この世界――ミッドチルダに来てから、アタシは変わったと思う。
地球にいた頃はケンカを筆頭に様々な悪事の限りを尽くし、逆らう奴、気に入らない奴、縋る奴は問答無用でぶん殴る。例えそれが、大人や親しい人間であっても。
こんな感じで少なくとも蹂躙する、または大切なものを奪う側の人間だった。
当然と言えば当然だが、それが原因で逆襲されたり、危ない目に遭ったり、返り討ちにされたり、なんてこともザラにあった。
行き過ぎた暴力をしたり、敵の罠にハメられたせいで鑑別所にブチ込まれたこともある。
時が経てば経つほど、周りの奴は少しずつ大人になっていく。それでもアタシは変わらない。やることは同じだから。
本当に、本当にそう思っていた。
――魔法に出会うまでは。
ただの人間だったアタシが、漫画によくある異能の力を得た。普通の奴なら実感を得た途端、夢にまで見たファンタジーなことができると舞い上がって喜ぶだろう。
しかし、アタシは素直に喜べなかった。突如発現した力を振るうことに嫌気が差し、それに依存してしまうのを恐れたんだ。
加えて強くなりたかったわけじゃないし、力が欲しかったわけでもない。そんなもの、生まれ持った才能だけで充分だった。
その後アタシは故郷である地球を離れ、異世界のミッドチルダで住むことになった。魔法に目覚めてしまったのが運のツキだろう。
そして今に至るまで、いろんな事があった。
放浪生活のくせに一番強い奴、絵本に出てきそうな魔女、同じ地球の人間とも出会った。
自分以外の誰かのために行動するようにもなったし、必要以上の関わりも持つようになった。
もう一度言おう。ミッドチルダという世界に来てから、アタシは変わったと思う。
だけど、アタシとアイツらとでは住む世界が違いすぎる。それは決して変わらないし、どうあがいても変えようのない事実だ。
それでも一緒にいたいとは……恥ずかしながら、思っている。でもそうすることはできない。
だから――さよならだ。
「………………」
深い闇の中から突然吸い込まれるように引き摺り上げられ、黒一色の空間に差し込む一筋の光に到達したところで意識を取り戻す。
サツキは開きかけた瞼を無理やり閉じ、まずは犬のような嗅覚で周りの状況を把握しようとするも、妙な生暖かさと息苦しさに阻まれたせいでよくわからなかった。
次に耳で足音と賑やかそうで騒がしい音、近くを通過したであろう台車の音を聞き取って自分が病院のベッドにいることを確信する。
最後に口から鼻にかけてマスクを付けられているような違和感を覚え、肌の感触で最終確認をするよりも先に目を開けてしまう。
「…………?」
その目に映るは白い天井。この場合、知らない天井とでも言うべきか。
視野を広げる前に目の状態を確かめようと、瞬きを数回。
瞼が重いせいで半開きのままだが正常と判断し、視点を病室全体を脳内で上から見たものに切り替え、ベッドの隣にある椅子へ座り込んだポニーテールの少女を視認する。
だが同時に、口から鼻にかけて感じていた違和感の正体が人工呼吸器だということもわかった。どうりで息苦しかったわけである。
今すぐにでもこの邪魔臭い呼吸器を外したかったサツキだが、その前に肌の感触と視点を組み合わせて病室に人が二人しかいないことを把握した。もちろん、サツキを含めて二人だ。
「…………レヴェントン」
「は、はいっ!?」
視点を脳内で元に戻し、ベッドの隣に座っている少女――フーカ・レヴェントンに声を掛ける。
まさかこの状況で呼ばれるとは思っていなかったのか、椅子から飛び跳ねそうな勢いで驚きの声を上げ、ハッとして口を塞ぐフーカ。
そんな彼女をよそに、気でも狂ったかのように呼吸器を外そうと右手で掴むサツキ。当然、常識人のフーカは止めに掛かった。
「な、何しちょるんですか!?」
サツキの身体に負荷が掛からない程度の力で右手を掴み、呼吸器から引き剥がす。
仕方なく呼吸器を外すのを諦めたサツキはフーカへ睨みつけるような視線を送り、今にも跳び掛かりそうな雰囲気で口を開く。
「今日は、何日だ……?」
「え? あっ、11月2日です」
11月2日。サツキは目を白黒させ、ジークリンデとの決闘からたった二日しか経っていないことに少なからず驚きを見せる。
過ぎた時間から察するに目覚めるのが早すぎたらしい。怪我の程度、出血量、それ以外の負担を考えると、良くても一ヶ月以上は寝たっきり、悪くて死んでいたはずなのだから。
原因がわからないのでこれは一時的な目覚めだと判断し、頭を回転させるサツキ。
どういう経緯があったのかはさておき、自分のお見舞いに来たであろうフーカがいる以上、何か話した方がいいのかもしれない。
「む、無理せんでもいいですよ。息苦しいでしょうし」
サツキが無理に声を出そうとしているのを察したのか、慌てた声を出すフーカ。彼女なりの気遣いといったところだろう。
しかし、そんなことにイチイチ反応するようなサツキではない。
「お前……何でここにいるんだ?」
これしか話題が出てこなかった。内心でダメだこりゃと匙を投げ、拷問を受けているかのように顔をしかめるサツキ。
が、フーカは非常に真剣な顔でこんな苦し紛れな質問にも律儀に答えてくれた。
今から二日前――サツキとジークリンデが決闘したあの日。いつものように喧嘩で負傷したフーカは軽い治療を受け、病院を出たところで緊急搬送されてきたサツキとニアミス。
途中まで怪しまれないように後を追い、サツキが運ばれるであろう病室を把握したとのこと。また、フーカが言うには手術も行ったらしい。
そして後日――いや本日、フーカはこうしてサツキのお見舞いに訪れたというわけだ。
つまり彼女がサツキの入院を知ったのは偶然、全くの偶然である。
「……聞くんじゃなかった」
割りとありがちな理由だったので聞いたことを後悔し、呼吸器越しにため息をつく。
フーカもフーカで「うぅ……」と小声で唸りながら申し訳なさそうな表情になり、どうすればいいのかわからず視線を泳がせる。
二人しかいない病室に沈黙が流れ始めたが、それを打ち破ったのは意外にもサツキだった。
「レヴェントン……」
「は、はいっ」
絞り出すように声を出し、天井を見つめていた視線をフーカへと移すサツキ。その額には汗が帯のように広がっている。
「こないだの発言、少し補足入れるわ……」
フーカと小競り合いを演じたあの日。サツキは自分でも驚くほど比較的まともなアドバイスを彼女に送っており、今でも印象に残っている。
――お前はお前であって、アタシじゃねえ。アタシはアタシのやり方でやってきた。お前はお前のやり方で強くなれ。
誰かのやり方を真似しようとするな。自分のやり方を、己の道を自力で探し出せ。
サツキが送ったアドバイスの意味であり、彼女自身の現在でもある。サツキは誰かに頼ることなく、自分の拳で道を切り開いてきた。
……一部の例外を除けば。
「補足、ですか……?」
「ああ……これも一度しか言わねえから、よく聞けよ……」
よほど息苦しいのか一旦言葉を句切り、顔を歪める。フーカにはわからないが、腹部の傷に苦しんでいるようにも見える。
念話で会話すれば息苦しさという問題は解決するのだが、それには魔力が必要である。サツキはその点が気に食わず、使いたがらないのだ。
「仮にアタシだけの強くなる方法を、知っていたとしても、お前じゃ絶対に真似できない。何でかわかるか?」
「それは……緒方さんじゃからこそできるんであって、そうでないわしにはできん。ってことですか?」
「まあ、そんなところだ」
自分で探し出した、もしくは考えた方法。それを完璧にこなせるのは、その方法を考えた自分自身。自分にしかわからないものを、他人がどうこうできるわけがない。
もちろん、スペックなどの条件が満たされていない場合は考えた本人でもこなすことはできないし、本人でなくても条件や理論次第では他人でもこなせる方法も存在したりする。
「誰かの真似事をするなとは言わねえし、誰かに縋るなとも言わねえ。まあ、アタシ的には後者を選ぶのはやめてほしいがな」
そして何より、方法以前の問題も当然ある。これに関しては強くなる云々に限らず、あらゆる物事において大前提とも言えること――。
「まずは自分を信じる。それを絶対に忘れるな。それがなきゃ、何かを思いつき、実行したとしても先には進めねえ。もちろん、信じたところで良い方へ転ぶわけじゃねえし、悪い方に転ぶこともあり得る。それでも、自分を信じろ」
表向きは息苦しさに耐えて真剣な顔になっているサツキだが、内心では完全に悶えていた。今すぐ窓から飛び下りたいと考えている程度には。
ヤバイ、さすがにカッコつけ過ぎた。恥ずかしい。超恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。記憶を消したいぐらいには恥ずかしい……!
「は――押忍ッ!」
フーカは言葉の意味を理解したのか、とても良い笑顔でサツキに返事をしていた。
だがしかし、サツキとしてはそれどころじゃない。後に黒歴史と言える汚点が、今この時を以って刻まれてしまったのだから。
これではハイディのことを笑えなくなってしまう。困りに困り果てていたサツキだったが、一瞬目の前が真っ暗になった。
「……緒方さん?」
「あぁ……もう、限界みたいだ。レヴェントン……アタシが目ぇ覚ましてたの、誰にも言わねえでもらえるか……?」
理由は聞くなと付け足し、だんだんと深い泥の底にいるように苦しげな息遣いになっていく。さすがに喋り過ぎたようだ。
サツキの懇願を聞いて今度は黙り込んでコクリと頷き、酷く神妙な顔つきになるフーカ。
病室を後にしようと静かに立ち上がり、徐々に瞼が閉じていくサツキと目を合わせ、神妙な顔つきのまま頭を下げて一言。
「――ありがとう、ございました」
純粋なお礼の言葉。それを聞いたサツキの薄れていく意識が一瞬だけ覚醒し、病室から出ていくフーカの背中を捉える。
何でお礼なんか言ったんだ。アタシはお前に感謝されるようなことをした覚えはないのに。
「…………」
まあいいかと小さくため息をついたところで、一時的に取り戻していた意識が、プツリとテレビのように途切れた。