【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━   作:トロ

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エピローグ【我が斬撃は無感に至る】

 

 日本のとある山岳地帯。人の手の入っていいない山脈の一つ、鬱蒼と生える草木の間に僅かに残された獣道を辿って半日程歩いていくと、それまで木漏れ日しかささなかったところから一転、清涼な空気を放つ大きな滝を中心とした広い空間に出てくる。

 山奥にある秘境とも呼べるその場所は、魔を滅する京都神鳴流が門弟でも、限られた者達しか知らない修行の地だ。

 そんな場所に佇むのは一人の女性。かつては日本を魔の手から守ってきた神鳴流が宗家、青山素子である。

 

「……」

 

 そっと瞼を閉じながら、滝口の側にある巨大な一枚岩の上に座り瞑想をする姿は、周囲の自然と融けるように融和しながら、一個人としての存在を強く強く主張していた。

 場に流れる清涼な空気と同じく、美しく淀みのない気を練り上げながら、素子は岩のように動くことなく座禅を組んでいた。

 それが一時間か、または二時間か。時が止まったように動かない素子だったが、ふと木々のざわめきと滝壺から響く涼やかな水音に混じって聞こえてきた微かな足音を察知して、閉じていたときと同じように、そっと瞼を開いて起き上がった。

 

「来ないでほしかったのかな。それとも待ちわびていたのだろうか……なぁ、どっちだと思う?」

 

「そんなの、俺にはわからないよ」

 

 素子が振り向くと、その視線の先には足音の主である一人の男が立っていた。

 黒い。

 とても黒い眼差しをした男である。

 歳は二十歳前後だろうか。少し幼さの残った顔立ちだが、感情のない顔と瞳のせいで、歳以上にその顔は老けて見える。

 無表情故か、素子とは対照的に、男には存在感というものが希薄だった。だが男が身に纏っている藍色の着物の内側にある鍛え抜かれた四肢は、歴戦の兵の如く丹念に鍛えあげられている。

 帯には一本。あまりにも長大な野太刀が携えられていた。現代では違法であり、見れば違和感を覚える出で立ちだが、しかし着物姿と相まって、男が帯刀している姿は、それが自然のようですらある。

 

「でも、そうだな……待ちわびてくれたのなら、嬉しい」

 

 男は空を見上げて、一歩一歩、その両足で素子の元へと歩み寄った。

 

「どうかな……今更、お前に喜ばれても、少々──困る」

 

 抜いてはいないとは言え、本物の真剣を帯刀した男が迫ってきているというのに、素子は平然としたものだ。むしろそれを歓迎するような、ともすれば不愉快そうに身じろぎしながら、己の腰にもまた備わっている古より受け継がれた妖刀、ひなの柄に手をかける。

 

「お前が世界に飛びまわって……色々と滅茶苦茶になったよ」

 

「……」

 

「神鳴流は、あの日を境に狂ってしまった。お前を知る世代が、今の神鳴流を支えている熟達の者達だったからな。あっという間に全員いかれて、これまで何とか知られずに隠されてきた裏と表の世界がごちゃごちゃだ……上のほうでは、直に表と裏での全面戦争が起こるだろうと戦々恐々さ。尤も、今でも世界の至る所で、裏表限らず、あの音色で狂った者達が暴れているからな。当分はその鎮静化で戦争どころの騒ぎではないが……なぁ?」

 

 口調は穏やかだが、その言葉の裏には、隠しきれぬ苛立ちがあらん限り込められて男へと叩きつけられていた。

 だが男は決して動揺はしない。柳に風と素子の怒りを受け流すと、そもそもそんなことに気付いてないといった素振りで首を傾げた。

 

「同意を求められても困るよ。確かに人々が憎しみ合うのは心苦しい。でも……」

 

「あぁそうだ。お前には関係ないだろ?」

 

「うん。だって、関係ないから」

 

 男はそう言うと、腰に差した刀に手をかけて、鍔鳴りの音を響かせながらゆっくりと抜きはらう。

 

「俺は、これだ」

 

 天に掲げるその鋼。通常の刀の倍以上はある長い刀身は、本来なら刀としては欠陥品そのものだ。

 だが錬鉄の極みと言うべきその鋼は、むしろその長さで刀として完成していた。天を穿つが如き刀身は、太陽の輝きを照り返すでもなく斬り落とし、愚直と存在を主張する。

 同時に、男の放つ存在感が突如として増大した。いや、それは最早増大という言葉では言い表せない。何もない空間に、突然巨大な嵐が顕現したかのような異常。そうでありながら、台風の目の中にいるような静かな静寂。

 

「……俺は、これになれたよ。素子姉さん」

 

「そうだな……お前は、なれたのか」

 

 そこに立つのは、修羅外道。

 あの日、世界樹を斬りつけて、旧世界はおろか『魔法世界にまで』凛と響く斬撃の呪いを解放した張本人でありながら、誰もその存在を知らぬ恐るべき男。

 

「……本当に、我がままだなお前は。お前が名乗り出ないから、超鈴音という少女が自ら犯人と名乗り出たというのに」

 

「仕方ないよ。それもまた、やむなしだ」

 

 残念ではあるが。そう悔恨を吐きだす男を嘲笑うように素子は鼻を鳴らした。

 

「何が残念、だ」

 

 刀を引き抜きながら、素子もまた鏡合わせのようにひなを大上段に掲げて語る。

 

「そんなこと、刀が思うわけあるまい」

 

「違いなし」

 

 直後、合図もなく戦いは始まった。

 うっすらとその無表情に笑みを張り付けた男が、飢えた獣のように体を屈めながら地面を擦るように疾駆する。一枚岩を軽やかに踏みつけるその動きは、獣のようでありながらもその実、一歩ごとに速度に強弱をつけることで、迎え撃つ形となった素子のリズムを狂わせる。

 並の達人であれば、その歩法に騙されてあらぬタイミングで刃を走らせ空を裂いただろう。しかし素子は決して惑わされることなく、一心に男が刃の圏内に入るのを見届けてから、容赦なく激烈と斬りつけた。

 正確に男の影を捉える素子の一刀。紫電と駆け抜けた雷光の太刀は、視覚情報を脳髄へ送るよりも速く、男の頭蓋に走り、間一髪で急停止した男の額を浅く斬るに終わった。

 

「くっ……」

 

「ぬっ……」

 

 どちらも苦悶の声をあげるが、その間も剣戟は続く。割られた額が鮮血をあふれさせる間に、男の両手にしかと握られた刀が、岩肌を空気か何かのように斬りながら、素子の足をすくい上げるように振られた。

 斬撃の隙。振り抜かれた大上段を戻す暇なし。呆けていれば男の刃が容赦なく足はおろか股ぐらから脳天までを真っ二つとするだろう。

 だがそれは許さぬ。踏み出した右足を支点に、素子は円を描くように己の左側から迫る刀とは逆に踏み出した。たかが回転ではない。瞬動という高度な歩法を、回転という複雑な形で成すという離れ業。

 結果、見事死地を踏み越えた素子と、乗り越えられた男は交差し、そのまま背中合わせとなる。

 

「ふっ」

 

「ひっ」

 

 素子は呼気を一つ。男は奇怪な笑い声を一つあげながら、体を反転させつつ、申し合わせたように、両者共、刃を真一文字に振るう。

 速度では男の斬撃が勝ったのか。先に首元へ伸びてきた刃を素子は体を仰け反らせて回避すると、遅れて男の首に吸い込まれていくひなの刀身も、同じく仰け反ることで男は逃れた。

 互いの刃がぶつかり合うことはなく、空気を断つ音すら遠く、二人は嬉々と笑みを交わして無音で斬り結び続ける。

 鋭く放つ一手に、容赦のない一手で応じられる。互いが互いの手口を知り尽くしているかの如く、両者の刃は、最初の一撃以降、当たることも叶わずにいた。

 

「やはり、ここに来て良かった」

 

 剣戟の最中、ふと男は素子に感謝した。

 その言葉に驚きつつも、首から下は驚愕とは無縁に斬撃の牢獄をくぐり抜け、または牢獄に男を即罰しつつ、素子も淡く笑みを浮かべる。

 

「そうだな……結局、間違いはそこだったんだよ」

 

 あの時。

 逃げようと。

 ましてや生きようともせず。

 ただ真っ直ぐにこの男との戦いに没頭出来たのなら。

 

「うん……世界は、こんなことにならなかったかな?」

 

 素子に咎があるのだとすれば、きっと始まりにして終わりの会合の時。

 あの時、無感の鋼であったのならば、世界は最悪に転げ落ちることはなかったはずだ。

 

「だが、もうどうでもいいんだ」

 

 袈裟に。横に。突き。斬り。

 奪うように。

 あるいは与えるように刃を振るいながら、ただ思う。

 

「世界なんて、どうでもいい」

 

 咎のあるなしなど些細なことだ。

 手の中に刀があり、振るうべき相手が居る。

 

「そうだね、姉さん……」

 

 男は、修羅外道は素子の言い分に頷いた。

 あれから世界がどうなったかなんて、もう関係ない。

 素子はただ、いずれ来るだろうと思っていたこの日のために、周囲のことを気にするフリをしながら、己をひたすら鍛え上げた。

 そう。

 もう、どうだっていい。

 音が徐々に遠くなっていく。

 木々の囀り。

 そよぐ風の音。

 流れる川の歌声。

 滝壺に轟く雄叫び。

 そして。

 今もなお、世界に蔓延する斬撃の音色すら。

 遠く。

 とても、遠く。

 感覚すらも、遠く、遠く。

 

「なぁ、青山」

 

 素子は男の名を呼ぶ。

 青山。

 忌み嫌われ、呪われ続けているその名よ。

 だが、ふと思うこともある。青山が侮蔑の総称だとしたら、同じくその名を背負う自身もまた、彼と同じ修羅外道と言われているのではないかと──

 

「ハッ」

 

 一笑に伏す。

 今更だ。そんなこと、今更過ぎて、考えることも意味はない。

 ひと際速い一閃が青山の懐目がけて走った。

 するりと己の刃の元を抜けた鋼を反射的に回避するが、その藍色の着物が僅かに斬れて、その切れ端が二人の間を漂う。

 

「ハァ!」

 

 清流から激流へ。烈と吼えた素子は、青山に先んじて返しの刃を走らせた。遅れて応じた鋼、証の刀身とひなの刀身が初めて激突する。

 火花散らす刀身。悶えるのは、妖刀たるひなが先。

 どうやら刀の質では劣っているらしい。そう瞬時に判断した素子は、競り合う刀身から力を抜いて、幾らかひなの刃を削らせながらも証を一枚岩にいなす。

 削られた黒い刀身の内側から、剥き出しの鉄が姿を現した。鈍く光る鋼の色。妖刀だなんだと囁かれながら、メッキを剥がせば所詮は鋼。

 見かけ倒しの呪いなどいらない。素子は人を狂わせる怨嗟の声をあげるひなを、溜めこんだ膨大な気で一気に洗い流す。

 

「これで良い」

 

 黒い刀身が全て削られて、抜き身の刃に素子は己を映す。照り返す鋼に込める斬るという我意。

 至る斬撃。

 それ以外は、一切が不要となりて。

 

「これが良い」

 

「うん」

 

 青山は素子の在り方を是とした。

 剥がれ落ちた黒が降り注ぐ中、激突は熾烈を極めていく。刀を己に染める。己が刀、刀が己。同一と化した刃と自我を相手に斬りつけていく。

 翻り、先走る。意を越えて、意も介さずに、無我に走る切っ先。思考は既に刃に飲まれている。いつしか斬られていくようになった体すら気にせずに、吹き出す熱血に体を染め上げながら、素子と青山は言葉の代わりに刃を交わした。

 数秒か。

 あるいは、数刻か。

 もしかしたら、もう地球が寿命を迎えるまで、二人は斬り合っていたかもしれない。

 体感としてはそれくらい長く、だがとても短い斬り合いが続く。

 抱きしめる代わりに斬る。

 触れあう代わりに斬る。

 そして何もかもが斬撃に代用されるならば。

 

 すなわち全て、無感に至ると同義なり。

 

「ッ……ぃ」

 

 突くという一点。光となった一閃が青山の喉元へ走る。流水のように緩やかで、受け止めるより他なき牙に、証の腹を優しく添えて横に逸らす。鉄が磨耗して削られる。熱量に仄かに赤くなったひなを見据えて、素子は刃の寿命が近いことを悟った。

 担い手の技量に刀がついていけなくなっている。一方、青山の刀は鈍色透明。真の意味で剣と使い手が合一しているその在り方を羨ましく思うが、それはそれ。

 

「私は、私だ」

 

 願うように呟き、ひなを引き戻している間に振るわれた証を受け止める。

 凛、と。

 音もなくした世界に小さく響く鋼の歌声。

 斬られたのか。

 あるいは斬ったのか。

 多分、前者だ。ひなの刀身の半ばまで斬りこんだ証を見て素子は悟る。

 それでもまだ終わったわけではなかった。

 

「いざ」

 

「応」

 

 直後、真っ二つに斬り捨てられたひなの刀身が虚空に散る。続いて、素子の肩に落ちていった証だが、僅かに防いだことで得た時間を使って体を逸らして避けきる。

 再び空を裂く斬撃。

 頬に触れる冷たい感触は、巻き起こった風か、あるいは鋼の冷たさか。どちらでも構うまい。半ばで失われたひなから片手を離し、くるくると回転している断たれた刀身を素手でつかんだ。

 未だ鋭利が失われたわけではないひなの鋭利が、握りこんだ素子の掌を深々と斬り裂く。だが痛み等気にする余裕なんてなく、赴くままに一刀を振るった青山の肘へと突き刺さる。

 肉が千切れ、骨が砕ける。ゴムの塊を裂くような不快感。吹き出す熱血が、素子の掌の傷口と混ざりあう。

 共になる。

 血を分けあい、血を注ぎ合う。

 一刀で肘の根元から斬られた腕は、それでも証から掌を離すことはなくしかと握られたまま。

 青山は痛みに悶える様子すら見せなかった。そんなこと、分かりきっていたから驚かない。返す刀で二の腕を斬り裂かれながら、素子は自分と相手の間に降り注ぐ流血の雨に身悶えした。

 決着は近い。どちらも距離を離すことなく次の手を打つ。千切れた腕をぶら下げながら、証を振り下ろす青山、合わせるのは断ち切られたひなの刀身。しかし一度斬られたことで死した鋼は、殆ど抵抗することも叶わず、容易く両断されて素子の肩から下腹部までを浅く斬った。

 その拍子に髪を結っていた紐が解けて、一本一本が生きているかのように艶やかな黒の長髪が乱れる。その黒におびただしい鮮血は良く似合った。

 ぐらりと素子の膝が崩れる。左肩から臍まで、浅くはあるが一気に斬られた肉体が、主の意志を無視して限界に屈しようとしている。

 

「青山……」

 

 だが動く。肉体の限界を精神が凌駕した。生気を失っていない瞳が、右手に掴んだひなの残骸に再び力を込める。切っ先はなくとも、まだ半分ある刀身があるのだ。死していく肉体を行使して、死していく鋼を振り下ろす。

 命を込めた一刀は、流れる清水が如く穏やかで静かで、青山はその美しさに笑みを浮かべて証を合わせた。

 凛と鈴の音色が響き渡る。

 全てを込めた斬撃は、証の鋭利に届くことなく斬り捨てられた。

 それどころか手首から肩にかけて裂傷を受ける始末。無様な醜態を晒すなぁと、どうでもいいことを考えながら素子の瞳から色が失われていく。

 だからと言って容赦はしない。無言で構えを直す青山は、崩れ落ちる素子の首に狙いを定めて証を振りあげた。

 

 そして、次の一手でこの体は容易く斬られてしまうから──

 

「ハハッ……」

 

「あっ」

 

 素子の手が、青山の手に重なった。なけなしの力を全てかき集めて、一瞬だけの瞬動を行う。意識の隙を縫うようにしてその懐に潜り込んだ刹那。愛刀を代償に手繰り寄せたなけなしの勝機。

 刀の質で負けているなら。

 相手の刀を、使えばいい。

 これが最後、武器も何も全部捨てて、我が身一身で得た最後の一手。

 まるで抱きしめあうように二人の体が密着する。額を擦り合わせ、吐息の熱すら感じられる距離で、素子は口づけをするように、黒い瞳に語りかけた。

 

「なぁ、青山」

 

 いや、違うな。

 素子は苦笑する。そうではない。ことここに至り、ようやく対等になれた今ならば、呼び名はきっとかつてのように。

 直ぐに首を振って、言い直すことにした。

 

「なぁ、響─ひびき─」

 

 修羅外道。

 恐るべき青山。

 そうではない。

 今目の前に居るのは、青山素子の大切な弟。

 青山響。

 家族だった、あの日々の名残を。

 

「この場所に、ようやく至れた今だから言える」

 

 恐るべき青山ではなくて。

 

「家族だからなぁ……」

 

 祈りを込めて、告げるのだ。

 

「な? 響」

 

 我が弟よ。

 今こそこの刃で、斬り伏せる。

 

「素子、姉さん……」

 

 久しぶりに聞いた己の名前に、何を思うのか。

 感情無き顔に浮かぶのは、混乱、驚き、それとも喜びか。

 構わない。

 どれであろうと構わない。

 ただ、ようやく弟の名前を呼べるようになった己が、ちょっとだけ誇らしかった。

 

「だからもう……終わりにしよう」

 

 私の敗北で、全てを完結させる。

 響が刀を離すことはないだろう。だがしかしせめてもの抵抗として絡めた指に力を込めたとき、素子は冷徹に動く己の体とは逆に、響が力を緩めたことに驚愕した。

 しかし沁みこんだ体の動きは止まらない。指先は冷酷に掴んだ手首を返して、するりと刀は奪いとる。何故か、素子にはその瞬間、重荷を全て降ろせたように安堵する響の澄んだ表情を見た気がして。

 そんな幻すらも断つ。素子は、口づけるように響の背中に突き立てた。

 骨を割って心臓を斬った証が、胸元吹き出す赤が素子の顔を染め上げて、見上げる視界も全部が真っ赤。

 流血に染まる世界。

 だがそれは所詮後の祭り。本来ならこうすべきだった結末を再現しただけのこと。

 己の牙たる刀を斬られて敗北した素子が、勝者たる響に刀を突き立てて死を与える。

 その結末の予想外に今度こそ素子の体の動きが全て停止して、信じられぬと言った様相で響の顔を見た。

 

「何、で……」

 

「姉さん……」

 

 血を吐きながら、響は笑う。

 そうだなぁ。

 そうなんだろう。

 あの日、素子の刀を半ばから斬ったとき、もしも彼女が逃げなければこの結末に至ったはずで。

 だから響は勝者のまま死ねるのか。

 細まる瞳は何を思うのか。刀ごと抱きしめられ、互いに血に飲まれつつ、響はほうっと呼気を一つ漏らして小さく口を開いた。

 

「ありがとう」

 

「……お前」

 

 あえて剣を奪わせた弟の心を悟った素子が顔を上げる。響は、かつての少年のような無邪気な心地で、涙すら滲ませている素子の目尻に真っ赤な指先を優しく添えた。

 

「いいんだ」

 

「響……私は」

 

「この身体に飲まれて幾年……」

 

「私は、お前が……」

 

「魅せられ続けてきた日々の中……」

 

「お前が、落ちたまんまだって……そう、思って……」

 

「身体を失い……この無感に達して、初めて俺は刀を手にした」

 

 もしかして。

 ここに来た時点ですでに響は──

 その先を言わせないように、響は『暖かな光の宿った瞳で』素子を見つめると、ゆっくり視線を空に移した。

 

「身体は至福のままに修羅場へ散った。でも俺は我がままだからさ……折角、俺自身の手で、刀を握れたから」

 

 その最後。迷惑をかけ続けた肉親に、最後の我がままをするという愚弟の恥を許してほしい。

 

「俺の魂は凡百だから……残せたのは災厄とか悲しみとか、冷たいものばかりだけど……」

 

 在りし日の残滓。

 斬撃を越え、無感に至りて。

 二度目の生で、初めて自分の力だけで手にした命の実感。

 

「心は……残せる」

 

「響……」

 

「青山─修羅─としてではない……俺─響─の斬撃は、残せるから」

 

「響……!」

 

 既に素子の方を響は見ていない。その視線は遥か向こう、体を離れ、その心は海を越えて彼方、彼方へ。

 

「……やっと、逝ける」

 

 まどろみに眠る。魂ごと力が抜けた体が最後の呼気を吐きだす時、素子もまた抗いきれぬまどろみの中へと沈んでいき──

 

 そして、ふと目を開ければ、そこには誰もいなかった。

 

「……」

 

 先程まで繰り広げていた戦いの残滓はない。素子は内心で困惑しつつも、裂傷を幾つも刻まれていたはずの己の体を見て、何処にも斬られた痕がないことに気づく。

 

「さっきのは……」

 

 この終わりに近づく世界で見た、破滅の白昼夢だったのだろうか。

 そう結論しようとして、立ち上がり振りかえると。

 

「あっ……」

 

 そこには、半ばから折られている二本の刀が、寄り添うようにして転がっていた。

 素子は刀の元に近づくと、その二本を手にとって眺める。

 一本は、黒い刀身ではなくなったものの、先程まで腰に差していたはずのひな。

 そしてもう一本は、まるで持ち主の在り方を表しているかのように、遊びの一切ない直刃の──

 

「そうか……」

 

 素子は、悲しげに眼を細めながらも、安堵の笑みを口元に浮かべて、銘も知らぬ刀の亡骸の刀身を指でなぞる。

 

「最後の最後で……戻れたのか」

 

 肉体は朽ち果てて、それでもさすらい続けた男の最後を看取ることが出来た。

 交わしたのは言葉ではなくて冷たい鋼だったけど。

 素子は砕けた鋼の一片を拾い、親指の腹を斬り裂いた。溢れ出る熱血を二本の刀へと注ぐ。

 鉄に残る赤。混じった色が黒となるけれど、その黒は太陽の日射しを反射する優しい黒光り。

 せめて、その生から死に至るまで温もりを知らなかった男へと送る。肉親として最後の温もりを。

 

「おやすみ、響。そして──」

 

 肉体を手放したことで、ようやく戻ってきた我が弟に、労いの言葉をかける。

 そして、それとは別にもう一人。

 彼の魂の安息が、素子の胸の温もりにあるのなら。

 今ここで砕け散って骸を晒す鋼にもまた、平穏を与えるべきではないか。

 世界はゆっくりと破滅の階段を上っている。その本当の元凶である男が安寧と眠ることは、本来なら許されないことなのかもしれない。

 だがそれでも。

 誰が許さなくても、素子だけは、その孤独で在り続けた男の、今は唯一の理解者として、抱きしめてあげなければならないから。

 時代が産んだ、災厄の子よ。

 今わの際でようやく産声をあげられた無垢な魂の鎧で育てられた恐ろしい鋼の化身よ。

 

「お前の望んだ……」

 

 修羅場に眠れ──修羅外道。

 

 無感に至るしか己を呼び戻せなかった魂と、無垢を食らうしか生きられなかった肉体。同じでありながら別種の存在として成立した哀れなる二つの生き様に、静かなる安息があることを。

 

 歌声は、もう聞こえない。

 

 

 

 

 

 

 

 





あとがき

 とりあえず、これにてしゅらばらばらばらで唯一オリ主に救いのあるノーマルエンドをもちまして完結となります。
 あとがきの最初でいきなりですが、今後の予定としてはしゅらばらのBルートであるバッドエンドを書きあげ、それをもって私個人の二次創作活動は一先ず終わりという形にさせていただきます。それに伴い、未完で放置している作品群は撤去いたしますのでご了承ください。
 以降は小説家になろうで連載中のオリジナル作品。『不倒不屈の不良勇者』という作品の執筆に集中します。宣伝みたいな形になりますが、なろうにあるオリジナル作品にも、オリ主とはまた違った修羅な剣客とが出ますので、しゅらばらを読んでこういうキャラもいいなぁと思えた方は、是非読んでいただけると幸いです。

 ついでに感想とかポイントとかよろしくね! 沢山くれるとテンション上がって執筆速度上がるよ!

 なんて。

 個人的なことはここまでにして(そもそも二次も個人的なことなんであれですが)、以降はこの作品の長々とした語りとなりますので、そういった作者の自分語りが苦手な方は、この先は読まずにそっと戻って読了後の余韻に浸っていただけたら幸いです。







 さて。

 実に半年近くにわたり連載したこのしゅらばらばらばらですが、当初はもっと短くなる予定でした。ですが当初の感想でオリ主に対する評価が私の伝えたい人物像と差異があったので、その擦り合わせのために結構な量を費やすことになってしまいました。

 これに関しては私の技量が不足した結果なので、何とも恥ずかしい限りではありますが。現にオリ主の語りがアレだっていう感想もいただいたので、そこの塩梅が上手くいかなかったことについては反省するばかりです。

 ともあれ、最初はオリ主転生最強物という、叩かれても仕方ないジャンルを書くことで、皆様からの罵倒や嘲笑を受けて悦に浸ろうとしたために書いたのですが、思いの外高評価を得られたことに関しては、今後の執筆活動にあたり良い自信となりました。

 勿論、罵倒や嘲笑を受けるだけでは皆様を不快にさせるだけなので、意識したのは『面白いと思う人はいるだろうけど、自分は読めない作品だなぁ』と言われることでした。これについては、感想でもちょくちょく『自分には合わない作品でした』と書かれたりしたので、目標を果たせたことは嬉しくて小躍りしたりしなかったり。

 そんなことを思わせるまでのキャラになったオリ主である青山。このキャラは書くにあたって参考にさせていただいた作品が幾つかあります。

 一つは『東方先代録』。作風全然違うじゃん! とか思う方もいるでしょうが、寡黙で強いっていう独特な個の在り方は、オリ主である青山を書くにあたってとても参考になりました。いやまぁ、こんなこと書いたら先代録のファンにボロクソ言われそうですが、それはそれ。

 続いては『ルナティック幻想入り』。こちらはもうその精神性の形そのものが、オリ主を構成するにあたって重大なベースとなりました。いやもう、ちぐはぐな感じというか、不気味でアレなところとか、そりゃもうスッゲー影響を受けまくった次第です。まぁ参考にさせてもらった身でこう言うのも失礼ですが、人を選ぶ作品なのでしゅらばら読んで駄目だった人は読まないほうが身のためです。

 そして最後は小説家になろうで連載し、完結したオリジナル作品の『剣戟rock’n’roll』。私はこの作品に出る主人公の生き様や、その在り方にそりゃもう惚れこみまして、でも同じようなキャラを書くのは失礼極まりなくて、でも同じ境地に到達させたくてと悩み嘆いたあげく、だったら最初から至ってる変態書けばいいやという悟りに至って青山というキャラを作りあげました。もしもこの作品がなかったら、私は一つの境地というか、人間の可能性の限界値に至った誰よりも人間的な狂人を書こうという考えには行きつかなかったでしょう。

 以上、三つの偉大な作品があったからこそ、しゅらばらばらばら、というよりも青山というキャラは生まれました。

 ですがこのオリ主。正直、最初の方はそうでもなかったですが、途中からだんだん書くのが気持ち悪くなるというか、ぶっちゃけ趣味で書いてるのに何で疲れるんだろうとか思うようになって、一時は書き溜めを消化しつつ、執筆を止めていた時期がありました。

 それでも、これで二次を書くのは最後と決めていた意地があったので、何とか書きあげることが出来ましたけど。

 とまぁ。

 なんか、色々書きたいことはあって、実はこのあとがきも何度か書きなおしたりしてるんですけど、正直何書いても違和感あるというか。こういうことだからこうしたんだよ、っていうのはどうにも書けそうにないです。あとがきだっていうのにね。

 でもこの作品を読んで、読者の皆様がそれぞれに何か感じ取っていただけたのなら幸いです。オリ主物が嫌いになったとか、青山って聞くと刃鳴りを思い出すようになったとか、逆にオリ主物が好きになったとか、最強物もたまには悪くないかなぁとか。

 何でもいいです。何かしら残すことが出来たのなら、作者冥利に尽きるというか。まぁそんなの二次創作でやる意味なくね? とか自分で思わなくもないんですが、それでも二次創作だからこそ出来たこの作品を、少しでも楽しんでいただけたのなら、それだけで充分です。

 ではでは、長々と語った上に、整合性も取れてないちんぷんかんぷんなあとがきとなりましたけど、とりあえずこれで筆を降ろしたいと思います。


 最後に。


 賛否の分かれる作品だとは思いますし、ラストのオチに納得のいかない方もいるかもしれません。ですが私にとってはこれが最善であり、消化しきれないほうは別ルートで行えるとはいえ、当初考えていた通りのラストを迎えることが出来たので充分満足しました。少なくとも私の中では二次創作卒業の作品としてこれ以上ない作品を書きあげることができ、かつ、皆様に読んでいただけたのは嬉しかったです。

 それでは、長い間、大変お世話になりました。これにて『しゅらばらばらばら』完結とさせていただきます。

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