沢村も向こうの技術の異端さは身に染みている。

 が、それらはあまりに異様だった。

 背中から蜘蛛の足の如き剣を生やすもの、空中をUFOのように動くチャクラムを操るもの、自らの分身を無数に扱うもの、宙を這う黒い流体を駆るもの。連携行動を行う四脚のトリオン兵。

 未知の武器であり、正体不明の兵器であった。

 彼らに連携を取られたのであれば、局地的防衛戦の主力も苦戦は免れない。風間隊、加古隊、片桐隊、鈴鳴第一の村上鋼らの腕や足は千切れていたり、捥げていたりだった。既に菊地原はいなくなっており、歌川は両足がない。

「あれっ!? 向こうはカメレオンが見えているようですね」沢村が言った。

「おい、八宮ッ! これはお前の差し金だな」鬼怒田が怒鳴る。

「馬鹿なこと言わないでください。投影型迷彩なんてちょっと準備すれば誰にだって見破れます。僕が追われた時もそうでしたし、アフトクラトルもその技術を使っていましたし。言わせてもらいますけど、向こうの味方をするのなら、今この場でみんなをけちょんけちょんにしています。それにイルガーだって知らんぷりしましたし、人質の欺瞞だって見て見ぬふりを決め込むにきまっている」

「そいつは確かにそうだな」冬島が頷いた。「この場で八宮兄妹を敵に回すのは勘弁願いたい」

「だらかですね、僕が言いたいのはこういうことです。――ボーダーが凪に絶対手を出さない、僕に記憶凍結しない、この2点を約束してくれれば、あいつら全員を4分でぶった押すことができる。

 どうですか、悪くない取引でしょう。鬼怒田さんならよく分かっていると思いますが、向こうの技術は凄いですよ。僕の直属の上司は鬼怒田さんです。どうかご容赦を」

 岬は90度、深々と頭を下げた。

 鬼怒田は何も言わなかったが、岬は凍ったように頭を下げたまま。

 沢村の、冬島の、根付の、ついでに凪の、全員の視線が鬼怒田に集中した。特に根付は首を縦に振ってくれと願っているようだった。もし遠征艇を修理することになったら、その莫大な費用の事務監査を誤魔化せる自信がない。私たちが提供した資金をどうして無駄遣いするんだ!! 足元に侵入を許す組織に信用なんておけるか!! クレームを想像するだけで、キリキリと胃が痛み、今から胃薬を用意しようとさえ思っていたのだ。

「わかった」渋々といった様子で鬼怒田は頷いた。

 だが、それは周りの空気を察してものではない。沢村はどことなくそう感じていた。鬼怒田の口調と眼差しがそうさせたに違いない。

「4分で倒してみろ。あの船は技術者みんなの子供だ。お前も散々整備してきだろう。守ってやってくれ。またこきつかってやるわい」

「了解しました、室長」岬は頭を上げ、鬼怒田に向き直る。「その言葉忘れないでください。4分きっかりで倒します」

「して、方法はどうするんだ」

「端的に言って強制送還。では、急ぎますので――」

 

 警報が鳴ったのはその時だった。

 沢村は、未識別のトリオン反応を5つ捉えた。

 出現場所は三雲隊の作戦室。




サイコパスかよこいつ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

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