トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

22 / 60
長くなってしまいました。お時間のあるときに、温かいお茶と一緒にどうぞ。



22 第2戦

仮想戦闘空間にエミュレートされた太陽光がアスファルトを照らし、その輻射熱が大気をほんのりと温める。立春を過ぎてからというもの、髪を優しく撫でる爽やかな薫風が、肌に直接春の訪れを教えてくれるようになった。

「に、兄さん、自分で言っておいてあれなんですけど、…これ結構難しいですね」

 白衣の隊服に身を包んだ凪は黒い目隠しをして、よたよたと千鳥足で右往左往している。僕は彼女の後ろに立って、その動きに合わせて後をつける。仮想戦闘空間でこれを行っているので、当然僕も白衣なわけで、周りから白眼視されないかと気が気でならない。

 そんな僕の憂いをよそに、凪は準備運動は済んだと言わんばかりに、両足を小刻みに動かしてリズムを刻む。そして、こちらを振り返らずに喋り出した。

「な、何というか、この感覚は…、そうTPS、TPS(Third-Person Shooter:3人称視点)ですよ、兄さん」

「まあ、視覚共有して、僕の視界から動かしているわけだし、それはそうだけども」

「さあ、兄さんはカメラ役なのですから、しっかりついて来てくださいね」

 言うや否や、凪はぴょんと飛び跳ねて民家の石造りの(へい)に着地する。勢いを殺さずに再度跳躍して、そのまま屋根の上まで跳び上がった。普段の動きに比べると、まだぎこちなさが残っているものの、早くも感覚を掴みつつあるらしい。凪は僕の視界を通して、客観的に自分を動かしているのだから、彼女から目を離さないようにして後を追う。

 凪曰く、FPSでもサバゲーでも、まずはマップを覚えるところから、らしい。有言実行というわけで、彼女は市街地Aのマップを、白衣を風にはためかせながら、マリオ64張りにフリーランニングしている。走り始めて10分もたつと、三角跳び、空中三回転ひねり、壁走りも容易(たやす)くこなし始めた。このジュゲム(カメラ) は給料泥棒さんですねえ、と軽く悪態をつく余裕があるほどに凪の動きは洗練され始め、こちらがついていくのがやっとな程だ。体重を感じさせない軽やかな動きでビルの屋上へ跳び上がり、一面ガラス張りの窓を地面と平行に駆け抜けて、風を切って信号機の上にピンポイントで飛び降りる。その姿はまさしく、自由自在で縦横無尽。

「ふう、まあ、こんなところでしょうか」

 信号機から車道に降り立った凪は長い黒髪をふぁさっと後ろに撫で上げて、すっきりとした笑顔で言った。目隠しで目元がよく見えないので、妖しいと言えば妖しい微笑みである。

「凪が凄いのはわかったけどさ、この練習ってどんな意味があるの」

「兄さんにしては、めずらしく察しが悪いですねっ!」

 撥ねた語尾に合わせて、発砲音が響く。続いて、大きな炸裂音。少し遅れてガシャガシャと細かい破片が砕けてぶつかり合う音。ガラス質の赤い欠片が宙を舞ってから散り散りに四散。

 凪は右手でホルスターから拳銃を抜き、左脇から白衣越しに、後方へと銃の火を噴かせていた。

 放たれた弾丸は白衣を突き破り、歩行者用信号の赤色のおじさんを無残な姿に変えていたのだ。

「ねっ、こういうことですよ、兄さん」

 にっと白い歯を見せて今度こそ妖しく笑ったのだが、凪には僕が凪を見ているのと全く同一に自分が見えているはずなので、目隠し白衣という格好をどう思っているのだろうか、と疑問を抱く。

 まあ、何はともあれ、凪の後方への銃撃に視覚共有のさらなる可能性を多分に見た。

「なるほどね、これを極めると、安心して背中を預けて戦えるようになるわけだ。」

「まあ、言ってしまえばそうですね。とにかく、練習あるのみです。はい、次は兄さんの番ですよ」

 ぽんと手を打ってオーバにリアクションしてみせた僕に、凪はしゅるりと外した目隠しを手渡してきた。戦闘体と言えども体温はあるようで、黒い目隠しは人肌程度の熱を残していた。

「クーちゃん、凪と視覚共有」

「了解、ご主人。…やっぱりさあ、傍目から見るとかなりシュールな光景だよ。ドローンのトリガーもあればよかったのにね」

 ヘッドセットからはため息交じりのクーちゃんの声が聞こえてくる。やれやれと手を薄緑の髪に当てている姿も容易に想像できた。

「いやね、作ってみたんだけどね。動力の確保に手間取って燃費が悪くなっちゃって、わざわざトリガーで作らなくてもよい、と企画書の段階で没をくらったんだよね」

「ほら、兄さん。さっさと走ってください。まずは軽く一回りしてみましょうか」

 僕のつたない言い訳を話半分に聞いた凪が、せかせかと僕を急かす。

 

 

 

凪の視界から見る僕の後姿は想像以上に大きくて最初は苦労したが、3人称視点で自分を動かすのもそれなりに楽しい、と思えるほどには辺りを走り倒した。

 その後、目隠しをした凪とスコーピオン対弧月で斬り合った。まさか目隠し相手に負けるまい、とたかをくくっていたが結果は6対4で負け。目線で狙いがばればれですね、とは僕の首を胴体から切り離しながら凪が言った言葉だ。

 “レベルを上げて物理で解決主義”の凪らしく、視覚共有のコンビネーションを中心に一週間が費された。僕は器用貧系男子にふさわしくイーグレットにも手を出して、凪からのダメ出しを数多く頂戴してきた。

 そして来たるは、2月9日、17:00。

 凪の私物が我が物顔で増えつつある八宮隊の隊室で、B級ランク戦第2戦の直前対策会議が進行中である。

「これより、作戦名(オペレーション)鉄火の砲口(アイビス)を発令する」

 気分は黒づくめの秘密結社幹部なので、ブルーライト遮断グラスをクイクイと眉の近くで動かし、声高に言う。

「ご主人、やっぱりそれやるの? ちょっとずるいような気もするけど……」

 ステレオグラム(立体視)カメラでARされたクーちゃんが、その中性的な面立(おもだ)ちを横に傾けて控えめに言うと、すぐさま凪が口を開く。

「あいつらには、ちょっとやりすぎなくらいで丁度いいんですよ。イーグレットもアイビスも弾が真っ直ぐに飛ぶという意味では、変わらないですしね」

 僕もうんうんと、首を縦に振り同意の意を示す。あいつらにはざまあみろ、と唾を吐きつけてやるくらいが丁度いいのだ。

「まあ、2人がそう言うのならいいけどね。ご主人も凪も忙しそうだったから僕が簡易レポートも作って来たよ、取り敢えずこれを落として」

 そう言って、ARされたクーちゃんはぱちんと指をならす。すると、3人の共有ストレージに”図解付き! これで必勝!! 相模隊、柿崎隊、完全攻略マニュアル:増補版”と名のうってあるPDFファイルがアップロードされた。例のごとく、容量は1GBにも達しており、クーちゃんの優秀っぷりがうかがえる。

「ええと、冒頭の方に簡易版も載せてあるから、とりあえずダウンロードしてみてね」

 クーちゃんに促されるままに、少し時間をかけて手元に落とす。人差し指で空中に下敷き程の大きさの長方形を描いてディスプレイを作り、その指をさっと動かしてページをめくる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

◆B級15位 相模隊

・狙撃手1人、銃手1人、近接攻撃手1人のバランスのいい編成。

・プリン頭の狙撃は正直たいしたことない。

・攻撃手の長髪系チャラ男の弧月は、何故かフェンシングっぽい動き。

・短髪系エセさわやかの銃手は攻撃手との連携を意識して拳銃型を扱う。

総評:鈴鳴第一をスケールダウンしたような部隊。凪がいたころはB級7位までいったらしいけど、今は見る影もないね。

 

◆B級13位 柿崎隊

・近接攻撃手よりの万能手が1人、銃手よりの万能手が1人、銃手が1人。接近戦で力を発揮する部隊。

・隊長の柿崎は弧月のポイントが7000弱あるので気をつけよう。正直、彼が突撃銃を使う姿はあまり多くなかった。

・銃手よりの万能手の照屋は、柿崎と連携するときは弧月、巴と連携するときは突撃銃を使う。2つを組み合わせて扱えるほど器用ではないので、彼女が1人のときに倒してしまおう。

・銃手の巴は機動力を活かして2人と連携するのが得意。

総評:柿崎と照屋の連携はそれなりに厄介。中距離以上の火力が乏しいので、距離をとってチクチク攻めよう。

 

◆対策

・何と言っても、スタートダッシュが大事。

・柿崎隊の2人に近寄らせないように気を付ける。中距離の火力勝負は相模隊にも有効なので、中終盤では弾幕を貼っていこう。

 

◆地形

・スタンダードで一番人気な市街地A。狙撃しやすいように風は穏やかで、天気は快晴。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「やっぱり、クーちゃんはすごいですね。初太刀がどのように振られるかの割合まで網羅している所が恐ろしいです」

 すすっとページをめくりながら凪が感嘆の声をあげる。こちらとしては相模隊の短髪と柿崎隊の巴が使う変化弾(バイパー)の種類がリストアップされているのに驚かされた。変化弾にはガン=カタの視覚支援が通用しないので大分助かる。クーちゃんが白いシャツに付けた薄緑のサスペンダーを強調するかのように、ふふんと胸を張るのも頷ける出来栄えだった。

「クーちゃん、今回は最初から視覚共有でお願いね。危なかったら2本目の電極をいつでも使ってほしい」

「了解、ご主人、まかせてよ。3本目はどうするの。僕としてはご主人の仮想OSに命令だすの、結構楽しいから、もっと使いたいんだけど」

「クーちゃん、それはまだ隠し玉に取っておきましょう。二宮隊、景浦隊、生駒隊に一発食らわしてやるんです」

 しゅしゅっと拳を突き出して、空気を殴りながら凪が言う。僕は手のひらを伸ばして、ぽすっとその拳を受け止めて口を開く。

「今回の凪の装備は何? こっちは、シー、エス、コゲ、グラ、アス、ハウ、アイ、テレ」

「私は、シー、バグ、スコ、スコ、アス、アイ、グラ、テレですよ、兄さん」

 アーマードコアのボイスチャットみたいにつらつらと言うのが定番になりつつあるのだが、凪の発音は僕よりもいささか流暢なので、半角カタカナっぽく聞こえる。

「ご主人、事前情報の通りに、今回は3つ巴で総人数が8だから、乱数テーブルはE3。位置座標情報は事前に送った通りだね。思うに、オペレーション・アイビスは少しばかり反則というか、グレーゾーンというか……」

「まあまあ、クーちゃん。今更遅いですから、……ってもう始まりますよ。兄さんは練習通りにしっかりやってくださいね」

 凪はなだめるようにクーちゃんへ返して、それから僕に(げき)をとばした。

「転送まで、あと3秒。頑張ってね2人とも」

 こくんと頷き、一拍のため。初期の装備はもちろん、アイビスだ。

「「「八宮隊、これより状況を開始する」」」ぴったりと息をそろえて、唱える。

『転送開始』電子音声が戦争の火蓋を切って落とした。

 

 

 

転送による躰の再構成を待たず、即座に距離120ほどの民家の窓に標準を合わせる。

 すぐさまトリガを引く。この動きは躰に沁みつくほど繰り返してきた。

 僕が撃つよりも、数瞬早く、凪もアイビスの銃口から火を噴かせていた。

 野太い光の束が民家の窓へ一直線に伸び、爆音を響かせて、木造りの壁を貫く。

 遅れて、破砕音。

 さらに遅れて、空へと伸びる2本の緊急脱出の軌跡。

「お見事、2人とも。ご主人は距離170、8時の方向に照屋。凪は距離150、6時の方向に巴。これで、相模隊のチャラ男と短髪は消えた」

「「了解、クーちゃん」」

 距離100弱をテレポートで飛ぶ、さらにグラスホッパーで加速し、可能な限りの速度で走る。上体を倒して走りながらも、心中は狙撃が上手くいってよかったと胸を撫でおろしているところだ。

 B級ランク戦の初期位置はランダムで決まる。そう、”人為的なランダム”で決まるのだ。この場合のランダムとは、疑似乱数のことであり、十分な試行回数のもとに検証すれば、十分に再現することができる。実際、真の乱数と疑似乱数を見分ける手段は十分な数の標本からの統計的な操作しかない。幸い市街地Aはオーソドックスなマップなので、それなり以上の標本数を得ることができた。ランク戦が始まって以来の膨大なデータを分析して、疑似乱数生成アルゴリズムを予測し、こちらでもアルゴリズム式を組んでみる。数億回と試行を繰り返し、次々と帰無仮説を棄却し、修正を重ね、ついに疑似乱数生成機の初期値のシードを掴みとった。素数の不可思議で不規則な配置から法則を見出そうとする数学者の求道よりは、よっぽど簡単な作業だったかもしれない。あとは、この疑似乱数数列にチーム数、総人数、天候等の変数を組み込む。そうすることで、再現性、予測可能性があるこの疑似乱数は、確定的に出力される値が求まるのだ。

 だから、僕と凪は開幕早々に練習通りの壁抜き狙撃をしたってわけ。

 プリン頭の狙撃に気を配りつつ全速力で走る。1本3つ編みが目印の照屋に距離50程まで接近。

 ミニマップを確認してみると、柿崎は巴の方に向かっていると確認できたが、テレポートのある凪の方が幾分速いため、機先を制するのは彼女だろう。

 前回のランク戦でこちらのテレポート戦法がばれているようだ。まだ試合が始まって6秒ほどだが、照屋は落ちついた表情で銃口をこちらへ向け、腰だめでトリガを引く。

「クーちゃん、ガン=カタの視覚支援を起動」

「了解、ご主人」

 コンタクトレンズ上の視界が(わず)かに淡い青色に染まり、戦闘行動視覚支援が始まる。銃口の角度、腕の向き、目線、重心の位置等が、パラメータやベクトルで表示され、コンマ1秒後の弾道を予測可能にする。弾丸の暴風雨ではあるのだが、凪のそれに比べれば精度がだいぶ落ちるようで、容易く回避できた。

 躰を半身に反らし有効斜角を減らして接近。防壁というよりは、目隠しという意味で、アスファルトを突き破るようにエスクードを展開。右手でトリオンスフィアを形成し、コントローラブルな状態へ。さらに、三次元上の球の回転、平行操作、幾何学操作を事前に組んだプログラムに乗せて行う。3*3*3 27のトリオンスフィアにかけること2の10乗。最密充填された27648個のピンポン玉程の通常弾(アステロイド)を形成。

 スフィアのパラメータは速度に極振り。

 上半身だけ防壁から乗り出し、左手をずいと伸ばして一斉掃射。

 ライトニングほどではないにしても、距離30では躱しようが無い速度と密度で、27648個のトリオンスフィファが一直線に標的へ殺到。

 圧巻すら覚える白い塊が空間を押しつぶしながら遠ざかる。

 ミニマップのマーカーが消えたのを見て、照屋が緊急脱出したのだと判断。

「クーちゃん、次は」更なる標的を求めて、僕は指示を仰ぐ。

「兄さん、あの赤信号の真下に照準を合わせてください、3、2、1でお願いしますよ」

 クーちゃんではなく凪が応えた。無線通信には、ざざっとアスファルトを蹴る音、金属同士がぶつかる甲高い鋭利な音、風切音が混じっている。

 人工視覚に映る凪の視覚からは、こちらに――つまり、凪に――向けて振りぬかれる弧月が映った。巴の姿は見えないので、僕が照屋に集中している間に凪がやってしまったようだ。

 さすがは、弧月7000弱というだけあって、柿崎の太刀筋は鋭い。横薙ぎに振るわせたかと思えば、すぐさま斜め下方向へと刃を翻す。一太刀、一太刀に腰が入っていて、一振りにしっかりと体重が乗っている印象だ。凪は真っ向から受けずに、刀身を短くした曲刀で浅く受け流す。

 柿崎とは対照的に、凪の振う剣は羽のように軽い。円を描くように曲刀で相手の刀身をいなす姿は、まるで触れるものさえその身の軽さに取り込むかのようだ。凪は小柄な躰もあってか、上段から振り下ろされがちになる白刃を巧みにいなし、針の先端のごとく細い呼吸の合間を狙って足技を繰り出す。

 視線を交錯させ、相手の剣筋を読み合って切り結ぶ2人が横断歩道に差し掛かる。

「兄さん、そろそろですよ。……3、「2、1」」

 2、1と僕も凪にタイミングを合わせて呟く。やや早いのでは、と思いつつも重い引き金を引きった。十字に切られた照準には、歩行者用信号機の真下1mが映っている。

 鼓膜を震わせる発砲音。

 大口径のアイビスに見合っただけの反動が手の平にびりびりと残る。

 野太い閃光が真っ直ぐに伸びていく。

 突然、人工視覚に映る凪の視界が、ぐらっとゆれた。

 塀や民家の屋根の高度が相対的に上昇し、凪の目線が下降しているのがわかる。

 どうやら、足をもつらせてしまったらしい。

 こちらを見下ろすのは、にっと勝機を確信した柿崎の顔。

 上段に構えられた弧月が振り下ろされ――――ずに、そのにっと歪んでいた顔が刹那に消える。

 横殴りに叩きつけられた砲弾が柿崎の顔面を食い破ったのだ。

 凪の目論み通り、歩行者用信号機の真下で、柿崎の顔は爆ぜた。

 歩行者用信号の赤色のおじさんの無残な姿がデジャブ。

 ヘッドセットからは凪の満足げな声が聞こえてくる。

「ねっ、兄さん。FPSでも、サバゲーでも、まずはマップを覚え――――」

 凪の言葉が突然途絶えた。同時に、唐突な痛みを覚える。

 痛みの発生源は後頭部。

 照準を覗いていたはずの視界が暗転。

『トリオン伝達機関破損』

 電子音声が自分は撃ち抜かれたのだと告げる。

「凪、ご主人が撃たれちゃった。…弾道計算が完了。相手の位置座標を送るね」

「に、兄さん、大丈夫ですか。……、その、痛くないですか?」

 内臓が宙に浮くような浮遊感を得てから、白いベッドへと落下。ヘッドセット越しに聞こえてくる凪の声に、急いで返事をする。

「だ、大丈夫だから。狙撃手やり慣れてなかったから、油断していたのかも、ごめん」

「反省は後にしましょう、兄さん。……あいつは、私を怒らせました」

 静かな声。だが、ヘッドセット越しからでも、明らかに怒気がこもっていると伝わる声音。

 テレポートをしたのだろう、人工視覚に映る風景が急激な様変わりを見せる。凪が2度ほど跳躍をすると、プリン頭が薄暗いビルの中に逃げ込むのを視界の端に捉えた。

 どうやら僕がいた位置と、歩行者用信号機があった位置と、プリン頭が狙撃した位置は正3角形の各頂点のような位置関係だったらしく、あっという間に凪はそいつに追いつく。

 ギラリと白く発光するスコーピオンの剣尖(きっさき)をプリン頭の頭部へ突きつける。薄暗いビルの中では、その白光が目に刺さるほどに眩しい。

 ダダッと地を強く踏みしめる音。急激な加速。

 ビルの中のデスクや標語ポスターが、流れる風景に混ざって溶けるほどの速度。

 上段から振り下ろされるのは、空気を縦に断ちきる剣線。その白刃は発条(バネ)が入っているかの如く、刹那にして斜め上に翻った。

 ぼとり、ぼとりと、両腕がリノリウム張りの床に落ちる音。

 勝負あったと内心で安堵していると、凪の視界が苦悶に表情を歪めたプリン頭の顔へと近づく。

「今までのことは百歩譲って水に流してもいいでしょう。しかし、兄さんを撃ったことはいただけません。……兄さんを撃っていいのは私だけですから」

 喋り際に三度スコーピオンが振るわれる。ぼとり、ぼとり、ぼとりとそれなりの質量の物質が床に落ちる音。

 凪の意味深な呟きを聞き終えることなく、冷たい床に横たわったプリン頭は、ビルの天井を突き破って緊急脱出した。

 プリン頭の両足を太ももから切り落としたのは、薄暗いビルに映えるスコーピオンの白刃。

 それを握る凪だけがそこに残った。

 

 

 

ほどなくして、ふうと一息つきながら凪が八宮隊の隊室に帰ってきた。僕とクーちゃんはおつかれ様とハイタッチで出迎える。

「いやー、ご主人あれはないよ。いくら、慣れないアイビスとはいえ」

「クーちゃんの言うとおりですよ、兄さん。あまりに、間抜けといいますか、気が抜けてるといいますか。撃ったら場所を変えるって常識ですよ」

「まあまあ、それは謝るから、取り敢えず総評でも聞こうよ。今日は出水さんらしいからさ」

 口をへの字に曲げてぶーぶーと苦言を呈する2人を(なだ)めつつ、矛先を逸らすため解説を聞こうと促す。その後、9:16の長方形を気持ち大きめに宙に描き、会場にいるクーちゃんのドローンのカメラをオンラインにして映像を投影する。

 まあ反省は後に回しましょうとこぼしながら、凪は白衣の裾を巻き込んでよいしょと椅子に座った。

「ねえねえ、凪。凪は何で、私服で白衣着ているの、ご主人は仕事があるからともかくとしてさ」

 クーちゃんが凪の90度右の椅子に腰をかけ、きょとんと首をかしげながら訊ねる。

「えっ、………あ、そ、そう、寒いからですよ、クーちゃん。白衣は足まで裾がありますから、暖かいんです。そうなんです」

 凪がまくしたてるように言葉を発っしている間に、ディプレイに映る実況の武富が解説の出水さんに向けて快活に喋り出す。

『さて、解説の出水さん、振り返ってみてこの試合はどうだったでしょうか?』

 はきはきとした溌剌な声は彼女の美点だが、あまり近くで聞くと少しげんなりしそうではある。弾数No.1射手(シューター)の出水さんもこころなしか、椅子を遠ざけて座っているように見えた。

『そうですね、結果だけ見れば八宮隊の圧勝です。はっきり言ってしまえば、わからん殺しなので、やられてしまった柿崎隊と相模隊は運が悪かったとあきらめるしかなさそうですね。試合時間は3分にも満たなかったので、短期決戦が八宮隊の作戦なのでしょう』

 わからん殺し、初見殺しとはまさにその通りだと、3人で目を見合わせて思わず苦笑してしまう。

『わからん殺しとは、どういった点がそうだったのでしょうか』

『おそらく3つありますね。開幕アイビスと八宮さんの丸いトリオンキューブ、それと柿崎隊長を倒したピンポイントな狙撃がそうです。これらが8点という大量得点につながりました。八宮隊はまだ2戦しかやってませんから、まだ隠し玉を持っているかもしれないですね。1戦目だと、八宮さんは一切狙撃してないし。取り敢えず、丸いトリオンキューブは俺が個人的に聞いておきます』

 丁寧なですます調で、流水のごとく話す出水さんに若干以上の違和感を覚えるも、隠し玉の件も含めて概ねその通りだと、うんうんと首を縦に振る。

『見事な解説ありがとうございました。さて、本日予定されていたすべてのランク戦が終わり、暫定順位が更新されます。続いて次回の対戦の組み合わせがこちらです』

 

会場の大型液晶に電圧が加わり、その分子配列が変化して各部隊の順位と次の対戦相手、その日取りが順々に浮かび上がってくる。

「兄さん、8位ですよ、8位、やりましたね。次の相手は那須隊と諏訪隊ですって」

「げっ、那須隊か…」

 薄幸の変化弾美少女の那須さん、日本刀黒髪美人の熊谷さん、か弱い系泣き虫少女の日浦さんといったメンバーに弧月を振うのは少し気が引けてしまう。

「兄さん、何ですかその、”げっ”っていうのは。まさか、かわいい女の子を傷つけるのは躊躇(ためら)われるって言うんじゃないんでしょうね。私にはずっぷり、ばっさりやってるくせに」

 図星だった。真向かいに座っている凪は人差し指をとんとんとせわしなく1拍子で机に打ち付けて、こちらをじとっと睨みつけてくる。

「いやまあ、確かに躊躇いはあるけど、凪が決してかわいくないって訳じゃなくて、むしろ凪は特別と言いますか、何と言いますか…」

 嘘は言ってないと思いつつ、内心何がどういう意味で嘘なのかがよく分からくなってきたが、平静を装って言葉を紡ぐ。

「ま、まあ、そういうことならいいでしょう。今度はやられないように気を付けてくださいね、兄さん」

「ところでさあ、ご主人。あのトリオンスフィアだっけ、あれみんなに見せて大丈夫だったの」

 表情を綻ばせた凪を尻目に、薄緑のサスペンダーをさすりながらクーちゃんが切りだした。

「ああ、あれは見せても大丈夫だよ。どうせ誰も真似できないからね。通常弾でも変化弾でも誘導弾でも、銃型のトリガーなら事前に弾道のプログラムを互換性のある形で組み込めるんだけど、射手の弾道式はそうはいかないんだ。射手は頭の中で論理展開される、その人オリジナルの弾道式で、トリオンキューブを操っているからね。だから射手の場合は、pro(前もって) gram(書いたもの) とはいえ、その本人が指示書を理解して、直書きしないといけないんだ。集合論の本質、「選択公理」の成否に関わる”バナッハ=ダルスキーのパラドクス”を理解していれば、たぶん誰でもできるだろうけど、高校生や普通の大学生にはまず無理だろうね。まあ、クーちゃんならできそうだけども」

 僕はゼミの教授を自らに重ねるようにして、とことこと歩きながら解説をする。説明にひと段落がつくと凪が口を挟んできた。

「じゃあ、兄さん、私はどうですか。私もやってみたいです。せっかく理学部の数学科に入れたことですし」

「大学の講義で買わされた集合論の学術書がその棚にあるから、まずはそこから始めるといいかな。分からないところがあったら、僕も手伝えるし」

「okです、兄さん。兄さんだけチート使えるっていうのは我慢ならないですからね。では、私はコーヒーでも飲みながら勉強してきます」

 僕が数冊見繕ってやると、凪はそれを受け取って走り出した。廊下からは、カツカツとローファーで床を叩く音が聞こえてくる。

 カツカツという子気味良い音が突然止まったかと思うと、それは音をだんだん大きくしてこちらへととんぼ返りを始めた。

「に、兄さん。そ、その、14日の夜、空けといてくださいね。……これだけです」

 扉から顔だけ覗かせてやや早口で言ったかと思えば、凪はすぐさま踵を返して走り出した。カツカツではなく、タッターンとスキップに近いような音が廊下から響いてくる。

「ご、ご主人。13日の夜にご主人の時間が欲しいな。この前、ショッピングモールに行った時のあれ、まだ果たされていないからね。……期待してていいよ、……岬」

 白い机に上半身を乗せ、こちらに身を乗り出してクーちゃんが言った。どうにも、クーちゃんに自分の名前を呼ばれると、ドキンと心臓が跳ねそうになる。

「わ、分かった、大丈夫だよ、クーちゃん。……この試合の反省のために、ちょっと夜風に当たりに行ってくるね」

 クーちゃんはいってらっしゃいと微笑んだ。その笑顔に後ろ髪を引かれながらも、下手な言い訳をした僕はそそくさと部屋から抜け出す。

 

 

気を落ち着けるため、外気に触れようと、非常用階段に続く扉を開ける。

 簡素な造りの無骨で無機質な階段には、職員の隠れ煙草の痕が散見された。

 夜風に当たると言っても、時刻はまだ18:00前。

 白衣の裾を巻き込んで階段に腰を下ろし、地上6階から、ふと空を見上げる。

 はっきりとしない茜色。あやふやなグラデーションの空模様。

 宇宙の黒と太陽の赤は、まばらな雲も相俟って、お互いの色を飲みこもうと複雑に溶けて混じり合っていた。

 

 

 




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
感想、お気に入りとても嬉しいです。
文字数少なくしろって感想をどしどし募集中です。
おいおい文意が通じねえぞって感想もどしどし募集中です。

※以下はチラシの裏。こっちの方が書いてて楽しい感ある。

「ねえねえ、凪。何で今日はキッチンにいるの?」

「それはですねえ、クーちゃん。今日はオムライスRTAに挑戦するからですよ」

「できるだけ、早くオムライスを作るってことだよね、凪」

「察しがいいですね、クーちゃん。私達はタイマーさえあれば、時間を縮めようとするんです」

「凪、それで目標タイムは?」

「1分切りです。では、いきます!!」

「え!? な、凪、何でオムライスなのに、電子レンジ使ってるの? レンジに入れたのは何?」

「これは冷食チートと電子レンジバグの合わせ技ですよ、クーちゃん。今回のレギュレーションはバグ有、チート有の何でもアリです。50秒後にはできたてのチキンライスが解凍されるって寸法です」

「じゃあ、凪が手に持っているそれは、オイルスプレーバグと電動泡だて器バグだね」

「そうですよ、クーちゃん。速さのためなら、手段を選びません」

「す、すごいよ、凪。凪って、卵焼くの上手なんだね」

「ふふん、ざっとこんなもんですよ。あとは解凍された、チキンライスにのせるだけです。最後に、ケチャップをかけて……、完成。クーちゃん、タイムは?」

「53秒、コンマ以下は620だよ、凪」

「やりました、自己ベスト更新ですよ、クーちゃん」

「でさ、見た目は十分だとして、味はどうなのかな」

「うーん、味はそうですねえ、冷食のチキンライスに薄焼き卵をのっけて、そこにトマトケチャップをかけた味です。まあ、可もなく不可もなくって感じですね」

「まあ、味はともかく、更新したのなら、おめでとう、凪。……でさ、今検索したんだけど、"レンジでできるオムライス"って冷食があるけど、今度はこれで挑戦してみる?」

「レンジに入れるだけで、簡単RTAですね、クーちゃん。理論値としては、業務用の大型レンジを使うと最速が出せそうです。早速ぽちりましょうか」

「な、凪はそれでいいの……」


チラシの裏の方が面白いぞっていう、奇特な方がいらしたら、教えてもらえるとありがたいです。つまらんやめろ、でもかまいません。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。