――別の世界に自分達は来たのだろうか。
龍宮真名の放った時間跳躍弾とも呼ぶべき恐るべき一撃を受けて学園祭終了後の未来へと飛んだ魔法教師や魔法生徒の全員が、いつもと変わらぬ街並みがまるで異次元のように見えて仕方なかった。
耳元で燻るように鳴る鈴の音色が気持ち悪い。肌に纏わりつく粘性の空気は気のせいではない。世界そのものが汚染されたような心地に、少しでも気を抜いたら意識が混濁してしまうという予感があった。
「これは……何だ」
そんな中、最後に転移で現れたタカミチがその場に居る全員の心境を代弁した。だが混乱しながらも状況把握をしようと、タカミチは虚空を蹴って空へと飛び上る。そして、あれ程まで繰り広げられた激戦が嘘のように静寂に沈んだ麻帆良都市を見渡し、絶句する。
「世界樹が……枯れている」
麻帆良を象徴すると言ってもいい圧倒的な生命力を漲らせていた世界樹が、葉の一枚も残らず全て消滅して、枯れ木のような様となっていた。まるでその身に宿していた力の全てを根こそぎ奪われたような姿に驚くのも束の間、タカミチはその傍で膝をついている超の姿を見つけた。
「超君」
「……無事、この時間帯に転移したようだネ」
タカミチの体感としてはつい数分前まで戦っていた相手だ。傷つきながらも隙を突いて勝利をもぎ取った少女の気高さを彼は知っている。
それが今は敗者の如く膝をつき、放つ言葉を震わせて顔を上げようともしない。
何かあったのは確実だった。
そして、それはきっと超にとって予期せぬ出来事なのも事実だろう。
「……侮っていた、というべきでしょうか」
「アル……!?」
「お久しぶりですねタカミチ君。本来ならば昔話に花を咲かせたいところですが、そうもいっていられません……そうでしょう? 学園長」
「……笑っておられんのは事実だのぉ」
突然現れたアルビレオにも驚いたが、遅れて現れた近右衛門の真剣な表情を見て、一体何処に居たのかといった私情は後回しにすることにした。
「……一体、何が起きたのですか?」
「儂にも分からん」
「私にも殆ど……尤も、これを理解できるなど、とてもとても」
タカミチの質問に近右衛門は申し訳なさそうに答え、アルビレオは意味深な笑みを浮かべて空を見上げる。
その視線に釣られて二人も空を、浮かぶ月を視界に捉えた。
「何か、知っておるのかの?」
「知っていると言えば知っています。ですが、知らないと言えば知らないとも言えます」
「今は言葉遊びに付き合う余裕はない」
「ふふっ、タカミチ君はせっかちですね。まっ、成長したと言ってもまだまだ若いということでしょうか」
余裕たっぷりなアルビレオの態度に、あまり余裕のないタカミチとしては小さくない苛立ちを覚えるが、懐より取り出したタバコに火を点けて落ち着こうと心がける。
「……さて、お主の知っていることを全て話してもらおうか」
代わりに質問を投げかけるのは近右衛門。その鋭い眼光は普段の穏やかな雰囲気などなく、積みかさねた年季と威圧感があった。
だが年季で言えばそれこそアルビレオは見た目以上に近右衛門以上に重ねている。常人なら怯みそうな威圧感も平然と受け止めて、アルビレオは軽く肩を竦めた。
「むしろ私よりも貴方達が知っておくべきことでしょうに。……善性を信じる貴方達の在り方は好みですが、この場合はそれが裏目に出ましたね」
「どういうことじゃ?」
「青山」
僅かに近右衛門の眉が揺れた。
「貴方達には、それを見届ける義務がある」
そう言って背を向けたアルビレオは、崩れたままの超の肩へ、労うように掌を乗せた。
「……貴女に責務は無い」
「ッ……」
「そうですね。そう言われて納得出来るわけがない。理由はどうあれ、この惨劇の一手目を放ったのは貴女だから」
二人の会話の意味が分からないタカミチと近右衛門を他所に、アルビレオはさらに言葉を重ねる。
「ですが、責任を感じるのは止めなさい」
「そんなの出来るはずがないネ!」
「責任を果たすと? それこそ自惚れです。貴女には最早、この惨劇に参加する力が無い」
「うっ……そ、それでも、私は……」
「覚悟は買います。決意も素晴らしい。しかし弱者にはもうどうしようもない」
――そしてそれは、私にも言えることだ。
アルビレオはそれとは悟らせないように自嘲の笑みを湛える。
世界に広まった斬撃の波紋。狂える使徒はこの間にも刃を片手に他人も知り合いも関係なしに斬り続けているだろう。そしてその根源を打倒しようが災禍は留まることなく延々と広がり続けるのだ。
それを全て何とか出来る力を超鈴音も、アルビレオも、そしてタカミチや近右衛門も持ち合わせていない。今もおそらく戦っているだろうネギと明日菜とてそれは同じだ。
唯一この惨劇に対抗可能な人間も、魔法世界でしか動けない現状では助っ人として呼ぶことは出来ず、誰もが英雄と讃えた男はもう存在しない。
「我々は無力です。一度溢れだした激流を留めることも出来ない。流されて飲み込まれるだけのちっぽけな存在です」
アルビレオの一言一句が超の胸に突き刺さる。流れ出した狂気に身を燃やされ、一切の抵抗すら出来ぬと自覚させられるこの痛みは、現実を見据えながら、誰よりも理想家だった超には耐えきれない。
「ですがそれは、一人だけなら、いう話です」
だがその事実を突きつけて超を追い詰めるのがアルビレオであれば、崩れ落ちた体に手を差し伸べるのもアルビレオであった。
超がゆっくりと顔を上げると、掌を差し出したアルビレオは穏やかに笑っている。
「もう間に合わないかもしれません。ですが、まだ間に合うかもしれない。……立ち上がりなさい、貴女は弱いが、貴女の意志はこの激流を波立たせる可能性を持っている」
「……初対面なのにきつい人だ」
「それでは、無難に優しい言葉でも――」
「いや、結構ネ」
超は目の前の手を握ることなく、己の力だけで立ち上がる。それはアルビレオの手助けを断ったのではなく、まだ自分は這い上がることが出来るという決意の証明。
「行くヨ。義務と責務。何よりも、こんな未来は望んでいないネ」
万策は尽きている。唯一可能性のあったタイムマシンによる過去への跳躍も、エヴァンジェリンが世界樹の魔力を全て飲み干したせいで使用は出来ない。あるいはこの場に居る魔法使いの魔力を使えば跳躍は可能かもしれないが、色の違う魔力を一つに束ねてタイムマシンを起動させるというのはあまりにも分の悪い博打だ。
その結果過去への跳躍も失敗し、全員が動けなくなっては本末転倒である。どちらにせよ可能性はゼロに近いが、超はもう間違えるわけにはいかなかった。
だから可能性の高いほうに賭ける。己の計画を一瞬で無に帰した元凶を倒し、再び一からやり直すために。
「贖罪は後ヨ。そうだろう? 龍宮サン、茶々丸」
「……そうだな」
いつの間にか背後に控えていた真名と茶々丸のほうへ振り返り、超は出来そこないの笑みを浮かべる。
強がりなのは明らかだ。だが真名も同じく強がりでここに居る。
超と同じく、この計画に加担した結果の惨状を、真名もまた悔いていた。だが彼女と違って表情には出すことなく、粛々と己の出来ることをする、それだけは分かっていたから。
「……私は」
一方で、茶々丸は迷いを見せていた。世界に波及した斬撃の色がどういった結果を招いたのか理解しながらも、茶々丸はそれが決定的に何をもたらすのか分からなかった。
それは未だ感情の機能が成長しきっていないからか。
あるいは、エヴァンジェリンの言う通り、自分が――。
「茶々丸は残るといいヨ」
茶々丸の迷いを見抜いたわけではない。だが何かを迷っている者がこの先の戦いに耐えられるわけがないと思った超は反射的にそう言っていた。言って、自分でも驚いて、続いて苦笑。
「茶々丸は、残っていてほしいネ」
繰り返し告げて、満足する。返事は無く、俯いてしまった茶々丸に優しい言葉をかける余裕はないけれど、全てを知っている彼女がここに留まってくれることが嬉しかった。
誰かが知らなければならない。そして、伝える必要がある。
原因は、この私。
超鈴音という少女が全ての元凶の一つであるのだと。
「……戦ってすぐで悪いが、ここは一旦協力といこうじゃないカ」
アルビレオの横を抜けてタカミチと近右衛門の前に立ち、傷ついた右手を差し出す。
その手を見て、タカミチと近右衛門は未だに状況が理解出来ないままだったが、それでも超の強固な意志を感じ取ってその手を取った。
「理由は知らない」
「……」
「だが、今の君の手を取れないで
どんなに取り繕った言葉よりも、雄弁と語る瞳の色には説得力がある。
故に、言葉は不要であり、手を取る理由も不要。
意志ある元に力が集う。例え一つ一つは弱くても、束ねることで得られる真価にて、今宵、おそらくは人類最後の闘争の先陣を魔法使いは駆けていく。
―
ネギが編み出した絶対の力にして切り札、術式兵装・雷轟無人。最早、戦略兵器と言っても過言ではない魔法、千の雷を闇の魔法にて掌握することにより得られるその絶大な出力は、雷の暴風を超える威力と速度の一撃を詠唱もせずに連射することが可能だ。まさにその姿は雷神そのもの。金色に光り輝く籠手をかざして、ネギは闇を食いつぶす傀儡を根こそぎ薙ぎ払っていく。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
刻まれた無人の名に相応しく、一撃を振るうごとに放たれる光の軌跡に沿って傀儡が消えていくが、まるで肉体にすら意味は無いとでも言わんばかりに、全身が消滅した傀儡は魔力の光が幾つも浮かんだと同時にその存在を再生されていく。
明日菜が木乃香の元へ斬りこもうにも、消滅してから再生するまでの速度が桁違いに早い。ネギと明日菜が一秒の間に傀儡の半数を殺傷出来る能力を持っていても、木乃香の治癒は瞬きの内に全傀儡の十倍以上を瞬きの間に癒す力があった。
まさにジリ貧。
確実に追い詰められていくのを知りながら、ネギと明日菜は諦めることなく突破口を探して空を駆け抜ける。
空を走る二つの光に殺到する蛾の群れの如く傀儡もその後を追う。そして、光を飲み込んだ直後、膨れ上がる閃光が傀儡の闇を払って、再度木乃香を追う。
木乃香は空を泳ぎながら笑い続けていた。時折迫る氷の茨を癒し尽くしながら、一心不乱に自分を求めてくるネギと明日菜が嬉しくて仕方ないからだ。
「まだかなぁ。どっちが先にウチの所にくるかなぁ」
次いで、木乃香の視線は氷結世界の隙間を縫いながら激突する刹那と月詠へと移る。そこでもまた、不死身の剣客と化した月詠を相手に苦戦を強いられている刹那が必死の迎撃を行っていた。
「奥義……」
「遅いですー」
掻き集めた気を放つ間もなく、打ち合わせた刃が刹那の集中を乱し、突き崩す。
体ごと叩き込む月詠の二刀を受けるたびに傷が痛む。特に抉られた肩は防御するだけで出血を酷くしていく始末。だというのに、自分と同じか、あるいはそれ以上に傷を負っているはずの月詠の身体には傷一つ存在しない。全身を乾いた血で赤く染めながらも、傷とは無縁の穢れない体は、穢れが無いからこそ不気味で邪悪だった。
「月詠ぃ!」
「あはは、まだ、まだ行けますかー!?」
氷に閉ざされた大地に触れぬように、茨の間を掻い潜りながら二人は剣戟を合わせる。弾む鋼鉄と軋む肉体が一撃ごとに限界を訴え、朦朧とする意識はその悲鳴を糧に正気を握り、手放さないようにと振るった夕凪は月詠の肉を削いで骨を断つ。
命へ届いた手ごたえはこれで何度目となるだろうか。だが脳天から股座まで切断したのも束の間、千切れた体も関係なく左右より走る小太刀から、空を舞うことで刹那は逃れた。
その間に左半身よりも肉の量が少なかった右半身が氷の大地に落ちて凍結する。垂れ流された臓物に混じった糞尿も小さな氷山を作るが、その間に月詠の肉体は斬られる前まで再生をしていた。
「無駄なのになぁ。せっちゃん、ウチを斬っても、ウチはもう二度と傷つかないで」
「お嬢様……!」
「なぁ、だから早くセンパイもお姉様に癒されましょー」
「月詠……」
だがその肉体の殆どは、もう既に月詠のものではなくなっていた。今、地面で凍り付いた右半身の代わりに再生された半身は刹那の知る木乃香の身体と同じだ。半分が月詠で半分が木乃香、いや、月詠のものより女性的な身体つきから見るに、月詠として残された部分はその体に纏う服と、顔の左半分のみか。
だが己が己で無くなっていることすら月詠にはどうだっていいのだろう。そもそも、肉体という上辺ではなく、魂そのものが木乃香によって癒されてしまったのだ。
もう、修羅を欲して剣戟を極めんとした少女の名残は残っていない。
残滓すらも、ただのカス。
そんな末路は、例え敬愛する木乃香の手によってもたらされると言っても、木乃香だからこそされるのは御免だった。
「もう、逃げないと――」
「どうして逃げないん?」
一瞬の間に月詠が間合いを詰める。反射的にその体に夕凪を突き立てて、木乃香は笑った。
もう、どちらかわからなかった。
覚悟なんて消し飛びそうで、このふざけた状況に乾いた笑みが溢れだす。
突き立てた夕凪を握る掌が震えた。その振動を感じて月詠は笑い、木乃香は首を傾げた。
「どうして立ち向かうん?」
「どうして逃げるん?」
「どうして?」
「ねえ、どうして?」
癒されればいいのに。
そう思う木乃香は本当に、もう分からないのだ。
痛みも含めて何も感じなければいい。
癒されることが全てなのだから、あらゆる全てが斬撃に帰結した男のように、あらゆる全てが癒されることに帰結したのなら。
これが青山。
化け物を超えるために、人間の極みを目指した血潮の狂気。
月詠は既に消えていた。
「私、私は……」
心臓を貫いた刃に多量の赤を滴らせ、真っ赤に染まった口許を見せながら木乃香は恐慌する直前の刹那の頬を撫でた。
「あ……」
「ほら、もう、痛くない」
変わらない温度が頬に添えられた掌から感じる。
まるで自分と木乃香の境界線がなくなったかのように、触れ合わせた温度は落ち着き、怖いくらいに優しかった。
「刹那さん! 逃げろぉ!」
その様子に気付いたネギが明日菜の援護を受けて飛び出すが、もう遅かった。
溶けていく。
刹那に刻まれた傷の数々が溶けていく。
一秒もせずに体の傷は全て癒された。だがそれは刹那にとっては人生を一度終えたくらいに長い時間に感じられた。
その間、ずっと木乃香は傍にいた。この体を、心を癒しながら、木乃香は変わらぬ笑顔で刹那の前に居る。
目の前に、あるいは自分の中に。
注がれた魔力は刹那を満たしていく。触れた掌だけではなく、体の中にも感じる木乃香の体温。
外から、中から、溶かすように刹那を癒していく姿は、さながら全身麻酔をした人間を硫酸の海に突き入れたように、痛みもなくその全てを溶かしていく様を見せつけた。
「ウチがずっと癒してあげるからなぁ」
まるで母親に抱かれる子どものように。抗いきれない暖かさは、刹那の身体から全ての抵抗を取り払い、その手から、夕凪は落ちる。
「刹那さぁぁぁぁん!」
遅れて伸ばされたネギの手は虚空を掴んだ。一瞬遅く、溶けあうように抱き合った刹那と木乃香の身体は氷の大地へと沈み、その世界を彩る氷の一角となって凍結する。
雷を纏った手でも、もう二度と追いつけない場所まで、刹那は消えてしまったのだ。
「あ、あぁ……」
「これで、せっちゃんもずっと一緒や」
「木乃香さん……!」
握れなかった掌を求めて数度空を彷徨ったネギの掌が、嬉しそうな木乃香の声を聞いて力強く握り締められる。
燃え上がるのは純然たる怒りの炎。それは遠くから全てを見届けた明日菜も同じ、既に月詠と同じく木乃香そのものとなった傀儡達を躊躇なく斬り捨てながら、猛る勢いで嵐の中を暴れまわる。
「どうして貴女が! 刹那さんは貴女にとって……」
「ウチの大事な親友や。それは明日菜もネギ君も同じ」
「だったら」
「そんでなぁ、皆癒すんや」
もう、関係ないのだ。親しい者も親しくない者も、木乃香にとっては平等に癒す対象でしかない。
いずれ全てが自分となるのなら、有象無象を区別する必要が何処にあるだろう。だが全てを平等と語るということはつまり、全てを平等にどうでもいいと言っていることと同義なのだ。
「……刹那さんが居ない今、もう貴女を救う手段は僕達にはない」
「ネギ君? ウチはもう救われてるえ?」
「えぇ、貴女はもう終わっている」
見ただけではわからない。響が刃を握ことで本質を見せるように、木乃香は傷を見ることで本質を曝け出す。傷の無い人間など存在しない。ならば、今の木乃香を見た者は、誰もが刀を握ったかつての響――青山と同じく、木乃香のことをこう評するだろう。
「なんて様だ」
美しさに秘めた醜悪さ。相反する対極こそ太極を生み、極まりしその頂を、人は畏怖と嫌悪を込めて青山と呼ぶならば。
その最後の一歩を、幼き頃から育んだ友情すらも癒すことで踏み出した今の木乃香をもって、人類最後の青山は完成したのだ。
「でも、それでも僕らは……!」
だがネギは決して怯まない。装填した魔法は命の輝き。肉体の業にて極まった青山とは違い、人間の在り方を尊んだ少年と少女はその極みに真っ向から立ち向かえる。
人の個を極まった修羅と対するのは、人々の願いを無限の力とする英雄だ。
だから行く。例えここで木乃香の命を奪うことになっても、だからこそ行くのだと、この拳が届くまで止まることはない。
ネギの内より巻き起こる気と魔力の二重奏が周囲に叩きつけられる。その勢いに喜悦を深める木乃香を鋭く睨み据え、その隣に降り立った明日菜と共に、同じく木乃香を取り囲む無数の木乃香に抗うのだ。
「……すみません、刹那さん」
氷獄に落ちた木乃香に一言そう告げると、何も言わずに寄り添ってくれる明日菜と共に、その未来を切り開く道を、金色の籠手より愚直と走らせた。
威力をさらに収束させたことで螺旋を描く雷の柱へと木乃香の群れは盾のように立ち塞がる。当然のように数十単位で焼き尽くされていくが、そのどれもがあの笑顔を浮かべながら焼かれていく姿は見るに耐えられる代物ではなかった。
「……ぁぁああああ!」
明日菜は木乃香の残骸に顔を顰めるのも一瞬、ネギが開いた道を一直線に駆け抜けるが、やはり握った得物だけが別種の木乃香達が明日菜の行く手を阻む。それをいつも通り薙ぎ払おうとして、明日菜は突如握っていた得物を手放した木乃香達の行動に僅かばかり動きを鈍らせた。
「明日菜さん!」
ネギが叫ぶ。遅れて明日菜はその手を伸ばしてくる木乃香の行動を悟り、刃を縦横無尽と走らせる、だが一瞬の躊躇が産んだ隙を縫われ、ついに木乃香達の一人の手が明日菜の服を掴んだ。
「ッ!?」
「掴まえた」
その瞬間、明日菜の服を伝って癒しの魔力が明日菜の体を蹂躙していく。完全魔法無効化体質すら些細な防壁にしかならない。魔法無効化を超えた極限の自我が、明日菜の体を犯し、その根源へ至ろうとしていた。
「あ、あぁぁぁぁ!?」
まるで臓腑を直接握られたような不快感に吼えると同時、再生した木乃香の手が明日菜の視界を全て埋め尽くす。木乃香という個人の群れが、明日菜という個の傷を欲して我先にと手を伸ばす恐怖。そして全身に張り付く木乃香の手より流れ出す不快感。
「大丈夫」
「癒してあげる」
「ウチに任せて」
「明日菜」
「明日菜」
「明日菜ぁ」
たちまち木乃香の群れに覆い隠される明日菜の影。覚悟を決めたといえ、英雄に成長しきれていない明日菜とネギの覚悟など容易く飲み干す狂気は尚も加速する。
それでも抗うと決めた。抗えるのだと信じている。だからネギは走り出す。
「明日菜さ――」
そんなネギの背中に軽い衝撃。
「ネギ君」
振り返れば、奈落の瞳でゼロ距離から自分を見つめる、木乃香の笑顔。
空気のように抱き付いた木乃香の狂気に思考を白くした直後、餌に群がる蟻のように残りの木乃香達もネギを一瞬で飲み込む。
「ぎ、ぃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
抵抗も、覚悟も無意味。
全ては癒されるのだ。
ならば、それ以外の全てが無価値と断じたとして、何の問題があるだろうか。
「二人共、すぐに癒してあげるからなぁ」
木乃香に飲まれた二人を、木乃香に抱かれた木乃香が見守る。どれが本物なのかはそれこそ意味の無いことだ。
誰もが木乃香であり、誰もが木乃香になる者であり。
つまりは全て自分。
嫌悪すべき自愛の頂、崇高な思いも気高き覚悟も纏めて唾棄する外道の所業は、今こそ人類に残された最後の希望すらも己の糧とせんとして。
――突如、二つの木乃香の群れを中心に、巨大な重力の障壁が膨れ上がった。
「がはっ……」
「あ、う……」
弾き飛ばされた木乃香達、発生した重力の球体の中心では、傷を僅か奪われたネギと明日菜が苦悶の表情で浮かんでいた。
「?」
首を傾げると同時、木乃香の頭が後ろに大きく仰け反った。合わせて幾つもの見えない弾丸が木乃香達の身体に叩き込まれ、僅かに全体が後退する。その間に割って入るようにして幾つもの影が魔法陣より転移をしてきた。
それは麻帆良での戦いを経て消耗した魔法先生達。アルビレオを筆頭に、未だ戦闘続行が可能な者達。そして先程のはアルビレオが咄嗟に重力操作にて木乃香を弾き飛ばし、戦士としての直感で居合い拳を連打したタカミチの連携だった。
「……どうやらぎりぎり、いえ、間に合わなかったようですね」
アルビレオは何とか意識を保ったままのネギと明日菜を抱きかかえ、眼下で氷山に飲まれた刹那を見て眉間を寄せる。
だがまだ状況を掴めているアルビレオとは違い、タカミチやその他の魔法先生、特に近右衛門は目の前の状況に言葉すら出ない様子だった。
「これは……木乃香君、なのか」
「なんと……なんということじゃ」
長年の経験など関係ない。誰もが群れを成す木乃香の両目を見た瞬間に理解する。
なんて様だと。
その様で、まだ人間を保っていられるのかと。
そして、そんな状況に生徒を追い込んで誰も気づかなかったことへの悔恨が襲い掛かる。
「迷うナ!」
一気に暗雲漂う魔法先生達を一喝したのは、全身の術式を励起させた超だった。体に刻んだ術式によって強制的に魔法を行使するその荒業は、絶え間なく身体に痛みを与えているはずだが、超は一切痛みを顔には見せない。
そして彼女との戦いでそれを知っている者達は、情けなくも弱気を見せている自分達を超が鼓舞しているのだと気付く。それは、誰よりも精神的なダメージが大きい近右衛門も同じだった。
「……儂も、ようやく理解したわい。これが、この様が青山君だったのじゃな」
「えぇ、僕は……僕達は見誤っていました。これはもう正義でもましてや悪でもない」
「そう、彼も、そして目の前の彼女も純粋無垢。剥き出しの人間ですよ、これこそが。……さ、起きなさい、ネギ君、明日菜さん」
アルビレオが傍に浮かせたネギと明日菜の額を軽くなでる。そこから注がれた魔力で意識を取り戻したネギと明日菜は暫し困惑を露わにし、全員が一直線に木乃香を見据えているのを見て、互いに頷き合った。
「ありがとうございます、マスター」
「助かりました、師匠」
「えぇ、だから安心して背中を任せてください」
ネギと明日菜が立ち並ぶ一同を抜いて先頭に立つ。変わらず佇む修羅外道へ、その手に触れて狂気に侵されかけながらも、決して揺るがぬ心があるから。
「どうですか、木乃香さん」
「……」
「分からないでしょうね。たった一人になってしまった今の貴女では、今、僕と明日菜さんを真っ直ぐ立たせている力の意味が」
一人では届かない。
二人でも駄目だった。
でも立ち上がれるのは誰かが居るから。極みに届いたわけではないけれど、繋がることで極みだって超えることが出来る仲間が背中を押してくれる。
それだけで何度でも前へ。
立ち上がり、走れる強さを、お前は知らない。
「何度だって言いますよ」
「……」
「ここから行きます。僕らは一人じゃ英雄にはなれないけれど……僕らは一つで、英雄だって超えられるから!」
叫びながら懐より取り出した特性の魔法銃をこめかみに撃ちこむ。そこに込められた千の雷を体内で循環、再び装填することで輝きをさらに増した黄金を旗印に、ネギ・スプリングフィールドは今こそ、追い続けてきた背中すらも超えんと吼える。
「僕達はまだ、人間を終えるつもりはない!」
人間の極みに挑む、人間が紡いだ奇跡の証。
遂に拮抗した対極同士が、その雌雄を決する最大最期の激突は始まった。
今回のまとめ
月詠「ウチ自身がお姉様になることや」
超「茶々丸は置いてきたヨ。はっきり言ってこの戦いにはついていけそうにないネ」
ネギ「ペルソナぁ!」
次回、刹那の刃。
9.25
感想返しおよび誤字脱字修正は帰ってきてから行います。暫くお待ちを。