唐突だが、私はポケモンを持っていない。
脚が動かなくなったと同時に『彼』もいなくなってしまったから、ここ数年の間、私の腰のボールホルダーは空っぽのままだ。
『彼』のことを私は意外と気に入っていて、好きだったのだと病室のベッドで自覚した時、なんだか無性に寂しくなったのを強烈な印象として覚えている。
それ以後しばらくは、いわゆるポケロスという状態である。
ポケモンを失ったことによる食欲不振や鬱状態が続き、だいぶ悩まされたが、最近は良くなってきていると思う。少なくとも、街でバトルしたりパートナーとコミュニケーションとっているトレーナーを見て、暴力的あるいは悲観的になったりしない。
もちろん、忘れたわけではない。……だが、楽しい思い出が慰めてくれる。そのことに気付いたから、こうして歩んで――(自分の脚は相変わらずだが)ともかく、前に進んでいる。
さて、そんな私は、今日ポケモンを受け取りにポケモンセンターに来ている。
先日、とある知人を伝手に私はメールを書いた。
その手紙を受け取ったのは、ライモンシティにあるバトルサブウェイ、そのボスのひとりである。
名前をノボリという。
バトルサブウェイの双子車掌といえばライモンの名物の一つとして挙げられる、いわゆる超有名人である。
そんな彼と私に個人的な繋がりはもちろん無いのだが、縁というのは奇妙なもので……たった今から、それができそうである。
ところで、最初のポケモンは、各地のトレーナー養成所や研究室で配られる。いわゆる御三家というやつだ。
パンジャはポカブを持っていたから、ポケモンの話になるとよく「その御三家の中から選んだらどうか」と言った。
でも結局は理由を付けて断った。
御三家は旅をするトレーナー向けのポケモンである。旅をするわけでもない私には不釣り合いのように思えたのだ。それに、夢と希望を抱いて若いトレーナーのもとにやってくるであろう彼らの前に自分がいるのはどうしても想像できない。
紆余曲折があった結果、私の手持ちとなった最初のポケモンは『彼』である。
今回は、パンジャや他の知人に頼むつもりはなかった。『彼』もそうだったが、野生のポケモンが人間のルールに合わせるのは苦労する。脚が動かない人間はいざという時に彼らを庇うことができない。危険を及ぼしそうでも、危険が及びそうでも、動けない。
新しい出発の相棒にするのなら、人間に慣れた子がいいと思っていた。
そんな時に、ライモンの地下鉄に勤務している友人から酒の肴のついでに話をされた。
『ボスのシャンデラが降板したんだ。シフト調整して、朝から晩まで孵化作業でさ。もう、てんやわんやの騒ぎだよ』
それはまた大変なことだ。……厳選に漏れた子はどうなるんだい。
これは口に出すまでも無かった。酔っ払った彼の言葉はどんどん繋がっていった。
『里親も緊急募集中でさ。カントーからシンオウから、あっちこっちに募集かけて、変な奴・怪しい団体は弾いて、面接して……ってな作業を業務の傍らやってるんだよ。ボス、マジでヤバイ。スーパーマサラ人並』
その時はそれだけで終わった会話だったが、そのあと私はずっと考えていた。
ブリーダーから譲り受けることを考えていたが、ああ、これはこれで良い機会ではないかと。
私は一時期ライモンで暮らしていた時期があった。経済発展を遂げるライモンで観光業について勉強していたのだ。
その休暇に、何度かパンジャとバトルトレインに乗車した。
そこで何度か彼らに挑戦したのだった。
シャンデラやシビルドンの強さはよく知っている。良個体であると日夜パンジャと語り合ったものだ。
暗い自室に戻った時、酔いの醒めた頭で不意に思い出すことができた。
黒いシルエットの隣に美しく浮かんでいた生命を燃やす青い焔を。
私はすぐさま携帯を取り出し、友人にメールを打った。
ポケモンセンターのテレビ電話の前で私は繋がるのを待っている。
多忙な彼が指定した時間に一秒も遅れずに電話を掛けた。
本来であればライモンシティに行き、受け取りをしたいところだが、野生のポケモンが出て来た時に一人では対処できないためにノボリと相談の上、この形になった。
『もしもし、遅れました。こちらバトルサブウェイ、ノボリでございます』
「こんにちは。お忙しいところ恐縮です。シッポウシティのアオイと申します。ヒトモシ里親の件でご連絡させていただきました」
『先日の紹介状を受け取りました。さっそく、面接をさせていただきますが、しばらくポケモンをお持ちでなかったとか』
事務的な、妙に硬質な視線であることに気付いている。
にへら、と私は笑った。
こういう手合いに笑いはあまりよくないことは知っているのだが。
「ええ。事故で足と一緒に動かなくなりましてね。……まあ、もうその職場もやめたので、なかなか危険はないと思いますがね。これから田舎で隠居生活ですよ。心穏やかに過ごしていきたいと思っています」
『引き取り手として名乗りを上げてくださったのは、こちらとしては喜ばしいことなのですが、ヒトモシを選んだ理由をお聞かせくださいますか?』
「さあ、自分でもよく分かりません」
『分からない?』
ノボリの顔が険しくなった。
それはそうだろう。私だってそうなる。
「なにか、この話を聞いた時に、これしかないって思ったんですよ。直感といいますか。……たしかに、他のブリーダーからもいろいろ話を聞いていましたが、あなたのヒトモシの話だけは、他とは違う何かがあったんですよ。……変な話になってしまい、すみません。けれど、私がもしあなたのヒトモシを譲りうけることが可能ならば、できるかぎりのことをしたい。小さな世界でも幸せに生きてほしい、ともに生きていたい……そう思うんです」
言いながら、人間らしい考えだな、と思って私は笑みを潜めて彼の仏頂面を見る。
『……初めのメールからひと月が経っています。一時の感情でそのようなお答えならお断りしようと思いましたが……今なおそのお考えを持つあなたになら、託しても大丈夫でしょう。ただし、連絡と生育法に困った時は、すぐにご連絡くださいまし』
「ありがとうございます。……ほんとうに、ありがとう」
それから何を話したのか、よく覚えていない。今思えば私はかなり緊張していたのだと思う。
私の未来、その行く末が、きっとそのヒトモシにかかっているのだと、私はなんとなく察していたから。
光に包まれて、空のモンスターボールが消えていく。
いつか使うかと思って買っておいたものだ。そしてそれは今、本来の用途ではない方法で使用されつつある。
交換中の文字が点滅して、再び光が現れる。
真新しい赤と白のボールだ。
この中に生命がいるなんて考えられない。
私は、恐る恐る、妙な期待を込めて手を伸ばした。
『それでは、ご確認くださいまし』
「え……あ……そうですよね」
あまりに久しぶり過ぎてどんな感覚だったのか思い出せない。
どうやるんだっけ。そんなことを考えながらボールを手の中でクルクル回す。
ミジュマルがお腹の貝殻を触る様子に似ていたかもしれない。
画面の向こうでノボリの顔がちょっと緩んだ。
「え、えー、えー……えいっ!」
思い切ってボールを放ると、パカッと開いて白い姿が現れる。
「モシッ!」
手元に戻って来たボールをキャッチしそこねて、床を転がっていく。
私は、ただただ驚いてヒトモシを見ていた。
「モシ? モシモシッ!」
「あ! あぁ……ヒトモシ……」
『そのヒトモシには、いちおうトレーナーが替わるということを言ってありますが、生まれたばかりなのでそのへんを分かっているのかどうなのか……』
ノボリの話を頭のどこかに書き止めながら、私はヒトモシに手を伸ばした。
「は、はじめまして。私は、アオイ……です。分かりますか?」
ヒトモシは私の手をすり抜けて靴の上を跳ねて、私の膝までやって来た。
動きの機敏さに驚きを隠せない。
「モシモシッ!」
なぜか誇らしげな顔をして、ヒトモシは右手らしきところを上げた。なんだか敬礼しているように見えて私はクスクスと笑う。
「初めまして。ヒトモシ。これから、よろしくね」
私は彼のちょこんとした手と握手した。ヒトモシは嬉しそうに私の膝の上でジャンプしている。
『大丈夫そうですね。……アオイさん、その子の性格は「むじゃき」です。好奇心も旺盛ですから、たくさん遊ぶことが必要かもしれません』
「そうですか。でも、私にはちょうどいいのかもしれません。よく引きこもりがちだと言われるので」
ヒトモシの体をプニプニしながら私はそんなことを言った。
「ノボリさん、ありがとうございます。……なんだか、これからの人生なんとかやっていけそうな気がします」
人生、という言葉に微かに彼の瞼が上がる。
『それは……安全運転でありますように、お祈りしています』
「ええ。あなたも。……Best Wishですよ」
ノボリは会釈をして通信が切れた。
見ればヒトモシは興味津々といった顔で私を見ていた。
「ありがとう、ヒトモシ」
両手で抱えて、顔の高さまで持ってあげる。今度はキョトンとした顔になっている。
「私は……なんだか、前向きに生きていけそうな気がしているよ」
なぜって?
君がここにいるからだよ。
ああ、きっと……
この子は、私にとってかけがえのない大切な存在になるだろう。
なぜって……そんなことは聞かないで。
そんな酷いことを言わせないで。
私にだって分からないんだ。
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
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