旅立ちはいつも唐突だ。
これから相棒になるこの子にとっては特に。
「これから、ここイッシュのシッポウからシンオウのハクタイまで行くんだ」
春らしい、生命の息吹を感じさせる妙な土臭さのある風を肺一杯に吸い込んで決意表明するみたいにアオイの声は大きくなる。
小さな荷物には必要最低限の下着と普段より厚めの財布を詰め込んだ。
膝の上で「モシモシ?」と体を傾けたヒトモシを片手で支えてあげながら、アオイは車イスを動かした。
(そういえば、この子に名前を付けてあげないといけないな……)
考えるほど思考の泥沼にはまっていく気がして、アオイは一旦思考を止める。
一階の係のひとの声が聞こえる。なんことはないトレーナーとの会話だった。
◆ ◇ ◆
ポケモンセンターを出ると、アオイは地図を開いた。
「今がここ、それでこれから行くのが……ここ」
イッシュを指差してからシンオウを軽く叩く。
そういえば、とハタと自分を見つめ直す。
ヒトモシは距離の概念を理解できるだろうか。いや、そもそも地図が何だか分かるのだろうか……
まるで学生に話しかけるみたいに言ってしまったアオイの困惑は、『むじゃき』なヒトモシの笑いで吹き飛んでしまった。
「モシモシ~ッ!」
とりあえず、遠くに行くらしいということは理解……していないだろうなぁ。
「まあ、気長に行こう。荷物はまとめてあるし、生活はたぶん大丈夫」
あとはアシだ。
◆ ◇ ◆
シンオウへは船で行く。
片道切符にしたのは、決して財布の中を考えたわけではない。
(帰りたくなった時に帰ればいいさ)
そんな気持ちと。
(……買う気になればいつでも買える。いつでも帰れる)
後ろ暗い打算のためである。
ヒウンシティの観光客用絵葉書を売る店を冷かしながら、アオイは歩行者の邪魔にならない程度の速さで移動する。
ここはヒウンアイスが名産品らしい。
(いつか……パンジャが買って来てくれたっけ)
向上心があるくせに出不精の根暗インテリ。――そんな不名誉な評価頂きながら食べたヒウンアイスは、ちょっぴりだけ美味しかった記憶がある。しかし、果たしてあれはなんの味だったのか。さっぱり記憶にない。
ただ、覚えているのは包装の売り文句「全てのアイスを過去にする!」とやけにアーティスティックなフォントで書かれてあったことだけだ。あれは強烈だった。さすがは芸術の街である。
「モッシ! モッシ! モッシ!」
歩くことが楽しい。全身で表現するようにヒトモシが車イスの周りをトテトテと
歩き回っている。意外と機敏でアオイはいつも驚いてしまう。
ヒトモシは鈍いイメージがあった。原因はゴーストタイプだからだろう。だって、ゴーストタイプの代表ともいえるカントーのゲンガーは60㎏近くあると聞く。私より重い。
「しかし……まあ、ちょっと落ち着いてくれよ」
アオイの声が弱弱しいのはわけがある。
モシ? とヒトモシが怪訝そうに振り返る。
「君が景気よく燃やしているのって私の生命力だからね。そこのところ忘れないでほしいな」
ヒトモシが照れたように紫の焔を揺らした。褒めてないからね。困ったことになるからね。
こっちの気も知らず、やたら誇らしげに敬礼したりなんかする。
「ノボリさんの真似かい? なるほど」
旅行中と思しき女性の二人グループが「きゃわわっ!」と言いながら通り過ぎた。
「……モシ」
途端に不機嫌になって、アオイの靴を踏み台にして膝の上にやってきた。
「なんだい? 可愛いって言われたのに……」
拗ねたようにヒトモシはそっぽを向いた。
基本的には、むじゃきらしい性格だが。
(まあ、これがこの子の『個性』というものなのだろう)
アオイは白い体を撫でてやって、乗りこむ先の船を見据えた。
◆ ◇ ◆
船員の手を借りて、乗船する。
その中に面倒くさそうな、あるいは嫌な顔を見つけても、アオイは素知らぬふりをして缶コーヒーを渡す。
「どうもありがとう。あ、これどうぞ。さっき売店で無糖と間違って買ってしまいましてね」
笑うと、すこしだけ右の口端が上がると言われている。だから、ちょっと皮肉がきいた顔になっているに違いない。
受け取れないと言う船員に向かってアオイも食い下がる。
「――つれないな。私だって出したものを引っ込めるほど下衆じゃない。それにこれがあると荷物がおおくなって困るんだ。助けるつもりで。さ」
恩義は押し付けるに限る。さっさと渡して、アオイは車輪を動かした。
「部屋に行こうか。出港まで時間がある……」
ヒトモシが不思議そうな顔で見つめてくる。
「そんな目で私を見ないでくれよ。誰にも迷惑をかけずに生きていけたらそれは喜ばしい……いいことさ。でも、そういうわけにはいかないから誰かに助けてもらう、それの代替行為……代わりのことなんだよ。忌々しいことにね。……この苦痛は私と同じ人にしか分からないだろうけど」
まあ、君には関係のないことさ。
誤魔化すように笑いかけて、1人と1匹はある一室に入った。
◆ ◇ ◆
大きな窓の縁飛び乗って、貼りつくように窓の外を見た。もちろん、船はまだ出発していない。
大きな倉庫群を見渡すことができるほど高い。
建物にしろ、人間にしろ、身長30cmのヒトモシには全てが高い。
いつか見た写真――ランプラーやシャンデラになれば、違う景色を見ることができるのだろうか。
そんなことに思いを馳せると、目の前の景色が色とりどりに見えた。
そして、未来に来てしまったような気がしてすこしも目が離せない。
「モシモシ!」
見て見て! と言わんばかりにガラスを叩く、主人のアオイは膝に置いている鞄をあさっていた。
ときどき、この主人は間が悪いと言うか何というか。ちょっとだけガッカリする。
しかし。
手帳を広げるなり、主人は苦しそうな顔をした。
「ヒトモシ……蝋燭、これはあんまりだな……燭台ではないし……炎、いまいちだな……もっと穏やかで、小さな、灯火……神聖……美しい……アカリ……ヒカリ……んー?」
どうしたのだろう。窓から離れて見上げる。どこか悪いのだろうか。
主人は足が不自由だが、もしかして他にも……?
そうこうしているうちに気付いたのか、主人が笑いかけてきた。
「君の名前をね……決めようと思っているんだが、なかなか思いつかなくてね。すまない……」
アオイは額を押えて言った。
その頃のヒトモシにとって最も重要なのは窓の外の景色であったが、主人が悩んでいるらしいのを見て、静かにする。
「むむ……あっ」
閃いた、という顔でアオイが手を叩いた。
「モシ?」
「ミアカシだ。ミアカシにしよう。君はとても明るいからね」
ヒトモシは種族の名前だろう? 私に向かって「おいニンゲン」って呼びかけるようなものだ。だから、君の名前を考えたんだ。君だけの……名前。
そのヒトモシ――ミアカシにはまだ事態が呑み込めていなかったが、どうやら主人のアオイは自分の名前を考えていてくれたらしい。
ミアカシ。ミアカシ。
「明るい、神聖な炎のことだよ。あまりに綺麗な炎だからね。……いや、しかし、惚れた贔屓目ってヤツかな」
くすくすと笑いながらアオイは、初めて会った時のように目の高さに掲げた。
「よろしくね、ミアカシさん」
「モシ……モシモシ!」
こうして、わたし――ヒトモシのミアカシと人間のアオイの旅がはじまった。
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