死戦女神は退屈しない   作:勇忌煉

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第56話「ありがとう」

「…………ん」

 

 10月31日。ついに迎えた運命の日。公園の一番大きな木に隠し、ぐっすり眠っていたアタシは太陽が真上に来たところで目を覚ました。

 枝の間から差し込む太陽の光が非常に眩しく、寝惚けながら見上げた空には雲が一つもない。どうやら今日は快晴のようだ。

 今日はエレミアとの決闘がある。そう思いながら両手で頬を叩き、眠気を吹き飛ばす。本当に吹き飛ばしたというよりは景気付けだな。

 枝が折れないよう慎重に体勢を整え、脚に力を入れて樹上から約十五メートルほど先にあるビルの屋上に向かって大ジャンプする。

 

「――っと!」

 

 まるで空を飛んでいるかのような浮遊感に包まれたところでビルの屋上へ到達し、音を立てないよう、力んでしまわないよう綺麗に着地する。

 同時に身体がフワッとした感覚に襲われるも、滞空していた時のそれに比べればかなりマシなものだったので気にしたら負けだろう。

 何か怪しいものがないかさらっと周りを見渡し、手に持った白い箱をトントンしてタバコを一本取り出す。目覚めの一本は大事だからな。

 

「ふぅ~……おっ?」

 

 一服しながら下を見下ろした途端、見慣れた金髪幼女――クロとバッチリ目が合った。

 睨むようにこちらを見つめる彼女に裏へ来いとジェスチャーしてから路地裏がある方へ飛び下り、咥えていたタバコを右手に持つ。

 直後に右から足音が聞こえたのですかさず振り向いてみると、さっきアタシがジェスチャーで呼んだクロが立っていた。

 今回アタシに同行するということもあってか、服装は珍しく黒一色の魔女服だ。最近は今時の可愛らしい服ばっか着ていたからな、コイツ。

 

「準備はできた?」

「おう――と言いてえところだが全然だ。ていうか昨日言ったばかりだろうが。大事な用ができたから遅れるって」

「……どうしても?」

「どうしてもだ」

 

 もちろん前々から約束していたエレミアとの決闘も大事だが、今のアタシにはそれ以上にやらねばならないことがある。

 

「……わかった。向こうに着いたら改めて伝えておくから、無理はしないでね」

「お前にはいつも迷惑かけるな」

 

 嬉しさに動かされて反射的に微笑み、クロの小さな頭を優しく撫でる。すると気持ちよくなってきたのか、うっとりと目を細めた。

 ……やっぱり変わったんだな、アタシは。こんなに落ち着いた笑みを浮かべ、誰かと必要以上に関わるなんて。一人だった頃が懐かしいよ。

 右手に持っていたタバコを一口吸い、紫煙を吐いてあと三回は吸えるであろうそれを足下に投げ捨て、火が消えるまで何度も踏み潰した。

 

「気にしなくていいよ。それがサツキだし」

 

 それはどういう意味だコノヤロー。まあちょっとイラついたけど悪い気はしない。お返しにデコピンを食らわせ、彼女に背を向けて歩き出す。

 この際、チラッと見えたのだがクロは穏やかに笑っていた。安心感をくれるかのような、そんな笑顔で。コイツも変わったもんだなぁ。

 エレミアとは今回でケリをつける。決闘が終わったらこの日常にも変化はあるのか。このとき、アタシは少しだけそれを楽しみにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここか」

 

 午後三時を過ぎ、真上にあった太陽が西へ傾いていく頃。サツキは昨日のメールに書いてあった指示に従い、廃工場へ訪れていた。

 本当なら今頃、彼女はジークリンデ・エレミアと一ヶ月ほど前に約束した決闘を行っていただろう。だが、現実はそんなに甘くない。

 とはいえ幸運なことに、その廃工場はミッドチルダ西部の山林地帯、その近くにある平原から少し離れたところにあるものだった。

 ここから急げば時間がギリギリだったとしても間に合う。今のサツキにはそれなりの余裕があった。それがどこまで持つかはともかく。

 

「ふぅ、立ち止まっていても仕方ねえ」

 

 ここに来るまで吸っていたタバコを足下に投げ捨てて静かに何度か踏み潰し、目の前にある廃工場の扉をゆっくりと開ける。

 扉の先は多少の腐食が進んでいることを除けば一般的な工場と何ら変わりなく、今ならまだ復旧の目途が立ちそうな光景が広がっていた。

 明かりの一つもない廊下を歩いていくと、かつて作業現場だったであろう開けた場所に出た。窓からは光が差し込んでいる。

 サツキはそこである人物が、まるで自分が来るのを待っていたかのように座っている姿を目にする。いや、待っていたのだ。

 

「ど、どうも……」

「……おう」

 

 その人物――サフランに軽い挨拶をし、サツキも彼女の隣へ腰を下ろす。こうして二人が面と向かって会うのは実に一ヶ月以来だ。

 昨夜届いたメールにはこんなことも書いてあった。お前一人だけじゃない、と。その言葉通り、ここにはサツキとサフランがいる。

 ――彼女もまた、サツキが一昨日まで働いていた闇金融の債務者だったのだ。

 サフランは膝の上にシフォンケーキでも入ってそうな鞄を置いていた。それが気になったサツキは、周りを気にしながら話しかける。

 

「何だそれ」

「あっ、そうでした。実はここへ来る前にケーキを作ってきたんです。食べますか?」

 

 食べるという提案を聞き、自分が今日はまだ何も食べていないことを思い出すサツキ。同時にお腹から空腹感が湧き上がる。

 思わぬ誘惑に釣られて快諾しそうになるも、さすがに時と場所は選んだ方が良いと思って口を紡ぐ。食べるにしても、事が終わってからだ。

 もう一度「食べますか? 美味しいですよ」と勧めてくるサフランの言葉を聞き流し、とりあえず返答しようと紡いでいた口を開く。

 

「あー……やめとくわ」

「で、ですよね……」

 

 何を言ってるんだろう私、と苦笑いするサフラン。さも当たり前のように振る舞う彼女を見て、サツキは少なからず違和感を感じていた。

 サツキですら内心では緊張しているのに、この状況で平常通りにいられるのはおかしい。後の事を考えると尚更である。

 少し考え過ぎかなと割り切り、座ったまま背筋を伸ばす。そろそろメールの送り主がやってきてもいい頃なのだが、その気配が感じられない。

 

「一つ、いいですか?」

「あ?」

 

 あまりにも退屈だったのでタバコを吸おうと動かしていた手を止め、渋るような仕草を見せるサフランへ視線を向けるサツキ。

 風による木のざわめきがその場を支配する中、挙動不審とも言えるほど目を泳がせていた彼女は意を決してあることを問いかけた。

 

「――ここ最近、私の上着ポケットにお札を入れていたのはあなたですよね?」

 

 やはりそう来たか。予想通りだと言わんばかりに目を瞑り、正面を向いて仕方がないとため息をつき、閉じていた目を開く。

 

「だったら?」

「いえ、別に文句があるわけじゃないんです。むしろ金銭的には助かってました。ただ、どうしてあんなことしたんですか?」

 

 恐ろしく真剣な顔のサフランにそう言われ、「何でだろうな」と右手の人差し指で頬を掻き、口を真一文字にして考え込む。

 もちろん単なるお節介などではない。最初は彼女の借金事情を、自分が仕事を続ける理由として利用していたのだから。

 しかし、時間が経つにつれそんなことは考えなくなった。お節介でこそないものの、彼女の借金がなくなればいいなと思っていたのも事実。

 そこまで考えたところで我慢していたあくびをし、頭の回転を止める。嗚呼、これもまた言葉で表せないことの一つだろう。

 

「わかんねえけど……意味もなくやってたわけじゃねえのは確かだよ」

 

 わからない、どう言えばいいのかわからない。まさに曖昧な返答。理由がないから答えをはぐらかしたかのようにも受け取れる。

 サツキのそれを聞いても特に言及はせず、不器用な人だなと苦笑いするサフラン。納得はいかないがこの調子だと聞くだけ無駄だろう。

 自分を陥れる何かがあるわけじゃない。それがわかっただけでも良いと思い、サフランは胸に手を当てホッと安堵の息をついた。

 

「やっとこれが言えます――ありがとうございました」

「っ!?」

 

 感謝の言葉と共に微笑むサフランを見た途端、身体中の血が凍るような悪寒に襲われるサツキ。

 まただ、またこの悪寒だ。しかも昨日感じたやつよりもはっきりとしていた。まるで隠れていた猛獣が近づいてきたかのようだ。

 首をキョロキョロさせるも他者の気配はなく、ここにいるのはサツキとサフランの二人だけ。もしかしたら自分にはわからないだけで、誰かが隠れているのかもしれない。

 こうなったら直接サフランから聞き出そうと腹を括り――

 

「ん?」

「あっ」

 

 ――口を開きかけたところで、扉の開く音が室内に響き渡った。

 足音から人数はおそらく二人だと判断し、誰にも聞こえないよう小さく舌打ちをする。

 

「来たみたいですね……」

「だな」

 

 膝の上に置いていた鞄を持ち、立ち上がってお尻をはたくサフラン。続くようにサツキも立ち上がり、彼女の前に出る。

 今回は相手が相手だ。これから何をされるかわからない。場慣れしている自分はともかく、そうでないサフランは護る必要があった。

 サツキが内心でらしくない、アホらしい、くだらないと自嘲していると、後ろにいるサフランがどこか残念そうに呟いた。

 

「私、もう少しだけあなたと話していたかったです」

「……そう」

 

 口では言わないものの、サツキもそれには少しばかり同意していた。

 彼女とは短い仲だったが、気に入らないところは何一つない。あと一ヶ月ほど一緒に過ごせば友達とまではいかなくとも、そこそこの仲にはなれていたのかもしれない。

 

「それにわかっちゃいました。どうして私とあなたが、あのときから仲良く話せたのか」

「ああ、あれか――!?」

 

 サフランが言ったことについて思い出し、少し懐かしんで振り返ろうとした瞬間、身体が熱くなるような感覚に襲われた。

 疑問に思ったサツキは下を向こうとしたが、後を追うように鋭い痛みが伝わってきた。

 激痛のあまり顔を歪めるも、声を殺して必死に耐えるサツキ。それでも諦めずに首を動かし、下を向いた彼女は絶句してしまう。

 

 

「――同じところがあるから、です」

 

 

 サツキの身体を、黒い刃が貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日没まで、あと三十分。

 

 

 

 


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