もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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物語と雨の話

 この日は、朝から雨が降っていた。

 

 

 ハクタイの森に近い家で、アオイは唸っていた。

 

(良くない。実に良くない。悪く言うと最悪だ)

 

 物語を作るというのはかなり難しい。そのことをアオイは今さらながら思い知るのだった。

 

 小説のテーマは決まった。物語を貫く主軸が決まればあとは枝葉を広げるようにあれこれと決まっていくだろう。そう考えていた自分は浅慮だったらしい、と数日前の自分を振り返って思う。

 

 漠然とした望みは扱い方が難しい。こういう考え方の難点は、それが明確ではないという一点にある。段階を追った手順もなければ、成果の明瞭さもない。

 

 困難にしている原因は、物語の構造もあったが、

 

(私の語彙力は存外たいしたことがないのだな)

 

 ふうと溜息を吐きながら、アオイは(どうやら文学については非才らしい)と認識を新たにした。

 

 物語の骨子を形作るテクニカルな技術の欠如は最大の問題だった。つまり書いてみると淡々と味気ない事実の羅列になってしまう。心情を書いてみても取って付けたように不自然で、自分は取扱説明書を書いているのだったのか、と妙な思い違いをしそうになる。

 

 しかし、欠陥的な問題が発生していることを自覚した上で、『むしろ』『だからこそ』、アオイは書き続けることにした。とりあえず作品を完結させないことには始まらない。何事も経験だと自らを励ましつつ、あらゆる過不足は未来の自分が推敲でなんとかすることにして、当初のプロット案だけでもアオイは一気呵成に書き終えようと試みた。

 

 アイディア素材と呼ぶことにした単語の羅列がふと目に留まった。

 

 少年。

 

 しょうねん。

 

(あれ、少年とは何だ?)

 

 日常の何気ない言葉の後方に浮かんだ疑問符により、アオイは泥沼にはまった。そこは思索の、ベトベトンな具合の沼だった。

 

 アオイはアイディア素材を出す段階において、その言葉が世界を構成するものなのか、あるいは人物を、物語を、という区分が曖昧だった。

 

 その結果、混乱することになるとは思いもしていなかった。

 

 「少年」。何の変哲の無い、年少の子供を指す言葉だ。けれどそれは辞書の意味で、そこに多分に含まれているキャラクター像は計り知れなかった。「少年」とは? 「少年」らしさとは? 物語の中心が「少年」である意味とは? 何気ない「少年」という言葉にアオイは悩み、ペンが止まり、ミアカシにせっつかれ、ラルトスが仲裁した。

 

 この言葉にまつわる疑問は、創作物のなかで解消するテーマなのか、自分が一生かけて考え続けるテーマなのか、せめてこれだけは区別しておくべきだった、とアオイは後に反省することになる。

 

 一方で。

 

「モンスターボールが透明になることで発生する問題」

 

 バランスをとるために一応の採用をした、バッドエンド一直線の予定である作品案は自分でも思いがけないほどトントンと構成が進んでいた。

 

 相変わらず文章力は大したことがないのだが、そこはルポという形で滔々と進めればいい、ぞんざいな妥協のスタイルが意外なほど物語に似合っていた。

 

 なぜ、こちらはペンが進むのか。考えてみれば作品の舞台となる研究所というのが、アオイの実体験に即したシッポウの研究所であるというのが大きいようだった。あれもこれもとディティールは尽きることなく浮かぶ。研究所内の人間関係としがらみ、派閥のいざこざ、成果の奪い合い、他諸々。

 

(自分の経験の無いことを書こうとすると大変だな)

 

 これがアオイが遅まきながら学んだひとつだった。語彙数だけでなく自分の想像力というのは実に大したことがないらしい。

 

 ところで。

 

「…………」

 

 言葉を書き出すことはナイフを扱うのに似ていた。多くのことを書き連ねているようでいて、やることは実際の出来事から核心だけ残るように削ぎ落とす作業だ。

 

 記憶として生きているものを、文字に置き換えることで殺す作業。

 

 設定とテーマを決め、物語を書き始めた頃にアオイはこうした感想を抱いた。そこまで考えたところで、自分でも分からない感情が燻っていた。

 

(私は……やり直したいのだろうか)

 

 やり直す。願わくば過去を。

 

 現実の出来事から記憶へ、記憶から現実の物語へ衣を着せ替える様子を前に、アオイはペンを止めてぼんやり思った。

 今は自分と『彼』との物語を書きたいとは思わない。でも、いつか動機が生まれるかもしれない。たとえば、現実を再構成する物語を書きたい、と。

 

 自分と『彼』が至った現実は、どこをどうすればハッピーエンドにたどり着くのか。『彼』を救えたのか。試行錯誤を繰り返す未来がこの先にはあるような気がした。

 

 歪な線を引くペンに気付いた時、憎しみじみた思いで握っているのに気付いた。自分が何に憎しみを感じているのか。知りたくないし今後とも目を背けていたいことだった。このことは忘れよう。心に良くないことだ。何度か瞬きして目の前にかかる思考の靄を払った。

 

 目頭を揉みながら、背伸びをする。

 

 どうやら自分で考えていたよりも研究所のいざこざには鬱憤が溜まっていたらしい。そう、これが悪いのだ。アオイは頭の中で原因をすり替える。このイライラが余計な疑念を引き起こすのだ。自分にそう思いこませると、手すりを頼りに座り直した。

 

 まあ、もう我慢することもない、どうせペンネームで公表するのだし、とペンは再び走り始めた。匿名性最高である。本当にやましいところは何も無いのだ。そんな言葉が心の内に浮かんだ。なにもアロエの知らないシッポウの研究所内で行われている後ろ暗いことを内部告発しようって小説ではないのだからセーフだ、セーフ、絶対的セーフだ。

 

 ダーティでな気分に浸っていると突然ラルトスが机の上にやってきて原稿用紙を引っ張りはじめた。

 

「はっいや、こっこれは、困る」

 

 にやにやして失脚させてやるぜと呟くまでは見逃してくれていたらしい。しかし、邪な気分でやっているのがバレてしまったらしい。

 

 ラルトスが原稿用紙をアオイの手の届かないところに置きに行くと「代わりに」とヒトモシのミアカシがハクタイ共同購入のチラシと注文票を持ってきた。たしかにこの通販用紙は毎週この時間に書くものだけど。

 

「いいじゃないか別に。もう気を遣う必要もないんだし」

 

 ラルトスは絶対的なノーを突きつけてきた。

 

「むむ……!」

 

 アオイはことりとペンを置いた。

 

 まったく突然だが、頭の中には『みがわり』ぬいぐるみを延々殴りつけている映像が浮かんでいた。だが、これはアオイの想像ではなかった。ラルトスが意外に皮肉めいたことをしたことに呆れつつ感心した。恐らくテレパシーの一環なのだろう、感情を伝播するだけでなく簡単なイメージも共有することができるとは知らなかった。感情豊かなコウタと一緒にいただけのことはある。

 

「オーケー、了解、了承、分かったよ。うん、たしかにあまり良くない感情だ。いったん中止しよう」

 

 アオイは代わりに鉛筆を持ち、注文票を手に取った。しかし、隙あらば哲学の深淵に滑り込みそうな思考を振り切るように通販のチラシ見据えた。

 

 もし博物館で事務員として採用されるようになれば貯金を切り崩すことも少なくなるだろう。それまで辛抱だ。カレンダーを確認して面接の日時を確認したアオイは思う。ミアカシが持ってきた出納帳の真新しい数字を見ればうっすらと危機感を持った。

 

そして、しばらく注文票のマークシートを擦っていたが、あまりの静けさに鉛筆を置き、窓へ目を向ける。

 

「ミアカシさん?」

 

 先ほどからラルトスと一緒に外を見ている。ヒトモシのミアカシにそっと声をかけた。返ってきたのは気持ちのない返事だ。そんなことをされては気になってしまう。

 

 窓辺に車イスを寄せ、レースカーテンの隙間から外を覗いた。彼らは気付かず、熱心に「モシモシ」と呟きながら見ている。

 

「何が見えるんだい?」

 

「モシ」

 

 温めていた内緒を見せてくれるようにミアカシとラルトスが体を傾けてアオイに隙間を譲った。

 

「おや」

 

 ヤミガラスたちが水浴びをしているらしい。

 軒下にできた水たまりで行水している彼らをミアカシは熱心に見ていたのだ。

 

「ふふ、これはなんともうらやましいような気がするね」

 

「モシ」

 

 ミアカシは彼女なりに思うことがあるらしく共感しているようだ。

 

 アオイはこの体になってから不自由をしている。入浴に関しては特にそうだ。浴室まで移動してシャワーを使うまではいい。しかし、問題は使った後だ。ただでさえ行き届かない家の掃除に加え浴室のしつこいカビを相手にするのは骨が折れる。結果、浴室はアオイが住み始めた当時のまま放置されていた。

 

 この時期は毎日数度濡れたタオルで全身を拭くだけで十分だと思っているが、全身に水を浴びてはしゃいでいる彼らを見ると、諦めきっていた心がほんのちょっと動いた。

 

 これからの季節、常に車イスに接する背中や尻は蒸れるだろうし、薬は対処療法でしかない。まじめに考えなければならない時期は迫っていた。

 

「でも、まあ、ミアカシさんは水苦手だろう」

 

 そんなことはない、と勢いよく体を反らすが、こてんと倒れた。勢い余って自滅しちゃしょうがない。

 

「考えておこう。そう、考えることといえばラルトスの寝床も考えなきゃならない」

 

 コウタから預かっているポケモンであるラルトスはミアカシと同じようにかごにタオルを詰め込んだ簡易ベッドで寝ている。たまにモンスターボールのなかで寝ることがあるが基本的には簡易ベッドだ。

 

 ベッド以外にも彼らのくつろぐ場所が必要だろう。そんな提案である。

 目敏いミアカシがぴょんと跳ねて机の上に広がったカタログをめくった。

 

「なにか気になるものがあるのかい?」

 

 次いでラルトスがとことこ歩いてきてページをのぞいた。

 

「ソファーもあるよ。カーペットの上におけばいい。広いし」

 

 しかしアオイの提案は却下された。ミアカシが不満っぽい声でモシモシと言った。アオイが頑張って意訳を試みたところ、ソファーは人間の居場所という認識がされているらしい。たしかにテレビで見る限りいつも人間が座っている。

 

 彼らがしきりに議論しているのはクッションだった。写真にはポケモンを抱えた女性が床に置いたクッションに腰を下ろしてテレビを見ている姿が載っている。大きさも手頃でこれならポケモンでもこれでごろごろしながらテレビが楽しめるだろう、と思われた。

 

 ここまで考えたところで情けなくなりアオイは泣きたくなった。

 

「ご、ごめんね、子供嫌いの出不精で。テレビしか娯楽がないなんて良くない。実に良くない」

 

 これはなんとかせねば、とアオイはto doリストに書き加えた。楽しめる何か、と。

 

 to doリストには他にきのみの木の選抜と畑の食物の脇芽取り、そして森の調査と書かれてある。

 

 森の調査は早めに取りかかりたかったが、この雨で延期を余儀なくされていた。しかし、ヤミガラスたちが行水に出てくるということはこの後、そう時間のかからないうちに晴れることが予想された。彼らも濡れたまま過ごすわけではないだろうから。

 

 ミアカシさん、とアオイは声をかけた。

 

「雨がやんだら外へ行くよ。森の調査をしたいんだ」

 

 森、という単語に顕著な反応を見せたのはミアカシだけだ。しばしば森を見てぼーっとしていることがある彼女のことだ。何か思うところがあるのだろう。

 一方のラルトスは嬉しそうではない。恐がりで神経質な性格のこのラルトスは物事にきわめて慎重なところがあった。アオイも気分は分かる。

 

「君は無理しなくていいよ。家で留守番でもしていてくれたのならそれで十分だ」

 

 ラルトスはちょこんと頷いた。

 

(それにしても不思議だな)

 

 もしかしたらミアカシよりもスムーズに意志疎通できているかもしれない。

 

 感情と意志、その違いは何だろう。意志に付随する感情を理解することができるから意志にもその理解が及ぶのだろうか。

 

 あとでコウタに聞いてみよう。再びto doリストに書き加える頃、アオイは雨音とともにやってくる車両を見つけた。

 

「チャチャさんかな」

 

 かよい袋にチラシと注文票を入れると玄関へ向かった。

 

「こんにちはー、アオイさん、お届け物ですよ」

 

「ありがとうございます。今週の注文票です」

 

 鍵を開けると挨拶と共に扉は開いた。玄関先で荷物を受け取る。段ボール1箱分がアオイの食料とその他の消耗品だ。

 

「冷蔵庫に入れるお手伝いもしますよ?」

 

 レインコートに乗った雨粒を払いながらチャチャが言った。

 

「大丈夫ですよ。ミアカシさんも手伝ってくれますし」

 

「あ、そういえばサイコキネシスとか覚えるんでしたっけ」

 

「えぇと、どう……だったかな?」

 

 ふたりで首を傾げる視線の先で、やってきたミアカシは空気を読んで体を傾けた、胸を張ったのだ……と思うと、こてんと転んだ。ラルトスのお世話になりっぱなしである。

 

「ははっ。えーと、それじゃお任せしてもよろしいですね」

 

「はい、ありがとうございます。おや……」

 

 外を覗いてみると助手席から降りたルカリオがしきりに頭を振っていた。頭部の、アオイは勝手に受信機と呼んでいる、房がピンと張りつめているところを見ると周囲の波動を探索しているらしかった。

 

「あー、あれ。……このところずっとなんですよね。なんか気になるものがあるみたいで。どこかにすっ飛んでいかないってことは近くに脅威が無いってことなんですが。ここのところなんだか森が騒がしいので、アオイさんもお気をつけて」

 

 彼女はそんなことを言って車に乗り、周囲を探索し終えたルカリオと共に去っていった。

 

(……ルカリオは敏いポケモンだと聞いているが)

 

 人間で言うところの五感に加え波動を感知・操作する能力を持っていると聞く。それが警戒しているということはどういうことか。

 

(探知に優れているルカリオでもまだ特定できていないということ……)

 

 あるいは。

 

(特定していてもあらためて警戒しなければならないほど強大ということ……かな)

 

 目を細めて、轍の水跡を数えた。

 

 野生のポケモンが道を歩いていて飛び出てくることは往々にしてある。その場合、チャチャのルカリオは遭遇した対象を対処することができない。つまり、ルカリオより遭遇した『それ』のほうが強い……とか。もっともチャチャのトレーナーとしての腕前がどの程度で、ルカリオがどれほど強いのかアオイが知らないあたりただの空想でしかなかった。

 

 そもそも、緊急な事態まで至っておらず嫌な予感だけで警戒している、ということも十分あり得た。なんせおっとりして抜けたところのある彼女の相棒である『れいせい』なルカリオだ。アオイが思っている以上に様々を想定して生きていることも考えられた。

 

(それにしてもだ……)

 

 森の奥にいるポケモンとはなんなのだろうか?

 

 調査をすればすこしは分かるだろうか。今はとにかく判断材料が欲しい。

 

 

 

 

 

 

 しかし……本当に『幽霊』という線もありそうなのが、なんとなくアオイの気分を重くしていた。

 

 





【誤字について】
誤字報告なる機能があるそうです。どう使うのか分からず、読者さんから何度か頂いてその機能が理解できました。運営いわく機能の改良(?)もしているそうなので信頼できるありがたい機能だと思います。

作者自身、誤字には気をつけて投稿するようにはしていますが、完全に無くすことは難しく、実際にいくつも見落としがあるように思います。

読者の皆さまが誤字について指摘をなさる際は誤字報告の機能を使って通知していただければと思います。気付き次第こちらで訂正を検討したいと考えています。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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