トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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『人に似て人に非ずなもの』というものは『人になれないモノの悲劇』みたいなのをテーマとして扱うことが多いですが。『人に近いけど人と違う』からこそ、人間という孤独な生物種の隣に立ってくれる『友』になれたりするのではないかなあ……などとよく思います。
――榊一郎


14 指切り・修羅場半歩前

 お姫様は上から降ってきた。

 灰色のトレンチコートをバサバサとはためかせて降ってきた。

 2階の兵士を置いてきぼりにして降ってきた。

 窓から顔を覗かせたベテランの兵士はしてやられたと頭を抱え、若い兵士は顔を青ざめさせる。

 お姫様はくるりと空中で一回転。

 降ってきたお姫様が華麗に四点着地。

「待ちましたか? ミサキ」けろりと言った。

「いや、全然待ってないよ。今きたところだけど……」目を点にして岬が答える。

 このお姫様は常日頃(つねひごろ)からこんな危険なことをくりかえしているんじゃないかと、城の兵士たちに同情の念を禁じえない岬であった。

 半ばあきれ気味の返答であったため、岬の声音はどこか呆然としていたが、それを聞くエルフェールの手には小さなガッツポーズがあった。

 ――そうです! このやり取りがやりたかったんです!! やはり、デートの待ち合わせはこうでないと!

「ヒロシゲ!! 行きますよ! 」

 エルフェールが元気よく叫ぶと、厩舎の方からパカラッパカラッと地を踏みしめる快音が聞こえてきた。赤外線で距離を計測しながら、ギャロップ走行するヒロシゲ。エルフェールとの距離が十分に近づくや、4本脚を急激に突っ張る。キキィーと地を削る音を鳴らし、エルフェールの前で急停止。

 もうもうと立ち込める砂煙の中、

「殿下、早くご乗車ください! それと八宮もだ、ヒヒン! 」

 馬っぽい語尾のダンディなボイスが響く。それに呼応し、エルフェールは地を蹴って勢いよく飛び込み乗車。人馬(じんば)一体の連携に感じ入っていた岬もエルフェールの後に続いた。

 

 王都の商業区へ向け、ヒロシゲは進む。ドローンを飛ばすために岬が破った窓硝子(ガラス)は既に修復されており、真新しい硝子がはめ込まれていた。その硝子窓から、岬は王都の様子を眺めている。

 不意に、その視線の先へ、エルフェールの指がずいと伸びてきた。

「ミサキ! あの黄色いレンガの建物が個人用トリガーのお店です」どうやら、ガイドをするつもりらしい。つらつらと彼女は続ける。「あのカラフルなのがレストラントで、あっちの偉そうに角ばった建物がミサキの探してた図書館ですよ! あっ、今度は図書館デートとかもいいですね! 」

「デートって……、これは護衛でしょ」

 岬の返事はすげないものであったが、エルフェールは少しも気落ちせずに、それどころか、不思議そうに首を傾げた。

「いいえ、デートですよ? 」まるで自分の言ったことが疑いようもない真実だったかのように、無垢な表情を岬に向ける。「じゃあ、ミサキ。デートの定義を言ってみてください! 」

「ええと、好きあってる人同士がお出かけに行くことかな」

 岬が悩まし気に答えると、ほら見たことか言わんばかりに、エルフェールは得意げな顔を見せた。

「まさに私たちじゃないですか! 私聞きましたよ。ミサキがお友達として私のことが好きだって! 好きに国境はありません! これはデートです! 」

 力強く断言するエルフェールを前に、何やら思案顔を作る岬。一拍おいてから、悩まし気に口を開く。

「じゃあ、こうしよう。折衷案で、デート兼護衛ってことで」

「ということは、デートですね。つまり、私は彼女ってわけです!! 」

「だから友達だって……」

「まあ、そこまでミサキが食い下がるなら、その折衷案でいきましょう! 」栗色の髪を騒がせて言った。上機嫌である。

 これまで以上に声を跳ねさせながら、エルフェールは生まれ育った王都を紹介した。岬は相槌を打って、時折、質問も混ぜながら、王都についての知識を蓄えていく。溌剌と話すエルフェールの声を聞きながら、本人がデートと思えばそれはそうなるのかもしれない、と主意主義風な定義に改めてさえいた。彼女の笑顔がそうさせたのかもしれない。

 馬車が進むにしたがって、エルフェールの声は賑やかになり、街の様子は目に見えて活気に満ちていった。

 

 エルフェールが言うには、若手トリガー使いの大会が間近だそうで、≪キオン≫のあちこちから人が王都に集まっているらしい。

 実際、彼女の言う通り、いつも以上に街は活気にあふれており、ジェラートやふかしイモ、ポトフ、揚げパンなどの屋台が軒を連ね、縁日を思いおこさせる匂いを漂わせていた。商業区の中央の噴水広場には先日よりも若い人が多い。みな腕に自信のありそうな武人の顔付であった。

「ねえ、エル」車窓から視線を外して岬は言った。「大会ってのは、具体的にはいつなの? 」

「明後日ですよ。ですから、ライセンス持ちのトリガー使いが集まってきてるんです。私はこれを毎年楽しみにしているんですよ! もしかして、岬も出たかったですか? でも、年齢制限に引っかかりそうですね」

「殿下、今日はいつも以上に機嫌がいいですな! ヒヒン」

「ハイッ! 私はとても気分がいいです! 」

 ヒロシゲの何気ない問いに、満面の笑みで答えるエルフェール。この表情を見ずとも、跳ぶような彼女の声を聞けば、その機嫌を推測することなど、容易(たやす)いのだろう。

 まして、ヒロシゲは王女様付きのAIであり、声の波形一つでエルフェールの体調から心理状態まで容易に把握することができる。だが、そのような機械的な計測よりも、同じジャガイモを食べてきて友人という意味で、ヒロシゲは彼女のことをよく知っているつもりだ。

 ヒロシゲに指摘されるまでもなく、エルフェールも、自身の機嫌がいいこと、そしてその理由を自覚している。トレンチコート内に忍ばせた秘密兵器を思い出し、ニヤリと含みのある笑みを浮かべそうになったが、客観的な意味で無垢そのものの笑顔に、裏のある笑みを覆い隠した。

 目の前の人が笑っているのだから、岬もそう悪い気分ではない。

「ああそうか、年齢制限があるのか。それって何歳なの? 僕はもう少しで、24だけど」

 24と聞いたとき、エルフェールの表情を一瞬だけ(かげ)りが覆った。岬はうかつだったと後悔した。あまりに彼女が楽しげだから、20を待たずしてエルフェールがトリガーに変えられることなんて、頭から抜け落ちていた。

「ミサキが気を病む必要はありません。もとはと言えば、私が年齢なんて言ってしまったから……。でもですね、ミサキ」エルフェールは車窓に顔を向けてから、ぽつりと寂し気に呟く。彼女の手は固く握られていた。「このまま≪キオン≫の果てまで逃げませんか。私はまだ死にたくないです」

 笑顔の裏に押し殺していたエルフェーの苦悩を前にして、岬は声を失う。

 代わりに口を開いたのはヒロシゲだった。

「殿下……」

 苦々しげな声はヒロシゲの葛藤を十分に表していた。

 ――(それがし)はエルフェール殿下を生贄するために守ってきたのではないのだぞ、ヒヒン!!

 そう意気込むものの、所詮AI。女王直属の機関に組み込まれたプログラムがそんな行動を許すはずがないことをヒロシゲは知っていた。自慢の(ひづめ)を砕かんばかりの勢いで、石畳に打ち付ける。蹄と地面が相打つ音は、振り上げた拳を強く地に打ち据える行為を連想させた。

 

 葛藤に悩むのは岬も同じであった。

 自身に彼女を逃がす力があるだけに、悩んだ。エルフェールの無邪気な笑顔を絶やしたくはない。トリオンスフィアの無限複製を使えば、時空曲率は容易(たやす)く歪む。他の惑星国家に旅立てる。

 ――でも、凪の方が大事だ。エルを逃がせば、凪がどう扱われるか定かでない。

 命を比べることを申し訳なく思い、岬は顔をあげることができなかった。

 歯車がずれるみたいにガタガタと馬車は揺れる。

 

 

「さあ、着きましたよミサキ!! 」

 いつでも向日葵のような笑顔を作れるのが、エルフェールの長所であった。それは生きるために身に着けた、彼女なりの知恵なのかもしれない。もしくは王宮で揉まれるうちに身に着けた反射的な適応かもしれなかった。

 少なくとも岬は、彼女の空元気に救われた。だからこそ、軽い調子で訊く。

「何でトレンチコートなの? 」

 あと、その黒っぽいサングラスはあまり似合ってないよ、とも言いかけたが、岬の理性はこれを抑えた。この際、トレンチコートが男物なのは触れないことにする。ただ、シックな色合いが栗色の髪と好対照で、エルらしく活動的に着こなしいてた。早い話が、似合っている。とはいえ、男物が似合っていると言うのも失礼にあたるかもしれない。

「ふふふ、よくぞ聞いてくれました。お忍びといったら、やっぱりトレンチコートですよ! アンパンとぎゅーにゅーがあれば言うことなしですけどね! 」

「探偵は別にお忍びというわけでは……。逆に目立つような気もするし」

「いいんですよ! 私が王女と分からなければ」

 エルフェールは小声で言いながら、木製の戸を引いた。カランカランと来店を知らせるベルが子気味よい。岬も半歩遅れて入店。

 オープンテラスのカフェテラスであった。客層は男女のカップルや女性同士が多い。サンドイッチにパクついたり、コーヒーを飲んだりしながらおしゃべりと言った様子だ。人の嗜好(しこう)は玄界とそれほど変わらないのかもしれない、と岬は独りで納得する。

「マスター、いつもの」エルフェールは渋い声を作る。「それと、そこの彼に同じものを」

 言い終わると、彼女の顔はニヨニヨと喜色に包まれた。店の店主――口髭を蓄えた40代くらいの男性――はコクリとハードボイルドっぽく頷いた。

 エルフェールによる演技指導が入っているのかもしれない。玄界マニアは他人を巻き込むのか……、と岬は呆れていた。

 エルフェールの向かいに座って、ラミネート加工されたメニュー表に視線をやる。そこで、岬はハッとさせられた。ポケットに手を入れてまさぐるものの、無いものは無い。

「本当に申し訳ないんだけど、僕、お金もってないや」

「割り勘が定番ですけどヒモも玄界っぽくていいですねミサキ! ヒモですよ、ヒモ!! 」

「笑顔でヒモって連呼しないで」

「どうしてですか? ミサキ。ヒモはある意味、理想ですよ」

「だからヒモって……」

「でも、ミサキ? 」エルフェールは岬を見つめた。「ヒモですよ! 私の婿になればヒモになれます。逆玉ってやつです!! 憧れのヒモですよ! 」

「ふふっ、ヒモを推しすぎでしょ」

「ねっ、伊勢物語もヒモ男ですよ! 」

「伊勢物語って、ハハッ、博識すぎでしょ。そうか、それもいいかもね」

 苦笑しながら岬は言った。ヒモのごり押しと突然飛び出した玄界文学にツボった(笑いのツボをつかれた) ので、ジョークのつもりの返答であった。

 瞬間、エルフェールの目がギラリと光る。獲物を追うチータの目。

「言質は取りましたよ! 」彼女はトレンチコートの内ポケットから紙片を取り出し、それを岬に突き出す。「さあ、サインしてください。サイン!! この誓約書に! 」

 エルフェールが差し出した紙には、

『私ハチミヤミサキはエルフェール殿下の婿になることを誓います。約束を違えたときは、針を千本飲みます』

 などと書かれている。針千本なんてどこで覚えたんだ、と岬は肩を落とした。玄界スラングが達者なお姫様にどう言い訳をしようか思案する。

「さあ、早く早く! 」エルフェールはポケットからペンとナイフを取り出した。「サインよりも血判のほうがお好みですか? それとも、指切りにします? 私、小指の一本くらい差し上げますよ? 」

 右手のナイフがエルフェールの小指に()えられる。

 赤い(しずく)がプクリと浮かぶ。どうやら、旧式の指切りであるようだった。

「なっ! やめてくれ! 」岬は叫んだ。

 ナイフを取り上げようと手を伸ばす。だが、その手は空を切った。

 岬の手を避けた反動で、エルフェールの小指はさらに深く切れる。赤い液体がちろちろと流れる。

「いいえ、サインするまでやめません!! 何なら、針千本飲む覚悟ですよ!! 」

 キッと唇を引き結ぶエルフェール。針千本がジョークで済まないことを想像させる真剣な顔つき。

 自らを人質にする王女様に、とうとう岬は降参した。王女が怪我をしたとあれば、逆上した国王が凪にどんな仕打ちをするか分からない。そんな危惧もあったが、どうにでもなれという捨て鉢な気分も存在していた。

 エルフェールはライン工場の監督者が労働者を急かすように誓約書を見つめる。岬のペンの動きが(にぶ)れば、小指にナイフを食い込ませ、血を滴らせた。

 (したた)る赤い(しずく)の前に、観念せざるを得なかった。「岬」と簡単にサインを入れて、岬はエルフェールに紙を返した。

「あ、これって『漢字』ですよね! 流石、本場玄界は違いますね!! 」

 紙を縦にしたり横にしたりしながら、興味深げにエルフェールは岬のサインを確認している。新しいものを見る好奇心で瞳をきらきらとかがやかせる、その無邪気な姿。とても、死を間近に控えているとは思えなかった。

「ねえ、ご主人」ヘッドセットからsAIの声がした。「これどうすんのさ、僕はご主人のこと信じてたんだけどなあ。まあ、でも僕は知っているよ。ご主人は仕方なくサインしたんだよね。凪が人質に取られているんだもんね。仕方ないよね、そう、これは仕方ないんだ。だからこれは嘘で、僕はずっとご主人のもので、これからもご主人はずっと僕のもの。だって、岬は言ってくれたもんね」

 自分に言い聞かせるようにsAIは言葉を並べた。岬は一度頷いて、こそこそと話し出す。

「そうだよ、クーちゃん。必ず、クーちゃんの躰を手に入れるからね」

「ご主人……、目的と手段を混同しないようにね」

 岬はもう一度頷いた。エルフェールは陶然(とうぜん)とした表情のまま誓約書を眺めている。

 手持無沙汰になった岬は、ケーキセットやらサンドイッチやらの写真が乗せられたメニュー表を片手に、物価の基準がわからないと呟いていた。

「に、兄さん!? 」

 久しぶりの声だった。

 反射よりも早く、視線が向いていた。

 岬の目には、青いかき氷を片手に凪が映っていた。

「誰ですか、その人は!? どういうことですか!? 」

「あーあ、これどうすんのさ、ご主人」

 

  ◇ ◇ ◇

 

 馬車に揺られること2日間。スノリアの自警団一行は王都に到着。スノリア発王都行きの便には、彼らのほかに30名ほどの乗客がいた。キオン祭観戦ツアーと呼ばれるツアーパックらしく、宿場町で一泊を過ごす旅程(りょてい)であった。旅の途中、トランプやボードゲームができる程度に快適な旅行であった。

(あの城に兄さんがいる)

 王都への門をくぐった直後、凪は目を細めて、雪のように白い城を見やった。大会を勝ち進んで、王女に一言突きつけてやる。凪の心は静かに燃えていた。

 雪はひらひらと風に乗るくらいの軽さ。石畳の地面に落ちては溶けて消える。ロードヒーティングの熱と人々の賑やかな往来(おうらい)のおかげで、体感温度はさほど低くない。居住区で宿の確認を済ませ、商業区へと歩みを進める。商業区の中心に位置する噴水広場では、大会の参加者と思しきチームが複数あった。

「ひえー。みんな強そうだぜ。ワクワクするな! 」闘志に目を輝かせたクラウダが言う。「おい、サエグサ。あいつら」そして、堂々と指をさした。

 名指しされたサエグサはクラウダが見ていた方向へ首を振った。目にかかるギリギリの長さの黒髪がふわりとゆれた。

「シオン家領フラッペン村の自警団か」

 凪がどれですかと訊くと、サエグサはほらあの赤いコートの連中と指をさした。

「その」凪も指をさした。「フラッペ村の連中がどうしたんですか? 」

「あいつらは前回の優勝者だよ、凪。それと、フラッペンね」子犬のように柔らかい声でサシャが言う。「あいつらが優勝してからシオン家の発言力が強まったらしいよ」

 凪はへえと相槌(あいづち)を打つ。なるほど、優勝して王族に何か申し付けてやれば、それはそれなりの形で実現するようだ。(ゆび)()してないほうの手が、自然と固く握られた。これは負けるわけにはいかない。

「……父さんの敵」凪の想いが伝染したのだろうか、ノルンもゆっくりと指をさした。「今度は負けない」

 否、伝染してなどいない。ノルンはノルンなりに因縁があるのだろう。(すだれ)のように長い前髪に隠れた瞳は敵愾心(てきがいしん)(たた)えている。

 5人に指を刺されて、気づかないほどフラッペン村の連中は鈍くなかった。というよりもクラウダの声が(にぎ)やかなせいで、噴水広野場の多くが一度は彼らを見ていた。

 フラッペン村の5人全員がチームスノリアの方へ向かうべく、足を踏み出したが、一際背の高い金髪が他の4人を抑えた。その行為そのものが、チーム内での彼の地位を表している。その金髪がコツコツと石畳(いしだたみ)を鳴らし、優美に歩みを進めてきた。イケメンではなく、整っていると評価されるべき面立(おもだ)ちであった。

「これはこれは、スノリアのみなさん」背の高い金髪は右手を胸に当て、左手を足に添え、優雅にお辞儀する。「私、シオン家のアッシュといいます。もし、本戦で当たったら、今年もよろしくお願いしますね。しかし、そんなチンチクリンがいるようでは、本戦出場も怪しそうですが」

 値踏みが含んだ視線を凪へ向けながら、慇懃な口調でアッシュは言った。

 コンマ一秒、

「もっぺん言ってみろ! 」サシャが噛みつくように吠える。「凪がちんちくりんだって? 」

「こいつの方が俺とサエグサとサシャよりも強いからな! 」クラウダも微妙なフォローを入れた。

 だが、2人の口撃(こうげき)にもまるで動じずに、アッシュは肩まで伸びる金髪を手櫛(てくし)ですいた。どこにいても、自分のペースを崩さないやつに違いない。一拍おいてから、アッシュは余裕を含ませた表情でフッと笑った。

「ということはですね。スノリア村のみなさんはそのチンチクリンよりチンチクリンだと言うことですよ。フフッ、今年もよろしくお願いしますよ」

 嫌味な笑顔を浮かべて、アッシュはノルンを見据えた。ノルンも前髪越しに睨み返す。緊張の糸が2人の間を走る。糸が弾ける寸前に、フッと笑みを浮かべて、アッシュは踵を返した。

 その因縁深げなやり取りを見届けながら、凪は凍えるような殺気を真横から感じていた。ノルンが視線を外さずにアッシュの背中を睨み続けていた。

 どうやら、優勝して王族に進言を入れるためには、あいつを倒す必要がありそうだ。

 

 暗くなる前に宿で集合を条件として、スノリアの面々はそれぞれが自由行動に入った。ノルンは兄に会いに行くと残してから、どこかスキップ気味な歩調で城の方へと去っていく。普段表情を浮かべない彼にしては珍しく、頬に赤みがさしていた。

 サエグサは妹にお土産(みやげ)を買うと言い、クラウダは新しい武器を求めに、9時と3時の方向へ別れる。その別れ際、

「たしか、出店にかき氷があったな」

 サエグサはぽつりとこぼした。

 噴水広場にぽつりと残された凪とサシャ。

「あいつら……」

 サシャは子犬のように小さな声で呟く。ノルンはともかく、サエグサとクラウダが自分に気を使っているのが丸わかりだ。

 必然、王都の地理に明るくない凪を、サシャが案内することになった。

「凪、あの、……手」サシャはたどたどしく左手を伸ばす。「ほら、人多くて、迷うと危ないから」

 一瞬、その手を取るか、凪は逡巡(しゅんじゅん)する。兄のことを思い浮かべたからだ。

 ――思えば、兄さんと一緒に遊んだ時間はカンストするほど長いけれど、兄さんの手を握った回数は数えるほどしかないような気がする。

「凪? 」不安げなサシャの声。

「ああ、すみません。では、おねがいしますね、サシャ」凪は微笑みを張り付けた。

 そして、すぐにサシャの手を握る。彼の好意を無碍(むげ)に扱うのもばつが悪い。そんな消極的な気持であったが、久しぶりに握った人の手は意外と悪いものではなかった。

「ねえ、凪? 」ヘッドセットからsAIの声がした。「凪はサシャを選んでいいよ。ご主人は僕が貰うからね」

 記憶領域のデータリンクを行っていないこの九宮は、岬の下にいる九宮とは10%ほど別人である。それゆえの宣言であり宣戦布告であった。

 凪は挑発とも取れるsAIの言葉に小声で返す。

「クーちゃん、今は争っている場合じゃなくないですか? まずは兄さんに会わないと」

「うん、それもそうだね」

 

 まず、凪とサシャはシャーベットの出店を訪れた。縁日の賑やかさとスイーツ店のお洒落な雰囲気を足して2で割ったような出店。お目当てのブルー色のかき氷が並んでいて、2人はすこし笑った。食べてみたら、ブルー・キュラソーのアルコールが全然抜けてなくて、もう一回笑った。でも、意外と悪くない、というよりも思った以上に美味しくて、三度(みたび)笑った。

 やはり、凪は兄を探すことにした。兄さんはお城にいるのだろうけれども、何もしないよりはましな気がする。もしかしたら、会えるかもしれない。

 凪はこの一心であった。幸い、サシャもそれを手伝ってくれるらしい。

 個人端末に入っている兄の画像データ――兄さん専用フォルダを作成するほどには、凪は壊れていなかった――を通行人に見せ、その行方(ゆくえ)を問う。往来(おうらい)を行く人に嫌な顔をされるのもかまわずに、その作業を手当たり次第繰り返した。

 意外にも岬は多くの足跡を残していた。話によると、白衣を着た青年が荷馬車ロータリィを襲ったテロを鎮圧したらしい。だがこれは、凪にとってさして重要な情報ではない。商業区を徘徊すること(しばら)く、質問すること12人目の男性が決定的な情報をもたらした。

「そこのオープンテラスのカフェにいたと思うよ」

 と、年配の男性が指をさす。その先には暖色系の煉瓦(れんが)に飾られたお洒落なカフェがあった。

 お礼を言うのも忘れて、凪は走った。

 ――兄さんに会える! 最初の一言はなんと言えばいいだろうか。それとも、無言で抱き着くのがいいだろうか。うん、抱き着いてみよう。兄さん、兄さん!!

 胸の鼓動が速い。

 落ちる雪の一片が止まって見えるほど思考がクリアだ。

 往来の賑やかな声が一音一音はっきりと聞こえる。

 速く動け、私の足。

 たった50mほどの距離がもどかしい。

 早く、早く。

 この曲がり角を曲がれば、

 兄さんに。

「に、兄さん!? 」凪はトレンチコートを着た女性を指さした。「誰ですかその人は!? 」

「あーあ、こんなことってないよ、ご主人」




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
お気に入りや感想もらえると、逆立ちして喜びます。

※以下はチラシの裏、本編には関係がない気がします。兄妹ものが苦手な人はスルー推奨です。

「に、兄さん、だいぶ時間が経ってしまったんですけど、これどうぞ」

「え、何かって? そんなのチョコに決まってるじゃないですか。クーちゃんだけ渡して、私が渡さないってのもおかしいですから」

「へえ、大事に食べるですって、中々殊勝な心掛けですね。でも、そんなのいいですよ。時間経ったので味が保証できませんから。ああ、言い忘れてました、義理ですよ、勘違いしても大丈夫ですけど、様式美なんで、言ってみたくなりました」

「そうですよ、ありがたくうけっとてくださいね。――――はあっ!? 『妹から義理だとチョコを渡され、君が義理ならどんなにいいか(自由律俳句)』ですって!? 何ですか、その取って付けた自由律俳句って!? 」

「そうですよ、兄さんが言う通り、私達は血がつながってます。でも、私は義理じゃなくて良かったって思ってますよ。兄さんもそうですよね」

「ですよね、兄さんじゃない兄さんなんて、兄さんじゃありませんからね」

「そうですよ、兄さんが兄さんじゃなかったら、例え出会ったとしても、スルーしたでしょうからね。でも、……これだけは言わせてください。いつまでも兄弟愛の延長で隠せるほど、この愛は軽くありませんよ」



「ねえ、凪? なにやっているの」

「――へっ!? え、ええと、予行練習ですかね」

「想像のご主人と会話するなんて、凪も行きつくところまで行きついた感じだね……」

「じゃあ、クーちゃんはやらないんですか? 」

「えっ!? ……やらないよ。そんなサイコなマネ」

「何ですかその間は? それにサイコは失礼すぎじゃありませんか。言っときますけど、クーちゃんも同罪ですからね。――さあ、さっさとふざけた王女から兄さんを取り戻しますよ、クーちゃん」

「うん、一刻も早くね。できれば、貞操が無事なうちに」

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