トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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SFチックに行きましょう。では、キオン編最後の話です。


20 旅立。黒い世界にて

「なんだろう、プレハブ小屋をくっつけた感じだね、クーちゃん」

「ご主人、ちょっとそれは失礼。でも、まあ、言ってしまえばそうかも」

 ≪キオン≫遠征艇を一目見るなり、岬とsAI(補助人工知能) はこう言っていた。

 2連結された黒光りするプレハブ小屋。これが端的な第一印象である。

 2連結というのは航法機関モジュールと居住モジュールをブロックみたいにくっつけたものだ。大規模な遠征では、砲台モジュールやトリオン兵製造モジュール、捕虜収容モジュール、娯楽・遊戯モジュール等が追加されるようになり、総計30モジュールに届くことも珍しくない。

 今回の遠征は最小限の2モジュールで構成されており、強襲ではなく偵察任務かと疑いたくなってしまう。

 これには理由があった。重すぎると長い距離を航海できないのだ。玄界の宇宙ロケットはペイロードが1キロ増えると、切り離し用ブースタの一段目と二段目に雪ダルマ式に負担がかかってしまい、全体だと70キロも重くなる。質量が増えればそれだけ燃料が要るようになり、燃料が増えれば質量が増える。これが雪だるま式の罠であり、――暗黒の海を渡る遠征艇もこれと同様の問題を抱えていた。

 それ故、長距離を航海するためには必然的にモジュールを切りつめるしかなくなる。

 重いものを動かすには大きな力がいる。物理法則はここでも容赦がなかった。

 遠征艇の底部からは、対地衝撃緩衝に用いられる蛇腹(じゃばら)のような脚が六基生えていた。上部には各種観測装置のためのレーダ。その隣のパラボラは通信用の高利得アンテナと低利得アンテナを兼ねている。船尾にはパルス型(原理は非常に単純で給湯器にも使われている) の推進器が装備されており、現在、稼働テストのためボッボッボッと小刻みに爆発を起こしていた。

 

 ‟機械の前に座ってボタンを押して、通信に答えるだけのサルでもできる簡単な仕事”

 某SF作家によれば、宇宙飛行士の仕事はこのように要約できる。

 航法席に座っている岬もまさにこの状況であった。

 火工品関係の危険なスイッチ類の位置を確認し、電源系のマスタースイッチを入れる。

 空調装置ON。室内灯ON。航法コンピュータON。

『ご主人、みんな居室棟に入ったから閉めるよ』キオン管制塔に残されたsAIの片割れが確認を入れた。

 ギガヘルツ帯の短波で、≪キオン≫管制棟とはラインが確立している。

「うん、閉めて大丈夫」

 油圧で扉が動き、ガチリとラッチの噛み合う音。エアロックのハッチが閉まったのだ。これにより居室棟を含め、完全に外界と隔絶されたことになる。以降、岬の腕と航法コンピュータだけが船の命運を左右する。

 既に、遠征は始まっているのだ。

 手に伝わる汗がじとついているのを岬は感じていた。

 本当に出航できるのだろうか、と不安が(よぎ)る。

 玄界の宇宙飛行士は一回の飛行に一年の訓練が必要とされるにもかかわらず、こちらの航法訓練は4日という少ない期間だった。それでも、両手は淀みなく動いてくれた。チェックリストに従って、発進の準備が進んでいく。

 玄界の遠征艇とさほどインターフェイスが変わらないおかげだろう。遅滞はなかった。

 通信機のスイッチを入れ、船名を告げる。

「こちらアルフェッカ、管制室どうぞ」

『こちら管制室、感度良好だよご主人』

『八宮、もう言うことはあまりない。最適の仕事を』

 sAIの合成音声と遠征戦略部の男の引き締まった声が返ってきた。

「尽力してくる。こっちも感度は良好。船内時計は27:32――47、48秒」

『時刻確認、異常ないね。プリランチ・チェックを始めるよご主人』

「OK。お願い」

『1、火工品セイフティ・ピン』

「ロック」

『2、姿勢制御ハンドル』

「ロック」

『3、アボート・ハンドル』

「ロック」

 こんなチェックがこれからえんえんと繰り返されるのであった。その数、243。神経質なことに右に出るものがないことで有名なNASAならば、チェックリストは4桁に達するだろう。それに比べ、≪キオン≫は大らかな国民性であった。

 並行して、曲率変動用縮退炉のチェックも進む。双方及び周辺施設のすべてに問題がなければ、遠征艇は28:00ジャストに空間跳躍を開始する。

 

 Tマイナス一分。

 曲率変動用縮退炉により同位相に極限まで詰め込まれたエネルギィが臨界点に達しようとしていた。五次元目の座標である時空曲率が歪みだし、空間と空間が擬球面(時空の(ひずみ)であり、漏斗の先っぽのような部分) でのミッシングリンクを始める。

 ゴィゴィゴイゴィゴィという自然界には存在しえない不気味な音が鳴り、時空の歪みの象徴である黒い球体が姿を現した。重力レンズ効果により黒い球の外延部からは通常の角度では見えるべきでない光景が映し出されており、ぐらぐらと空間ごと世界が揺れている。

 当然、船内もただでは済まない。ゴィゴィゴィゴィと不規則な振動を繰り返し、居室棟の5人はハーネスに締め付けられた。きつい縦揺れ、躰に今まで経験したことのないGがかかる。大気圏突入――つまり、大気の壁との衝突――の際におとずれるマックスQと似ているかもしれない。だがトリオン体のおかげで、痛みがないのが幸いであった。

 航法席に座る岬も揺れに耐えながら、重くなった躰を懸命に動かしていた。sAIの指示を頼りにコンソールを操作する。

『231、船内及び、周辺施設の異常トリオン反応チェック』

「観測器に異常トリオン反応なし」

『232、内部電力に切り替え。居室棟内の電圧チェック』

「電圧、異常なし。メインコンピュータ、循環系、エアコン、冷蔵庫、共に快調。」

 Tマイナス20秒。

『243、パルス炉ブースター、APUスタート』

「APUスタート確認。作動音も聞こえる」

 Tマイナス16秒。

『岬君! エルエルを頼んだぞ! 挙式の準備をして待っているからな!! 』

「国王陛下までお見送りに来てくださったのですか、ありがとうございます。約束通りエルを必ず助けますよ。その時は、そちらも契約の履行をお願いします」

『ご主人、あとは玄界への一本道だから後戻りはできないよ、頑張ってきてね。それと、そっちの僕もしっかりね』

「任されたよ」sAIにsAIが答えた。「同じ僕なんだから信用してもいいと思う。向こうの僕にもよろしく言っておくからね」

『ところで岬君? エルエルを知らないか。今、城の兵士が総出で探しているんだが、部屋にも図書室にもいないらしい。ひょっとしたら岬君のところにいるやましれないと思ったのだが』

「えっ!? エルがい――」

『ご主人! もうカウントダウンが始まるよ。ドローン使って探すから、ご主人はそっちに集中して』

 sAIにそう促されるも、岬は頭を抱えたくて仕方がなかった。

 ――エルがいないだって!? しかも、こっちにいるかもしれないだって!? エルが僕の事情を斟酌してくれたことなんて、一度だってないんだ。

 嫌な予感が襲った。

 そして、悪い想像が脳裏を過る。

 国王はそれだけは言ってくれるなということを言ったのだ。

 Gに耐えながら頭を抱えた。

 それでも、計器類が安心を与えてくれた。船内のトリオン反応は自分を含めて6つ。船内熱観測も異常はない。気が遠くなるほど、確認を繰り返したのだ、今さら不備なんてあるはずがない。

 ≪キオン≫に戻ったら、エルに土産話の一つでも聞かせてやろう。いや、実際にお土産を買うのが良さそうだ。やはり、玄界といったら蕎麦か寿司か天ぷらだろうか、そうじゃないな、日持ちしないからマンガとかゲームの方がいいだろう。エルもそっちのほうが喜びそうだ。

 岬は楽観的に捉えることにした。そうした方が精神の安定によかった。よくよく考えてみれば、こんな狭い船内にもう一人増える余裕なんてあるはずがないのだ。

 杞憂に決まっている。

 すぐにカウントダウンが始まった。

『ご主人、Tマイナス10-9-8-7――曲率安定――4-3-2-1、パルスエンジン点火』

 イベントタイマーの表示がプラスになる。

 その途端、どん! とつきあげるような振動があり、機体がゆらりと揺れた。

 

 定刻通り、玄界へ向けて、遠征艇は1番ドッグから発進した。

 1分ほどで船体が安定し、不快な揺れが収まった。

 航法制御をコンピュータに任せ、岬は居室棟――6人が共同生活することになっているが、パーソナルスペースは一人頭一畳くらいしかない――へと向かう。

 ドアを開けると、彼らは思い思いに過ごしていた。

 スノリアの自警団の面々は初めての星外旅行(遠征) ということもあり、修学旅行の高校生みたいだった。サエグサは妹へのお土産は何がいいかと呟き、クラウダはボーダーのランク戦の映像を見ながら――早くその大剣に血を吸わせたいのだろう――武器の手入れに余念がない。サシャは凪から貰ったらしいデジタルカメラを片手に、うきうきと動作確認をしている。ノルンはボーダーのランク戦の様子を熱心に見ていた。……このメガネは反応が鈍い、……白髪のちびはなかなか、……おかっぱの女の子のシールドは破れるだろうか、等と呟いている。

 ところで凪はというと、船外の様子を映すスクリーンに見とれていた。呼吸も忘れて、世界の神秘に浸っている。

 そこは薄墨で塗りつぶしたような真っ黒な空間が、どこまでもどこまでも広がっていた。

 夜よりも深い黒。

 けれど決して虚しさを与える色ではなかった。

 スクリーンの端には周回軌道を描く惑星国家が映っている。この白さは≪キオン≫だろうか、既にビー玉のように小さくなっていた。暗黒の中に浮かぶ白い軌跡は、子供の頃に田舎で見た蛍のように美しい。

 エーテルの風に乗り、時空を超えて船は行く。

 空間を一つ飛び越えた先の真っ暗な世界。

 玄界からは光学観測でも熱観測でもレーダ観測でも見えない場所に自分はいるのだ。

 これって奇跡以外の何物でもない。

「兄さん、これすごいですよ。向こう側がこんなに綺麗だったなんて、私知りませんでした」

 岬も景色に息をのんでいた。

「遠征艇で旅するのも面白そうだね」

「こういうのもいいですよね、何だか逃避行みたいでロマンチックじゃないですか」

「先立つものがいるだろうから、この景色の写真集を作ってみようか、売れるかも」

「何で急にリアルの話をするんですか……。兄さんは相変わらずデリカシーないですね」

 凪はぷいっと頬を膨らませ、そっぽを向いた。

「ご主人ちょっといい」ヘッドセットからsAIの声。「変なんだよ。予想よりほんの少しだけど、加速が鈍い」

「出力が落ちてるのかな? 」

「そっちは正常だけど」

「ということは、どこかに余剰な荷物があるのかも。質量は分かる? 」

「うん。概算だけど、42キロ増えてる」

「凪よりも少し重いくらいか――」

 岬がそう言うや否や、バン! と何かが外れような音がした。

 反射的に首を回すと、栗色の髪が跳ね馬のように騒いでいる。傍らには役目を果たすことができなくなった冷蔵庫の扉が伏していた。

「ミサキ! レディに対して重いなんて失礼じゃありませんか! 」

 眩しい黄色のドレスには少しの霜がついていて、鼻水が少し凍っている。自分の目標のためには、なりふり構わない王女さまがその本領を発揮していたのだ。

 どうやら寒さに耐えかねたようで、彼女はロケットのような勢いで目の前の白衣に跳びつこうと足を踏みしめた。

 ――避けてもいい、けれど当たり所が悪かったら計器類がおしゃかだ……。

 岬は覚悟して受け止めた。胸の当たりに鼻水というべきか、鼻氷というべきか、判断に困るものが付着する。

 でも、不快ではなかった。それよりも、氷のように冷え切ったエルフェールが心配ですらある。人間は体温が32度になれば意識が朦朧とするらしく、30度を下回れば死に至るという。エルフェールの温度は乏しく、危険な状態にあると推察された。

 事態は一刻を争うかもしれない。

「エルッ! ねえ大丈夫!? それと、どうしてここに。こんなに冷たくなって」

 居室棟の6人を代表しての質問だった。

「ミサキ、理由はしっかり話すので、今は少しだけ温めてください。へっくち! 」

「兄さん、見てるだけでこっちが寒いので、温めてやったらどうですか」

「僕じゃできないからね、ご主人に任せるよ」船内スピーカでsAIが言った。「そうだ、スノリアのみんなに変わってもらえば? 」

 少しの嫉妬が見え隠れするsAIの提案に対して、王女に触れるなんて恐れ多いと首を振る自警団の面々。意外と小市民的だった。

 

 そういうわけで、岬とエルフェールはしばらく抱き合うことになった。

 少しでも暖かい方が良いだろうと、計器や機器の稼働熱がある航法室に移る。

 立ったまま、お互いの背中に手を回した。

 互いの吐息すら感じる距離。

「ミサキ、こういう時は裸で温め合うのが定番ですよ、知ってましたか」

「思ったんだけど、トリオン体になったらどう? 」岬はエルフェールの提案を右から左に流した。

「それは問題の先送りです! 痛みや寒気が収まるとはいえ、一時的なものですよ。こんな凍えたままの躰が放置されたら、いくら代謝が止まるとはいっても、躰が先に死んで戻るところがなくなってしまいます。――そうです。だから、可及的速やかに温めるために、やはり裸で温めあうべきですよ」

「そっちの方が効率いいらしいんだよね。でもできないよ、みんながいるし」

「それでも、ミサキがいいなら私はいいですよ。少しくらい恥ずかしくても気にしません。だって、すごく嬉しかったんです。ミサキが、私のために玄界に行ってくれることを知って……。ミサキ少し聞いてくださ――へっくち! 」

 鼻をすすりながら、エルフェールはとつとつと話し出した。まるで告白するみたいに、チラチラと岬の顔を見ながら。デートの時、決まって腕時計を盗み見るのだが、それと似ている。

「私、子供のころからずっと、20歳に届かない命だと思っていたんですよ……。お母様も10に満たない私に、トリガーになるのがみんなためだって繰り返し言いつけたんです。次第に私もそう思うようになって、高等教育を受けるようになった頃は、早いか遅いかの違いだって考えていました。短い命を理由にたくさんのわがままを通すことができて、むしろお得だとさえ感じていたんです。

 でも、今年になって急に怖くなってしまったんです、死んでしまうのが。だって、1年しかないんですよ。砂時計みたいに減っていくんです、私の時間が。それで1日1日を大事にしようと思って、トリガーにされるまであと180日、あと179日、178日、177日って日めくりカレンダーを作りました。でも、これは逆効果でしたね……。どんどん気が滅入りました。それでも、王族以外に私が雛鳥って知られるわけにもいきませんから、空元気でも明るく振る舞っていたんです。心と顔の表情がばらばらになるのも慣れてしまいました……。お母様なんて、こんな私をまだ利用しようと政略結婚を推し進めるんですよ。でも、それだけは許せなかったんです。女の子ですから」

「それが出会ったきっかけ? 」

「そうかもしれませんね、ミサキ。ちょっと投げやりだったかもしれません。その時の私は、いつ死んでもいいやってこれまで以上にお転婆になろうとしていました。どうせ短い命なんです、歩けよ乙女! 恋せよ乙女ってやつですね!

 だから、たくさんの縁談をドタキャンしてやりました。

 で、ミサキと出会ったあの時も、リオンと縁談があったんです。まあ、それもぶっちしましたけどね。

 雪がちらちらと降る日でしたね、昨日のことのように覚えていますよ。

 馬車でぶらぶらしていたら背格好のよい異国の青年がやってきたんです。しかも出会ったその日に私をお姫様抱っこで助けてくれるじゃありませんか。悪漢の凶刃から身を挺して庇ってくれましたね。あの時は本当に恰好(かっこう)よかったです。べたな言い方ですけど、白馬の王子さまってやつですね。いや、白衣の王子さまでしょうか。

 ミサキと出会ってからは本当に楽しかったです。恋をするっていいものですね。夜遅くまで一緒にお喋りをしたり、玄界のことを教えてもらったり、一緒にくるくると踊ったり、お父様に報告したり、模擬戦をしたり、デートをしたり……

 でも、やっぱり、死ぬのがとても惜しくなってしまったんです。逃げ出したいくらいに……。どうしてこんなタイミングで会ってしまったのだろうって、枕を濡らしまたよ。もっとミサキが早く来てくれればよかったのに……、私が金の雛鳥じゃなければよかったのに……、なんて意味のない空想もしました。その空想はどんどん広がって、玄界で2人で暮らしたらどうなるんだろう、子供の名前は何にしようか、玄界風にしようかキオン風にしようかって妄想の中の岬と悩みました。まあ、夢が覚めて日めくりカレンダーをめくれば、虚しさが一層押し寄せてきたんですけどね。

 だから、本当に嬉しかったんです。ミサキが私のために玄界に行ってくれるって知ったとき。自分の命が伸びるかもしれないって。ずっとミサキと一緒にいられるかもしれない、ずっとずっと一緒に楽しいことができるかもしれないって、夢に描いたことが本当になるかもしれないって、もう感情があふれて泣いちゃうかと思いました」

「エル……。大丈夫、楽しいことはこの先も続いていくから、来年も再来年もずっと」

 岬は、気づけばエルフェールの背中に回す手が強くなっていた。

 強く抱き返される。

 それで、ぶるぶると震えているのがわかった。

 少しずつ、少しずつ、ちょっぴり冷えた体温が伝わってくる。

 髪が優しく撫でられて、そして、撫でかえす。躰よりも幾分冷えている。

 何か話すことを考えたけれど、思いつかなかった。

「ああ、なんだか、懐かしい。ずっと一人きりだったから、こんな、人の温もりなんて、忘れていました。ごめんなさい、ミサキはこういうの嫌ですか」

「いや」

「じゃあ、もう少しだけ、こうしててもいいですか? 」

「うん、体温を分けてあげる」

 エルフェールは強く抱いた。子供のように。

「こうしているだけで、とても……」エルの声と息が、耳元で触れる。「嬉しいです。ねえ、ミサキ、子供のときを、思い出しませんか?」

 エルは本当に嬉しそうだった。躰を通して、彼女が小さく震えているのがわかった。

「そうかも、懐かしいね。なんだろう、今のエル、大人しい」

「そうかもしれませんね。ミサキと一緒にいるととても安心できるんです。

 ねえ、ミサキ。……私の全てをあげます。貰ってください。

 だって、もしこれから私の命が続くようでしたら、それはミサキのおかげなんですから。ちょっと早く払っても問題ありませんよね。まあ、既に一度助けて貰っているんですけど」

「エルのお父さんが許せばね」

「なら大丈夫ですよ。大船に乗った気分です! 叩く必要のない石橋ですよ! 」

「わかんないよ、『お前なんかにエルエルはやれるか!! 』って絶対言うから」

「ふふふ、ミサキは物まねが上手ですね!」

「ほら、もう温まったでしょ」

「ハイッ! 心もぽかぽかという感じでしょうか。来年も再来年もですよ! 」

 元気な声が耳元で響いた。

 うるさいというよりも、安心だった。

 体温を分けたにも関わらず、躰は、不思議なほど熱を持っていた。

 

 もともとの定員が6名のところ、7名になってしまったのは大きすぎる誤算だった。ペイロードと航続距離は比例のような関係にあるため、荷物がどんどん船外遺棄されていく。無重量状態でも質量は変わらず影響するため、少しでも軽くした方が燃料が浮くのだ。

 復路の食糧や水分も、玄界で補充すればよいということになり、その全てが捨てられた。捨てる前に腹に納めてやる! とクラウダが騒いだけれど、サエグサの拳骨を食わされて伸びていた。これで酸素も浮く計算になった。

 循環系や予備電源系等の複式、複々式のモジュールも取り外された。それは、何物にも()(がた)い安全係数の低下を意味している。仕方がない、たどり着かねば意味がないのだ。岬はこれまで以上に計器の示す(あたい)に注意することを決めた。

 それでも航続距離は足りず、ボイジャーよろしく惑星国家の重力を利用してのスイングバイで距離を稼ぐことになった。

 無駄な計算が増えたとsAIは愚痴をこぼした。

 数々の悩ましい試行錯誤の原因であるエルフェールは、凪によって岬から引っぺがされていた。愛し合う二人を無理やり引き離すなんてこの鬼ッ! とエルフェールが叫び、こっちの台詞ですと凪が叫び返す。

 居室棟は荒れていた。

 少しでも空気を落ち着けるべく、居室棟全員の注目のもと、岬は話を切り出した。

「でさ、思ったんだけど、何でエルはわざわざここに来たの。待っててくれればよかったのに」

「それは決まってます! ミサキと一緒にいたいからですよ。でも、もう一つ理由があります」

 エルフェールはいつになく真剣な表情で、トーンを一段落として言う。

「だって、卑怯じゃないですか。待っているだけで助かるなんて。そりゃ、私だって死にたくありませんよ。でも、私が死なないってことは、その千佳ちゃんが死ぬことになるんですよね。だったら、私は自分の命は自分で救いたいです。もちろん、ミサキには感謝してますよ。でも、それとこれとは別で、ある意味私のプライドの問題です。

 あとですね、……ミサキが直接さらうよりも、私がさらった方がミサキは悩まなくてよくなるじゃないですか。だって、ミサキが可愛そうです。同郷の人間の命と私の命を天秤にかけろだなんて。少しでも、私が負担しますよ。楽しいことと苦しいことを分け合うのが夫婦ですから、ねっミサキ! 」

 低いトーンで始めていたが最後にはいつも通り、跳ねるような声音になっている。彼女の腕はコアラの子供のように岬の腕に回されていた。

 ――まさかエルがこちらの心情を斟酌してくるなんて。

 岬は天地がひっくり返った思いだった。腕に回された腕も、腕にあたる胸の柔らかさも全く気にならない。それほどの衝撃だった。

「いいですか、エルフェールさん」

 岬の腕に回された腕を引っぺがして凪が言う。

「あなたと兄さんは断じて夫婦なんかじゃありませんし、私の兄さんはお婿になんていきません。それと残念でしたね、兄さんのファーストキスは私なんですよ。どうですか? 口惜(くや)しいですか。兄さんはもう中古なんですよ」

「勝ち誇ったように自分の兄を中古呼ばわりしないでよ……。それに、あれはノーカンだって」

「いいえ、気が変わりました。こんな奴にやるくらいなら、あれが、兄さんの初めてということにします」

「兄妹となんて不潔です! それじゃミサキがかわいそうじゃありませんか!」

「ご主人、王女とも妹とも身分の壁があるんだから、やっぱり僕でしょ。ねっ、その2人に比べれば種族の壁なんて関係ないよ、岬」

 やはり、遠征艇は荒れるのであった。

 この狭い居室棟で数日を過ごすことを思うと気が重くなってしまう。岬は居室棟でなく、航法室で生活しようかなと思案した。まさか、貞操の危機があるはずもないが、用心するに越したことはない。

 けれども、一番かわいそうなのは、スノリアの自警団一行かもしれないのだ。目と鼻の先でいちゃいちゃされたら(たま)ったものではない。ボーダーのランク戦をみたり、トランプやカタンで気を紛らわしたりしよう、と彼らは話し合っていた。

 夜になり一度(ひとたび)ゲームが始まれば、まず凪がそれに加わり、次いで岬が輪に入り、最後にエルフェールが乱入することは火を見るより明らかだった。遊びに対しての嗅覚は人一倍鋭い3人である。眠らずに夜は更け、カードとチップが舞い散った。

 遠征艇は騒がしくも荒れていく。

 

 

 

 もう、トリガは引かれたのだ。

 回り始めた歯車を止める術などない。

 ひらめきを乗せた船はエーテルの波を渡る。

 真っ黒な海だ。

 時々、白い光があるだけで、途方もなく黒い。

 混ざっても、いつまでも変わらない色。

 この船に乗るものは、大切な人のために世界だって超え、故郷さえも裏切ろうとしている。

 黒みたいだ。

 幾度の困難があろうとも、その色は混ざらずに、芯の通った決意のように色を変えない。

 

 しばらくは、くすみそうにない色だった。




ここまで読んでくださってありがとうございます。
一話からこここまで読んでくださっている方々には感謝の思いで一杯です。私からすればそれはもうファンです。ありがとうございます。
感想や評価、お気に入り、特にアドバイスが頂ければ望外の思いです。

岬君がぶれぶれなので書いている人は死ねばいいと思います。

今後の更新やヒロインについて気になる方、あるいは意見がある方は活動報告へいってどうぞ。

では、全ての因果が収束する第三部でお会いしましょう。皆様の感想や活動報告へのコメントも因果です。全ての因果であり、全てが因果です。

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