【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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第二話【花、散らす】

 

 花びら舞う夜。夕飯を美味しくいただき、酒も存分に堪能した俺は、酔いを醒ますために外に出ていた。

 手に持つのは、先程返してもらいに行って回収した十一代目──ではなくて、お借りした木刀である。十一代目は竹刀袋ごと腰に下げた状態なので、こうしていれば暴走する心配はない。

 いつも通り正眼に、ではなく、右手に持って肩に担いでから、左手を優しく添える。

 呼気は浅く。可能な限り身体を揺らさず、夜桜の散る世界に紛れるようにして、空気となった体を、散る花びらに影響を与えず、自然のままに一歩踏み込み、担いだ木刀を真っ直ぐ振るう。

 花びらの間を見切り、触れることなく下段まで降りぬかれた木刀が巻き起こした風が、地面に落ちた花びらを再び夜空に舞わせた。

 散って、乱れるからこそ花。風に吹かれるまま、なされるがまま、身を委ねるその姿は、剣士が夢見る夢想の境地を思わせた。

 だが花よ。

 そこは、俺も行き着いた。

 一刀。次は真一文字に薙いだ木刀は、風すら起こさず、花も揺らさず、何も斬らずに虚空を泳ぐ。

 斬るということは、斬らぬということだ。俺は斬るものを選べるからこそ、斬らないという選択肢も持っている。

 何もかも、斬らない。

 何もかも、斬る。

 この言葉は表裏一体。意味が異なるようで正に同一。斬るのである。だが斬らないのである。それがわかっているから斬るし、斬れるから、斬っていく。

 単純明快だ。人は俺を化け物と呼び、理解できぬ怪物と恐れているが、俺という個人はこうまで単純明快である。

 斬るのである。

 それだけを、どうして理解出来ない。

 表層に浮かぶ僅かな苛立ち。いつもなら感じるというよりも考えることもないそれは、ネギ君と出会ってから感じていることだ。しかし、そんな苛立ちも今振るっている木刀には微塵も響かない。至ったからこそ、俺という個人の思考は、斬撃という極地には影響しない。

 冷たく、凛と、花散るが如く。

 夜桜に溶けて俺は木刀片手に乱舞する。風に揺られるまま、己と全てを同化して。斬ることなく、斬っていく。斬られていくのは、弱い己。強く研がれていくために振るっていく刀は、次第に型などを無視した、夜の舞へと変わりいく。

 斬らないということを楽しめる。振るう刃が何も斬らない。斬ることを選ばない状況を、喜びをもって享受する。

 花に成れ。

 散り落ちていく。落ちた先に夢幻。

 乱れる花を見切る。真っ直ぐを断つようで、その実、閃きは花びらの如く揺れ乱れた。

 そうして暫く俺は、斬らぬ刃を堪能する。夜桜が生んだ閃き。散って、終わっていくこの景色があるからこそ、終わった俺はよく舞える。

 狂えばいい。

 狂って捻れて、真っ直ぐに歪んでしまえ。

 夜の桜は美しく、だからこそ狂気を予感させるから。

 

「……」

 

 そうして最後に我を通す。袈裟斬りが線上にあった花びらを悉く斬り裂いた。

 木刀を地面に突き立てる。体中に汗が滲み、額から流れる汗を俺は着物の裾で拭った。

 誇れる、刀ではない。

 いつからか。神鳴流の剣に違和感を覚えたのは。

 いつからか。奥技を使わなくなったのは。

 人の中に住まう魔のみを斬る。つまりは斬りたいものを斬る。その理念を違えぬようにしながら、いつから俺はその場所から外れたのか。

 これでは破門も当然である。

 そんな、取るに足りない俺だというのに。

 

「こんな俺に……何の用だ?」

 

「やはり、気付いていたんだね」

 

 木刀を暗がりに向けて投げつけると。突如噴出した水の触手が木刀を掴み、そのまま砕いた。

 水を従えて現れたのは、京都についた早々すれ違った例の少年だった。人形のような冷たい無表情で瞳が、無感動に俺を見つめている。

 

「その剣」

 

 少年は俺の腰に下がっている十一代目を指差した。

 

「それが、誰もが君を恐れている理由。というわけではないんだね、青山君」

 

「……」

 

「まぁいいさ。悪いけど、依頼主の目的と、僕個人の目的のため、君にここで消えてもらうことにした……何も言わずに消えるなら、それでもいい」

 

 どうやら、予想通りに身内の敵。俺の名前を知っているのがよき証拠。

 そもそも、消えるならそれでいいとはよく言った。

 俺が気付かなかったら、そのまま殺してきただろうに。

 返答はしなかった。代わりに竹刀袋の口を開く。そして静かに、護符を可能な限りに貼った相棒。十一代目を取り出した。

 

「……へぇ」

 

 十一代目が放つ気を感じたのだろう。少年は目つきを鋭くして、さらに水の触手を展開した。膨大な魔力量が場を満たし、桜の花びらが一斉に飛び散る。避けるように少年の傍には落ちていかない花びら。増大する一方の魔力量は、現在、俺が知覚できる範囲に居る術者では、援護に来てもまるで意味をなさない。それはこの異変に感づいて、こちらに向かってこようとする詠春様を含めたその護衛も同様だ。

 むしろ邪魔でしかない。来れば弊害。そも、害悪。

 この敵手を、集団で囲うなど、修羅外道の俺ゆえに許せるはずがないのだから。

 その意志を示すように、俺は十一代目の柄に手を添えた。

 そうして、俺の相棒を人の目に晒すのだ。

 凛と。

 奏でる。

 鈴の音色を響かせよう。

 

「その剣……なんていうアーティファクトなのか、教えて欲しいな」

 

「名はない。むしろ、俺は君の名を知りたいな」

 

「……確かに。僕だけ君を知っているのは、フェアではないかもしれない」

 

 なるほど、と頷いた少年は、感情のない瞳で俺を見据えたまま呟いた。

 

「フェイト・アーウェルンクスだ。悪いけど、君には僕らのためにも消えてもらう」

 

 名を聞けた。それだけでもう充分。

 

「……俺は、青山だ」

 

「知ってるよ」

 

「いや……」

 

 知らない。

 君は知らない。

 わかっていない。

 

「俺は、青山だ」

 

 繰り返し告げるこの名の意味を。

 忌み嫌われ、恐れられ続けるこの名前の本当の意味を。

 君は何にもわかってないよ。

 ゆっくりと封印を解く。強力な護符に包まれた十一代目が、最後の封印を開放された喜びに、刃鳴りを何度も響かせた。

 凛。

 りん。

 りーん、と。

 舞い散る花に揺らぎ狂う。ほのかな明かりをくすんだ鈍色で反射して、月光に身じろぎするは冷え冷えと刀。扇情的な曲線を描く鉄のしなりは、それこそ夜に煌く一陣の流れ星の如く。

 今、秘匿を斬る。相棒よ。青山の気をその一身にたらふく飲み込んだ一振りの斬撃よ。夜を抜ける冷めた鋼。修羅場を取り込む無名の刃。誰も彼も虜にさせる、凛と囁く君の声を、この映える桜に歌ってくれ。

 

「いざ、尋常に」

 

 ──花、散らせ。

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 フェイトは、突如豹変した青山の気の圧力を感じて、本能的に後方に飛んでいた。本当に咄嗟のことだった。全力で、なりふり構わずその場から逃げた。

 その直感によって、奇跡的にもフェイトは生き残る。

 やはり凛と、歌は響いた。遅れて斬と、フェイトの前髪がはらりと落ちる。

 障壁は破られていない。それはフェイトを驚愕させるには充分な出来事だった。

 多重に展開された彼の障壁は、並大抵の一撃では抜くことはおろか、減退させることすら難しい。それほど彼の防御は完璧だったし、彼自身も自信を持っている。

 その障壁が破られていない。

 だというのに、フェイトの前髪は切断された。

 

「……」

 

 様子見で展開していた水妖陣は──いつの間にか消滅していた。何をされたというのか。警戒心をむき出しに、先程まで自分がいた場所に立って、刀を振るった状態で止まっている青山をフェイトは睨む。

 油断しすぎた。東方の片田舎、そこで恐れられている程度の男でしかないと、その程度にしか考えていなかった。

 勿論、フェイトもかつての詠春の実力を知ってはいるし、それなりに警戒はしていた。油断しているところに攻め込み、瞬く間に無力化すると、そう考えていた。

 だが今の一合でフェイトは考えを改める。目の前の相手は強い。紅いの翼の構成メンバー、それ並に考えなければ、敗北するのはこちらのほうだ。

 フェイトは障壁を張った上で、さらに魔力で身体を強化した。そして、消える。

 その影を青山は目で追っていた。虚空に飛んだフェイトは、片手に魔力を凝縮して青山に牙を剥く。

 

「千刃黒曜剣」

 

 夜空を埋め尽くす石の剣が、青山を中心にその周りを取り囲むように展開された。回避も迎撃も、その時間を決して与えない。単純な質量すらも圧倒的な石の刃は、並みの術者を百殺しても釣りがくるほどの破壊の嵐。

 指揮者の号令の如く、フェイトが腕を一振りした瞬間、石の刃が青山目掛けて殺到した。

 体中に襲い掛かる死の行軍。むせ返りそうな牙の軍勢に青山は酔う。酒精などさっぱり消えた脳髄が白熱して、気分は落ちていくジェットコースター。

 だからほら、歌を歌おう。凛と響け鋼の歌よ。振ったという事実すら斬ったのか。青山の右腕がぶれたと思った瞬間、周りを埋め尽くしていた剣の群れは、一本残らず細切れとなり、音色だけが夜闇に謳う。

 空に影。音と共に飛んだ青山は月明かりに影を伸ばし、フェイトを黒く染めた。彼が見上げれば、長大な野太刀を、月を割るように真上に掲げた青山の影。寒気と悪寒と斬撃の予知。

 死ではない。

 斬られると理解した。

 

「……ッ!」

 

 空を蹴って、フェイトは地面に落下した。受身を取る余裕すらなく床にクレーターを作ったフェイトは、鈴の音が鳴らなかったことに安堵、する暇もなく。花びらの中を駆ける青山を見る。

 展開したのは石の剣。フェイトはそれを両手に持って青山を迎撃した。

 一撃だ。一撃当たれば、敗北する。確信に近い予感がフェイトにはあった。目の前の敵手の刃に己を触れさせてはならない。

 石と鋼が激突する。一方は大地を砕くほどの踏み込みを、一方は花すら揺らさぬほど静かに。震えた空気が二人の間の桜を吹き飛ばした。

 花が舞う。空に揺れる。青山の目は沈んでいる。

 眼光はなかった。人形であるフェイト以上に、その男は目の光がなかった。

 

「ッ!」

 

 フェイトにとって恐ろしい時間が始まった。青山の斬撃は、刃鳴りを響かせて石の剣を他愛もなく斬り裂く。そのたびにフェイトは石の剣を生み出して、返しの刃を受け止め、距離をとる隙をうかがう。

 だがそれは叶わないことだとわかっていた。青山を見誤った。この男を倒すのならば、初手は何が何でも距離を離して、遠距離から無詠唱の魔法を全力で放ち続けるしかなかった。だというのに、フェイトは不用意にも距離を詰め、初手を青山に譲ってしまった。

 最悪の展開だった。この距離にいる限り、フェイトでは青山を倒すことは出来ない。耳元で何度も鳴り響く鈴の音色が不愉快だった。斬るという歌声が不快そのものだ。

 そして一合毎にフェイトは死ぬ。だというのに、ぎりぎりでフェイトは生きていた。首に添えられた死神の鎌は、未だに彼の首を斬り落とさない。

 まるで自分を殺す意思でもないかのようだ。だがその心意は悟れない。無表情で、瞳が死んでいる男から一体何がわかるというだろう。

 果たしてどれ程の時が流れただろうか。鈴の音色は何重にも重なり、すでに音として認識できなくなるくらい。

 冷たい空間が生まれていた。音は失われ、散る花びらは止まり、空気すら静止して。

 そんな中で二人だけは動いていた。ともすれば穏やかであった。子守唄のように小さく聞こえる歌声を聴きながら、フェイトは死の道を行く。

 青山は無言で石の剣を斬り続けた。この程度なら、千も万も億を斬ろうが、十一代目は斬られはしない。だからこの状況が続けば、青山の勝ちは揺ぎ無かった。

 戦いは、詰んでいる。

 フェイトは初手を失敗し、青山はそのミスを見抜いて己の領域に彼を引きずり込んだ。

 でも斬らない。

 だけど斬らない。

 青山には確信があった。この少年なら、ネギにうってつけだという確信だ。当然、本気で戦えば、今のネギではフェイト相手に一秒すら持たないだろう。

 だが違う。

 そういうことではない。

 圧倒的な格上として、この少年ならネギに強さの必要性をさらに刻み込むことが出来る。エヴァンジェリンと青山の戦いは、ネギに戦いの恐怖を植えつけた。だからここで、圧倒的な格上に挑む勇気を得てほしい。

 ならば、ここで斬るのは──未来の俺のためにも躊躇われる。

 そして青山は微妙に隙を見せた。これまで軌跡がほとんど見えなかった青山が見せた大振りな斬撃。見ようによっては功を焦ったような一撃を、フェイトは目論見通り後方に飛んで回避した。

 

「……」

 

「……」

 

 互いにかける言葉はない。距離を離したとはいえ、そこは未だに青山の距離であるし、青山もまた、己の距離とはいえ油断慢心できるほど、フェイトという相手は御しやすい敵ではない。

 花は二人の姿を隠すように舞った。

 夜の桜に修羅場は似合う。

 美しく彩られたこの劇場で、仕合えぬことに不満はあった。だけれど今宵はここで終幕。

 

「何事だ!?」

 

 戦いが始まってまだ一分。それでもようやくというくらい遅く、詠春共々、彼らはその場に集まってきた。

 青山はわざとそちらに意識を向けた。その隙に、フェイトは真下に展開した水の転移陣に沈んでその場から消え去る。

 

「大丈夫だったか!?」

 

 詠春が青山を案じながら近寄ろうとして、その護衛共々、動きを止めた。

 桜並木の下。十一代目を片手に青山は空を見上げている。風が吹き、いっそう散っていく花吹雪が彼の身体を覆い隠す様は、幻想そのもの。

 はっきり言おう。悪夢だ。

 

「ヒッ……」

 

 その有り様に護衛の幾人かが小さな悲鳴をあげた。

 ただただ、何て有り様だというしかなかった。

 青山は刀を手にして立っているだけだ。それだけでなんという有り様なのか。

 勿論、誰かが聞けば青山はいつも通りに答えるだろう。

 この様だと。

 この様だから、斬れるのだと。

 だが、今は誰も声をかけない。かけられるわけがない。荒れ狂う花吹雪の渦の中、ただ一つ揺らぐことなく立つ男の背中はとても冷たくて。

 月光、月下、桜に映える修羅の背よ。

 

 凛、と小さく鈴の声。鞘に十一代目を仕舞った青山は、詠春達のほうに振り返った。

 

「問題はありません。詠春様」

 

 花散らす。その顔が隠れていることに、詠春は無意識のうちに安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 特に怪我もなく帰ってきたフェイトを見て、それだけで千草は目を見開いて驚愕していた。

 

「よぅ生きてましたなぁ……もしかして、戦わなかったとか?」

 

 そうだと思えば納得できる。結局、フェイトは青山と戦わずにおめおめと逃げてきたのだろう。

 だがフェイトは無表情のまま首を横に振った。

 

「いや、やってきた……正直、君の言うことを過小評価しすぎた」

 

「んな……あんさん、あの化け物とやってきて、それで生き延びたんどすか?」

 

「一方的に弄られたけれどね」

 

 そして千草には言わないが、まず間違いなく自分は手加減されて生き延びたとみて間違いないだろうとフェイトは確信していた。

 何故、という疑問はある。御しやすい相手と思われたのかとも考えるが、そうでもないだろう。一分程度手合わせしただけだが、青山はぎりぎりで手加減はしていたけれど、それは決して本気を出していなかったというわけではない。

 ならばどうしてなのか。フェイトが考えることはそこだけだ。神鳴流の流れを組んだ剣術を駆使していたところからして、前衛を幾人か増やし、自分は遠距離から砲撃を繰り返せば、かなりの高確率で制することは出来る。そしてその前衛に関しては、今回の計画が成功することで手に入ることが出来る。

 当然、こちらの計画は未だ漏れてはおらず、相手が出来ることといえば、精々今回の襲撃を踏まえて、総本山の警護をさらに厳重にする程度だ。

 たった一つの不確定要素が、こうも頭を苛む。しかしフェイトの個人的な目的を果たすためには、青山という存在はあまりにも厄介極まりないものであった。

 だが迷っているにはあまりにも計画までの時間が短い。リスクは覚悟で、フェイトは脳裏で計画の方針を改めた。

 

「すまないけれど、計画を少々変更してもらっても構わないかな?」

 

「……勝算は?」

 

 ある。とは強く言えない。だが少なくとも、座して待つよりははるかにマシである。

 

「まぁ、最低限はしてみせるさ」

 

 問題がさらに増えたな。フェイトは内心で苛立ちとともにそう毒づいた。

 

 

 

 

 

「正直、先生がここまで使えないとは思いもしませんでした」

 

 痛烈であった。直球で心をえぐる一言に目を白黒させて、ネギは力なく膝をつく。

 

「うぅぅ。明日菜さぁん」

 

「ごめん。弁解できないわ」

 

 唯一の味方であるはずの少女もそこには同意なのか。視線を逸らして言い辛そうに呟いた。

 

「おしまいだぁ……僕はもう駄目だぁ」

 

「あ、あ。で、でも! 遠距離からの魔法に関しては目を見張るものがありましたので! 優秀な前衛が居るのを考えれば充分だと思います!」

 

 慌ててど真ん中をえぐった少女、桜咲刹那がフォローに入るが、それでも打ちのめされたネギはしおれたままである。

 まさにしなびたネギだ。力なく倒れたアホ毛が妙に哀愁を誘った。

 時は放課後の相談から少しばかりしか経っていない。ネギ、刹那、明日菜、そしてカモのご一行は、人払いの結界を敷いてから、ネギがどの程度自衛できるのかを確かめるために、刹那と一対一で試合を行ったのだが。

 結果は、無手の刹那に対して、ネギは初手に魔法の射手を放ち、それを防がれ、次の詠唱を行うよりも早く間合いを詰めた刹那に制されてあえなく完敗、といったところだった。

 

「んー。でもさぁ刹那さん。前衛ってのを私と刹那さんがするなら問題ないんじゃないんですか?」

 

 そんなこんなで、観客として試合を見ていた明日菜の素朴な疑問に、刹那は特に否定するでもなく、普通に頷きを返した。

 

「ネギ先生を特使として考えて、私たちがそれを護衛するに足る人間であればそれでいいのですけどね。問題なのは、今回の旅で私はそもそも彼の護衛に専念するでもなく、神楽坂さんに至っては本来は関係ない一般人です。とあればネギ先生の警護は完璧とは言えず、必然、万が一を考えた場合、自衛の手段は必要です」

 

「だけど、ネギには魔法があるでしょ?」

 

 初手で全てが潰されたとはいえ、ネギが放った魔法の射手の威力と数は、素人である明日菜の目から見ても凄いというのはわかった。

 その威力があればそう安々と負けることはないのではないか。そう思っている明日菜に、刹那は「先程の戦い、何であっけなく決着がついたのでしょうか?」そう聞いてきた。

 

「何でって……あ」

 

「そう、ネギ先生は距離を詰められれば、ただの子ども程度の能力しかない」

 

 明日菜が思い至った答えを刹那は代弁した。

 砲台の役割としての魔法使いとすれば、ネギは充分以上の実力があるだろう。しかし、今回の特使としての役割は、それだけでは足りない。刹那はネギばかりにかまけていられないし、明日菜は仮契約を行い、人並み以上の身体能力があるとはいえ一般人。

 ならば、ネギ自身にも相応の力は必要になってくる。

 

「でもさ刹那さん。こいつ、まだ十歳のガキンチョだよ?」

 

「だが教師で、さらに言えば学園長から依頼を正式に受けた人間です……それに、圧倒的な天才は、ネギ先生の年齢から頭角を現している」

 

 そう呟いた刹那の目が少しだけ暗くなる。だがすぐにその闇を振り払うと、刹那は「ともかく」と話を戻した。

 

「残りは五日、その間に最低でも自身への魔力供給による身体能力の上昇くらいは覚えていただきます。私は気を扱うので、厳密には違う系統の話ですが、コツなどはおそらく同じなはずです。それに平行して気の扱いの練習もしていただいたほうがいいかもしれませんが……大丈夫ですか?」

 

「はい……ちょっとくじけそうでしたけど、大丈夫です」

 

 まだ少しだけ涙目だけれど、ネギは立ち上がって刹那の提案に頷いた。

 そうだ。落ち込んでいる余裕なんて何処にもない。あの戦いを経て、己の力が無力でしかないことなどわかったはずだ。

 ならば、ここから始めていく。胸のもやもやを払拭するために、自分はもっともっと強くなる。

 そうした少年らしい真っ直ぐな誓いを胸に、この日からネギは加速度的に強さを手にしていく。

 それこそ、当人や周囲の人間すら驚くほどに。

 だからこそ、誰も、本人すらも気付かない。

 そこまでして何故強くなろうとする。

 どうして強さにそこまで固執する。

 何故、どうして。天才とは言われながらも、復讐のために戦闘用の魔法を手に入れながらも、これまで以上に強さを求めはしなかったというのに。

 どういうことなのか。それはきっと、ネギすらわからない。胸の中に潜むもやもやのせいなのか。

 

 その答えを知る者はきっと、ネギの変化を知れば冷たい瞳の奥に、ほのかな喜びを浮かべたに違いない。

 

 

 

 

 

 絡繰茶々丸はロボットである。それこそ、機会オンチな人間から見れば、ただの人間と見分けがつかないほど、彼女は人間を模して精巧に作られたロボットである。

 心の如きAIに、人と同じように感情表現を表すことが出来る性能。さらに身体能力は常人をはるかに圧倒し、魔力や気で強化された術者にすら、その単純なスペックで圧倒する。

 そして彼女の優れたAIを使ったハッキング機能や、各種武装の取り扱いによる完璧なサポート機能。

 まさに至れり尽くせりの近未来型スーパーロボットとでも言える彼女は、ともかく人間ではなく、厳密に言えばやはりロボットなのである。

 だからこそ、青山はそのことを見逃し、決定的な証拠を与えてしまったのだった。

 麻帆良学園のどこかにある一室。カーテンも締め切り暗くなった室内で、唯一の光源であるモニターに映っているのは、大停電時に行われたエヴァンジェリンと謎の男の一戦であった。

 そのモニターを見つめるのは三人。三人共、ネギのクラスメートである。

 

「……とまぁこのとおり、いつの間にかこの学園内に、全盛期の力を取り戻したエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、なんの冗談かモップで互角に渡り合った猛者が居るのが判明したネ。正直、今後の私たちの計画に大きな障害となるのはまず間違いないと見てもいいヨ」

 

 僅か一週間にも満たない時間の間に、科学研の技術を全て注いだロボットである茶々丸が、二回も修理に送られるという事態。一度目は何が起きたのかも茶々丸の映像からではわからなかったが、二度目は、四肢を破壊されながらも茶々丸はその映像は克明に映すことに成功していた。

 藍色の着物を着てモップを片手にエヴァンジェリンの猛攻を凌ぎ、さらに不死の肉体に回復すら難しい傷を与えるという異能。

 

「調べによると、彼はネギ先生が就任する一ヶ月程度前に麻帆良学園の清掃員として来たね。あまりにも地味であったために完全にマークから外れていたが……まさか、あんな隠し玉を学園が招き入れていたとは」

 

 本当に予想外である。見た目は飄々としながらも、内心で苛立ちを隠しきれずに、超鈴音は深くため息を吐き出した。

 

「えーっと……茶々丸が記録した映像データを元に、彼、青山さんの戦力を換算したところ。低く見積もってAAA。高畑先生クラスであると思います」

 

 パソコンの映像を見つめながら、葉加瀬聡美が最早笑うしかないといった風な笑みを浮かべながらそう言った。

 低く見積もって、タカミチクラスの実力。それはつまり、最大限に警戒するのであれば、青山はかつての大戦の英雄。サウザンド・マスターと同レベルに考える必要があるということになる。

 

「……そもそも、彼はどういった経緯でここに来たのか。どういう目的があるのか。強い者と戦いたいというだけの理由であれば、与しやすいと思うが?」

 

 最後の一人、龍宮真名がそう意見を言ってきたが、超は首を振ってそれを否定する。

 

「残念ながらそれは違うネ。一度目の映像の後、彼と学園長との会話記録を調べたのだが、彼の目的はネギ先生の護衛、その一点であるということがわかったネ」

 

「つまり、彼は学園側の人間である。そういうことかい?」

 

「しかも、他の魔法先生にも知らされていないところからみると……懐刀と見たほうがいいアル」

 

 その一言で、ただでさえ暗い室内にさらなる暗い雰囲気が漂い始めた。

 今年の麻帆良祭で行うはずだった一世一代の計画。そこに突如として現れた最大の障害は、流石の超ですら青山という化け物の存在までは予測できなかった。

 

「……もしも彼が敵に回った場合、学際中に使用できる切り札を扱えるのを前提としても、我々の敗北はほとんど確定ヨ」

 

 楽観的に見積もってもタカミチが一人追加されるという現実。しかもアレは、戦闘映像を見る限り明らかに立派な魔法使い、つまりは正義の味方などではない。そうした類とは種類の違う、別物の化け物。

 端的に言えば悪という部類に属するものであろう。

 

「だが、我々は今更計画を諦めるわけにはいかない」

 

 超はそう言ってから静かに語りだす。

 

「彼を調べ上げ、如何にして対処するか。今後はそこに重点を絞って、計画の見直しなどを進めていくが……さしあたっての情報として、今彼が京都に行っているということがわかっているネ」

 

 京都といえば、彼女達が数日後行くことになる修学旅行先と同じだ。そしてそこにネギが行くことからも、彼の目的の概ねは把握できるだろう。

 だからこそ彼がどういう状況で動くのか。どうやって護衛を行うのか。様々な場所から覗くチャンスとも言える。

 

「そこで龍宮サンには一働きしてもらうネ」

 

「察するに……例の青山という男を見つけ出し、京都における行動を監視。可能であれば、無力化の算段を考えろとでも? 映像を見る限りでは、この依頼……高くつくぞ?」

 

「そこは承知の上ね。こちらからは無理を言って茶々丸に修学旅行とは別口で京都に行ってもらったネ。今頃ある程度の情報は調べているはずだから、私も可能な限り協力はおしまないヨ」

 

 その言葉に真名は僅かに驚いた。超自らこの危険な依頼に関わるというのは、これまでなら考えられないことだ。

 

「……お前は裏方で暗躍するタイプだと思っていたのだけどね」

 

「そうも言っていられない状況ヨ。それに──」

 

「それに?」

 

「いや、なんでもないネ」

 

 超の歯切れの悪い言い方に疑問を覚えながら、特に何かを聞き出すでもなく、真名は一応の話の区切りがついたものと見てその場を後にする。次いで聡美もパソコンの電源を落とすと、そそくさと部屋を出て行った。

 そして一人、モニターの光だけの暗がりに残った超はスッと目を細めた。

 

「青山……」

 

 その名前は超もある程度は知っている。映像と照らし合わせれば、おそらくは神鳴流の流れを組むのは、武術にも長けている彼女であれば見当はつく。

 青山。神鳴流が宗家にして、神鳴流でも郡を抜いた実力を誇る化け物どもの名称。裏に通じていれば、特に日本という極東の裏を知っていれば、誰もが聞いたことのあるその名前。

 だからこそ、疑問だった。

 だからこそ、恐ろしい。

 

「お前は……」

 

 未来人という、誰に言っても信じないだろうから誰にも言っていない彼女の出生。未来から来た人間である彼女は、この時代に転移するに当たって、可能な限りその時代の情報を調べ上げた。そうすることで、自身の計画においてもかなりのアドバンテージになるからだ。

 だからわからない。

 何でだ、という疑問がわく。

 なぜならば。

 

「一体、何者ネ」

 

 超の知る未来に『青山と呼ばれる男は、この時代に詠春しか存在しなかったはずなのだ』。

 闇の福音と互角の実力を持ちながら、それほどの強さを持ちながら、超の知る未来には存在すら見当たらなかったおぞましさ。

 そこが、己が動く必要があると思うくらい、超が青山を警戒する理由に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 そして、それぞれの思惑を乗せて、修学旅行は賑やかな喧騒とともに始まりを告げる。

 最早、超の知る未来とは異なるこの世界で、犯してはならぬルールは一つ。

 

 鈴の音はだけは鳴らしてはいけない。

 

 それだけだ。

 

 

 

 

 


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