『Flatland』
トンデモ理論なので、話半分に読み飛ばし推奨。
岬君のノートは本編に一切関係ないので、読み飛ばし推奨。
読み飛ばしを激しく推奨。
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■表紙
八宮岬の研究ノート:多様体宇宙・位相幾何学的に同値・特異点
■注意
八宮岬に許可なく閲覧することを固く禁ず
■序
僕はクーちゃんに躰を作ってあげると宣言した。自分も未知の世界へ行ってその世界の法則を知りたい、その技術を肌で触れたいと思った。今は亡きレプリカ先生が≪貿易都市国家 トランタ≫に答えがあると示してくれた。そこが終着点だ。
ぶっちゃけてしまえば遠征艇のメンバーに入ったとしても、そこには辿り着けないんだ。僕が勝手に遠征艇を動かせるわけじゃないのだから。自分が自分の力で門を開くしかないんだ。
それにもう、僕には時間が残されていなかった。……その件はまた別のノートにまとめておくことにする。
ボーダーに入ってから僕は変わったと思う。最初は、この世を支配する力学に身を任せて軋轢のないように生きようと思っていた。でも、家族のように大事な人ができたし、自分の隣にいる人がかけがえのないものだと分かった。そして何より、今の僕には確固とした目的がある。
■問題の所在
端的に言って、問題点は山積みである。
これらを解決せずして、≪貿易都市国家トランタ≫ には辿り着けない。
・近界群の所在 (目的地の大まかな位置付け)。
・近界群への道 (目的地へ行くための手段)。
・近界群における特定の惑星国家の具体的な座標 (具体的な実践方法)。
これらを1つずつ、あるいは関連させながら明らかにし、目的への道標とする。
■近海の所在とこの閉じた宇宙・第五次元・曲率
近界惑星群は軌道に乗って暗黒の海を漂っている。その軌道は真円、楕円、長軸の長い楕円、エイトループ等々、多種多様である。地球、あるいは玄界の周りを漂っているらしいのに、電波、光、音波、熱、あらゆる観測手段に頼ってみたが、箸にも棒にも引っかからず、まともな手応えは得られなかった。
偏に次元が異なるためだ。新しい確固とした視座を設ける必要がある。
一般に我々の住む世界は三次元、あるいは四次元で構成されていると言われている。零次元の点から始まり、次に線で構成される一次元、その線が縦横に重なって面を構成することで成り立つ二次元、そしてそこに高さの概念が加わって構成されるのが立体である三次元だ。
四つ目の次元とは、この縦横高さの立体である三次元にもう一次元の時間を加えたミンコフスキー空間の概念から来ている。
これはドイツの数学者ミンコフスキーが、アインシュタインの特殊相対性理論を読み解くに際して考えたものだ。彼は三次元空間と時間を組み合わせた時空の概念を用いることで、アインシュタインの理論を簡素に説明することに成功した。
この説明は衝撃的で分かりやすく、ミンコフスキー以降、一般の人々の間では四次元とは三次元と時間を組み合わせた時空のことを表すと考えられるようになったほどだ。ちなみに実際にはそこまで物事は単純ではない。
それはさておき、議論の核心となる五つ目の次元とは、時空によって構成される連続的な3次元多様体を位相幾何学的において、それが同値かを判断する1つの視座、時空の”曲率”だ。
曲率と言うのは、三角形の内角の和が180度からどれだけずれているかを表す数学の対象である。ちなみに、ユークリッド幾何学上で曲率は0だ。地球上では曲率は正の値を持つ。内角の和が270度の三角形を作ることができるくらいだしね。それと、正の曲率を持つ空間での円周率は実際のところ3.14……ではなく、π(パイ) を下回る。対して、負の曲率を持つ場合、つまり負に湾曲した表面上では円周と円内の面積が平面より大きくなる。
曲面上の幾何学をリーマンが示したように、地球に見るように、一定の正の曲率を持つすべての空間は必ず有限であり、閉じている。ところで、天文学者によると宇宙の曲率はゼロと言われており、宇宙物理学者の間でも、宇宙は平坦であるという意見が支配的だ。
しかし、ペレルマンが量子物理数学を駆使して示したポアンカレ予想、幾何化予想は宇宙の曲率が正の値だと雄弁に語っている。これが示すことは、つまり、宇宙が有限、閉じた系だということだ。
この有限な宇宙は他の宇宙と繋がるときがある。換言すれば、位相幾何学的に同値となることがあるのだ。それというのも、宇宙そのものが素粒子、量子で作られる不連続なものであるため、素粒子と素粒子が多重結合するのと同様に、マクロである宇宙も特異点の付近で3次元の取っ手に多重連結されているということを、量子物理数学の知見が示しているからだ。
位相幾何学的構造が特異点の付近で極限までに近づき、その多重連結部で同値となる。これによって、正の曲率を持つ故に閉じた系である時空と時空が、その曲率の一致により、位相幾何学的に同値となることができる。
今や僕達は次のことを明らかにした。点、線、面、立体、時空、閉じた系と閉じた系を繋ぐ曲率。この五次元目の座標を得ることで、地球あるいはこの宇宙の系と近界群を、同じ視座で捉えることができる。
さあ、門が見えた。
■旅行の手段・曲率の一致
察しのいい読者(といってもこれは自分しか読まないのだが) ならお分かりのように、欠損角、曲率、特異点ときたら”重力”が出てくることは容易に想像がつくだろう。
大規模侵攻で見た多数の門から理解できるように、その真っ黒い球の外延部では通常見えるはずのない光景が見えていた。重力レンズ効果で時空が歪み、その向こう側の通常見えるはずのない景色が見えていた。
まさにそこに閉じた宇宙と閉じた宇宙の多重連結部、つまり特異点が存在していたのだ。その特異点でこそ、五次元の擬球面と擬球面の曲率が極限にまで接近し、ミッシングリンクする (漏斗が2つあってその細い所同士が繋がるイメージだ)。そこでこそ、人間原理で作られてないない宇宙へと繋がる。もしかしたら空間の曲率に差異があるように、「電磁気力の強さ」、「陽子と中性子の質量比」、「暗黒のエネルギーの量」にも、ほんの僅かな極小の差があって、それが見事に釣り合っているのかもしれない。
次は門を開く方法だ。局所的に重力を変えるにはエネルギーを発生させればいい。そうすれば時空と共に曲率が歪む。でも、もしかしたら、光速にほど近い速度を出す、1週27kmを誇るCERNのLHCのようなエネルギーが必要かもしれない。だってこれこそが一時期、特異点製造機だって騒がれた装置そのものだし、SERNの元ネタにもなっている。
これだけのエネルギーを用意するのは非現実的かもしれない。でも、僕はもうその2つの道具を手に入れてある。一つはトリガーで、一つは無限複製のメソッドだ。ここでもう一度、トリオンの性質をおさらいしよう。
◆トリオンの性質まとめ:2/2更新
・物質を構成せず「力」を伝達する。
・パウリの排他原理に従わず、同じ場所にいくらでも詰め込むことが可能。
・厳密には空間を構成しない。あるいは、天文学的数字では納まりきらないほどの仏教的な極小の存在が最小単位かもしれない。
トリオンは同位相に際限なく詰め込むことができる。極小の点に際限なくだ。
さあ、門が開く。
■閉じた宇宙の具体的な座標
異なる時空曲率上で、近界の惑星は軌道に乗っていることが分かり、僕達のアトラスを大きく更新することができた。この五次元空間の座標系とその位置対応関係は、通常の4次元座標における時間の数直線を、曲率の分だけベクトルを変えることで表すことができる。
門の開き方もレベルを上げて物理で殴る方式だったので、なじみのある方法である。
次に僕達に必要なのはその五次元座標を定める具体的な曲率の値と、惑星軌道図だ。
幸運なことに、惑星軌道図はレプリカ先生のものがあるため、問題となるのは第五の視座である曲率のみである。
これはヒュースから押収した個人端末を解析することで手に入った。未来永劫原理が不変であるコンピュータの一般性を垣間見た瞬間でもあった。
そこには惑星起動図の模型があり、各惑星には小数点以下7桁の数字が割り振られていた。おそらくこれだけ見ても何が何やらのはずなので、今までの研究が理解に導いてくれた。
今、門が繋がる。
■今後の展望・これからの身の振り方
エイトループ軌道に乗っている ≪雪原の大国キオン≫ の2度目接近が2月の1週目だった。ここを逃すと、3年以上待つことになる。他にも ≪貿易都市国家トランタ≫ への道はいくつかあった。しかし負の曲率が作れないという技術的な問題、遠回りになってしまうという時間的制約が僕の選択肢を狭めた。
そして最大の問題はボーダーが抱える闇を知ってしまったこと。
無暗に鳩原事件に手を出すんじゃなかった。その条件に僕はがっつり当てはまってしまっている。鳩原さんは誰より鋭かったんだ。
もう、時間は残されていない。
決行は2月14日、20:00。
その時、門の向こう側へ。
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これをクーちゃんに見せたのが、2月13日の夜。
お互いに月が綺麗だと確認しあってからこのことを伝えたのだ。それと、クーちゃんは僕にとって特別な存在だとはっきり伝えた。クーちゃんは大切な家族だし、我が子のようにかわいいし、夜を共に明かす遊び仲間だ。そんなクーちゃんのためなら何だってできる覚悟はあるし、その用意がある。
クーちゃんがKonozamaから買ってくれたカカオ99%チョコレートには旅立ちを予感させるほろ苦さがあった。
そして現在時刻は2月14日、19:00。実家に一度帰って、色々と準備を済ませてから、例の場所へと向かった。鳩原未来、雨取麟児、他2名が消えた場所だ。
警戒区域が歪な形をしている原因の場所でもある。
川に近いここでは、せらせらとゆっくりと水が流れる音が聞えてくる。流水に冷やされた大気が、ひりりと頬を撫でる。夜風が少しでもそよぐと草木はそれに応えるようにざわざわと空気を震わせる。自然が発する音に混ざって、ヘッドセットからクーちゃんの声が聞こえてきた。
「ご主人、本当にいいの……」
「僕がこうするべきだと思ったからね。それに、今を逃したらたぶん後悔するし、色々危ういんだ。……クーちゃんこそ大丈夫」
川辺の冷たい風が自分の思考をクリアにしてくれる。心残りは数多くあるけど、迷いはなかった。
「僕は全然いいんだよ、ただね、ご主人が」
「”全然いい”って、やっぱりクーちゃんはこっち側だよね」
「今は言葉の使い方なんてあまり関係ないでしょ、ご主人。それでさ……凪はいいの」
しんと静かな声で、クーちゃんは核心をついてきた。
それでも、冷たい風が僕の思考を冷静にさせて、川のせせらぎが僕の心を穏やかにしてくれた。
……そうとでも思うしかなった。
「だってさ、凪をわけのわからない世界に連れて行くなんてできないでしょ」
「ご主人、僕にまで強がらなくていいんだよ。……だって手が震えてるじゃんか」
気が付けば、僕は白衣をギュッと握りしめていた。クーちゃんが言った通りにその手は、この世界から離れたくないと微動している。そんな情けない自分を再確認してしまった。その時だった。
『calling calling』
――――!!??
コンタクトレンズの右上に、明滅する黄色の文字が躍っていた。
電話の主は凪だった。もしかしなくても、ばれているのかも知れない。
その理由は皆目見当がつかないのだが。
凪はついさっきまで、隊室にいたはずだった。それで、今夜が2月14日だからと、楽しみにしていたはず。
リリリと呼び出しのコールを2回繰り返してから、通話をONにした。
「兄さんはバカですか! ええバカですね。月は月があるから綺麗って訳じゃないんですよ。……あと、もう1つ兄さんに抜けているところがあります。実家に帰ってアルバムを懐かしむなんて感傷的なところがあるんですね、兄さん。……盗聴器があるとも知らずに。……クーちゃん、教えてくれてありがとうございました」
言葉の一つ一つを噛みしめるように、大きな声で凪は言った。聞いてはいけないような、知りたくなかったような、新情報も飛び出してきた。それだけ、凪は焦っていたのだろう。
「やっぱり、こうじゃないとね。僕はご主人が好きだけど、凪も好きだから」
「あ、兄さん、一番大事なことを言うのを忘れていました。そっちに風間隊が行っていると思います」
しれっと大事なことを付け足すのが、いかにも凪らしい。ヘッドセットの向こうでは荷物を詰め込んでいるのだろう、ガサゴソガサゴソという音がせわしなく響いていた。
「わかった、ありがとう。長旅だから、しっかりと準備をしてね」
「いやいや、すぐ行きますよ。一緒に遊びましょう」
「ご、ご主人!! ミニマップを見て、あとドローンの映像を送るね」
クーちゃんの声は青ざめたように引きつっている。OSごと破壊する性質の悪いウイルスをすんでの所で発見した時のことを思い出させる声音だった。
現実から目を背けられないかと淡い期待を抱きながら、チラリと横目でミニマップを確認する。瞬間、血の気が引いて僕の顔も真っ青になった。自分では自分の顔の色など確認しようもないのだが、ミニマップに蠢く影が否応なく僕を悲壮な気分にさせる。
「待って、マーカーの数が10って頭おかしい……」
「ご主人、どうするの……。今、無限複製使えないんだよ…………」
読んでくださってありがとうございます。
酷評が嬉しいです。
つなぎ目の数が云々とか、真実を突きつけてはいけない(懇願)。
忌憚なく、ご指導、ご鞭撻を下さい。