もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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博士の撒いた種

 かつて、かの博士は夢を与えた。

 すべてのはじまりにして飛行機でいうところの『帰還不能点』であった。

 

 それは少年少女にとって『夢』だった。

 まぎれもなく、ただの、素晴らしいポケットのなかの『夢』だった。

 

 でも、大人になった彼らが再びその言葉をなぞる時、その意味が変わりはじめた。

 

「もしかしたら――」

 

 手垢にまみれ揉まれた夢が、今さらになって花を咲かそうとしていた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 夜の地下は恐ろしく静かだ。耳にはキンキンと痛くなる静寂がやってくる。

 

 それでいて夜の地下の静けさはどこか人工的な響きをもって体に馴染む。生まれてこのかた人工物に囲まれている時間が長いせいだろう。黙って座っていれば満足だ。きっとこのまま眠ってしまえるだろう。そのままいっそのこと人工物に溶け込んでしまいたい。そうすればこの悩みも憂いも溶けて消えてしまうに違いない。――なんて、妄想が今日も捗る。

 

「おいしそーに食べるよなぁ、ホント。おっと……べつに食べたいわけじゃないぜ」

 

 コウタ・トウマは客用のベンチに腰掛けて仕事仲間の食いっぷりを見ていた。

 

「あー、晩飯なんにするかなぁ。コンビニ弁当? でもさぁおっそろしいことに、この頃、フライパンを使った記憶が無いんだぜ。絶対に栄養偏りまくってるよなぁ……野菜食わないと」

 

 ぶつぶつと言うコウタの後ろに影が落ちた。

 

「やあっ!」

 

「うおっ! だ、誰だ――げっボス。あ! いえ、あのぉ、さぼってたわけじゃないですよ! 休憩中ですって」

 

「べつに咎めたりしない」

 

 コウタが勤めるバトルサブウェイ。その運営を任されている双子、その片割れに出くわしてコウタは弾かれるようにしてベンチから立ち上がった。

 

 意味も無く驚かしてくるひとではないので何かしら用があるのだろう。コウタは髪を掻いてあちこちを見た。どこかに黒いボスもいるはず――という気がする。

 

 ニコニコといつものスマイルで彼は仕事仲間の食べっぷりを評価した。

 

「――あのぉ、それで自分に何かご用でしょうか? 書類に不備があったとか、実は掃除当番だったとか」

 

「? そんなことないけど。はい、これ」

 

 ぺらりとした一枚の紙を差し出され、コウタは「なんスかそれ」と言った。

 

「この前のやったでしょ。ストレスチェック。――の結果」

 

「へ? あー? 先月の? そんなのもありましたね。えっそれをわざわざ届けてくれたんですか? そんなもん自分の席に置いておいてもらえたらそれでよかったのに……」

 

 受け取ろうと手を出したところでひょいと引かれてしまった。

 

「――渡すのと聴取に来た。僕の次にストレスが低かったから」

 

「えっ? そ、それは成績が良かったってこと……ですかね?」

 

「高いストレス耐性。必要だよね。ここにいるにはさ」

 

 クダリは相変わらず底知れない笑みを浮かべて、指を立てた。

 

「なんだかんだと離職率も低いとは言えないし」

 

「ま、まぁ、ここすっかり地下ですし……気が滅入るってこともあるかもしれないですね」

 

「それだけではありません。一定方向の空調、電車が稼働し続ける限り発生する騒音、高いコミュニケーション能力、密室、常に高いパフォーマンスを求められる状態にあってはストレスを感じるなというのが酷というものでしょう」

 

 歩いてきた黒いボスが白いボスの手からシートを取った。

 

「クダリ、勝手に開封されては困ります。プライバシーの侵害ですよ」

 

「でも、秘密にされると気になるし」

 

 ふたりのやりとりを聞く限りでは、封筒の中身を知らないフリをしてこっそり聞くという予定だったらしい。コウタは気まずい思いの中で「何も気にしていないですよ」と言った。

 

「そういう問題ではありません。クダリはあとでじっくり話し合いましょう」

 

「えー」

 

「ではコウタさん」

 

「はひぃぃいっ!?」

 

「聴取といっても難しい話をするわけではないですよ。普段から心がけていることや日課にしていることをお聞きしたいだけなので」

 

 コウタはこの頃、黒いボスことノボリと話すのが気まずい。例の事故のせいだった。

 

「は、はぁ……。俺の話なんて役に立たないと思いますが」

 

「そう言わずに」

 

 白黒のボスに両脇を固められてベンチに座る。

 コウタの頭には「詰んだ」という言葉が巡っていた。

 

(ヤバイぜ。何も無い。ほんと、何もないんだぜ)

 

 種も仕掛けも何もない。明かす手の内なんてもう見せびらかしている。

 

「いえいえ、ホント……別に何かをしているってワケじゃないくて。そのなんていうかな、ストレス耐性は俺の性質によるものだと思うので……」

 

「性質?」

 

「ストレスって要は負荷でしょう? 負荷って何かって考えると満たされないってことでしょう。あああなりたい、こうなりたい、あれがほしい、それもほしい。――それが満たされなくってみんなストレスを抱えてる。俺は、そういうのが少ないんですよ。あんまし物欲も無いみたいで」

 

「参考にならないね」

 

「クダリ、自分のことを棚に上げてその物言いはないでしょう。いえ、すみませんね、コウタさん」

 

「俺もこういう質を理解しろってほうが無理だと思うんで、そういう感想になるのはまっとうだと思います。俺はどんな『現状』にも満足できる――というだけ。そういや、クダリさんはなんで耐性高いんですか?」

 

「僕もコウタ君と同じようなものだよ。『こういうもの』は『そういうもの』だから。不思議だよね、みんなこんな簡単なことが分からないなんて」

 

「……そ、すか」

 

 前々からヤバイ人だと思っていたがここまでヤバイ人だとは思わなかった。すごくヤバイ人だった。環境適応能力が並じゃない。異常の域にいる。そうでなければこの地下で生きられないとでもいうのだろうか。地下。恐ろしい。

 

「ふむ。なるほど。参考になりました」

 

「ええっ! な、なったんですかっ!? どこが!?」

 

「一般の職員には参考にし難いということが参考になりました。……分かっていたんですよ。異常な低負荷だったので……」

 

「そ、すか……もうしわけないです」

 

「いえ、何も気にすることはありません。では、聞き取りはこれで終了、と。……では、コウタさん。気をつけて帰ってくださいね」

 

「は、はいっ!」

 

 ノボリはそう言って去っていた。

 

 彼が行った後で、またジンとした沈黙が起きた。白いボスが後ろの自販機で何かを購入した。温かいコーヒーだった。そのうちの一本をコウタに投げて、クダリは炭酸ジュースを開けた。

 

「ねえ、クダリさん。ノボリさんって今回の数値……悪かったんじゃないですか」

 

「うん。全職員の最高値を記録してるよ。理論値みたいな数字は初めて見たな」

 

「すみません」

 

 クダリは、空気を察することができる男だ。

 

 頭の良さとか、そういうものではない。よく頭の回る、そして何よりキレる男だ。だからこれからの会話はどこか儀礼じみていた。

 

「……なんで謝るの」

 

「あの事故のことです。他の誰よりも余裕があった俺なら、きっと止められ……なかったにしてもシャンデラを亡くすことはなかったはずだと思うんです。俺があの時、もっと周りに注意を払っていれば……」

 

「君が気にすることじゃないよ。……気にしても仕方ないこと」

 

「でも……もしもって考えてしまうんですよ。もしも『あの時に戻れたら』――なんて」

 

「ねえ最近、SF小説読んだ?」

 

「なんで分かったんですか」

 

「突然言い出したら疑うよ」

 

 クダリはカラカラと笑う。けれど「くだらない」と言わない優しさをもっていてくれた。それがコウタを救っていた。

 

「……まあ、正確なところSFではないんですが、カントーのほら、かの有名なオーキド博士の手記ってご存じですか?」

 

「むかし読んだかな」

 

「さすが。それにあるでしょう? 『時を遡る』可能性についての話です。ポケモンの力を使えば……時間さえ巻き戻せる。俺も学生の頃にその話を読んだんです。それを最近思い出してしまって……」

 

「でも、あれは森のなか、限られた時間の限られた出来事だ。特定の場所の瞬間を変えることなんてできないよ」

 

「――違うぜ」

 

 コウタは確信を持って呟く。

 

「この際、そんなこと問題にならない。『できる』『できない』が問題なんじゃない……。問題は……最大の問題は、可能性が、『手段』があることなんだ。この世界のどこかに確実にあることなんだ」

 

 過去に戻る。やり直す。正しくあるべき姿に。――それはとても甘美で人を惹きつけてやまない。ここに、コウタとクダリの性質の違いがあった。コウタはクダリのように『こういうもの』は『そういうもの』だからと受け入れることはできない。『現状』に満足できても、未来はどうか分からない。過去などまして――。

 

「あの時のノボリさんを救えるのは俺だけだった。それが……俺は……どうしても……夢を見て……しまう」

 

「……ふぅん。よく、わからないな」

 

「俺、毎日……家に帰ると惰性でテレビを付けるんですよ。するとニュースが流れてきて、交通事故で人が何人、ポケモンが何匹死んだとか流れてくる」

 

「それが……なに」

 

「俺が特別に薄情なわけじゃないとは思いますが、それを聞いても時間を戻して助けようなんて思えない。まあ、小さい子が亡くなったとか卵が潰れたとか聞けばちょっとは心も動きますが、たいていはその日の晩飯が不味くなるだけだ。でも……目の前でこうも死んでしまうと、できたはずのことを思って……悲しくなってしまうんですよ」

 

 彼は、もう一度「それでも僕は、わからないな」と呟いた。

 

 

 それは、これまでの言葉で最も力ない言葉に聞こえた。




【すげーくだらない……あとがき】

 そういえば、ポケモン世界において、過去に戻る方法はいくつあるだろうと検討していました。
 でも、アニメは、正直なところ把握ができていないです。ネイティ、ネイティオ絡みで時関係の回があったような気がする。

 1、頑張ってセレビィを捕獲する。(※ただし任意の時間に行けるとは限らない)
 2、すごく頑張ってディアルガを捕獲する。(※ただしry)

 ……少ないです。こんなものだったでしょうか……? もっと何かあったような気がするのですが……思い出せない。ただ能力がそれぞれオンリーワン過ぎますし、ホイホイできたら困るし……。うーん……。


【 これが 二次創作 ってやつさ ! 】
 作品がいまいち進まない時にこつこつ描いていたイラストを1話にあたる登場人物紹介に載せました。外見についての描写は少ないので読者の皆さんの自由なイメージを持ってくださって構わないのですが、書く方は最低限の情報をもっていないと統一性が無くなってしまうのでそのメモを兼ねています。ただ初案からずいぶん変わりました。……統一性ェ。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

  • 登場人物たち
  • 物語(ストーリーの展開)
  • 世界観
  • 文章表現
  • 結果だけ見たい!

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