もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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※未成年、ダメ、絶対!


やればできるじゃないか

 数年前。

 

「賭け事が好きな男というのは、実に信用ならない。まず、計画性が無い。先々のことを考えたら破滅願望があるのかと疑うレベルだ。賭けという建設性が無いことを行っている。そもそもそこが問題だ。時間は有限だというのにその貴重な時間をくだらない、とてもくだらないことに費やしている。ばかげているだろう?」

 

 アオイの言葉、もはやご高説といっても過言ではない。

 場に相応しくない台詞に、スロットを回していたパンジャは困惑して彼を見つめた。

 

 彼は彼女と同じくスロットを回しており、ちょうどコインの大箱を一箱のまれたところだった。

 

 彼の言葉に対して拒否や否定を滅多にしないパンジャは、しかし、いつになく彼の言葉の意味をよく考えて慎重に返答しなければならなかった。

 

 だが返答を考えるのに時間はあまりに短い。

 

「いや、あぁ、わたしは……あなたに、さて、どう言ったものか……」

 

「なに。君は博打に生産性を望めるというのか?」

 

「生産性? そ、それはどうなのだろう……? わたしはこういうことに疎いから、よくわからない。すまない、アオイ」

 

「…………」

 

 返答を間違えるとアオイはまたおかしな拗らせ方をしてしまいそうだ。しかし、会話に許された短い思考時間では正答までたどり着けない。

 

 ようやく吐き出した無難な答えは無難過ぎてアオイの次の言葉を打ち消してしまったらしかった。つまり、次の言葉を発しなければならないのは再びパンジャ自身である。

 

 時計が、21時を指し、パンジャはいよいよ焦る。いい加減にこの場所を離れなければイッシュ行の便――最終便だ。それを逃してしまう。それはマズイ。

 

「アオイ、あー、わたしからの提案なのだが……」

 

「なんだい」

 

「港までの列車が21時15分に出発する。切符を買う時間も必要だし、弁当も買わなければならない、いろいろな領収書の発行でもたつくかもしれないし、金曜日の夜中で駅構内が混雑するかもしれない……」

 

「はっきり言ってくれ」

 

 はっきり言いたくないので遠回しにしているのだが、アオイはいつになく低い沸点でイライラとしている。

 

 世の中、普段冷静な人ほどキレると怖いという言葉がある。もっとも彼の場合は面倒くさい。彼の性格の歪みなのか陰険さが増す。しかも一度そうなるとその状態を数日引きずるという交友関係破壊系スキルを持っている。――ということを知っているのはアオイの破壊を免れた幸運なケース結果である親友ふたりだけであるのは別の話。

 

 これはマズイぞ、とパンジャは思う。

 けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。仕事の評価が下がるかもしれない。それは避けなければなるまい。

 

「シンプルに言おう。わたしが言いたいのは、『そろそろ帰らないか?』ということなのだが」

 

「……明日の始発で帰ればいい」

 

「それでは始業に間に合わないだろう」

 

「午前は休暇を取る。パンジャ、君は知っていると思ったがね。私は混雑が嫌いなんだ。なあ、知っているだろう? ……帰りたかったら君だけ先に帰るといい」

 

 くい、と顎をあげて「ん?」と彼が威圧してくる。

 

 混雑する所が嫌いだというのはもちろん知っている、が、それが本当の理由だと信じるのはパンジャにしてできそうにない。

 

 状況を見ればスロットを回したいがために出てきたコメントだというのは容易に想像できる。パンジャは「まあまあ」と彼を宥めながらできるだけ正論を言うことにした。

 

「あなたを置いて帰るわけにはいかない。わたしだけ戻ってどうするっていうのか」

 

「それなら先にホテルに帰って休めばいい」

 

「厄介払いをするつもり?」

 

「そうだ」

 

 アオイは「うぅー」と低い声で唸った。目押しを失敗したのだ。

 

「…………」

 

 本気で落ち込んでいるのだろうか。それともフリだろうか。赤い髪の隙間から見える瞳を見ていよいよパンジャは困った。どうにも今日の彼は本気すぎる。

 

 だいたいリーチでもないのに突然7が3つ揃うわけがないじゃないか。設定上。いくらなんでも無理だろう。それくらいギャンブルに疎いパンジャでさえ分かる。

 

 しかし。

 

「まだまだ諦めない」

 

「諦めてくれよ。いつまで経っても帰れないじゃないか。こ、こら、アオイ!」

 

 彼がおもむろに財布を取り出したので慌てて押しとどめた。

 

「チッ。邪魔しないでくれないか」

 

「舌打ちをするなよ。博打をやるのはくだらないと言っているだろう? ほかでもないあなた自身が。ねえ、頼むからもう帰ろう。所長に報告しなければならないことがいくつもあるだろう? ……あなたが博打が好きなのはもう分かったから」

 

「私は博打が好きなのではない。勝つのが好きなんだ」

 

「どう見ても負け続けているだろう。いくらつぎ込んだか忘れているのか? モンスターボール換算で千個分を超えたんだぞ」

 

「…………」

 

 ここで渋々でもやめてくれるのなら、まだ……遠方からごくごく薄目で見てギリギリのラインではあるが……可愛らしい趣味にとどまったのかもしれない。

 

「君がそこまで言うのなら仕方がない」

 

 そう言って彼は逆のポケットから銀色のケースを取り出した。そうして出てきた物にパンジャはギョッとした。

 

「現金はやめておこう」

 

「カードはもっとダメだ。アオイ、アオイ、お願いだ、しっかりしてくれ。『ギャンブルはくだらない』。そうだろう? 帰ろう」

 

「もうすこしで勝てそうなんだ! 分からないか! 波が! 波が来ているんだ!」

 

「落ち着いて回転数を見ろ、もう数回は天井を突破しているだろう。この客はぼろいと店に思われて、あなたの台だけ当たらない設定になっているんだ」

 

 本当にそんなことができるのか。

 そんなことはパンジャの知らない世界の話だったが彼の不運に敗因を求めるよりは真っ当な理由に思われて言った。彼はしばらく考え――考えている時点で思考力の低下が見られた――黙り込んだ。反論は無し。

 

 提案は受け入れられたと判断し、強硬手段に移行する。彼の腕を引いてパンジャはモバイルで時刻を確認した。タクシーを拾えば間に合う。

 

「帰るよ、アオイ」

 

「う、うがー……んんー」

 

 財布とカードを没収する。アオイはまだスロット台が名残惜しいようで不明瞭な言葉を言っているが、それもしばらくすると止んだ。

 

 なんとか間に合った電車内でひとり座席に座ったアオイがうなだれたまま溜息を吐いた。次に出てくるのは愚痴だろうか。しつこい油汚れと戦うほうがマシなレベルであるそれを言わせないようにパンジャは早口でまくしたてた。

 

「ああ、すまない、アオイ。わたしはあなたの意に添わないことを進んでやりたいとは思っていない。ああ、本当に気の進むことではなかったけれどああでもしないとあなたは席を離れそうになかったから」

 

 彼は弱々しい所作で右手を挙げる。

 仕方なくパンジャは口を閉じた。重々しい息を吐いてから彼は顔を上げた。

 

「いや、君は正しい……私は、ああ……どうかしていた。無為な時間を……なんて不毛な……むなしい……不生産な時間を……パンジャ、つきあわせて本当にすまなかった。後で埋め合わせをさせてもらう。それから金輪際ギャンブルには手を出さないと誓おう」

 

 次の停車駅で交代だ。君が座席に座るといい。私が立っていよう。

 いまはすでに満員電車。けれど自由席にひとつだけ空いていた席にはアオイが座っていた。パンジャに気を配れる程度には判断力が戻ってきたらしい。

 

 焦りと後悔がごちゃごちゃになって煮詰まろうとしている。そうしたら彼は不穏になる。キレるよりマシだが、それでも刺々しくなって数日はパンジャがフォローしなければならない場面が増えることだろう。その前兆ともいえる彼の疲れたような顔に、パンジャは弱い。

 

「あなたは酒も煙草もやらない。これといった趣味も娯楽もない。スロットの単調で単純な動作がちょうどいい息抜きになってしまったのだろう。……気に病むほどではないさ。わたしもすこし言い過ぎたよ。でも誓って禁止するほどのことではない。ギャンブルはカントー出張の時だけにしようじゃないか。その時はわたしも付き添うよ。一緒ならいいだろう? たまにならさ」

 

「いや、しかし…………たまに……ならば、ああ、そう、そうだな……」

 

 禁止したらその後、彼が禁断症状に苦しむのは簡単に想像できてしまうのでパンジャはアオイが自分で制約を課す方法を提案した。その方が彼の心を軋ませないことだろう。

 

「うぅ……目の奥が、チカチカする……」

 

「強い光と瞬時に切り替わるフラッシュ演出は人間の脳に訴えて刺激を待つだけの固定した脳波パターンを作ろうとしているのではないだろうか。脳科学は専門ではないが」

 

「そうかもしれないな……車酔いしたかのようだ」

 

「では次の駅でもアオイが休んでくれ。席を汚されたら経費で下りるのかどうか知識が足りないからね」

 

「……すまない、パンジャ。自分でも本当にどうかしていたと思う。まさか私がこんなにハマッてしまうとは、その、思わなくて」

 

「誰にだって落とし穴のようにハマる趣味というのは存在する。わたしは……そうだな、バニィに噛みついてしまうことがあるとか。だっておいしそうじゃないか、あの子。アオイは分かってくれ――」

 

「しかし、9時間も居座るは自分でもおかしいと思う」

 

 パンジャの言葉を右から左に流し、彼はどす黒い憎しみを滲ませる声で言った。もし過去に戻れたらきっと彼はとんでもないことをするのだろうな、と思う。それだけギャンブルは不覚にも彼のツボにはいってしまったようだった。

 

「…………」

 

 けれど。まあ、なんだ。長居したことだけは擁護できない。

 パンジャはちょうどよく車体が揺れたので聞こえなかったフリをした。

 

 

 

□ ■ □

 

 

 

 数年前、カントーへ研修に行ったついでに立ち寄ったパチンコ店で危うく口座を空にしかけたことをきっかけにアオイは深く、それは深く深く反省した。

 

 無駄な時間を使ったと後悔し、その後の数日はどんより暗い雰囲気を引きずり続けたのだから周囲をフォローするパンジャには苦労をかけたと思う。

 

 しかし、カントーギャンブル事件以後、アオイはパンジャとの約束を守り続けている。こっそりカントーに行って大勝負することもなく可能であれば「じゃんけん」だって避けている。

 

 そうこうしてこれまでギャンブル性の高いものに近付かないように生きてきたのだ。アオイにとって自分にゆるせるギャンブル性のあるものの上限といえば「星占い」だけだった。ダーツ? ダーツはスポーツであるから除外だ。以上!

 

 そんな経緯のため、禁忌が破られようとしていることに戦々恐々としている。そして何より恥ずかしい。彼自身が自分を最も信用していないのだからその怖がりようといったらストレンジャーハウスの名前を知らずに入り込んでしまって後で気付いてゾッとするルーキートレーナーの顔面に匹敵した。

 

「僕、朝早かったんですよ。だから、ちょっとしたゲームしません? 話している方が眠くならなくていいし」

 

「ゲーム? かッ、かかか、かけ賭け? い、いえ、遠慮します。ダメダメ。ミアカシさんだってダメだと言っていますから」

 

「おもいっきり寝てるじゃないですか」

 

 後部座席で、モシィ、モシィ、と不思議な寝息を立ててねているミアカシをミラー越しに差して彼は笑う。

 

「私は本当にそういうの手を出さないことにしている。疲れたら休めばいいだろう」

 

「この速度でいかないと30分、1時間で潮が変わるんですよ」

 

「そう言われましても私だって困る。運転できないから……」

 

 当然ながらアオイは脚が動かないので運転することができない。怪我をする以前であれば交代することもできたのだろうな。そう考えると今だけは自分の不自由さを悔しく思った。もっとも運転する頻度はパンジャが多かったのでアオイは知識と口だけが達者なペーパードライバーではあるのだけど。

 

「あー! アオイさんが勝負乗らないから眠くなってきました!」

 

「ヘアピンカーブのところでどうやって眠くなるっていうんだ。えぇぇ……頑張ってくださいよ」

 

「それより話し相手になってくださいよ。勝ったらコーヒーおごりますから、どうですか? いいじゃないですか。今日の運命はアオイさんに勝負して勝つことだって囁いているんですよ。僕の運命なんですが分からないですか?」

 

「知ったことではない。……それで今日の運命の3つは何だったのか」

 

 要は眠気が醒めればいいのだろう。アオイは興味の無い話題を拾った。

 

「まず『晴れ』だったことですね」

 

「はい」

 

「次にテレビを点けたらちょうど『3時33分』だったんですよ」

 

「はい」

 

「僕のなかで3をイメージする人物はアオイさんですから、アオイさんを誘ったわけです。ここまで分かりますね?」

 

「はあ」

 

「そしてアオイさんが応えてくれたんです。もう完全に運命ですよね」

 

「……もういい。喋らないでくれ。頭が痛くなってきた」

 

 電波を受信したってもうすこし理屈があるだろう。彼のこれは分からない領域でアオイは早々に理解を手放した。聞くんじゃなかった。しらんぷりしてミアカシさんと寝てればよかった。

 

「アオイさんなら理解してくれると思ったんですが……うーん、この感覚を理解してくれる人はいるのでしょうか?」

 

「少なくとも私の友人と三親等にはいないことでしょう」

 

「赤の他人でよかったら紹介してください」

 

「ええ。もちろん。何人だって紹介しましょう」

 

「よし勝ったぞ!」

 

「は……?」

 

 アオイは聞き間違えかと思い、隣の席のマニを見る。しかし右にハンドルをきられて体がよろけた。

 

「うぐぅ……ねえ、マニさん? 聞き間違えだと思うのだがね、もう一度聞きましょうか、なんだって?」

 

「根負けしたでしょう? それでは僕の勝ちというわけです」

 

「ま、待ってください。宣言も何も無しに勝負を始めるというのはいかがなものかと思いますがね」

 

「じゃ勝負してくれますか」

 

「賭けではないのですね? 勝負なのですね?」

 

 マニに尋ねるよりは自分を納得させるためにアオイはしつこく言った。

 

「はっはっは、アオイさんの理屈じゃあポケモンのバトルだって賭けだって言い出しそうですね!」

 

「む……いいでしょう。受けて立ちましょう」

 

「そうそう、アオイさんはそうこなくっちゃあいけませんよ。――じゃあ前方の車、次は右と左、どちらに曲がると思いますか?」

 

「右です」

 

 あまり考えもせずにアオイは答えを出した。どうせ考えても分からないのだし、悩む要素も少ないので咄嗟に口をついた右にした。

 

「いいんですか、右」

 

「いいのです、右だ」

 

「もうすこし悩んでくださいよ。僕はまだ運命の一欠片しか見つかっていないんですから」

 

「……一応聞きますが、運命の一欠片って何のことですか?」

 

「僕の運命指針には3つの偶然要素が必要なんですよ。そのひとつってことですね。朝なのでちょっとテンションおかしいですか? 僕って」

 

「今朝に限ったことではないから別に。まあ、いいでしょう。それで? 一欠片の内容を教えてくださいよ。私、すごく知りたいからね」

 

「そのわりにはアオイさんあさっての方向見てますけどね! あなたの思いやり程度の優しさ、僕、気に入ってますから!」

 

 今朝はテンションがおかしな方向に高いマニが笑顔でアクセルを踏み込んだ。ちょうど坂を上り終え下り道にさしかかったところだ。「うぁっ」と思わず大きな声を出して膝を握った。

 

「あ、安全運転を!」

 

「信号も脇道もない一本道の下り坂だから大丈夫ですって。ついでに決着がつくまでに時間がかかりそうなのでいろいろ聞いてもいいですか?」

 

「なにかな」

 

「森のことですよ」

 

 やっぱりそうか、とアオイは特に驚くでもなく「あぁ」とか「うん」とか曖昧に呟いて頷いた。

 

 前方を見つめつつ、マニはポケットからガムを取り出した。

 

「ナタネさんがずいぶんと気を揉んでいたらしいですね?」

 

「責任感の強い子らしい。あんなに若いのに」

 

「僕が思うにですね、アオイさんにも話がいっているんじゃなかろうか、と考えています。ぶっちゃけるとどうなんですか」

 

「ぶっちゃけても、ぶっちゃけなくても……はあ、なんとも。私は引退した身ですので」

 

 話題を逸らすことができるだろうか。

 可能性がある限り挑戦し続けたいアオイはガムを受け取りつつそんなことを言った。

 

 しかし、彼は口を「へ」の字に曲げてマニはアオイの蛮行を咎めた。

 

「引退したって学者には違いありません。それこそカントーじゃあ腐ってもコイキングって言葉があるくらいです。アオイさんも一枚噛んでいるんでしょう?」

 

「ナタネさんに直接聞いてみてはいかがでしょう? それこそ根掘り葉掘り」

 

「いえね僕だってそうした方が簡単で確実だって分かっているんですが、僕の運命はアオイさんを攻略するのが吉と言っているんです。運命の導きには従わなくちゃいけません」

 

「ふぅん。君は私のことをずいぶん買いかぶり、しかも甘く見ているらしい。なんでも解答は大人に聞けば良いと思っているんじゃないか?」

 

 アオイは素直に何でも話すのが嫌で窓へ視線を移した。

 

「どうせ僕が考えたって分からないんです。なら考えたって仕方がない。だからこそ答えを知っているアオイさんに聞いているんですよ」

 

 ――もうちょっと自分で考えて頑張りましょうよ。

 

 簡単に頼ってしまえることは彼の長所だ。

 

(まったく羨ましい……)

 

 森のことはナタネと明確に約束したわけでは無かったが気付いている人には、話してしまってもかまわないのだろう。むやみな詮索を留めるために。

 

 しかし、マニへの嫉妬がアオイの口を堅くした。

 

 彼と同じように誰かを頼ることができなかったアオイは、彼を憎たらしいと思う気持ちが止められない。

 疑問に思ったことがあった時、すぐに誰かに相談できる彼が羨ましい。すでに答えをもらえる彼が羨ましい。羨ましい。羨ましい。それなりに有能な先達に親身な協力してもらえる環境にある彼が、あぁ……妬ましい。

 

 彼を支えると誓っているはずなのに、どうにも感情の歯止めがきかない。

 

(私は我が儘な人間だ)

 

 自分の欲しいもの、やりたいこと。その前には無防備だ。しかも身勝手で衝動的。これまで積み上げたものを費やしてしまう。だから博打にたいそうハマっている。

 

 バカなことを考えている自分に嫌気が差す。

 ここで無計算なことを言ってマニが研究者への道をやめたらどうするんだ? お前に後進の育成の機会が幾度も巡ってくることがあると思っているのか? しっかりしろ、私。一時の感情に人生を費やすなんてバカな真似は――。

 

(ダメだ、ダメだ、しっかりしなければ)

 

 けれど人間というものはどうしようもなく手の届かないものに憧れて、それに目が眩んでいると似た過ちを繰り返してしまうのだろう。繰り返すのは愚者のやることだ。私は違う。そうでありたいと思っている。今でさえ。今だからこそ。

 

(一度壊れた信頼関係の修復は難しい。『彼』ともそうだった)

 

 苦い記憶を思い出しながら、なんとか平静を取り戻そうとする。

 

 思考が往来する。一度決めたことは真っ当しなければならない。他人に対するものであれば「なおのこと」。自分に誓ったのであれば「さらに」。

 

 ――すまないね、君がどうにも羨ましくって本当のことを言いたくない。

 

 本音を言えたらどんなに楽だろう? きっとやましい気持ちは無いのだろうな。けれど嘘と引き替えに手に入れる一時の安息も無いのだろう。

 

 その安息に首までどっぷりつかることで安心を得られる男は、けれど別な道を選ばねばなるまい、と自分を見つめた。コウタにも伝えてある。淀まないように。オリのような、カスのような、そんな自分を正しく流すために思案する。

 

 息を吸い込む。すまないね。その、ひとことが言いたい。

 

 息を吸い込んだ。けれど。

 

(あぁ……羨ましい……)

 

 私は、もしかすると、いや、ひょっとすると……変われないのかもしれない。

 

 一息ついた。意気込んだ瞬間、内心に吐き出した言葉にアオイは落胆し、無意味に窓枠をなぞった。

 

 彼の気怠い態度のなかにある青臭さが癪に障る。

 

(不幸を比べたって仕方がない)

 

 けれど比べさせてくれ。不幸を呪い、不運を恨み、不遇に嘆いてから前に進んだって今さら罰もあたらないだろう。

 

(私の時は、誰もいなかった。誰も助けてはくれなかった。親身になってくれる先達などいなかった。私は……私たちには私たちしかいなかった。だからこそ、この様だ。誇りと惨めさが一緒になってこの体中に詰まっている)

 

 無性に友人に会いたい。理解者になり得る君に会いたい。

 窓の外に見え隠れする地平線を見つめた。ぼやけた視界ではどこから海で空か分からない。

 

「アオイさん?」

 

「……私に質問するということは君なりの覚悟をもっているということだろうね。つまり、君は自分の意見をもっているのだろうね?」

 

 ようやくそれだけを言い切り、あくびのフリをした。涙を手袋できり払い、マニをチラと見る。

 

「解答を欲しがるなら誰でもできる。大切なのは自分で考えてみることだ。たとえ問題に対する正答でなくとも人生に対する誤答にはならない。――私は君よりいくらか失敗をしてきた年上だから言わせてもらおうか。他人を頼るのは、君の良い癖であり悪い癖だよ」

 

「癖が良いも悪いもって、どっちなんですか。白黒させてください」

 

「君は履歴書を書いたことがあるか。職探しで使うアレのことだが」

 

「あり、ますけど?」

 

「長所を書いたら短所も似たような内容になるだろう。熱意が長所なら、そのせいで周りが見えなくなる短所があるだとか。そういうことだよ。君は優しくて正直な人間だと思う。だから私は、とても……」

 

「心配?」

 

「実に癪だが、そう、心配だ。最後に信じられるのは自分だ。だからもうすこし頑張ってくれ。心配なんだ。手を離すと飛んでいく風船のようで怖くもある。君にはときどきフワンテだってびっくりのふわふわ感がある。運命運命と言っているのもいいが、自分で考えることくらい自分でやってくれよ」

 

 彼の意表を突かれた顔を見逃さなかった。

 

「そ、それはぁもちろんですよ! 自分でやりますとも……そ、そのうち。……それでアオイさん、森のなかに何かいるんでしょう? 何か、何かって何だろう、大型のポケモンでしょうか!?」

 

「違う。はい、次」

 

「え-、えーと、えーと、ヌケニンとか……こうなんか生態がヤバいポケモンでしょうか」

 

「やればできるじゃないか。最初から他人を頼って考えることを諦めるのはもったいないことだ」

 

「え!? 僕、正解ですか!? やっ――」

 

「まあ違うけどね。はい、次」

 

「え、えぇぇーっ! そこまで言って不正解なんですか! 上げて落とす! さすがアオイさん、僕の期待を裏切らない! えぐぇぇ……そうだなぁ……あ! なんかヒントください!」

 

 あるわけないだろう。――そう言おうと思った。けれどアオイもナタネのフィールドワークの結果を聞いたことを思い出した。それは直接的な解明に繋がらなかったが「広範囲に影響を及ぼすポケモン」程度には対象を限定することができるだろう。

 

 そう伝えると、マニは難しい顔をした。

 

「周辺に影響を及ぼす……森のなか……? いやフィールドは関係無いのか? 広範囲の他害性質で陸上のポケモン……」

 

 ぽつぽつとうつむいて考える。

 硝子に映る彼の横顔は青春って感じがして実にいい。大いに悩めばいい。自分で考えることは必要だ。

 

「なあんだ、やればできるじゃないか。マニさんはちょっと積極性と――集中力が足りない! 前見てください! 前!」

 

「ほへぇ? うおわああああっ!」

 

 差し掛かった急カーブ。

 マニがブレーキを踏み込む。後部座席でミアカシとメタモンが一足先に接触事故を起こし、ミアカシはメタモンの伸縮性に驚く。その頃、アオイは舌を噛み悶絶していた。そして人助けなんて本当にロクなものじゃない、といつかパンジャに再開した時には愚痴ろうと決心した。

 

「アオイさーん、大丈夫ですか?」

 

「おかふぇはまへ。――安全運転でお願いします。安全運転で。私はともかくミアカシさんがいるので」

 

「じ、事故ったりしませんよぉ!」

 

「それでも心配なので脅しをかけておくとしましょう。――事故れば我々の魂はミアカシさんのおやつだよ」

 

「ああ、なるほど。おやつ代が浮きますね――って、うえぇぇ!? ヒトモシって魂食べるんですか?」

 

「食べられたことがないのでなんとも。まあ、研究者の端くれとして人間の魂が消化されることでどんな状態になるのか。興味深いね」

 

「うへぇ。アオイさんの魂とか、ぜっっったい美味しくなさそう」

 

「…………」

 

 それ、本人が隣にいる状態で言うことですかね。

 

 道路の小さな陥没にタイヤがとられ車体が派手に揺れる。アオイはそれにかこつけて都合良く聞こえないフリをした。

 

 そんな彼らのうしろではミアカシが想像の限りを尽くしメタモンをこねくりまわしているのだが、アオイは気付いていなかった。……見たら見たでまた嫉妬に心焦がれてしまうのでこれはこれでよかったのだろう。

 

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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