結局のところ、ベルガは誰にも何も言えなくなった。
タダより高いものはない。
あるとすれば無私の奉仕だ。それに尽きる。
どれだけ高尚で強烈な願いがあったとしても、我が身の置かれた境遇と状態をうち捨てられるほど善良ではなかったことがベルガの現在を決定付けた。
まあ、人間こんなものだ。
彼女は弱くもないし愚かなわけではない。決断することが人間の優劣に関わらない。正誤も然り。ただ『彼女を思惑通りに動かすこと』に成功したわたしが勝者というだけの単純な話だ。
蔑むでもなくパンジャは目を細めて現実を断定した。
保身のために動くのはごく自然なことだ。自己保存の延長だ。彼女はその傾向が強いはずだ。真っ新な雪に足跡をのこして喜ぶ、ただの前衛主義なのだから。
(背中、痛いな……。まあ、わざわざ言うほど痛くはないのだが)
パンジャはベルガの助けに入る前にテキトウに化石入りのケースを倒していた。音は派手に鳴ったので衝撃は大きなものだと彼女は思い込んだだろう。簡単なトリックにチャチな芝居。カントーではこういう芝居のことを『ダイコンヤクシャ』とか言うらしい。
(……これでいい。わざわざ口止めするほどでもない)
時間は有限だ。
最近の心配事は、むしろアクロマに借りを作ってしまったことだ。
(よりにもよって『機材を使わせろ』とは……大きな借りになりそうだ)
現在、復元装置は旧式のものが稼働している。それで済む用事ならばいいのだが。
それにしても何億年も前の化石があるといっていたのは本当のことだろうか。もし本当ならば真偽が気になるところだが――。
パンジャの調子外れの鼻歌に合わせ、バニプッチが小さな氷の粒を吹き散らした。長い付き合いの彼女は音痴の概念を理解しており、それを笑っているのだ。施設の警戒をしてくれているフリージオも数十分に一度、この研究室の前を訪れるときまってキシキシと笑い声をたてた。フリージオとパンジャを結ぶ連絡係のニューラは……まだ我慢しているようで口をひとつにひき結んでいる。けれどあまり長くはないだろう。
炭化した何かの残骸を調査するために、パンジャは設備を起動させた。
◆ ◆ ◇
外は、シンと静まりかえっている夜の出来事だ。
「せ、せんぱーい……」
鉄の巨人のように鎮座する大型の分析器は今日も好調に動いている。その起動音に紛れて、ベルガはか細い声を上げた。
「なんだい? ベルガ」
思わぬ助手に成ってしまったベルガは目を白黒させて上司を見ていた。
「あ、あの、この袋のやまはいったい……」
「君がさんざん知りたがったわたしの探し物だ。このなかにある」
「な、なんですか、それは……?」
どうみたって消し炭だ。
悪く言えば、いや正しく言えば利用価値のないゴミだ。いまここの研究室にあるのは信じられないくらい、相応しくない。
それを指してパンジャは明るく輝くような笑みを浮かべる。それからベルガがさんざん知りたがった正体を明かした。
「わたしの夢の欠片だ」
「夢の欠片? この中に……?」
ベルガが触れたのは、やはりどう見ても嗅いでも指先で砕いてみても、消し炭だ。ここに夢がある。
夢。この燃えた物が――?
あれ。
燃えた、物?
待て。待って。燃えた『物』って何だ? いや、違う。これの正体を……わたしは知っている。
あれは、これは、どこで知ったんだっけ?
ベルガの目の前に鮮やかに浮かび上がるのは数日前の言葉だった。
『――は……アオイさんよりパンジャさんにゾッとしたよ。いや、アオイさんだって十分に恐ろしいと思ったがね。あの人――こんなことを言うのも非常にアレだが――脚がダメになったしポケモンも失った、分かりやすい恐慌状態だったから――』
ポケモンを失った、と先輩は言った。あの時は聞き流してしまったがそれはつまり火事で燃えたということではないだろうか? 失ってしまったということではないだろうか?
そう仮定する。そこから考える。
では?
つまり。
パンジャが探しているのは――。
ガタ、と立ち上がった拍子に椅子が思わず大きな音を立てた。
「な、なっな、何を……! あなたは何を!? 何をしているんですかっ!?」
「探し物をしているとさっき説明したばかりだろう。どうしたんだい?」
「そういうことを言っているワケじゃありません! あなたは恐ろしいことをしようとしている! こ、こんなことが許されるわけが――ダメだ、ダメだ! 命に対する冒涜ですよ!」
さっき化石を壊した君には言われたくはない、とばかりにじっと見つめられベルガはしょんぼり椅子に座り直した。
「ベルガ、言いたいことは分かる。……ああ、なんとなく」
そこは、しっかり分かっていると言って欲しかった。ベルガはそれでも曖昧に頷いた。
「はあ。あの、でしたら行動で示して欲しいと思うのですが、かも、めいびー」
「これはわたし達にとって大切なことだ。画期的で革新的な手法。世界でまだ誰も行っていない、実験だ」
「……本当ですか?」
「ああ。リピートアフター・ミー。『画期的で」
「か? か、画期的で」
「革新的な手法』」
「革新的な手法。つまり?」
「わたし達は世界の先端にいる」
「先端……!」
条件反射で食いついてしまうのは、悲しき前衛主義者の性か。
落ち込んでいたのは嘘のように運命を逆手に変えたベルガは立ち上がった。
「ほ、本当ですか? もしこの実験が成功すれば――」
「マイナスがプラスになる。ゼロではない。正しくプラスになるんだ」
「そ、そんなことがほんとうに、ほんとうにあり得るのでしょうか? 生きていたものを再び蘇らせるなんて」
「何億年も前の生き物を復元させることができるというのに、ついさっきまで生きていたものを復元できない道理があると思うのか?」
「そう言われるとできそうな気がしてきます……!」
「分かったら突然騒ぐなんてやめてくれ。お口にチャックだよ、ベルガ君」
「? 分かりました。後輩ですからね、先輩のあとにしっかりついて行きます、そして最後は前衛的に抜け駆けさせていただきます!」
なーんてね。――と続く言葉にパンジャはひとつ頷いてみせた。
「構わないよ。わたしは結果が欲しいだけで成果は要らない。この研究は丸ごとそっくり君の手柄にしても構わない」
「えっ? あ、わたし、そこまで――あの、ジョーク! イッシュ・ジョーク! 冗談ですよ!」
「いいや、違うね。ふたりで行う研究だ。君にもそれくらいの見返りがあったっていいだろう。その代わり他言無用だ。もし話したら本当に君の『お口にチャック』しなければならない、かも、だからね」
ベルガはしばらくぽかんとしてパンジャの背中を見つめていた。
「はっ!? あ、あの、先輩――」
しかし、彼女の手の中できらりと金属に似た輝きをもつ金色の煌めき――それと彼女の言葉がカッチリと噛み合った。
(も、も、もしかして、アオイさんが亡くしたポケモンって――)
言いかけた言葉をなんとかのみ込んだ。
きっとそれは言ってはいけない。
『素知らぬフリをして黙っていること』それが仕事だ。
これはチャンスだ。彼女はきっとこう思っている。『成果を与えておくという約束をすれば、ひとまずベルガは満足するだろう』とか。たしかに有効的だ。ベルガでも実験の結果が気になってしまい、彼女を告発するのには、転倒しかけたところを助けられた恩もあるが……それ以上に気後れしてしまう。
だからこそ。
前衛的信者は沈黙する。
(ふ、ふん。まあ、せいぜい頑張るといいですよ。わたしはあなたのあとをそっとついて行って最後の最後で突き落とすだけですから。……くれぐれも頑張ってくださいね! 体壊さない程度にね! 風邪引いちゃイヤですよ! ご自愛しないと怒っちゃうんですからね!)
期待に熱のこもる視線を隠せずにベルガは彼女のそばに立った。そわそわと浮つく手をぎゅっと握り、なんとなく彼女の華奢な肩を揉んだりする。
「ねえ、先輩。何でもお手伝いしますよ?」
「じゃあサイコソーダを買ってきてくれ」
「何でもとは言いましたけどこのわたしにパシリさせる気ですか」
「ベルガ君、この際だからハッキリ言うが」
「な、なんですか」
「わたしは炭酸ジュースが好物なんだ。毎度の食事よりも大好きなんだ。さあ、行ってくれ、ベルガ君」
「パパパパシ、パ、パシリ……! うぐぅ! サイッコーにうまいサイコソーダを買ってきます! 覚悟しなさいよ!」
ベルガは彼女が取り出しかけた小銭入れをもぎ取って研究室を飛び出した。走りながら考えた。ひとまずパシリであろうと構わないのではないだろうか。彼女の信頼を得ることが大切なことだし……ハッ! もしやこれは試練ではないだろうか。お口にチャックすべきかどうか彼女がまだ迷っているとしたら? サイコソーダはきっと口実に違いない。
彼女に試されている。――ここでしくじるわけにはいかない。
前衛的信者は自販機を目指す。その自販機こそが夢に近づく第一歩なのだ。
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