「コウタはうまいことを言って席を立った。そして、今頃トイレの個室に行ったところで安心……などしているのだろうな」
パンジャは空になった対面の席に笑いかけた。
「わたしは、これのことを『部品』だとはひとこともいっていないはずだ。どうして彼は最初からこれを『部品』と言ったのだろうな?」
金色の塊を指先で弄びながら、彼女はサイコソーダをひとくち飲んだ。
それはつまり──。
「彼、これが何なのか気付いたな」
険悪に目を細め、パンジャは苦々しく呟く。
(さて、どうするか)──それが問題だ。
とりあえず、この金属らしいものの正体を聞き出すのは最速で行うとして……。
「隣の席、座ってもいいでしょうか?」
「いいや、ダメだね」
パンジャは顔も見ずに即答した。コウタから聞き出した後は、これをどうするか。使い途があるのであれば大切にとっておくこともできるだろうが、ゴミならゴミとして処分しなければならない。それにしてもこれの正体は本当になんだろう。誰にとっての得が生まれ、損になるのか。
(コウタが知っていて、わたしの知らないこと……。バトルトレインの関係か? だが、そんなものがなぜ研究室に?)
「そこをどうにか」
「あー、もう。これから『こみあった話』をするので遠慮して欲しいのだが?」
「──この席に着くには、それの正体を知らないといけない決まりでも?」
「なにを?」
パンジャは 声の主を見上げた。その先にたたずむ白衣の青年。その奇妙な髪には──。
「どこかで見た覚えが……うん? どこだったかな?」
「そういうあなたはパンジャさんでしょう? アオイさんの友人の」
彼は自分のことを知っているようだ。しかし、パンジャは彼のことを知らない。
奇妙な髪だなぁ、と思う。その感想をいつかどこかで見たことを今度は思い出した。そう、彼こそは。
「──もしかして36日前にアオイと新しくポケッターでフレンド登録したものの、ろくに更新のないアカウントをもっているドクター? ドクター=アクロマ?」
「こ、更新しないのは忙しいからですよっ!」
そう言ってアクロマはひとつ空いていた椅子に座った。
「……アオイさんとは、シンオウでたまたま縁がありましてね」
「わたしとも縁があったようだ。驚いてしまった。アオイのご友人に対し失礼な言動をしてしまった。どうか許して欲しい。……それで? あなたにはこれが何なのか分かるのか?」
「分かりますが、あなたはそれを知りたくないようだ」
「……? そんなことはない。わたしはこれの正体が知りたくて仕方がない、はずだ。なぜそんなことをおっしゃるのか」
妙なことを言うアクロマにパンジャは首を傾げた。
「……ふむ。どうしても知りたいのならポケモン図鑑を見直すことをオススメしておきますよ。──それにしても久しぶりにイッシュに戻ってきたにも関わらず、別件で忙しくて仕方がありません。アオイさんも忙しそうですし。はぁ。相談に乗っていただこうと思ったんですけどね」
「彼の心配事を増やさないで欲しい。あちらには療養のために行っているのだから……」
アクロマは「ふーん」と軽く鼻を鳴らした。小馬鹿にしたような響きはない。ただ事情は分かっているのだが、とでも言いたげな様子だった。
「そうらしいですね。でも、彼の情熱を焚き付けるのに相応しいネタをたった今、つかまえたので、どうしてもお話をしたくなってしまいましてね」
「たった今? 何のこと? 情熱って?」
パンジャは嫌な予感と未知への期待と半々を味わう。アクロマは楽しそうなことこの上ない。悦にいる、という言葉が似合っていた。解答を知っていることへの優越がそうさせているのだろうか? それとも他に何か──。
「あーそうそう近頃、思いがけずとある団体の代表になったのですが……そこでポケモンの動態制御の研究をすることになりましてね」
「動態制御? ……ああ、拘束のことか」
話を露骨にすり替えられるのは、なんだか腹立たしいがアオイの友人に対し「おい、話をそらすんじゃあない」とは言えない。パンジャはひとまず彼の相談に乗ることにした。これでアオイの負担が減るのであれば嬉しい出来事と言える。
アクロマは再び「ふぅん」と鼻を鳴らす。
「研究室では率直な言葉を使うのですね。こちらは表向きポケモン愛護の精神と調和がなんとかなので使えないんですよね。まあ、言葉はどうだっていいのですが」
「その分野の研究なら面白い先例がある。ジラルダン理論を見たことがあるか?」
「ジラルダン? 知りませんね」
パンジャはぽちぽちとモバイルを操作した。
「研究者には2種類ほど人種がいる。わたしは同業者に対してできる限りの知識を提供してあげたいと思う性質だ。それにアオイが助言したということはあなたは彼が認めた研究者なのだろう。彼が認めたということはそれだけで素晴らしいとわたしは思っている。──ジラルダン理論は、研究室でも一部の権限者にしか開示されていないものだ。いわいゆる伝説のポケモンさえ制御できる実証済みだ。そんな箔付きの拘束を発揮する理論。ご興味は?」
「もともとこれは依頼で本業ではないのですよ。手を抜けるのならいくらでも。──教えていただけると助かります」
「わたしは、あなたの望みを受託する。先人の素晴らしい知識を使うのは後発の権利だ。──あなたのアドレスに資料を送っておいたので役立てて欲しい。ただし欠陥品でもあるので活用には注意してくれ。具体的にいうと理屈としては強力な拘束エネルギーを生産するだけで、対象のポケモンが強力なわざを使ったらそれを制御する術がない」
「えっそれダメじゃないですか?」
パンジャは数年前の自分を目撃した。同じことをアオイもパンジャも思ったものだ。懐かしい。
「ああ、ダメだ。だから最も素晴らしく、それしか取り柄のない『理論』だけが異形気象とポケモンの大移動を誘発した愚策な犯罪者の名前と共に残っているのだ。……それでも尖った理論はいい。心が満たされる」
「ふむふむ、へぇ……なるほど。電力だけでこれほどのエネルギーを……なんて低い閾値だ。こんなものを十数年も前に作っていたなんて。しかし、残念。すごく残念。どうしてでしょう、予算がたりなかったのか……? 歯がゆいほど不完全過ぎる」
会話が成り立っていないが、ふたりの関係とはこれで良かった。自分が満足するだけなら一方通行で十分が過ぎる。
「そういえば、アオイさんはポケモンの生態研究をしているらしいですが、あなたは?」
「生物学だ。……つまりポケモンに起きる生命現象を」
「ふぅん。おや? ということは化石の復元の専門家はアオイさんではなく、あなた?」
「わたしは彼に必要な知識を提供するだけだ。『助手』のようなものと言えば理解が早いだろうか。質問の答えはNO。主任は彼だ。そう、彼はとても熱心だった。何度も実験をしていた。わたしのいない時でも……」
「その内容、こっそり教えてくれてもいいんですよ?」
彼が気になっているのは実験の結果ではないのだろう。内容が気になっているのだ。狂気の沙汰を進んで話したいとは思わない。パンジャはまだまだ自分は正気だと自覚する。
「それはダメだ。……わたしは彼の秘密を守る。彼に許可を得てから質問してくれ」
「残念。彼はよい友人をお持ちのようだ」
「わたしは、よい友人……なのだろうか?」
いつもならば賞賛と受け取る言葉に、パンジャは顔を曇らせた。それは近頃の彼女の弱みだった。
「わたしは彼に何もしてあげられない。彼が苦しんでいる時に……こんなにも無力だ」
「そんなことはないでしょう。友人がいるというだけで心支えられることもあるものです。わたしだっていざという時に何かを相談できるアオイさんがいると思うと、まあまあ嬉しいですよ」
「……そうであれば良いのだが、わたしはこれまで彼の役に立つことが友情だと思っていた。他に友情の形が、分からないんだ」
「変わる必要もないでしょう。これまで通り、あなたはあなたにしかできない役割を果たせばいい。ちょうど道具もある」
「道具?」
「おや? そのためのそれだと思っていたのですが、違うのですか?」
パンジャはあらためて金色の小さな塊を見つめた。
「これが……道具になり得ると言うのか」
「ところで、あなた達の研究は不可逆的に流れ、止まったはずの時間を再び動かすことにほかならない」
「ああ、そうだ。……しかし、ドクター。非人道だとか非道徳的だとかつまらないことは言わないでくれよ。すっかり聞き飽きているんだ」
「とんでもない。『科学の力は素晴らしいこと』を再確認しているだけですよ。そして、それに携わることの素晴らしさを」
「…………」
「もしや、自分がもっている技術の価値をご存じない?」
おどけたように言った彼に失笑してパンジャは手を振った。
「まさか。バカにしないでくれ。研究所のなかでは我々が最も詳しい。理解している。我々は他の誰もが危険だと避けている復元技術の技術者だ」
「それなら、本当は分かっているはずでしょう? ──石化した細胞さえ蘇らせるほどのエネルギーを持つ復元装置ならば、たかが『死んだ』だけのポケモンを蘇らせるなんて科学の力をもってすれば簡単なことだと」
パンジャは静かに、アクロマを見つめた。
(アオイ。わたしは……いつも隣にいたあなたの分まで考えないといけなくなった。けれど、あなたは違う。わたしはあなたに任されたつもりで、わたしこそあなたに頼りすぎていたのだろう)
人は彼の言葉を悪魔の囁きと言うのだろうか?
可能性に縋ることを弱さと言うだろうか?
前に歩き続けることだけが未来に繋がらないと、訴え続けるのは子どもの駄々と同じだろうか?
それは否。断じて否。
甘やかされるほど彼女は夢を見ていなかった。
「ドクター、わたしがそれを一度も考えていなかったと思っているのか? この研究に携わる全ての科学者が一度は夢見るその可能性を、実行に移した者がいなかったと信じているのか?」
「おや? 性善説に傾倒しているつもりはありません。ただ不思議で理解できないんですよ。可能性があるのにそれを検証してみないとはどういうことでしょう? このジラルダン理論についてもそう。不完全な検証を不完全なままにしておくなんて理解しがたいです。『分からないまま』なんて嫌でしょう?」
指先でモバイルの画面を叩いて彼は、心の底から理解が及ばないという顔をした。
対して、パンジャは静かに告げた。
「『不完全なまま』にしておくことが一種の『完成』だ。死という現象が可逆性の現象になっていないことが全てを語る。可能性があったとしても明文の『理屈』にならない。我々の場合──もちろん、アオイとわたしのことだが──生き返らせたいポケモンは爆発と火災で遺骸さえ見つからない。結果に至る全てが失われてしまっている。……やりたくとも、できない」
まともな人間が聞けば眉をひそめる話題が一片の齟齬無く成立するあたり、ふたりは正しく研究者だった。ただ最後のひとことはごく些細なおまけのように付け加えられた。
しかし、アクロマはそれを聞くとニッコリと笑った。
その顔には曇りなく、濁りなく、そして、罪の意識などまるでない。
懇切丁寧に素晴らしい「手抜きの方法」を教えてくれた友人の友人に対し、彼もまた一種の友情を感じているらしい。だからこそ。
「そこであなたにオススメなのが、このポケモン図鑑!」
紙媒体の古ぼけた図鑑を目の前にズイと差し出され、パンジャは目をぱちくりさせた。
ダイレクトメーマーケティング戦略とはこのことか。彼女は疎い経済用語を使う程度には混乱していた。
「うっ!? な、なにをっ!?」
「存在しうる現象にたどり着く方法がひとつとは限らないはずです。私はそう信じている。──それでは、私はこれで! アオイさんによろしく! あなた方の研究にもBest wish! ですよ!」
「あ、ちょっと待って、こ、これは……!」
いつの間にかコウタのために注文したチョコレートパフェを軽く平らげて彼は去って行った。昼食、ごちそうさまでした!と言われるまで気付かなかった。ナチュラルにもぐもぐしていた。衝撃が去るとこんなものが昼食で良かったのだろうか、と不安になってしまった。
思わず受け取ってしまった古ぼけた図鑑をよく見ると中古本屋のタグが付いていた。モンスターボールが2個買える値段だった。
「今さらわたしに図鑑など必要は……無い、はずだ。そうだろう? そのはずだ。だが、いや、アオイの友人があそこまで言うのであれば見てみることも必要かもしれない──」
パンジャは頁を開く。そして運命は訪れた。
【あとがきィ】
アクロマのイメージは何というか嵐のように来て去って行く印象があるんですよね。たぶんゲーム上わりと唐突に現れたせいだと(筆者が)思い込んでいるからだと思うのですが……だからこのような描写になりました。あと目の前に置いてある物をぺろりと平らげていくような気がします。彼にはぜひアイスを宣伝してもらいたい。
【あとがきェ】
パンジャ、本格稼働へ。
やる気スイッチは講師によって押されるものと相場が決まっています。だからいくら自分で「やるぞ」「頑張るぞ」と言っても仕方がないですね。――というのは冗談です。
さて、ホントに始末の負えない人間は、行動理念がぶっ飛んでいるか、状況でそうせざるを得ないため止められないの2種類くらいがあるのではないか? という考えでパンジャは動かしています。だから彼女の考えや思いを書くのは新鮮で楽しいものがあります。そして何より突然! 叫びはじめるしね! ほんと楽しいので! 皆さんも一緒に叫びましょう! かなりヤバイ人です。
【あとがきォ】
化石の復元なんてものを見たら、当然思うことじゃないですかね。
「もしかして死んだポケモンも生き返られるんじゃない?」なんて。
それがまったく検討されていないのは……皆さん、それを考えない清い心の持ち主ということ、なのでしょう……だよね? え? クローンはOK? な、何のことかさっぱり分か、うわ、なにをs――。
【更新の】ここまでお読みくださりありがとうございます【お知らせ】
今後の投稿は筆者のネット環境の変化の為、土日が中心となります。
平日書き上げた分を週末に投稿しているほぼノーストックでお送りしております。
毎週は難しいですがコツコツ投稿できたらいいなぁと思っています。
それでは、次話でお会いしましょう!ここまでお読みいただきありがとうございます!
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
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