死戦女神は退屈しない   作:勇忌煉

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第57話「どんなときでも」

「ごはっ……!」

 

 身体から黒い刃が抜かれ、同時に力も抜けてその場に倒れ込む。口からは血を吐き、腹部にある傷口からは大量の血液があふれ出していく。

 反射的に傷口を押さえ、歯を食いしばるサツキ。そんな彼女を平然と見下ろすサフランの手には、魔力で構成された黒い短剣が握られていた。

 一体何が起きたんだ。いや、そんなことはわかってる。アタシはサフランに背後から刺されたんだ。だから血を流し倒れている。

 我慢しているのがやっとの痛みで立ち上がるどころか、顔を上げることもままならない。そこへ追い討ちを掛けるかのように、近づいてきていた第三者が汚い声で笑いながら姿を現した。

 

「あっはっは……クソガキぃ」

 

 愉快そうにサツキを見下ろし、嘲笑う男。栗色の髪とサングラス、そして殴りたくなるほど腹の立つ笑顔。サツキは彼を知っていた。

 男の名前はヴェルサ。サツキの護衛対象だった闇金融の社員だ。今回、サツキとサフランをメールで呼び出した張本人でもある。

 口元を歪めるヴェルサの隣では黒髪の小柄な少年が腹を抱え、声を殺しながら笑っていた。おそらく取り巻きの一人だろう。

 倒れ込んだまま彼を睨みつけ、空いている左拳を握り締める。それを全く意に介さず、むしろヴェルサは新鮮な空気を得たかのように告げる。

 

「人間は、金と自益で動くんだよ」

「たまに本能で動く奴もいるけどね」

 

 冷静になった取り巻きが補足で付け加えた言葉に「お前のことだよ」とさらに付け足し、震えながらも立とうとするサツキを指差すヴェルサ。

 サツキが立ち上がろうと両手を地面に当てたところで、そのタイミングを待っていたかのようにサフランが()()()()調()()()()()()()()

 

「ごめんなさい。あなたに感謝していたのは本当ですよ? でなきゃお礼なんて言いません」

「じゃあ、何で……っ」

 

 絞り出すように声を出し、問いかけるサツキ。それに答えたのはサフランではなく、愉快そうに二人を見つめていたヴェルサだった。

 

「その女、まともに見えるけど頭のネジがいくつか外れてるんだよ。俺がわざわざソイツのいる公園に出向いて借金をチャラにするつっただけで、尽力してくれてた人を刺せるんだからな」

 

 それを聞いた瞬間、サツキの頭の中が血も凍るほどの恐怖で充満され、同時にバラバラだったパズルのピースが次々とはまっていく。

 表向きこそまともに見えるサフランだが、その本性は必要なら躊躇いもなく人を殺せるサイコパス。普通の人間であるはずがない。

 なのに自分と接しているときやすれ違ったときには何も感じられなかった。これは彼女に限った話ではない。この手の人間は社会で生き残るため、自分の本性を隠すことに長けているのだ。

 そこまで知ったところで一旦考えるのをやめ、先ほど彼女が言った『同じところがある』という言葉を思い出すサツキ。

 

 ――お前とアタシは、人として普通じゃねえところが同じってか。

 

 この場で導き出された、自分とサフランの共通点。多少の違いはあれど、サフランもサツキも人としては普通じゃないのだ。

 もっと早く気づいていれば――いや、気づかないふりをしなければ良かった。あんな間近で悪寒を感じといて、何がわからないじゃボケ……!

 

「彼が言ったじゃないですか。人間は自分に利がある方につくんです」

 

 それが正論だったのか、はたまた負わされたダメージが響いているのか、言い返すことができずに声を殺して悔しそうに俯くサツキ。

 彼女の言う通り、人間は利益がある方につく。自分も同じ立場だったらそうしていたかもしれないと、密かに納得してしまう。

 しかし同時に、ついさっきまでサフランに抱いていたある種の感情――友情に近いものも薄れ始めた。もう、こんなものは必要ない。あっても邪魔になるだけだ。さっさと消え失せろ。

 

「聞いたかクソガキ。要はお似合いなんだよ、お前ら」

 

 頭の中で充満していた恐怖も薄れていき、今度は怒りと殺意が腹の底から湧き上がる。特に怒りに関しては自分自身にも向けられていた。

 騙されるだけならまだしも、おめおめと敵に背を向けた挙げ句、直前で対処できたのに呆気なく刺されるなんて。無様にもほどがある。

 怒りに任せて重くなった身体を動かし、両手に続き両膝をついて四つん這いになるサツキ。そこへしゃがみ込んだサフランが、まるで止めを刺すようにサツキの耳元で囁く。

 

「――だそうです」

 

 次の瞬間、サフランは血反吐と血飛沫を散らしながら宙を舞い、後ろの壁に激突していた。

 彼女がしゃがみ込んでいた場所には、耳元で飛びまくるハエや蚊を蹴散らすように振り上げられたであろうサツキの左拳があった。

 壁に激突したサフランはピクリとも動かなくなった。頭部と顔面からはサツキの怪我にも匹敵するほどの血が流れ出ており、その場に血だまりを生み出していく。

 ヴェルサはそれを見て感心したのか口元を歪め、取り巻きの少年は開きかけていた口を閉ざす。さすがに笑えなかったのだろうか。

 

「単に鈍いのか、それとも現実逃避が上手いのか。どっちにしてもお前、よくそれで生きてこれたな。プカプカ浮いてるクラゲの方が利口だよ」

 

 振り上げていた拳を下ろし、四つん這いの状態から立ち上がるサツキ。腹部に小さく開いた傷口からは未だに血があふれ出ている。

 サツキは脱力した姿勢で後ろへ振り向き、壁にもたれ掛かる形で動かなくなったサフランを一瞥し、すぐさまヴェルサ達の方へ振り返った。

 目元は俯き気味のせいで見えないものの、口元は歪んでいる。さらにサツキの中で少しずつ失われつつあったものに、長年にわたって抱いていた想いに、再び火が灯り出す。

 

 嗚呼……この感じ、久しく忘れていた。ムカつく奴はぶん殴る、頭は絶対に下げない。どんなときでも、アタシは何者にも縛られることなく、アタシのやりたいようにやる。

 

 身体を重くしていた痛みが徐々に感じられなくなっていき、長いこと背負っていた重荷と憑き物が取れたかのように軽くなる。

 口の中に溜まった血を唾ごと吐き捨て、汚れた口元を拭く。もう、サツキを縛る枷はない。いや、今この時を以ってなくなった。

 そんなサツキの心情を察してか、もしくは単なる偶然か。ヴェルサは皮肉にも自分の手元にある起爆スイッチを押すかのように、サングラスを外しながら口を開いた。

 

「マジでさ、目障りなんだよ――“死戦女神”」

 

 まただ。またその名前かよ。もう聞き飽きたぞ。いつものサツキならそう呆れ気味に思い、頭でも掻いてため息をついていたに違いない。

 しかし、今回はその一言がトリガーとなった。静かに立っていたサツキの姿がブレたかと思えば、いきなりヴェルサの目の前に現れ、握り込んだ左拳を振るっていたのだ。

 完全な不意討ちに反応することもできず、顔面に拳を叩き込まれ吹っ飛ぶヴェルサ。それを見た取り巻きの少年は、爆発した火山の如く激昂した。

 

「何してんだごらぁ!」

 

 脱力したところを少年に殴られ、魔力弾を撃ち込まれてふらつきながら後退してしまう。が、その程度で黙るほどヤワなサツキではない。

 再度ヴェルサに肉薄しようとするも少年にしがみつかれ、食い止められたがすかさず少年へ頭突きをお見舞いし、髪を掴んで右の連打をブチ込む。

 サツキは少年の顔が血だらけになったところで鼻っ面と懐へ膝を突き刺し、彼が気絶したのを確認してゴミのように投げ捨てると、

 

 

「■■■■■■■■――ッ!!」

 

 

 内に溜め込んでいたものを吐き出すように、天に向かって獣の如き咆哮を上げた。

 悔しさ、怒り、殺意。全てを乗せたかのような雄叫び。前に使ったそれよりも声量こそ劣るが、サツキにとっては関係のないことだった。

 無我夢中で叫んでいるうちに、身体の底から力がみなぎり出す。どうやらこちら側に掛かっていた枷も、また一つ外れたらしい。

 そんな音の嵐が終わった瞬間、サツキはいつの間にか立ち上がっていたヴェルサの拳をモロに食らってしまい、さらに爆撃弾を撃ち込まれて身体を後ろへ引きずられてしまう。

 

「おいコラ。当てたら殺すって、前に俺は言ったよなぁ? ――死にさらせクソガキ」

 

 ヴェルサが後半でボソッと呟いた途端、それまでの空気が一気に塗り潰された。

 サツキと比べても体格差のない身体から凄まじい重圧が放たれ、今にも吹き荒れそうな嵐を潜ませた瞳で彼女を睨みつける。

 だが、体勢を整えたサツキはそれに呑まれるどころか、むしろ歓迎するかのように殺気交じりのあどけない笑みを浮かべていた。

 

「良い顔になったな、ボンクラァ――」

 

 一旦言葉を句切り、怒り心頭であろう口元を歪めたヴェルサにはっきりと告げる。

 

 

 

「――全殺しにしてやんよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ミッドチルダ西部の山林地帯。その近くにある平原のど真ん中にて、黒髪のツインテールと澄んだ瞳が特徴的な少女――ジークリンデ・エレミアは佇んでいた。

 その身にはバリアジャケットという魔力でできた防護服を纏っており、両腕には防護武装の一種である鉄腕を装着している。

 彼女はこの寒い中、決闘の相手である緒方サツキを少なくとも二、三時間は待っている。が、サツキはいつまで経ってもやってこない。

 そんな平原の片隅では立会人のヴィクトーリアと、管理局員という名目で同行することになったファビアが待機していた。

 

「あの子にしては遅すぎるわね……」

「……遅いよ。普通に」

 

 サツキはそう簡単に約束を破るような人間ではない。それが勝負事ならなおさらだ。これは何かあったのだと判断せざるを得ない。

 

「連絡はしてみたの?」

「したけど一向に出る気配がない」

 

 諦め気味にそう答え、ため息をつくファビア。ヴィクトーリアも全く世話の焼ける子だと、どこかズレた認識で呆れていた。

 こんな感じの二人をよそに、ジークリンデは身体が冷えないよう軽くストレッチをしながらサツキを待ち続ける。

 

 

 

 その瞳に、闘志を秘めて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日没まで、あと二十五分。

 

 

 

 




 一時間はさすがに長いと思ったので、タイムリミットを半分の三十分に変更しました。

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