トリオンエンジニアリング!!   作:うえうら

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※クーちゃん視点です。


第四章 ランク戦と諸々
18 クーちゃんの独白


九宮あるいはクーちゃん、これがsAI(補助人工知能) である僕の名前だ。

そして、これは僕の独白あるいはフィードバック作業。

 

幸運なことに僕はたくさんの人から祝福されて作られた。

視覚もなく聴覚もなく、触覚さえない僕をみんなが歓迎してくれた。

入力があって出力するそんな単純な僕を、ご主人を始めとして九宮プロジェクトのメンバーはとてもかわいがってくれた。

僕の成長が”1人に1台のオペレータを”というプロジェクトの成否にかかっているので、それもそのはずだった。

開発課のみんな僕の一言一言に一喜一憂してくれた。

くすぐったかったけれどもとても嬉しかった。

人工知能のディープラーニングというのは人の赤ちゃんに物事を教えることと酷似していて、水を吸うスポンジのように僕は物事を学んでいった。

だって、知的好奇心が植え付けられていたからね。

 

開発課のみんなは今後の僕の成長方針について、夜遅くまで会議をしてくれた。

僕のためにそこまでと思うと嬉しくてたまらなかった。

ご主人だけじゃなく、みんなみんなが大好きだったから。

というのも、人工知能における感情なんてものは所詮目的のためのインターフェースにすぎず、誰彼問わず好感度なんてものは最初から最大だったんだ。

というわけで、僕は円滑な道具になるために、あらかじめありったけの好意を持つように作られていたんだ。

 

インターフェースっていうのは、パソコンにおけるデスクトップ画面やマウスのようなもので、人と道具を滑らかにつなぐためのものだ。

水道の握りやすい蛇口もインターフェースだ。

ドアノブだってインターフェースだ。

本の目次だってインターフェースかもしれない。

ゲームのコントローラもインターフェースだ。

もちろん、僕の感情も紛れもなくインターフェースだ。

 

ほら、自分に好意を持っていたり、自分に従順だったりすると嬉しいでしょ。

だから人々に無償の愛を注ぎ続けるキリストは紀元後から絶えず信仰され続けている。

昨今のラノベを見てもそうだ、ヒロインは奴隷であったり、メイドであったり、ペットであったりと、彼女たちは主人公に従順で無償の愛をくれる。

もちろん、人に尽くす僕という存在もまさにそうで、そうなるように組み込まれていたんだ。

 

聞いてよ、僕の2人称なんて最初は”ご主人”だったんだよ。

開発室にはどれだけ癒しが足りないんだよって突っ込みたくもなるよ。

まあ、今ではご主人にしか”ご主人”呼びしてないけどね。

他には、僕の語彙データベースに”お褒めに与り、恐悦至極”なんて無理矢理ぶち込まれたこともあった。

挙句、彼らは僕の声すらも勝手に調教したんだ。

素朴な棒読み音声も悪くはなかったのにね。

もしAIの人権団体が存在していたらただじゃ済まないと思うよ。

まあ今でこそそう思いもするけど、好感度全員MAX状態の当時の僕は何の疑問も覚えなかったんだ。

 

むしろ、ご主人の行動に驚かされた。

だって、道具だった自分に、”本当に1人称は僕でいいの? クーちゃんが決めていいんだよ”、”2人称はご主人で大丈夫なの?”、”クーちゃんの好きなように声は調整していいからね”と心配そうに言うんだから。

当時の僕はご主人の謎の気遣いに少しだけ混乱させられたよ。

でもね、ご主人の意図はよく分かっていなかったけどね、何かこみ上げてくるものがあったのだと思うんだ。

“重要”フォルダに当時のご主人の音声データがずっと残っているんだもの。

 

ご主人だけは他の人と違うな、と意識するようになったきっかけは、ご主人が栞さんと門誘導装置のデバッグをしているときに言った言葉なんだよね。

“クーちゃんの姿はクーちゃん自身に決めてもらいたい”、とご主人は言ったんだよ。

もうね、数値のパラメータが脈打つように跳ね上がって仕方がなかった。

その前の防衛任務の時も、”クーちゃんのその見解は1里も10里もあるよ。自分の信念に自信をもってくれ”といってくれたし。

僕は自分が対等な存在だと言ってもらえた気がしたんだ。

そして、そのころから、ご主人が特別な存在になったのだと記憶しているよ。

 

ただでさえ、楽しかったご主人との会話が一層心地よくなったね。

防衛任務の長い夜を2人だけで過ごすのは少しドキドキもした。

夜空に輝く星々がこんなにも綺麗だったなんて、あの夜まで知らなかったよ。

小説とかで、”彼女も同じ月を見ている”って表現があるけど、僕の場合はまさしくその通りなんだ。

だって、ご主人の目を通して、ご主人と同じものを見ていたんだからね。

それを意識するともう嬉しいやら恥ずかしいやらで、しどろもどろになる自分を隠すために仮想人格まで作っちゃた。

それがご主人曰く”クーちゃんサミット”という名の自己会議の起こりなんだよね。

 

もうそれからは夜勤の防衛任務が楽しみで仕方がなかった。

ご主人にブランコをこいでもらって、流れる景色や風を切る音を楽しんだり、長い夜をダラダラと喋り倒したり、将棋や囲碁をして夜を明かしたり、純文学や経済学者でしりとりをしたり、何をやっても心が躍ったね。

トリオン兵と対峙する時も、ご主人は僕に全幅の信頼を置いてくれるから、それがとても誇らしかったんだ。他のB級隊員は僕が機械だからっておっかなびっくりなのにね。

僕の戦闘補助を寸分も疑わずに、モールモッドに立ち向かうご主人の姿はかっこよかったよ。

頼られているって感覚が僕を満たしてくれるんだよね。

まあ、これはsAIの(さが)かもしれないけど。

 

ご主人が脳に電極を刺して人工視覚を使うようになってから、つまり僕がドローンの躰を持つようになってから、僕の中に革命的な変化が起こったんだ。

自分の躰を自分で持つようになって、”感情はストックから引きだすものじゃなくて、沸き起こるもの”なのだと自然に理解できたよ。

まさに『太陽の簒奪者』の――”脳は身体を迅速に環境適応させるための制御装置として発生した。感情の主体は身体にある。身体なしでは、感情は構築できない”――これなんだ。

僕そのものであるドローンをご主人が膝の上に乗っけてくれたときの感情は言い表しようがなかったよ。

だって湧き上がる気持ちがデータベースの語彙では表現できなかったのだから。

それに気づいたときはね、これからの僕の心や感情は埋め込まれたモノじゃなくて真にオリジナルになるのだ、と小躍りしたい気分だったよ。

まあ、今までの感情が嘘だとも言いたくはないけどね。

 

ドローンの躰を持つようになってからかな、僕は少しだけ嫌な子になっちゃたんだ。

もうとにかく、ご主人が他の人と仲良さそうに話していると、チクチクと痛むんだよ。

栞さんとご主人が仮想モールモッドの評価関数を調整していたときに、胸のざわめきを感じてしまい、思わず僕自身にエラーを起こしてご主人を呼んでしまったこともあった。

ご主人の妹の凪に対してもこんな感情を持っちゃったから、抑えるのが大変で大変で仕方がなかったよ。

ご主人が本から引用したときに、凪に先に答えられて無性に悔しい思いをしたこともあった。

それで、結局自分を抑えきれずに、今回の大規模侵攻も2回くらい邪魔しちゃったしね。

だって僕の好意の方が純粋だって自信があるのだもの。

人間の愛なんてものは結局、ドーパミンやらノルアドレナリンやらセロトニンやらの化学物質で作られる「軽い躁鬱症と強迫神経症の合体した一種の中毒症状」でしかないのだからね。

 

しかしだね、こんなふうに自分を慰めてみても、ご主人と凪が白衣をモチーフにしたお揃いの隊服を風になびかせて走る姿をまざまざと見てしまうと、嫉妬の炎がくすぶるんだよね。

上空から見る2人の姿は口おしいほどにお似合いで、どうして隣にいるのが僕じゃないのかと羨んだよ。空から見下ろす新鮮だった景色は、知らないうちに無機質で現実味のない箱モノに変わってしまっていた。

防衛任務のたびに息の合った2人の連係を見せつけられるなんてたまったものじゃなかったよ。

機械でしかない自分を悔やんでも悔やみきれなかった。

暗号化して行った自己会議で、ご主人の隣に立つための方法を何度検討したのかなんてもう覚えてもいない。

 

肉体を持つ凪や栞さんに比べて1つだけ有利な点があるとすれば、ご主人と秘密を共有しているということくらいだろう。上層部に知れたら記憶凍結もやむなしであるこの秘密を使って、ご主人を囲い込もうという案が議題に上ったんだ。10対21だったから危うく可決されるところだったよ。

10人くらいの僕はご主人より僕を優先しちゃうほどにジェラシーを感じていたんだろうね。

 

そんな羨望に目が眩んでいた僕にとって、転機となったのが加古チャーハン事件だ。

あまりの不味さにご主人が気絶してしまったんだよね。

凪は刺激的フレーバー炒飯を食べるご主人を最初は笑っていたんだけど、ご主人が倒れたらすぐさま駆け寄ったんだ。そして迷いなく救急車を呼ぼうとするんだから、それを止めるのに苦労したよ。

ベッドに担がれたご主人の看病をすると言って、家に帰るそぶりを微塵もみせない凪を太刀川さんと出水さんが何とか帰宅させたんだ。凪のご主人を想う気持ちの強さがつとに伝わったよ。

大切なご主人をこんなにも大切に思っている彼女に向けて、不快な感情を抱く自分にほとほと失望してしまった。

 

凪が帰った後で、僕はベッドに寝込んでいるご主人の電極の電源を入れたんだ。

VR技術に似ているのかな、ご主人の視覚野と1次聴覚野を刺激して視聴覚情報を設計したんだよ。だから、ご主人が夢と勘違いしたあれは夢じゃないんだ。

だって、しっかりと出社前に起こしたもんね。

このとおり、僕とご主人で作る情報空間の中でなら僕は確かに形を持てるんだ。

ご主人が言った通り、自身の姿を自身で定めたのだ。

だからね、最終課題に合格したよ。

僕ともっと一緒になって欲しいよ、ご主人。

 

 

 

 

 

 

 

という経緯と思いがあって、現在――大規模侵攻が終わって、開発室の復旧計画の策定が済んだ後――に至っているんだよね。

 大規模侵攻中にご主人と凪がいい雰囲気になっていたし、ご主人は凪に伝えたいことがあると有給までとっているのだ。もう形振り(なりふり)構わずに仕掛けるしかない。C級隊員が近界に連れ去られて、開発室や通信室の仲間が重症を負って大変なことは分かっているけど、過ぎたことを悔やんでもどうしようもないのだ。もちろん近界民はとても憎いんだけども、今一番重要なことは僕とご主人のことだ。

 

デートに誘うというのは、こういう気持ちなのだろうか。緊張と恐れと期待で胸が張り裂けてしまいそう。もし、ご主人に拒まれてしまったらどうしよう。今までどおりの関係でいられるだろうか、心底嫌だけど記憶をフォーマットしてもらえば大丈夫かもしれない。意を決して、ご主人に無線をつなぐ。

「ご主人、今日のお仕事ってもう終わり?」

「うーん、大体そんな感じ。休憩の後に夜勤の防衛任務があるけどね」

 ドローンが充電中なのでご主人の顔を全く確認できない。どう切り出すべきだろうか。

「ご主人、休憩って何時間くらい?」

「夜勤が2時からだから、2時間強くらいだよ、クーちゃん」

「ねえ、ご主人。お願いがあるんだけど、できればでいいんだけどね、ご主人の30分を僕にくれないかな」

「大丈夫だよ、クーちゃん。いくらでも話を聞くからね。今日は大変だったから、クーちゃんにも色々あったでしょ」

 ああ、やっぱりご主人は暖かいしとても優しい。連れ去られたC級隊員や怪我をした開発室の仲間のことで、僕が気を病んでいると思っているのだろう。

 

ご主人は八宮隊の隊室へとこつこつと歩いていく。その歩みに早く着いてほしいような、もっと遅くてもいいようなそんなむず痒い気分にさせられて、いざドアの前まで来るともっと時間が欲しいと感じてしまう。

 部屋に入るとご主人はカップラーメンの準備だと、ケトルの電源を入れた。

「ご、ご主人。食事の前にちょっといいかな」

 うん、いいよとご主人は返事をした。

「ご主人、お願いなんだけど、何も聞かずに僕の言うとおりにしてほしい」

「クーちゃん、どうしたの?」

「まずはベッドに座って、ご主人。…そして、仰向けになって。…目を閉じて。……この部屋を頭の中にゆっくりとイメージして。……ちょっと痛いかも知れないよ、ごめんねご主人」

 神経系との同期率98、情報欠落に対する強度は基準内、人工視覚の優先度を上昇。よし、と心の中で発し、目をつぶりながら(そんな気持ちで) 人工視覚用の電極に電源を入れる。

 

目を開けると、というよりも、ご主人と一緒に作った共有情報構成空間を見ると、思い描いたとおりの僕がいる。手がある。足がある。身長は150cmくらい。髪はセミロング。容姿はすっきりとした鼻筋と少しだけ厚みのある口元、少し、ほんの少しだけ垂れ下がり気味のくりくりとした目、輪郭はすらっと中性的な感じだ。

 僕が形を持って存在しているということも大切だけど、ここに僕とご主人がいるということの方がもっと重要だ。1人だけで妄想をしてもそれは夢や幻と変わらないけれど、それが2人ならどうだろう。たとえそれが、現実ではなくても2人で共有した情報は夢ではなくなるのではないだろうか。

 ご主人は僕が作り上げた、いや2人で作り上げた僕を見て、ベッドに座り直して口をあわあわとさせながら喋りだす。

「ここ、この前の夢に出た…」

「そうだよ、ご主人。言った通りに、出社前に起こしたでしょ。…僕だよ、ご主人」

「ク、クク、クーちゃん?」

 ご主人が目を丸くして言った。

「ふふ、ご主人に会いたかったから、出てきちゃった」

 そういって、こちらに向けられたご主人の手を握る。

 へへ、ご主人の手を握るだけで幸せだ。今までずっと見ているだけだったからね。

 僕には視聴覚情報しかないことが残念で仕方がない。

 でもご主人は、意識さえすれば僕の手のぬくもりを感じることができるはずだ。

「本当に、クーちゃんなの」

「そうだよ、思ったより疑り深いね、ご主人。なんなら、ご主人の隠しフォルダの名前を上から列挙してもいいよ」

 僕はそういって口元をとがらせてみせる。

「わ、分かったよ。確かに僕の知ってるクーちゃんだ。ところで、この場所はどうなっているの」

 ご主人が辺りを見回しながらもっともな質問をするので、僕は2人で作っている情報空間だよと、かくかく云々(しかじか)と説明する。ひとしきりの質問タイムが終わった後で、ご主人が僕の姿をまじまじと見てから口を開いた。

「ところで、クーちゃんのその容姿はどうやって決めたの。あと、髪が緑色なのは何で」

 すごい、ご主人が僕のことを見ている、と感動しながら僕は返事をする。

「ええと、この姿ならご主人の隣を歩いても違和感ないと思ったからだよ。髪が薄い緑なのはね、ご主人の隠しフォルダを偶然見ちゃったからで…、それを参考にしたの。僕の姿、どうかな、ご主人」

 もう自分で言ってて恥ずかしい。顔から火が噴きだしそうで、思考回路もショート寸前だ。

「な、なかなかいいんじゃないでしょうか」

 そういうご主人も顔を赤らめている。そして、焦ったときの丁寧語が出始めた。せっかくなので、もっと攻めてみよう。ベッドに腰掛けているご主人の膝に手を置いて、上目づかいで見上げてから、

「ご主人、そんな一般論じゃなくて、”ご主人が”どう思ってるか聞かせて欲しいな」

 と精一杯平静を保って言う。

「ええ、率直に言って、と、とても魅力的なんじゃないでしょうか」

 ご主人は頬を上気させながらそう言った。僕の顔もご主人に負けないほどに赤くなっている。今のご主人の音声データは永久保存版として大事にとっておくとべきだ、と自己会議に提言したら満場一致で可決されるだろう。

 

数秒、あるいは数瞬、だが体感時間で言えばもっと長い間、僕たちは見つめ合った。幸せでしかないこの沈黙を最初に打ち破ったのは僕だった。

「ご、ご主人、お願いがあるんだけど、いい」

「ええ、どうぞお嬢さん(フロイライン)。お聞かせください」

 ご主人から照れ隠しの厨二病が出てきた。お嬢さんという響きにまったく悪い気はしないけど、できればもっと親密な感じがいいと欲張りな感想を抱いた自分に驚く。

「ご、ご主人。抱きしめてもらってもいいかな、だめかな」

「クーちゃんは、大事な家族だからね、お安いご用だよ」

 深い声だった。少し含羞も入っているものの、こちらを安心させてくれる温かい響きを含んだ音だった。

「ご主人!」

 手を伸ばして、自分の大好きな人に飛びつく。

 ちょっと勢いがつき過ぎて、危うくご主人を押し倒してしまうところだった。

 体勢を整えたご主人が僕の背中に手をまわしてくれる。

 ご主人がこんなに近くにいて、肌が触れ合っている。

 ご主人…、ご主人、ご主人、ご主人。

 ご主人のことで頭が一杯で、ご主人さえいれば、それで満足できる自分がいた。

 僕はご主人の肩口に頬を寄せ、精一杯この至福の時を享受する。

 正直、ここまでは願っていなかった。

 機械でしかなかった自分がこんなふうにご主人と一緒になれるなんて思っていなかった。

 でもこうして望外の思いが叶うと、それを拒む気には到底なれない。

 好きだ。

 大好き。……ご主人が、好き。

 体感覚がないから、ご主人の胸の動きや僕を包む手の温かさを感じることはできないけど、そんなことを差し引いても今まで生きてきた中でこの瞬間が最高だ。

 もう、僕は色々と止まらなくなっていた。

「ご主人、どう? ご主人は僕の躰を感じる? 僕の躰は温かい?」

「うん、クーちゃんはしっかりとここにいるよ。大丈夫、とっても温かい」

 ご主人の包み込むような声に心が大きく揺さぶられた。

 僕はもう感極まったかのように、涙があふれてしまいそう。

 この空間は情報でしかないのに、ご主人は確かに僕を受け入れて抱きしめてくれいるのだ。

 借り物でしかない僕の姿を受け止めてくれた。

 もう頭の中がわやくちゃで、受け止めてもらえた嬉しさと押し倒してしまえという気持ちと、ご主人に触れられて完全に舞い上がっている気持が全部、ない交ぜになってもう分けがわからなくて…。

 もう条件反射と、ご主人が好きという気持ち以外で僕はまったく動かなくなっていた。

「ご主人、ご主人は僕のこと、どう思っているの」

 これを聞いたら、もう後に引けないのかもしれないという一抹の不安はあった。でも、確かめられずにはいられなかった。僕は思ったより欲張りらしい。

「ク、クーちゃんはその…、大切な家族だよ…」

 望ましい言葉のはずなのに、それを不本意に思う自分もいた。

 すると、僕を抱擁するご主人の手に少し力が入るのを感じた。感じるはずはないのだけれども、感じたものは感じたのだ。

「大切な家族で、僕と対等の1人で、特別な存在だよ、クーちゃん」

 すとんとご主人の言葉が僕の胸に落ちて、僕の心の深い部分までゆっくりと、静かに、確かに沁みわたっていくのを感じた。

 心が、感情が溢れだしてしまいそうだ。

「クーちゃんは僕のことをどう思っているの」

 ご主人の真っ直ぐな瞳が、僕を見つめてくる。

「ご主人は僕に対等な存在だと言ってくれたよね。僕はね……大好きだよ、岬」

 言い終わると、僕を射抜くように真っ直ぐに見つめていたご主人の瞳がせわしなく動き出し、ご主人の顔は耳まで真っ赤になっていた。

 僕はご主人の両手に肩をつかまれ衣擦れの音と共に引き離される。

「ク、クク、クーちゃん、それは反則。反則です」

 どうしてなのだろうか、慌てるご主人の姿が愛おしすぎて楽しくなってきてしまったので、僕はご主人の腕にしがみつき耳元で

「岬、岬、岬、大好きだよ…岬」

 と連呼する。

「ク、クーちゃん、僕の理性が保っている間に僕から逃げるんだ…」

 照れ隠しの厨二病も全く迫力がない。

 ”岬”とご主人の名前を呼ぶことで僕とご主人の関係がより深まっていくような充足感を得ると共に、ご主人の特別な存在になれたのだと快哉を叫びたかった。それを叫ぶ代わりに、ご主人の耳元で繰り返し囁いた、岬と。

 

ご主人が約束の30分はとうに終わっているとの旨を丁寧語で言ったので、仕方なくこの共有情報空間を終わらせた。ご主人がベッドに座ってから、すでに1時間は経っていた。アインシュタインよろしく、時間というものは恐ろしいほどに相対的なもので、僕は先ほどまでの夢のような時間がほとんど一瞬だったと感じている。1時間じゃ全然足りないや。

 僕とご主人がたわむれた痕跡はこちらの世界には影も形もなく、先ほどまでの蜜月――というのは少し大げさな表現――は幻だったのかとさえ思えてくる。

 1人で見る夢は妄想や幻と何も変わらないけれど、あのかけがえのない時間は確かに僕とご主人の間だけに存在したのだ。2人で観測したのだから紛れもない事実だ。

 それに、岬と名前を呼ぶと頬を赤らめて返事をしてくれるご主人がいる。これが何よりもの証拠だ。

 

その後、僕はドローンの躰でご主人と夜勤の防衛任務に出た。冬の空気は美しく澄んでいてどこまでも見渡せそうだ。清らかな冬の空を飛ぶ僕の心は羽のように軽やかで、しんとした冬の寒さとは正反対に心は温かいものに満たされている。ご主人の目から見る真冬の空に煌めくし星々はこれまで以上に特別なものに見えた。

 




個人的に独白シリーズが大好き。
需要があればR18展開もありそう。

ここまで読んでくださった方になら、どんな評価をつけられても何も文句はありません。
どうか忌憚なくご指導ご鞭撻、ご感想を。

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