もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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数日後な感じですが、穏やかじゃないですね……


小説と森の話

 まったくの突然だが、アオイは就職活動なるものをした覚えがない。

 

 学校から研究所へ入る時は試験もしたし面接も受けた。しかし、自己アピールカードは無かった。学校の先生が作った紹介書を持ち、面接の時にアロエをはじめとする研究所の面々に志や希望といった、『それっぽい』ことを言うだけで入ることができた。

 

 ……そんなわけで、アオイにとって研究所は職場であったが、進学する気分で入所することになったのだ。

 

 履歴書を整えるとカレンダーを見た。面接は来週だ。その時に、ちょっとした適性試験を行うらしい。

 

「…………」

 

 もう研究者ではない。

 

 何度も確認した自覚を今日も行う。

 

 シッポウ在中に使っていたデータをまとめてファイルを圧縮して外付けのディスクに入れる。これは段ボールに入れておこう。データ上のプロパティを確認すると容量がごっそり減ったことが確認できた。

 

「…………」

 

 作業が一段落すると、アオイは机の中から新品の紙袋を取り出した。

 

「モシ?」

 

「やあ、ミアカシ嬢。これが気になるかい? まあ、なんてことない、原稿用紙だよ」

 

 ぺらぺらめくって見せるとヒトモシのミアカシは「へぇ」といった顔で見つめ返してきた。もしかしたら、大きなお菓子だと思ったのかも知れない。

 

「小説をね、そろそろ書こうかなって思っているんだ。自分を整理するためにもいいかな、なんて……でも、向こうにいた頃から題材がなかなか決まらなくてね、こっちに来てからしばらく経つけど、書こう書こうって思いながらなかなかペンを持てなかったんだ」

 

 でも、生活が安定しつつ今なら余裕を持って考えられる……気がする。

 

「とりあえず、50枚を目安に短編を1本仕上げようと思う」

 

「モシ!」

 

 200枚入りで買った原稿用紙から50枚分を数えて、机の上に置く。その上を人差し指で天板に対し垂直に押すとかなりの厚みを感じられた。

 

 わお、と思わず声をあげた。

 

「多いね。……まあ、最低45枚だとしても5枚ずつ書けば9日、10枚ずつかけば4日と半分」

 

 とりあえず、1日に何枚書くかは保留にした。自分の書くペースがまだ分からないからだ。レポートであればすらすら書けるが、あれとは勝手が違うだろう。

 

「さて」

 

 問題は、テーマである。

 

「共存……ありきたりすぎるかな、王道でもいいけど、ファンタジーよりはノンフィクション風味がいい……ノンフィクション、ありそうな話、ありえそうな話、噂話の深いところ、煙の下にありそうな話、教訓になるような、そこまで……しつこいのはくどいなぁ……」

 

 うんうんと唸ってメモ代わりのレポート用紙にアイディアを書きためていく。

 

 いざ書き始めようとするまでは、自分が書くテーマにこだわりは無いだろう。……そう思っていたが、テーマ決めという段階になるとあれこれと考え込んでしまう質らしい。

 

 まず、ファンタジーは書けそうにない。幻想なんて書き始めたら最期、こちらの精神が参ってしまいそうだ。

 

 フィクションのなかでもノンフィクション風味の話、それにしても、生々しいテーマを掲げるのは、だめだろう。でも、研究者だった経験は生かせるはずだ。むしろ生かさなければ人生経験も少ないわけだし詰んでしまう。

 

 レポート用紙は埋まっていく。

 

『研究者の間で語られるジンクス短編集』サブタイ「やったか!?」概要「筆者が見聞したジンクスの話というスタンスで語られる、疑似科学的な話」――自分で発想しておいて訳が分からん。誰が読むんだ、私だよ、そうか。

 

『研究業界の闇、実験の表と裏』サブタイ「やっぱりダメだったよ……」概要「実験→結果→検証→実験→(以下ループ)」――さては、お前、成功する気が無いだろ。でも科学者としては正しい姿勢かもしれないな。

 

『密室で起こる人間関係の注意事項』サブタイ「俺は部屋に戻る!」概要「研究室の面々の悶々とした日常を描く」――職場に何か恨みでもあるのかって聞かれそうだからやめておこう。私情を挟んでしまいそうだ。私だってメンバーに何も思うところが無かったわけではないのだ。

 

 

 アオイはレポート用紙から離れた。

 

「どうしよう、ミアカシさん、私の想像力が思っていたより酷かった」

 

「モシモシ……?」

 

 ミアカシは不満そうだ。紙の上を滑るペンの音が好きな彼女はさっさと書けとばかりに紙を叩いて催促してくる。あまり泣きつくとまた人格を疑われるような顔をされることは必至なので、悩むのは切り上げた。

 

 レポート用紙を一新して、ペンを握る。

 

 漠然としたイメージのまま書き連ねても自己嫌悪に磨きがかかるだけで生産性が無い。まずは、何を書こうとしているのか、何が書きたいのか考えて、それを言葉にする必要がある。選択、方針を決めるのだ。

 

 はじめにレポート用紙の上に『なにがしたいのか?』と書いた。

 それから作品の種になるようなことを経験と知識から一つの単語として切り取っていく。

 

『 人間。ポケモン。死。再生。群体。苦悩=乗り越えるもの。悪いもの。見えるもの。見方による。正義。大きなものじゃない。権力=臭いもの。地位。権力闘争。空しい感じ。到達点の違い。差異。共感……etc. 』

 

 ごちゃ混ぜだ。

 どの単語が何を構成するものなのか曖昧だ、世界なのか、キャラクターなのか、ストーリーなのか、さっぱり分からない。

 

 しかし。

 

「……これは、よくないな」

 

 バリッとアオイは勢いよく用紙を千切った。

 

「もっと明るい話が書きたい」

 

 もう一度、単語を書き取っていく。この作業には湖から小さな貝殻で水をすくい上げるような、果ての無い徒労感があった。でも、苦痛には感じなかった。自分が何をやりたいのか、それを知る貴重な経験だった。

 

『 人間。ポケモン。信頼。無謀。乗り越える=困難。明るい。夢。未完成。とにかく明るい。みんなにとっての希望。友情。ライバル。悪役はいない。ヤマ。オチ 』

 

 10分後。最低限これは必ず入れたい! という要素を再検討する。

 

 そこであがったのは「ポケモン」と「友情」だ。

 

『少年が、ポケモンをもらって初めてのジムバトルで勝つまで』

 

 それまでなら長過ぎもせず短すぎもしないだろう。……モデルは先日、ミアカシを負かしたポッチャマと少年にしよう。名前も顔も忘れかけているけど、あんな感じがいい。初々しくて。夢見がちで。無謀で。未完成……でも。楽しそうなところがいい。

 

 心まで弾む勢いでアオイはペンをはしらせた。心地良いリズムで紙の上を滑るペンを子守歌にミアカシは膝の上で眠りはじめた。

 

 それからしばらく、物語の展開を考えていると、急に心が重ったるくなった。

 

(創作物に対して腹を立てるなんて間違っている……と分かっているんだが。腹が立つ……)

 

 たまに自分がバカなんじゃないかって思う時がある。そして、たぶんバカなんだと思う。頭を抱えて。紙上に広がる夢に触れる。

 しかし、我慢してアオイは一通りの展開を簡潔にまとめた。それから、ペンを置き、さきほどかごくずの中に入れたレポート用紙を取り出した。

 

「…………」

 

 書き直すことも、再検討することもせず、アオイはただ眺めていた。

 

『スケルトンカラーのモンスターボールが発明されたことに伴う子どもの反応とそれを開発したボール研究者の苦悩』

 

 不意に繋がったアイディアを書き留めてアオイはその紙をデスクにしまった。なんだか明るい話ばかり考えていると調子が狂いそうになるのだ。

 

 

 

◇ ◇ ◆

 

 

 

 その日の夕方のことだ。まだ明るい日を頼りにアオイは散歩に出かけようとしていた。一日中デスクの前にいて疲れてしまったのだ。

 

 気分転換に繰り出したところで、

 

「アオーイさーん」

 

 呼び慣れしていないらしい、うわずった声で名前を呼ばれた。振り返れば白い帽子をかぶった少女が手を振りながら走ってきた。リリだ。

 

「アオイさん! お散歩?」

 

「ん。あ、うん」

 

 ぶっきらぼうな返事をしてアオイは弾けるような彼女の笑顔から目を反らした、その先にあったのは彼女の両親が窓を開けてこちらへ手を振っている光景だった。

 

「ご両親、帰ってきたんだね」

 

「うん! アオイさんにご迷惑おかけしましたって」

 

 先日はとはうって変わったリリの様子に驚きながら、アオイは小さく手を振った。

 

「迷惑なんて、とんでもない。困った時はお互い様だよ。私だっていつかお世話になるかもしれない。その時はよろしくお願いします、と伝えてくれるかな」

 

「はぁい! ね、アオイさんはお出かけするんだよね?」

 

「散歩しようと思ってね」

 

「一緒に行ってもいい?」

 

「……ええ? いいけども、私は気の利いたおしゃべりはできないよ」

 

「気にしないから、行こう行こう!」

 

 ぐいぐいハンドルを押して行こうとする彼女をなんとか押しとどめて、家を指した。

 

「ちょ、ちょっと待って。ご両親は? 心配するだろう?」

 

「アオイさんは『大丈夫だ』って、言ってた」

 

 ダイレクトな言葉に思わず「ぐぅ」とアオイは呻いた。家族の中で語られた言葉をそのまま伝えられるのは、生々しく心に迫るものがある。

 

「まあ、いいけども……」

 

 ついて来る気満々の彼女は道路の縁石に立ち腕を開いて平衡を保って遊んでいる。

 

 アオイは精一杯背伸びをして後ろを振り返るとぎこちなく頭を下げた。視界の端で彼女の父親が礼を返すのが見えて、すこしだけ安心した。

 

 車イスを動かして進むとアオイは隣で、テクテクと歩くリリを見た。彼女の後ろをヒトモシのミアカシがスキップしているのだ。

 

「今、学校だと何が流行っているの?」

 

 チャチャから仕入れた何気ない会話のボールをリリに渡した。

 

「えー、アオイさん分かるかな、『レポート』だよ」

 

「レポート? 旅のトレーナーたちが書いている、あの日記のことかい?」

 

「うんうん。それに、イラストをつけたやつ」

 

「イラスト?」

 

「綺麗なイラストなんだよ! ポケモンとか主人公の女の子とか、ライバルの格好良い男の子とか」

 

 リリの話から情報を合わせていくと、ジム巡りをしているトレーナーが自分の冒険記録を編集し、子供向けにイラストを加えて出版している本が人気らしい、とアオイは把握を終えた。

 

 トレーナーの数は多い。その中には自分の体験記を出版しようとする人も少なくないだろう。実際、レポートというジャンルはすでに確立しつつあるようだ。ジャンルができれば比べ読みをすることができ、多くの目に触れることになる。

 

 これから旅をする少年少女には夢と希望を与え、旅を終えた大人には在りし日の情熱を懐古させる役目を持っているように思えた。

 

「アオイさんも読んでみる?」

 

「うん。……ちょっと、興味あるかな」

 

 今度、持って行くね! という言葉を右から左へ流してしまい、「うん、どちらかといえばそうかな」と返事をしてしまった。そのため彼女とミアカシが不思議な顔をして見つめ返してきて気まずい思いをしてしまった。

 

「旅人の数だけ物語ができるなんてロマンがあるじゃないか。そうそう、リリさんは冒険してみたいと思うことは?」

 

「あるよ! ロコンとね、一緒に行くんだ! だから、ナタネさんに勝てるようにしないと!」

 

 ふむっと小さな胸を張る彼女の目はキラキラしていて眩しかった。

 

「ナタネさん、ああ、ジムリーダーの方でしたっけ。まだ会ったことがないんだ」

 

「え? アオイさんって森の中を、お散歩してるんじゃないの?」

 

「いつも川縁を歩いているけど……え?」

 

「ああ、てっきり、森だと思って。いま森に向かって歩いているよ。……でも、森の入り口まで行って帰ってくるだけでも遠いから散歩には十分だよ」

 

「うん? それならいいんだけど」

 

 なりゆきで歩いていてあたりを見回せばたしかに普段とは違う光景だった。目の前に見える森がなんとなく存在感を増しているのは気のせいではなかったか。

 

 アオイたちが住んでいるのは街のなかでもはずれのほうで、森が隣接しているところだ。しかし、きちんとした森の入り口は別にあるのだそうだ。この先にあるのがそうだろう。

 

 旅のトレーナー達はその入口から向こうへ抜ける出口を探しているのだという。もちろん、アオイやリリの家の近くからも森を抜けることは出来るのだが、道を知らなければ迷ってしまうだろう。身近ゆえに忘れそうになるが、意外と深い森なのだ。だからアオイはミアカシを森に近づけたくない。

 

「それでね、あ、ナタネさんね、よく見回りしてるんだ、森のなかにあるお屋敷まで」

 

「お屋敷?」

 

「みんな、森の洋館って呼んでる。アオイさんは知らない?」

 

「よくない噂は聞いたことあるけど、行ったことはないよ。リリさんはあるの?」

 

「あるよ!……実はね、去年の夏……あ、パパとママには内緒だよ」

 

 約束するというようにひとつ頷いて先を促した。彼女が語ったのはこういうことだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 学校のみんなと肝試しって言って、洋館に行ったの。……昼間のうちに言い出しっぺが2階に、小さな、こんな小さな手紙を置いてきて、それを順番に取りに行くって遊びだったの。

 

 手紙の中には番号が書いてあって、くじ引きみたいに1位の人には景品がもらえるの。全員帰ってきたら「せーの」で開けようって。

 

 みんなでちょっとずつお金を出し合って、ハイパーボールを買ったの。

 

 ハイパーボールはね、誕生日の時にしか買ってもらえないもので、みんな欲しがってた。……わたしにはロコンがいるし、本当は別なものがよかったんだけど。

 

 仕切っていた男の子たちが、景品は秘密って言っていたけど、変な話だよね。みんなでお金を出し合ったんだもの、みんな景品は知っていた。

 

 え? どうして、行って帰って来るのが早いの子に景品をあげないのかって?

 

 はじめはそういう話になったんだけど、足が遅い子が文句言って「それならやめる」とか言い出したから「誰にでもチャンスがあるように」ってくじ引きの手紙にしたの。

 

 ……なーんてね。男の子たちは「仕方ないなぁ」って顔していたけど、本当はひとりでも減ると怖かったんだよ。

 

 なんてったって森の洋館だもの。学校の先生が口を酸っぱくして「近づいちゃダメだよ」って言うの。

 

 ……あそこにいたふたりは、もういないからね。

 

 でも、本当は……………………あ、まだまだ、内緒。

 

 

 

 最初の男の子は5分で出てきた。一番足の早い子だったからビックリもしなかった。その子は「楽勝だ」とか言ってたけど、汗でシャツがぐっしょりになってた。一緒にいたズバットもずいぶん落ち着かない様子だった。

 

 次の子は10分、濡れた手紙を握りしめて転がるように出てきた。背負ってたケムッソが重かったのかな?

 

 でも、次の次の女の子は帰ってこなかった。

 

 そして時間が経って、わたしの番になった。みんながちょっと慌て始めて、手紙を探すことと前に行った子を見つけることがわたしの仕事だった。

 

 ロコンをぎゅっと抱きしめてわたしは屋敷に入った。とっても暗くて。ひとりだったらすごく怖かったと思う。

 

 ぎしぎし揺れる階段を上って上の階に行った。でも、2階のどこに手紙がるのか、先に行った子がいるのか分からなかった。……2階には部屋がいくつもあったけど、全部の扉が開いていたの。前に来た子たちが片っ端から開けていったのね。

 

 その時、ロコンが腕から飛び出してしまったの。床の匂いを嗅いで先にいった子を探してくれて。

 

 そして、通りがかった部屋の中に、女の子がいるのを見つけたの。部屋の中に突っ立ってた。

 

 女の子を見つけたから安心したけど……ちょっと腹を立てちゃって。

 

「早く行こうよ。みんな待ってるから!」

 

 って。大きな声で言ったの。

 

「い、いま、いくよ」

 

 返事は隣の部屋から聞こえた。

 

 ロコンはわたしが立ち止まった部屋の…………隣の部屋で先に行った子を見つけたみたいだった。

 

 ……でも、ちょっと待ってよ。それっておかしい。

 

 女の子は、わたしとその子とふたりしかいないはずなのに。じゃあ、目の前にいるこの子は誰なんだろう?

 

 わたしはもう一度、部屋の中を見た。

 

 ……でも、そこには、誰もいなかった。

 

 ロコンも立ち止まらなかったから、きっと最初から誰もいなかったんだと思う。

 

 

 何かにせかされるようにわたしたちは部屋を出て、洋館を出た。誰かがずっと見つめて追いかけてくるような、そんな気がして。怖いっていうより不思議な感じがあった。「……あれって誰なんだろう」「どうしてそこにいるんだろう」先に歩いている子に聞いたら「そんなこと言わないで!」って怒鳴られちゃったんだけど、……本当に不思議で。

 

 わたしたちがなかなか出て来なかったから肝試しは中止になっていたみたい。

 

 戻ってきたらみんな、その子を囲んで「どうして出てこなかったんだ!?」って責めちゃって。その子が言ったのは、絶対にアタリを引きたいと思って置いてあった手紙を全部開いて、ハズレの手紙を畳むのに時間がかかったんだって。

 

 そしたら、その場が白けちゃって。

 誰かが「帰ろうぜ」って言ったから、帰ることになった。

 

 でも、みんなで森から出てきたところを、ちょうどナタネさんに見つかっちゃって、結局怒られちゃったんだけどね。

 

 

 その後、わたしは不思議な気持ちが止まらなくて。それからしばらく洋館に通い続けた。さすがに夜は無理だけど、朝とか夕暮れ時とか。

 

 女の子には会えてない。でも、別の誰かの気配がするの。

 

 そこにいたふたりはもういない。

 

 でも、本当は知っているの。

 

 まだ、そこにだれかいるって。

 

 

 

◆ ◇ ◇

 

 

 がしゃこん。機械的な音がした。スロットは776。ハズレだ。お釣りをとって小銭入れにいれる。最近の自販機は低い位置に選択ボタンがあって便利だ。

 

 自販機からサイコソーダを取り出してリリに渡した。彼女はベンチに座っていた。そばに寄って、アオイは自分用に買ったソーダの蓋を開けた。

 

「興味深い話だね。ありがとう。屋敷があるということしか知らなかったからね」

 

 本当は旅行ガイドのホラースポット紹介で知ったんだ、とは言えない。

 

「……ありがとう、誰かに話したかったの、ずっと」

 

「それならお役に立てただろうか」

 

 彼女は柵の向こう、ぽっかりくちを開けた森の入り口を見つめていた。

 

「……アオイさん、信じてくれるの?」

 

 不安そうに彼女が見上げてきて、アオイはほんのすこし迷った。

 

 しかし。

 

「信じるよ。森の中だ。きっと、ポケモンも関わっているんだろうさ。それなら何が起こっても不思議じゃない。……幽霊だろうが、魂だろうが、うようよいるだろう」

 

「わたし、もっとバカにされるかと思った……」

 

 アオイはからりと笑った。耳まで真っ赤にして彼女は興奮気味にソーダを振った。

 

「だってだって! 幽霊見たとか、可哀想なこと言ってるバカって思われるんじゃないかって……!」

 

「思わないよ。確かに君は見たんだろう? それならそれが真実だ。現実は常に正解だからね」

 

「変な子だって思わない?」

 

「思わないよ。君は真実を知りたいと思っただけだ。ごく自然なことだよ。……おっと」

 

 アオイはサイダーをミアカシに取られてしまって手持ち無沙汰になってしまった。

 ほかに視線を置くところも無く森が風にそよぐ様子を見ていたら、ふと腕をつかまれた。

 

「ええ?」

 

「アオイさんって、やっぱり、いい人ね」

 

「え……?」

 

「お話、聞いてくれてありがとう」

 

「私からお願いしたようなものだ。礼を言われるほどでもないさ」

 

 ▽アオイは うでを つかまれている しかし ふりほどけない

 

 第一、少女相手にムキになるのはよくない。苦手な子供とはいっても、外聞とかいろいろ。

 

「あと、ソーダくれたし!」

 

「なんてこったい」

 

 食べ物で女性を釣る真似をしたことに気付き、アオイは慌てた。これでは飴ちゃんあげるよ、と女子に近づく怪しい男を批難できない。

 

「あとね、ナタネさんはくさポケモンが好きなひとに悪い人はいないっていうけど、ほのおポケモンを好きなひとにも悪い人はいないと思う!」

 

「……極論の暴力だ」

 

 ナタネというジムリーダーは森の見回りをしているというから若いのに責任感が強くて凄い人なのだなぁ、と思っていたらとんでもない主張を振りかざす人だった。子供にしっかり影響が出ているじゃないか。……もちろん、それを差し引いても良い人なんだろうけど、良い人なんだろうけど。

 

 アロエさんといい、ジムリーダーというのは強烈な性格ではないと生きていけないのか。

 真面目に何かを言おうと考えていると、リリがくすくす笑った。

 

「なーんてね。……でも、お話聞いてくれたのはほんとに嬉しいの。嘘だろって茶化されると思ったから」

 

「そんなに不誠実に見えるかな」

 

 黙っていればまともに見えるから、と在りし日のパンジャによく分からない評価をもらったことをアオイは実のところ真に受けている。だからリリの言葉にちょっと傷ついた。

 

「ううん。真面目そうだから真面目に言われると思った」

 

 アオイは肩を落とした。そんなわけないじゃないか、と。おどけたフリが彼女のツボに入ったらしく、つられてアオイも笑ってしまった。

 

「モシ!」

 

 ぷはっと口元にソーダのあとを付けてミアカシが瓶をアオイに渡した。

 

「あれ、半分残してくれたんだね、ありがとう」

 

「モシ!」

 

 体力を回復したミアカシがアオイの膝上でだらだらしはじめた。最近、テレビを見るときもこんな格好だった、と妙に人間くさい彼女に危機感を覚える。

 

 そんなミアカシをじーっと数秒間見つめて、リリがゴクゴクと喉を鳴らしてソーダを飲んだ。いいのみっぷりだ。

 

「そういえば、ナタネさんってお化けが苦手なんだよ」

 

「え? それじゃ、洋館のなかを探索できないじゃないか。暗くて人が近づかないところなんてゴーストタイプの絶好のたまり場だろうに」

 

「そうそう、だからいつも森から洋館を見るだけなの。……ちゃんとみんなを守りたいって、頑張ってくれているんだ。本当は怖がってるのバレバレなのに。それでもナタネさんはね、格好良いんだよ。わたしも、みんなを守れる、そんな人になりたいなぁ」

 

 ふたりは森に背を向けて歩き始めた。リリのジムリーダーになりたいという将来の夢に耳を傾け、アオイは何度も頷く。

 やがてソーダが入っていた容器を回収箱に入れて、ふたりは家路へついた。

 

 アオイはまだ背後の森のざわめきに耳を澄ましていた。

 

(森の中には何かいるらしい)

 

 深い森は人を狂わせる。幻想と現実の境界が極端に低くなるのもそのせいだ。

 

 この街の人は森を恐れて近寄らない。

 

 でも、その原因は廃墟の洋館にいる幽霊なのだろうか。

 

(本当は、違うだろう)

 

 本当に恐ろしいものは、本当に警戒すべきものは、そこにいた何かではない。

 

 自発的にいなくなったのなら……それはそれで恐怖に値するものだが……もしも誰かが彼らを謀ったのなら?

 

 その時、恐れなければならないのは、死んだ彼らより生きている人間とポケモンだ。

 

 なんていったって、彼らは生きてその場にいるのだろうから。

 

「モシ?」

 

「ミアカシさん、どうしたの?」

 

 歩き疲れて膝の上をごろごろしていたミアカシが突然立ち上がってアオイの肩越しに森の入り口を振り返った。

 

 アオイも単眼鏡を取り出して風にざわめく木々を見つめた。

 

「………………」

 

 何も見えない。しかし、ミアカシが反応するくらいだ。何か気になるものがあるのだろう。

 

 油断無く森を見張るアオイの隣で「あっ」とリリが小さく囁き、息を止めた。

 

「そういえば……ナタネさんがね、言っていたの。森が静かすぎるって。奥に行けば行くほど静かになるんだって」

 

「それは、妙だね」

 

 森の奥は人に影響されずポケモンの楽園となるべき場所だ。

 

 そこが静かだということは、つまりどういうことだろう?

 

 アオイは単眼鏡をしまうと、リリに話しかけた。

 

「……リリさん、私と約束してくれるかい? ナタネさんや他の誰かが、その原因を明らかにするまでひとりで森の中に入らないで。友達と一緒でもダメだ」

 

「でも、ロコンと一緒なら――」

 

「君だって本当は知っていると思うが、世の中には、くさポケモンを盗みに使う奴もいるし、ほのおポケモンで人のポケモンを奪うような奴もいる」

 

 きっと反論したいのだろう。彼女は口をぱくぱくさせて顔を赤くした。

 しかし、アオイは厳しい顔をして眉を寄せた。

 

「好奇心は大切だ。だから慎重に扱わないといけない。私はひとりの大人として、君に言っておかないといけない」

 

 急に大人風吹かしてすまないね、と前置きすると彼女は口を閉じて大人しく聞いてくれた。

 

「ありがとう。……君がそういう連中に出会ってからでは遅いんだ。危ないことはしないでくれ。ナタネさんの努力を君が無かったことにするのは、嫌だろう? それに森をよく知るナタネさんのことだ、きっとすぐに解決してくれるさ」

 

 会ったこともないナタネを引き合いに出すとリリは納得して約束をしてくれた。

 

 口約束は、やらないよりはマシだ。森に入ろうとする際、後ろ髪を引く程度には役に立てばいいと思う。

 

「さ、帰ろうか」

 

 

 森、密度、洋館、幽霊、人間、ポケモンたち。情報を混ぜながら考える。

 

 思考のなかでは関連する単語がリズムを刻んで跳ねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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