「そっか。無事に予選通過できたんだ」
12月14日。さも当たり前のように雪が降り注いで辺り一面に積もる中、ファビアは公園のベンチに座りながらアインハルトと連絡を取っていた。
首からはロケットペンダントをぶら下げており、さらにその上からロケットペンダントを隠すようにマフラーを巻いた、冬の魔女といってもいいファッションをしている。
『ええ。トーナメントの組み合わせも決まりましたし、明日が楽しみです』
「あはは……程々にね」
アインハルトは現在、新しく設立されたナカジマジムの所属選手となっている。
元々彼女と三人の後輩による『チームナカジマ』という形ができていたらしく、その全員が徐々に頭角を現してきたので、コーチのノーヴェ・ナカジマはジムを持つことにした。
それが今のナカジマジムである。一般のお客さんも通ってはいるものの、チームナカジマの選手達を育成することを主な目的としている。
そんなナカジマジムに三ヶ月ほど前、道端でアインハルトに才能を見出され、スカウトされてきたという期待の新人が現れた。
その名は――
広島弁のような口調で喋る、孤児院出身の少女だ。アインハルトと出会うまでの間、不良達と暴力込みの喧嘩に身を落とす毎日だったらしい。
最初はその勧誘をどこか鬱陶しそうに、お金持ちのお嬢様とか、金にもならない運動をしている暇はないとか、
しかし彼女には行き先がなかったようで、ジムに所属すれば衣食住は何とかなると言われて揺らぎ始め、最後は目的を達成するにはこれしかないと判断し、誘いを受けたとのこと。
ちなみにその目的とは格闘技選手であり、かつて決別した幼馴染みでもあるリンネ・ベルリネッタともう一度向き合うというもの。
また、ファビアは去年からフーカの存在と事情を知っていたため、アインハルトから聞いたときも大袈裟に驚いたりはしなかった。
「格闘技を始めてまだ三ヶ月なのに、成長性凄いよねフーカ」
『私もそれについては少し驚かされました』
フーカは喧嘩慣れしていたこともあり素養自体はあったが、結局は素人なので鍛えられた選手達が相手では歯が立たない。
目的を達成するにしても、相手はDSAA格闘競技部門のU15ワールドランキング一位の実力者。普通に鍛えただけでやり合うには無理がある。
そこでノーヴェはフーカの師匠となったアインハルトの『覇王流』をメインに、近代格闘技を覚えさせるという策を取ることにした。
本人が言うにはバクチだったらしいが、フーカ自身の体をイメージ通りに動かせるセンスも加わり、今のところ上手くいっているようだ。
『そちらはどうですか? 何か進展はありましたか?』
その言葉を聞いたファビアは明るい表情から一変、ここからは仕事の時間だと言わんばかりの真剣かつ不安の混じった顔になって口を開く。
「進歩なし。たまに噂は聞くけどそれだけかな」
――今から一年前。
彼女の大切な友達である緒方サツキが、入院していた病院から姿を消した。
当時は昏睡状態に陥っていた患者が消えたと大騒ぎになったが、幸い手回しでもされていたのか世間を騒がせるほどの影響が出ることはなく、表向きは小さな事件として扱われた。
すぐさま警邏隊(とファビア個人)による捜索が近辺で行われたものの、手掛かりすら見つけられず空振りに終わってしまう。
強いて言えばいなくなってから二日後、ハリー・トライベッカが通っている高等学校に私服姿のサツキが現れたらしい。これに関しては数人の生徒が目撃していたので確実だろう。
……尤も、その後すぐに幽霊の如く行方を眩ませ、捜査も振り出しに戻されたが。
それから数ヶ月ほど経ったある日。裏で大きな事件が起こり始めたという噂のせいか、捜索は完全に打ち切りとなってしまった。
――だが、ファビアは一人になっても休むことなくサツキを探し続けた。
東北の歓楽街、西部の山林地帯、東部の田舎。
かつてサツキと共に訪れた場所へもう一度赴いた他、彼女がいそうな場所を何度も回った。
それでもサツキを見つけることはできなかったが、運が味方してくれたのか月日が経っていくうちにある噂が世間で広がり始めた。
――“死戦女神”の再来。
たった一人で大きな組織を壊滅させたとか、ワンパンでビルを倒壊させたとか、一っ跳びで高層ビルの屋上まで到達したとか、動くスピードが速すぎてソニックブームが発生したとか。
どの噂も信憑性の薄いものばかりだが、あのサツキなら普通にできてしまうんじゃないかとファビアは心の底で思っていた。
なので囁かれる噂が本物かどうかはともかく、もしかしたら手掛かりになるかもしれないので聞いた噂は一応記録していたりする。
そして一年経った今でも、ファビアはサツキを探し続けている。根拠がありそうでない、最強のヤンキー“死戦女神”の噂を記録しながら。
『…………相変わらずデタラメな噂ばかりですね。面識のあるフーカが言うにはたった一殴りで雨すら吹き飛ばしたそうですし』
「でも、サツキならわりと普通に……って思えるところが怖い」
サツキの規格外っぷりは嫌というほど見てきた。もう何を聞いても驚かない自信がある。
一度倒されてもゾンビのように復活する、格上の攻性防御を真っ向から押し切る、怒り心頭だったとはいえ精神攻撃が通用せず、最大出力の重力発生魔法すらも凌ぐ等々……。
挙げていけばいくほどキリがない。あの最強ヤンキー、どれだけ人間離れしていることをやらかせば気が済むのだろうか。
アインハルトと他愛のない会話をし、通信を切るファビア。時間はまだまだあるし、友人に頼まれたことは喜んで引き受けるが、ゆっくりしている暇だけはないのだ。
「……たまには近場を回ろうかな」
今日もファビアは探し続ける。彼女と一緒に撮った、唯一の写真が納められたロケットペンダントを身に付けながら。
「……ここもハズレ」
1月11日。未だに雪が降り積もり、地球でいう鏡開きの最中、ファビアは動きにくそうな厚着を着ながらミッド北部の路地裏を徘徊していた。
あれから紆余曲折を得て、フーカとリンネはついに対決。互いに本音をぶつけ合った末にフーカが勝利し、リンネと向き合うという目的も達成。その後のウィンターカップも無事に終了した。
U19ではジークリンデ・エレミアが再び総合部門・格闘部門の二冠を取り、公式での無敗記録を更新した。見事なものである。
一方のU15格闘部門では、決勝でフーカとアインハルトによる師弟対決が実現。両者一歩も譲らない激しい戦いとなった。
「はぁ……」
しかし、フーカとリンネが仲直りしたところでファビアが休むわけではない。
サツキと出会ってからもうすぐ二年の歳月だというのに、肝心のサツキは未だに見つからない。が、今回はちょっとばかりアテがあった。
最近この辺りで“死戦女神”らしき人物が目撃されたらしく、夜中に路地裏から轟音のような凄まじい音が聞こえたとのこと。
――今度こそ、あなたを見つける。見つけ出してまた一緒に、自由気ままに旅をするんだ。
ジークリンデとの決闘が終わったら、二人で一緒に旅をする。ファビアが決闘前日にさりげなく交わした、サツキとの約束である。
実際には本当に旅をしたいわけではなく、自分がサツキといつまでも一緒にいたいという思いから、咄嗟に提案したに過ぎない。
それもあってかファビアはここが勝負所だと言わんばかりの意気込みで北部の路地裏へ訪れたのだが、結果はご覧の通り空振りだった。
とはいえ、ここまで来たのに手ぶらで帰るわけにはいかない。なのでせめて何らかの手掛かりを見つけようと徘徊しているのだ。
「どうせならジークも誘えば良かったかな?」
サツキがいなくなったと知った面々の中でも、ひときわ動揺していたのがジークリンデだ。そんな彼女をヴィクトーリアが優しく宥めていたのは、今でも鮮明に覚えている。
ジークリンデは全力を出しても倒せなかったサツキをライバル視していた。そのライバルが突然いなくなり、目標を見失ったのかもしれない。
だが、この程度でめげる彼女ではない。きっとサツキとまたやり合える日が来るまで、厳しい鍛錬に励んでいることだろう。
そして現在では最初からそれがなかったかのように、ジークリンデは大会において二冠達成という輝かしい戦績を収めている。
「ん?」
ある程度奥へ進んでいくと、まるで通り魔にやられたかのようにゴロツキが倒れ込んでいた。数は五、六人と言ったところか。
そのうちの一人を軽く蹴ってみるも、反応がない。完全に気を失っているようだ。
よく見ると他のゴロツキも動く気配がこれっぽっちもなく、気絶していることがわかる。
刺激を与えないよう彼らを避けながら歩いていくと、どこかの暴走族が溜まり場として使っていそうな開けた場所へ出た。
「こ、これって……」
そこでファビアが目にしたのは、素手でぶん殴ったかのような複数のクレーター、粉々になったバイクと車、酷く抉られた地面だった。
もはや廃墟に等しい状態の溜まり場。ここを拠点にしていたであろう十人以上のゴロツキが、血を流しながら倒れている。
一種の地獄絵図とも言える、凄惨な光景。それを目にしたファビアは呆然としながらも、微笑を浮かべる程度には懐かしく感じていた。
私はこの光景を何度も見たことがあるし、その地獄絵図を作る原因となったこともある。
――こんなことが当たり前のようにできる人物は一人しかいない。
そうファビアが確信し、何かを察したように歩いてきた道の方へ振り向いたときだった。
背後から少しずつ近づいてくるような足音が聞こえ、人影らしきものが見えたのは。
――お前は何者だと訊かれたら、緒方サツキは迷わずこう答える。
「アタシはヤンキーだ」
不良と答えても別に間違いではないし、仮にチンピラと答えようと、世間からは『底辺の存在』だと認識されてしまうだろう。
もちろん、それも正解である。弱者であろうと歯向かう者には拳を振るい、例え一生懸命に生きている者でも気に入らなければ叩きのめすような存在が、世間から嫌われるのは当然だからだ。
未成年なのに煙草は吸う、アルコール飲料も当然のように飲む、恐喝も当たり前、バイクや車の無免許運転もあっさりとやる。
オイタが過ぎて鑑別所にブチ込まれようと反省など微塵もせず、出所したその日にどんな手段を使ってでもお礼参りを完遂する。
――最初からヤンキーとなるべくして、生まれた存在。
誰がどう言おうと頭を下げず、どんなときでも突っ張り通す。それが彼女にとっての生きる意味であり、定められた存在意義だ。
魔法という異質の力に目覚めようと関係なく、サツキはヤンキーとして突っ張り通した。まるで迫り来る何かに抗い続けるかのように。
だが異世界であるミッドチルダに訪れ、自分を利用しようと接触してきた一人の少女と出会ったことで、彼女の本質は少しずつ揺らぎ始めた。
「さ、サツキと……今度こそ、友達になりたいから……!」
本人のものではない先祖の復讐心に囚われ、代々引き継がれてきた使命を果たすための駒として、サツキを利用していた少女の本音。
その少女――ファビア・クロゼルグにそう言われたサツキは、思わず面を食らっていた。
今までゴロツキに因縁を付けられたり、とあるクラスメイトにしつこく絡まれたり、サツキが一番嫌っている乞食の少女ことジークリンデと、会う度にいがみ合うことは何度もあった。
しかし、さすがに面と向かって友達になりたいと言われたのはこれまでの短い人生の中でも初めての出来事だった。
「――あんたには護るものとかないわけ?」
自分と同種の存在でありながら、自由を選ばず一生懸命にかけがえのないものを護り続けてきた少女に突きつけられた言葉。
そんなものあるわけがない。アタシは一人でやってきた。誰かに期待や信用といったものを寄せることもなく、己のヤンキー道を貫いてきた。
アタシが何かを大事にするとすれば、それはきっとアタシ自身だ。自分より大事なものなんて、あるわけがないのだから。
「そこまで言うならちゃんとついてこいよ? できるもんならな」
そんな自分一筋のサツキは試すことにした。
――ファビアの言っていることがどこまで本気なのか、本質そのものがヤンキーである自分に変化が生じるのか確かめるために。
それからはヤンキーとも無縁の、平和な日々をファビアと共に過ごした。短いながらも、サツキからすれば平和と言える日々を。
結果が出るまで時間が掛かると思っていたサツキだが、意外にもそれはすぐに表れた。
時間が過ぎれば過ぎていくほど、ファビアと一緒にいるのが楽しく思える。同時に彼女と一緒にいることが、当たり前になっていたのだ。
これなら大丈夫かもしれない。信じていいのかもしれない。これまで他人を警戒していたサツキは、心を開いてもいいとようやく思えた。
自分が自分じゃなく――ヤンキーじゃなくなっていくことに、陰で怯えながら。
「クソはお前だ。今さら善人気取りとか笑わせんじゃねえよ」
その過程で無情なまでにはっきりと突き付けられた、途方もなく厳しい現実。
自分だけを信じ、自分だけを愛していたサツキが心の底で人間らしくなろうと思った矢先に突き付けられた、否定のしようもない残酷な現実。
完全にサツキの落ち度だった。今まで好き勝手に暴れておいて、何もないわけがないのだ。
成り行きとはいえ暗部に首を突っ込んでいたサツキが、真人間になれるわけがない。彼女の変化を食い止めるかのように、彼はそう告げた。
反論もできなければ、拳を振るうこともできない。ただ悔しさを噛み締め、睨みを利かせる。その時のサツキにできたのはそれだけだった。
そして月日が経ち、ジークリンデとの約束を果たそうと暗部から抜け出したせいで落とし前をつけるはめになったサツキは――
「彼が言ったじゃないですか。人間は自分に利がある方につくんです」
――裏切られた。気まぐれに利用する形で、尽力をしてまで助けようとした少女に。
そうすれば今よりも、自分にとって大きな利を確実に得られるから。ただそれだけの理由で、彼女はサツキを見限った。
サツキは裏切った少女を、元凶である一人の男を、不甲斐ない自分自身を憎んだ。
そんなときだった。サツキの中で失われかけていたものに再び火が灯り出し、生まれ持った本質が変わっていなかったことを示したのは。
――嗚呼……この感じ、久しく忘れていた。ムカつく奴はぶん殴る、頭は絶対に下げない。どんなときでも、アタシは何者にも縛られることなく、アタシのやりたいようにやる。
彼女は半ば本能の赴くままに、彼らを倒した。一人は顔面を血だらけにし、一人は全力でぶつかり合った末に叩きのめし、屈辱を味わわせた。
だけど、やることをやっても何かが変わることはなかった。むしろ消えかけていたものが表面化し、元に戻ってしまった感じがあった。
「ヤンキー、ナメんじゃねえよ……っ!」
だから
――人間らしくなることをやめ、これまで通りヤンキーとして突っ張り通すことに決めたのだ。
サツキは約束を果たすために満身創痍ながらも魔法を含めた全ての力を出し切り、最強選手のジークリンデにようやく勝利したものの、その代償として昏睡状態に陥ってしまう。
これを好機だと判断したサツキは、ファビア達と『さよなら』をすることにした。彼女達が自分の起こした問題に巻き込まれないように、彼女達を巻き込まないようにするために。
――だが、そんなサツキでも諦めきれない、どうしても捨てきれないものがあった。
ファビアが大事に首からぶら下げている、自分と彼女のツーショット写真が入ったロケットペンダント。サツキも同じものを持っているのだ。
こんなガラクタ一つに未練が生じるなんて、アタシも地に落ちたもんだ。
……いや、ホントにアタシが未練を抱いているのはペンダントじゃなくてクロの方だな。
どちらにせよ、サツキにとってはどうしようもなく情けない話である。未練はないと思っていたのに、実際は未練たらたらなのだから。
しかし、それでも彼女に戻るという選択はないし、生じることもない。あるのはどんなときでも突っ張り通すという強い意志だけだ。
――現在、サツキは複数のゴロツキと対峙している。理由は至ってシンプル、向こうにありもしない因縁を付けられてムカついたから。
こんなときに見知った顔が現れたりしないよな、とか思いながら首を鳴らし、第三者からはめんどくさそうに見える仕草であくびをする。
そしてゴロツキの一人が「何様だお前は」と怒り心頭の声で叫んだ瞬間、サツキは口元を軽く歪めると当たり前のように…………。
「アタシは、ヤンキーだ」
唐突に始めたIFルート、これにて完結です。
本当はあと二、三話ほど書く予定でしたが、思ったよりも上手く一話にまとめることができたのでこれをエピローグにしました。
書き始めたときは始めと終わりしか思いついていなかったので書ききれるかどうか不安でしたが、こうして無事に最後まで書くことができ、正直かなり安心しています。
他の作品については、気が向いたら書いていこうと思います。そうでないときに書いてもなかなか進まないので。
最後まで読んでくださった読者様、本当にありがとうございました。