「ぐあぁ……!?」
路地裏の奥にて少女――フーカ・レヴェントンの身体が宙を泳ぎ、壁に叩きつけられたことで鋭い衝撃音とクレーターを発生させる。
一瞬何をされたのかわからず呆然とするも、背中が悲鳴を上げたことでフーカは初めて自分が投げられたことに気づいた。
誰に投げられた? わしはさっきまで緒方さんにしがみついとった。つまり――
「ボケが……そこでくたばってろ」
そこまで考えたところで苛立ちの籠った刺々しい声が聞こえ、俯いていた顔を上げたフーカは自分を見下ろすサツキの姿を捉える。
サツキはめんどくさそうに唾を吐き捨てるとフーカに背を向け、何事もなかったかのようにその場から立ち去ろうと歩き出す。
震える足を気合いで動かし、壁を支えにして立ち上がるフーカ。彼女はサツキに言われたある事がどうしても許せなかった。
――テメエもベルリネッタと同類じゃねえか。力欲しさにしがみつきやがって。
孤児だったフーカは人を見下し、弱者を陥れるような人間が大嫌いだ。なのにサツキは、自分がリンネ・ベルリネッタと同類だと言った。強さだけを求めるようになり、弱者を見下す者へと変貌してしまった幼馴染みと同類だと。彼女はそれが悔しくて我慢できなかったのだ。
地面を蹴り、今にも立ち去りつつあるサツキを引き止めようと、魔力で強化した両手を使って彼女の腰へもう一度しがみつく。
これにより既視感を感じたサツキは立ち止まって後ろへ振り向き、視線を下に落として腰にしがみつくフーカを見て眉を顰める。
「――ごぉっ!?」
そして自分を行かせまいとしがみつくフーカを、まるで赤子を扱うようにあっさりと引き剥がし、懐へ前蹴りを繰り出した。
二メートルほど身体が後ろへ引きずられ、躓くように転倒したことで背中から後頭部に掛けて凄まじい衝撃に襲われてしまう。
諦めずに血を吐きながら急いで立ち上がるも、あの時のリンネと似たような目のサツキを見てカッとなり、何かを払うように首を振りまくる。
「あいつとは、あれらとは違うんじゃぁっ!」
激昂しながら叫び、今度は魔力を宿した拳でサツキに殴りかかるフーカ。サツキはそれをジッと見つめるだけで迎え撃とうともしない。
フーカの右拳は唸りを上げながらサツキの腹部へ突き刺さり、抉るようにめり込んでいく。
しかしサツキはそれを表情一つ変えずに、しかもその場から一歩下がっただけで難なく受けきっていた。余裕にも程がある。
間髪入れず二発目を腹部へ叩き込まれるも意に介さず、右の膝蹴りをフーカの胸元へブチ込んでから左の拳で殴りつけた。
「がは…………わしを、わしをあれらと一緒にするなやぁぁぁ!」
肋骨が悲鳴を上げると共に息が詰まり、またもや倒れ込んでしまうも無我夢中で起き上がって拳を握り込み、再び殴りかかるフーカ。
本人はまだ知らないが、フーカの骨格は並々ならぬ強度を誇る。どんなに殴られようと肉にしか傷はつかず、骨に傷がつくことは滅多にない。
無謀な喧嘩を一ヶ月は繰り返しているにも関わらず、彼女が今に至るまで大きな怪我をせずに済んだ要因の一つでもある。
そのためフーカの放つ拳も非常に硬く、並みの相手なら一撃で沈めることができる。
――とはいえ、今回は相手が悪すぎた。
何故なら相手は“死戦女神”というミッドチルダ最強のヤンキーであり、次元世界最強のアスリートとも互角に渡り合える実力を持つからだ。
これに対してフーカは喧嘩歴一ヶ月の素人。骨格こそ恵まれているが、それだけでサツキに対抗することは不可能に等しい。
だが、そんなことはフーカ自身が一番わかっていた。自分とサツキの間には、次元が違うと言っても過言ではないほどの絶対的な差があると。
「でやぁぁぁっ!」
次は狙いを腹部から顔面へ変更したフーカだが、体格差があり過ぎるためそのままでは届かない。なので足に力を入れて跳び上がり、青い魔力光に包まれた右拳を鼻っ面へ叩き込んだ。
続いて顔面に右を突き刺した状態で左を後ろに引いた瞬間、
「うあぁ――っ!?」
脳天に鈍い衝撃が走り、飛んでいたところを叩き落とされるように地面へと叩きつけられた。
全身が悲鳴を上げとるかのように痛い。一体何をされた? 一体何が起きた? なしてわしは空を見上げとるんじゃ?
最初に投げられたときよりも混乱し、自分が仰向けになっていることになかなか気づかないフーカ。そんな彼女をサツキは真上から見下ろす。
フーカは視界に入ってきたサツキを見てようやく自分の状態を理解すると同時に、掠り傷すら付いていない彼女を目の当たりにして全身から血の気が引くのを感じた。
「懲りねえ野郎だな全く。もう立つなよ」
そう言うとフーカの視界から外れ、三度目の正直と言わんばかりに立ち去ろうとするサツキ。
自分の元から少しずつ離れていく足音を耳にしたフーカは、全身の痛みを堪えながらダルマの如く立ち上がってみせた。
念のため視野を切り替えていたサツキはその光景を見て立ち止まり、唾を吐きながら唖然とした顔でフーカの方へ振り向く。
「……マジでしつけえな、お前。もしかして自殺志願者か?」
「ち、違います……わしはただ、先ほどの発言を撤回してほしいだけです……!」
ならどうしてアタシをこんなところへ連れてきた。そんな必要はなかったはずだが。
聞く気がないのか目の前で真剣な表情をしているフーカをよそに、周りを適当に見回してタバコでも吸おうかなと考え始めるサツキ。
「じゃけん、その……わしはリンネとは、あいつとは同類じゃない――」
その刹那だった。フーカの言葉を遮るように、彼女がいる方向から鈍い音が聞こえてきたのは。
「――は?」
レヴェントンが喋ってる最中に突然鈍い音が路地裏に響き、思わず彼女がいる方へ振り向く。
そこには俯せに倒れ込んだレヴェントンと、前にボコった奴らによく似た数人の鉄パイプを持ったバイカーのようなゴロツキが立っていた。
つまりレヴェントンは話を遮られる形で倒されたのか。このカス共、こっちはお取込み中なんだぞ。勝手にしゃしゃり出てきやがって……。
「こないだは連れが世話になったな――」
「何出しゃばってんだお前らァ!」
お礼参りと言ったところだろうが、そうは問屋が卸さねえんだよ。二度とそんな真似が思いつかないよう徹底的にブチのめしてやらァ。
まずバカ正直に向かってきたバンダナの男へ前蹴りを入れ、振り下ろされた鉄パイプをかわしながらピアスの男を殴りつける。
次に右肩を殴られるも意に介さず、裏拳とハイキックで地味な男を地に沈め、懐へ突っ込んできた男を膝蹴りで怯ませ、脳天に肘を叩き込む。
さらに起き上がったピアスの後頭部を鷲掴みにし、顔面から何度も地面に叩きつけながらレヴェントンの方へ視線を向ける。
「ぜあぁぁぁっ!」
「しつこいんだよクソガキ!」
するとそこにはゴロツキの一人と、いつの間にか復活したらしいレヴェントンの戦っている姿があった。冗談抜きでタフだな、アイツ。
ゴロツキは鉄パイプを振り回してレヴェントンを殴りかかるも、レヴェントンはそれをぎこちない動きで回避していき、青く光る拳で顔面をぶん殴って勝利した。ほう、ワンパンか。
「隙ありじゃこのアマ――ごっ!?」
アタシがよそ見してるのをいいことに再び起き上がったバンダナの男が不意討ちを仕掛けてきた。アタシはその鉄パイプを後頭部に食らうも、平然としながら頭突きをお見舞いする。
続いてだらしなく鼻血を出すバンダナの男を十メートル先の壁まで殴り飛ばし、同時に割り込んできた男を後ろ回し蹴りでダウンさせる。
レヴェントンはその間にも二人のゴロツキ相手に大立ち回りを演じていたが、アタシにやられたダメージが大きいのか押され始めていた。
……まあいいや。別にこの程度、アイツがいなくともアタシ一人で充分だし。
「死ねやぁ!」
「邪魔じゃゴラァ!」
バンダナの元へ向かう途中、どこからともなく湧いてきたサングラスの男を殴り飛ばし、辛うじて倒れなかった彼に飛び蹴りを叩き込んだ。
直後に背後から腰を蹴られてしまうも、相手の姿を確認することなくひねり蹴りで倒す。
そしてバンダナの元へたどり着き、壁際まで追い詰めてから前蹴りを二発、両手を壁に当てながら膝の連打をブチ込み続けた。
「ふぅ、こんなもんか」
とりあえず一通り片付いたが、問題があるとすればレヴェントンだ。タイマンじゃ強いのに二人になっただけで押されてたからな。
タバコを取り出しながら急がずに歩いていき、二人のうち一人を倒してタイマンに持ち込んだらしいレヴェントンを見つめる。
だが、それも長くは続かなかった。最後はレヴェントンがさっきのようにワンパンで勝利したからだ。意外と硬いもんなぁ、アイツの拳。
「……終わったか?」
「は、はい……」
「ふぅ……」
揉めに揉め、途中で第三者にまで乱入され騒がしくなった路地裏を後にした今、特に予定のないアタシとレヴェントンは街中をぶらついていた。
全く、まさかこんなに粘り強い奴だったとは思わなかった。まあ今まで戦ってきた強敵クラスに比べるとさすがに劣るが。
さっき取り出したタバコを一口吸い、紫煙を吐いて溜まった吸い殻をトントンと落とす。
レヴェントンはさっきからハッシュドポテトのようなものをモグモグと食べながら、ほっこりとした笑顔を浮かべている。
「あー、おいレヴェントン」
「むぐぐ……ふぁい?」
どうやら話しかけられるとは思ってなかったらしく、レヴェントンは驚きのあまり食い物を頬張ったまま返事してしまう。
だけどアタシの顔を見るなり、味わうように食べていたハッシュドポテトのようなものをあっという間に食べ終わった。
「一度しか言わねえからよく聞け。さっきの質問についてだが……」
「は、はいっ」
レヴェントンがしてきた質問。確かアタシがどうやって今の強さを得たか、だったな。
嫌味にも聞こえるのであんまり言いたくはないが、そんなの答えは一つだけだ。
「結論だけ言うと、そんな方法はない」
「えっ……」
「けどな――」
一瞬驚いたレヴェントンの表情が再びマジなものになったのを確認し、アタシは続ける。
「――お前はお前であって、アタシじゃねえ。アタシはアタシのやり方でやってきた。お前はお前のやり方で強くなれ」
いつもなら適当にはぐらかすアタシにしては珍しく、比較的まともなアドバイス。
この言葉の意味を理解してくれたのかはわからないが、レヴェントンは良い笑顔で「はいっ!」と元気に返事してくれたのだった。
……別れる際、レヴェントンに『またな』と言ってしまったのはここだけの話。